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どちらも槍の名手ですが どちらが槍使いに長けていたのでしょうか?

義理の叔父と甥の関係で血縁関係は無かったので両者の槍の上手さはたまたま偶然だったと思いますが
利家は 槍の又佐とか 堤の上の槍 と呼ばれたほどの名手だし
慶次郎もそのかぶき者ぶりと槍裁きに秀吉が惚れて100万石で家臣にしようとした程です

甲乙つけがたいとは思いますが どちらがすぐれていたのか教えてください

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A 回答 (11件中1~10件)

前田利家は赤母衣衆として働き実際に槍により武功をあげたわけですが、慶次郎利益の武功は関ヶ原時であり60前後ですよね?それ以前も前田家の一員として当然戦場に出たわけですが、ほとんど個人としての記録はないわけで、戦場で実際に槍を振るって強かったと我々が判断するのは無理があります。


おそらく歌舞伎者として、演武のごとく人前で槍を振り回すのは強かったが戦場でとなると人並みだったのではないでしょうか?

ただし武将としては没落後の上杉家でも厚遇で召し抱えられたのですから、かなりのものだったのでしょう。
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この回答へのお礼

慶次郎が上杉家に召抱えられたのは 利久が上杉景勝の接待役をしたときのエピソードがあったからです

信長に斬られそうになった利久を景勝が救ったことに慶次郎は恩を感じていたみたいです
 それから直江兼続とは親友どうしの付き合いでしたね

お礼日時:2012/08/23 16:45

本多平八郎は忠勝の事ですか?

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この回答へのお礼

はい 平八郎は忠勝ですよ
かれの槍が蜻蛉切ですから

お礼日時:2012/08/24 06:33

あれ? 間違っていました?


すみません_(._.)_
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この回答へのお礼

お礼日時:2012/09/17 21:27

こんにちは。


juntsuboiでございます。

私の記憶が確かなら前田利家は『蜻蛉切』という
朱色の名槍を信長から受領しているはずです。
前田慶次郎の槍は全てが金属製で、突く・切るだけでなく
殴り殺す事が出来たそうです。
身長六尺三寸の慶次郎ではないと扱えないでしょうね。
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この回答へのお礼

蜻蛉切は本多平八郎の槍ではないですか?

お礼日時:2012/08/23 21:42

度々juntsuboiでございます。



確かに滝川一益の甥っ子です。
滝川一益は織田信長が安土城を拠点とし、家督も岐阜城にいる
信忠に譲っていて、信長は一益の事を
「父と思え」と言ったそうですが、
滝川一族の資料は残っているのに、滝川一族出身の
なぜ前田慶次郎の資料は少ないのでしょう?
不思議ですね。
前田家から出奔したのがいけなかったのですかね?
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この回答へのお礼

出奔も何も母が再婚したとき慶次郎は まだがきんちょでしたからね
前田家の人間として扱われているので滝川家に資料が少ないのでは?

お礼日時:2012/08/23 09:20

再びjuntsuboiでございます。



前田慶次郎の身長は六尺三寸(190cm)と高く、
忍者には不向きだったのでしょう。
ですから前田利久の養子になった可能性は高いですね。
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この回答へのお礼

前田利久が再婚したので養子になりました 妻の連れ子ですから

ちなみに慶次郎は滝川一益の甥です

お礼日時:2012/08/23 08:48

追伸です。



豊臣秀吉が家臣にしたがったのは、秀吉が
「歌舞伎者を見たい」と所望し、慶次郎が髷を斜めに結い、
お辞儀をする時は顔を横に背けていて、
『髷は正面だけど本当はそっぽ向いているんだよ』という意味でした。
そして秀吉は「大義であった(帰ってよしという意味)」と言い、
慶次郎は帰ります。
秀吉は慶次郎に褒美を与える事を忘れてもう一度呼びます。
その時に慶次郎は正装し「歌舞伎者には用が無いと仰ったので」と
言い、その言動に秀吉は惚れ慶次郎を家臣にしたくなったのです。
槍さばきに惚れ込むのはその後です。
しかしこれも眉唾。
実際に戦っている慶次郎を秀吉は目にしていません。
上杉家の佐渡島出兵と朝鮮出兵も秀吉は現地に行っていません。
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この回答へのお礼

派手好きな秀吉らしい考えですね

お礼日時:2012/08/23 08:02

おはようございます。



慶次郎は火縄銃を得意とする滝川一族の忍の出身ですから
資料が少なくて苦労されていらっしゃるのでは?
残っている資料は上杉家が越後から米沢に移されて、
直江兼続に付いていって隠生したので、
米沢に残っている資料くらいしかないでしょう。
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この回答へのお礼

そうです 元は忍者という説もあります

お礼日時:2012/08/23 08:02

訂正と追加です。



前田利家は赤母衣衆筆頭。

前田慶次は許可なく勝手に朱槍を持っていました。

この回答への補足

勝手に持っていたんですか?

