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 そもそも、日本人の大半は仏教の事を勉強してない(筈)なのに、
坊さんに念仏を挙げてもらい、線香を炊き、仏壇に祈るのでしょうか?
 つい最近親戚が亡くなったのですが、僕はそんな葬式には参列を拒否しました。
 世間体で葬式にでる事がいやなのです。
 そうした、仏教の勉強などした事のないやからに、
 「私はこうだから世間体のためだけにやる葬式にはでない」
 という方法を相手が納得する回答を教えてください。
 もしくは
 「こうこうこう言う理由で坊さんは念仏をあげ、線香をあげるのだから、葬式には
 参列すべきだ」という回答でも結構です。

 それなりに宗教(仏教、キリスト教)については勉強してます。詳しくはしてませんが。
 
 

A 回答 (10件)

#8です。

補足ありがとうございます。以下追加です。

>私は、その亡くなった親戚の人があんまり好きではありませんでしたし、親しい中でも無かったのです。
 そんな人間(私)が、亡くなった親戚の人の葬儀に来て、仮に、霊魂の存在を肯定するとして、亡くなった人の魂が喜ぶでしょうか? 喜ばないと思います。

それでいいんじゃないですか。結局葬式の形式の問題ではなく「心の問題」ということでしょう。

逆にどうしても見送りたい大切な人なら、その人が望むやり方で送る、という意思表明もなされていますよね(お父様の場合は嫌々らしいですが・・)

ここから先は私の経験です。

実をいうと私自身も宗教に対する考え方は質問者様とほぼ同じです。しかし、現在40代でこの歳までに全ての祖父母・叔父叔母数人・実母・友人4人を見送ってきました。友人は病気1人事故3人です。

特に実母の葬式のときに強く思ったのは「葬式というのは生きている人のためのものだな」ということです。

どういうことかというと、生きている人が亡くなった人のことを諦めて「もういないんだ」という気持ちを得るために行う儀式ということです。そこには「救い」という意味も在るのです。

この「救い」を考えたときに、宗教の必要性が高まります。亡くなった方をどうしても忘れることができない、1年経っても3年経っても悲しい・・
そういう場合に「心のより所」として必要なのが宗教で、葬式はきっかけでありそれから仏教なりキリスト教なりを「心のより所(必ずしも信仰しているわけではなく、故人との結びつきのツール)」として宗教を利用する人が多いのだと思います。

質問者様に大切な人を亡くした経験がおありかどうか分かりませんし、質問者様のような方であれば宗教により所を見出す必要もないのでしょうが、普通の人の心はもっと弱いものなのです。
たとえば子供を亡くした母親に、教会の牧師が「あの子は神が望んで天にお召しになったのですよ。あなたはつらいかもしれませんが、あの子はきっと神様のお側で幸せにしていますよ」といえば、それだけでも救いにつながっていくのです。

ですから一般的に葬式をなんらかの宗教形式で行うことに私は違和感を感じません。

質問者様が葬式に出たくないのは「弔いの気持ちがない」からでしょう。逆に弔いの気持ちがあれば形式には拘らずに参加されるのだと思います。

あの人は好きじゃなかったから「葬式には参加しない」それでいいんじゃないですか。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 私は未だ家族の誰も亡くした経験がありません。
 
 恐らく、私の母が亡くなった時に本当の
 自分の宗教を選ぶのかもしれません。

お礼日時:2012/08/23 00:09

>相手が納得する回答を教えてください。



ありません。

葬式とは、故人(なくなった人)を悼むための儀式であり、
(最後のお別れであり、遠い縁者と親交を結ぶ機会でもあります)
参列する人間にとっては、形式はどうでもよく、
参列することに意義があります。

最近は形式的な葬儀に疑問を持つ人も多く、
坊主は呼ばない。墓は作らない。という人もいます。
納得できないのであれば、自分の時だけは
そうするように縁者に頼んでおけばよいだけです。

