痔になりやすい生活習慣とは?

考え過ぎて寝れません。今日、姉、弟と父の今後の事で3人で会って話し合いをしました。
父は80才で一人で持ち家に住んでいます。
弟が結婚を機に同居の話も出たけど父が若かったので子供の世話にはなりたく無いと言い、
同居はしませんでした。最近、父は年のせいか気弱になりました。
息子家族と同居がしたいと言います。段々怖くなり、何かの祭には誰かが側にいると安心だと言い、
2所帯住宅に建て替えて息子家族と住みたいと言います。弟も納得した様ですけど父が頑固な性格なので弟嫁が耐えられるかと思い、悩んでいます。
父と弟とは話はしてる見たいですけど私と姉は嫁いでいるので実家に入る事は出来ないけど
弟の考えを聞こうと父を省いて兄弟で集まりました。
兄弟は養老院に入るのは賛成の物の父にその意志がないと無理です。弟の気持ちを聞くと
弟は大学生の子供がおり、後、一年で卒業だから卒業したら弟夫婦で実家に移っても良いと
言いました。弟の子供は父(お祖父ちゃん)とは一緒にやっていけないので一人残して弟夫婦だけ
移ると言いました。弟も持ち家なので子供は残して弟夫婦で実家に住む事を考えてる見たいです。
今日、はっきりと弟から実家に入る意志が有ると聞いたので私が実家に入って後を継ぐって事は
父が亡くなってからではなく、寝込んでも、しもの世話、介護をする事だよと言いました
すると弟が怒って「バカ」か>_<・・・当たり前だわ~遺産目当てだと思っとるのか~
死んだ後に入って遺産だけ貰うと思うか~
怒った事のない弟があんなに怒るとは私は弟が遺産目当てなんてこれっぽっちも思ってません。
昨日弟から電話が有りました。姉たちの考えを聞かせて欲しいと・・・
私達は答えが出てないと言いました。明日会って弟の考えを聞いて私達の考えも話をして
解決方法を出せば良いんじゃないのといいました。弟は昨日の電話では父と2所帯住宅に
建て替えて一緒に住んだらどうだ~見たいな~事を言われ最初は住む積もりだったけど
弟嫁も迷い弟も正直、自信が無いと言われました。そして私に実家に入る気は有るかと聞かれました。私もその時ヘッて思いました。弟の気持ちが固まってないと思ったのに今日は後を入る確信が
持てたので私がしもの世話まで出来るかと聞いたのに弟が怒って今から遺産の話をしてる
ようで私が家に帰っても弟は何であんなに怒るのと思い、体の中にわだかまりが残り。質問
させて貰いました。私が言いすぎたのでしょうか。後、嫁、私、姉の交代で実家の掃除、父の
お世話をしようと話をしました。父、母が一人暮らし、介護の方はどのようにしていますか。
皆さんの考えを教えて下さい。

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A 回答 (5件)

家庭介護して6年目になります。

奇麗事でおわらないです。お金の事、遺産の事、兄弟で話し合うべきです。私の母89歳です。年々頑固になってきました、私の場合姉妹の姉です。一緒に住んでいます、今寝たきりです腰痛との戦いの日々です。弟さんは自信の親ですが一緒に暮らしていない時期が長い、お嫁さんが大変だと思います。いままでお互いが好きなように暮らしてきたんです、今更寂しいは親のかってだと思います。
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この回答へのお礼

PCの不具合により遅くなりました。同居となると大変ですよね。
本当にきれい事では済む話ではないですね。弟も悪気が有る訳では
ないので話し合いで取りあえず先の事より、今、元気な内に兄弟
交代で掃除、面倒を見る事にしました。

お礼日時:2012/08/11 16:42

遺産目当てと言うほど


お金に余裕があるならば
綺麗な施設に入ってもらい安全に 暮らしてもらうのが 安心だと思います。

私にも 両親がいて 父は施設に 母は ヘルパーさんと私で どうにか賄えてますが
母が 全く動けなくなったら 施設を考えてます。
今から 全く 一人置いて
出掛ける事も できなくなりますよ。
親は 長男をあてにしますけど
実際役にたつのは
娘だったりします。
弟さんが 長男としての意識があるなら

施設に入所しても
色んな用事がありますから
長男に任せるって事も
意識的には いいことだと思います。
お金も 任せるとか。

知り合いの長男さんも
お嫁さんでなく 自分が行ってたようです。

皆でといっても 結局誰かが代表になったり
誰かが親身になったりと
皆で介護なんて 負担は平等ではないと思います。
長くなれば 生活状況により 誰かが 負担するようになり 兄弟仲も 悪くなったりします。

長く一人で生活してきた親は 結構 我儘ですよ。。
うちも 両親 お互い 一人で いいように生活してきたし
とても とっても 二人とも我儘ですね。
ストレスマックスです(笑)
友達も 今 母親を引き取るかって 悩む状況にいますが 無理といってます。
姉さんは 持病があるから 元から 拒否だそうです。
上手く付き合って行くには どこかで 冷たい部分も必要になってきますよね。
結婚していたら 相手がいますからね

旅行にいってても 具合が悪いと連絡されたら、即帰るって事も ありますよ。
私たち 夫婦は いつもです…仕方ないって分かってても
兄弟にも いらいらしてきます。
それぞれの状況で
考えるしか ないのでしょうけど…
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この回答へのお礼

PCの不具合で遅くなりました。
私達兄弟も実家を売って施設に入るのが一番良い事だと考えです。
でも、私達の一存では決めかねて無理です。
父が全く動けなくなる状態だと施設も可能だと思います。
話し合いで取りあえず先の事より今、元気な内に兄弟交代で
掃除、面倒を見る事にしました。

