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世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。
この文のいみじかるはなぜ連体形ですか?
べきはべしの活用形で終止形接続じゃないのですか?

活用形で考えれば連体形になるのばわかりますが。

A 回答 (3件)

助動詞「べし」は、ラ変型の活用語には、連体形に接続します。


「いみじ」は形容詞ですが、形容詞に助動詞が接続する際は、必ず形容詞活用表の「カリ活用」の方に接続します。
「カリ活用」は、「ラ変型」なので、「いみじ」の連体形(カリ活用のほう)「いみじかる」に接続するのが正解です。
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>べきはべしの活用形で終止形接続じゃないのですか?



文法書には、助動詞「べし」は終止形接続と説明がありますが、但し書きで

『ラ変型の活用語には、連体形に接続』と書いてあるはずです。

また形容詞に助動詞が下接する場合、補助活用を用います。
この補助活用は、ラ変型に活用します。

よって「いみじ」に助動詞「べし」が接続する場合は
「いみじ」の連体形「いみじかる」に「べし」が続きます。

ただこの文は係助詞「ぞ」があって係り結びになるので、「べし」の連体形「べき」が使われます。
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 この文章をよ~く見てください。

句読点の前に「ぞ」という「係助詞」がありますね?。既に古文の授業(中学でも習います)で「係り結びの法則」との約束事を学んだはずです。
 この「係り結びの法則」は文章の途中に「ぞ・なむ・や・か」の係助詞合った場合の文末は「連体形」で終わり、文章の途中に「こそ」があった場合だけは「已然形」で文章を閉じる、との文章パターンを説明する言葉です。
 この文章を文節に分解してみると「いみじかる べき」となります。この文章は本来ならば「いみじかる べし」となるはずとの質問者の疑問は口語文法から見れば自然ともいえます。、
 しかしながらこの場合は「文語文法」の問題ですので文語文法のルールを適用せねばなりません。ですから文章の中に「むさぼらん“ぞ”、いみじかる“べき”」として間に「いみじかる」を挟んだサンドイッチの形で「係り結びの関係」が見られることから文末の形が「いみじかる べき」となって連体形が用いられているとの説明になります。
 次に「いみじかる」の問題に移ります。「いみじかる」はシク活用をする形容詞「いみじ」の連体形です。活用は「しから・しかり・○・しかる・○・しかれ」(未然・連用・終止・連体・已然・命令)と変化します。
 形容詞であることから何かを修飾しているはずでありそして当該の「じ(し)かる」は確かに連体形ですので、何かが省略されていると考える必要があります。
 もし口語訳したならば「いみじ」を質問者様はどの様に「具体的に」訳しますか?。さしづめ“very”あたりになるでしょうか。でも“very”だけでは意味をなしません。現代語であっても「超・チョー」だけでは意味がわかりませんね?。現代語としてもこの“very”には良い意味と悪い意味の2つがあります。それは後に続く言葉を強調する働きでしかありません。
 この『徒然草』-第18段の現代語訳はネットにも様々な掲示が見られ、また刊本にも様々な現代語訳が付されていますが、その殆どが「すごい」とか「すばらしい」などの抽象的な訳文に終始していることもおわかりでしょう。ですので「具体的に」といった意味はここにあるのです。
 この文章は新聞の見出しのような部分ですから、読者の関心を引きつける意味も求められることも確かです。ですから訳文としては「内容を踏まえる」ことが求められます。この段のテーマは「物に固執するな。質素清貧な生活を志せ」との内容です。都から少し離れた吉田山の片隅に隠遁生活を営む吉田兼好ならではのイヤ味ともいえますが、昨今の断舎離のさきがけともいえます。そうしたことを踏まえて、適切な言葉を質問者様ご自身でお考えになってみてください。
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