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東西に海外旅行すると時差を強く感じますが、なぜ時差が必要なのでしょうか?

例えば、UTCが22時、日本では7時。朝です。

しかし、始めから、22時を朝と考えていれば、それで良い気がします。

また、全世界見ても、現地時間の7時は朝というイメージです。

時差を気にせず、UTCで例えば、22時を朝のイメージに感じるような国や地域はないのでしょうか?

なぜ、これほど、どこの国(反欧米的な国すら)もが示し合わせたように、7時は朝になっているのか不思議で仕方がありません。

A 回答 (17件中1~10件)

#10です。


お礼ありがとうございます。ほいじゃ補足です。

近代以降現代までのUTCはいいとして
>かし、太陽が南中の時を12時とする国ばかりです。例えば、華氏を体感温度にしたように、正午を12時のような中途半端な数にせず、朝を1時とした国はなかったのでしょうかね?

という点についていえば「日本がそうでした」ということでどうでしょうか。近代以前の日本の時間は午前6等分午後6等分で不定時法(日出日没の変化で変わる)でしたので、深夜から数えて第四時間が大体朝の6時から8時までに該当しました。ちなみに深夜の金が9つ(暁9つ)で第四時間(卯時)が明6つでしたので、時間のイメージとしては現代とかなり違うと思います。

これは中国式の暦から来ていますので、アジアはだいたい似たような感じだったはずです。

またイスラム教徒は1日5回の礼拝を行います。彼らの時間軸では60進法による時間分割はあくまでも目安であり、早朝の礼拝に始まり夜の礼拝までが1日の区切りといえるでしょう。

ああ、調べてみたら面白ことが分かりました。ギリシャ正教の聖地であるアトス山には修道士たちの自治区があり、そこでは日没を0時とする時間体系を今でも維持しているようです。
村上春樹のエッセイ「雨天炎天」でアトスの修道士が「あなた方の朝7時が私たちには朝2時なのです」と言って丑三つ時に礼拝を行っている描写があったのですが、そういうことのようです。


ただ、逆に「時間」という感覚については、人類は共通の認識のほうが大きいような気がします。
たとえば、どの地域でも60進法や12進法などの6の倍数や3の倍数を利用して区切っている、のが普通ですし、やはり正午はどの地域でも日中の中間点と捉えられています。

フランス革命以後の10進時法や中国の100分時法などもありますが、現代も古代も3で割ることが可能な時間帯系のほうが多いようですし、結局、正午(太陽が一番高いところ)で時間を計り始めないと、現代ならいざ知らず昔は継続的に時間を計ることができなかったというのはかなり大きな意味合いをもつのではないでしょうか。

つまるところ、正午を計り始めの時間にして3分割で時間を区切ると、結局7時ぐらい(明け6つ)ぐらいが「朝」ということになるのでしょう。

また近代以前のことを考えると「時間」という概念がどこまでだったか、ということも考える必要があると思います。

西洋と東アジアはむしろ例外的に時間を病的なところまで管理しようとしましたが、それ以外の地域の昔は「朝・昼・夜」という区切りだけでよかったのではないでしょうか。そこに西洋の植民地支配が来て、時間と時計をセットで置いていったのですから、現在の反米勢力の以前にすでに根付いてしまっているといえるでしょう。

また確かに英国だけでは全世界を網羅できませんでしたが、西洋列強はある程度協力しながら全世界を植民地化したのですから(日本やタイなどごく一部の独立国以外はほぼ植民地)西洋列強の力の源泉である航海術の運用は全世界に広がったのだと思います。

まあ今で言えばどの国でもアメリカのGPSを使って位置情報を取得するようなものでしょう。反米勢力でもガーミンのポータブルGPSを使ってゲリラ戦をしているようですから・・

とりあえず、現代でもアトスのような場所ではUTCの取り方とは別の時間軸があるようですが、結局24分法です。
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あの…朝と22時としてしまったら、その国では、太陽が登ってしばらくすれば、日付が変わるということになるんですが。



周りのことは気にせず、どの国でも、南中(あるいは北中)の時間を正午と規定した。世界を見渡して見れば、A国の正午とB国の正午は違う。その誤差を正すため、時差というものが考え出された、ということです。

