AKB48の推しメンをセンターにできちゃうかもしれない!? >>

みなさん、日本が太平洋戦争で犯した最大の失策はなんだったと思いますか?

また、アメリカとの国力差をみると負けるのは当然としても、もう少し善戦できなかったのかと考えてしまいます。



どうすれば、より善戦できたか。
また、善戦できなかった最大の理由はどこか、を教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (17件中1~10件)

負けは当然ではありません。


ただ単に大本営の作戦指導にミスがあっただけの事です。
勝ち目はありました。

最大の失策はアメリカ1番の弱点を攻めきれなかった事です。
今も昔もこれからもアメリカの1番の弱点は人種問題です。
当時は現在よりもさらに人種問題は深刻でした。
その人種問題を謀略を用いて攻めきれなかった事。これが日本軍最大の失敗です。

当時の米国では黒人等の有色人種の権利は法的にも低いもので平然と差別が行われていました。
黒人等の有色人種はそれに不満をつのらせていました。
太平洋戦争が始まった時も黒人達は、対外戦争での勝利と、国内での人権向上の権利を得る戦いに勝つ、二つの勝利を目指す「2つのV」というスローガンを掲げていたぐらいです。
政府としては国内を平穏にしておくためと、不足する労働力を得る必要性から黒人への権利拡大に動きます。
その結果、それまで白人しか働けなかった職場に黒人が配置されたり、黒人がそれまで就けなかった地位に就くようになりました。
しかし、これに反発したのが白人労働者で「黒人と一緒に働くくらいならヒットラーやヒロヒトが勝ったほうがましだ!」とストライキや暴動を起こしています。軍需工場によっては白人労働者の9割が職場を放棄したり、2万人の労働者が職場放棄した造船所もありました。
1942年8月のライフには緊迫する軍需産業都市デトロイト(軍需物資の3割以上を生産していた都市)について「デトロイトでは人種対立が激化し、ヒットラーと戦う前に互いに憎しみをつのらせている。モラルの低下は国内でも最悪の状況で、デトロイトはヒットラーを粉砕する前にアメリカを吹き飛ばしてしまう危険がある」という記事を載せています。
実際、翌年にはデトロイトでは大規模な黒人対白人の人種暴動が発生し34人が死亡し1000人が負傷し、軍が動員され暴動が鎮圧されています。
こうした暴動はデトロイトだけでなく全米各地で発生しており47都市で100を超える人種暴動が発生しており、軍需生産にもかなりの影響を与えています。メキシコ系住民と白人との間にも暴動は発生しています。
人種対立は軍需産業における労働者だけではありません。
アメリカ軍内部でも発生しています。白人兵による黒人兵への差別、暴力は多く、それが暴動にまで発生した事件もありました。ルイジアナで起きた黒人兵の暴動では28人の黒人兵が射殺され3000人が逮捕されています。3000人といえば丸々1個連隊に相当する人数です。それが戦争に行く前に内部対立で失われているのです。
だから当時の黒人兵が回想で「我々が戦うべき相手はドイツ兵なのかアメリカの白人兵なのか」というような事を証言しています。
日本は白人と黒人、メキシコ系などの有色人種の対立を加熱させ利用するべきでした。
アメリカの国力は日本の10倍です。しかし、その巨大な工業力も人がいなければ動きません。
工作員を多数確保し白人側には黒人の社会進出の不満を煽り、黒人などの有色人種には白人支配の不満を爆発させるようにして、白人側、有色人種の側、双方から煽り対立を激化させアメリカ国内を紛争状態にし、その工業力を発揮させないようにするのです。有色人種が武器を持ち立ち上がり内乱状態にもっていければ最高です。
日本はスペイン人を利用して戦時中にアメリカ国内にスパイ組織を確保していますが、このように第三国を利用して工作員を多数確保するのもありでしょう。できれば戦前から工作員を確保しておくべきです。
日露戦争の時に明石元二郎大佐がロシア国内の反政府勢力を援助してロシア軍の大部隊を国内に釘付けにさせる事に成功していますが、そのような成果を狙えれば、なお良いでしょう。もしアメリカ最大の石油生産地帯である南部で大きな反乱が起こり、石油の流通に滞りがでればさらに良いでしょう。
日本も戦前からアメリカの弱点の一つとして黒人社会と接触していますが、その工作は規模が小さすぎ大きな力とはなっていないように見えます。これは完全な日本軍の手落ちでしょう。
なお、前述したデトロイトの暴動は日本人工作員によって発生したらしいという話しもありますが、確実な証拠に乏しく詳しい事は判明していません。

アメリカの国力は大きいですが、それが軍需産業としてフル活動するには時間がかかります。だから1942年10月には太平洋で無傷の大型空母は0隻になるという状況も発生しています。エセックス空母の1番艦が実戦に出て来たのは1943年からですし、アメリカ軍の戦力が大きく増強されるのは1943年以降です。
それまでの間にアメリカ国内で人種対立を激化させ内乱状態にまで持っていければ、アメリカは国内問題を先に解決しなければならず、日本に有利な態勢で講和という事もありえるかもしれません。
要は敵の内部を撹乱するのは兵法の常道でもあるにも関わらず、それを怠った大本営の作戦ミスです。

後はミッドウェー作戦での空母戦力の分散でしょう。
アリューシャン作戦を行い空母を分散させました。連合艦隊内部にもアリューシャン作戦は中止し、その空母を南雲機動部隊に合流させるべきだの意見がありましたが、採用されませんでした。
戦後、ニミッツ元帥もこの兵力分散を批判し、兵力を集中していれば日本が勝利していた可能性がある事を指摘しています。
ミッドウェー海戦では日本の暗号が解読されていた事を敗因に挙げる人もいますが、暗号を解読していたにもかかわらず空母ホーネットの爆撃隊は日本の空母を発見できず、20隻近いアメリカ潜水艦も空母を第1目標にするよう命令されていながら1隻も戦果を上げれなかった事からわかるように、必ずしも絶対的な要因ではありません。
もし、日本がミッドウェー作戦で空母を集中投入していれば勝利していた可能性はかなりあるかと思います。
そして、ミッドウェー海戦で勝利していれば、その後の展望も大きく違ってくるかと思います。

