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日本は世界的に見たら無宗教の国だと思われています。
何気ない事に気が付くのが難しいのでしょう。
何かありがたいという事に対して手を合わせることが
当たり前すぎて、それはどういう意味かを考えていました。
自己の存在を嬉しく思う心を持つという意味を感じました。
それは、時を繋いでの存在でも在ります。
お盆の夜に考えてみませんか。
何か有りましたら書いていただきたく思います。

A 回答 (5件)

 日本人は無宗教…だとは到底思えません。

ただ、いささか神様仏様が多すぎるのでしょう。なんたって「やおよろず(八百万)の神」という言葉があるぐらいですから。

 日本人は古くからたくさんの神様を崇めてきました。山岳信仰や大河、滝などはごく自然な感覚として信仰の対象とされてきましたし、稲作であれば伊奈利神(お稲荷様)に豊作を祈願し、井戸にも、かまどにも、軒先にも、道端にさえ、ありとあらゆる場所に神や仏の存在を信じ、安全と多幸を祈願し、敬意を払い大切に祀ってきたのですから。

 そうした、実に真摯ながら、その一方で漠然とした宗教観、それがひいては、神式や外国の宗教で結婚式を挙げ、仏式で葬儀を執り行う、大晦日はお寺で除夜の鐘を突き、新年は神式で迎える、そうした実にのびのびとした信仰心、それはそれでひとつの国民的宗教感としてまとまっていると言えなくもないように思うのです。

 ただ、たとえば欧米と日本を比べた時、大変大きな違いに気がつきます。たとえば交通ルールの遵守とか軽犯罪、あるいは、万引きなど軽度の犯罪、こうした場面で、欧米の人たちの頭にまず浮かぶのは、マリア様であり、あるいはイエス・キリスト様であり、少なくとも警察官ではないという事実です。

 警察官が見ていないから…と速度制限を無視し、一時停止を怠る、店の主が見ていないから…と本を万引きする、これが日本式。しかし、彼らは、速度制限を無視し、一時停止を怠り、万引きをする自分の、そうした行為に、とりあえずポリスの目ではなく、天から見下ろしている崇高な存在を意識するといいます。これが、結局は宗教とか信仰のエッセンスではないかと、わたしは思うのです。

 そうした意味で、国家が特定の宗教を持たない…とする考え方には、いろいろ面で歯痒さを感じてしまうのですが、でも、その一方で、お盆やお彼岸には、お墓や仏壇にお線香を手向け、お供え物を飾り、両手を合わせて亡くなった身内を想う、ただそれだけでも、わたしは素晴らしい宗教的行為だと思うのです。
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この回答へのお礼

とても興味深い書き込みです。八百万の神は日常を、マリア様は困った時の
信仰とは何かを考えさせられますね。同じく人が居て成り立つものなのに、
失礼ですが、読んでいて欧米のスライス、日本の串刺しを思い浮かべました。
カットされてランダムになった時、時が貫いている時、どちらが法に則って
いるか、海外の報道を読むときにこれを頭に入れておいたら読み易いかもしれません。
最後の一段は、上段の意味を込めて強調なされたのですね。
とても興味深く、私の拙い感覚を補って下さりありがたく思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/13 22:59

「手を合わす」という行為は、「拝む(手を合わせる)対象から力をいただく」という意味を持ちます。


食前の「いただきます」・食後の「ごちそうさま」の挨拶で手を合わせる慣わしも、本来の意味合いは、食事を作ってくれた相手に対する挨拶ではなく、食用の犠牲となってくれた動物や植物に対する感謝の挨拶です。

確かに、現代の日本には国教として定められた宗教はありませんね。
(もっとも、仏教を長年信仰している旧友に言わせると、「日本は本来、仏の国!」で、いつか、仏法が日本の国教になる日が来るんだそうですが…。)

ですから、質問者様のように、「日本は無宗教」という意識を持つことは不思議ではないと思います。

冠婚葬祭では必ず宗教が登場しますので、そうした儀式に参加した時点で、一時的にでも、その宗教を信仰していることになります。
日頃、あまり意識はしませんが、初詣・お祭り・お宮参り・お墓参り・お祓いといった行為、桃の節句・端午の節句・七五三といった子どもの成長を祝う行事、そして、お盆・お彼岸のような恒例行事など、日本ならではの風習にも宗教が絡んでいます。

今朝、天気予報全国版で、気象予報士が「本日、天候が荒れ模様の地域では、海や山でのレジャーは控えた方がよさそうです」と、視聴者へ注意を促しているのを見て、不思議な感じがしました。
“お盆シーズンは海や山へ出かけるものではなく、家で静かに先祖の御霊を迎えるもの。”と祖父母から教えを受け継いで育った世代としては、お盆の連続休暇をゴールデンウィークなど他の連休と同じ感覚で捉えることに、少し違和感を覚えています。

私は、今年のこの数日間は、亡くした親族とペットを供養に専念します。
併せて、「今の自分があるのは先祖代々の諸精霊のおかげ」という祖先への供養の心がけと向かい合いたいと思います。
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この回答へのお礼

多くある自然の中で食物を得てそれをいただく事への感謝という思いを手を合わせる事
で表している。食以外でも道端のお地蔵さんに手を合わせるとか御来光にも手を合わせ
ますね。信仰とは関係なくありがたいと思う気持ちが現れている行為だと私も思います。
海外から見るとそれが信仰とは結びつかないようで、そう思っている外国人は多くいる
と思ったしだいで、日本が無宗教とは思っておりません。
日常が大事な日本人の行為を、特定の宗教に納めることは出来ないのに、私もやはり
仏の国という団体には首を傾げざるを得ません。
遅くなり失礼いたしました。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/16 09:02

日本は八百万の神で、色んなものを受け入れ、対立せずに仲良くやっていく優れた国民と思います。


何気ないことに気づかないのではなくて、皆の気持ちが分かり、気づかうことができるので、今の安全で平和な日本が有るのだと思います。
そんな日本を築いてくれた、先祖の人々と家族や日本国民に感謝します。
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この回答へのお礼

質問という形にするために書き方が拙くて申し訳在りません。
仰る通り、気付いて心からの行動、そんなにたいそうな事ではない。
そういう日常に感謝する。そういう事を続けてきた先祖、その元を
大事に今を生きていらっしゃる。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/13 23:21

「ありがとう」


「おはよう」
「やすらかに」
「こんにちは」
「いただきます」

など、素直な気持ちをあらわす行動かと思います。

「思い」を伝えたい相手がいることの喜びに、感謝したい…から、

「当たり前」とは思いたくないです。
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この回答へのお礼

>「当たり前」とは思いたくないです。

あなたの心意気を感じさせてくれる書き込みでした。
とても嬉しく思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/13 21:57

お手てのシワとシワを合わせて



幸せ   南無ーーー
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この回答へのお礼

そうそうこれ。。。。。ってCMじゃないか。

お礼日時:2012/08/13 21:19

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