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歴史映画・歴史番組などで、戦に負けた周辺農村の女子供がさらわれるシーンを見かけますが、
その後の光景は見たことがありません。

さらわれた人達は、誰に買われて、何をさせられるのでしょうか?

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A 回答 (3件)

朝日選書 藤木久志著 「戦国の村を行く」によると


資料として価値の高い「妙法寺記」に
「足弱(女、子供など)を百人ばかり御取り候」と
武田軍が人取りをして、甲斐に連れて行ったと、
書かれているとのこと。

連れて行かれた人の身内が金を払って連れ戻した
とのこと。
身代金目当ての人質誘拐ですね。
そうでない人は売り買いされて、労働力や召使に
されたとのこと。

九州では売られた人が、外国船を通して、東南アジア
にまで売られたこともあるとのこと。

身代金の例として甲州軍では2貫文、
売買代金として越後軍では32銭(文)
身代金は高いですね。
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この回答へのお礼

買い戻すってこともあったんですか。
それにしても2貫はともかく、32銭ってのは安いですね。
下手すれば、小さな村のちょっとした豪農でも買えるのでは?
ともかく、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/29 22:45

奴隷売買は秀吉によるキリスト教の禁教令の原因のひとつになっています。


秀吉が九州征伐のあと、博多で宣教師たちによる日本人奴隷の国外連れ出しを見つけ、禁教令を発し宣教師の国外追放を行っています。
これら日本人奴隷は、戦によって負けた大名の領地に住む農民や町民、主君を失った武士やその家族などでしょう。
宣教師たちによって、海外に連れ出された日本人奴隷の行き先は、その当時スペインやポルトガルの植民地だった東南アジアが主な地域だったと思いますが、遠くヨーロッパや中南米まで連れて行かれた人もあったと思います。(当時すでにスペインの植民地だったフィリピンからメキシコへの航路がありましたから)
また金銭によって買われた奴隷ですから、男は当然肉体労働、女は賄いや性的慰み者などでしょうね。
奴隷でも、日本にいればまだ自分の地位回復のチャンスもあったかもしれないし、逃亡によって自分の郷里へ帰ることも、まったくの不可能ではなかったと思いますが、遠く海外に連れ出されていった人たちは、ただ望郷の念にとらわれてその人生を終わらせたと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/03 08:23

基本的に、労働力+子供を生む道具としてさらわれるか。


はけ口として使われる、強姦されて殺されるぐらいでしょうか。

ヨーロッパなんかですと、完全に商品としてオークションまであったみたいですが、
日本国内ですと部下の嫁とかに下賜される事が多かったんじゃないですかね。
武家の娘すら人として扱われてなかった時代ですから、今は倫理的にはっきりこうでしたとは言えないでしょうね。
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この回答へのお礼

武家の娘すら、ですか。
酷い時代ですね。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/29 22:40

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Q戦国時代、敵国の民衆は殺戮の対象になった?

戦国時代の民衆と言うのは、戦に負けた際には敵国による殺戮の対象になることが一般的だったのでしょうか。
今日放送の「その時歴史は動いた」を見て、疑問に思いました。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_06.html#04

私の勝手な思い込みでは、2つの国が戦になったとしてもそれは国を治める大名同士の争いであり、非戦闘員である一般民衆は殺戮の対象にはならなかったのではないかと思っていたのです。(兵士として徴用される等の事情は除く。)

一般民衆も、その国の主である大名の家臣と同じ扱いとなり、殺戮の対象になったのでしょうか。
それとも、大坂夏の陣が特殊な例だったのでしょうか。


ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

藤木氏の書籍のまとめみたいなもの
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-tradingofpeople.htm

南蛮貿易の実態
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html
「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」
天正遣欧使節の文章より。
けど、ポルトガル人が直接日本人狩りをしていたのではなく、奴隷狩りをした日本人から買っていただけです。
この構造は、アフリカの奴隷狩りもいっしょで、現地アフリカの有力者(王だったり)が他の部族を攻撃して奴隷として西欧人に売っておりました。

ちなみに、戦争後の奴隷狩りを「乱取り」と、言いまして
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A
勝ったら 乱取り自由というのが当時の常識。
勝った後、殺戮などという不経済な行為をやるわけ無いと思うのです。若干の抵抗する人間への殺戮はあっても。

藤木氏の書籍のまとめみたいなもの
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-tradingofpeople.htm

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「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」
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