さらに日本潜水艦隊による通商破壊戦を全力で行う事でしょう。
アメリカは開戦時、Uボートの活躍で石油不足に陥っていますし、イギリスもUボートの活躍で海上交通路を攻撃され危機的状況にありました。これに日本の潜水艦による通商破壊戦の戦果が加われば、両国は一層苦しめられた筈です。
しかし、日本は潜水艦を全力で通商破壊戦に投入する事はしませんでした。潜水艦部隊から通商破壊戦実施の要望が出されてはいましたが採用されませんでした。

つまり・・・
(1)アメリカ本土での人種対立を激化させ国力を発揮させなくする。
(2)ミッドウェー作戦では空母を集中投入する。
(3)潜水艦による通商破壊作戦を全力で行う。
この三点だけでも成功すれば戦局は大きく動くでしょうし、日本の勝利の可能性もあるかと思います。

細かい事を言えば、まだまだありますが、多くの皆さんが言うように、日本の勝利が不可能だとは、少なくとも私は思っていません。善戦どころか勝利する可能性もあったのに、日本の軍部の作戦ミスで敗北したと私は判断しています。
    • good
    • 5
この回答へのお礼

的確な指摘ありがとうございます。

(1)は抜けていました。勉強になりました。

(2)確かにそうですね。
しかし、翔鶴、瑞鶴は珊瑚海開戦での被弾や飛行隊の再編でミッドウェイ不参加となったはずです。
無傷の瑞鶴を三戦させなかった首脳部の甘さが、日本の弱さでしょうね。

逆に、突貫工事でヨークタウンを戦闘可能状態にして、サラトガの航空隊をそのまま転用するなど、戦いに対する必死さが違う気がします。

私も暗号解読は勝敗には無関係だと思います。暗号を解読したからといって艦隊の位置まではわかりませんからね。

(3)もそのとおりだと思います。
潜水艦の数ももっと増やして行うべきでしたね。


回答ありがとうございました

お礼日時:2012/09/02 06:17

日露戦争と太平洋戦争は双方とも日本の勝はあり得ない戦いでした。


つまり露国も米国も日本・首都東京を占領する事が出来ましたが、日本が全土はおろかモスクワやワシントンだけを占領できる訳がないので、日本は何れ講和に持ち込む必要がありました。
日露戦争では日本海海戦の圧勝により露国にも東京に攻め込む手段がなくなりましたが、米国相手ではそのシナリオは描けませんでした。
日露戦争では講和を目指すと言う事には首脳陣が一致しており、開戦前から露国のかく乱を図ったり、有利な状況づくりに外交努力で他国を味方に付ける事に成功し、特に英国はバルチック艦隊の運行を陰に陽に妨害してくれました。
そう言った成功要因をしっかりと分析評価せず、愚将ともいえる乃木将軍を神格化するなどで、軍部が「われらの手柄」として独占し、どんな相手でも負けないとの神話を作り上げたために、その後の外交上の悪手が頻発させる様になりました。
カードなのかパーティなのかは判りませんが、そう言った些事にかまけて対米宣戦布告を真珠湾攻撃後に手渡し、その担当大使がそのご出世していった事などもその良い例です。
また日本に対する宣戦布告を準備中のソ連に、講和の仲立ちを依頼するなど、その後の国家の危機においても外務省の神国ボケは最後まで治りませんでした。

軍事的な面ではランチェスターの法則通りの結果が出ており、ミッドウエイでの失敗が無くても戦局は大して変わらなかった筈ですので、より善戦と言う事なら外交と諜報の面でプラス出来る余地があったと言う気がします。

独ソ戦の開始、米国大統領選と言った事情を早期に入手して相手をかく乱する等に利用する外交、日本側の暗号解読やレーダーの開発と言う情報を入手する諜報について、努力が傾注されていなかった事が大きな要因でしょう。

この事は他の国が血みどろの総力戦を第一次大戦で経験していたのに、日本は中国のドイツ領に攻撃をしただけと言う経緯が影響していて、東条英樹は総力戦の研究を若手グループにさせた際、インドシナに侵攻して米国と戦争になったらと言うケーススタディで3年で負けると言う結果が出たのに、それをお蔵にして開戦したという話もあります。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

>独ソ戦の開始、米国大統領選と言った事情を早期に入手して相手をかく乱する等に利用する外交、


確かにそうですね。
特にアメリカの世論は戦争を望んでおらず、ルーズベルトの私的な外交で米ソ中が連携している状態ですからね。ルーズベルトさえ失脚させれば・・・と思わずに入られません。


あと乃木将軍ですが、司馬遼太郎の影響などで愚将あつかいになっていますが、私は愚将とは言い切れないと思うのです。奉天会戦の運動などでは見事ですし、要塞戦で被害を出すのも当然な状況でしたから。何しろ世界は第一次大戦に到っても同様の戦法を採り続けたわけですからね。

回答ありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2012/09/02 06:41

「戦略」がない以上善戦もへったくれもないですよ。



「太平洋戦争、こうすれば勝てた」みたいにいう人もいますが、そもそもなにをもって「勝利」とするのでしょうかね。アメリカ本土を占領したら?ハワイを割譲したら?アメリカが和平条約に応じたら?
仮に太平洋戦争そのものを優位に終えることができたとしても、次はドイツ抜きでソ連とアメリカがタッグを組んで日本を潰しに来れる。ソ連とアメリカを同時に相手することなんてできまへん。第一次太平洋戦争が勝てても、第二次太平洋戦争で敗北します。

他の回答者さんの回答について記述するのは違反ですが、ミッドウェー海戦に対する誤解が多いのでそれについて記述しておきます。

元々、アメリカはミッドウェーに出撃するつもりはありませんでした。ミッドウェー島はハワイと日本本土の間のおおよそ1/3の場所にあり、ミッドウェーを占領してもハワイまではまだ2000キロもあります。もしミッドウェー島が占領されたら、アメリカは潜水艦とB17を使ってミッドウェー島の補給を締め上げようと考えていました。アメリカにとってミッドウェー島は戦略上たいして重要な場所ではなかったのです。
ではなぜアメリカはミッドウェーに出撃してきたか。その理由は、
・日本軍が油断しきっていたのを知っていたので、出し抜ける可能性があると考えた
・日本軍の暗号をほぼ解読していて、作戦、戦力が分かっていた
・まとまった戦力が集められた
つまり、相手の手持ちのカードをすべて知っていたから勝負に出てきたわけです。戦力比をみると、航空機の数はほぼ互角なんですね。ミッドウェー島にある戦闘機や飛行艇などを加えるとアメリカ側が優位です。
アメリカ側は「いつ頃にやってくるか」も分かっていたので重点的に索敵をしていました。一方、日本側はアメリカ側が出てくるかどうかは分からなかった。出てくるだろうと予想はしていましたが、その理由は「出撃しないと軍のメンツが立たないだろうから」というあまり根拠のないものだったのですね。だから、「日本側の戦力にビビって出てこないよ」という意見も少なくなかったのです。
だからもし、日本が決戦を求めてミッドウェーに出てきたなら、アメリカは自国の貴重な戦力をあえて危険にさらすことはなかったと思います。

