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 インドネシアにおける、オランダ植民地時代の影響はどのような感じなのでしょうか?
 漠然とした質問で申し訳ありません。

 最近、ひょんな事からインドネシア人と知り会いました。
 元々まったく、ぜんぜん興味がない国でしたが、話してみるとなんとなく面白いような気がして。

 インドネシア語/マレー語を学習する意欲もないので、とりあえず英語で、少しづつ理解していくしかないのですが、少し時間を見つけてはインドネシアの歴史などの文章を読んだりしている程度です。


 日本軍の侵出などもありましたが、日本兵3000名(推定)が独立戦争に参加したとあって、日本人へのあたりは良い感じがします。

 少なくとも、当たりがザラッとしているフィリピン人と比べれば、意志をまっすぐ伝えてくれるのでかなり違うと感じています(※フィリピンのことへの質問は、別に行いました)。すみません、フィリピンは個人的に、相性が悪いようで理解はまったく進んでいません。

 インドネシア人に対して、オランダ時代のことはどう思っているのか/話しても大丈夫なのかな、ふっと疑問に思いました。
 
 フィリピン人などは名前にスペイン語、学校名にスペイン語名やアメリカが投資した時代の名残の校名などが残っていたりして、それを誇りにしていたりする(あるいはそれが逆に作用していたり)感じがしますが、

 文化、建造物などなど、インドネシアにおけるオランダ植民地時代の影響はどの程度なのかな、と思います。

 彼らから、ヒンドゥー、仏教、あるいはイスラームに関する文化や歴史的建造物の話はよく聞きます。特にオランダの話しをする感じでもないので、現在はそれほど色濃く残っていないのかな、と感じたりしましたが。



 小さなステップからでもいいから、日本人としてインドネシアを知っていく努力をしたいと思いますが!

A 回答 (6件)

結論からいうと「ない」に等しいということに尽きます。

それがフィリピンとの大きな違いです。オランダがプロテスタントの新教国だったのに対し、スペインはローマ・カトリックの旧教国だったことが決定的に違うのです。スペインはローマ教会=イエズス会の影響を強く受けていて、それがフィリピンの植民地支配にも影響しています。フィリピンでは教会が建築されてイエズス会が学校を建てて原住民を教化しようという傾向があったのに対し、インドネシアにはそういうものがなにもない。スペインにはキリスト教を飯の種にしようとする専業の聖職者がいたのに対し、オランダには商人がいただけなのです。フィリピンではゴシック建築の古い教会が世界遺産に登録されているのに対し、インドネシアにはキリスト教の影響がほとんどないのです。オランダ商人は、インドネシア人を酷使して搾取していただけだったということなのです。インドネシアは農業国なのですが、オランダ統治時代はオランダ商人を儲けさせるために商品作物ばかり作らされて、肝心の自分たちの食料はろくに栽培することも許されなかった。だからオランダ統治時代は人口も少なかった。インドネシアの人口が急増したのは独立後のことなのだ。

といったところがインドネシアのオランダ統治時代の序論といったところ。オランダ統治時代以前にインドネシアといった国があったわけではなくて、諸王国があったところ、数百年かかって段階的にオランダの支配下に組み入れられていったという歴史があって、第二次世界大戦後に一致団結してオランダと独立戦争を戦って独立を勝ち取ったという歴史です。民族も言語も宗教も何もかも多様です。インドネシア語は、オランダからインドネシアとして独立を果たそうという企画と共に共通語に制定されたマレー語の一方言です。

とりあえずここまで。
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この回答へのお礼

Mekuriya様、皆さま、回答有り難う御座います。
想像以上に回答が集まって、ビックリしました。インドネシアに縁のある方がこんなにいらして、何か嬉しい気がします。

なるほどなるほど、プロテスタントとカソリック、そういう動きの違いもあるのですね。

非常に興味深いです。

お礼日時:2012/07/29 20:00

関係ないですが、オランダに住んでいたとき、オランダの中華料理屋はインドネシア料理屋でもありました。

つまりインドネシア系の中国人がオランダにやってきて商売をしてたわけです。
他の方も書いていますが、オランダにとってアジアとはインドネシアのことで、日本とは江戸時代に貿易をやっていたなんてごく一部の人しか知りません。やはり植民地であったことはオランダ人にとっても誇りなんでしょうね。
ちなみにフランス、ベルギーの中華料理屋はほとんどベトナム系中国人がやっています。これもインドシナがかつてフランス領だった名残です。

