出産前後の痔にはご注意!

 日露戦争のアキレス腱ともいえる旅順攻略に
ついてですが、日本は下関条約で一旦、旅順
(遼東半島)を管理下に置いていたわけですから
その地形などから、区分けして盲撃ちして露艦隊を
脅威に晒せば、露東洋艦隊は座して沈むか、ウラジオ
へ避難(旅順出港)し一応、聯合艦隊の要求するところ
は全うできるので、あのような多大な犠牲は出さずに
済んだのではないでしょうか。

 黄海海戦の時は、聯合艦隊の不手際で露艦隊に
逃走されたが、”運命の一弾”と言われる怪弾1発で
指揮系統を破壊できたこと、それは港内盲撃ちにより
戦艦(レトウィザンだったか、ツェザレウィッチ)を大破
していたため、浸水により露艦隊全体が減速を
強いられたこと、天佑という事象が重なりますが
このような効果があったのに、第三軍は要塞全体の
陥落を目指し、海軍は露艦隊を追い出してくれれば
いいのにというこの温度差は、賢明な明治の軍人をして
何を血迷わせたのか、後日要塞は陥落したものの
追試を3回受けて満点をとったのと、1回で及第点を
とるのは大きな違いですが、第一回総攻撃で〝アカン”
と思ったらなぜ、発想の転換ができなかったのでしょうか。
 司馬遼太郎評で第三軍無能説が巷間ありますが、
児玉源太郎にして近代要塞の認識に乏しかったことも
考えると、なぜ海軍の要望に素直に応じられなかったので
しょうか。「露艦隊は旅順から追い出したから、あとは
自分らでなんとかせえよ」と。

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A 回答 (9件)

http://www.clausewitz-jp.com/kawamura001/kawa001 …

「軍事行動が繰り広げられる場の4分の3は多かれ少なかれ不確実性という霧の中に包まれている」

ということになるかと。
後から考えれば(結果が出れば)そういうことかということは言えますが、軍事行動の現場は霧の中ですので。
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この回答へのお礼

太平洋戦争のレイテ湾突入、栗田艦隊の謎の反転も
結果からいえば「なんで?」となりますが、海軍の
秋山参謀や満州軍児玉総参謀長にして、知恵者が
いながら、理路整然と進言してやれば・・・ですが、
当の第三軍が 28サンチ砲など要らん と拒否した
くらいですから、もうその時点でアウトですが。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/19 20:31

>艦隊を追い出すのが目的ですから、心理的効果で


十分です。たまにまぐれ当たりがあればなお良し。

無理です。あたりもしないいい加減な砲撃より、連合艦隊に待ちかまえられて確実に沈められるほうが怖いです。
港に居ればあたらない可能性はありますが、ウラジオストック突破などしようとすれば100%沈められます。
そんな状況で出る馬鹿はいません。
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この回答へのお礼

露艦隊はウラジオへ向け出港し、黄海海戦が起こりました。
ロシアはバカということですね。
 一旦、露艦隊を取り逃がした聯合艦隊が予測より早く
追いつけた理由はなんですか。そのいいかげんな砲撃の
まぐれ当たり(至近弾)という天佑のおかげでしょ。

 質問に反論ばかりでは、何ら知識として得られるものは
ございません。ごくろうさん。

お礼日時:2012/07/22 20:25

 時系列を理解してますか?



 7/26 旅順要塞の諸前進陣地への攻撃を開始
 7/30 露軍は要塞内部に後退(旅順を観測できる大弧山を確保)
 8/07 黒井海軍中佐率いる海軍陸戦重砲隊が観測射撃を開始。
 8/10 黄海海戦
 8/14 第一回旅順総攻撃の開始

 8/7の時点で旅順港に対して観測射撃できたのに何故、盲撃ちする必要が有るんですか?
 (そもそも、満州にいる他の軍の必須弾薬量まで削って旅順に送っているのに、足りなくなっている状況知ってますよね?)

