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 私はもうすぐ3歳になる女の子の父親なのですが、タイトル通りの質問です。親と子供で考える戦争についての、私のスタンスが一般常識からかけ離れていないか、もっとこうしたほうが良い、とのアドバイスが欲しくて質問いたします。ちなみに、今日は終戦記念日ですので、特にこの質問なのですが、今日明日、というのではなく、娘やいずれ授かりたいと願う次子以降がある程度物事の分別がついたときに、お互い話し合うという想定で、シュミレーションしておきたいというのが、質問動機です。

 私は戦史や軍事学という分野が好きな人間です。子供の名前に戦艦の名称(妻にも命名理由を話し武勲艦を選びました。選んだ理由は、あの戦争で沈没せずに姿を留めたフネだったからです)を引用したくらい、日本海軍とその軍艦は好きです。写真で見るその姿に「美」を感じると同時に、戦争により失われたことを惜しく思います。
 また、武器も好きです。日本刀の美しさや大鎧の色使いなど、芸術品と思っています。無論、それらが実践の要求から生まれた、戦争の道具であると、知った上です。一つのことを突き詰めたものは、極めると美しさが宿るというのが私の持論ですので。かのギロチンですらも、綺麗だと言えます(学生時代、そういって随分周りに引かれましたが)。私は、機能美を感じられると思っています。
 戦争という行為についても、私は基本「勝てば官軍」という考え方でいます。また、明らかに勝ち目の無い戦はするな、とも考えています。勝ち負けの意味が流動的なのは知っていますが、この場合の範囲は、自分の勢力下の住民が、長期的展望で豊かになれるか、なれないか程度に、勝ち負けを考えています。戦争した結果、戦場では勝ったが、国の滅びの端緒となるような戦は、私はするべくは無い戦だと考えます。国が滅ぶのに任せて、無為無策な隋や宋の国などは(滅ぶまでの物語性は別にして)私の住む国とは、別の世界の話であって欲しいと思っています。
 ただ、私は防衛的な戦争までも否定することができません。例えばギリシアとペルシア帝国・無敵艦隊対イギリス艦隊・アメリカの独立戦争や、アジア独立のための古今の独立戦争。大義はどこにあるのか、大義を通すためには武器を取るしかない状況であれば、それは正当化される可能性が大きいのではないのか(ガンジーのような無抵抗主義は特例だと
 また、私は国権の最終外交装置としての戦争を否定できません。例えば日本の海底資源の問題で他国が日本の主権範囲内で軍事的恫喝を伴う採掘を始めたとき、唯々諾々と従うのは、将来の禍根となると思うのです。またもし相手が大量破壊兵器を日本に向けて発射することが分かったとき、それを専制攻撃できないのも(無論軍事とは無関係な人が巻き込まれる可能性が大だとしてもです)、納得できません。国は、そういう危険から国民を(代価を支払っても)守ることが存在理由の大きな柱だと思っています。
 要するに私は{過去の戦争の歴史は好き。私の生きている間の戦争は反対。ただし子供や孫がそこで抵抗しないばかりに、塗炭の苦しみを味わうのなら、戦争してでも利権を守るべき」という考え方なのだと思います。

 そんな私は子供にも、「戦争は何が何でもダメ」とは教えれないと思うのです。せめて「得失を考えなさい。財産も心も」と、その判断の材料を与えたいとは考えているのですが。私も子供の頃は無条件に戦争はいかなることがあってもダメと教えられたので、正直どうなんだろうと思うのです。
 ちなみに妻は「今日は水曜日、私、仕事、忙しい」「私、仕事、忙しい。難しいことあなた考えて(ついでに明日のお出かけの予定もお願い)」というばかりで、この問題はスルーの方向です。
 私は、自分の考え方のほうが、歴史的に見て妥当性があると考えているのですが、常識からずれている、学校の教育方針と対立するなど、問題点も思いつくのです、自分自身のことなら、より勉強して解決法も考えるのですが、他の人に自分の考えを伝えるとなると、これで良いのか不安になりまして、折も良いので質問させていただきます。

 まだ数年は先のこととはいえ、自分が今まで正しいと信じていること。もしあまりにも常識はずれなら改めるのには随分時間がかかるものと考えております。また正しいとしても、伝える側としてはもっと知識と理解を深める必要があるとも考えています。
 
