三国志を読んでいたら、大勢で戦争をしているのに、大将同士の一騎討ちをやることが結構あります。
実際のところ、そんなことってあったのでしょうか。日本の場合でも良いので、教えてください。

A 回答 (5件)

三国志ではsoukenさんのおっしゃる通り正史ではほとんど一騎打ちは出てきません演技の中でのみそれはとてもドラマチックに書いてありますね。


では日本ではどうでしょうか?
日本の場合も勝てば官軍と言う所も少しはあるかもしれませんが
一騎打ちというのはほとんど聞いた事がありません。
長尾影虎(上杉謙信)は本気で先頭切って戦っていたらしいのですがお話の中には川中島の戦いでは武田信玄と直接戦った事があるとありますが、実際はなかったと思います。
頭首とは1つ捕れば良いらしいのではなく複数取るほうが戦術的にも効果があるのはわかっていたらしく1人切ったからもう戦が終わるなんて事はないらしいですよ
笹の葉才蔵(本名はわすれました)は、頭首を持ちきれないから口の中に笹を入れ後でそれを回収していたようですからまあ一騎打ちはあんまり三国志のようにドラマチックになりようもないといった感じでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
皆さんの意見を総合してみると、一騎打ちは、なかったような気がしてきました。しかし、人間って環境が変われば、とても残酷にも慣れるんですね。

お礼日時:2001/06/20 21:58

自分の回答に対して補足が出来ないための再度の書き込み、失礼します。


bigseaさんが「実際のところ」と仰っていたので、それに関する忌憚の無い意見を述べさせてもらいましたが、少しきつい物言いになってしまいました。
bigseaさんがもし気分を害されたのでしたら、本当に申し訳ありません。
漫画(横山三国志でしょうか?)や演義は読み物として良く出来ており、私も大好きです。決してそれらの作品を非難しようと思っているわけでもありません。
因みに私の名前も三国志の武将からとっています。それだけ三国志が好きと言う事ですが。
誤解を招くような発言をしてしまい、本当に済みませんでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
> 誤解を招くような発言をしてしまい・・・

とんでもないですよ。私のほうこそ、誤解を招くような言い方だったようです。soukenさんは、知っている事実を私に教えてくれたわけですから、とっても感謝しております。私のほうが、言葉足らずでした。私が言いたかったのは、事実は事実、作り話は作り話として面白いということです。
また、何かの質問の時、よろしくお願いします。

お礼日時:2001/05/25 20:04

bigseaさんの読まれたのは、正史ではありませんよね?


結果から言うと、そのような事はあまり無かったのでは、と思います。
「三国演義」では、魏や呉の武将が蜀の武将に討ち取られるシーンが数多くあります。しかしそれらは蜀に華を持たせるためのでっち上げです。
例としては、呉の朱然は、演義では夷陵の戦いで趙雲に討たれていますが、正史では呉の重鎮として夷陵の戦いの後も生き、天寿をまっとうしています。
他にも、定軍山で黄忠に討たれた夏侯淵や、白馬、延津で関羽に討たれた顔良、文醜(董卓軍の華雄も)などはいずれも彼らに斬られたという記述は無く、正史ではただ戦死したと書かれているのみです。
恐らく、殆どの武将は流れ矢に当たるか、名も無い兵士に斬られるかして死んでいったのでしょう。
それを羅貫中が蜀将の手柄として捏造したのだと思います。彼自身が諸葛亮の「出師の表」を読んで感銘を受け、蜀贔屓になっていたのかも知れません(笑)
何しろ中国では「出師の表を読んで涙せぬ奴は人間ではない」と言われるくらいですから…
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私が読んだのは、三国志の漫画です。その漫画の三国志ファンとしては、あれは蜀に花を持たせたお話だったと言うのは、ちょっとグサリです。前に、諸葛亮孔明もそれほど能力があったわけではないようなことを聞いたことがあります。
私としては、漫画のほうは傑作だと思っており、それはそれで良いのです。何を言いたいのか分からなくなったのですが、ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/16 22:58

日本で「三国志」と呼ばれているものは、羅貫中の「三国演技」がベースになっています。

これは言わば大衆向けの講談の世界な訳ですから、歴史書である「三国志」とは別物と考えていいのではないでしょうか?