 まあ、ナポレオンの時代で既に気球を使って観測をやっていたのですから…。
 (ちなみに芝浦製作所製の気球を配備した臨時気球隊を旅順攻囲戦に投入している。海軍陸戦重砲隊の黒井隊長は自ら乗っていたりします。)

 それに、黄海海戦ってまさに海軍が陸軍に要望した、港湾からロシア艦隊を引きずりだして欲しいとの要望を実現した物です。
 (1度失敗したのですから、もう2度目は無いのです。←というか被害を受けすぎて出来なく成った。)

 現代の我々は、後の日本海海戦の大勝利を知ってますが、当時の連合艦隊司令部の評価って

   1.陸軍の力など借りなくても、旅順艦隊など閉塞してみせる  
      ← 失敗(ロシアの機雷で戦艦「八島」「初瀬」を失った。)

   2.旅順艦隊を港外に引きずり出せば、全滅させてみせる
      ← 失敗(主力艦を撃沈できず。しかも丁字作戦を距離を取りすぎたという理由で…。)

   3.日本海の海上警備(陸軍の大陸輸送支援) 
      ← 失敗「常陸丸事件」、
         (後備近衛歩兵第一連隊を乗せた徴用船をロシアに撃沈された)
         なお、ウラジオストック艦隊は東京湾まで進出、日本船18隻以上を撃沈。

 以上の結果から散々な物ですよ…。第二艦隊上村司令長官なんて露探(ロシアのスパイ)呼ばわりされて、自宅を暴徒に投石される有様…。
 (快進撃を続ける陸軍と比べて…。)

 まあ、大口たたいて失敗(連合艦隊は黄海海戦で敵主力艦を一隻も撃沈出来なかった)したのですから、以後海軍が発言力が減退するの当然です。
 (そもそも、海軍軍令部からの正式な要請[特に黄海海戦以降]は、速やかに旅順を陥落させることです。秋山参謀の203高地占拠要求だって資料的に怪しい。)

 あと、203高地を占領して砲撃すれば、なんて軽く言う人が居ますが、そもそも史実での203高地からの観測砲撃でロシア艦は撃沈できていませんよ。
 (戦後の海軍の調査で、不発弾が多数出たのと弾頭自身の威力不足で、沈没の多くはキングストン弁をロシアが自ら開いた事による自沈であった事が判明している。)

 それに浅い港で沈没・着底させても遠くからの観測では、艦が健常(まあ黄海海戦での被害から砲・海兵を揚陸してしまったので、この時点で旅順艦隊は戦力として消失なのですが…。)であるかどうかなんて確認するのは困難です。←爆散するまで打ち続ける心算でしょうか?
 (まあ、日本海海戦では日露両戦艦は100発以上命中しても、中々沈没しませんでしたが…。)


 時系列を素直に受け入れるなら、黄海海戦で旅順艦隊撃滅に失敗し、以後港外に引き摺り出しての決戦が期待できなくなった事から、損害覚悟の第一回旅順総攻撃が行われたと見るのが自然です。


> 最初の総攻撃失敗に懲りて要塞の下へ坑道を掘り進め、爆破したのが旅順要塞に致命傷を与えたらしいですが。そんなことをしているのは日本軍以外知らんし。

 絶句…。要塞攻略戦で坑道を掘って進むのは、古今いかなる要塞戦でも常套手断(正攻法)です。
 軍事を考察する時の必須知識を持っていらっしゃらないのでは?
 (古代ローマの時代から既に古代から存続する戦法として記述されている。)

 旅順で坑道戦が行われたのは、井上幾太郎がドイツで要塞戦を学んできたからです。

 要塞防衛戦力が極端に少ないとか、要塞に欠陥がある、あるいは攻勢側に時間が全く無い場合以外で坑道戦は、最も常識的な戦法(攻勢側が被害をもっとも少なく出来る)です。

 なお、世界中の城や要塞が水掘を有していたのは、水を浸水せて坑道を水没させる為です。
 (余程深く掘るか、迂回させるしかない…。)

 たとえば第一次大戦でのメシヌの戦いでは、イギリス軍により緻密に掘り進められた坑道から600t!!もの火薬を使用し、ドイツ軍の陣地を兵1万もろとも吹き飛ばしています。

 また、最近ではペルー日本大使公邸人質事件の様に不正規戦での活用も重要視されてきています。

 ちなみに、自衛隊には坑道掘削専門部隊として4個中隊を現在でも抱えていたりします。

>第一回総攻撃で〝アカン”と思ったらなぜ、発想の転換ができなかったのでしょうか。

 発想を転換したから、正攻法(坑道・塹壕を掘り進める)に変えたのですが?

 ただの一回の攻撃で不利を悟り、変更した事が外国の従軍武官や戦後に乃木将軍が評価されて点なんですが…。
 (第一次大戦で、同じ方法をそれこそ数え切れない位繰り返して、何十万人も殺した欧州の将軍達の立場は…。)

 第二回総攻撃以降、被害が激減したのは理解してますか?