前にも書きましたが、時差を作らないために、22時を朝とする国を作るということは、一つの国の時刻を基にするということなので、公平ではありません。
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7時が朝でなく22時が朝,というのには慣れることもできると思いますが(数字の問題だから),日中に日付が変わる地域になったら不便でしかたがないと思います。

就業時間や授業の途中で日付が変わったりしますし,営業日や定休日の表示も複雑になります。

現在のように地域的時差がある方がまだ楽ということなのでしょう。
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 納得されていないようなので再回答します。



 一日の始まりは0時つまり24時と0時は同じじゃないってことですが。。。。

 それを基本にして(昔はグリニッジ天文台が基準時間でしたが)
 さまざまな人が航海の為とありますが、
 農耕においても、日常の生活においても、時間の区切りはある程度必要でしょう。
 時差は必要なものではなく便宜上時差として換算しているってことなんですけど。。。。
 どうしても納得いかないみたいですね。

 12分割については諸説ありますが、キリストの弟子が12だったとか
 創世記の七日から導き出したとか
 干支も12です。
 月数も12です。
 

 10進法じゃないのはPCも同じですよね。

 私が唯一わからないのは「朝を7時」とあなた自身が固執していることです。

 一日の始まりは0時と誰もが認めています。

 人によって一日の始まりの時間を何時に設定しようと構わないのではないですか?

 それによって仕事をしている人もいるわけですから。海外とのトレーダーなんかそうですよね?

 それで考えると、向こうの寝ている時間にこっちが始業時間だからと電話したら迷惑ですよね?

 グローバルな時代ですから、もう少し柔軟に考えてみたらどうでしょう。

 すでに時差を計算し取り入れ24時間で動いています。
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世界で初の固定型の時計は知ってますか?



前回回答しましたが理解できないみたいなんで。

日時計です。

これは日光の当たる角度で時間が解るというものです。

この後の段階で機械式の時計が生まれたといっていいでしょう。

絶対に夜中に朝がくるなんてことはなく。

朝は太陽がのぼってからということです。

これは世界共通です。

この日の上がる時間に差があるために時差が存在します。

地球の自転が止まれば時差はありませんが。

そのかわり昼ばかりのとこと夜ばかりのとこが出来てしまいますが。
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時計という機械・技術の伝達と、朝になるタイミングが違う地域同士が同時にコミュニケーションを取る(取れる)機械・技術の伝達に「時差」があったから。



一日の始まりをどう定義するか?というのはそれぞれの文化によって違います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%88%BB

バビロニア人やエジプト人は日の出、アラブ人やユダヤ人は日の入を一日の始まりとしていた。
、19世紀頃までは洋上の帆船などで正午を一日の始まりにしていた事もある。

今でもユダヤ人の安息日は金曜日の日の入りから始まります。現在の暦での金曜日の日の入りから安息日である土曜日が始まっているかです。

一方でUTCが始まったのが
1834年 イギリス航海暦改定
1840年 グリニッジ本初子午線に制定
1884年 世界日を使いましょうというワシントン会議
以上は 航海技術の歴史物語 飯島幸人(東京商船大学名誉教授著)から
1866年 大西洋海底ケーブル
1902年 世界通信網完成

戦国時代にはすでに日本に西洋式の時計が到来していたり、19世紀末には世界がヨーロッパ人によってほぼ植民地化された。
つまり深夜に0時にして12時間あるいは24時間で一日を進行させる時計と生活習慣をもった連中が各地で生活していました。
そして、通信はそれほど進んでいなかったので、同時刻を認識する必要はなかった。


東京時間で7時を朝と覚えることと
標準時で16時を朝と覚えること

これの苦労に大差はない、それまで
朝5つ辰の刻8時ごろ
朝4つ巳の刻10時ごろ
とか言っていたわけですから

その傍証として、中国には時差はありません。
1949年の中華人民共和国成立以前は、中国西方では、ヒジュラ暦が使われていたはずです。
日の入りから一日が始まる暦から、深夜に一日が始まる暦を使わせるようになった時に、朝が5時だろうが10時だろうが関係ない話ですから
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漫談です。



時計、携行できるゼンマイ時計を開発、実用化したのは欧米人ですが、これは回答があったように航海に必要であったからです。六分儀で自分の位置を割り出すために、特に重要でした。

