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東日本大震災での被災を「天罰だ」とか「神が日本に罰を与えたのだ」と言ったクリスチャンが世界中にいましたね。
中には高名な宗教家だけではなく、科学者も似たようなことを言ったのですからおろどきましたが…

しかし確かノアの方舟か何かの話の時「大地を呪うことは二度としない」と神は言ったのではなかったのですか?
「二度と呪わない」と言ったのに日本を呪ったのですか?
「あれは洪水を起こさないという意味であって、津波を起こさないという意味ではない」という解釈なのでしょうか?

ちなみに私はクリスチャンではありませんので天罰も神の警告も信じておりません。
この世で一番恐ろしいのは最終審判でも神の罰でもなく、母親のゲンコツだと思っています。

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A 回答 (12件中1~10件)

締め切っていないので、回答を見るかどうか判りませんけど投稿しましょう。


世の中のどんな資格であっても、資格があるから正しい理解を発言をすると思っているなら大間違いですよ。
資格だとか権威等というものはそれを得た瞬間の価値であって、その価値を維持するか否かはその人の努力です。
キリスト教徒は洗礼を受けてもそれに胡坐をかけば地獄に堕ちます。否、むしろ洗礼を受けていない者より罰は厳しいでしょう。なぜなら洗礼を受けているものは“知っている”はずだからです。
つまりキリスト教徒で、東日本を天罰だなどと言っているのは、キリストの教えを忘れている者、原罪を許された事に胡坐をかいている者という事になります。その罪は大きいでしょうね。

日本の中で一部に天罰だという人が居ます。概ねはでたらめですけれど、中には無視しきれない説を唱える人も居ます。それは日本崩壊の序曲だというのです。家が崩れていくのに真ん中から落ちる事はありません。土台となる部分や目に見えない部分から崩れていきます。
日本皇室は世界最古の組織です。日本は世界最古の国なのです。
その皇室は戦後異教徒により荒らされて来ました。天皇の第一の役目は「祈り」です。しかし周囲を異教徒に取りか揉まれて、その職務である「祈り」が出来なくなっています。
皇室全体が異教徒によって洗脳され、祭祀を行えないようになっています。東日本に限らず、大きな災害はこの時代から始まってジョジョに大きくなってきています。皇室は今や最優先の祭祀をないがしろにしながら病体を酷使して世界を訪れることが漏れ始めています。
つまり天罰・・というよりも日本という城が土台石から大黒柱にシロアリが繁殖して、あちこちが崩れ始めているということです。
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プロテスタントのクリスチャンの多くがご質問を読んだ時に以下の聖書箇所を思いついたと思います。



ヨハネの福音書 9章

1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。

私どもクリスチャンはイエスを信じておりますが、そのイエスの立場は人が悪いことをすればなにか天罰が下るというのではなく、むしろ災いなどの中に神様の栄光が現れるためであるというものです。

もし軽々に「東日本大震災での被災を「天罰だ」とか「神が日本に罰を与えたのだ」述べるような方がおりましたら、クリスチャンともイエスとも関係のない人々であり、団体です。

身内に震災の被害者がいることを想像してみてください。被害者の方に対して、天罰が降ったというのは愛のない言葉というものではないでしょうか。神は愛であるという宣言に反します。

一クリスチャンとして今回の震災は悲しむべきことですが、今後神様の栄光が現れると期待しております。
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 まあそういう考え方もできるでしょう。

日本が何かしら悪いことをしているとその人たちが認識した事があるのなら「天罰」と考えてもおかしくないでしょう。
 ただ、うわさによると一定時間(約20)置きに3回も地震が起こるのは天文学的数字だと聞きました、そこでうわさされたのはアメリカ陰謀の地震発生装置。つまりアメリカ自体がわざと地震発生装置を使って津波を起こさせたのではないかという説。正直半信半疑であり100%信用できるレベルのものではありません。しかし可能性としてはゼロではないのでそのような事を知っている科学者が「天罰」と言ったのかもしれません。それが事実なら恐ろしいですね。
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否、逆に法王などは天罰などという言葉は使いませんよ。