 過去に戦争関連の質問で痛い失敗をした身ですので、予防線を張った読みづらい文章ですが、回答願えれば幸いに思います。
 後、私は戦争を賛美したり、現実に戦争になればよいとは考えていません。せめて私の死ぬまでは、私の知る人々が戦火に巻き込まれぬように願う身です。
 どうかよろしくお願いします

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A 回答 (14件中1~10件)

たぶん女の子~女性にそういう考えは受け入れてもらえないと思いますよ


悪く言うわけではありませんが性別による傾向の壁ってやつです
リスクを払わずに明日も平和に終わるに違いないと根拠のない思い込みをだいたいしてるっぽいです
男にもいますけどね
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 性別差の壁、言われて思わず脱力しました。一人気負っている自分の姿を鏡で見せられているような気がしました。今も娘と言い合いをしていますが、今はまだ通じるのですよ。少なくとも聞いてはくれます。でもいずれ「私ワカンナーイ」と妻のような対応を取られるのでしょうか。ちょっと怖いです。
 ただ、問われたときに答えられる態勢や、いずれ授かったら良いなと思う次の子が男の子で、私と同じ疑問に突き当たったときに助言でもできるように頑張りたいと思います。
 に、しても性差ですか。まったく考えていませんでした、目から鱗が落ちる思いです。
 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/16 00:50

戦艦や武器を美しいと思うのは、悪いことではないですよ。


まあ、見入ってしまうところは多少ありますね。作品としてですが。

ただ、戦争って、私のイメージで申し訳ないんですが、「お偉いさんたちは高みの見物・敵につっこんでいくのは下のやつらwww」だと思います。下のやつらには、何のメリットがあるんでしょうかね。戦争で得をするのは、どこの国でもいつでもお偉いさんたちではないでしょうか。
そして下のやつらには、変に知識をつけてもらっちゃ困るため、考えたり表現したりする自由を奪うんでしょうね。行きつく先は、人間のかたちをした駒でしょうか。
あなたの娘さん、その子孫が、お偉いさんたちの駒にならないことを心からお祈りいたします。
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いいんじゃないですか、っていうか考えすぎなような気がします。


戦争を賛美してたら、そんな風には言いませんけど。

お父さんの趣味は否定しませんし、戦争観も理解できます(すみません、全面肯定ではないです)。
間違ってはいないと思いますよ。

ただ、女の人はそういうの興味ないんで、あんまり言わないほうがいいと思いますよー

生意気言ってすみません。
お子様を大事に愛情を注いで育てていらっしゃれば、気持ちは伝わると思いますし良い子に育つと思います。
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○国家間も個人間もつまるところ同じことなのです。

善悪を明確にし、信賞必罰で望むことが各人の尊厳を守ることなのです。個人の尊厳と国家の尊厳は同じことなのです。
学校でのいじめは個人の尊厳を否定する行為ですから、見過ごしてはいけないのですね。間違いはしっかり罰という形で示すこと、これが良いことは褒め、悪いことは罰を与える信賞必罰ですね。
このあたりを曖昧に教えているのでいじめが絶えないのですね。
国家間の戦争も正義という目で見れば信賞必罰の行為なのです。勝てば官軍と言いますが実はこの信賞必罰なのです。国家間の戦争は犠牲の上に、個人の集合体の良いところを伸ばし、悪いところを反省する機会となっているのです。先の大戦では、日本は負けましたが「自由、機会の平等」という人間の尊厳を回復しました。一方、連合国は戦勝国となりましたが、アジア人の尊厳を否定した植民地を全て失いました。
つまり、人間の尊厳を守るためには、個人であれ団体であれ国家であれ厳然とした態度を示す必要があるわけです。個人の尊厳は国家の尊厳と同じことということなのです。不当な行為には厳然として立ち上がるべきで、それが国家間では外交、武力行使ということですね。憲法は国民の尊厳を守るためのものですから、国民の尊厳を否定するような解釈は存在しないのです。
隣国が人間の尊厳を否定するような思想で侵略行為をするのであれば、いさめる戦いも正義の信賞必罰の行為なのです。人間の尊厳・正義を守るということは平和・平和と逃げることではないことを子供にしっかり教えることですね。それがいじめを減らし、結果として国家の一員として正義を守れる人になれる道ですね。
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私は、平和教育を推進していかないといけない立場なんでしょうが、


