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 ちょっとお恥ずかしい話ですが、聞いてみたいことがあります。
 日本の性文化に対してです。
某有名グループの一人が処女性で売っていたから過去の恋愛遍歴が証拠写真と共に出てきてしまったことで左遷されたりしましたよね?

日本の性に対する認識って何か不思議な気がするんです。
ビッチかそうじゃないか
処女か非処女か
日本の男性って重要視しますよね?
ちなみに私は女ですが20年間処女を守ってきましたし、何より恥ずかしきかな。私自身が処女廚なので結婚するまでは貞操を貫くつもりです。周りに流されても馬鹿馬鹿しいですしね。

でもよくよく考えてみると平安時代は夜這いの制度があり普通は10代前半で経験したりしてたり、大正時代くらいまでは女性は結婚するのが当たり前だったから結婚するまで守ったとしても遅くとも20代で経験するものだったかもしれないということです。
そう考えると処女性なんていう概念は自由恋愛するが故の弊害なのかもしれません。
もちろん昔から花魁などはあまりにも女という容れ物という扱われ方すぎて女としての幸せはとても手に入りにくかったと思いますが、そうゆう職種以外は案外処女性に大して拘りがなかったのではないでしょうか?

今日本の若者はセックス離れが激しく、長年の夫婦はセックスレス状態と言われています。世界のなかでも処女に対する信仰が厚い国みたいです。
私としてはマスコミや雑誌に踊らされて日本の性文化が昔より遥かに乱れている印象があり、恥ずかしい気もします。

(まあ娯楽が少ない田舎はすぐ経験するとかなんとか‥
都会に対する劣等感の現れなんでしょうか?
都会だからといって何でも成熟してるとは限らないと思うのですが。)
(そしてセックスがファッション感覚って私からすると受け入れがたいです。
家庭環境が古き伝統を重んじるところだったからかもしれません。
*私は20歳です)

しかし時代としての背景も昔と比べてもかなり違うので安易に比較は出来ません。
また恋は盲目というようにあまり理性的に考えると良い状態でもありませんし、愛を語るにはやはり経験を重ねるしか本質を見極められないのかもしれません。

初体験をする年齢の変移というよりは歴史的、また宗教的な背景を加えて日本と世界各国の各時代ごと性文化に対する意識を知りたいです。
誰か答えられる方はいませんか?

もちろんどのような回答であっても自分は自分の信念を貫くだけです。

A 回答 (6件)

まず日本の歴史から、



日本では世界的に見て昔から非常に性におおらかであり、それは現代でも同じです。
夜這いの話が出てきましたが、夜這い文化は都市でこそ廃れたものの、戦後すぐぐらいまでは各地で夜這いの文化が残っていたといわれています。ただし、ものがものだけに、体系的に記録が残っていないだけです。

夜這いの文化は、若衆宿の衰退と表裏一体の関係です。武士階級を除く庶民の男子は13歳ぐらいになると村の若衆宿に入り共同生活を営みます。その際に、共同体での規律を身に着けつつ、仕事や村を取り巻く環境などを学び、将来の村落運営が出来る大人になっていくわけです。
この際、女性は若衆宿に入る事はなく自宅で母親に裁縫などを教えてもらいながら生活を続けます。

さて夜這いは、先輩が後輩を連れて村内の娘の入る家に行き、娘が家に招きいれて交渉を行うものでしたが、娘を持つ親も年頃の娘を外への出入りがしやすい場所に寝かせる配慮が必要でした。これを行わず、家の中にかくまわれてしまうことを「箱入り娘」と呼んだので、この言葉は「大切に育てられたお嬢さん」という意味よりも「世間知らずのウブ」という侮蔑の意味のほうが強いのです。

また夜這いがしにくい町や都市に住んでいる場合はまた別の逢引のほうほうがありました。(町の商店で夜這いされるようでしたら、いつでも泥棒に入れるということです)
都市に住む娘達は比較的行動が自由だったようで、芝居や祭りに参加して帰宅が遅くなることも多かったようです。そしてこのような場所には出会い(ようするにナンパ)があり、そこで出合った若者と逢引をするための場所もありました。
簡単にいえば時間貸しのラブホテルのような場所で「出会い茶屋」という座敷を時間貸しで貸してくれる場所だったようです。

またオボコという言葉もあり「未通娘」と書くのですが、処女という言葉がない江戸時代まではこちらのほうが一般的であり、どちらかというと「男を知らない小便くさい子」という意味合いが強かったようです。