お礼日時:2012/08/11 19:22

親は実の子供が世話するのが良いです。

お嫁さんは避けましょう。もし家族と同居なら(二所帯住宅でもです)実の娘が第一候補です。そうは言っても下の世話が必要になれば家族だけでの世話は無理です。
その頃迄には判断力が下がり、とても一人では世話しきれません。交代でと言っても8時間交替で3人というとあなたと妹さんとお嫁さん迄加えても、毎日という事になります。とても出来ませんよ。介護のヘルパーやデイケアーなど交えてやっとでしょう。
本人が何を言っても何れ老人ホームに入れるしかありません。その経済を今から計算しておくことです。お父さんの自宅を売却したお金と後三人がいくらずつ毎月負担するか計算を立てて下さい。(早くて後10年間か永くて20年間の計画です)
今どれ位元気でも、これから10年どういうコースで状況が下がっていくか安心できません。2/3年ごとに状況が変わっていくのに、今から2所帯住宅建築など安定を前提とした長期計画は立てられません。危険です。
老人問題は経済が一番のネックです。家族だけでお世話するのは先ず不可能と思った方が良いです。
老人本人の意思は、家族の力量など無関係に、たとえば他人の世話はいらない(ヘルパーは入れるな)とか自宅から出ない(介護センターのデイケアーにも行かない)とか、一人では家にいられないから必ず子供の誰か家にいろ(買い物にも出られません)とか勝手な希望を押しつけてくるようになります。大事な親ではありますが、判断力は赤ちゃんに戻り段々正常な人間では無くなるのです。それを覚悟して最後の日まで送って上げましょう。
そのうちあなた方ご兄弟姉妹の連れ合いの方の親御さんも同じ問題に巻き込まれるでしょう。→そのうちあなた方の世代も危なくなりますよ。人ごとじゃないです。
年取ってからいきなり人生忙しくなります。良いか悪いか・・・。これが人生なんでしょうね。
先に逝った方が勝ちかもね。

喜寿の爺より
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この回答へのお礼

PCの不具合の為、遅くなりました。
自分の事を置き換えても自分の娘の世話になりたいですね。
話し合いで取りあえず先の事より今、元気な内に兄弟交代で
掃除、面倒を見る事にしました。

お礼日時:2012/08/11 19:08

お父さんの持ち家を売却して子供たちが、通いやすい場所にある



施設に入ってもらうのが一番です。

父親が嫌がるから、、、でなく、「はいって」もらうのです。

もし、弟さんに、同居してもらうのなら、貴女たちは、財産放棄をしましょう。

財産の放棄をしたから、、、といって、父親の事をすべて弟任せにするのでなく

(実家とどの位離れた場所に住んでおられるかどうかわかりませんが)

姉妹で、週に一度、交互に通って弟さんを助けてあげましょう。

介護のメインは、貴女たち姉弟であって、義妹さんは、あくまで

弟さんのサポートというたちばです。

後は、様々な制度を利用しましょう。
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この回答へのお礼

私達兄弟も自宅を売って施設に入って貰うのが一番だと思いました。
でも、父の一存が一番なので難しいです。
話し合いでは取りあえず先の事より今、元気な内に兄弟交代で
掃除、面倒を見る事にしました。

お礼日時:2012/08/11 16:53

とらえ方は人それぞれ、な部分があるので。



弟さんにとっては、怒る言葉だった、と言う事です。

家族とも話し合って出した答えが、そんな風に思われたのか?
と、とらえたのかもしれませんね。

後をどうするか?は、シッカリ話し合って下さい。

私の知り合いは、二世帯住宅にして、弟夫婦と舅さんが暮らしていますが。

今では、弟夫婦と舅さんの関係は最悪ですよ…。

どこまで介護するのか?
どのような状態になったら施設を利用するのか?
考える事はたくさんありますが、皆さんくれぐれも無理なさらないで下さいね。
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この回答へのお礼

PCの不具合により遅くなりました。弟も気の短い性格ではないので
私の言い方がそのように思ったかも知れませんね。同居となると
目に見えてきます。話し合いで取りあえず先の事より今、元気な内に
兄弟交代で掃除、面倒を見る事にしました。

お礼日時:2012/08/11 16:48

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Q母の死。父が心配です

3月中旬母が急逝しました。

私は結婚して実家から車で15分くらいの所に住んでいます
兄は海外で仕事しています

母が急逝したため、父は落ち込んでいます
亡くなってから、今現在も私と子供は実家に帰っています
旦那も仕事が終わると、私の実家に帰ってきます

もうすぐ49日です。
私は、自分の実家なので気にしていませんでしたが、
旦那がストレス感じているようです
当たり前ですよね。

もうそろそろ、自分たちの家に帰ろうかと考えてはいますが、
70歳近くになる父が心配です。
家の事は、亡くなった母が全てやっていたので、食事面など心配です

私はフルで働いているため、夜しかいませんが
父は体は元気ですが、精神的には弱っている今
出来れば一緒にいてあげたい
げど、旦那の事考えるとそろそろ帰ろうか・・。
いずれか、帰るのだから、49日がよい機会なのか
けど父が心配

一体どうすればいいでしょうか!?
乗り越えるにはどうしたらいいのかわかりません

アドバイス下さい

Aベストアンサー

  おはようございます。50代女です。
  この度、お母様の訃報、
  心よりご冥福をお祈り申しあげます。
  今誰よりも辛く悲しいのはお父様です。
  いつも一緒にいた大事な伴侶を失った
  悲痛さは解りません。
  娘として当然のこと、側にいてあげること。
  こういう場合は女の助けは必要ですから。 
  49日の法要が終わるまであなたが支えになって
  あげてください。
  ただ、”可哀想”では今度はあなたの家庭が大変です。
  旦那様のこともきちんと考えてあげないといけません。
  嫁ぎ先と実家も近いのだから、様子を見に来る事くらい
  にとどまらないとお互いがギクシャクしてしまいます。
  お父様も今は"抜け殻"状態かも知れませんが
  子供が思うほど親とは弱くないものです。
  何れはどちらかが先旅立つもの。
  人間、生まれてくればいつかは死ぬもの、
  これも運命です。
  最後を見届け責任を果たされた。
  りっぱな”夫婦愛”です。  
  こういう時はお子さん(お孫さん)を口実に時々、実家に
  連れて行ってあげて成長を共に喜びましょう。
  子供の笑顔が何よりです。
  私は14歳で母(47)と兄(25長男)を交通事故でなくしました。
  父は48歳、祖父78歳、
  このときの父の顔には"涙"はありませんでした。
  母をなくした哀れな娘(私)をどう育てようか
  必死でした。ましては年老いた父の世話もあります。
  普段、お酒も好きで晩酌は欠かさなかった父
  お酒に溺れることなく、仕事とに専念し家計を支えてくれました。
  あれから37年。昨年永眠(85)しました。
  大切な伴侶をなくしても再婚することなく
  自分の子供を第一に考え、教育し,独立させ
  親として子供を嫁がせ孫に囲まれ幸せに旅たちました。
  海外に移住されているお兄さんにも今後のことを相談され
  子供達が親孝行してあげて下さい。
  ”見守る”これも愛の形ですから。  
    