個人的信条としては質問者様に近いですね。

「大丈夫~日本は平和だから~」「9条があるから~」と
何も考えないのも楽ちんで、他の生産的なことに目を向けられるメリットもあると思います。
でも、「万が一に備える」って大事なことではないでしょうか。
大震災の原発もしかり、企業だってリスク管理をしていないところはありませんよね。
他国が侵攻してきてから準備では遅いです。
万が一に備える最低限の準備(設備や団体)はあるのでしょうから、
国民の意識も「備え」ていけたらと思う次第です。

また、戦争を否定することは私もできません。
子どもの世界でも、
「おい、金をよこせ」「おい、ゲームもってこい」と日々言われ続けるのと、
威嚇でもいいのでやり返して恐喝が止まる可能性があること、
どちらがその後のその子の人生によいか・・・
子どもの世界なら、まだ教師や親が介入できますが、国同士なら無理でしょう・・・。

本当にやり返すのもデメリットが大きいので、
「こいつ、キレたらやり返されるぞ、たぶん」と思わせられればベストかとも思います。

ただ、こうした考えに問題があるとしたら、
「戦争は日本の国の自分たち以外の誰かがやってくれる」と他人に期待してしまう点です。
もし、じゃああなたの子どもを戦場に送ってもいいんだね。と言われたら嫌です。
私が行くのはまだいいのですが・・。
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”子供の名前に戦艦の名称”


   ↑
や、これはすごいですね。長門と陸奥でしょうか。
関係ないですが、米国映画の台詞を思い出しました。
「私、黒人の彼と結婚するんだけど・・・」
「相手が誰でも驚かないわよ。アナタが軍艦と結婚
 すると言っても、私は賛成するわ」

”日本刀の美しさや”
   ↑
日本刀は良いですね。私も何振りか持っています。
吸い込まれるような肌、日本の山河を映した波紋・・。
大好きです。
武器には美しいものが多いです。

「勝てば官軍」
   ↑
日本は負けたから悪者にされただけです。
日本が勝っていれば、英米が悪のショッカーです。

”明らかに勝ち目の無い戦はするな、とも考えています”
   ↑
米国先住民ジェロニモが、記者の質問に次のように答えています。
記者「アナタは、この勝ち目の無い戦をなぜ続けるのですか?」
ジェ「確かに勝ち目はない。しかし、ここで無様な負け方をすれば
   子孫が軽蔑される。我々は子孫の名誉の為に戦っているのだ」

”戦争してでも利権を守るべき”
   ↑
利権というのが引っ掛かります。
人はどこまで尊厳を捨て、名誉と誇りを捨て、
権利の侵害に耐えられるのか。
平和主義だから戦さを考えない、戦さを考えるのは
平和の敵だという考えは人格を放棄した奴隷に等しい。

”戦争を賛美したり、現実に戦争になればよいとは考えていません”
    ↑
私も戦争を賛美するつもりはありませんが、戦争は問答無用で
悪だという考えには納得しません。

原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦った。
その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き
力を養い、心と体を鍛え、一面で道徳律を築き上げた。
その結果、文明が築かれ文化が創られた。
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政治的なスタンスは、ことさらに教育という形で与えなくても何らかの形でお子さんたちに影響は及ぼすものと思います。


我が家は小4と小6の息子たちですが、上の子がちょうど戦艦のプラモデルにはまって第二次大戦当時の色々な戦艦のプラモデルを順番に作っているところなので、先日「沈黙の艦隊」を図書館から借りてきて積み上げておくと、「おもしろい」と興味を持って読んでいる様子です。

ただ、私はことさらに戦争に対する精神教育を与えるつもりはありません。力が正義とも思いませんし、実際自分自身に過去の戦争に対する知識とか見識とかあるとは思えません。母親として戦争に子供をやらねばならないような状況になってほしくないと思います。

