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別の質問に回答した際に
・織田信長の庶兄信広は岩倉織田氏信安の子であること
・信長の通称は三郎ではなく三十郎であり「信長公記」にも「信秀に男子有 吉法師という名にて三十郎と称すと…」と記載されている
以上の二点を指摘してもらいました。どちらも初耳でしたので、典拠を知りたかったのですがその質問が終わってしまったため、別に質問します。

織田信長家臣人名辞典』(第二版)をあたりましたが、信広は信長の異母兄として記載されており、信安の子とする説については触れていませんでした。ごく最近の説なのでしょうか?
『信長公記』(角川文庫版)も確認しましたが、やはり信広は信長の異母兄と記載されています。
また、信長の通称も確認しましたが、『信長公記』(角川文庫版)では「三郎信長」としか出てこず、三十郎という記載は見つけることができませんでした。『織田信長家臣人名辞典』で織田信包の通称が三十郎とされていることは確認できたのですが。

上記二点の指摘について典拠となる史料・文献をご存じの方、ご教示ください。

A 回答 (5件)

歴史研究家でも歴史マニアというほどでも無い、せいぜい歴史フリーク、歴史好きという程度の者です。


おそらくは下記参照URLの件だと思いまが、万が一違っていましたら見当違いの意見となりますので読みとばしてください。

このリンク先の質問者は「三十郎は有名です」なんて書いてますが、逆説的ながら、フリークに過ぎない私が定説でも通説でもなく、俗説でも異説でも見たことも聞いたこともないのは、「有名」じゃないですよね。
信広も異母兄というのは広く知られた「定説」で、竹千代(家康)との人質交換は様々な家康を扱った物語でも扱われる「有名な」逸話です。
もちろん、リンク先の質問者と違い、こちらの質問者様には既にご存じのことと思いますが。

どうもリンク先の質問者は、ネット上のいわゆる面倒な人のようです。
他の質問や返答を読む限り、一般教養が無く独善的な倫理観があり、浅慮で思い込みや浅い知識で自論を正当化しようとしています。

質問者様の回答や意見が正論ですので、こうした面倒な人を相手にすることも無いように思います。普通にちゃんとした知識がある人が見れば、どちらが正しいか判りますから。

ただ、まあ、近頃では自費出版なども盛んで、多くのアマチュア研究家の本がでています、そうしたものは珠玉混合で中には斬新な切り口のものもあります。
信長公記も20種類以上の写本があるそうですので、どこかにそんな異説を研究した本があるやも知れませんが、リンク先の質問者の様子を見る限り、そんな文献を当たるような好事家には見えませんけどね。(^^;

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7606611.html
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信長って長男では?信秀は血筋を重んじる人ですよって いくら信長が土田御前の子でも長男じゃなきゃ跡取りにはしないでしょ



それに信長以下お市や末弟の有楽斎まで きょうだい10数人みな正室の子なのに信広だけ側室の子というのは腑に落ちません

織田広信という名は聞いたことがあります

この回答への補足

結局文献による根拠はないということでよろしいでしょうか?
妄想するのは勝手ですが、それを人に押しつけないでください。

補足日時:2012/07/25 16:19
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この回答へのお礼

ええと、文献の典拠はないのでしょうか?回答者の想像と言うことでしょうか?

信長が信秀の長男ではない(信広が兄)という説が一般的です。信広異母兄であることは調べたとおり『信長公記』にも明記されています。土田御前の長男ではありますが。

信秀が血筋を重んじたという事例を知りませんが、仮にそうであったとするならば正室の子を嫡男にして当然ですね。長男はいるけど、正室の血を重視して長男ではない信長に家督を継承させたということでしょう。

信秀の子のうち
織田秀俊(信時)は、信広の同母弟=信長異母兄弟(活動時期や史料から兄の可能性が高い)
織田(中根)信照も、信広の同母弟=信長異母弟
であり、信広だけが妾腹ではありません。(『織田信長家臣人名辞典』より)
これ以外の子(有楽斎など)も正室の子かどうか明記されていない場合があります。
市に至っては信秀の子でない可能性もあります。信広が妾腹であっても不自然ではありません。

質問をくりかえしますが、(1)「信長の通称は三十郎である」(『信長公記』には載ってなかった)、(2)「織田信広は信安の子」、以上の二つの説は、どんな文献を根拠に言われているのですか?

お礼日時:2012/07/24 15:53

先日


織田信長 [単行本]
桐野 作人 (著)

これを読んだが、そんなことは載ってなかったなぁ

桐野さんをどう評価するかは、質問者の判断に任せますが
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この回答へのお礼

ご紹介の本、読んでおります。
最近の研究成果も取り入れた信長をテーマにした本ですので、質問したような説があるなら触れているはずですが、おっしゃるようにありません。
いったい何が典拠なのやら・・・。

お礼日時:2012/07/24 15:22

信広は側室の子で信長の兄です。


信長協奏曲(のぶながコンツェルト)という
少年マンガにも載っているくらいですよ。
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この回答へのお礼

質問文の通り信広が信長の舎兄ということは承知しております。

お礼日時:2012/07/24 15:20

http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki …

吉法師殿御元服の事
織田三郎信長



勘十郎殿、林・柴田御敵の事
織田三郎五郎殿と申すは、信長公の御腹かはり御舎兄なり。其の弟に安房守殿と申し侯て
信広のことね

さきほどの云々カンヌンには典拠はありません
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この回答へのお礼

町田本の電子化があったのですね。情報ありがとうございます。
この部分については角川文庫版と異同がないようですね。
二系統の『信長公記』には、指摘されたような記述はないこと確認できました。
まあ、どの系統でもないとは思うのですが・・・。

お礼日時:2012/07/24 15:18

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