元々、アメリカの戦略は「対日戦は現状維持。対ドイツ戦が片付いてからゆっくりやる」というものでした。だから、対日戦でアメリカが投入した陸上戦力は1943年までは実質的に海兵1個師団、陸軍1個師団程度の戦力でした。アメリカにとっては日本というのは「片手間の相手」だったんですよ。苦戦したというのは、「ちょろい相手とバカにしていたら意外に善戦するのでウザかった」という程度のものだったのですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

>・日本軍が油断しきっていたのを知っていたので、出し抜ける可能性があると考えた

油断しているかどうかは結果論ですよね。
相手が油断しているとどうして、他者が認識できるのでしょうか。

>・日本軍の暗号をほぼ解読していて、作戦、戦力が分かっていた

暗号関係なく戦力はある程度予測できまよ。

>・まとまった戦力が集められた

集められたのではなく、全戦力を集めた かと
ちなみに日本は分散させていますね。


>日本が決戦を求めてミッドウェーに出てきたなら、アメリカは自国の貴重な戦力をあえて危険にさらすことはなかったと思います。

アメリカは以後も貴重な戦力を惜しみなく、可能な限り全力で危険にさらし続けています。
なので、「史上最悪の海軍記念日」と言われる実働空母0の状態になってしまうのです。

>対日戦でアメリカが投入した陸上戦力は1943年までは実質的に海兵1個師団、陸軍1個師団程度の戦力でした。アメリカにとっては日本というのは「片手間の相手」だったんですよ。


あの、海戦主体の太平洋戦争、それも序盤では海兵1個師団、陸軍1個師団は大兵力ですよ。
日本側の戦力と比較してください。

お礼日時:2012/09/02 06:31

質問者さんへ



>アメリカとの国力差をみると負けるのは当然
と書きつつ

>もう少し善戦できなかったのか
と書かれている。
敗戦時に、史実よりどういう状態ならばあなたのいう「善戦」になるのかがわからない。
「こうなれば善戦である」というあなたの定義を教えてほしい。

・S20.8.16以降に降伏する?
・より多くの連合軍将兵を殺す?
・降伏した際、史実より多くの領土を支配している?
・日本軍将兵の損害がより少ない状態のこと?
・降伏時、本土の国民が史実より栄養状態がよい?
・これら全部?
・上記のいずれでもない?

どうなっていれば『善戦だ』と納得できるの?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

>>アメリカとの国力差をみると負けるのは当然
と書きつつ
>もう少し善戦できなかったのか


上記は矛盾しませんよ。
善戦は善戦です。
わからないのならば辞書をひいてください。


>どうなっていれば『善戦だ』と納得できるの?

史実をきちんとして理路整然とした理屈があれば善戦だと納得できると思います。
知識不足は問題外です。

お礼日時:2012/09/02 06:21

開戦したことや、中国大陸にも戦線があったことを言っても虚しいので、せめて考えうることは、




開戦当初所有していた正規空母6隻を、後に1・2航艦と分散したことは、まずかったでしょう。
兵力は集中です。


ミッドウェーをやること自体はしかたがないのですが、同時に航空母艦をアリーシャン列島に割いて、AL作戦をやったことも、日本の防衛ラインの線引きを難しくなる結果におわったので、まずかったでしょう。


ガダルカナルのとき、米軍上陸はしかたないとして、周辺の滑走路建設可能なブカ、ブインに戦闘機だけでもいいから展開できる簡易飛行場を建設するべきでした。当時のアメリカ軍にここまで陸上兵力を展開する能力はありません。ラボールから飛行機をとばすより、はるかに有利な航空線が展開できたでしょう。


日本の潜水艦は敵艦隊発見に特化した特異な進歩をしたものでしたが、なぜドイツのマネをして連合国のコンヴォイ攻撃にふりむけなかったのかと。もったいないことをしました。

こんなところでしょうか。いえばキリがないのですが、この位がリアルに「なんとかなる」レベルではないかとおもいます。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

的確な指摘だと思います。

ガダルカナルを見るとどうも日本軍はにんげんの疲労度というのを軽視している嫌いがありますよね。
精神論で疲労は回復できると思っていたのでしょうかねぇ・・・・。

特に4は謎ですよね。


日本の駆逐艦も対潜水艦能力は微妙でしたし・・・
第一次大戦で地中海に艦隊を派遣してUボートの脅威を理解していたはずなんですが・・・

お礼日時:2012/09/02 05:50

 簡単にいえば、終戦工作を持ち合わせない無謀な戦争にのめり込んでいったことでしょうね。

アメリカが参戦する以前に中国でも退却を余儀なくされ、それでも転進と言いくるめるなどの姑息な言い訳に終始し、挙げ句の果ては本土決戦・一億玉砕などと愚かしい文句を並べ立てただけです。善戦もへったくれもありません。戦争では人間の生命が奪われるのですゲームの感覚か何かと勘違いされては困ります。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>終戦工作を持ち合わせない無謀な戦争にのめり込んでいったことでしょうね。

終戦工作は行っていますよ?