小学生くらいまでの子供に対して、私が教育として考えるのは、戦争になるとき、どちらが勝者であろうと敗者であろうと、それぞれが正しいと思う正義があるということ。
それぞれの国に守りたい自国民と利益があり、それぞれの理論で筋を通そうとしていること。そこは子供たちに理解してほしいと思っています。現在うちの子が興味を持っているのは第二次世界大戦前後の戦艦のようですが、戦争そのものにはまだ興味を持っていません。政治の話になると難しいようです。
明治維新からの時代的流れで、日本の世界の中での立ち位置とか世界から日本がどう見られていたかも含めて理解するのはまだまだのようです。

両方向からの意見を考え、相手の立場も考慮できるようになること。これって、戦争云々じゃなくて子ども同士の普段の生活の中でも喧嘩とか、そういうところで子供が自然に考えられることって重要だと思うんです。そういう身近なところから一つ一つ教育として積み上げること。
その上で、お互いの主張をできるだけ考慮したうえで痛み分けをしつつ、平和裏に納得のいく落としどころにたどり着くのか。それこそが戦火を広げないための実際的な方法ではないかしら。

ちょっと脱線しました。
そういう意味では、私の考えていることが子どもに分かりやすく伝わるとすれば、それは明治以降の世界事情ではなく、戦国時代のようにそれぞれの方向からの事情が小学生にもわかりやすく書き記されている伝記がそろっているであろう時代の方が、子どもも意見をまとめやすいのではないかと思っています。
なので、歴史について子どもに話すとすれば(私自身歴史が苦手なので自分も勉強が必要ですが)、教科書一辺倒の歴史ではなく、個々の戦争の中で両方に事情があり正論がある話をしていければと思っています。

普段の生活の中でニュースなどを見ながらそういう話題を交わせるような(子どもとの間でなくてかまいません、夫婦間でも子供も一緒に集まる親戚との間とかでも)状況を作っておき、耳の端で聞ける環境を作ること。そうであっても自分なりに意見や見識をまとめられる年齢になるころには、自立心が育ってしまってもう親には付き合ってくれなくなるかもしれませんけど。

上にも書きましたが、私は戦争に対する見識を持っているとは言い難く、興味を持つには難しいといわれる女性・母親です。その立場であくまでも教育という観点から小学生くらいまでを視野にした回答にしました。本当に入口の話にしかできませんが、中学生以降になると親の意見がどうこうというよりも自分で自分の考え方を徐々に育てていくべきで、親が方向性を決めるべきでもないと思います。
うちの息子たちもどちら方面に考えを進めていくことやら。

おそらく、満足のいく回答ではないと思いますが、あくまでもわが子への教育というところに限定した回答をさせていただきました。
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個人的には娘さんがご自身で判断されるものと思います。



基本としては平和教育、反戦教育を学校で受けてもらいつつ、
世界戦史の実例と現状を示してこういった事例もあるからよく考えなさい。
というにとどめ、あとは娘さんご自身の考えに任せるのがいいのではないでしょうか。

個人的には私は戦争云々の話の前に、価値観、倫理観、情操の個々人の問題についてよく話し合い、続いて政治や経済など集団・社会の問題の話に入り、そして最後の政治経済の一形態である戦争については自分で考えてもらう、というのがいいと思ます。

回答は以上です。

また、あなたの文章を読んだ感想としては、

大義が云々利権が云々とか言っておられるのは別に結構なんですが、実際に戦地に行く兵隊や直接被害を蒙る国民が払う犠牲についてはどう考えておられるのか、もしかして全く考えておられないのではないか、と感じました。

敵弾が当たった戦車の中がどういった状況になるのか、とか、魚雷の命中した軍艦で機関科の兵隊がどうなるのか、とか、普通の人は知りませんし、おそらくあなたも御存じないのではないかと思います。私も人づてでしか聞いたことがありません。

あなたのおっしゃる大義、とか国家の利権とかいう話に比べると、誠に卑近な話ではありますが、実際に血を流して死ぬ兵隊や降ってきた爆弾で木端微塵にされる国民一人一人にとってはそれが全てですからね。

世界平和とやらのために日本だけが軍事的侵略に無抵抗である必要がないように、日本の国益や利権とやらのために一部の国民に犠牲が押し付けられる、というのもおかしな話ではないでしょうか。

