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長文ですがアドバイスください。
今日、5年生の息子が酷く不機嫌で落ち込んだ顔で帰ってきたので話をきいたら、友達間でのあだ名禁止の話でした。

2日前くらいに一度授業中に先生があだ名についての話をしたそうで、うちの息子のあだ名を例にあげてあだ名で呼び合うのは良くないといったような話だったらしいのですが、それがまた今日も同じ事があったそうです。

息子は、なぜかわからないのですが下の名前でよばれる事を親しみと思わないらしく、友達にはあだ名で呼ばれるのが好きらしいです。仲良くなった子には自分からそのあだ名で呼んで、と頼んでいるそうです。
ちなみにあだ名は身体的なものなのではなく、いわゆる「キムタク」「まつじゅん」のように、苗字二文字と名前二文字を略したあだ名です。
友達も、仲のいい子は当然日ごろから悪意など全くなくそのあだ名で呼んでくれてるそうなのですが。

それで、どうしてもそれがいじめにつながるという先生の理論が理解しにくいらしく、僕は嫌だと思っていないのにどうして呼んだらだめなんですか、と授業がおわったあとに先生に質問にいったらしいのですが、そうしたら先生はやはり一般的な、

●いじめにつながる可能性がある
●大人になってそんな呼び方をされて嬉しいかどうか
●中・高校生になったらいずれそれが本当のいじめになるんだよ

といった話をされ、息子は結局それ以上意見をいえず、「わかった?」と押し切られて帰宅したため、納得いかず不機嫌まるだしで帰宅した、という経緯です。

その先生は決して押し付けがましいというか、粗暴な先生ではなく、温厚で子供同士のトラブルなどにも冷静に対応してくれる、割と理解のある先生だという印象はあるのですが、やはり最近のいじめ自殺のニュースなどで学校も過敏になっているのか・・・

私は、正直、小学校に入学したばかりの子がお互いを苗字にさん付けで呼ぶように矯正されたり、先生が親の目を気にして子供を名前で呼ばずさん付けでしか呼ばないようなよそよそしい関係をとる学校はやりすぎだと思ったりはするのですが、今のご時世、学校もそういうマニュアル対応でやっていかないと難しいのかなとか、こういう対応や方針は仕方ない気もしますし、先生が何をいわんとしているかも理解はできます。

が、当然息子にしてみると仲良しの友達でいじめでもない呼び方をなぜ禁止され無理やり違う呼び方にされなきゃならないかがどうしても腑に落ちないようで・・私も内心は、なんで体のことをあだ名にされているわけではないのに、好きな呼び方までやめさせられなきゃならないのかおかしいなと思うのも事実なので、どうしたらいいものか説明に困っています。

一応先生の考えはこうなんじゃない?とか、最近のいじめのニュースで学校もそういう対応をせざるを得ないこと、子供がつけるあだ名はいいものばかりではなく、軽い気持ちからからかいに発展するあだ名も実際にはあるので、そういう意味でどれがよくてどれが駄目、とひとつひとつ判断することも難しいから、全面的に禁止しようということなんじゃない?

など先生の補足的に説明はしてみたのですが、息子的には先生にいわれたときよりは多少理解はしてくれましたが、それでも納得しきれないようです。
多分子供たちも呼びなれたものをそう簡単には変えられないでしょうし、その先生は温厚で悪い人ではないのですが子供からみても話がくどくて長いらしいので、学校でその呼び方が先生の耳に入る限りずっと授業を中断されたりして話をされ続けるような気がします。

こういった場合、学校のルールを無理やり理解させて、その呼び方をやめさせる、もしくは本音と建前を理解させて、学校ではやめなさい、とさせるべきなのでしょうか・・?

それとも、こういった点で子供がどうしても納得がいかないみたいで、元気がないのですが・・といったことを先生に話し、先生がどういう言い方、意味で話したかを子供からの話だけではなく先生側の話もきいて、対処するべきでしょうか?
正直、子供の言い分も先生の言い分もわからなくはないので、こんなことで先生にあーだこーだいうようなモンスターみたいなことはしたくないですが、かといって先生の言うとおりにしてなさい、と無理におしつけても、子供が納得できないままで先生への不信感をもっていたり、私に無理強いされた、みたいな押し切られた感を抱いてしまうと思うので、子供がこう感じているみたいなんですが・・と相談するスタンスなら先生に言ってもいいのか、それとも家庭の考え方で対応してしまうべきなのか、どういう対応がベストなのか考えてしまいます。

あだ名禁止、は本当に正しいのでしょうか?
それが身体的なものにつながるようなものではない、愛着をこめた呼び方でもだめだというのがなんか腑に落ちません。
呼び方云々よりも、日ごろどういう関係で、お互いがどう思っているかが一番大事だったりするんではないんでしょうか?