日本人的感覚から言うと、計略、謀(はかりごと)は卑怯なこととされますが、中国人的感覚からすると、賢くて素晴らしいことなのです。「三国演技」にも「空城の計」だの、ありとあらゆる騙し合いが描かれています。

「三国志」や「史記」のような正史は極一部しか読んでいませんが、あまり大将同士が一騎討ちするなんて話なかったような気もします。真面目に読んでいないのでウソだったらゴメンなさい。

有名な「孫子」にしても、「百戦百勝は最善ではなく、戦かわずして勝つのが最善である」ことが明記されています。「戦かわずして勝つ」とは、敵を知り、己を知り、スパイや後方撹乱などあらゆる知略を尽くして戦闘(戦争ではない)なんて無駄なことを極力避けるという思想に他なりません。

「三国演技」では張飛や呂布が大活躍しますが、最前線で敵の首を袋から物を取り出すように取りまくる(これを「探嚢取物」と言います)なんて荒唐無稽な作り話だと私は思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私が読んだのは、三国志の漫画です。とっても面白かったです。ですが、やはりかなりの部分は作られているんでしょうね。

お礼日時:2001/05/16 22:31

洋の東西を問わず古代の戦法では大将同士の一騎打ちは普通だったようです。

戦争の目的が、何かの争いに決着をつける手段であり、相手を全滅させるのが目的ではなかったとすれば納得性のある方法です。日本では正確には知りませんが、恐らく15世紀ごろまで(鉄砲中心の戦いに変わるまで)はこの美風が残っていたようです。戦争が集団戦になるまでは、個人個人も名乗りを上げて、名誉をかけて戦っていたので、相手に名乗りをあげず、名乗る暇を与えず襲いかかるのは卑怯と見なされた訳です。「やーやー、近くにおらば目にも見よ、遠からんずば音にも聞け」と相手に名乗りを上げれば、同格の敵が同じように名乗りをあげてから討ちかかってきたことになっています。このような一見のんびりした戦い方は、信長時代前後から様変わりとなり、敵より長い槍を使い、馬上の敵は数人で取り囲んで討ち取る、鉄砲の数で敵を圧倒するなどと、だんだんと近代戦に近づき、勝てば官軍の考え方が広まったようです。

平家物語に平家の若い公達が、戦場から逃れようとするところを源氏の武将に呼び止められ、相手に勝てる見込みはないのを承知で引き返し首を取られる場面があるので、「ヤーヤー・・・」は後の講談師の作り事でもなさそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
戦争のやり方にも、昔は人間味があったんですね。

お礼日時:2001/05/16 23:03

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Q(再掲)朝鮮半島の歴史上の人物

現在、韓国の歴史人物について調べているのですが、詳細な資料が見つかりません。
皆さんの知ってる韓国の歴史人物の知識を教えて下さい。
織田信長・徳川家康・源頼朝など、歴史を次の時代に進めた歴史上の人物をお願いします。

私の知っている朝鮮半島の歴史上の人物は安重根・李舜臣ですが、

安重根は、ケネディ大統領を暗殺した犯人・ファイサル国王を暗殺したオマル師・朴正煕大統領を暗殺した金載圭、
などのテロリストの領域を出ない人物だと思います。

李舜臣は日本史上の人物で例えると、九鬼義隆や源義経など現場指揮官クラスの人物です。
源頼朝や織田信長など明確なビジョンを持って歴史を動かした人物ではないと思います。


1)朝鮮半島の歴史上の人物で織田信長・徳川家康・源頼朝など、歴史を次の時代に進めた歴史上の人物。
2)その人物が成し遂げたこと。
3)その人物が出現した後、どう変わったか。
をご教授下さい。

ご協力おねがいします。

Aベストアンサー

朝鮮の歴史を簡単に述べると、古代において君主制の中央集権の統一国家が
出現し、それが近代に至るまでずっと続いたということです。
日本やヨーロッパのように、封建制が間に入らないので、織田信長級の変革者
となると、数は限定されます。


今までに名の挙がってない人物で重要なのは、新羅の金春秋かと思います。
最近、少しずつ韓国の歴史を調べているのですが、今に至る韓国の歴史の
流れを決めたという点で、金春秋の存在は非常に大きいと思います。