 まあ、発想の転換が出来なかった事を責めるなら、同じ場所で戦果も上がらないまま、何ヶ月も空費した東郷提督の立場はどうなるのでしょうか…。
 (閉塞作戦なんか3回も実施した訳ですし…。)

>砲兵科出身の大砲の専門家が、28サンチ砲を要らんと突っぱねたのですから。

 伊地知少将が言ったのは、

    「二十八糎榴弾砲は其の到着を待つ能はざるも、今後のため送られたし」

 要らない等とは言ってません。(「間に合わないかも知れないけど送ってくれ」です。)

 
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この回答へのお礼

 大方の意見は同意できますが、あなたが観戦武官として
実際見てきたような断言はしないほうがよいでしょう。
するなら、何を元に、資料にという添付がなければ、
ただ質問内容の不備やお礼回答のあげ足とりを目的とした
攻撃回答としか思えませんので。いちいちのあげ足に反論は
しませんから、こちらが間違ってるとか、無知と思うなら
それで結構です。露艦隊は自沈したという説は知っていますが
戦後、佐世保で三笠が爆沈した原因も正確に分かっていないのに
敵艦のことならなおさら。そういう説もあるとぼかすのが、質問者に
対する礼儀ではないですか。 

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/22 20:56

 小役人の貧乏感覚かな?


 最近の震災でも空から水を撒くというアイデアに反対意見を言う連中。こんな連中の発想はだれでも日常的に見ていると思うが、反対する役人などにしてみれば、やってみたけど効果なしとか無駄だったと言われると自身の汚点になるということ(つまり地位や肩書きといった組織内の地位に固執している。)。同時に、いまでも日本は貧しい国という発想から抜け出ていないので、外で何かするときは全部自分の持ち出しのような気がして、行動の結果としての信用力のアップとか一種の投資による資産の増加が分かっていない(なので外資がお金を使おうとすると反対するくせに、いつも金がないとぼやくだけ。)のではないかと思う。

 簡単に言えば縦割りの体系が生んだ利権を、ただ懐に入れて出そうとしないということだろう。質問者の話にあるように28センチを断ったのも、まず安全パイからやっつけてダメなら次という、逐次投入なんだろうね。(震災の復興もちまちま取り繕っているだけだし…)

 のちのコレヒドール要塞攻撃時は、南方へ向かう船の砲やバターン半島での鹵獲兵器まで使ったくらいだから、ちょっとは分かったのだろうと信じたいけど…。
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この回答へのお礼

 第三軍の司令官の選任は、乃木さん以外なら誰が適任
だったでしょうか。途中、軍司令官更迭案が湧きあがり
明治天皇に「乃木を替えてはならん」と一喝されてました。
 交代させるのなら参謀長と何人かの幕僚でしょうね。
現代の我々が「何やっとんじゃ」と言う前に、児玉源太郎に
すでにカチわめかれてますから。

 役人の感覚云々とするなら、薩長派閥のバランスで司令官やら
参謀長を決める利権主義が災いしたと考えるべきですね。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/20 22:10

>区画割りしてまんべんなく砲弾を撃ちこめば、


>露艦隊にとってかなりの脅威になり出て行かざるを得ない

理論的には可能であっても、当時の砲の命中精度などを考えると、割った区画に対して正確に砲弾が送り込めるか疑問です。全くの盲目射撃とたいして変わらない結果になるのではないでしょうか。湾内にある艦艇の停泊位置も毎日変更されていたようですから、ほとんど命中は期しがたいと思います。そして、露軍側にその事情が見透かされれば効果ゼロとなります。「あんなションベン弾が当たるわけが無い」と思われたら脅しにもなりません。そして、大量の無駄弾を使える程潤沢な弾薬が日本側に無かった事も周知の事実です。
因みに、第3軍による攻撃で旅順要塞側も多くの補充兵員を必要としましたから、艦隊の水兵も多くが要塞防備に転用されて死傷しています。第3軍の攻撃後、仮に旅順が陥落しなくても、その後の旅順艦隊がまともに活動できたかどうかは疑問です。
しかし当時の事情として、旅順要塞陥落という、外国にもはっきり分かる勝利がない場合、戦時国債の買い手がつかない事になりかねない状況でもありましたので、そうなると日本としては補給線がもたない状況になる公算が高まります。その点まで鑑みて、やはり最終的には旅順艦隊の無力化だけでなく、旅順要塞そのものの攻略は必要だったのでしょう。ドロ臭くて効率の悪いやり方ではあり、もう少し上手くやれなかっただろうか、という考えが頭に浮かぶのは人情ですが、「血迷った」は少々言いすぎではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 北朝鮮のミサイルは命中精度が甚だ、まあ 何というか
そういうことらしいので、東京を狙ったら大阪へ着弾するかも、
とかいわれ、はたまた、狙い通り東京に来たり、北海道へ行くか
鹿児島か分からんでしょう。じっとしていれば外れたものを、
ウロウロ移動して自分から当たりに行ったということもありえますから。