>中国でも退却を余儀なくされ、それでも転進と言いくるめるなどの姑息な言い訳に終始

ほぼ、中国は壊滅状態にしていたはずですが。
大陸打通作戦で、中国は政治的に存在しているだけだったはずです。
中華民国はサンドバック状態でしたから・・・。

お礼日時:2012/09/02 05:41

こんにちは。



太平洋戦争に限っていえば「最大の失策はミッドウェー海戦」で主力空母4隻とベテラン戦闘員を含む将兵約3千名を一気に失ったことが大きかったようですね。

当時、海軍少尉だった伯父(母親の兄⇒中尉⇒戦死・少佐)が、この戦いの直後に妹夫婦になる私の両親(東京・浅草在住)に「この戦は負ける、東京は必ず火の海になる」から早めに疎開するようにと忠告したそうです。

恐らく、ミッドウェー海戦の大敗を知っての忠告だったと思いますが、当時は極秘情報だったでしょうから妹夫婦にも詳細は告げなかったそうです。

この伯父は、東京大空襲の2ヶ月前の昭和20年正月から、妹である母親と幼かった私の姉2人を連れて母親の実家に避難してたことや義理弟になる父親の無事を見届けるように、昭和20年4月に戦艦大和と共に沖縄特攻に出撃した巡洋艦矢矧に乗艦して戦死してますから、ミッドウェー海戦直後に両親に忠告した真相を戦後生まれの私は伯父から直接聞けなかったですが、主力空母4隻という大きな機動力を失ったことで、これ以降の海戦は日本海軍が不利になり連戦連敗状態に陥ったことは紛れもない事実でしょう。

なお、日本の作戦を暗号解読してたアメリカ軍の情報収集能力の高さと、日本人が発明した八木(八木・宇田)アンテナを利用したレーダーを開発してた「通信技術の高さでも日本は既に敗北してた」のです。

ちなみに、山本五十六司令長官(海軍大将⇒戦死・元帥)の行動も米軍に暗号解読され米軍機に待ち伏せされたことで山本長官の搭乗した航空機も撃墜されてます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ミッドウェー海戦はどうなんでしょう、ベテランパイロットの多くは救助されてますし、人的損害は大敗の割りに少なかった気がします。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/09/02 05:27

歴史にイフは無いことを承知の上で:


そもそもアメリカと戦争したことが最大の失敗ですが、、ご質問が「太平洋戦争の失敗」と言うことなので、それに答えるとすれば、
まず第一はやはり中国大陸と太平洋と二大正面作戦を同時に戦ったことでしょうね。どんな強大な国でも二つ同時は無理です。ましてや日本のような小国には。アメリカと戦うなら、中国戦線を縮小するか、やめにするべきでした。
第二は戦線を広げすぎたことです。真珠湾の後、マリアナ、グアム、サイパン、フィリピンあたりまで戦線を後退させ、持久戦に持ち込むような作戦に転じるべきでした。それでも時間の問題で負けたでしょうが。
第三には、休戦、講和の準備をせず戦ったことです。日露戦争との最大の違いです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに二正面作戦は負けフラグですもんねー。

>二は戦線を広げすぎたことです。真珠湾の後、マリアナ、グアム、サイパン、フィリピンあたりまで戦線を後退させ、持久戦に持ち込むような作戦に転じるべきでした。

確かに。
そういう状態だとどういう戦いになるのか、史実のマリアナと同じ結末になるのか、そうでないのか興味がわきますね。



>第三には、休戦、講和の準備をせず戦ったことです。日露戦争との最大の違いです。

日露戦争と違うところは、講和の仲介を行える参戦国以外の有力国がソ連以外存在しない事ですよね。
そして何故か共産党シンパのルーズベルトが大統領という時点で、日本がいくら望んでも講和は難しい気もしますね・・・


回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/09/02 05:23

要約すると 開戦自体が無謀 そういうことになってしまうです 泣

    • good
    • 0

戦艦大和があるですよ 主さん

    • good
    • 1
この回答へのお礼

大和は条約後戦艦ですが、起工は開戦前です。
竣工は開戦後です。

お礼日時:2012/08/30 21:01

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか

第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか
もし日本がミッドウェーで勝利しアメリカ空母艦隊が崩壊したうちに
ハワイ・パナマを占領しアメリカ西海岸を爆撃、細菌兵器をアメリカ本土にばら撒き、
結果アメリカ国民の世論を反戦に動かし、日本が有利な形で講和できなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。
そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送・補給船団が潜水艦に攻撃されたとしても大した損害はないだろう」、「護衛は旧式駆逐艦でもつけとけばいいだろう」と考えた結果もともと少ない輸送船及び護衛艦は大損害を出し、次第に作戦遂行に影響を与え始めます。

昭和18年11月になってようやく「海上護衛総司令部」を設置し12月には護衛空母4隻を編入するなど、それなりの体裁を整えますが、主力となるはずの駆逐艦は「峯風型」や「神風型」といった旧式艦ばかりでした。

帝国海軍の駆逐艦は対潜戦闘よりも上記の艦隊決戦構想のため対艦戦闘と主眼とした装備で対潜性能が低く、狩るはずの潜水艦に逆に沈められるケースも多く、もっとも米潜水艦による駆逐艦の損害が多かった昭和19年だけでも30隻の駆逐艦が撃沈されています。

長々と書いてまいりましたが、
(1)日本海軍は開戦初頭に占領したウェーク島の補給が限界地点だといわれており、ウェークよりもさらに遠いハワイやパナマを占領し維持し続けるための輸送能力及び護衛戦力があるのか?

(2)ガトー級だけでも200隻あまりを計画し大戦中にほとんどを整備した米国の造船能力・潜水艦戦力に対抗できるのか?

(3)北方(ソ連)を重視し、泥沼の中国戦線を抱え、南方に戦力を割かなければならない状況を苦々しく思っていた陸軍からハワイ・パナマを占領し維持するために必要な戦力を抽出することが可能か?

等々、ハワイ・パナマを占領し維持するだけでも「日本軍には不可能」と言わざるを得ません。


西海岸の爆撃ともなると防弾性能の貧弱な日本軍機が、管制された雲霞のような米軍迎撃機群、対空砲火網を突破し、爆撃し、帰還出来る機体が何パーセントあるのか、など考えるだけでも恐ろしい損害を出すことが予想されます。

細菌兵器の使用に関しては昭和19年から実行された米本土爆撃作戦(ふ号作戦)で計画されたものの作戦内容を知った天皇陛下によって細菌兵器の使用が禁止されたことがあるため、今回のケースでも実行されることはないと思います。

長文失礼しました。

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。
そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送...続きを読む

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Q太平洋戦争は本当に「無謀」な戦争だったのか?