補足日時:2012/08/23 06:35
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2012/09/17 21:28

こんばんは。



前田利家の方が上だと思います。
前田利家は赤袰隊筆頭でした。
前田慶次の頃は時代的に戦の少ない時代で、比較が難しいです。
朝鮮出兵や上杉家の佐渡島の出兵したそうですが、
それだけでは判断に困ります。
前田慶次の身長は六尺三寸(190cm)といわれているので、
槍の名手といわれても不思議ではありませんね。
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この回答へのお礼

慶次郎は槍を使えば天下無双と評されていたので 個人的には慶次郎だったのかなと 色々調べるうちに思うようになりました…

お礼日時:2012/08/23 06:35

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前田利家が参戦した戦は37です。
その中でも、近江箕作城の戦い及び越前金ヶ崎城の戦いでは槍をふるって敵の首を取っている。また、摂津・春日井堤の戦いは「堤の上の槍で」と信長に讃えられている。武勇に優れていた事は間違いありません。

慶長4年(1599年)2月、病躯をおして、利家は和解の実を示す為に伏見に家康を訪ねている。
また、同年3月、家康は病気見舞いと答礼をかねて、大阪城に利家を訪ねている。その際、利家は病状が悪化し、やっと床を這い出て中の間で家康と対面している。この二つの状況からも利家の「律儀さ」が窺えると同時に、家康が一目置いてた大大名利家の存在感を現しています。

石田三成は病中の利家を訪ね、看病と称して前田邸に詰めた。加藤清正、黒田長政、浅野幸長、池田輝政、福島正則、細川忠興、加藤嘉昭の七大名から逃れるためであった。七大名も利家の顔を立てて、三成に手だしをしなかった。ここでも、利家のすごさが窺えます。

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なぜ前田慶次は、前田(慶次郎)利ます?(なんですよね?)なのに、
一般的に前田慶次って呼ばれてるんでしょうか・・・。

どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。

Aベストアンサー

今では名前というと「姓=苗字」+「名」と2つの組み合わせだけなのですが
昔は「姓」も「苗字」も別のもので「名」も幼名・字・諱等多くの種類がありました。
それらを全部繋げて述べるのではなく一定の決まりによって呼び名やつなげ方が変るのです。
事細かに述べると長くなりますが前田利家の例であげれば
姓は菅原朝臣・苗字は前田・幼名が犬千代・字が又佐衛門・諱が利家となります。
幼名は字の如く幼い時の名です。
大人になると大人としての名が付くのですがそれまではこの幼名で呼ばれます。
一般的に名を呼んだり書いたりする場合は又佐衛門と呼びます。
正式な文書として名を署名する時は利家が用いられます。

信長は前田利家を随分可愛がっていたようで長じても幼名の犬千代から犬と呼ぶ
こともあった様に話が残されておりますが、信長は家臣をあだ名で呼ぶことも
多く残されておりますので、そんなつもりで呼んでいたのでしょう。
同輩で長じても犬と呼ぶものがいたら余程仲の良い者達であったかもしれません。

今日、前田又佐衛門ではなく前田利家が一般的なのは教科書によるものだと思います。
諱の方が正式な場で用いられますので教科書もそのようにしているのでしょう。

前田利益(利大)よりも前田慶次郎で通っているのはやはり「花の慶次」の影響が強かったのだと思います。
このコミック連載前にもいくつかの書籍等で登場することもありましたが
利大であったり利益であったり、慶次郎だったり慶次だったり、まちまちです。

一般的には「苗字+諱」で書くことが多いのですが。学校で習うような大名・武将
以外の場合は、「何で知名度があがったか」に左右されるかと思います。
人気の出た小説やコミックで用いられていた呼び方がそのまま定着するのでしょう。
水戸光圀がTVの影響で水戸黄門と呼ばれるほうが一般的になってしまった様なものだと思います。

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大人になると大人としての名が付くのですがそれまではこの幼名で呼ばれます。
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