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高校1年 古典 現代語訳をお願いします

・まろをだに”思さむ”とあらば、

・あやしく”思しめして”

・弟の王はその呉床にいますと”おもほし”

・昔の御心ざしのやうに”思ほさば”、

・”取りに入りおはしましける”

”●●●” ”内の部分の訳をお願いします

.

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A 回答 (2件)

「む」は前後の文脈によって意味が全く変わる助動詞。

この部分だけで解釈するのは困難。
あとは「おぼす」「おぼしめす」「おもほす」「おはします」を辞書で調べれば訳が載っている。「ける」はたぶん過去。

それと、解答がついたらお礼を書くのがマナー。
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出典、出自を明らかにしないと、詰まりその前後も無いと回答付かないと思うよ。

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Q高校1年 古典 確認のため答えを教えてください

高校1年 古典 確認のため答えを教えてください

<1>九月二十日のころ、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありくこと侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて”入りたまひぬ。”


【(1)】語の補助動詞「たまひ」は、書き手から動作主である【(2)】に対する敬意の表現である。


<2>かぐや姫、「もの知らぬことなのたまひそ。」とて、いみじく静かに、公に御文”承りたまふ。”


【(1)】の補助動詞「たまふ」は、【(3)】から動作主である【(4)】に対する敬意の表現である




(1)謙譲
(2)たまふ
(3)丁寧語
(4)たまひ

だと思うんですけどあってますか?

”入りたまひぬ。”と”承りたまふ。”
の意味も教えてください

Aベストアンサー

<1>(1)尊敬(2)ある人

「~たまふ(給ふ)」は尊敬語です。
「入りたまひぬ」は動詞「入る」+尊敬の補助動詞「たまふ」+完了の助動詞「ぬ」
「お入りになった」「入りなさった」という意味になります。

動作主とは「動作をしている主体」です。
簡単に言うと「誰がその動作をしているのか?」
「入りたまひぬ」の場合だと「入ったのは誰か?」ということです。
この文章の書き手は「ある人」に誘われて夜の散歩に出かけているわけです。
登場人物は書き手と「ある人」しかいません。
書き手本人が入ったのであれば敬語表現にはならないので、入ったのは(敬意の対象は)「ある人」ということになります。


<2>(3)書き手(4)かぐや姫

まず「承りたまふ」で間違いありませんか?
「奉りたまふ」ではありませんか?
「奉る(たてまつる)」は「献上する」「差し上げる」という意味の謙譲語です。
「公」というのは朝廷(帝)、「御文」というのは手紙です。
地の文(セリフや手紙の内容などを除いた、本文の部分)で使われている敬語表現は、書き手からの敬意を表します。
尊敬語は書き手から動作の主体、謙譲語は書き手から動作の客体への敬意です。
主体・客体というと意味が分かりにくいかと思いますが、主体は「する人」客体は「される人」と考えてもらえばいいです。
例えば「かぐや姫が帝に手紙を送る」という場合、主体は手紙を出したかぐや姫、客体は手紙をもらった帝です。
「奉りたまふ」は「奉り」が書き手から公へ、「たまふ」が書き手からかぐや姫への敬意を表しています。
「差し上げなさる」という意味になります。

<1>(1)尊敬(2)ある人

「~たまふ(給ふ)」は尊敬語です。
「入りたまひぬ」は動詞「入る」+尊敬の補助動詞「たまふ」+完了の助動詞「ぬ」
「お入りになった」「入りなさった」という意味になります。

動作主とは「動作をしている主体」です。
簡単に言うと「誰がその動作をしているのか?」
「入りたまひぬ」の場合だと「入ったのは誰か?」ということです。
この文章の書き手は「ある人」に誘われて夜の散歩に出かけているわけです。
登場人物は書き手と「ある人」しかいません。
書き手本人が入ったのであ...続きを読む

QWould you like~?とWould you~?の違いは

相手に何かをお願いするときに、
Would you like~?
Would you~?
と両方の言い方があると思うのですが、likeをつけるかつけないかはどのように判断するのでしょうか?
また意味はどう変わるのでしょうか?

Aベストアンサー

Would you~?「~していただけませんか?」は丁寧な依頼表現、Would you like~?「~は如何ですか?」は丁寧な勧誘表現です。

依頼表現で使われるwouldやcouldは、「条件節(if節)の内容を言外に含めた婉曲用法」なのです。つまり、「(もし~できるのであれば)~していただけるでしょうか」と丁寧で控え目な調子を出すことができます。Will you~?やCan you~?はただの助動詞の勧誘表現ですから、wouldやcouldのような婉曲用法はないのです。

Would you like~も同じ婉曲用法で、「(もし私が~を勧めたら)~をお気に召すでしょうか?」という丁寧で控え目な調子の出る勧誘表現なのです。I would like to~「~したい」(~することをできればしたい)という表現もこの用法からきているのです。

Would you like~のlikeは「~を好きである」という他動詞でlikeの後に名詞を目的語として持って来ることができます。例:
Would you like another cup of tea?「もう一杯紅茶如何ですか?」
Would you like going on a picnic?「ピクニックに出かけるというのは如何でしょう?」
Would you like to go on a picnic?「同上」(このto不定詞は名詞的用法)

ご参考になりましたでしょうか。

Would you~?「~していただけませんか?」は丁寧な依頼表現、Would you like~?「~は如何ですか?」は丁寧な勧誘表現です。

依頼表現で使われるwouldやcouldは、「条件節(if節)の内容を言外に含めた婉曲用法」なのです。つまり、「(もし~できるのであれば)~していただけるでしょうか」と丁寧で控え目な調子を出すことができます。Will you~?やCan you~?はただの助動詞の勧誘表現ですから、wouldやcouldのような婉曲用法はないのです。