太平洋戦争は、無謀な戦争だったというふうに言われることが多いのですが、この考え方に疑問があり質問しました。
 最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。
そのように思ったきっかけは当時の日本の太平洋地域の海軍力は下記のようにアメリカを若干上回っており、航空兵力は完全に日本が上回っていたからです。

海軍戦力の比較(太平洋配備、1941年時点)
戦艦・戦闘巡洋艦 日11米 9英 2
航空母艦 日8米 3英 0
重巡(20cm砲以上) 日18米 13 英1
軽巡(15cm砲以下) 日23 米11英 7
駆逐艦 日129 米80英 13
潜水艦 日67 米56英 0

上記の海軍戦力だけを比較した場合、米英とは十分戦えるし、ドイツの快進撃もあり、アメリカを東西からはさみうちにし、十分に講和にもっていけると判断しても不思議ではありません。しかも、アメリカはドイツとの戦争もあるので大西洋にも戦力をさかざるおえず、太平洋にはこれ以上の戦力増強は当分ないという考えも成り立ちます。
ですので、戦争するという決断自体は間違っておらず、本当の間違いは、戦争のやり方、終わらせ方に問題があったために敗戦したという考えも成り立つと思いますがどうなのでしょうか?

太平洋戦争は、無謀な戦争だったというふうに言われることが多いのですが、この考え方に疑問があり質問しました。
 最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。
そのように思ったきっかけは当時の日本の太平洋地域の海軍力は下記のようにアメリカを若干上回っており、航空兵力は完全に日本が上回っていたからです。

海軍...続きを読む

Aベストアンサー

>太平洋戦争は本当に「無謀」な戦争だったのか?

回答・・・いいえ。
戦争ですから絶対勝てるとは言いませんが、それなりに勝算はあり無謀とまでは言えないと思います。

>最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。

回答・・・十分勝つとは言えませんが、少なくとも日本の上層部には優位に講和に持ち込もうという目算がありました。

>上記の海軍戦力だけを比較した場合、米英とは十分戦えるし、ドイツの快進撃もあり、アメリカを東西からはさみうちにし、十分に講和にもっていけると判断しても不思議ではありません。しかも、アメリカはドイツとの戦争もあるので大西洋にも戦力をさかざるおえず、太平洋にはこれ以上の戦力増強は当分ないという考えも成り立ちます。

回答・・・米海軍にとり大西洋での対ドイツ戦における必要な艦種と、対日本戦における必要な艦種では、かなり違います。対ドイツは対Uボート戦が重点と言ってよく、対日本は艦隊決戦が重点となると言ってよく、そのため必ずしも単純に戦力を太平洋と大西洋に二分する不利について語る事は危険ですが、米海軍が全力を太平洋に傾注できないのは事実です。

>ですので、戦争するという決断自体は間違っておらず、本当の間違いは、戦争のやり方、終わらせ方に問題があったために敗戦したという考えも成り立つと思いますがどうなのでしょうか?

回答・・・成り立ちます。


■日本の戦略としては1941年11月15日の大本営政府連絡会議で承認された「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」という構想案がありまして、全部書くと長文になるので、これを簡単に言うと・・・
速やかに極東の米英蘭の根拠地を占領し重要資源地帯を押さえ海上交通路を確保し長期自給自足の体制を整え、先ずドイツ、イタリアと協力して英国の屈服をさせ、さらに米海軍主力を撃滅し通商破壊戦を強化し米国世論の厭戦を誘致し戦意を喪失させるというものです。
つまり、最初から日本は米国を降伏させようとは考えていませんでした。戦争を諦めさせ講和させる事を狙っていました。

■そして、この戦略では米英不可分という考えから英国の屈服を図る事が重要視されていました。
開戦前の1941年11月4日の軍事参議会で海軍軍令部総長の永野大将が「英米連合軍の弱点は英国にありと考えられる・・英を餓死せしめて屈服せしむること最も捷径なり」と言い、東條首相も「通商破壊戦により英の死命を制し米の態度を変えしむ」と言っています。
そのため「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」にも「英の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしむる」とあります。
つまり、米英連合軍の弱点は英国であり、その英国をまず先に屈服させて、米国の継戦意志を喪失させようという構想です。
ただ、これは日本単独で行おうというものではなく、ドイツ、イタリアの動きにも期待するものでした。
「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」にはドイツ、イタリアに次の方策をとらせるとあります。
△対英国封鎖強化
△英国本土上陸作戦
△近東、北アフリカ、スエズ進出と対インド施策
また、ドイツを対英国戦に集中させようという思惑から「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」には外交政策として、ドイツ、ソ連の講和を仲介し、ソ連を枢軸側に引き入れるという構想も記されています。
日本としては英国に対しては通商破壊戦によりオーストラリア、インドとの連絡線を断ち、英国から離反させ、英国に打撃を与え、またビルマを攻略して独立させ、その成果を利用してインド独立運動を刺激するというものです。

■対米戦について「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」では、日本、ドイツ、イタリアが協力して米国の世論を厭戦へと誘致し戦意を喪失させるとありまして、日本としては米海軍の主力の撃破と通商破壊戦強化、対米宣伝謀略を強化するとあります。

つまり、何れにしろ日本は米国に対し、その戦意を喪失させ講和に持ち込もうという戦略があり、無計画に何の目算も無しに戦争を始めたわけではありません。
ただし、そこにはドイツが英国に対し勝利するという期待があった事、それを計算に入れていた事は外せません。

■なお、戦争終結の機会としては南方作戦の成功、または蒋介石の屈服時、またはドイツによる英国本土陥落、または独ソ戦の終末時なのが想定されていました。また、講和の斡旋をバチカンやスウェーデン、南米諸国に依頼する予定でした。
この中で南方作戦の成功は実際に成功したわけで、実際に東久邇宮大将が東条首相に緒戦の情勢が有利なので和平交渉を始めるべきだとか、天皇陛下も2月に戦争終結の機会を逃さないようにとお申しつけになりましたが、東条首相は和平交渉どころか戦争継続、拡大に動きました。
まあ、この時点で和平交渉をしても米英が乗るとは思いませんが、少なくとも日本にも早期に戦争終結の考えをしている主要人物がいた事は事実です。


○日本が敗戦したのは質問者さんの言うとおり「戦争のやり方」に問題があったからであり、大本営の作戦指導のミスです。
以前このカテで「日本が太平洋戦争で犯した最大の失策」という質問がありました。

「日本が太平洋戦争で犯した最大の失策」・・・私の回答はNo.14です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7671998.html

この中で私は日本が勝利するためのポイントを3点指摘しています。
(1)米国本土での人種対立を激化させ国力を発揮させなくする。
(2)ミッドウェー作戦では空母を集中投入する。
(3)潜水艦による通商破壊作戦を全力で行う。