うちのおやじはそう言っています。
葬儀など要らない。焼いた骨は海に撒いてくれと。

>世間体で葬式にでる事がいやなのです。

へ理屈をこねて、最後のお別れにも来ないような奴は、
非常識、恥知らず、恩知らずなものとみなされて、
そこの関係者からは縁を切られかねませんので、
地縁、血縁、業務上の取引先に関わらず縁があれば、
形式的に参加する。というのが一般的です。
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まず「葬儀」ということを考えます。

仏教式でも神道式でもキリスト式でも鳥葬でもなんでもいいです。

質問者様としてもこれを「しないでいい」とはお考えにならないでしょう。故人を偲び、最後のお別れをする機会ですから、セレモニーとして大切な儀式になります。

この部分は否定しない(参加する)という、論点でいいでしょうか。

そうなると次にセレモニーの様式の問題になります。

今ちょっと思いついたのですが、故人がキリスト教(またはイスラム教でも)を信仰していて、そのやり方で葬儀を行いたいといった場合、普通の日本人はどちらも信仰していないでしょうから、質問者様は仏教式と同様に参加を拒否されるのでしょうか。
ものすごく大切な関係が故人とあったとしてもです。

葬儀は基本的に何らかの宗教様式に則って行いますので、こういう問題は常に起きるうるわけです。

ではなぜ「何らかの宗教」の儀式で葬儀を行うのでしょう。もちろん場合によっては人前式(お別れ会)のような無宗教のものもありますが、日本の場合大体仏教式で行われます。


まず世俗的な理由として大きな理由になるのが「葬儀の仕方なんか分からないし、その後の供養の仕方も分からない」からです。
故人とのお別れセレモニーも大事だし、その後お墓に参って命日などには弔いもしたいけど、その方法がなんとなく分からない、ということです。

仏教式でやっておけば、その後の供養の仕方も教えてくれるし、命日とか3回忌とか折に触れて弔うことができるし、ということで宗教式に行うのです。ですので故人が生前に「キリスト教式に弔ってほしい」と願えば、それでもいいのですし教会に行けばその後のやり方も教えてくれるでしょう。

これが世俗的な理由です。

そして宗教的な理由もあります。よく日本人「無宗教」といわれますが、厳密には違います。正月に初詣し、結婚はキリスト教式、葬式は仏教と形は違っても人生の節目節目で「神仏」にお祈りしたり誓いを立てたりします。

日本人は「神仏」が大好きでどの神様でもいいからあやかりたい、といつでも願っているのです。

これを質問者様は「節操がなくて嫌い」と思うかもしれませんが、それのほうが間違いです。なぜなら「神様を一つに限定する」というのは一神教の考え方だからです。
もし質問者様がキリスト教徒やイスラム教徒、またはユダヤ教徒であれば「神は唯一なり。我の身をあがめよ」というエホバの言葉通りに実行する必要があります。

たとえば日本にいるイスラム教徒が日本の仏教式の葬儀に参列する場合は、お祈りをせず焼香もせず、イスラム式に手を合わせて故人を弔うということをするそうです。
一神教というのはこれぐらい厳しく「一つの神だけを信仰する」ということをやっているわけで、日本の「多神教」とはまったく異なるのです。

日本は本来多神教のため、こっちで伊勢にお参りし、帰り道で教会でやっている結婚式参列し、ついでに有名なお寺に観光がてらに寄って、帰ったらお仏壇と神棚にお土産をお供えする、ということもできますし、伊勢と神棚が違う神様を祭っていても問題なく観光に行ったお寺と自分のうちの仏壇が違う宗派でも問題ないのです。

ようするに日本のような「多神教」は節操がないのが普通であり、質問者様の価値観は「外来の一神教的価値観に毒されている」といえます。

もし本式に質問者さまが価値観を守るというなら、(仏教を勉強してないから)葬式に行かないという基準を元にすると、正月初詣に行かない、結婚式は出ない、神社や仏閣の敷地には立ち入らない、仏壇や神棚に手を合わさない、クリスマスはケーキすら食べないしご馳走も食べない、バレンタインデーはチョコを受け取らない、ぐらいのことをしなければなりません。
なぜなら、どの神様仏様に対しても敬うだけの勉強をしていないでしょうし、クリスマスやバレンタインデーが商業的であっても元は神様(聖人)を祝うという行為だからです。
あ、ハロウィンにディズニーランドなんかに間違ってもいかないでくださいね。