   
    

  おはようございます。50代女です。
  この度、お母様の訃報、
  心よりご冥福をお祈り申しあげます。
  今誰よりも辛く悲しいのはお父様です。
  いつも一緒にいた大事な伴侶を失った
  悲痛さは解りません。
  娘として当然のこと、側にいてあげること。
  こういう場合は女の助けは必要ですから。 
  49日の法要が終わるまであなたが支えになって
  あげてください。
  ただ、”可哀想”では今度はあなたの家庭が大変です。
  旦那様のこともきちんと考えてあげないといけません。
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Q高齢で一人暮らしの父についての相談です。

高齢で一人暮らしの父についての相談です。

父は、81歳要支援2の介護度です。子供は私と妹の二人で、二人とも車で1時間ぐらいの所に離れて住んでいます。二人とも仕事を持っています。
近頃、父の体力も衰え、足腰も弱くなり、目も悪くなり、また泌尿器科でも手術を受け調子も良くありません。
また、住んでいる所が大変不便な所で、車なしではどこにもいけません。

父も2年前ぐらいまでは、自分の車で買い物に出かけたりしていたのですが、今では、車にも乗れないので、何かにつけ不自由しています。
近くの病院にも父の弟に送って行ってもらったりしています。
私と妹は週に1回買い物や散髪の為に実家に戻ります。

毎日の食事の支度も自分でしているのですが、体調が悪い時は難しいようです。

ケアマネを探し、コンタクトを取った事もあるのですが、父が色々なサービスを受ける事を拒否したので、その後ケアマネとの縁も切れています。
理由はたぶん、利用料が高いと言うことだと思います。

また父は、自分勝手な人なので、二人の婿とも折り合いが合わず、彼らをあまり当てにすることができません。

年金はそこそこあるようなのでこちらが支援することは無いと思います。

実家に帰るといっても、妹も私も家の車が空いている時にしかできません。(電車で帰っても、買い物にも行けないし、病院にも行けないし、で役に立てないのです。)

客観的に見て頂いて、こんな父の介護をどうやっていけばいいのでしょうか?
現在の父の状態は、両手両足の関節が腫れ、食欲がなくパンツ式のおしめをはいていて食欲も無いらしいのです。

高齢で一人暮らしの父についての相談です。

父は、81歳要支援2の介護度です。子供は私と妹の二人で、二人とも車で1時間ぐらいの所に離れて住んでいます。二人とも仕事を持っています。
近頃、父の体力も衰え、足腰も弱くなり、目も悪くなり、また泌尿器科でも手術を受け調子も良くありません。
また、住んでいる所が大変不便な所で、車なしではどこにもいけません。

父も2年前ぐらいまでは、自分の車で買い物に出かけたりしていたのですが、今では、車にも乗れないので、何かにつけ不自由しています。
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Aベストアンサー

客観的に見て頂いて、こんな父の介護をどうやっていけばいいのでしょうか?
ということですが、逆に、maruumamaさんはどこまでの部分まで協力が可能ですか?どこまでの状態を望んでいますか?

 例えば、「同居したい」というのが目標であれば、そうなるように話し合いが必要ですし、このままギリギリまで一人で生活してほしい、というのが目標であれば、違う方向で考えていくことも必要です。

 余は、maruumamaさんがどうしたいのか、何を望んでいるのか、どこまで援助できるのか、という部分が大切になってきます。

 さらに、もっとも重要なのが、ご本人様がどうしていきたいのか、という部分です。普通に生活していて、ケアマネであってもご本人にとってみれば、全く知らない他人になるので、いきなり「こんなサービスがありますよ」的なことを言われても、お金はかかりますし、良い気持ちはしないと思いますよ。

 ですから、まずはお父様のご意向を色々とお聞きするのと、ご自身、または妹さんも含めて、ご家族・ご親戚がどのように考えているのか、どこまでも目標としているのか、を整理するところから始めてみてはいかがでしょうか?

 必ずしも、ご本人の意向、家族の意向が一致するとは限りませんし、また、その意向を全て叶えられる環境だったり制度があるとも限りません。色々と妥協したり、無理をして意見をあわせる部分も出てくるかもしれません。
 そのような話し合いが少しでも出来たなら、次の行動として、「包括支援センター」という相談窓口で(直接訪問・電話でも可能)相談してみてください。(要支援2とう結果であれば、一般的に相談窓口としては包括支援センターとなります。)
 制度上のサービスを使うだけが、ご本人にとって良い結果をもたらすとは限りません。状況をきちんと把握した上での行動の方が、ご本人・ご家族によってより良い方法が見つかることでしょう。

客観的に見て頂いて、こんな父の介護をどうやっていけばいいのでしょうか?
ということですが、逆に、maruumamaさんはどこまでの部分まで協力が可能ですか?どこまでの状態を望んでいますか?