多くの場合、我々は戦争に対して、将棋で例えると棋士ではなく将棋の駒として関わるわけですから、そこは間違えないほうがよいかと思います。
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No.3です



>>悪法も法、はソクラテスだったでしょうか。戦後、違法だからという理由で配給を受け取らず、餓死なされた判事がいたとも風聞します。

「悪法も法」っていうのは、時と場合によって変わるでしょう。たとえば、現在の中国のような悪政下を、素直に認識して、中国政府を倒そうと中国の方が立ち上がり、ゲリラ闘争の末に中国を解放すれば「悪法・悪政を潰した英雄」となるでしょうね。法を守らないことが善になります。でも、悪法はあるが、そこまで酷くないってことであればゲリラ闘争をするよりも、ソクラテスのように自分だけの犠牲によって改革するって選択もあると思います。この判断は難しいと思います。
イエスが罪人と並んで死刑になったけど、しばらくしたら神のように扱われました。なかなか善悪の判断は難しいと思います。

>>また、平和主義とは、妻子が眼前で暴行を受けても反抗しないこと、という言葉も頭にこびりついています。

もちろん、その時、自分にライフルの銃口が向けられていたら、反抗できないでしょうね。
でも、そうじゃあなく、自分に行動の自由があるのに、何もしない平和主義者は、意気地無し、根性無しの卑怯者ってことにしていいと思います。

>>人死より支配下の絶望のほうが幸せと考えれば(今の日本の戦争感は、艱難辛苦を買ってでもするほうが戦争よりマシといっているように思います)私の考えは異端の邪法ですよね。

そうですね、「(中国支配下になり)奴隷の人生でも生き続けるほうがまし」と選択する人が日本では多数派なのかもしれません。

>>でもどちらも人が死に、人死は悪である。この点を子供にはどう伝えれば良いでしょうか?

吉田松陰は、

生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし

と言われています。自分が生き抜くことで、世の役にたつなら生きればいい。でも、自分の死によって、それが世の中の役にたつなら、「人死も善」ってことでしょう。
そして、これは自分の命だけじゃあなく、他人の命を奪うことも善ってケースがあると思っています。

ちなみに、吉田松陰はソクラテス以上で、密航の容疑で捕まった後、死刑にならないように幕府側が手を尽くしているのに、自ら死刑になるように、余分な罪の告白をして、打ち首になっていますよね。
あれは、自分の死が日本全体に与える影響を計算しての上での作戦でした。
結局のところ、肉体の命よりも、目にみえない大切なものがあり、それを守るためには、人の死は2番目に大切なものになるということだと思います。
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この程度の小文で、長文だなんていわれてしまうと回答できません。

また、この程度の小文を読むのが苦痛なほど脳みそが小さい人には百万年かかっても戦争を論じる資格が無いと断言する。

私の基本認識としては戦争は外交の失敗であるというものです。戦争は愚策です。しかし愚策であっても戦争しなければならない場合もある。私は戦争そのものを否定する立場にはない。外交を論ぜずに戦争を論じるのが無意味だといいたいのです。外交を論じずに開戦の是非を論じるのは無意味だというんです。

また戦争で最も難しいのは開戦ではなくて終戦です。開戦だけならどんな馬鹿でもできます。しかし、それをどう終わらせるのかが極めて難しい。誰だって勝っているタイミングで終わらせたい。しかし、それは相手だって同じなのです。また勝っているときは、もっと続けたいと願い、負けている時は、すぐ止めたいと考えるのも人情です。民主主義国は君主の判断だけでは決められない。国民の世論をどうコントロールするかが難しい。

戦争の評価は勝敗では決まらないとも考えています。勝ったが失敗だった戦争、負けたが成功だった戦争もある。私は日清戦争は勝ったが失敗だった戦争、大東亜戦争は負けたが成功だった戦争だと評価しています。なぜなら日清戦争は、当初の意図と外れてロシアに満州・朝鮮進出の機会を与えてしまったからです。もう清に朝貢しても清には朝鮮を守る力など無いのだと悟った朝鮮にはロシアに頼って日本と対決しようと考えた人がいました。高宗はロシア公使館に不法に軟禁されて、朝鮮の鉱山採掘権、森林伐採権、鉄道敷設権などの利権をロシアに売却させられてしまったんです。日本は朝鮮の独立を望み、朝貢国に留めたい清と対立してしまった。勝つには勝ったが結果は、横で虎視眈々と朝鮮を狙っていたロシアに、その機会を与えてしまったのだ。これほど馬鹿な話がありますか。

