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物理学の方法論について質問が有ります。

物理学は定量化出来ない自然現象に対しては、どの様にアプローチをかけるのでしょうか?
物理学は自然現象の解明を試みる学問であって、物理学=数学ではないし、ましてや数理物理学は一つの方法論にすぎません。

別に数式を使って説明しなければならない理由も義務も無いと思うのですが。
宜しくお願いします。

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A 回答 (5件)

>物理学は自然現象の解明を試みる学問であって、物理学=数学ではないし、ましてや数理物理学は一つの方法論にすぎません。



>別に数式を使って説明しなければならない理由も義務も無いと思うのですが。

 全て同意します。なので、自然は数理原理に従うという考えは、一つの偏見ではないのか?という意見も、自分は否定しません。ただし「自然は数理原理に従う(宇宙は、数学的方法で解明できる)」という考えは、一つの「経験事実」なんです。

 これを最初に言ったのは、恐らくガリレイの「自然は数学的言葉で書かれている」です。この言葉は物理学者としてのガリレイの感覚であり、日常経験(天文観測含む)から得られた、ガリレイの経験事実の集大成です。物理学者としての彼は正しくも、数学的方法(数学的理想化)の理論の適用限界という考えを持っていました。理論の適用限界の考えは当時において、時代を画するものでした。彼は実験の重要性に気づいていました。

 ガリレイとほぼ同時代に生きたケプラーは重力を提唱し、占星術と紙一重だった天文学を、重力の提唱により天体物理学として自立させた最初の一人だったのですが、ケプラーは数学的神秘主義者でした。そして数学的神秘主義の伝統は、ピタゴラス以来の長いものがあります。

 しかし、物理学者としてそうでなかったガリレイは、ある意味、ケプラーの著作を一顧だにしていません。また現在の実験思想は、ガリレイの実験思想を一歩も出ていません。ゆえに現在の物理学は、数学的神秘主義では絶対にありません。

 ガリレイに続いて、「自然は数理原理に従う」を提唱したのはデカルトでしたが、デカルトも実験の重要性に気づいていませんでした。というか、無視したように見えます。しかしデカルトの数理原理に基づいた大作「宇宙論」は、当時のヨーロッパの大ベストセラーになり、彼の理論は間違っていましたが、それでも「自然は数理原理に従う」という考えをヨーロッパに根付かせた、歴史的意義は重要です。

 その後にニュートンが現れます。そしてニュートンの力学は、信じられないほど性能の良いものでした。今だって、理論の適用限界内に話を限れば、ニュートンの力学の数学的方法は、まるごと4世紀以上不正解を与えていないんです。ここにいたって、「自然は数理原理に従う」という事が、「経験事実」として確立します。この状況は、ほぼ19世紀末まで続きますが、その後の発展においても、「自然は数理原理に従う」事が、暗黙に信じられて行って、現在につながります。


 自分はニュートン以後の人間ですから、「自然は数理原理に従う」事を前提に話を進めます。なので#2さんも仰ってましたが、まだ定量化されてない領域にぶつかったら、まっさきに定量化しようとします。そこでは、この系の状態量はなんだろう?、とか考える訳です。自分の経験はミニマムなものですが、それでもそのような場面に幸運にも(?)立ち会えたなら、非常にワクワクします。そこではまさに、物理と数学のせめぎ合いです。
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この回答へのお礼

ご丁寧に ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/24 15:15

No.2さんがお見事ですね^^;



電気工学出身、代数学の非常勤です。(病気休養中^^)


繰り込み算は数学の仕事だけど、σ(・・*)の担当ではない^^;

 #解析方面の仕事だろうねぇ~。


逆のことを考えてみるとわかりやすいかもしれないので。

ちょっとこういうことをやってみよう。

とある宗教団体では、四次元(3D空間+時間)の次の 次元 として、

「愛」を持ってきています。

 #いやもう笑うしかないんだけど^^;

「愛」がないとは言わないよ。尺度がない。

次元というのは、位置の特定、状況の特定のために使うものなので、

尺度がないものを入れても意味がないのです。


つまり 「愛」 は 物理や数学で考えるべきことではない。

と、いえそう。


定量化できない自然現象 があるのならば、「愛」のようなものだと思うんだけど。


と、すれば物理や数学で扱うことではないと思うのだけど?