こういうと語弊があるかもしれませんが、事大主義の先覚者ですね。
彼が活躍しなければ、新羅が勝者となることはなかったかと思います。
高句麗などは隋や唐の遠征軍を何度も退けて、自主独立の気概を示していた
のですが唐と同盟を結んだ新羅が韓半島を統一することで、その後の韓半島
の歴史が決まりました。

他にも、中国文化を積極的に導入し、名前までも中国風に改めたことなどは
やはり金春秋の影響が大きいと思います。


もう一人名前を挙げるとすれば、他の方の回答にあるように朴正煕大統領
ですね。朝鮮半島が最終的に赤化されなかったため(近い将来、あるかも
しれませんが。;^^)、日本にかかる共産圏の軍事的圧力が減り、日本は
その分経済発展することができました。

開発独裁の担い手として批判も多い朴正煕大統領ですが、客観的にみて日本の
恩人とも言えるかと思います。

朝鮮の歴史を簡単に述べると、古代において君主制の中央集権の統一国家が
出現し、それが近代に至るまでずっと続いたということです。
日本やヨーロッパのように、封建制が間に入らないので、織田信長級の変革者
となると、数は限定されます。


今までに名の挙がってない人物で重要なのは、新羅の金春秋かと思います。
最近、少しずつ韓国の歴史を調べているのですが、今に至る韓国の歴史の
流れを決めたという点で、金春秋の存在は非常に大きいと思います。

こういうと語弊があるかもしれませんが、...続きを読む

Q【三国志】三国志って実話なんですか? 中国古典に三国志という書物がないんですけど日本人が歴史を読んで

【三国志】三国志って実話なんですか?

中国古典に三国志という書物がないんですけど日本人が歴史を読んで三国志という名前で纏めたってことでしょうか?

日本で三国志は有名なのに中国古典に三国志という書がないんですけど。

Aベストアンサー

中国では「三国演義」というアルヨ。
三国志は中国の正史アルネ。

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皆さんの知ってる韓国の歴史人物の知識を教えて下さい。
織田信長・徳川家康・源頼朝など、歴史を次の時代に進めた歴史上の人物をお願いします。

私の知っている朝鮮半島の歴史上の人物は安重根・李舜臣ですが、

安重根は、ケネディ大統領を暗殺した犯人・ファイサル国王を暗殺したオマル師・朴正煕大統領を暗殺した金載圭、
などのテロリストの領域を出ない人物だと思います。

李舜臣は日本史上の人物で例えると、九鬼義隆や源義経など現場指揮官クラスの人物です。
源頼朝や織田信長など明確なビジョンを持って歴史を動かした人物ではないと思います。


1)朝鮮半島の歴史上の人物で織田信長・徳川家康・源頼朝など、歴史を次の時代に進めた歴史上の人物。
2)その人物が成し遂げたこと。
3)その人物が出現した後、どう変わったか。
をご教授下さい。

ご協力おねがいします

Aベストアンサー

ここを見て頂ければよいかと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E5%AE%97_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B)

Q三国志時代における実際的な兵数の定量的に推量方法は?

三国志における兵数(曹操軍20万等)の記述は、誇張があるとは思いますが、実際問題どの程度だったか?ということを定量的に推量する方法を探しています。

・当時の全人口から、兵として徴用可能な人数をある程度割り出す方法。
・当時の食料の生産性等から推量する方法。
・軍事的な常識や戦術論から推量する方法。
などがあると思いますが、
より具体的に調べるにあたって
たとえば、参考になる文献や資料などをご存じないでしょうか?

(三国時代の社会背景や風俗について書かれたもの以外にも、
 同時期のヨーロッパにおける軍隊情報や、
 はたまた、社会工学的なアプローチや、あるいは民俗学的な資料、
 生理学的な食物論でも、何でもかまいません。)

より大雑把に、小説を読むときは、
およそ10分の1~100分の1と、割り引いて読んでみたりしていますが、

せめて、軍隊数の実質的なオーダー(桁数)は、合わせたいと考えたいと思い、質問させていただきます。

Aベストアンサー

私は、だいたい下記のように推測しています

100万人で3万人
100万石で100万人の生産力があるという前提。
北条攻めが近接する大名は100万石で5人、中間地帯が3人、遠隔地が1人だったと記憶しております。