つまり日本においては全国的に、15歳ぐらいを境にして性交渉を楽しむが普通であり、そのための仕組みも整っていたといえます。現代でもラブホテルというは日本にしかない、といわれますが実際に海外にはほとんど無く、その代わり日本には少なくとも江戸期にはラブホテルがあったのです。

どうでしょう、渋谷の女子高生の夜遊びや田舎の町のナンパストリート、と比較してみると現代も昔も日本の性風俗と意識はほとんど変化が無いように思われます。

違うのは「処女」という言葉ができ、一応価値が認められていることぐらいでしょう。

西洋のキリスト教の国々の事情を話すと、一概には言えないものの日本よりは間違いなく「処女」に価値が置かれています。
また処女だけでなく、性交のための体位まで教会が「神が許した体位」を定めるぐらいで、それに外れる行為はすべて「アブノーマル」として忌避されるものでした。
少し前ですが、チャーリーチャップリンは妻から「○○させようとした」と訴えられて離婚しています。
当時の米国のよき市民は○○などはしなかったからです。
せいぜい今から70年ほど前でしかありません(江戸時代は明治直前でも150年ほど前です)

キリスト教でもカソリックのほうが教会による束縛が強く、逆に言えば教会が権威を高める為にいろいろな規制をつけて人々を縛ったともいえます。プロテスタントのほうが比較的自由ではありましたが、なにせキリストの七つの大罪に「姦淫」があり、暴食の次に悪い罪ですし、キリスト自身「だれでも情欲(むさぼりの思い)を抱いて女を見る者は、すでに心の中で姦淫(その女)を犯したのです。」(マタイ5章28節)と言っていますので、そもそも「性欲」自体が悪いこと、なのです。

ですので、キリスト教徒は「姦淫」をしないように(なにせ「あの女、いい女だな・・」と思ったら姦淫ですから)戒律を守るために、いろいろ自己規制をしたといえます。もちろん人間ですから、事実上いろいろな性交渉があったのですが、日本のように出会い茶屋とかラブホテルのようなあからさまな性産業が成立する余地はほとんどありませんでした。

ただし、現代のオランダ「飾り窓」のような性産業はどの時代でもありました。むしろ無いと強姦などが多発して一般の子女に危険が及ぶからです(特に戦地に赴く兵士は危険です。進で戻れない可能性がありますから、なにをしても良いと考える不届き者もいるからです)

ただし、一般的に公開される場所はほとんどありませんでした。(アメリカ映画のチョコレートというハルベリー主演の映画に、西洋の田舎町の売春の実態が出てきます。町に1人しかいない売春婦というのがストーリー上ものすごく悲しみを誘うのですが、詳しくは見てください)

さて、それ以外のアラブとかアジアについていうと、女性には非常に厳しい環境が待っています。一言で言うと、女性は「誰かの所有物」である、ということです。

女性には自己決定権がほとんど与えられていない為、自分で体験するかしないかの決定権もありません。もし結婚前に処女を失うと、結婚できないこともありますし、相手によっては不貞行為で処罰されることもあります。

これらの地域では放牧文化なので、家長に属しているモノはすべて家長権限で自分には決定権がありません。家畜と同一には考えれられませんが、家に住んでいる以上、家長の権限は絶対で、どこに嫁に行くのかも家長が決定することがほとんどです。
イスラム教では「処女」の価値が高い、と考えられていますので、結婚する前に性交渉を行い処女でなくなると、家長としては「すばらしい我が家の娘を嫁に出した」ということに汚点がつき、結果家の恥になりますので娘を処刑してもよいことになっています。

これらは姦淫という欲望をどのように抑えるか、というテーマの宗教的側面だといえます。

仏教色の強い地域では、キリスト教やイスラム教ほどは強い規制はありません。しかし、煩悩の考え方と「村落」という地域性の高い社会との両面から、それほど開放的ではありません。
特に山岳民族などは、結婚による交配は村落の行く末を決めることにもなりますので、自由恋愛というわけにはいかないのが実情です。

ようするに古代から現代まで、これほど恋愛自由な国はなく「不倫は文化だ!」と言った芸能人の言葉も日本においてはそれほど間違いではありません。

その中で処女を貫くのも自由ですし、多数の異性と交渉をもつのも自由ではあります。

ただ「結婚」につながる事情を考えれば、現代は結婚する義務意識がむしろ弱い為、未婚の男女があふれている結果になったり、結局恋愛指数の高い男女だけ結婚できたりと、昔よりも偏りが見られる状況です。

