江戸時代の正徳(1714年)時代前後の
の交易のデータが書かれている文献を募集します。データとしては、
(例)
大阪から江戸へ木綿をいくら移入した
大阪から敦賀へ米をいくら移入した
などの量が書かれているデータです。
これらについて書かれている文献を紹介していただけたらと思います。
よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

「中国船によるしょうゆ輸出」(キッコーマン国際食文化研究センター)


『唐蛮貨物帳』『バタビア城日誌』
http://kiifc.kikkoman.co.jp/tenji/edo11.html

「史料リスト・江戸時代-経済関係-」
『唐船進港回棹録』『唐通事会所日録』
http://www.netlaputa.ne.jp/~house/shiryou/edo/ke …

「小津330年のあゆみ・第三章」
正徳四年(一七一四)繰綿:大阪から他地方へ移出
物資十五品目中の七位
銀四千二百九十九貫
http://www.ozu.co.jp/330/009.htm

「国立国会図書館」
件名検索→「日本―貿易―歴史―江戸時代」で30件ぐらいヒットします。
(範囲は広くなりますが・・・)
http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/search.cgi?MOD …
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Q元号は現在、天皇陛下が代わられると元号を変える事ですが、江戸時代やそれ以前の時代では、どのタイミング

元号は現在、天皇陛下が代わられると元号を変える事ですが、江戸時代やそれ以前の時代では、どのタイミングで変わっていたのでしょうかか?

Aベストアンサー

今のように、天皇の代替わりのときにだけ元号を変える制度になったのは、明治からです。その結果、天皇と年号が1対1に対応するようになりました(ということと関係があると思いますが、明治以降の天皇は、明治天皇のように年号で呼ばれています)。
それ以前は、めでたい事があった、天変地異、疫病がはやったとか、いろいろの理由で年号を変えていました。

Q江戸時代の木綿柄

江戸時代のとくに男の木綿の着物って絣とか縞とか織り柄が多かったのでしたっけ?染め柄や手書き柄は高くなるのでしたっけ。ご存知の方お願いします。

Aベストアンサー

No.2のものです。
ふと思ったのですが、浴衣は染めですよね。
なので、木綿でも染めたり描いたりする事はあるのかもしれません。不勉強で申し訳ありません。

ですが、日常着として手描きの着物を着ていたかと言うと、あまりないような気がします。憶測ですいません。

Q江戸時代の人は元号を言えたか

 
 以前どこかで前世療法というものの動画を見た際、前世にもどったひとに「年号は何年ですか」と質問すると、「安永○年」とか「天明○年」と、“前世”の人が答えていました。

 最近思い返してふと疑問に思ったのですが、江戸時代の人はその時々の元号を知っていたのですか?
 知っていたとすると、元号が変わったときはどのようにしてその情報が伝わったのでしょう?

 ちょっと不思議に思いました。
 ざっくりしていますがお答えいただければ幸いです。

Aベストアンサー

>江戸時代の人は元号を言えたか?
その人がどの階層(身分)に属して居たかで大きく変わりますが…99.99%の江戸時代の日本人は元号はおろか、何月と言う概念すらありませんでした。従って基本的には「江戸時代の人は元号を言え無かった」と言う答えでOKなはず。従ってその「前世に戻った人」はどこか遠い星の "EieDoo(我々に理解出来る言葉で発音すると「エド」と聞こえる)" と言う時代から来た異星人かと思われます。

P.S.
日本では明治5年の改暦詔書までは、一部の学者や政府高官以外には元号はおろか、何月何日と言う概念すらありませんでした。そもそも日本では中国由来の暦が数百年に渡って使われており。年号では無く「今年は甲子(きのえね)の年」と言った風に考えていました。いわゆる「干支暦」と呼ばれる暦です。

>Wikipediaによる解説:干支 - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF

江戸時代以前と明治以降の現代文明社会とでは時間の流れ方が全く違います。江戸時代では手紙を送って、その返事が来るのを1ヶ月以上も待って、それからまた返事を送って相互確認を取り、それで互いに了解して~と言った風に物事が運ぶ時間感覚です。厳密に何月何日の何時までに返信を!~みたいな感覚は一切ありません。また個人で時計を所有してる人も居ません。1日は朝昼晩で良かったし、1週間と言う区分も明治以降に西洋文明と共に入ってきた制度です。

江戸時代は主に住んでる地域の神社仏閣で月に行われる「お祭りの日付」を基準に月日を勘定するのが一般的な習慣でした。例えば今ならデートの約束を「明日、2月3日の15時に駅前で」みたいに行います。江戸時代なら「お稲荷さんの次のお祭りの前の日に六角地蔵の前で」みたいになります。現代人みたいに正確に何時何分と言う概念自体がありません。早く来過ぎたり、或いはのんびり出掛けて相手を何時間も待たせて、特に怒ったりはしません。だってそう言うものだからです(なので待ちぼうけやすれ違いも当たり前でした)。