 例えば、「同居したい」というのが目標であれば、そうなるように話し合いが必要ですし、このままギリギリまで一人で生活してほしい、というのが目標であれば、違う方向で考えていくことも必要です。

 余は、maruumamaさんがどうしたいのか、何を望んでいるのか、どこまで援助できるのか、という部分が大切になってき...続きを読む

Q母の急死で、父の世話にこまっています

私の家族は4人家族で、父母と私と妹です。
私と妹はすでに結婚して家を出ています。
古い家に夫婦2人で住んでいたのですが、最近、母は急死しました。心臓の病気でした。

わたしの家は町工場を1階で営んでおり、10年前に定年で引退して両親は年金暮らしをしていました。

家のことすべて、母が仕切っており父は何もわかりません。
母の死後も葬儀関係、相続関係、すべてわたしと妹が処理しました。
父は会社員の経験もないので、世間しらずで、いまでも自分で銀行へ行ってお金をおろすことさえできません。

わたしと妹はそれぞれ実家のとなり町に住んでいるのと、私と妹はわたしの主人が経営する会社で働いているので、会社で集まって、葬儀や相続のことなどを話し合ったりしていました。会社が実家の近く(歩いて20分くらい)にあるので、父を日頃サポートするには、都合のいい環境ではあります。
(とはいっても、毎日実家に行ったりすることはできませんが。。)

父はおとなしい性格ですが、最近では物忘れが少々出てきまして、頼んだこととかを忘れてしまったりすることがあります。といっても痴呆症というわけではなく、物忘れが多くなってきたなという程度です。

現在、父は、広い実家に一人で住んでいます。
炊事はできないので、1週間に2度ほど、食材をもっていったり作り置きをしておきます。洗濯は週に2度ほど妹と交代で持ち帰って洗濯しています。

最初のうちは、毎日のように献立を考えて作っていたのですが、翌日実家に行ってみると食べてくれなかったり、人にもらったものを食べてしまったりして、こちらもストレスがたまりやめてしまいました。
父は「自分で買って食べるよ」と行っていたのですが、最近では面倒がって食べない日もあり、やせてきてしまいました。

正直、この時期は夏も暑く、車もないので、実家を往復するだけでヘトヘトです。
いくら妹と交代とはいえ、このまま父の世話をしていくことがとても不安です。

かといって、父は歩けないわけではないし、怪我してるわけでもありません。町内会の会合に出たりすることもあるのです。
でも一人ぼっちにしておくと、何をするかわからないし、食事もちゃんとしないし、猛暑なのにクーラーもつけないし、、こうこまり果ててます。

この先どうするばいいのでしょうか?
一緒に住むなんてこともできません。もしそんなことしたら、私も妹も気が狂うし、仕事に差し支えてしまいます(今でも十分差し支えてますし。。)
こういう場合そどのような選択肢があるのでしょうか?

私の家族は4人家族で、父母と私と妹です。
私と妹はすでに結婚して家を出ています。
古い家に夫婦2人で住んでいたのですが、最近、母は急死しました。心臓の病気でした。

わたしの家は町工場を1階で営んでおり、10年前に定年で引退して両親は年金暮らしをしていました。

家のことすべて、母が仕切っており父は何もわかりません。
母の死後も葬儀関係、相続関係、すべてわたしと妹が処理しました。
父は会社員の経験もないので、世間しらずで、いまでも自分で銀行へ行ってお金をおろすことさえできません。

...続きを読む

Aベストアンサー

お父様のご住所地を管轄する、「地域包括支援センター」を探してみてください。
 まだ、介護が必要とは思いませんが、地域包括視線センターでは配食サービスの業者の情報など有料サービスの情報なども持っていると思います。
 配食サービスは、少々値段が高くても、直接手渡しをしてくれる業者を選ぶと、安否確認も出来ます。

 お母様が亡くなられて一番戸惑っておられるのはお父様なんだと思います。
 そう言っても、大きな子供みたいなのに、プライドもあるし・・大変だと思います。

 介護が必要になったときに、すぐ手続きできるように知識を得る為にも、一度相談に行かれることをお勧めします。
 

Q母に先立たれた父

9月末に、70歳の私の母が 間質性肺炎のため亡くなりました。8月始めまで 普通の生活をしていたのに、あっという間に悪化していましました。

私もまだ心の整理がついておりませんが、実家に一人残された父(76歳)は 後悔や自分を責めることを繰り返し、ため息ばかりついています。
私は、実家から車で30分くらいの場所に住んでいるので 週に何度か父に食事を持って行ったり、話し相手をしています。
ですが、最近 あまりにも後ろ向きなことばかり繰り返し聞かされることが苦痛になって来てしまいました。(私は、鬱病を患っています)
「こんな家に住んでいても仕方がないから 老人ホームにはいる」「何で 俺ばかりこんな目に会うのか」…などと言っています。父は友達が全くおらず、親戚やご近所の方々とも接しようとしません。趣味もありません。私や弟が何かアドバイスをしても、ことごとく否定されます。

母を亡くした哀しみは 私達きょうだいも父と変わりません。いつまでも 足踏みをしている父の姿を見ていると、実家から足が遠ざかりそうです。

まだ母が亡くなってから、2ヶ月しか経っていないので仕方の無いことかも知れませんが 今後、父とどう向き合えば良いか解らなくなってしまいました。
何かアドバイスがございましたら、教えて頂けると大変有難いです。どうぞ よろしくお願い致します。

9月末に、70歳の私の母が 間質性肺炎のため亡くなりました。8月始めまで 普通の生活をしていたのに、あっという間に悪化していましました。

私もまだ心の整理がついておりませんが、実家に一人残された父(76歳)は 後悔や自分を責めることを繰り返し、ため息ばかりついています。
私は、実家から車で30分くらいの場所に住んでいるので 週に何度か父に食事を持って行ったり、話し相手をしています。
ですが、最近 あまりにも後ろ向きなことばかり繰り返し聞かされることが苦痛になって来てしまいました。(私は、...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして 二児の母です。

私の母(当時58歳)も 数年前他界してます。父は健在です。

貴方の辛さも分かりますが、

>母を亡くした哀しみは 私達きょうだいも父と変わりません。
そうでは無いですよ。
父様と母様の関係の方が 断然深いのです。
だって 妻ですからね。配偶者は全然違いますよ。