上記は戦国末から江戸初期の兵農分離が完了した段階での動員力です。
農業社会ではだいたいこの程度が農業の再生産を妨げないような動員比率のようです。

この推定を三国時代に当てはめると総人口で700万なので、総兵力21万程度。
魏:400万程度=12万
呉:200万程度=6万(防衛戦で根こそぎ動員だと、10万)
蜀:100万程度=3万(防衛戦で根こそぎ動員だと、5万)
という程度ではないかと。

Q好きな歴史人物を教えてください。

好きな歴史人物を教えてください。

自分が好きな歴史人物は坂本龍馬です。
今大河ドラマ龍馬伝でやってる通り生き様が羨ましいです。

他には徳川家康とか暴れん坊将軍吉宗、それに織田信長です。

是非皆さんの好きな歴史人物を教えてください!

Aベストアンサー

『坂本龍馬』=ただの一志士でありながら他の人間とは違った己が信じる平和の道を模索する姿が素敵です。

『高杉晋作』=「おもしろき こともなき世に おもしろく」彼の辞世の句ですが、本当に高杉晋作の人となりを良く表した一句だと思います。

『織田信長』=戦国時代で圧倒的な存在感の信長は本当に男惚れする人物ですね。ただ社会人になった今となっては、もし上司が信長だったら?と考えるととても生きた心地がしませんが・・・。

『豊臣秀吉』=農民から天下人まで駆け上った言わずと知れた、日本史上最大のサクセスストーリーの持ち主。当時としては奇想天外な柔軟なアイディア(墨俣一夜城建設、高松城の水攻めなどなど)はかなり個人的にはワクワクします。また、人心を読み、動かす事にも長け、こう言った部分でも社会人としては見習いたくあります。しかし晩年の朝鮮出兵は秀吉好きの私としても受け入れられませんね。


ちなみに、暴れん坊将軍吉宗はドラマのキャラクターは史実の人物像からはかなりかけ離れてますよ???
史実の人物像はかなりの倹約家で財政難の幕府を立て直すのに必死だったそうです。
とか言いながらも私もドラマの暴れん坊将軍は大好きですけどね

『坂本龍馬』=ただの一志士でありながら他の人間とは違った己が信じる平和の道を模索する姿が素敵です。

『高杉晋作』=「おもしろき こともなき世に おもしろく」彼の辞世の句ですが、本当に高杉晋作の人となりを良く表した一句だと思います。

『織田信長』=戦国時代で圧倒的な存在感の信長は本当に男惚れする人物ですね。ただ社会人になった今となっては、もし上司が信長だったら?と考えるととても生きた心地がしませんが・・・。

『豊臣秀吉』=農民から天下人まで駆け上った言わずと知れた、日本史上...続きを読む

Q南京大虐殺 実際に大勢の人を殺害したのですか?

実際にどれだけの人を殺害したのでしょうか?

Aベストアンサー

この質問は過去に何回も出ています。
そこでは、自分で見てもいないのに、虐殺があったと主張したり、証言者の素性も調べずに証言を盲信する方がたくさんいらっしゃいました。

しかし、自称「目撃者」が本当に目撃者とは限りませんし、「本当の目撃者」でも全ての証言が事実とは限りません。
以上から、検証されていない証言に証拠としての能力はありません。
それに、旧日本兵には↓ような中国帰還者連絡会(中帰連)のように、中国で捕虜になり洗脳された人達もいます。

【中国帰還者連絡会】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B8%B0%E9%82%84%E8%80%85%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A
(731部隊・南京事件・強制連行などについて積極的に証言し、証言者への協力を行なうことでも知られる。

上記の活動について『撫順戦犯管理所に抑留された旧日本軍将兵が中国側に洗脳されたもの』と主張するものもいる[1]。)

【中帰連・撫順戦犯管理所洗脳プロセス(南京関連)】
https://www.youtube.com/watch?v=RAdq0kAn24o&feature=player_embedded


一方で、「虐殺はなかった」と言っている旧日本兵の方々もいらっしゃいます。

【参戦勇士九人が語る「南京事件」の真実】
https://www.youtube.com/watch?v=OHaZh901LqA


>南京大虐殺 実際に大勢の人を殺害したのですか?