形から入ればいじめが起きないというものではないでしょうし・・・でも学校でそういうのが推奨されてしまう時代背景もわからなくないので、難しいなと思ってしまいます。

ご意見を伺えれば幸いです。

A 回答 (11件中1~10件)

規制したところでそれは表向き(先生の前や学校だけ)でしょう。


あだ名はそもそも親しい仲間同士の愛称ですから、今更規制しても自然と出ちゃうと思います。

あだ名すべて禁止にしたのは、身体特徴をあだ名にしたもののみ禁止にすることが難しいからではないでしょうか。
そして先生の言うとおり「変なあだ名」がイジメの要素になる可能性が高いです。

これがイジメ対策として正しいかと言われれば、うーん…やりすぎな感も否めないですね。
先生も色々試行錯誤した結果、そこにたどり着いたのでしょう。

お子さんに、「学校以外で遊んでる時はあだ名で呼んでも良いか」先生に聞いてもらったらどうでしょうか。
その子にとってはあだ名で読んでいた友達が、急に名前で呼ぶようになると、疎遠になった感じがするのでしょうね。子供から主張して先生に提案するのはいいことだと思います。

ちなみに、私は職場で、上司からあだ名で呼ばれます。(苗字+「っち」です。)
長い付き合いだからでしょうかね。
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この回答へのお礼

ですね。
あだ名をどう感じるかは人それぞれなので、身体特徴でなくても、同じように名前や苗字をもじったあだなでも好きな子もいれば嫌な子もいるかもですし、判断が難しいから統一するしか先生もやりようがないのだと思います。
そこをどう子供がどこまで理解できるかというのが難しいんですよね・・大人の私達なら理屈でわかるんですけどね。

一応子供は私の説明で納得はしてくれたようですが、どうしても言われ続けたりするようなら、納得いかないなら学校外ではいいか聞いてみたらいいんじゃない?とは言っておきました。

確かに今この年齢になっても、大人の私でも、仲良くなったら「ちゃんとかさんとかつけないで呼び捨てにして」とか言ったりします。
そのほうが仲良くなれた感じがしたりするのも事実なんですよね。

難しい問題ですね。

お礼日時:2012/07/11 19:42

 NO6です。


私は教師が生徒のことを名前でさも親しげに呼ぶようになってから、学校生活が崩壊し始めたと思います。
先生はクラス全員名前で呼びますか?呼ぶのならそうすべきです。
また、質問者さんは嫌いな先生から名前呼びされても良かったですか?
好きな先生からは名前で呼ばれることで喜び、嫌いな先生からは絶対に嫌だったと思います。違います?

先生が生徒に対して「ご機嫌伺い」みたいな姑息な手を使うのが間違いです。

なので、子ども同士もあだな禁止なら、先生もちゃんと苗字で呼ぶべきですね。
っていうか、先生がちゃんと苗字で呼ぶことを統一させてから子どもたちにもそのことを指導すればいいと思います。
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確かに違和感はあります。


ただ、うがった味方をすれば、クラスの中のある子どもに大変ひどいあだ名がつけられていていじめのにおいもするので、全体に網をかぶせたような気もします。力量のない先生ならそういう方法をとるでしょう。
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この回答へのお礼

そこはどうなのか、子供が日々クラスで生活していて、自分や他の友達も名前をもじったような呼び方をしている人しかおらず、変なあだ名をつけられている子はいないようなので、なぜ急にそんな話になったのかな?とは不思議な部分ですね。

お礼日時:2012/07/11 20:07

あだ名の禁止、わたしもご質問者様と同じく違和感を感じますね。


正直、あだ名の禁止は問題解決策じゃなくて、臭いものには蓋をするっていう場当たり的な対応でしかないと思います。
そんなので、純粋な子供たちが納得できるわけはないですよね。
納得できないことに分からないまま従わなくてはいけない、そんな状況を作る方が教育的に悪いと思ってしまいますよね。

良いあだ名もあるし悪いあだ名もある。でも良いあだ名だけ残して悪いあだ名は撲滅しようって言っても先生だけじゃそこまでちゃんと管理できるはずもないから、だったらあだ名を禁止にちゃえば手っ取り早くて良いじゃないか。そういうことでしょう。
大人の事情ってヤツですよね。