うちの場合は 地域的にでしょうけど 葬儀後すぐに納骨なのです。
だから 父は毎日の様にお墓に 長座布団と水筒にお茶を入れて持って行ってました。
亡くなったのは 11月なので結構寒く、、、引き止めても行くだろう と思ってましたから 父が行く事は引き止めませんでした。
年齢も年齢ですから、貴方も弟さんも既に自立されているでしょうから 
お父様の気の済む様にされたら良いと思います。
土地、家屋を売り老人ホームに入りたいと言うなら それが良いと思います。
窓から見える景色だって 母様と見た景色であり、触れたものもでしょ?
辛すぎると思いますよ。
好きにさせるのが一番です。
親だと思うから、、、駄目で、、、子供だと思えば見守れると思います。
寒い中毎日墓地に行く父に <風邪引くから暖かくしないと、昼間の暖かい時間にしないと>とは言ってました、カイロを目に見える場所に置いたり、、、
だけど一定の時間に行く訳じゃないし、気が向いた時間に行くのでしょう、、、結局肺炎になり、だから言ったでしょ? ってなりましたけどね。
父もそうでしたが、1年、、2年にはならないと思いますが 病んでいました。
年齢もまだ当時59歳でしたが 早期退社。
引きこもりか? って思う期間が それ位あったと思います。
あれこれ言っても無駄ですよ。。。言えば言う程凹みますから。
当人の好きな様にさせるのが一番です。それが一番早く前向きになれる方法だと思います。
老人ホームに入るなら 施設を探す必要がありますから 外に出る事が必須ですよね?
入る/入らないは イザって時に決めるとしても ドライブがてら 外に出る事が出来る切っ掛けにはなりますから。
施設巡り最中に 例えば<切り絵体験>等あれば 立ち寄ってみても良いと思います。
何か切っ掛けですから。。。

はじめまして 二児の母です。

私の母(当時58歳)も 数年前他界してます。父は健在です。

貴方の辛さも分かりますが、

>母を亡くした哀しみは 私達きょうだいも父と変わりません。
そうでは無いですよ。
父様と母様の関係の方が 断然深いのです。
だって 妻ですからね。配偶者は全然違いますよ。

うちの場合は 地域的にでしょうけど 葬儀後すぐに納骨なのです。
だから 父は毎日の様にお墓に 長座布団と水筒にお茶を入れて持って行ってました。
亡くなったのは 11月なので結構寒く、、、引き止...続きを読む

Qお金がない親の面倒について。

両親の面倒、お金の事です。

私(既婚)、両親(55歳)、弟(既婚)、妹(未婚)。

私の両親は貧乏で、父は糖尿病で透析を受けています。普通の仕事が出来なくなったため、簡単なアルバイトをし、母親もパートをして生計をたてています。

貧乏の原因で考えられるのは、年収800万位貰っていたにも関わらず、貯金がほとんどない(退職金もない)。
年金払っていない。
保険も入っていない。
糖尿病になり、透析を受けるまでは色々な合併症になり、入退院を繰り返し、保険に入っていなかったため入院費が高く、そこで貯金を使ってしまう。
透析を受ける事になり障害者になったが年金払っていないため障害年金が貰えない。
タバコがやめられない。
持ち家がない。
車が盗まれる。

このような感じで貧乏になりました。

同居してほしいと言われましたが、どうしようもない親ですし、一緒に住んだら物凄く大変になる事は確実で、妻の事を思うと、同居は絶対に出来ないと思ったので、はっきり断りました。

その後も父は、今後誰が面倒みてくれるんだ、みんな冷たい、兄弟で話し合ってくれ、などと言ってきます。

妹はまだ親と暮らしていましたが、すぐに出ていった方がいいと話し、彼氏の家に引っ越しさせました。

現在は団地に入って貰い、車は私が乗っていた車をあげました。車をあげたのは、車がないと生活が出来ないような田舎、病院等に自力で行ってもらうためです。

私の親の貧乏の事、車をあげる事について、もちろん妻とケンカになりました。親については、私も本当に困っており、お金の援助して欲しいとは今の所言ってきませんが、今後の事を考えると、どうするのがいいのかわからず、不安でしょうがないです。

妻は、今まで後の事を考えず自由に暮らしてきたんだから自業自得、老後は子供を頼りにしようと思って生きてきたなんて信じられない、同居なんて絶対に出来ないし、援助もしたくない、関わりたくないと。

私もその通りだと思いますし、関わりたくありません。私も弟も、子供がいますし、お金の援助する余裕もない状況です。

父に、生活保護の話をした事があったんですが、子供が3人もいるのにそんなの無理だ、お前達が面倒みろ!と言われました。母はこのような話をするといつも黙ってしまいます。


どうするのがいいのかわからず、困っています。

アドバイスを頂けないでしょうか。

よろしくお願いします。

両親の面倒、お金の事です。

私(既婚)、両親(55歳)、弟(既婚)、妹(未婚)。

私の両親は貧乏で、父は糖尿病で透析を受けています。普通の仕事が出来なくなったため、簡単なアルバイトをし、母親もパートをして生計をたてています。

貧乏の原因で考えられるのは、年収800万位貰っていたにも関わらず、貯金がほとんどない(退職金もない)。
年金払っていない。
保険も入っていない。
糖尿病になり、透析を受けるまでは色々な合併症になり、入退院を繰り返し、保険に入っていなかったため入院費が高く、そこで貯金を...続きを読む

Aベストアンサー

お気の毒ですね。まだお若いのに、ご両親の経済的面倒まで心配するとは。
私は現在60歳ですが、サラリーマンとして生きてきて所得はなくなり
行く末は少ない年金で生きていくことになります。
しかし、人として子供に経済的負担をかけるような生き方はしたくないです。
そんなことをするくらいなら、どこか行方をくらまして見知らぬ土地で
生活保護を受けるか、東南アジアの物価の安い国で隠れて暮らします。