回答:民間人への無差別な虐殺があったと言う資料はありません。

この問題では、まず虐殺の定義が問題になります。
肯定派は単純に死者の数を問題にしますが、戦闘で兵士が戦死するのは、数がいくら多くても虐殺ではありませんし、殺した方の責任でもありません。そんな犠牲が出るような戦闘をした(させた)方に問題があるだけです。

占領後の戦闘による死者が出た事はありますが、これについては他の方も仰っていますが、
それはゲリラ(中国では便衣兵)の掃討であって虐殺にはなりません。
国際法では、作戦中の兵士は軍服の着用が義務付けられています。
それをせず、民間人の服装で、一般人に紛れて作戦行動をすればゲリラやスパイと見做されます。
実際、南京陥落後、逃げ遅れた中国人兵士が、降伏勧告に従わず市街に潜伏しゲリラ活動を行いました。
それらを掃討する時に、民間人に犠牲者が出たこともあったかも知れませんが、これはゲリラ側の国の責任です。

中国側は南京以外でも、このようなゲリラ戦を行っており、民間人の犠牲を避けようとする日本兵の方が苦労をしていました。


その他の略奪や暴行についてですが、岡村寧次大将は、著書(「岡村寧次大将資料(上)戦場回想編」(原書房)で南京攻略時のことについて↓のように語っています。

『漢口占領当時支那人及外人は南京攻略時の我軍大暴虐より推察して我軍の暴行を予期せしが案外に軍紀厳粛なりしかは民心大に安定せり。
然るに入城后二、三日にして第六師団其の他に強姦事件二、三発生し謡言次で起り、市中不安を招きたるは遺憾とする所なり。
予は武漢入城に際しては極力兵力を減少し漢口に入れたるは第六師団の二大隊のみ又第六師団も入城前随分厳格に訓諭するありしも一年以来の悪習は容易に将兵全部を改悛せしむるに至らず、燦然たる戦功を樹てたる部隊が遂に一汚点を印するに至りたるは遺憾なり。

被害者の多くは外人宣教師の許に遁れて再難を防きたる為是等外人より我憲兵に告訴し来り事件は世界的に喧伝せらるへし。
予は本日軍の宣撫規定を発布するに臨み改めて是等非行厳戒の旨を訓示せり。』

ということで、強姦事件が2、3件【も】あったようで、岡村大将は
【「一汚点を印するに至りたるは遺憾なり」、「一年以来の悪習は容易に将兵全部を改悛せしむるに至らず」】
と嘆いています。
(中国政府は、日本軍は南京で殺戮の限り(30万人)を尽くしたと主張しています。)

更に、「二、三件」の強姦事件も、被害者を保護したと自称する外人宣教師の告訴によるもので、事実であるという確証もありません。


虐殺肯定派は物的証拠を出していませんし、「証拠写真」は捏造と判定されています。

【南京事件で使用される・ニセ写真】
http://www.history.gr.jp/~nanking/photo.html

【最新!「南京事件」関連資料】
http://www.history.gr.jp/~nanking/new.html#08

【大虐殺派のウソ写真と証言】
http://www.history.gr.jp/~nanking/lie.html

【南京大虐殺のそぼくな3つの疑問】
https://www.youtube.com/watch?v=CIuPz7zrVX0


これに対して「無実だという証拠もない」という意見がありますが、
無実の場合は「していない」という証拠自体が存在しないので、それを証明する事は不可能です。
(これを【悪魔の証明】といいます)

その為に、裁判では、原告が被告の犯罪の証拠を出す義務があります。
これを【告発側の立証責任】といいます。

↑の主張(無罪だという証拠がない=有罪)が認められるなら、裁判では常に原告が勝ってしまいます。

証拠がないのは処分されたからだという意見も必ず出ますが、それには↓の証明が必要です。

1:その証拠・資料を隠滅したという証拠。
2:1が事実だとしても、その処分された資料の中に該当するものがあった証拠。
3:2が事実としても、それが証拠能力がある資料であった証拠

資料=証拠能力があるもの ではありませんし、処分した者が証拠になると思っていた資料=本当に証拠能力がある でもありません。)