特に(1)については、リンク先のページを読んでいただれば分かりますが、当時、米国は人種対立の嵐が吹き荒れていたので、それをうまく利用し、できれば内乱にまで持っていければ、いかに大きな工業力を持つ米国といえども、それを発揮できなくなったかもしれませんし、内乱を鎮める事を優先し講和という事になったかもしれません。
それに米国は巨大ですが、それでも戦時中は食肉、バター、暖房用燃料、ガソリン等、色々な物が配給制となっており、市民生活を圧迫していました。内乱により市民生活への物資の配給が滞れば、それこそ政府への圧力となって対外戦争を中止するしかなくなったかもしれません。
敵対国の内部を撹乱するのは兵法の常道でもあるにも関わらず、それを怠ったのは日本軍部の大きなミスとしか言いようがありません。
また(3)は「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」の戦略として、英国を屈服させるためにインド洋で通商破壊戦を徹底的に行うべきだったのにそれが行われませんでした。
そもそもインド洋は連合軍にとって北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連へのレンドリースの約3割がインド洋ルートを使用)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路でもあり、英国への戦略物資の供給ルートでもあります。
史実では1942年の時点で英国はかなり危機的状況にありました。Uボートの活躍により穀物等の輸入量が低下し、消費量が輸入量を上回り、備蓄で何とか凌ぎました。貯蔵していた商船用燃料も3ヶ月分を切りました。
もし、これでインド洋で通商破壊戦が徹底されていたら、英国は持ち堪えられず、前述した各戦線も崩壊していたかもしれません。正しく「英を餓死せしめて屈服せしむる」になったかもしれません。
しかし、通商破壊戦が大々的に行われる事はありませんでした。
これは連合艦隊司令部の判断が問題でした。大本営は通商破壊戦の遂行を連合艦隊に命じますが、連合艦隊はこれに消極的でした。第二次ソロモン海戦で潜水艦が活躍しなかった事について宇垣参謀長が記した言葉は次のようなものです。
「潜水艦は通商破壊戦と諜報機関以外に価値なきものと識者の言も宣なりと感ぜられる。その鼻をあかす為にも一撃をこそ望ましけれ」
潜水艦部隊からは通商破壊戦の要望が何度となく出ていたし、大本営も通商破壊戦を命じていますが、艦隊を実際に動かす連合艦隊司令部は通商破壊戦に無理解でした。

そういうわけで、私は日本が敗北したのは日本軍部のミスによるものと判断しています。


○ところで1941年4月に日本政府が作った組織に「総力戦研究所」があり、ここでは米国との戦争を戦略的(政治、軍事、経済)シミュレーションしました。その結果は敗北です。
ただし、これは当然の事です。何故ならそれまで幾度となく海軍で行われた米国海軍を敵に想定した図上演習において勝てた事がないからです。「総力戦研究所」の軍事作戦もそれまでの枠から出ていないものであり、敗北して当然です。
そして、それまでの軍事作戦の枠を破り勝利するために新たに、実際に実施されたのが、真珠湾攻撃です。
「総力戦研究所」のシミュレーションと、実際の戦争で行われた作戦は水と油ほども違います。結果的には同じく敗戦になりましたが、結果をもって同一視するべきものではありません。

○なお、日本が保有していた輸送船ですが、これは文献によって違いもありますが、「戦史叢書 海軍軍戦備2」によると638万トン、船舶運営会によると634万トンです。このうち日本国内で必要とされる物資を運ぶのに必要とされるのは300万トンでした。

○石油についても文献によってばらつきがありますが、海軍の燃料で言えば重油は650万klあり、1942年までで消費した量が483万klでした。

>太平洋戦争は本当に「無謀」な戦争だったのか?

回答・・・いいえ。
戦争ですから絶対勝てるとは言いませんが、それなりに勝算はあり無謀とまでは言えないと思います。

>最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。

回答・・・十分勝つとは言えませんが、少なくとも日本の上層部には優位に講和に持ち込もうという目算が...続きを読む

Q太平洋戦争は本当に勝てなかった戦争?

まあ普通の歴史感を持つ、普通の人ならあの戦争を『負けると分かっていた戦争』と言われる事は百も承知で質問します。

当時の日本の国力でも 勝てない迄も負けない戦いは出来たのでは?と思っています。

戦争遂行に必要な資源を確保した段階で戦線を維持し、防衛戦に特化した作戦を取る。

対中戦でも 内陸部から順次 中共軍の拠点を制圧していき、海側へと中共軍を追いやれば壊滅させる事は出来なかったのでしょうか?

勿論、真珠湾攻撃などは下の下策。

飽くまで南方の資源を確保するに留めていたら中共軍を降伏させた時点で 早期講和にもって行けたと思うのですが…。

まあ、IFの話なので 反論、異論有る方は余り熱くならない程度で回答お願いします。

Aベストアンサー

満州国を作った石原完爾少将は、東条英機と対立して陸軍を追われた天才軍人ですが、世界の最終戦争は日本とアメリカの間で行われ、日本が勝つと言う大構想を持っていました。満州国を作ったのはその戦略の一環です。石原の考えはとりあえずの敵はソ連で、その戦争に勝ってアジアの盟主の地位を築き、最終的にアメリカと戦うと言うものでした。それ故、東条ら陸軍が中国戦線を拡大するのには大反対でした。中国は日本の敵ではないと。そんなつまらぬことにエネルギーを消耗するなと。今はアメリカとの最終戦のために国力を高めるべきだと。そのため東条に煙たがられ陸軍を退役させられました。

石原構想のアメリカとの戦争はいわゆる持久戦で、東条らがやった真珠湾攻撃のような派手な殲滅戦は最後まで反対していました。戦争末期日本の敗色濃厚になったとき、困った東条が石原にどうしたらいいか聞いたら、お前がやっているうちは駄目だと取り合わなかったそうです。

石原の言うように、支那事変拡大や真珠湾攻撃などせず、ソ連という後顧の憂いを絶って、しっかり国力を付けてからアメリカと雌雄を決したら、勝ち目はあった可能性は高いです。その場合の戦争は真珠湾のような派手なドンパチではなく、外交力を駆使したベトナム戦争のような形態だったでしょう。石原は持久戦の信奉者でしたから。あのベトナムでさえ持久戦でアメリカを撃退したのです。日本に出来ないわけがありません。今となっては夢のまた夢ですが。

石原完爾の「最終戦争論」は青空文庫で読むことが出来ます。読んでみて下さい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html

満州国を作った石原完爾少将は、東条英機と対立して陸軍を追われた天才軍人ですが、世界の最終戦争は日本とアメリカの間で行われ、日本が勝つと言う大構想を持っていました。満州国を作ったのはその戦略の一環です。石原の考えはとりあえずの敵はソ連で、その戦争に勝ってアジアの盟主の地位を築き、最終的にアメリカと戦うと言うものでした。それ故、東条ら陸軍が中国戦線を拡大するのには大反対でした。中国は日本の敵ではないと。そんなつまらぬことにエネルギーを消耗するなと。今はアメリカとの最終戦のため...続きを読む

Q真珠湾攻撃で空母を大破していたら?