>父に、生活保護の話をした事があったんですが、子供が3人もいるのにそんなの無理だ、

無理ではないですよ。子供が扶養できないことを福祉事務所に説明すればいい。
一緒に住んでいたらだめですけど、遠方にいて仕送りをしたら自分の生活が
なりたたない。そう言うしかない。

実は、私の実の弟が脳内出血で半身まひになって働けない状況で、しかし私は
子供の教育費用住宅ローンなど負債がたくさん残っている状況で弟を世話する
余裕はないどころか、妻の母が癌で治療費がかかる。
そもそも謙虚な弟ならまだしも、親の遺産相続で大げんかし自分から兄弟の
縁を切ると言った人です。母の面倒をみたと周囲には言っているけどその実
自分は働かず父の遺族年金や貯蓄を食いつぶし、あげくのはてに母が病気の
際に二つ隣の県まで遊びにでかけていて、インフルエンザで母はなくなりました。

だいたいが、人に面倒見てもらうのが当たり前みたいなことを言う人間は
できそこないです。
面倒を見たらみたで当然だとおもうだけ。感謝の気持ちがあるなら、もうすこし
まともな生活をしてきているはず。


お父様にはこういって差し上げてください。

もし、お父さんの面倒をみることで、うちの子が大学進学できなかったら
あなたどうするつもりですか。一人東京の大学を卒業させるのに
1600万円はかかるんですよ。(生命保険会社の資料に出ています)
孫の将来まで足引っ張って自分が長生きしたいですか。糖尿だって
透析に至るまで放置しなければ、薬でコントロールできたんですよ。
自分の不摂生の結果じゃないですか。


私も、手立てがあるのなら弟の面倒をみることも考えますよ。先に遺産として
実家の土地建物と貸家一軒先の生活の手立てとして弟に渡してあるのです。
何も面倒をみないからといって恨まれる筋合いはないです。

質問者さまも、実際に無理なことをやれと言われて悩むことはないですよ。
質問者様に経済的な余裕がおありなら別ですが。

親不孝を脅しに使う親ほどひどいものはないと私は思います。そういわれるのが
子供にとって何よりつらいことがわかっていてそういうのだから。

お気の毒ですね。まだお若いのに、ご両親の経済的面倒まで心配するとは。
私は現在60歳ですが、サラリーマンとして生きてきて所得はなくなり
行く末は少ない年金で生きていくことになります。
しかし、人として子供に経済的負担をかけるような生き方はしたくないです。
そんなことをするくらいなら、どこか行方をくらまして見知らぬ土地で
生活保護を受けるか、東南アジアの物価の安い国で隠れて暮らします。

>父に、生活保護の話をした事があったんですが、子供が3人もいるのにそんなの無理だ、

無理ではな...続きを読む

Q親が高齢になったら、子供は一緒に住むべきか?ご意見ください。

これからはますます高齢化社会になると言われていますが、親が高齢者になったら、子供は一緒に住むべきだと思いますか?

高齢者になってからはじめて一緒に住むのと、もともと子供が親と同居していて自分の所帯を持つ(親と同居)とはまた意味が違ってきますが、「子供は親が高齢になったら一緒に住んでいた方がよいか?」といういう意味合いが強いかも知れません。

私は親(母は他界したので父のみ)とは一緒に住んではいませんが、この先父と同居になるかも知れません。

以前日本の多くの世帯は三世帯同居だったと聞いています。そういう家庭では高齢になった親の面倒を見ることは特別なことではなく、ただ順番だったのだろうと想像します。

しかし今は核家族の多い時代。そして親が年老いたら・・ということは、誰にも訪れることだと思います。

この件に関して賛成・反対どんなことでもよいので、ご意見ください。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

私は現在、正にこの問題の当事者です。感想を書いてみます。
「一緒に住むべきか」という設問に「べきか」「べきでないか」の正解は無いと思います。それぞれの家庭事情、個人の考え方・感性、で全く条件が異なるからです。ただ一つの正解は、親が老いたときは、まずはその子が老親の養育・介護の労をとるべきであろう、ということではないでしょうか? そして、この正解を行うための方法論としてはいろいろ個々の家庭事情によって最善の方法が選択される、ということでは無いでしょうか。どういうことを考えねばならないかと言うことを、(たぶん)先輩として気付いたことを書いてみます。
1.まず第一に老親の本音を大事にしたいですね。このごろでは子供と同居して一緒には暮らしたくない、というお年よりも結構います。子供に大変な苦労をかけたくない、ということもあろうし、子供たちに気兼ねしながら小さくなって暮らすのは嫌、という方も多いです。
2.次に大切な、無視できないことはやはり家庭事情、特に経済的事情です。この分野は本当に「金があれば」何もかもが吸収されると思います。早い話、理想的2世帯住宅も可能になる訳です。私たちが社会に出た40年以上前の時代では、人生60年と言われました。今は人生90年です。老親との同居に入ってから延々と、いつまで続くか判らない同居生活は想像以上に大変です。子供側は普通なら結婚して配偶者という他人を伴っています。3LDKに毛の生えたような住条件で世代の異なる世帯が顔つき合わせて何十年も暮らすということは、ほとんどの場合無事平穏ではあり得ないと思いますが。
3.子供側の兄弟、親戚縁者の「口」ということも、これ以上煩わしく、困難なものはありません。いざ介護、という段になってもまず手は出さないが口だけは有りっ丈で出してくる、と覚悟していなければなりません。これをどう捌くか、この一点ででも嫁からの離婚話が持ち出される、ということは多くの家庭の裏側で演じられている実話劇場です。
4.大家族制度はもともと日本が農業国であり、営農のためには多くの人手が必要、という現実的な生活のニーズから自然発生した生活様式であったと思われます。つまり、農業国としては、個人→家族→親戚・縁者→村落→地方集合体→国家というように営農を通じた助け合い共同体の組織の階層として、最終的には国家全体が自然に運命共同体との了解の下に運営されていたように思います。国全体が工業国となり、生産を維持する上での共同体が意識としても、現実的にも必要性が薄れている現在、世帯階層を積み重ねた同居方式は日々の暮らし方としてはほとんど必然性を失っていると思います。一方日本人のDNAはやはり家族というものの繋がり、情(西欧的な愛という感情とは少し違うように思います)、というものを物理的な生活距離の近さと一体化して認識しないと安心できない、という感じ方をまだまだ保っているように思います。そこで出てくる考え方は、老親の面倒を見るために、子は親と「同居するべきである」という考え方でしょう。しかし今の時代、「情」以外の部分においてその必要性がほとんど無くなっている状況で、現実的には「同居」にいろいろな条件的不備が大きく、その継続が困難な実情では、老親への孝養を果たす方法として「同居」がいかなる場合でも最善である、とは考えられないと思います。
5.今、大きな社会問題になっているのは「老〃介護」という問題です。老親はもちろん超高齢者となり、介護を受ける、しかし、一方の子にしてもすでに老境に入り、気力、体力の衰えは隠しようも無い現実になってきた。介護に疲れ果て、無理を重ねた体にはあちこち故障がある。そういう家庭が結構たくさんあるようです。つまり、老親の介護という問題はいずれ一家庭内のみの努力では果たしきれない大きな負担になってきます。そのためにこれは世の中全体で対策しなければならない問題として、大急ぎで、多少の不備には目をつぶって整備されたのが「介護保険」の制度です。私の場合も現在介護保険の制度には目いっぱいお世話になっています。それによって何とか私たち自身も精神的にも落ち着き、親の側も良好な生活環境の中で健康的な生活を維持できております。実際はグループホームという制度の介護施設で暮らしておりますが、もし、これが同居で生活するとなると、とても今のような快適な生活はさせてあげる自信はありません。代償としてはやはり別居していることによる寂しさ、ということがあります。しかしこれは頻度高く面会訪問すると言うことで十分補っています。
まとめですが、今の時代、老親に孝養を尽くすのに、同居がベストではなく、それぞれの事情に応じ、「親ー子双方にとって」最良と思われる方法をとればいい、ということではないでしょうか? なぜ、「親にとっての最良の方法」と言わなかったのでしょうか? 私の言いたかった事はここにあります。お考えください。