クリスチャンが特別に使ったわけではなく、クリスチャンの人口が多いから確率的に多く棺実だけですし、モスリムの取材などしませんから、それを入れればもっと増えるでしょうね。仏教徒でも居ますし。
後は無能な日本の政治家です。というか日頃無神論を唱えている人でも「天罰だ」と言っていますよ。

天罰という言葉は文字通りの意味だけではなく、ひところ政府や東電が使い続けた「未曾有」と同じ意味で使われるのです。
崖を削って津波被害にある場所に発電所を作った。電源が喪失しても原子炉の熱で発電し水をくみ上げる最終安全装置をはずした。素人が見ても役に立たない防潮堤を作った(その理由を設計者は予算が限られているといっていました)、あるいはわざわざその中に住んだ。そもそも過去の文献を無視して低地に住んだ。
自ら被害に遭うことに目をつぶって住んでいる。当然だということを信じたくない。その言い訳の言葉が未曾有であり天罰なんです。
日住てきでは無い特殊な状況だといって何も使用としない、あきらめる。二度と起きないだろうと信じる。そのための言葉なのです。

神道では天罰という言葉は本来ありませんし、仏教でも「因果応報」であって自分で作り出した原因に対する当然の結果だと考えるのです。そして自然災害もまた自然の営みと神道では捉えますから全てを受け入れる。神の力はその中でも大難を小難に小難を無難にしていただこうという願いだけなんです。

これに対し、バチという言葉があります。
バチとは昔三味線の師匠が弟子に対し、稽古のときに間違えるとバチで手を叩く。これがバチです。
しかしバチは見込みのある弟子にしか与えません。お金を持ってくる若旦那にはおべっかを使って居心地よくしますし、見込みの無い弟子は破門にします。
つまりバチは見捨てられてはいないことであって、バツは破門です。

悪い事をしたわけでもなく何もしていないのに罰を与えられるはずはありません。というかバツそのものがありません。自然災害は自然の営みです。
そして被害は低いところに住んだ。自分たちの世代でさえチリ地震で津波被害を受けているのに他人事だと思った自業自得、因果応報でしかないのです。
だから理解している人は被害を免れているし、被害にあっても古の言葉に耳を傾けていた人はっすぐに高台に上がって被害を最小限にとどめています。船は古の知恵に従って沖に出て行きました。
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 こんにちは。



 罰をあたえられるべき何をしたか。
 これを あきらかにして欲しいと思います。

 あとは そのことについて もし妥当でなく褒められるべきことでもないとすれば 反省し直していけばよいと考えます。


 《神ないし天》については 言葉のあやでしょう。

 それだけのことだという回答が なぜないのか? このほうが心配。
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旧約聖書は、ユダヤ教徒のためのもので、ユダヤ人以外には適用されません。


だから金利をユダヤ教徒以外から取っていたわけです。
なので日本にはその教義は当てはまりませんので、そもそも旧約聖書の引用は論外です。クリスチャンでそう考えているのは不勉強な輩です。
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何の罪もない大勢の人の命が 自然災害によって失われたことを


簡単に「天罰」だと言う者は 大馬鹿です。
命の大切さを知らない 馬鹿者です。
ぶんなぐってやるしかないでしょうね。

小さな子供も 大人も 年寄も沢山亡くなったのです。
犬も猫も 普段は気が付かない小さな生き物も沢山亡くなった。
きれいな草花も 森の木も無くなった。
避難所生活に疲れて自殺した人もいる。

人の苦しみや悲しみを あざ笑うように「天罰」だと言う奴は
ぶんなぐってやるしかない。
亡くなった沢山の人が教えてくれたものは「教訓」です。
命を大切にする教訓です。
何万人という人が残してくれた教訓です。
あらゆる手立てを尽くして 自然災害から命を守りなさい という教訓です。
この教訓を大事にしたい。
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震災が天罰なら、神はマントル対流ですか?