一方で、中国人が中国人や日本人を虐殺したという資料はあります。

【黄河決壊事件】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(1938年6月に、中国国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫である。事件当時は黄河決潰事件と表記された。中国では花园口决堤事件(花園口決堤事件)と呼ばれる。犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。)

このとき、中国国民党は「黄河決壊事件は日本軍が引き起こしたものである」という捏造情報を流しています。
(現実には、日本軍は決壊箇所の修理や避難民の救助を行っていますが、それに対しても、国民党のゲリラが攻撃を仕掛けています。)

【通州事件の真実 01 Sさんの体験談】(中国人のよる日本人の虐殺)
https://www.youtube.com/watch?v=U7vJtEzXo_g

南京事件は、中国の↑の行為や、連合国の原爆や、↓の戦時中の日本人(民間人含む)への戦争犯罪を、なにもかも日本が悪い事にして押し付ける為の捏造工作です。

【鬼畜米軍実録1 バンザイクリフの悲劇 サイパン 日本人が投降できなかった理由】
https://www.youtube.com/watch?v=IwAZsIbbq2I

【アメリカ軍の戦争犯罪】
https://www.youtube.com/watch?v=4nxOqeW4nCo

極東軍事裁判(東京裁判)はこのような意図の為に行われたものであり、裁判という名を借りた私刑でしかありません。
その為に、連合国の戦争犯罪については全く審議されていません。
(本来の軍事裁判とは、戦時中の双方の国際法違反の行為を公平に裁くためのものです)

【A級戦犯は冤罪】
https://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo




虐殺数30万人という数字についてですが、
日中戦争で戦闘が行われていた期間は、約8年です。
中国はその間に、日本軍は3500万人の中国人を殺したと主張しています。(南京事件30万人の約117回分)
これは月平均で、約36.5万人となり、毎月、南京事件レベルの大量殺人が 1.2回 起っている計算になります。

以上のことを事実とすると、中国が南京事件の30万人(数ヶ月間の死者数)を、何故ここまで問題になるのかわかりません。

この質問は過去に何回も出ています。
そこでは、自分で見てもいないのに、虐殺があったと主張したり、証言者の素性も調べずに証言を盲信する方がたくさんいらっしゃいました。

しかし、自称「目撃者」が本当に目撃者とは限りませんし、「本当の目撃者」でも全ての証言が事実とは限りません。
以上から、検証されていない証言に証拠としての能力はありません。
それに、旧日本兵には↓ような中国帰還者連絡会(中帰連)のように、中国で捕虜になり洗脳された人達もいます。

【中国帰還者連絡会】
http://ja.wikipe...続きを読む

Q歴史上の人物とは?

歴史上の人物、という言い方がありますが、明治の後期の偉大な人でも、生きていると歴史上の人物とは言いませんか?

Aベストアンサー

故人 =歴史上の人物
生存者=立志伝中の人物・傑物・歴史に名を残す人物

と言うと思います。
したがって、生存されている人は「歴史上の人物」
とは言わないと思います。

では。

Qベトナム戦争における米国の宣戦布告の実際

米国の年代の人と話すとすぐに真珠湾奇襲(スニーカーアタック)のことで日本はずるいとなります、ではベトナム戦争では米国ではいつベトナムへどのような手段で宣戦布告したんでしょうか? もし仏国の代理戦争なら正義の戦争代理人は宣戦布告が不要なのでしょうか?

Aベストアンサー

国際法では正式に戦争は宣戦布告を相互に行う事で国際的に認められる事に成っています。
ベトナム戦争はどこも宣戦布告を行った国はありませんので国際法上は内戦に成ります。

フランスの植民地であったベトナムで独立戦争が始まり北ベトナム人民民主主義共和国が勝利して独立を果たしましたが、共産主義国が拡大することを嫌ったアメリカが介入し南ベトナム民主義共和国を作りベトナムを南北に分割したのです。
アメリカは軍事顧問団と称してアメリカ軍を送り込みテコいれしましたが南ベトナムに解放戦線が結成され腐敗や弾圧がひどかった南ベトナム政府に反抗して内戦状態になりました。

