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アンケートにご協力いただきまして有り難うございます。

1:傍観者もいじめの加害者である。Yes/No

2:傍観者がいなくなればいじめはなくなると思う。Yes/No

3:ご自身も傍観者だった。Yes/No

簡単に答えていただけるよう絞っていますが、お時間のある方はコメントを添えていただければより参考になります。

有り難うございました。

A 回答 (7件)

1:傍観者もいじめの加害者である。


Yes
手を出さない、関わらないというのは自己防衛です。仕方がないとは思います。
手を出す、関わる、ということは自分も巻き込まれるという覚悟をしなければなりません。
そこまでの覚悟を出来ない人やできない相手(被害者も加害者も)であれば
「僕は関わりたくないよ!」と見て見ぬふりをしても仕方がないでしょう。
しかし明らかな加害者に対して、教員や保護者達に
何も相談せず、ただ傍観していたというのは加害者側を擁護していた、とも取れます。

2:傍観者がいなくなればいじめはなくなると思う。Yes/No
No
嫌な、捻くれた回答の仕方ですが、
「傍観者がいない」=「いじめを解決しようとする人しかいない」
という風には書かれていないので、
「傍観者がいない」=「[いじめる側]と[いじめられる側]しかいない」
という選択肢もあるので、
「傍観者がいなければいじめもなくなる」ということはないと思います。
しかし、確かに皆が解決するために動くのであればいじめは少なくなるのかな?
とは思います。その場合でも、行き過ぎれば逆に「いじめていた側をいじめる」
というようなことになりかねないと思いますけれど。



3:ご自身も傍観者だった。Yes/No
No
したことはありませんが、された(当事者になった)ことはありますし、
いじめられているクラスメイトや友人、そしていじめている側に
手を出したこともあります(ぶん殴ったりしたとかじゃなくて)。
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この回答へのお礼

参考にします。お忙しいなか有り難うございました。

お礼日時:2012/07/25 21:28

1:yes


私の場合は、いじめられると、いじめてくる人より傍観者が見て見ぬふりをする方が耐えられないと思います。
2:no
3:保留
私の通っていた学校ではいじめはなかったので答えられません。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2012/07/25 21:29

1、YES、2、NO、3、YES



 ただ、傍観者もイジメと見える場合と見えない場合とある。これがあるからイジメの実態が複雑になります。ただ、戯れている場合もあるので。特に男子は。傍観者も手の出し方を間違えればとばっちりも来ますし、対象方法を知らないと確実に次のイジメのターゲットです。軽いイジメになるだろうね。私も加わっていたこともあります。物を隠すという事を。ただし、本人が気がつかないような場所ではない心理的な悪戯でもありましたけど。これもイジメには成るだろう。ただし、当時としては遊びの一つの感覚でしたけどね。私自身、加害者も被害者も経験してきたので、イジメというのが難しい事を知っています。なぜ気がつかなかったのかとマスコミが追求したりしますが、その追求の仕方を間違えれば大人が行うイジメと言う事に気がつかないのと同じで、当人達はイジメをしていても軽い物という感覚だったり、遊びだったり、制裁目的だったりで本当にわかりにくいのです。周りが大騒ぎすることには、末期状態なので、自己防衛として手出しできない状態になります。先生もその現場を見ていないので、対処出来ない。言葉だけでお前が悪いと言える先生なら良いですが、証拠もなく犯人特定は出来ません。これをすると贔屓しているとか、全体のバランスが取れない状態に。加害者側がこのことで先生を非難していきますし、指導も難しい。先生信用出来ない、話を聞かない。注意指導も効果無しという形が出来てくるのではと思っています。

 イジメはやった、やられたの単純な形ではないですからね。
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お礼日時:2012/07/25 21:29

yes、no、yes。



3がnoの人は見て見ぬふりとしか考えられない。
必ずどこかのいじめは傍観者でいる。それをいじめと認識しない、極めて悪質な考え方だと思う。
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お礼日時:2012/07/25 21:28

こんばんは



1:No
 本来傍観者は第三者的立場であると思います
 それをいじめを許容している、と捉えるのは、いじめる側と苛められる側の認識の問題です
 ただし、傍観者の立場や態度にもよろうかと思います
 本来いじめを抑止すべき立場の者や、明らかにいじめ行為を許諾している態度を示すのであれば
 広義的には「加害者」と言っていいかもしれません

 被害者側の「見ていないで、止めてくれ」という思いも判ります
 しかし「関わったら自分も苛められるかもしれない」という傍観者の気持ちも理解できます

2.No
 傍観者という第三者がいなくとも、いじめ行為は成立します
 クラス全員が一人をいじめていた、というケースも知っています

3.No
  むしろ「被害者」側であることが多かったですね
  昔の事なので現在のいじめとは違うのでしょうが、いわゆる「苛められっこ」でした
  今になって思えば、あれも一種のコミュニケーションであったように感じます
  いじめる側も程度が判っており、必要以上の暴力をふるう事もありませんでした
  (言ってみれば、生徒集団の中の序列決定儀礼みたいなものでした)
  まれに調子に乗りすぎる奴がいると、もっと強い奴が制止に入ったものですし
  状況により「怖い先生」の「愛の鉄拳制裁」や「逆らっちゃいけない女先生」の「恐怖のお説教」が下されたものです
  もちろん、現在は状況が異なる事は判っています が、何か釈然としないものを感じています

  
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この回答へのお礼

参考にします。お忙しいなか有り難うございました。

お礼日時:2012/07/25 21:28

1:傍観者もいじめの加害者である。

Yes/No
●Yes

2:傍観者がいなくなればいじめはなくなると思う。Yes/No
●No

3:ご自身も傍観者だった。Yes/No
●Yes

矛盾してますけど、私なりに正しいと思っております。イジメに関して、加害も被害も悲しいことだと皆無思いません。自分自身で考える力もないことが悲しく愚かしい。それでは成長しないまんま大人になるしかない。自業自得というものです。彼ら(子供たち)が大人になって、いったい何を子供たちに教訓残せるのでしょう。どんな背中を子供たちに見せていけるのでしょう。今ただわかることは過去被害を受けた者の苦痛だけが世間で渦巻いている。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2012/07/25 21:28

Yes No No

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この回答へのお礼

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お礼日時:2012/07/19 20:52

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