反対にインドネシアでオランダをどう思っているかについては、私が現地で(といってもジャカルタだけですが)感じたのは、オランダの影響は全くないなと言うことでした。
他の人が書いているように、確かにインドシナ(フランス)、マレーシア等(イギリス)、フィリピン(スペイン)とオランダの植民地統治の方法が異なっていたからだと思います。オランダは小さな国で植民地に大量に人を置くことなどできなかったでしょう。宗教的な目的もないので、文明化する必要も感じなかったのでしょう。

ある意味、単なる島の集まりだったところを1つの国家にまとめてくれた功績の方が評価されているかも知れません。実際にそういっている人は聞いたことがありませんが。

むしろ、第2次世界大戦でインドネシアではオランダと日本が戦ったので、オランダは日本に対し今でも敵意を持っている人がいます。反対にインドネシア人は日本に対し愛着をもったようです。
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この回答へのお礼

Harry721さん、ありがとうございます。

いろいろと興味深いお話、ありがとうございます。
直接インドネシア人から知るもの大事ですが、
こうしていろんな方のお話を聞くことで、いろいろな面から知ることも大事だと感じます。

そうですね、オランダはどちらかというと反日・・・。
大使館レベルでも、とんでもない歴史認識を持っている人もいたり(滝汗)。


インドネシアに興味を持ったきっかけはもともとあまり関係なく、「世界経済」の同行に興味を持って調べているときでした。
国の発展を妨げている要因の多くが「一つの国」としてまとまることが無いことが、多くの国での阻害要因になっているなあ・・・などと感じていました。
植民地支配の功罪はそれはそれとして把握する一方で、「ひとつの」にまとまるきっかけでもあった、という側面での評価も、やはりい大切だと感じます。


少なくとも、K国の人たちみたいに、変えられない過去をいつまでもうじうじ言っているよりは、インドネシアには明るい未来があると応援しています。

お礼日時:2012/07/29 21:19

ANo.4再



ANo.4の文中に誤記がありましたので訂正します。

誤:「スバラヤ大学」
正:「スラバヤ大学」

*「スバラヤ」と言うと「スバラヤ アルアクバル モスク 」になってしまいます。このモスクもスラバヤにあるのですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2012/07/29 20:36

インドネシア国家原理の基礎は、オランダ法学によって形成されています。


見たり聞いたりする範囲では影響が残っていないように思えますが、根本的なところに絶大な影響が残されているのです。

>インドネシア人に対して、オランダ時代のことはどう思っているのか/話しても大丈夫なのかな、ふっと疑問に思いました。

大丈夫です。オランダとの確執はまったくありません。

 私が最初にインドネシアへ渡ったのは1967年、スカルノからスハルト政権へ革命的変換が行なわれた直後にスバラヤ大学(政権交代に大きな影響を与えた大学)を訪れたのですが、当時はオランダ語を使っている人は沢山いました。面白いところでは、鶏卵の価格がバカ高いので理由を聞いたら、オランダの支配下にあるからだと言っていました。
 その後、インドネシア語、英語の強化策がとられ、オランダの陰は薄くなってきましたが、70歳代以上の人に話を聞けば、また、違った答えが返ってくると思いますよ。 

>小さなステップからでもいいから、日本人としてインドネシアを知っていく努力をしたいと思いますが!