>江戸時代の人は元号を言えたか?
その人がどの階層(身分)に属して居たかで大きく変わりますが…99.99%の江戸時代の日本人は元号はおろか、何月と言う概念すらありませんでした。従って基本的には「江戸時代の人は元号を言え無かった」と言う答えでOKなはず。従ってその「前世に戻った人」はどこか遠い星の "EieDoo(我々に理解出来る言葉で発音すると「エド」と聞こえる)" と言う時代から来た異星人かと思われます。

P.S.
日本では明治5年の改暦詔書までは、一部の学者や政府高官以外には元号はおろか、何月...続きを読む

Q江戸時代の米問屋についての文献

時代小説(趣味)を書こうと思い立ち、
米問屋の生活~仕事の様子が描かれた文献を
探しています。
おすすめの資料などございましたらご教授お願い致します。

また、舞台は新潟の米問屋ですが、江戸の米問屋との違いってありますでしょうか?

Aベストアンサー

http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/Archives/AyumiHonbun

基本的には
移出地問屋と移入地問屋の違いがあるように思う。

http://www.bs-asahi.co.jp/kitamae/list.html
これを見た感じでの印象です。
http://www.nuttari.city-niigata.ed.jp/syoukai/rekisi/rekisi1.htm
集積所ね
http://hoppou-bunka.com/history.html
明治になるけど「ま穀取(現在の倉庫業)と、次第に大きくなって、百姓をやめ「いはの家」という屋号を名のりました。」


新潟樽きぬた 明和義人口伝

火坂 雅志 (著)
も読んだのだが、新潟弁を使って書こうとしている意図はわかるが、かえって分かりづらい。
※ 火坂さんは私の高校の先輩なので、火坂さんも私も新潟弁ネイティブだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E6%98%8E%E5%92%8C%E9%A8%92%E5%8B%95

http://meiwagijinkan.web.fc2.com/top.html

このへんの話関係で史料が残っているのではないかな。

http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/Archives/AyumiHonbun

基本的には
移出地問屋と移入地問屋の違いがあるように思う。

http://www.bs-asahi.co.jp/kitamae/list.html
これを見た感じでの印象です。
http://www.nuttari.city-niigata.ed.jp/syoukai/rekisi/rekisi1.htm
集積所ね
http://hoppou-bunka.com/history.html
明治になるけど「ま穀取(現在の倉庫業)と、次第に大きくなって、百姓をやめ「いはの家」という屋号を名のりました。」


新潟樽きぬた 明和義人口伝

火坂 雅志 (著)
も読んだのだが...続きを読む

Q江戸時代の元号の文字 画像あり

添付は、私の先祖(たぶん江戸時代の後期)が、将来の子孫のために、その子孫が亡くなった際の戒名を付けるルールを予め寺と定めたものです。大金を支払い、戒名の文字数の確保や、戒名の下二文字のルールを決めたそうです。

その寺からの許容書の実際の画像です。
左には、元号が見えます。十二月の前は 何と云う元号でしょうか

八良衛門 は 私の先祖の名前です

また、他の文字も読めれば 教えてください

Aベストアンサー

rodste さん、こんばんわ。

たぶん、慶応二寅の年と書かれていると思います。

後半の部分ですが、「永世に○○○居士、大姉を許容せしむものなり。」でしょうか?

Q【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったか

【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったから」、「そもそも江戸っ子は貧乏だった」という3大理由がインターネット上に挙げられていますが多分間違っていますよね?

江戸時代、江戸は火事が多かったので頼母子講(たのもしこう)という相互会があった。

少額を毎月12人から集めて12人分を1人に渡す。これを1年間繰り返して12人が1年のうち1ヶ月だけ大金を得ることが出来る銀行のような仕組みがあった。

この事実で仮説1の火事が多かったから宵越しの銭は持たなかったとうう説は間違いとわかる。

大金が回ってくる仕組みを火事が多いので大金を持たなかったという江戸っ子の説は矛盾に気付く。

2つ目の仮説。銀行はなかった。けれども頼母子講という少額を積み立てて大金を引き出す銀行みたいな仕組みがあったのでこれも嘘の仮説だと分かる。

最後の仮説の江戸っ子は貧乏だったという説。

江戸時代に流通していた通貨は金貨、銀貨、銭貨の3種類。

銭貨の価値は現在の価値で50円程度。

江戸時代の江戸っ子の日当が50円程度だった?