 ただ、外債募集に影響を与え、戦況の好転が必要だったのも事実。
明確に”とったど~”となるのが一番望まれる結果ですから。

 最初の総攻撃失敗に懲りて要塞の下へ坑道を掘り進め、爆破したのが
旅順要塞に致命傷を与えたらしいですが。そんなことをしているのは
日本軍以外知らんし。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/20 21:49

>これを升目に区画して全区画くまなく舐めるように砲撃をすれば、


だから升目に区画して打つのが不可能なんですよ。
相手の船がどこに居るかわからないのが問題なら、ますめ打ちでも効果あります。ですが自分の弾がどこに飛んでるのかを知るために着弾観測が必要なのです。
湾に飛んでるのか陸に飛んでるのかさえ判定できない状況では、升目打ちは不可能です。
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この回答へのお礼

艦隊を追い出すのが目的ですから、心理的効果で
十分です。たまにまぐれ当たりがあればなお良し。

 28サンチ砲弾が旅順市街地に着弾した時、ものすごい
振動でシャンデリアが落ちたそうです。そんな砲撃を
真夜中、早朝、飯どき、のべつ幕なしにやられたら、
「艦隊出て行け、このヤロー」となるでしょう。
実際黄海海戦の時、皇帝の命令でウラジオへ向け出港
したが、旅順守備兵たちは「日本がこんなに攻撃するのは
艦隊が居るからだ。艦隊出て行け」という声が多くあったそうです。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/20 21:24

日本は旅順を管理下になど置いていない。

下関条約の締結は1895年4月17日、三国干渉は1895年4月23日。一週間も経っていないのです。これでは何もできません。
逆にロシアは以下のように満州進出を推進しました。
1891年シベリア鉄道建設着手
1894年露仏同盟締結
1896年露清密約
1898年旅順(港)大連(湾)租借に関する条約
1900年第二次露清密約

ロシアは清に日清戦争の賠償金を借款供与してやると恩を売った形で、その見返りに旅順要塞の建設、東清鉄道、東清鉄道南満州支線の鉄道敷設権などの利権を得ました。馬鹿な日本人は勝った、勝った、賠償金貰ったと単純にはしゃいでいたけど、日清戦争はロシアの満州進出を加速させてしまったのだ。モスクワ方面から鉄道で人員・物資の補給がいくらでも利くということなのです。日露戦争の目的は、下関重役の大失敗を取り返し、ロシアを満州から追い出すことでした。その目的からして旅順要塞を叩くのは当然です。犠牲が出るのは当たり前。そうでなきゃ要塞とはいいません。
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この回答へのお礼

 たとえ1週間でも管理下にあったじゃないか などと
あげ足はとりませんが、日清戦争で旅順支那式要塞を
攻略した後は日本軍の管理下にあったでしょう。
 じゃあ、旅順港の出入口は約200mで両側の浅瀬を
除く有効水路は約90mという測量はいつしたのですか。
親切なロシアがそう教えてくれましたか。
 
 それが分かっていたから、閉塞作戦を実施したのでしょう。
なら港内の測量もしていたと推測するのが当然で、区画割りして
まんべんなく砲弾を撃ちこめば、露艦隊にとってかなりの脅威になり
出て行かざるを得ない、よって要塞は大砲、機関銃の展示場となる・・・
んじゃないかという考えから質問しました。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/19 22:07

popps様



 ではどうやったら8月の段階で目的を達したのでしょうか?二百三高地への攻撃ルートは9月中旬の攻撃で初めて確保されました。それ以前にどうやって二百三高地へ行くのでしょうか?
 また、二百三高地は湾から4キロ以上離れており、ここからは砲撃出来ませんし、そもそもこの一帯は丘陵森林地帯なので、大砲を搬入することが出来ません。28cm砲で湾内を砲撃するならば二龍山と松樹山の正面に大砲を設置するしか手段がありません。そしてここに大砲を設置するには要塞東北域にある要塞群の重砲を破壊する必要があります。
 8月のいわゆる第一回総攻撃でこの正面要塞群の重砲を破壊したから28cm砲を予定位置に搬入しました(勘違いが多いのですが、8月の総攻撃では初日に全山を制圧しています。翌日、ロシア軍が反撃して奪い返したのです)。