ご存知のように、太平洋プレートの沈み込みにより、一定期間ごとに日本海溝で大地震が起きています。
そこに何らかの自由意志の介在する余地はありません。
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いやいや、日本人だって、似たようなこと言ってる連中今したよ。


事例を挙げるのは避けますが、海外の天災に対して同じようなことを言った奴は居ます。

それに、仏教の教派にだって、他の所を信じている奴は地獄に堕ちるというのを平気で言う、政党を持っている淫祠邪教集団もありますからね。ここの信者さんもたくさんお亡くなりになったのを、外部にわかるように説明していただきたいものです。信心が足りなかったとか、題目が足りないとか言い出すんですかね。

というように、「天罰」とか「神罰」というのは、 ある意味人類普遍のキーワードです。
逆に考えれば、こういう厳しい出来事を神に責任転嫁するシステムなんです。挙げられた宗教家も科学者もこういう災害が人智の及ばない、手に負えない者だと判っているからこそ「天罰」という形で神に責任転嫁しているのではないでしょうか、キリスト教国にだって天災は起こりますから、それに対する安全弁でしょう。

自然神を信仰している元では、こういうのを荒ぶる神の顕現として従容として受け入れことがありますが(南洋のペレのように)、一神教の元では、荒ぶる神(悪魔は別として)はあり得ませんから、それが出来ないシステムでの安全弁だと思います。良い気持ちはしませんがね。
只、悪魔の仕業と言わないだけ増しでしょう。

>母親のゲンコツだと思っています。
嫁の方が怖いぞ
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http://www.tnr.com/blog/the-study/94332/michele- …

”While 56 percent of Americans believe God controls everything in the world, for most people that’s an abstract principle.”
アメリカ人の56%は、自然現象は全て神の御業と考えているようなので。

ハリケーンもアメリカを罰するためだそうだ
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Qオナニーは、キリスト教では罪になりますか?

宗教のカテゴリーがないので、こちらで質問させて頂きます。

キリスト教では、オナニーは罪になりますか?
もし、罪になるとしたら、その根拠として、聖書のどの箇所にどの様に書かれているかも含めて教えて頂ければ、有難いと思います。

Aベストアンサー

こちらをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%8B%E3%83%BC

私はカトリック信者ですが、
神父さん曰く、「そんなもん罪なわけないでしょ」とのことです。

Qクリスチャンが仏教の葬儀に出席する時

カトリックの人はロザリオを持っていけると思うのですが
プロテスタントは偶像崇拝で何も持っていけませんよね?
もっと言うと、本当は出席してはいけないのですよね?

(プロテスタントの教会に通っていますが、偶像崇拝禁止が
もやもやしていて未だ誓うことが出来ない未熟者です)

Aベストアンサー

安らかに眠るようにと心でお祈り形はみんなの真似焼香スタイルでしてます。
あなたが仏教を信じていないなら偶像崇拝しに行くわけではありません
他の人をつまずかせないようにするのも私たちの務め
神様は日本にこのような宗教があることはご存知です。だから心配しない。心で真の救い主に出会い 受け入れ天国に行きますようにと心から祈ればあなたの祈りは天でも聞かれます。安心して行ってください。

Qプロテスタント教会での出来事

教会に恐怖を感じていくのをやめました。
洗礼は受けていませんが、一日5時間聖書を読めとか、一度でも礼拝を休むと
必ず、しつこく詮索してくる人がいます。今まで大勢の人が教会を去って行きました。
教会はどんな人でも受け入れるのが神様の愛なのではないのでしょうか?
普段はいい人なのですが、聖書を少しでも理解できない人や、期待した言葉をださないと
感情をむき出して、その人たちを排除して、オウムや創価のような恐怖や洗脳を思い出すがあります。1度、警察沙汰になったとき「私は悪くないのこの人は悪魔なの」と
警官のまえで悪あがきをして、このことが教会をやめる決定打になりました。
宗教って、生きることに疲れた人が心のよりどころと平安を与えるところ、
単純な理由で弱者や異質を攻撃するのなんて、残念です。
多くの教会が社交場化しているのでは、駅から歩いて3分もないのにわざわざベンツやBMWで乗り付けて路上に止めることもないのでは。