真珠湾攻撃の日に空母3隻は湾にはおらず打ち漏らした事は良く聞きますが、この3隻を大破していたら歴史は変わったのでしょうか? 3年8ヶ月の太平洋戦争が4年になったのでしょうか?? 大勢には影響しなかったと思いますが、実際はどうでしょうか? 歴史にたら、ればで論じても仕方のないことですが、こうなった事には変わりないくらいのコメントでも頂けると参考になります。

Aベストアンサー

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられますが)、それと空母に所属する飛行隊も壊滅したと仮定しますが・・・
まず、最初の日本軍の真珠湾攻撃において空母を大破させたなら、日本軍は史実では行われなかった第二撃を行う可能性もあるかと。第二次攻撃を行わなかった理由の一つが敵空母の所在不明です。それが真珠湾で大破し、ましてや史実での戦果予測ではハワイの敵航空部隊も壊滅に追い込んでいる状況です。特に日本側の水平爆撃隊は損失機0でもありました。第二次攻撃を行いさらなる戦果を得たかもしれません。
それはともかく、当然、米国としては空母を大西洋から回すと考えます。

当時、大西洋には就役したばかりで訓練中のホーネット(1942年2月より任務開始)、レンジャー、ワスプ、ヨークタウンの4隻の大型空母がいました。
ただし、レンジャーは防御に問題のある艦であり、史実でも太平洋での戦闘は無理だと判断され主に大西洋で輸送、護衛、訓練、上陸支援などの任務につきました。1942年10月の南太平洋海戦で米国は無傷の大型空母が0隻となる「アメリカ史上最悪の海軍記念日」と米国側が言うほどの最悪の状況だったにも関わらず、レンジャーが太平洋に投入される事はなかった事から、真珠湾で空母3隻が大破してもレンジャーだけは大西洋で任務につくかと考えます。
なお、ワスプは史実では1942年に太平洋艦隊に編入されるまでは、マルタ島への戦闘機輸送任務を数回従事するなどしており、日本との開戦後、すぐに太平洋に投入するとすれば、その分、マルタ島の航空戦力が低下し、地中海を通る北アフリカ戦線のドイツ軍への補給路への攻撃がその分、和らぎ、ドイツ軍に多少有利な状況になるかもしれません。

そんなわけで、おそらくワスプ、ホーネット、ヨークタウンが太平洋に回されると考えます。
そして、ミッドウェー海戦までは史実と同じような展開になるのではないかと考えます。
そして珊瑚海海戦でも史実と同じように米国空母1隻が撃沈され、1隻が中破となり、ミッドウェー海戦になるかと思いますが、ここで仮定の上に推測でしかありませんが、真珠湾で大破した空母が修理を完了し戦線復帰。
米国は無傷の空母1隻に復帰した3隻の計4隻の空母で日本艦隊を迎え撃ちますが、問題は空母の航空部隊です。
史実では、ミッドウェー海戦での米空母部隊は訓練が完了していないパイロットまで作戦に参加させるほど切迫した状況でした。
今回はハワイ攻撃時に3隻の空母の航空部隊は打撃を受けているので、なおさら酷い状況かと思います。空母は戦線復帰しても技量の未熟なパイロットを多数使う事になり、この点において、日本側は非常に有利になるかと思います。

ただし戦争に絶対はありませんから、日本が史実通りミッドウェーで敗北する可能性も充分あります。
その場合は、やはり史実通りの展開となり敗戦の道を辿っていくかもしれません。

しかし、ミッドウェー海戦で勝利した場合は戦局が大きく動くかもしれません。
まず、ミッドウェーで米国側がパイロットの低い技量が災いして敗北し、空母が全滅したとして、日本軍が次に狙うのはハワイです。
これは史実でもミッドウェー海戦前に、9月以降を目処にしてハワイ攻略戦の準備命令が陸軍では既に出されています。
ですが、その前にインド洋が焦点になります。
史実では6月に北アフリカ要衝のトブルク要塞を陥落させたドイツ軍が勢いに乗っており、ドイツとイタリアからインド洋での通商破壊強化と有力な艦隊派遣の要請が来ていました。
この状況に日本もインド洋で潜水艦隊や水上艦部隊を派遣する命令を出し準備していましたが、ガダルカナルの戦いが生じ、インド洋での作戦は極少数の部隊に任される事になりました。
しかし、ミッドウェーで勝利すれば米国はハワイの防備強化と航空部隊、艦隊再建に忙しく、ガダルカナルへの反攻は行わないでしょうから、日本は史実で予定されていた通りか、それ以上の戦力をインド洋に投入して通商破壊戦を行うかと思います。

インド洋は連合軍にとって、北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連への軍事援助で全体の約3割がインド洋を通りました)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路であるばかりか、インドからイギリスへ戦略物資を運ぶ海上交通路でもありました。
もし、この海上交通路が阻害されれば、各戦線は崩れるかもしれませんし、イギリスは戦争遂行に大きく響くでしょう。
特にイギリスは1942年にはドイツのUボートの通商破壊戦により、穀物などの輸入量が低下し消費量が輸入量を上回り備蓄で何とか凌いでいました。また貯蔵していた商船の燃料も3ヶ月分を切っている危険な状況でした。これにインド洋でさらに大きな被害を被ればイギリスは持ち堪える事ができないかもしれません。
元々日本には政府上層部の言う「通商破壊戦により英国の死命を制し米国の態度を変える」「英米連合軍の弱点は英国にあると考えられる。海上交通を断ち英国を餓死せしめて英国を屈服せしむること最も捷径なり」「英国の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしめる」という、まず英国を叩き、それにより米国との講和へ持ち込もうと言う戦略がありました。これが実際に成功するかどうかはともかく、英国の死命は海上交通路にあり、もしインド洋を日本が制すれば、前述した各戦線に致命的であり、英国にも大打撃だった事でしょう。