私は現在、正にこの問題の当事者です。感想を書いてみます。
「一緒に住むべきか」という設問に「べきか」「べきでないか」の正解は無いと思います。それぞれの家庭事情、個人の考え方・感性、で全く条件が異なるからです。ただ一つの正解は、親が老いたときは、まずはその子が老親の養育・介護の労をとるべきであろう、ということではないでしょうか? そして、この正解を行うための方法論としてはいろいろ個々の家庭事情によって最善の方法が選択される、ということでは無いでしょうか。どういうことを考えね...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q母が亡くなり、父の事で相談させて下さい。

母が亡くなり、現在父と2人で生活をしています。
私は30代独身女性です。父は60代です。
先日四十九日を迎えたばかりで、
気が付けば泣いてばかりの生活を送っています。
母は我が家の太陽であり、親を亡くすというのは
こんなに悲しく辛い事なのかと、
亡くなって改めて母の偉大さを痛感しています。

父はショックと看病の疲れからか、よく横になってそのまま眠ってしまうことも、
最近ではふとした瞬間に寂しそうな遠い目をすることが多くなりました。
このままだと父は弱ってしまうのではないかと、とても心配です。

父は『生涯の伴侶としたい人が現れたら、お父さんに遠慮せず
その人のもとに行っていいんだよと。娘の幸せを見届けてから死にたい
お母さんに胸を張って報告できるしな。』言っています。

しかし私にとって結婚し新たな家族を持つということは、
父の寂しさや孤独の上に自分が幸せがあるような気がして
ならないのです。自分だけ幸せになるなんて絶対嫌です。

一生独身で父の側にいるという決意が私の中にはあります。

ところが先日どこかでお年を召された男性とと、お孫さんらしき人の姿を拝見し
とても幸せそうな表情をされていたのがとても心に残りました。

もし私が結婚して子供ができたら
父は笑顔になってくれるのではないかと思うようになったのです。

特に皆様にお聞きしたいのは

おじいちゃんにとって孫の存在って大きいですか?
生きる希望や張りあいになってくれるような存在ですか?

苦労苦労の両親でしたので、父には母の分も幸せになって欲しいのです。

つたない文章ですが。色々アドバイスを頂けたら嬉しいです
皆様よろしくお願いします

母が亡くなり、現在父と2人で生活をしています。
私は30代独身女性です。父は60代です。
先日四十九日を迎えたばかりで、
気が付けば泣いてばかりの生活を送っています。
母は我が家の太陽であり、親を亡くすというのは
こんなに悲しく辛い事なのかと、
亡くなって改めて母の偉大さを痛感しています。

父はショックと看病の疲れからか、よく横になってそのまま眠ってしまうことも、
最近ではふとした瞬間に寂しそうな遠い目をすることが多くなりました。
このままだと父は弱ってしまうのではないかと、とても...続きを読む

Aベストアンサー

30代 女性です。

質問者様のお気持ち、痛いほどよく分かります。

私も、24歳のときに母を亡くし、父と二人暮らししていました。父は当時、60歳でした。
私も父も、母を失い、毎日毎日悲しみの中にいました。質問者様は、まだ四十九日を終えたばかり。まだまだ、気を落とされていて当然です。
私も、父と暮らしているときは、私の存在で父を元気づけてあげたい、明るくなってもらいたい…と思っていました。でも、その考えは違いました。父にとって、妻と娘は違うのです。娘はあくまでも子供。父と共に生活し、苦楽を乗り越えて支えとなってきたのは、妻である母、ただひとりです。母しか、父の悲しみを本当の意味で救うことはできません。
このことに気づいたとき、私も、生涯、支え合って生きていくひとがほしいと思いました。そして、そうすることが、父、亡くなった母が一番望んでいることだとわかりました。