金貨の価値が20万円程度だった。

江戸時代の大工に月収は2万円。2万円/30日で日当で666円。

1日銭貨を13枚。

当時の大工は高給取りだったとすると一般庶民のブルーワーカーは大工がホワイトカラー職で現代の月収50万円職に値すると一般庶民のブルーワーカーの月収は25万円として6枚。

で、1日6枚で飯が3食で銭貨3枚が余る。で、相互会に毎日銭貨3枚を預けると月で99枚。1枚50円で5000円。

金貨が20万円なので月5000円で12人で相互会を組んでいるので年1回月収が6万円のときがある。

年1回大金を掴んでも6万円なら江戸っ子は20万円の価値がある金貨を一生見ることがなかったのかも知れない。

ということは、江戸っ子は宵越しの銭は持たないの話には続きがあって、(けど江戸っ子は銭貨を大金の銀貨に変えて貯金していた)。要するに1番価値がない銭貨を持たないで銀行(相互会)に預けて大金にするという仕組みが江戸にはあったので当時の人は江戸の仕組みを珍しく思い、「江戸には銀行という仕組みがある」ということを「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」と表現したのが真相ですかね。

【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったから」、「そもそも江戸っ子は貧乏だった」という3大理由がインターネット上に挙げられていますが多分間違っていますよね?

江戸時代、江戸は火事が多かったので頼母子講(たのもしこう)という相互会があった。

少額を毎月12人から集めて12人分を1人に渡す。これを1年間繰り返して12人が1年のうち1ヶ月だけ大金を得ることが出来る銀行のような仕組みがあった。

この事実で仮説1の火事が多かったから宵越し...続きを読む

Aベストアンサー

すごいですねえ。
いろいろ計算して、ここまで考えると、おもしろいですね。

私は、ただ、単に、
物に執着して、がつがつ貯めこむのは粋じゃない。
きっぷ(気風)がいいことが美徳、という考えが江戸では一般的だったから、
(本当にもらったら、もらっただけ使ってしまう人ばかりでなくても)
そういう気質だと、おもしろがって、または、自慢気に、言っていたのではないかと思いました。
開き直ったスローガンみたいな(笑)。
で、そういう風潮ができたのは、
やはり、長屋に住んでいるような、大部分の人が、
ぎりぎりの生活で、贅沢はできない状況だったからでしょう。

ところで、たのもし講、私が小さい頃、母がやっていましたよ。近所のおばちゃんたちと。
なつかしい言葉です。

Q江戸時代の大名家、官位・伺候席などの一覧

江戸時代の大名家の官位や伺候席、石高等が一覧できるサイトを以前見た事がありました

詳しく見られるサイトをご存知の方、お教えください

Aベストアンサー

参考URLの江戸三百藩HTML便覧のことではないでしょうか。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q江戸時代の一両は今のいくらくらい?

時代劇で一両というとたいそうな額のようですが、
必殺仕事人の仕事料が、一人がもらっているのがだいたい一両、
子連れ狼の刺客料が、一人殺すのにつき300両、
というと、現代の2万円が一両くらいかな、と思うのですがどうでしょうか。
(物騒な話ですが、テレビドラマからですから)

1文は、20円くらいかな、とも思いますが、こちらはどうでしょうか。
時代劇の峠の茶屋で、お茶一杯十文という感じです。

Aベストアンサー

自分で答えを出してませんか?
1文=20円程度としたら
1両=4000文ですので8万円です。
そしてそれがほぼ正解です。

Q【江戸時代?の京都の名所を3巻に纏めた書物の名前と観光名所一覧が見られるサイトを教えてください】お盆

【江戸時代?の京都の名所を3巻に纏めた書物の名前と観光名所一覧が見られるサイトを教えてください】お盆に順番に回って行きたいです。

1番最初は京都御所で、2番目が確か兄が弟を殺して、恨みや祟りで平城京を平安京に都を移す際に最初に建てて弟の祟りから逃れたとされるお寺です。3番目はどこか忘れましたが京都の名所が3巻に纏められていた気がします。

Aベストアンサー

都名所図会(みやこめいしょずえ)

Q江戸時代の「江戸」以外

最近では江戸時代について書かれた本が多数出ていますが、
大多数が「文化が熟した頃の江戸」の話で、他所の話はあまり書かれていません。
そして内容も「江戸礼賛」のようなかんじのものがほとんどです。
もちろんそれはそれで構わないのですが。
例えばイザベラバードの旅行記には、明治に入ってもなお東京を離れたら、
不潔、不衛生のオンパレードのような様子が醒めた視点で書かれています。
江戸時代の地方に関して、できれば江戸と対比するようなかんじで、
詳しく解説された本がありましたら教えてください。

Aベストアンサー

江戸時代の人自身が表した書物で、現在でも入手しやすく有名なものとしては、雪国新潟の暮らしを描いた鈴木牧之の『北越雪譜』、東北・北海道(蝦夷地)に住む人々の暮らしを描いた菅江真澄の『菅江真澄遊覧記』があります。それぞれ岩波文庫と東洋文庫に収録されています。


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