それならば、「アダット(adat)」を勉強してください。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

アダットですね、今度聞いてみます。


1967年、転換期にいらっしゃったのですね、非常に興味深いです。

私はリアルタイムで、インドネシアの時代の流れを体験しておりませんが、独立戦争後も、いろいろ紆余曲折あって今のインドネシアがるのだと想像は出来ます。
「内需主導型経済と中間層の拡大」「インドネシア国内の車の販売台数がタイを超えた」などという現代のニュースを聞くと、
羽ばたき始めているのかな、という想像が出来ます。

お礼日時:2012/07/29 20:36

あると思いますよ。

現に私の友達のインドネシア人は、オランダというより
欧州旧宗主国全般を毛嫌いしていますし。
「何で日本は第二次大戦で原爆まで落とされたのに、米英あたりに嫌悪感が無いの?」
と聞かれたことがあります。

ジャカルタの旧市街?はオランダ統治時代のバタヴィアですし、
インドネシア言うカリマンタン島、マレーシア言うボルネオ島は、
オランダと英国が勝手に引いた国境線をそのまま今も引き継いでます。

オランダ統治時代の話を話してもOKだと思いますが、歴史を知っておくことが前提だと思います。
インドネシアの広大な領土は、単にオランダが植民地として支配していた
という以外はほぼ共通項がありません。

歴史的には、インドとの海上交易で有名なシュリーヴィジャヤはスマトラ島(とマレー半島)
ボロブドゥールを作ったシャイレーンドラ朝、最後のヒンドゥー王朝マジャパヒト王国
ほぼジャワ島だけですし。

日本も一時植民地化しましたが、台湾程ではないにしろ、
オランダよりはずっとましという評価みたいですよ。
(友達のご両親が対日貿易で生業を立てているので、日本びいきなのはあると思います)

ジャワ人である友達曰く、国内のほかの人種(例えばイスラムではないバリの人)とは、
あまり連帯意識は無いみたいですよ。なので、話す場合は「インドネシア」という国の
どこに住む何族か、という観点が必要な気がします。
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この回答へのお礼

Fuwafuwa様、ありがとうございます!

なるほど、
歴史や過程、民族も違う無数の島から構成されているのが、現在のインドネシアですものね。
どうも日本人は「一つの国・ひとつの民族・ひとつの階層」みたいに捉えてしまいがちですが、“ひとつの~の国”という概念は、実際には世界にあまりないですものね。

私は、基本的に相手の判断に任せるほうです。
相手が話したいことをはなさせるというか。

自己紹介では「私はタイ人です!」というタイ人も、奥に入れば、クメール系だの潮州だのラオス系だの、多民族国家と言われるタイでも人種や民族を意識して暮らしています。

自分から「イサーン人?」というはなしかけ方はしないように、
相手の話したいことに沿って話していこうと思います。

お礼日時:2012/07/29 20:15

アジアの国同士での過去はタブーであったり状況を選ばないといけなかったりするのですが、アジアとヨーロッパの国の場合は結構ざっくばらんに聞いて大丈夫だと思います。

どう考えても屈辱としか言いようの無い過去を抱えた関係の国でも現在は非常に好感度の高いケースが多いです。理由の一つには移民もあるかもしれません。オランダ人にとって「アジア」といってまず頭に浮かぶのはダントツでインドネシアです。インドネシア人にとってもGoWestといえばまずオランダが頭に浮かぶ人は多いと感じます。それだけ人や文化の行き来、そして経済の結びつきがあるからでしょう。カタコトのオランダ語を話せる人にも時折会いますよ。たぶん親戚などがオランダにいるのでしょう。富裕層や特権階級の人の中にはペラペラな人もいるみたいです。

というわけで、本人たちにガンガン聞いて大丈夫だと思います。オランダのインドネシアへの影響を日本人に聞いてもあまりあれですからね。
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この回答へのお礼

早速の回答、ありがとうございました。

なるほど、なるほど、そうですか。

個人的な印象ですが、
英語が共通語とかになっているので知り会う機会も圧倒的に高いのはフィリピン人ですが、どうも何か劣等感というか、当たりがザラッとしている気がします。「足場の弱さ」のようなものが感じられます。コリアンなどにも感じる、強い劣等意識を押しつけられるような気がして。

一方インドネシア人の方が話せるポイントも多く、ゆとりを持って話せるような印象があります。


もちろん同じ状況下ではないし、単純に国と国とを比較してはいけないとわかりつつも、ここまで人は違ったりするのか、とか感じたりします。

若い時のアメリカ留学時は、出身国ごとの違いなどあまり気にはなりませんでしたが、私も歳を取って(相手を受け入れる)適応能力が落ちたせいもあるのでしょう、違いのほうがむしろ気になってしまったりします。

お礼日時:2012/07/29 20:08

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