で、オランダも一時世界の海で覇権を握りますが、エラスムスはアムステルダム時間が「正しい」と主張して、彼の時計はアムステルダム時刻になっていたそうです。また、欧米のアンティーク時計では、ある地点の時刻をあわせると、各植民地の時刻も同時にあらわす、文字盤・ダイヤルが複数あるものもありました。

あと、ソ連/ロシアの原子力潜水艦は、例えウラジオストックから出動する艦でも、艦内時間はモスクワ標準時です。鉄道もそうです。なので、反欧米の王様、ソ連は、一部で申し合わせたようにモスクワ標準時つかっていたわけですね。

ますます脱線ですが、テレビの創世記、ビデオというシステムが開発され、まず普及したのがアメリカでした。理由は、国内に時差があるので、キー局がニューヨークの人気番組を西海岸でも放映するためです。

われわれ日本人は7時が朝で、みな眠いが出動、という感覚があたりまえですが、いまここは×時だから、あっちは何時だ、という発想は、あるところにはあるもののようです。
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時差のある理由(7時はなぜ朝なのですか?)



ずばりお答えします。それは「航海するのに必要だったから」です。

そもそも地球が丸いという事実が知られたのは16世紀のコロンブスの時代です。しかもこの頃はまだ新大陸(アメリカ大陸)は発見されていないので、地球が丸いと分かっていてもどのくらいの大きさなのか、というのははっきりしていませんでした。

そのため、当時の航海は陸地を見ながらするのが常識だったのです(だからこそ、なにもない方向に向かって進んだコロンブスは偉いわけです)

その後、コロンブスやマゼランなどの冒険航海のおかげで東西どちらの方向に行っても新大陸に到着することが分かり、18世紀頃には地球の直径がほぼ確定します。このあたりで地球地理に関する知識がかなり発展したのです。

地球の大きさの確定と大陸の位置がほぼ確定したことにより、航海術が発達しました。地図が出来たことやそこに緯度と経度を示すこと、六分儀と時計で現在の場所を特定できるようになったからです。
これによって、陸地によらないでも喜望峰からインド洋を一気に突っ走って、モルッカ海峡あたりまでやってくることが出来るようになったのです。

とはいえ、時計もそれほど正確ではありませんでしたし、なによりも食料を保存することが難しい時代でしたので、必要に応じてどこかの港に寄って補給することになります。

このときに、時計を正確に合わせなおすことによって、より安全に航海が出来るようになります。

このために西洋時計の1日である24時間に合わせて、地球を15度ずつ区切り、時差を設けて正午を確定することで、天測による緯度経度の割り出しを容易にしたのです。

たとえば太平洋を日本からアメリカに向かって進む場合を考えると
日本の標準時は東経135で東京は東経139度北緯35度です。アメリカのロスアンジェルスとサンフランシスコ真ん中ぐらいが同じ北緯35度で西経120度になります。

東経135度西経120度では105度の差があって時差に直すとちょうど7時間になります。
航海を始めるにはまず進路をコンパスで真東にとって進めばいいのですが、どうやってもずれがでてきます。そこで太陽が一番高くなる時間を狙って太陽の高さとそのときの時間を計るのです。

正午のときの太陽の高さが55度程度あれば北緯35度です(本当は地軸の傾きと季節による黄道面の変化があるので違います)そして、太陽が日本で合わせた時計よりも1時間早く真南に来るなら日本からちょうど15度東に進んだことになります。

このようにして、北緯を一定に保ちながら、日本時間に対して7時間正午の時間が早くなった頃にアメリカ大陸が見えてくるわけです。

これが分かっていれば、たとえばハワイによることも可能になります。ハワイのオハフ島は北緯21度西経157度ですから北緯21度に取り直して東に進めば157度のあたりでハワイ到着できるわけです。ただ、ハワイのように小さな島ではもっと厳密に緯度経度を天測して島を見つける必要があります。

そしてハワイなりアメリカ大陸なりに到着したら、現地の正午と時計を合わせなおすことで、航海のずれを修正したり、または新しい島を発見したときの緯度経度を修正したりできるわけです。