もっと深い理由もあるかも知れませんね。
あだ名で呼ばなくなると、学校内での交友関係はあまり広がらなくなる。お互いの接し方が、余所余所しくなりますからね。
交友関係が広がらないから、それだけ交友関係から発生するいじめも少なくなる。
そういう効果もあるのだと思います。

どちらにせよ、結果だけを見た臭いものには蓋理論ですよね。
そんなの教育かよ、とわたしは思いますよ。
ただ自分たちが面倒くさいことを回避したいだけだろと思ってしまいますよね。

わたしなら、自分が納得するまでとことん先生に聞きまくれと、子供にそう言いますね。
ただ、わたし自身が学校に言うようなことはしないです。
納得できないのであれば、納得できるまで何度でも先生と話し合ってみろと、そう言います。

どんな結論になるかは分かりませんが、そこまでして子供が納得した答えなら、どんな結論であろうと子供にとって悪いことはないように思います。
その後も色々と考え方は変わっていくでしょうし環境も変化していきますから、たとえ間違った答えであってもいくらでも挽回していく機会はあると思いますから。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

くさい物にふた、まさにそんな感じだと思います。

禁止するにしても、子供の意見もぶつけ合わせた上で、学級会的なものならまだわかるんですけどね。
どうも授業を中断して話がそれることが多々多い先生のようで、そんな感じに始まった話のようなので、子供からしても、いきなり何?っていう気持ちが否めなかったのもあるのかもしれません。

子供には納得いかないことがあったら先生に聞いてごらんとはいいました。
ただ、我が子も理屈っぽいところがあり、先生の話を誤解してきいてしまう部分や、先生にうまく伝わらず誤解を与えるような言い方をすることがあるので、発達的な部分で「納得いくまで話し合え!」と子供をぽーんと背中を押すことがちょっと心配な部分もあるんだと思います。

難しいですが、まずは家庭内でできる説明、指導をして、その上で色々考えたうえで子供が行動できるように導いていけたらいいなと思います。

お礼日時:2012/07/11 20:04

 たぶん学校側が過敏に成っている。

このあだ名の問題は時々問題視されますね。

 トラブルが無い場合もありますが、やっぱりトラブルに成るケースも有ります。
 私自身でも嫌なあだ名を付けられた事も有ります。

 先生も個別にみれば対応できますが、全体という形になるのでどうしても矛盾が出てきたりします。
 
 先生の言い分も合っているし、親や子供の意見も合っているのです。だからややこしいのです。
 現時点では問題になっていないが、もし問題となるのなら子供達で話し合わせてみても良いかな。嫌な思い出がある子供も居るはず。そういった気持ちを理解した上であだなはokとする。やっぱり駄目かなと感じれば、子供達があだ名を付けないようにするでしょうから。

 
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この回答へのお礼

本当にそうです。
どっちも合っているのでややこしいんですよね。

私も自分の好きだったあだ名もあれば、いじめられた経験もあり、嫌なあだ名をつけられていた時期もあるのでどちらの気持ちもわかります。

ただ、子供達にどう思うか、というところを話し合わせることなしに、とりあえずの対処療法的な感じで最初から禁止、とすれば、学校側は楽だろうけどどうなのかな?とは思ったりもしますよね。
だめとするならきちんと子供達の意見もディスカッションさせて納得の上でさせてほしいなーというのは感じますね。

お礼日時:2012/07/11 20:00

他の学年、他のクラスで問題が出たのでしょう。


そのクラスだけ大々的に対応すると矛盾が生じます。
おそらく被害生徒+親からの主張を全校的に対応しているものと思われます。
加害生徒を特定対処せずに…。

仲良し→あだ名
は成立しますが、
あだ名→仲良し
ではないということは、しっかりお子様に伝えてくださいね。
揶揄され馬鹿にされるケースももちろんですが、
人と人との信頼(友人)関係はそんな表面的なことでは、崩れません。

学校の先生の生徒へのあだ名での呼びかけは、多少問題です。
それは、仲良しとそうでない生徒との一種の差別ととられる可能性があるからです。
“平等”“全体の奉仕者”の名のもとに、そういうことを気にする親子様がいらっしゃるということです。
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この回答へのお礼

学校全体の対応かどうかは微妙です。下の子のクラスではそんな話は全くでていないようなので・・
クラス内に限って先生が気になっただけなのかもしれません。

仲良し→あだ名
のくだりはごもっともですね。私もちょうど先ほど夕飯のときに、子供に、
「本当に仲がよければ呼び方なんて関係ないと思うよ。あだ名で呼んでくれる人がすべて仲良しと思ってくれているかといえば、必ずしもそうではないから、そこは見極めていかないとね」と説明していたところです。

確かに表面的なことだけで判断しないようにしないとならないですよね。
小学生がどこまでそれを読み取れるかも大変だろうなとは思いますが・・・ちょっとずつでもわかってくれるといいんですけどね。

お礼日時:2012/07/11 19:55

たとえば、A君はあだ名で呼ばれてもいいけど、B君は嫌だ。


そういう時に、子どもたちに使い分けを指導するということができないのが現状です。

 学校内でのあだ名呼びは禁止でいいと思います。
質問者さんも書かれているような、「身体的なものにつながるようなものではない、愛着をこめた呼び方」との判定は誰がするのでしょう?