去年、母の13回忌を終えましたが、私は今現在、結婚し、娘にも恵まれ、心からの幸せを感じ、毎日を笑顔で過ごしています。
父も、孫に会うのがとても嬉しいようで、おひな様をお祝いしてくれたりと、母の分も色々としてくれています。
天国の母も、なにより喜んでいると思います。

質問者様、どうか、一生お父様のそばで、独りでいるなんて考えて心を縛らないでください。
一生を共にしたいと思う方が現れたら、何も気にすることなく、自分の幸せに飛び込んでいって下さい。
そうすることが、お父様とお母様の望みです。
子どもが笑顔で生きていることが、親にとっての幸せです。

長くなってすみません。。。

質問者様のお幸せを心よりお祈りしています。

30代 女性です。

質問者様のお気持ち、痛いほどよく分かります。

私も、24歳のときに母を亡くし、父と二人暮らししていました。父は当時、60歳でした。
私も父も、母を失い、毎日毎日悲しみの中にいました。質問者様は、まだ四十九日を終えたばかり。まだまだ、気を落とされていて当然です。
私も、父と暮らしているときは、私の存在で父を元気づけてあげたい、明るくなってもらいたい…と思っていました。でも、その考えは違いました。父にとって、妻と娘は違うのです。娘はあくまでも子供。父と共に生活...続きを読む

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
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Q遠方での一人暮らしの父に、初期認知症が・・

はじめまして。
私には、介護度2の認知症の母(グループホームに入居)と家で一人暮らしの父がいます。娘は私を入れて、2人いるのですが、2人とも県外で、車で約3時間です。

父は、もともと短気で癇癪持ちなので、母に認知症が出始めた頃、怒鳴ったり手を挙げたりしました。そういうのもあって、母はグループホームにお世話になっています。父もそれからは、毎日のように母の所をたずねるのが日課になっていたのですが、物忘れは段々ひどくはなっていたのですが、最近さらに急に認知症の症状が出始めました。(父は今74歳です。)いつも「寂しい寂しい」とよく言っていたので、それも原因かなと思っています。

父は昔に脳梗塞をしていたり、前立腺がんを患ったことがあるので、薬が大量に出ているのですが、薬の管理がまずできなくなっています。(「飲んだか、飲んでないか分からない」)また、最近はお金の事ばかりを大変気にするようになり、何を自分がしたのか覚えていない事もあります。(しっかりしている時とパニックになっている時が交互になっているような感じです。)

月に1度の割合で帰省していましたが、最近は毎週帰省しており、私も平日は仕事と主婦業をしていて、精神的にも肉体的にも限界が近づいてきているような気がします。

病院の先生にも、介護保険を申請するように、と以前よりいわれていましたが、現在父は一人暮らしで、私たちもすぐにいつも行ける状況ではありません。まだ何とか一人暮らしはできそうなので、「小規模多機能施設」を考えているのですが、通常のゴミ出しや町内会の行事などはどのようにしたらよいのかとか悩みはつきません。
週末に介護保険の申請などについて、施設の方に相談しようと思っています。皆様で同じような境遇の方がいらっしゃったら、お話を聞かせてください。よろしくお願いいたします。

はじめまして。
私には、介護度2の認知症の母(グループホームに入居)と家で一人暮らしの父がいます。娘は私を入れて、2人いるのですが、2人とも県外で、車で約3時間です。

父は、もともと短気で癇癪持ちなので、母に認知症が出始めた頃、怒鳴ったり手を挙げたりしました。そういうのもあって、母はグループホームにお世話になっています。父もそれからは、毎日のように母の所をたずねるのが日課になっていたのですが、物忘れは段々ひどくはなっていたのですが、最近さらに急に認知症の症状が出始めまし...続きを読む

Aベストアンサー

私は新幹線で2時間半の所に済む一人暮らしの母(76)が自宅で倒れて以来、入院、一時帰宅、再入院、介護施設を転々として、軽度の痴ほうも入り始めたりで、今は介護老人保健施設にてリハビリ中です。私は一人息子ですが、転院、転所といった要所では帰省していますし、その他にも雑務が色々発生します。そういった感じで、家族や仕事に力を注ぐ事が出来ない現状が約3年程続いており、体力的にも精神的にも、また金銭的にも厳しい面は否めません。自分が2人居れば、と思う事もしばしば。また、経験としても初体験なので、介護保険制度や介護現場の事などよく分からない面もあり戸惑いはあります。表向きは自宅復帰を目指す、という事で、頑張ってますが、現実的にはもう無理と思います。悪化、衰退はおそらく今後加速すると見ています。子供としては親に元気になってもらいたいので、回復方向を願うあまり、ついつい軽めの対処を考えたくなるものです。ですが、実はそうではなく、衰退の加速を見越した対処。例えば希望を交えた軽い方向の対処ではなく、悲観的な最悪の事態に対する対処を考える方向を常に意識する事が大事なのではないかと考えます。回復すればそれはそれでラッキー、悪化しても想定内、とする事で、事態の変化になるべくついていける様に心掛けています。ともあれ、質問者様の文中の「介護保険の申請」は早々に済ませておく事をお薦めします。自治体の方針にも寄りますが、そう言った境遇の方を支援する制度は想像以上に存在しているが、それを知らない人も多いというのが実情と思います。この手の相談先としては、施設もそうでしょうが、それよりも親御様の居住地の役所の介護福祉課が適切かと存じます。丁寧に教えてくれると思います。

私は新幹線で2時間半の所に済む一人暮らしの母(76)が自宅で倒れて以来、入院、一時帰宅、再入院、介護施設を転々として、軽度の痴ほうも入り始めたりで、今は介護老人保健施設にてリハビリ中です。私は一人息子ですが、転院、転所といった要所では帰省していますし、その他にも雑務が色々発生します。そういった感じで、家族や仕事に力を注ぐ事が出来ない現状が約3年程続いており、体力的にも精神的にも、また金銭的にも厳しい面は否めません。自分が2人居れば、と思う事もしばしば。また、経験としても初...続きを読む


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