これらのことをするには「正午=0時」とするのが一番便利なわけで、日中活動して夜は眠る人間の活動サイクルにも合っているので、各地域ごとに正午を定めて、時差ができているのです。

たしかに、現代では世界中がひとつになっているのでグリニッジを基準にすれば日本の朝7時を22時にしてもそれほど問題はないでしょう。
しかし現在のグリニッジを標準にした時差も、イギリスが世界中の植民地をひとつに纏めるために編み出した方法ですので、案外これでいいのかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
確かに、イギリスや航海の時代を考えるとありえそうですが、幾ら強大な国でも、全ての国や部族、地域が、イギリスの植民地になったわけでもありませんし、植民地時代に変えられた場合、昔ながらの考えに戻ろうという運動もあるように思います。
しかし、太陽が南中の時を12時とする国ばかりです。例えば、華氏を体感温度にしたように、正午を12時のような中途半端な数にせず、朝を1時とした国はなかったのでしょうかね?
温度など未だに統一されていませんし・・・
この辺りに疑問を持っています。

そう言えば、イギリスの支配下かどうか分かりませんが、航空機や宇宙船、パソコンの中ではUTCが標準ですね。

お礼日時:2012/07/31 22:42

>始めから、22時を朝と考えていれば、それで良い気がします。



これでは正午の時刻が狂ってしまいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8D%88

これは太陽時からきており、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD% …

グリニッジ標準時もこれに倣います。(平均太陽時)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA% …
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
例えば、体感温度を基準にした華氏があるように、100度(F)はちょっと暑い日みたいなイメージ。
時間も、正午を12時とせず、もっと人が体感しやすいように、朝起きる時間あたりを1時と考えた国や地域は一つたりとも無いのでしょうかね?

お礼日時:2012/07/31 22:30

既出の回答者が概念上の朝について、まったく主観的考察だけでしか思慮できていないことは、このサイトのレベルであることについては、質問者が考える話であるので、仔細述べない



根本的に、7時を朝としない国は存在する
極圏に近い地域では、いわゆる一日中昼間という気候現象がある(白夜)
その逆で一日中、薄暗い状況の気候現象がある(極夜)

このような気候現象が存在する国では、朝という概念は存在していない
同時に、山岳部に居住する民族にとっては、PM7時は朝たりえない

質問は、「標準時間概念<協定世界時間>(UTC)で万国共通させればええじゃん」という話だが
方法論としてはそれはアリであろう
しかし、それを拒絶する理由がある
それは、そもそも24時間概念の時間標準が万国共通ではないことにある
逆に言えば、12進法の国だけで統一すれば良いのでは?といえば、アリだろう

ちなみに、朝という概念は、太陽が地上から顔を出して天頂に至るまでの時間・・というのが標準的だが、例えばイスラムは、朝一の礼拝が終われば、もう朝とは言わない
宗教的概念から朝の概念は多々指摘できるので、一概に、朝という概念が共通するものとは思うべきではないのである
むしろ、人は、気候現象によってリズムを形成する存在である
したがって、7時が朝ではなく、太陽を基本にして朝という概念を捉えるのが現実であろう

したがって、UTC・GTC上の概念で朝を論じることは不確実かつ非現実的と言えるだろう

以上

この回答への補足

朝の概念のお話ありがとうございます。様々な考え方捉え方があり面白かったです。

補足日時:2012/07/31 22:06
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

>質問は、「標準時間概念<協定世界時間>(UTC)で万国共通させればええじゃん」
確かに、将来的にはそうなったら楽なのにとちょっと思ったりしていますが、とりあえず、UTCでは嫌という国はありそうですので、とりあえず、もっと昔からもう少し、自然な時間に設定できなかったのかと思っています。
また、回答を見ていると、正午を12時としたという話があり、ここから、

なぜ、人の時間、例えば人が目を覚ませる辺りの時間(朝)やイスラムであれば礼拝のリズムなどに合わせて、時間を、1時(0時)としなかったのかと思っています。
日本だと、朝が7時(異論はあると思いますが)を0時など起点としてはまずかったのでしょうかね?

華氏や摂氏の違いを見ていますと、特に強く感じます。
特に、誰が決めたわけでもないのに、南中辺りを12時と世界中で統一されすぎている気がしています。

お礼日時:2012/07/31 22:05

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