Aベストアンサー

カトリック信者で、ここの所原則毎週カトリックの教会に通っています。
少なくても私の周りでは、カトリック信者である前に、皆さん「良き市民」であり、特に偏屈な人、変に狂信的な人は見受けられません。逆に言えば、特別素晴らしい、徳の高い人にもそうそうはお目にかかれません。早い話が、一般の世の中と同じだということです。

この「良き市民」とは、キリスト教的に言えば「善きサマリア人」と言い換えてもよいと思います。
サマリア人は、聖書の時代、ユダヤ人から見てひどく差別されていたようです。
しかし、イエスの説法の中にある有名な「善きサマリア人のたとえ」(新約聖書・ルカによる福音書第10章第26~37節)にある通り、道で行き倒れになった人を救助し看病したのは、ユダヤ教の祭司などではなく、ふだんは卑しめられ差別されていた一人のサマリア人だったという話です。その人は、まるで自分のことのようにその行き倒れた人のことを心配し、先を急いでいたのに立ち止まって救助したのです。この「他人の痛みや苦しみを自分のことのように心配して、救いの手を差し伸べる精神」つまり「隣人愛」こそ、イエス・キリストが最も重んじるべき価値観として奨励したものであることは、質問者様もよくご存じの通りだと思います。

更に質問者様もよくご存じの通りかと思いますが、キリスト教の神は、本来、「裁く神」ではなく、人の過ちを「7の70倍」まで許す神です。(新約聖書・マタイによる福音書第18章第21~22節ご参照)
又、律法ばかりを重んじ、血の通わない、隣人愛の伴わない正義(?)をふりかざすパリサイ人たちに対するイエスの批判は当を得たものだったと思います。
更にもうひとつ、マタイによる福音書第6章第5~8節にもあるように、祈る時は隠れて祈れ、これ見よがしに人に「祈ってるぞ」と見せびらかすこともない、とあるように、虚栄心を戒めていますね。

こうしたイエスの教えにもかかわらず、教会といえども、世間のドロドロした人間関係や虚栄心、邪心から逃れることは出来ず、最初に書いた通り、やはり「弱い人間」の集合体なのだと思います。
だからこそ、逆説的ではありますが、そんな弱い人間から脱却して、少しでも心掛けのよい人間になるために、キリスト教をはじめとした宗教や、教会などのコミュニティの存在意義があるのではないでしょうか?

あなたの通っておられる教会は、どうも不幸な現状に晒されているようですが、それが、キリスト教ひいては宗教のすべてとは思わないでください。しかし、「すべて」ではないにしても、一つの姿ではあるという現実とも、同時に向き合って下さい。

その上で、あなたの身の処し方については、あなたの自由意思で考えて頂いてよいと思いますが、
1.今の教会で「改革」を目指すにしても、
2.他の教会(含・教派・宗派の変更)で再起を目指すにしても、
出来れば、キリスト教にもう少し付き合い、色んな現場から、学んでいって頂ければ幸いです。
(因みに、プロテスタント諸教派は、聖書に最も価値をおきますが、カトリックは、必ずしもそうではなく、教義にも柔軟な所が見受けられるようです。)

勿論、キリスト教にこだわらないのも、一案です。
最後に白状しますが、私自身、仏教や神道などにも深い親近感を持っており、特定の宗教というよりも普通名詞の「宗教」や「神」と向き合いたいという意識を強くもっています。

カトリック信者で、ここの所原則毎週カトリックの教会に通っています。
少なくても私の周りでは、カトリック信者である前に、皆さん「良き市民」であり、特に偏屈な人、変に狂信的な人は見受けられません。逆に言えば、特別素晴らしい、徳の高い人にもそうそうはお目にかかれません。早い話が、一般の世の中と同じだということです。

この「良き市民」とは、キリスト教的に言えば「善きサマリア人」と言い換えてもよいと思います。
サマリア人は、聖書の時代、ユダヤ人から見てひどく差別されていたようです。
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