>また恋は盲目というようにあまり理性的に考えると良い状態でもありませんし、愛を語るにはやはり経験を重ねるしか本質を見極められないのかもしれません。

昔の人はこと「結婚」については、愛が重要ではありませんでした。アラブでも処女性は重要でも「愛」は関係ありませんでしたし、それでも結婚生活をうまくやっている夫婦はたくさんいます。

経験を重ねることが本質を見極めることにはつながらないと、思いますが「処女」をかたくなに守ることが正しいともいえません。

結局、今の日本のように「自分のためだけに結婚する」という風潮である以上、「自分」という価値観しかないという皮肉になっているといえます。

ということで、最後にいえば世界的に見て日本人の男性ほど「処女」に価値を見出さない人たちはいないと思います。世界的に見て「処女」価値は日本の比ではないからです。
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No.4ですが、再回答させていただきます。



>なるほど。確かに女性の妊娠と結び付けられる唯一の動物は人間ですね。
>言われてみれば当たり前のことですが、その認識よりも処女性に対する意識のほうが強かったです。

質問者さんがこだわられる「処女性」の意義や価値にしても、その成因は?となると、やはり女性とはセックスで妊娠する側の《性》であるという《事実》の発見に遡って、はじめて説明可能になるのではないでしょうか。

より具体的には、女性と異なり、わが子を自分では産めず、女性の「この子の父親はあなたよ!」という言葉を信じて、はじめてわが子を持ち得た男性にとって、本当に自分の血を分けたわが子を得るには、できるだけ処女と結婚し、多くの男性と性交渉をしてきた女性、貞操観の稀薄な女性を避けようとするのは、あまりにも当然すぎることですよね。

もちろん、他にも男性が「処女性」に拘泥する、表層レベルでの理由なら、いろいろ挙げることもできますが、宗教上の教義にもとづく説をも含め、いずれも後世の男性の主観的、恣意的な《こじつけ》に過ぎず、やはり、その原点にあるのは、「男性は自らわが子を産むことができない」という自明の《事実》に起因すると判断して間違いないと思われます。
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既婚男性です。



こういう問題を考える場合、はじめに確認すべきは、古来、人間の性意識・セックス観・性行動を根本的に規定してきたのは、人間だけが《セックスと女性の妊娠との因果性》を知った上でセックスする唯一の動物であるという、自明の《事実》ではないでしょうか。

この《事実》は、さらに女性だけが自分の妊った父親を特定できはしても、男性には特定しようがないという《事実》でもあったがゆえに、その後、男女間には女性の妊娠をめぐって複雑な利害意識や微妙な性的駆け引きが発生し、こうして人間固有のジェンダー意識や男性による女性差別も生み出されたと考えられます。

以上を踏まえた上で、ご質問に回答させていただきます。

>ビッチかそうじゃないか
>処女か非処女か

ってのは、むしろ「日本の男性」よりも、キリスト教文化圏の男性の方がはるかに重視したがるはずです。
と言うか、「処女か非処女か」に拘泥するのは、明治以降の文明開化(欧化政策)によって日本に入ってきた舶来文化の影響と考えられます。
江戸時代には、「処女」を「新鉢」(あらばち)と呼んで、男性は好奇心からこれを珍重したものの、別に「処女」に《聖性》や《純潔》という価値を認めていたわけではありません。

ただ、江戸時代には朱子学的な儒教道徳が主として武士階級に重んじられただけに、これが庶民にも浸透するにつれ、徐々に『女大学』等を通じて「節婦は二夫にまみえず」といった貞操観も普及していったと考えられます。

>処女性なんていう概念は自由恋愛するが故の弊害なのかもしれません。

一面においてはおっしゃる通りかもしれませんが、それでもセックスが相手男性の子を妊る可能性のある行為であると肝に銘じて弁えていた女性が、果たして高精度の避妊手段に守られている現代女性ほどに「処女性」を「自由恋愛」を妨害する「弊害」と本気で考えていたとは、ちょっと信じがたいところです。

>今日本の若者はセックス離れが激しく、長年の夫婦はセックスレス状態と言われています。

デュレックス社の有名な年間セックス回数(頻度)のデータによると、確かに日本は世界中で最低のセックス頻度を誇りますが、同時に、上位に並ぶのがヨーロッパの先進国ではなく、その周辺の旧東欧諸国であること、フリーセックス先進国の北欧諸国は軒並みセックス頻度が低いこと、さらにはアジア諸国は概して低いこと等についても、併せて検討の余地がありそうな気がします。