 「ぼくはこのあだ名がいいな」「私はあだ名は嫌です」
そういう授業もあってはいいと思います。が、それはあくまでクラス内の話です。

 私が最も嫌いなのは、教師が子供のことを名前で呼び捨てすることです。
親しいつもりなのでしょうが、教師はやはり生徒の苗字で呼ぶべきだと思います。

 生徒同士も苗字に敬称付けに統一すべきですね。

 
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この回答へのお礼

ごもっともだと思います。それは私も理解していますが、なおさらそこを子供に説明しても、子供がどこまでわかっているか難しいところです。
もちろんそのままのことを子供には伝えて、色んな考え方の人がいるから、あなたと同じ呼び方をされても嬉しい人ばかりとは限らないと思うよ、ということをいって子供なりにわかったようなことは言っておりましたが、心底理解しているかは難しいと思います。

>私が嫌いなのは教師が子供を呼び捨てすること


やはりこれも考え方は十人十色なんですよね。だからこそ答えというか、正解がなくて難しい問題なんだろうなと思います。
私は逆の考え方で、先生が子供を呼び捨てしているのは、愛着があっていいなと思ってしまうほうなんですよね。呼び捨てではなくても、下の名前で呼んでもらったほうが距離感を感じないというか。

おそらく私が子供時代に限らずですが、学生時代の同級生とか、どこへいっても仲良しの子があまり多くなくて、大半から下の名前より苗字にさんづけで呼ばれる方が多く、疎外感や距離感を感じていたことが
多かったのが原因かな~と思うんですが。

今の学校ではないのですが、子供が別の小学校に入学したときの担任が男も女もすべてさんづけで呼ぶ先生だったのですが、1年生のような幼稚園で先生に名前で呼ばれていた子が急に先生から「●●さん」と呼ばれているのをみて、なんかさびしいなあ、距離感あるなあ、と感じたのも事実です。
生徒同士の苗字にさんづけは、確かにいろんなトラブルの回避にはなるのかもしれませんが、なんだかさびしいと感じてしまいますね。

お礼日時:2012/07/11 19:50

どういう意味でそうしたか聞いてみるのもいいですが、


先生とは価値観が合いませんよ。
先生は先生なりに自分の世界の中で筋を通していってると
思うので、話が平行線になる気がします。
ただ話し合うことは悪くないので、お互いにメリットのある
結論が出ればいいんですが。
気になったのは、そのルールは質問者様の子供がいるクラス
だけですか?学年全体とか学校全体とかはないかな、とか思いました。
そうだとすると他のクラスであだ名に関したいじめがあって、
先生たちの会議で決まったとか、またはいじめとまではいかなくても
あだ名をつけることに対し、モンスターペアレントみたいなのがいて、
「あだ名やめさせないと授業料払わんぞ!」とか毎日、
その保護者から嫌がらせの電話が学校にかかってくる、
とかあればそれも学校の会議で対策としてあだ名禁止につながったのかも
知れません。それだったら本当のことはお子さんには言えないですからね。
なんにしても腑に落ちないなら聞いてみるのもいいかも知れません。
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この回答へのお礼

一応一個下の学年に妹がいるので聞いてみましたがそんな話はでていないようなので、先生がニュースなどを見て、自分なりに考えてそういう話し合いをもったのかもしれませんし、毎年一回はいじめアンケートみたいなのがあるので、そういうのに気になる記載があったのかもしれませんし、わかりません。

腑に落ちないのは事実ですが、先生のいいたいこともわかるので、直接聞くほどのことでもないかなとも思うし、子供のいうことだけを鵜呑みにしないという意味では先生がどういう形で話をしたのか気にはなりますが、とりあえずずっと言われ続けるような感じではないか、様子をみてみようと思っています。

あまりにも形にこだわりすぎて、無理やりやめさせようと圧力をかけるのなら聞いてみようとは思いますが、今のところはそういうのはやめよう、よくないよ、という話だけならそこまで問題でもないんだろうなとも思うので、しばらく経過をみてみようと思います。