もしこれが「そこまで行っちゃうときつい」と思うのであれば、質問者さまは葬儀を「世間体で葬式にでる事がいやなのです」と拒否することはおかしいです。
つまり常時「世間体」と合わせて、日本的な宗教行事を行っているのに、葬儀だけ取立ててこだわっているからです。

はい、日本の宗教は「世間体」であり、そこから派生する神仏や迷信・お化け・幽霊であり、キリストもイスラムもいわしの頭も全部同じなのです。
これを深く追求したいなら「ユダヤ人と日本人」イザヤ・ベンダサン著PHP文庫を入門書と上げると共に、古典として「菊と刀」ルース・ベネディクト著、とっつき易いものに司馬遼太郎の著作などを上げておきます。

最近は日本も国際化しつつあるので、いろんな宗教の儀式に参加することもありえます。また海外であればその国の文化として宗教と付き合うことになります。

その際に宗教的セレモニーに参加するかどうかの基準は「主役とどのくらい親しいか」でしょう。特に葬儀はもう二度と会うことはないわけですから「故人と会ってお別れをしたい」と思うのであれば宗教なんてどうでもいいことでしょう。

最後に今までの論と全く違うことを書きますが、
結局のところ「故人を弔う気持ち」があれば世間体なんてどうでもいいのだ、というのが私がお勧めする基準です。

この回答への補足

私は、その亡くなった親戚の人があんまり好きではありませんでし
たし、親しい中でも無かったのです。
 そんな人間(私)が、亡くなった親戚の人の葬儀に来て、仮に、
霊魂の存在を肯定するとして、亡くなった人の魂が喜ぶでしょうか?
 喜ばないと思います。

 それと同じように、たいして親しくも仲が良かった訳でもない人間が
今回、葬儀に参拝しているのを見て、なんだか、何のための葬式なん
だろうなあ、と思った訳です。

 私は、自分の中で信じている独自の宗教観があるので
(手塚治虫の火の鳥のような宗教観、手塚教ですかねw)
正月は初詣にも行きませんし、クリスマスをお祝いする事
もしません。
 人は死んだら何かに生まれ変わる、という信仰の持ち主
なので、盆にご先祖様の魂がこの世に戻ってくる、とも考え
る事は出来ません。
 いわゆる日本の仏式のお墓もただ、石に名前が書いてあ
って骨があるけのものでそれ以上でもそれ以下の存在でも
ありません。

 自分が死んだ時は骨を海にでも巻いてくれ、と周りの人間に
は言ってあります。

 両親は仏式葬を希望しているので、いやだなあと思いながらも、
多分仏式葬をやると思います。ただ、坊さんは呼びたくないです。
 私にとって意味不明のお経(大半の人はそうだと思いますが)や
 さらに意味不明の戒名などのために坊さんに金を払うのが不快
だからです。
 
 それでも坊さんにお金を払わなければいけない程の価値があるんで
しょうかね?

補足日時:2012/08/21 18:36
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仏前とか神前の結婚式には参列しないので?

この回答への補足

しません。結婚も宗教的な意味合いの結婚式には参加したくないです。
自分が結婚するとしたら現実的な、法的な問題で婚姻届は出そうと考
えております。

補足日時:2012/08/22 01:19
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 結婚式には、披露宴ってしますよね。

何故するかと言えば、いっぺんに披露・御祝いをするためです。連絡を聞いて、毎日入れ替わり立ち替わり親戚友達が訪ねてきて披露するのが続くのは不経済ですよね。
 それの死亡版が葬式だと思ってください。葬式に行かなくても、あなたはいずれ参って、香典を置くのではないですか?いつ来るかわからない人を待つのは迷惑ですよね。宗派は、要は墓をどこにするかの外資系か日本系かの問屋みたいなモノです。振り分けてここに埋葬を指示する。供養も指示する。親戚は、親の子ですから、拝みにも育った家も来たい。何回忌というのも、毎年来られては困るからです。だから、期日をある程度決めて、問屋が潤う周期でいっぺんに拝むことを考えた。
 逆に何も無しで、どう弔います?向かいの土手に骨埋めて、かまぼこの板に名前を書いて、建てますか?100均に代表されるように、今は手作りがいちばん金が掛かります。
 意外と合理的でしょ?
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はじめまして



逆に質問したいです。
どんな葬儀なら参列するんですか?
質問者さんの考えであればどの葬儀も参列できませんよね?