>世界のなかでも処女に対する信仰が厚い国みたいです。

日本の場合、必ずしもそうでないことはもうお分かりですよね。

>私としてはマスコミや雑誌に踊らされて日本の性文化が昔より遥かに乱れている印象があり、恥ずかしい気もします。

日本の場合、良くも悪くも、性・セックスに関する自前の倫理規範も道徳律を生み出したことはなく、古来、外来思想や各時代・社会の潮流(通念)に支配・規定されるしかなかったのは確かだと思います。
現代人にしても、自分の確たる考えを持つこともなく、そうと自覚することもなく、「マスコミや雑誌に踊らされ」ざるを得ないゆえんです。
ですが、だからといって、これを「日本の性文化が昔より遥かに乱れている」と判断するなら、こう判断した質問者さんの根本的な拠り所が何であるか?について、まず、質問者さご自身がきちんと自他に説明することが求められるのではないでしょうか。

ということで、一切の性・セックスに関する既成の先入観、偏見、因襲、俗説、迷信等々を剥奪した後に見えてくる人間の性意識・セックス観・性行動の原点は?となると、やはり冒頭で申し上げたような、人間だけが《セックスと女性の妊娠との因果性》を知った上でセックスする唯一の動物であるという、どうしようもない《事実》に帰着すると結論するしかありません。

>どのような回答であっても自分は自分の信念を貫くだけです。

そのためには、質問者さんもご自身の「信念」に凝り固まるのではなく、その「信念」を土台で支えている、より根本的な考えが何であるか?について、一度徹底的に考えることが求められているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど。確かに女性の妊娠と結び付けられる唯一の動物は人間ですね。
言われてみれば当たり前のことですが、その認識よりも処女性に対する意識のほうが強かったです。

処女か非処女かを重視するのは処女厨なんてネットスラングが流行っているのでてっきり日本の男性の根底意識にあるものかと思っていたので驚きました。
文明開化によりよる舶来文化の影響なんですね。

なぜか私は昔からその朱子学的な儒教道徳が浸透しているというような思い込みが強かったので、
朱子学が入った時代も何となく結構昔だったはず・・楠木正成とかなんかその辺だったしみたいな。日本の性文化は古来より奔放だった?!という説まで今まで考えたことがなかったです。
(本当に昨日気付きました。。。)
昔の人は何かもっと貞操観念がしっかりしてたイメージが勝手にありました。

だからこそ
>処女性なんていう概念は自由恋愛するが故の弊害なのかもしれません。
と恥ずかしながら思ってしまいました。
>一面においてはおっしゃる通りかもしれませんが、それでもセックスが相手男性の子を妊る可能性のある行為であると肝に銘じて弁えていた女性が、果たして高精度の避妊手段に守られている現代女性ほどに「処女性」を「自由恋愛」を妨害する「弊害」と本気で考えていたとは、ちょっと信じがたいところです。
それに高精度の避妊手段に守られていたとしても、それ以前の問題というかなんというか。。

更に「日本の性文化が昔よりはるかに乱れている」と思ったのはその昔の人は何かもっと貞操観念がしっかりしてたイメージがあっただろうと勝手に思い込んでいたことがあると思います。

そうですね。
ここからは私個人のことになってしまいますが、ちょっとうまく言えないので箇条書きにして書きます。
・近所にキリスト教会があり、小さいころよく通っていた
・母親が女子校出身
・思春期になる前だったらまだ許せたのですが、思春期になってから男の子にこれ見よがしに見せつけるかのようにミニスカートを学校に履いてきて女の子同士でスカート捲りをすることが流行っていて、ドン引きした経験(小6)
・男子が女子に対して性的な無神経な発言の数々にドン引き(小6から中学)
→ex.「胸が大きい」「スカートが短くて見える太ももがエロい」「生理始まった?」等
・女友達がセックスアピールするようになり、友達だと思えなくなった経験(小6から中学)
→ex.スカートが短くなる、ぶりっ子、鏡の前でナルシズム行為(見た後にマジで気持ち悪くて吐いた)
・処女は普通高校で失うものという雑誌から広まった流行があまりにも気持ち悪くて女子校へ進学
彼氏は三人ほどいましたが、経験とかで前の女の影を見えるとドン引きします。
ただ単に私が不寛容なのかもしれません。
ちょっと話は逸れますが、「女性鬼」というDVDを知っていますか?
まさしく今までの私の心情があんな感じでした。
今でこそ処女を熱心に信仰しているわけでもなく、単に処女は大事という気持ちに収まっていますが、思春期はまさしくあんな風に宗教的に盲信していましたね。処女こそ美しいみたいな。
なのでオタク好きではありませんが
http://michaelsan.livedoor.biz/archives/51718529 …
の気持ちがよく分かってしまいますし、処女でありたいと思います。
なんかうまく言えませんが。
歴史的背景云々よりも自分のこの感覚を確かめたかっただけかもしれません。
長い自分語り申し訳ありませんでした。