第一回で重砲破壊の目的を達し、9月の攻撃で大砲設営場所の制圧を完全にし、10月の攻撃で観測点を確保し、11月からの攻撃で要塞攻略を実施したのです。

ロシアの近代要塞をわずか4ヶ月で落とした将軍は世界でも乃木将軍と伊地知参謀長しかいないという事実を知ってください。
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この回答へのお礼

 先ず質問内容を間違えて受け取っていることと、旅順攻略は
もろもろ半年以上かかっていることを指摘しておきます。

 バルチック艦隊との絡みは割愛しますが、203高地攻略は
海軍の進言によるもので、第三軍の不徹底などで軽んじられ
後日の災いを招くのですが、当質問は203高地などの観測所が
無い状態で港内を区画してくまなく砲撃すれば露艦隊は出港
せざるを得んだろうという憶測です。

 結果論は乃木と伊地知を英雄にしたかも知れませんが
児玉のおかげであり、伊地知はその後参謀長を解任されています。
また、あの参謀長では今後の戦いにおいて、いかがなものか。
砲兵科出身の大砲の専門家が、28サンチ砲を要らんと突っぱねたのですから。
1m20cmのコンクリートを破壊するには、22センチ以上の砲でないと
だめだそうです。なぜ要らんと突っぱねたのか。砲床工事などで
何週間もかかるからだそうですが、わずか9日で砲撃開始してます。
 結局、ひとの意見なんぞは雑音としか思ってなかったのでしょうね。
伊地知は大山巌のいとこでなければ、冷や飯食いは免れなかった
でしょう。そんなところも作戦に影響してると思います。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/19 21:45

28cm砲をいくら港内メクラ打ちしても、まず命中は期待できません。


そのくらい遠距離射撃は風や気温の影響を強く受けるため、着弾観測が必須になります。
では203高地を落とし露艦隊撃滅する間維持すればいいのになぜ要塞攻略にこだわったかと言うと、第3軍を満州の主戦線に展開したかったからです。
海軍としては旅順艦隊の無効化をしてくれればそれでいいかもしれませんが、陸軍としては満州に全力を振り向けるために、早く旅順を落とす必要があったのです。
旅順に数万の兵が立てこもれば、をれを封鎖するのに5~10万の兵力が必要になります。
この5万を早く主戦線に振り向けるのが陸軍の旅順攻略の理由であるため、要塞攻略が絶対だったのです。
結局5万以上の死傷を出したわけですが、傷兵のいくらかは戦線に復帰するわけですし、どっちにしろ全軍で203高地の奪い合いでも数万の死傷を出したでしょうから、どちらを選んでもあまり変わりは無かったと思います。
しかもそれは結果論です。近代要塞の恐ろしさと機関銃の威力を知らない時代なら、当然要塞攻略してから全軍を満州に向けるのが妥当と考えるでしょう。

なお第一次大戦でも、機関銃の威力を理解せず当初双方莫大な被害を出してから塹壕戦が始まってます。
突破力より火力の優越が起きる時代の転換点であったため、みなが判断を誤って当然の時代であったと言えるでしょう。
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この回答へのお礼

 日露戦争は近代化された軍隊同士の初めての
戦いでしたから、試行錯誤、手探り状態な部分は
否めませんし、近代要塞の認識のない日本軍なら
第一回総攻撃の失敗で、冷静な状況分析が必要でした。

 まあ第三軍にはその概念はあったのかもしれませんが、
海軍や、大本営などから、やいのやいのと早よ落とせ、
そらやれと言われれば、乃木さんは折れるしかなかった。

 で、質問にも書いてますが、盲撃ちは命中精度より
心理的な面を考えれば十分効果はあるし、実際まぐれ当たり
の被害も与えてる。これを升目に区画して全区画くまなく
舐めるように砲撃をすれば、莫大な人命も貴重な時間も
浪費しなかったのではと思ったのです。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/19 20:56

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