Would you like~も同じ婉曲用法で、「(もし私が~を勧め...続きを読む

Q書き下し文を教えてください。

故事 両頭の蛇(蒙求)の書き下し文を、教えていただけませんか?
お願いします。

Aベストアンサー

 孫叔敖、嬰児たりしとき、出遊して還り、憂えて食らわず。その母、その故を問ふ。泣きてこたえて曰く、「今日吾、両頭の蛇を見たリ。恐らくは去死すること、日無からん」と。母曰く、「今、蛇いずくに在る」と「吾、両頭の蛇を見るものは死すと聞き、吾、他人のまた見るを恐れ、吾、すでにこれを埋めたり。」と。母曰く、「憂ふるなかれ、汝、死せず。吾、これを聞く。陰徳あるものには、天、報ゆるに福をもってす」と。人、これを聞き、皆、その仁たるを諭(たとゆ)るなリ。令尹となるに及び、いまだ治めずして国人これを信ず。

参考URL:http://www.hum.ibaraki.ac.jp/kano/peper/8.htm

Q原核生物と真核生物の違い

原核生物と、真核生物の違いについて教えてください(><)
また、ウイルスはどちらかも教えていただけると嬉しいです!

Aベストアンサー

【原核生物】
核膜が無い(構造的に区別出来る核を持たない)細胞(これを原核細胞という)から成る生物で、細菌類や藍藻類がこれに属する。

【真核生物】
核膜で囲まれた明確な核を持つ細胞(これを真核細胞という)から成り、細胞分裂の時に染色体構造を生じる生物。細菌類・藍藻類以外の全ての生物。

【ウイルス】
濾過性病原体の総称。独自のDNA又はRNAを持っているが、普通ウイルスは細胞内だけで増殖可能であり、ウイルス単独では増殖出来ない。



要は、核膜が有れば真核生物、無ければ原核生物という事になります。

ウイルスはそもそも細胞でなく、従って生物でもありませんので、原核生物・真核生物の何れにも属しません(一部の学者は生物だと主張しているそうですが、細胞説の定義に反する存在なので、まだまだ議論の余地は有る様です)。



こんなんで良かったでしょうか?

Q古文「おぼさる」の「る」の識別について

 手持ちの古語辞典(学研全訳古語辞典)によると、「おぼさる」の「る」は、中古では大半が自発の意味で使われている、とあります。
 そして、「おぼさる」の「る」が尊敬の意味に使われている場合の例として、「いみじうゆかしくおぼされければ」(更級日記)が挙げられています。
 しかし、更級日記は中古の作品であり、この文例の場合も自発と解釈して問題はないように思われます。
 どのような理由で更級日記の該当の箇所の「る」は尊敬と解釈されるのでしょうか?
 古文に詳しい方、教えてください!
 

Aベストアンサー

直柄の瓢ってどんな物なんだろう、どんなふうに靡いているのかしらと、甚だしくも見たい知りたいと思いつのられる帝の姫宮は、御簾を持ち上げて、「そこの男よ、こちらに参りなさい」と「召しければ」…

この「思さる」は、「ゆかしく」という「行く」の形容詞化した語として、その対象を具体的に自発的に見たい知りたいという情意動詞に下接しているのですから、つまり強く自発性を発揮している構文中にあるのですから、なにより自発性用法であることは間違いありません。

この文章において、姫宮自身に「いみじうゆかしく」思い募る自発性が表現されていなければ、その後の七日七夜背負われての駆け落ち沙汰は説得力に乏しいものになるのですから。

その直後の、火焚屋の衛士に「こち寄れ」と「召しければ」の用法を見ても、「なされ」などの敬語のない平体表現に近く、それとのバランスからしてもその直前の「おぼされ」の敬語用法が平体表現に近くともバランスは崩れていないでしょう。

この箇所の主眼は、なにより深層の姫宮が実に<はしたなくも>、辺鄙な武蔵の国の俗習ごときに憧れて、いな東男の凛々しさに一目惚れして、駆け落ち出奔に至る記述にこそあるのですから、変に高レベルの敬語で記述されては如何にも白々しくなりましょう。

この件の話し手やそれを聞いて記している作者自身において、この「竹芝寺縁起」に浸りこんだかと思わせるほど熱心なだけに、ここで姫宮の意志の凄さに驚き憧れているが故に、このような平体に近い記述の中で、むしろこの姫宮に対する思い入れ故に敬意がそこはかとなく滲み出て来ている──その意味で、この「いみじうゆかしくおぼされければ」はまた、「おぼす」よりも自発的な記述であればこそ、遠くの距離をおいての記述としての敬意もまた高いと見るべきでしょう。

#6さんが紹介されている「全訳読解古語辞典」の引用、「ただし尊敬と自発は識別が微妙で、尊敬の例を自発と解することもできる」はもっともな指摘でしょうが、大切なの何より「自発」こそが基本だという点であり、あとはその文脈や文章全体の基調に添うことだと思われます。

直柄の瓢ってどんな物なんだろう、どんなふうに靡いているのかしらと、甚だしくも見たい知りたいと思いつのられる帝の姫宮は、御簾を持ち上げて、「そこの男よ、こちらに参りなさい」と「召しければ」…

この「思さる」は、「ゆかしく」という「行く」の形容詞化した語として、その対象を具体的に自発的に見たい知りたいという情意動詞に下接しているのですから、つまり強く自発性を発揮している構文中にあるのですから、なにより自発性用法であることは間違いありません。

この文章において、姫宮自身に「いみじ...続きを読む


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