下関条約では遼東半島の割譲を求め、それがロシア・フランス・ドイツに三国干渉の名目を与えてしまった。日本はロシア・フランス・ドイツの清への進出を助けてしまったのです。これほど馬鹿な話がありますか。当時の日本には、清と朝鮮しか見えていなかった。余りにも視野が狭かった。ロシア・フランス・ドイツが何を企んでいるのか、まったく気づいていなかった。それが失敗の原因です。清も時代錯誤な宗主国という面子に拘って無駄な戦争をした。日清戦争は勝った日本にとっても負けた清にとっても大失敗だったのです。いや清と朝鮮も日本には見えていなかった。ひとりよがりに日本の都合しか考えていなかった。

という風に私は日清戦争を評価していますが、いまだかつて私に近い論調を一度も見聞したことがありません。このような論陣を張って、一度も賛同してもらったこともないのです。確かに常識とはずれているかも知れません。日清戦争が失敗だったと評している教科書も見たことが無い。

賛同いただけないまでも私の主張がどれだけ理解されるか分からないので、正直これ以上答える意欲もないというのが正直なところです。

大東亜戦争に対する評価は以下を参照してください。

あの戦争を起こしたのは誰か? - 歴史 - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7644652.html

大人でも理解できない難しい問題を3歳の子供に教えるのは無理です。私が願うのは自分の都合だけでなく、相手の立場、他の人の立場も考え、広い視野、様々な視点を持てる人に育てて欲しいということです。3歳では接する世界がごく限られたものでしょうけど、それでも自分以外の人にもそれぞれ都合や事情があるのだと気づかせて欲しいのです。そうすれば、もっと大きくなった時にいろんな問題を自分で調べて解決できる人間になると思うからです。

教科書は聖書ではないし、学問は宗教ではない。西洋では、人々がローマ教会でも間違いがあるのだと気づいて、やっと1000年続いた暗黒の中世を脱しました。信じるのは宗教の方法論であって、疑うのは科学の方法論です。こういう回答を受けたけど、本当にそうなのだろうか、疑ってみてください。それは私の回答とて例外ではない。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 長文の指摘、申し訳ありません。この手の内容で深く論じつめれば、4000字など序論にすらならないことを思い出しました。ただ、少しいわけすると、他の方が私より短い文で長文警報を鳴らしていたので、付けといたほうが良いかなぁーと思ったしだいです。うん、短いですハイ… スミマセン。

 戦争の評価や外交の成れの果ての戦争については、多分私もmekuriya様に近い考えを持っていると思います。私は、日清戦争よりも日露の海戦が、日本の歴史に与えた影響が大きいとは考えますが(どちらにしろ負けられない戦争だったとは思いますし、他の勝ち方を想定できない愚か者ですが)、どうでしょうか。大東亜戦争に関しては、最近同じような結論に至りました。焦土があったから復興があった、では言葉遊びですが、戦争に勝ってしまえば、軍国体制が堅持され、最終的には占領地内乱に端を発した四分五裂の大戦争が起きていたのではと夢想します。
 子供は、確かに今は幼いので戦争の絵は怖がるので見せていません。広島や長崎の絵は地獄絵図ですし、今は蝉の死骸も「疲れて休んでるんだよ」と伝えているくらい、死というものの伝え方、また彼女から、その言葉が出るのを怯えています。
 私自身、消化し切れていない事柄を人に伝える、それも多分娘であればそれが最初の情報となる話でありますので、先入観を与えず、しかも他の情報と比較対照できるようにしてあげたいと(これは他の分野でも及ぶ限りですが)思う反面、自分の至らなさにがっかりする毎日です。
 ただ、私は科学も宗教も、双方の蓋然性が高い部分をまず真実っぽいものとして、考えの土台として遂行を重ねて欲しい(できれば土台の一部になりたいですが)と思います。もし間違っていれば、ご指摘いただければ幸いです。
 
回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/16 00:37

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