アメリカは強力に軍事援助を行い南ベトナム解放戦線を制圧しそうになりこれを見た北ベトナムが祖国統一のため介入したのがベトナム戦争なのです。

従ってアメリカには宣戦布告する大義名分はありません。 たまたま派遣していたアメリカ軍が危険に陥りそれを救済するためズルズルと巻き込まれてしまっただけです。 このような状態で宣戦布告を行えば激しく非難していた日本の日中戦争と同じ立場になり国際的非難をあびます。
あくまで内戦として処理するしかなかったのです。

国際法では正式に戦争は宣戦布告を相互に行う事で国際的に認められる事に成っています。
ベトナム戦争はどこも宣戦布告を行った国はありませんので国際法上は内戦に成ります。

フランスの植民地であったベトナムで独立戦争が始まり北ベトナム人民民主主義共和国が勝利して独立を果たしましたが、共産主義国が拡大することを嫌ったアメリカが介入し南ベトナム民主義共和国を作りベトナムを南北に分割したのです。
アメリカは軍事顧問団と称してアメリカ軍を送り込みテコいれしましたが南ベトナムに解放戦線が...続きを読む

Q調べやすい歴史上の人物

中学生です。夏休みに、歴史新聞という課題を出されました。
条件は、『死んだ人』なら、誰でもいいらしいです。
でも、私は歴史上の人物の誰かにしたいのですが、どれもピンとこず・・・・。
死んでいて、中学生で習う歴史上の人物で、調べやすい人物はいませんか??

Aベストアンサー

歴史新聞の作り方
http://event.kids.yahoo.co.jp/summer2006/study2/society04/index.html

>中学生で習う歴史上の人物で、調べやすい人物はいませんか??

・聖徳太子
・天智天皇
・天武天皇
・源頼朝・義経
・足利尊氏
・織田信長
・豊臣秀吉
・徳川家康
・西郷隆盛

あたりは、エピソードがたくさん残っているので、やりやすいでしょう。

Q紫電改のタカで滝城太郎は最後に特攻に向かいますが、実際の太平洋戦争で、

紫電改のタカで滝城太郎は最後に特攻に向かいますが、実際の太平洋戦争で、エース級の腕を持つパイロットを特攻に出撃させるということはあったんでしょうか。

私の思うに、間に合わせで集めて訓練が未熟の兵なら普通に使っても撃墜されるだけなので、特攻は是非は別にしてそういう考え方自体は分からなくも無いのですが、エース級の腕前を持つなら、特攻させるよりは、普通に使った方がはるかに働いてくれるのではないかと思うのですが。

Aベストアンサー

ええっとですね、資料がどうにも見当たらないのですが、確か最初に特攻隊になった艦爆隊の隊長機は艦爆の世界で「神様」と呼ばれたエースだったそうです(名前がどうにも思い出せません)。
それで、その人はまあ当然爆弾を敵艦に当てて自分は生き残る自信は当然あったわけで、出撃の直前に「この俺がこんなものに出なければならないんだから、この戦争も終わりだ」というようなことを最後に残しているんだそうです。
なぜそんな非合理的なことをやったのかというと、まあ実に日本人的な話ですよ。エースと呼ばれるパイロットでさえ特攻に出るんですから、他の奴が「特攻なんて嫌です」なんていえねーだろ、ということです。「あの人さえ出たんだから!」というわけです。

んで、実際問題特攻つーのは大西瀧治郎をして「作戦の外道」といわしめるのですが、もう当時は特攻でも使わないとアメリカの軍艦を傷つけることができなかったんです。
またこれまた実に日本人的に発想すれば、こっちの部隊は特攻だけど、こっちの部隊は特攻じゃない、となると当然「そりゃ不公平だ」となると思います。だから「みんな一緒に特攻しようぜ」となった部分もあると思いますよ。

ええっとですね、資料がどうにも見当たらないのですが、確か最初に特攻隊になった艦爆隊の隊長機は艦爆の世界で「神様」と呼ばれたエースだったそうです(名前がどうにも思い出せません)。
それで、その人はまあ当然爆弾を敵艦に当てて自分は生き残る自信は当然あったわけで、出撃の直前に「この俺がこんなものに出なければならないんだから、この戦争も終わりだ」というようなことを最後に残しているんだそうです。
なぜそんな非合理的なことをやったのかというと、まあ実に日本人的な話ですよ。エースと呼ばれ...続きを読む


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