仏教を信仰していないから仏式の葬儀に参加しないというのは大きな間違いです。

キリシタンでも、仏教の葬儀には参列できますし、しますよ。

共通の知人が亡くなり、仏式の葬儀だったのですが、ニュージーランド人のキリシタンの友人も参列しました。

当然、外国人ですしやり方や意味なんてわからないです。
数珠なんて持っていませんでしたし、
変わりに十字架を握りしめていました。

参列する・しない は宗教の信仰ではないですよ

この回答への補足

葬儀の主催者が「とりあえずみんながやってるから仏式で」と
いうようなものであれば、よほどの事情がない限りは行くこと
を拒否しますね。
そうですね、どんな宗教、宗派の葬式でも、葬儀の主催者の毅然たる宗教観、死生観、倫理感をもっての葬儀なら私は行くんだろうな、と思います。

そして、各自それぞれの宗教感で死者を思う。
私はその時は手を合わせて、「どうか、良き旅立ちを」と
心の中で呟きます。
 輪廻転生を信じているもので。
 許されるのであれば、私は葬儀には死者にそれだけの
儀式をして、あとは帰ります。
 なんとなく支離滅裂かな、とは思いますが今思う
「どんな葬儀なら参加しますか」の答えがこれです。

補足日時:2012/08/22 00:06
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 そうしきよりおはかです。


 そうしきはそうりょをやしなうため。
 おはかのひつようせいは。
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葬儀に参列するのは死者への思いからです。


なので、出る必要のない相手ならば義務で出る必要はないでしょう。
が、ある程度社会人として生きている人ならば出ておいた方が良いのは、自分の主義主張と関係なく、良いと判断するべきでしょう。
たとえば犬は死ねばゴミと一緒にゴミ処理場で焼きます。
インドではインダス川のほとりで火葬してすべて川に流します。
それらを見送りたいという気持ちのある人はそこに集まります。

ただ、どんな人でも葬儀を執り行えば沢山の人に集まってもらいたいし見送ってもらいたい。
それに参加することは死者に対しても遺族に対しても思いやりと言うものでしょう。
そういうことがわかるような年齢になってからでもいいと思います。

村八分と言う言葉がありますが、これは村全体で特定の人を無視するということです。
が、なぜ八分なのかと言うと、家事と葬儀には参加するという意味なのです。
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屁理屈ですね。

納得させるなんて無理ですよ。

宗教を信仰してない人は死者を弔ってはいけないんですか?
たまたま仏教式の葬儀が、日本では普及して一般的なだけですよ。
キリスト教式も無宗教式もあります。
最近ではさらに自由な葬儀を挙げる人も少しずつ増えています。
仏教式が多くの人に馴染みがあってわかりやすいから通常そうするだけです。
葬儀だけの事でなくその後の法事もありますが、故人を偲ぶためによくできたマニュアルなんですよ。
出来合いのマニュアルを使ってそんなに悪いことですか?
皆が皆、趣味趣向を凝らしたオリジナルな葬儀を挙げなければいけませんか?

あなたはクリスマスにはケーキを食べてプレゼントもらって正月には神社で初詣してお盆やお彼岸には休みをとる普通の日本人として育ったのではないのですか?
今さらなんで葬式だけ拒むんですか。
出たくなければ相手を納得させようなんて思わずに単に不義理しておけば良いことです。
その結果どういう事が起きても自分で責任とってください。
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そう思うのであれば、出なくてよいでしょう。



葬式は仏式、神式に関わらず、亡くなられた方との別れの式、とくに親族にとっては亡くなったことを受け入れるための必要だと思いってます。お世話になった方が亡くなられた時は御礼のつもりで行ってます。まぁ生きてるうちに御礼すればいいだろって言われるかもしれませんが、これがなかなかむずかしい。
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