お礼日時:2012/07/09 23:28

とりあえずこれだけ載せおきます



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E9%80%99% …

もっとあったらまた・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/07/09 21:49

40過ぎの女です。



専門に研究したわけではなく、雑学なのですけれど、実は日本の庶民文化では「処女性」というのは、それほど重きを置かれていなかったという説があります。

質問者様も書かれている「夜這い」というのは別に平安時代のことではないのだそうです。
日本の場合、武士階級と一般庶民階級で大きく性に関するルールが異なっており、一般庶民では大正くらいまでは夜這いは珍しい行為ではなかったと、民俗学では認められているそうです。ただし、色々とルールがあったそうですが。
女性の場合は、月経という分かりやすいものがありますから、初潮を迎えれば一人前という感覚だったようです。現代の婦人科のお医者様に言わせると、初潮を迎えてから数年経たないとホルモンが安定していないので、妊娠も性行為もリスクが大きいそうですね。

私個人の感覚で言えば、性行為を遊び半分に捉えるのは、危ないなぁというのが正直なところです。
遊びで行っていれば、当然ながら性病のリスクがあがります。それを抜きにしても、女性の場合は妊娠のリスクがありますよね。
正常な防衛本能が生きていれば、女性は、性行為を遊びではできないものだと思います。だから動物のメスって発情期以外はオスを受け入れない種が多いのでしょう。
もちろん、人間の場合は精神的なつながりがありますから、心の充足感を求めるために肉体を使うというのはアリなのですが。

宗教的な事で言うなら、ユダヤ教やキリスト教は、「女性」は悪であり、男性を誘惑するものです。結婚した夫婦間以外の性行為は、けがれた行為となります。
仏教も不犯ですが、これは性が悪と言うよりも、現世の煩悩に繋がるから避けるという意味合いの方が大きいようです。
ヒンズー教や日本の神道のように、古い宗教になればなるほど性に関してはおおらかなようですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり処女性に重きを置かれてなかった説は濃厚ですか。
夜這いというと私は民俗学は詳しくなかったので、紫式部の源氏物語にイメージが集約されてしまって平安時代の頃のものという思い込みがありました。
大正くらいまであったものと考えるとちょうど私の祖母の少女の頃の時代ですのでなんだか遠く思っていたものが近くなってしまったような印象です。
そうですね。私も遊び半分で捉えるのは危ないと感じます。私のまわりにはいませんが、同世代では中絶するのが割と頻繁にあるみたいでそれを聞くと責任感に乏しいと思うよりも先にぞっとする感覚に襲われます。
宗教的背景の説明ありがとうございます。いろいろな考え方があるんですね。
仏教と日本の神道で考え方が違うのが少し意外でした。
でも確かに言われてみれば、日本の神道というといとこで結婚するとか母と息子が結婚して子供を産むだとかそんな話が多いような気もしますね・・。
色々考えさせられます。

お礼日時:2012/07/09 21:46

性に関しての専門家ではありませんが、処女性は大切だと思います。


性成熟期が妊娠可能年齢とすれば12,3歳からでしょうが、まだそのくらいの年齢では十分に生殖の意味ができてないはずです。昔はその年齢での結婚もあったようですが、まず周囲が間違いのない縁組をせんたくしたはずです。
今はある程度の年齢になると自分で配偶者を決めないといけませんが、セックスの経験などはよい相手探しの役に立ちません。
今のうちに自分の求める男性像や子育て観などを考えておいて、それにふさわしい男性かどうか(惚れる)を考えられたらよいのではないかと思います。
セックスに対する興味は男性では草食系男子…といわれるように衰えてきているといわれます。
ただ魅力的な女性であれば男性は惹かれます。周りの同性の行動に影響されずあなたらしく。女性らしく。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
申し訳ありませんが、処女性に関してはあなたの意見を聞きたいわけではなく歴史的背景などを知りたいのでそこはスルーさせて頂きます。もちろん私自身も処女性は大切だと思いますが。
>今はある程度の年齢になると自分で配偶者を決めないといけませんが、セックスの経験などはよい相手探しの役に立ちません。
私が言った愛を語るには経験を重ねるといった意味は何もそれだけのことを示したわけではありません。
愛のうちの1つにその経験も含むかもしれないというだけです。
なので自分の価値観を押し付けるかのような少し的外れな指摘が多い印象を受けてしまいました。
回答を頂いたのに申し訳ありません。

お礼日時:2012/07/09 21:17

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