また、日本の潜水艦隊は開戦時に南方とハワイ方面に大きく二分され作戦しており、ミッドウェーで勝利した場合も当然、インド洋だけでなくハワイ~米本土、オーストラリア~米本土間で通商破壊戦に全力をあげる事になるかと思います。
史実では大戦初期は日本の潜水艦も遠く米本土沿岸で暴れ周りましたが、戦局の推移とともにそれもできなくなりました。しかし、ミッドウェーで勝利し米国の大型戦闘艦艇も多くを沈めたとなれば太平洋で通商破壊戦に力を入れる事も可能になるかと思います。
そうなれば、米軍も大西洋にばかり護衛艦を投入するわけにもいかず、その分、大西洋のUボートが楽になり戦果を拡大し英国を一層苦しめる事になるかもしれません。

そして、太平洋ではハワイ攻略戦となりますが、日本の潜水艦の通商破壊戦がうまくいけば、ハワイの防備も思うようには進まないかもしれません。
攻略自体は制海権、制空権をとれれば可能かと思います。あまり陸軍の大兵力を投入できないでしょうが制海権、制空権を握れば圧倒的有利になります。フィリピン攻略戦やマレー攻略戦、ジャワ攻略戦でも日本軍は連合軍より兵力が少ないにも関わらず勝利したのは、そうした要素において勝っていたからです。

ハワイの失陥は米国にとり大きな衝撃となるでしょう。
そもそも開戦前の米国の新聞には「日本は我々を攻撃する事はできない。軍事的にも不可能な事だ。ハワイの基地にしろ日本艦隊の有効攻撃圏の外にある」と載っていたくらいです。
おそらく、ここで活気付くのが米国内の黒人などの有色人種です。
開戦時、米国は一つに纏まっていたかのように言われますが、実はそうでもありません。
第一次世界大戦で黒人は待遇改善、地位向上を目指し、戦争に積極的に協力しましたが終わってみれば何も実りはなく失望だけが残りました。その経験から第二次世界大戦に米国が参戦した時も、有色人種の間では冷ややかに戦争を見ている部分がありました。
また、大戦を勝ち抜くため軍の増強と軍需産業での人員確保に黒人も組み込まれますが、黒人のこれまでの不満を和らげ、また人手不足を解消するために、これまで働けなかった職場や地位に黒人が就きました。
それに反発したのが白人労働者で職場放棄や暴動を起こしています。黒人側も歴史的に差別されている事から当然不満と反発がありました。1943年だけでも全米47都市で100以上もの人種暴動が発生しています。これにより、軍需産業の生産にも影響が出ています。デトロイトの暴動では黒人が軍の武器庫に突入しようとしました。軍内部でも黒人対白人の暴動が発生しています。
暴動で逮捕された黒人指導者の中には「黒人は米国内の日本軍だ」「東条首相に日本の勝利を祈る」と言い放った人もいました。
日本の勝利がこうした米国内の不満分子である有色人種を刺激し、より一層、反政府運動を大きくするかもしれません。
もしそれが広がれば米国内は酷い紛争状態となり兵器や物資の生産は遅れ、生活用品の流通にも影響を及ぼし、市民の不満を更に募らせるかもしれません。ただでさえ戦争で食肉やバター、ガソリンや暖房用燃料等色々な物が配給で不足気味なのです。それが更に悪化したら・・・
そうなれば、米国は日本と戦うより先に国内問題を解決しなければならず、日本に有利な状況で講和という事になるかもしれません。

史実では、前述した1942年10月の「アメリカ史上最悪の海軍記念日」の後に、米国では上下両院議員選挙が行われましたがルーズベルトの民主党は51議席も減らしました。ミッドウェーで負け、ハワイも攻略されたら民主党はもっと大敗し、ルーズベルト政権ももたないかもしれません。

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられます...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Qドイツがソ連に参戦しなければ戦争に勝っていましたか?

第二次世界大戦でドイツ軍が敗北したのは、ソ連に参戦をしかけ戦域を広げたためだと思います。
もしそれがなければ戦争に勝利する確率はどれくらいありましたか?
あるいはアメリカが参戦した時点で勝てる見込みがなくなっていましたか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

そもそもナチスドイツの目的は、ソ連を倒し、東方に勢力圏を広げる事でした。
フランスとの戦いは、ソ連と戦っている時に、後ろから攻撃されないようにする事が目的でした。

(ベルサイユ条約への反感も有りましたが。)

そのため、ドイツとソ連が戦わないという事は、想定しにくいのですが、ヒトラーが、ソ連との戦いを延期し、イギリスを無力化る事を、最優先に考えたのなら、勝つ事は、可能だったと思います。

そのためには、スペインを何としても同盟に引き込み、最悪スベインに攻め込む位の気構えが必要でした。

スペインから、ジブラルタルを攻撃し、占領。
その後モロッコに軍を派遣し、モロッコの防備を固めます。
一方、リビアのアフリカ軍団を増強し、スエズ運河占領。
さらに、インド洋にUボートを派遣して、通商破壊を行えば、イギリスの占領はできなくても、ほとんどイギリスの無力化ができます。

多分、ジブラルタルかスエズが占領された時点で、チャーチルは、辞任に追い込まれるでしょう。
この時点で、アメリカが参戦していなければ、イギリスとの講和が可能です。

ただ、実際の赤軍は、この時ほとんどスターリンにより無能化されていましたが、この作戦中、ソ連軍がドイツに攻め込む可能性が予想された場合、ドイツがこの作戦を行う事には、危険がともなったでしょう。

ドイツが勝つか負けるかは、スペインを同盟に引き込めるかどうかにかかっていたと思います。
スペインで、足を取られたら、ソ連に漬け込まれる可能性が有りました。

そもそもナチスドイツの目的は、ソ連を倒し、東方に勢力圏を広げる事でした。
フランスとの戦いは、ソ連と戦っている時に、後ろから攻撃されないようにする事が目的でした。

(ベルサイユ条約への反感も有りましたが。)

そのため、ドイツとソ連が戦わないという事は、想定しにくいのですが、ヒトラーが、ソ連との戦いを延期し、イギリスを無力化る事を、最優先に考えたのなら、勝つ事は、可能だったと思います。

そのためには、スペインを何としても同盟に引き込み、最悪スベインに攻め込む位の気構え...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む


人気Q&Aランキング