お礼日時:2012/07/11 19:37

先生の対応は明らかに最近のいじめ問題に対して、過敏になっているのだと思います。

ただ、そうやって自分に関係のない所で起きたことを「他人事」とせず、真剣に考えてくれる先生が担任だというのは、お子さんにとってはラッキーなことだと思います。

世の中には、理不尽なことと無意味とも思えるルールがたくさんあります。
学校というのは社会に出るための訓練の場でもあるわけですから、親としての正論や子供の気持ちだけを優先していては、結果的にお子さんのためにならないこともあると思います。
親御さんの考え方も、お子さんの気持ちもよく分かります。どちらもおかしなことを言っているとも思いません。それでも、時には一部の人の気持ちや真実というものをちょっと横に置いておいて、全体の平均的、標準的利益を優先しなければいけないこともあるのが、社会というものだと思います。

それから気になるのは、お子さんがあだ名にこだわり過ぎるということです。本人がそういう風に呼ばれるのが好きということは、逆に友達に同じようにあだ名で呼ぶということもあるはずですよね。それが、そういうあだ名はいいものだという、お子さん個人の価値観を押し付ける結果になる可能性があるとは思いませんか?
私自身、旧姓が変わってて、苗字そのものや、それを少しもじったあだ名で呼ばれることが多かったのですが、旧姓は私のコンプレックスだったので、それがすごく嫌でした。
そういうこともあるんだということを教える、いい機会だとは捉えたらいいのではないでしょうか。

お子さんの気持ちは大切にしつつ、自分にとって正しいことが、必ずしも全ての人にとって正しいわけではないということを教えてあげてほしいと思います。
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この回答へのお礼

一応、子供には上記のようなことを言いました。

「あなたがあだ名で呼んでほしい気持ちはわかるし、それをなくしなさいとはいわないけど、全く同じ呼び方でも嬉しく思う人もいれば嫌な気持ちになる人もいろんな人がいる。そういう中で、嫌だと声に出していえない人はつらい思いをすると思うし、そういう子をなくしたいって先生たちは思うからそうやって原因をなくそうとしているんじゃないかな」と説明しました。

息子は頭では理解はしてくれたようです。

>息子さんがあだ名にこだわりすぎる件

これは親としてある程度の原因はわかっています。
息子は軽度(かなり軽度なので誰も気がつかないレベルですが)のアスペルガーと診断されたことがあり、ちょっと理屈でものを考える部分と、感情のバランスが難しくて扱いにくい部分があるんです。
なので、息子自身が人の気持ちに共感しにくい体質があり、柔軟に考えるのが苦手なので、私が「そういわれたら嫌な人もいると思わない?」といっても「そうかなあ?」という感じで、理解はしようとしても、心から共感できる、という部分が苦手なんです。
なので、親としても育てている中で難しい部分だなと思っているところでもあります。

続けて色んな人がいること、自分と違う考え方について、根気よく親が教えていくしかないと思いながら育児の難しさを実感してる部分ですね。

でも、確かにそういうことを教える機会にはなると思うので、どう具体的に教えるのが正しいのかなと意見を伺いたかったのですが、どちらも間違いではないこと、ルールそのものよりも、なぜそういうルールが作られてしまったのか、なぜ先生がそういったと思うのか、考えることを一緒に手伝っていければいいなと思います。

お礼日時:2012/07/11 18:48

何でもかんでも禁止・規制したがるのが現代日本の姿勢ですが、これは教育力不足を


認め、センスもないと、いわば教育者として役者不足である事を自ら証明しています。

禁止しようがしまいが、現実に存在するものを無視しようとする姿は、半世紀前の
中国における文化大革命のようなもので、教育戦略も何もないのです。

あだ名といじめには明確な関係はないのです。まあ、上司から無理やり
指示されたのでしょう。日本の教育業界も末期的症状であることは確かです。
親御さんのしつけが今後、より重要になります。
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この回答へのお礼

確かにそうかもしれませんね。
先生のセンスもそうですが、親のセンスもどうかと思う部分が増えてきていますし、なんだかどちらにとってもやりずらい世の中になっていて悲しいですよね。
先生もきっと内心はこれが正解ではないとはわかっているのだろうと思います。
でも、昨今のような事件などがおきてから、学校は何もしていなかったのか、といわれてしまう時代だからこそ、形から入っていくことにとらわれてしまっている部分もあるのかもしれませんね。

お礼日時:2012/07/11 18:42

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