こんな風に違うアプローチをたててみた。

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)


「母の愛」は、マリアナ海溝よりも深いのか?東京ドーム何個分の広さがあるのか?

こんな風にやったって、そこに見出せる意味はないんだね。
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 #2です。

大事なところでタイプミスしたあっ!orz<何やっとるか、自分!

誤>記者「音楽も物理学で解明できますが?」
正>アインシュタイン「できたとしても無意味だろうね」

 いつ、どこの記者さんがアインシュタインを詰問したかあっ!>自分orz

正>記者「音楽も物理学で解明できますか?」(目をキラキラさせて期待いっぱいに尋ねている)
正>アインシュタイン「できたとしても無意味だろうね」(アインシュタイン、しょんぼり)

 毎度毎度、申し訳ありません。
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>物理学は定量化出来ない自然現象に対しては、どの様にアプローチをかけるのでしょうか?



 定量化できる方法を探ります。そのためには新しい数学を生み出すことも厭いません。

 ニュートンは、そのために微積分学を創始しました。

 量子力学では、確率を導入しました。

 さらに量子力学は、特殊相対論を適用するに当たって、数学的に無限大に発散する項を「繰り込み」しました。数学的には未だに説明できていません。そういう関数だというしかありません。

>物理学=数学ではないし、

 物理学の記述においては、物理学は数学に含まれます。ただ、数学にはない「物理学的解釈」が付加されます。しかし、その解釈も数式なしには存在しません。あくまでも、数式、そして数式の項あってこその、現実の現象の解釈です。

>別に数式を使って説明しなければならない理由も義務も無いと思うのですが。

 その通りです。しかし、数式、つまり数学を放棄すれば、それは物理学ではないと見做されます。繰り込み理論のような無理やりを許してもなお、数式で語れないなら、それは物理学の限界だということになります。

 それでいいわけです。少なくとも物理に興味を抱くだけの私のような人間を含め、物理に関わる人々は、別に物理学が全てを記述できるとは思っていませんので。

 たとえば、平面上で10円玉を転がしたとして、最後には左右どちらに倒れるか、あるいは倒れずに止まるかは解けないとして、とうの昔に諦めています。極端な理想化をして、平面は全く凹凸が無く、10円玉が完璧な円だとしても、分かりません。

 数式にしようとしても、カオス的な振る舞いになってしまうのです。量子力学的な確率を排した古典力学で考えているのにです。それでも確率を導入できますが、そうなると数式は確率だけの式に集約せざるを得ません。

 さらに理想化して、10円玉の厚みを0とすると、結局は左右1/2の確率という式だけが残ります(確率が無限小で倒れずに止まるという余地は残します)。全く無意味な数式です。完璧なサイコロがあったとして、1~6は同じ確率で出るだろうという、仮定が結論になってしまうだけなのですから(確率無限小で角をそこにして倒れないという余地を残す)。

 しかし、宇宙論でのビッグバン説は、この宇宙が、これほど観測しても宇宙が「平坦である」ということ、それが確率無限小な偶然となります。

 そこで、そこには必然性があるというインフレーション仮説を、他の傍証と一緒に提唱したりします。

 無限小とは、数についての概念で、0より大きい正の数であるが、どんな正の数よりも小さいというものです。実用的には0とします。

 既存理論では確率無限小のことが起こっている。それなら確率無限小ではなく、必然性があるはずという仮定を打ち出します。

 インフレーション仮説以外にも、宇宙が無限大の個数あって、その一つがこの宇宙だと考える仮説もあります。一つでは奇跡でも、無限大の中の一つなら必然となります。

 実は奇跡が起こっただけなのかもしれません。しかし「奇跡でないとしたら何か?」を問うのも物理学の宿命というわけです。

 おそらくは「それはどうして?」を考えたくなるヒトの性質に根差すものなのでしょう。それは物理学だけに答えがあるわけではないです。全ての学問分野は、その答えを用意していると思われます。

 アインシュタインの有名な故事を紹介しておきます。新聞記者との会話です。

記者「音楽も物理学で解明できますが?」
アインシュタイン「できたとしても無意味だろうね」
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物理学は数学で自然法則を表現するというのがポリシーです。

あるいは数学的な扱いが分からなくてもそれを見つけるのが物理学に置ける研究のひとつです。
具体的に「定量化できない自然現象」とはどのようなものでしょうか?
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