痔になりやすい生活習慣とは?

中国清王朝は満州人で、日本が漢人の孫文や蒋介石と協力して満州人を追い出して漢民族の中華民国や現在の中華人民共和国ができたのだけど、習近平の野望は近隣諸国の占領のようですね。こんなこと歴史的に漢民族がしたことないよね。歴史的に蛮族のような事をしたのはモンゴル人の帝国、元の時代だけのように思います。東南アジア全て元の軍門にくだり、日本にも及んだのが元寇の役ですね。日本侵略に失敗した元はその後潰れていますね。
このように歴史を振り返ると、習近平は漢民族とも思えないような振る舞いなんですが、顔もでかくてチンギスハン風ですし、漢人なのかどうかも疑わしいですね。
「中国の習近平は漢民族を滅ぼそうとしているの? 」というのが質問ですが、中国人の方も含めて誰でも良いので忌憚なくお答え頂ければ幸いです。

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A 回答 (7件)

清王朝を作ったモンゴル人はモンゴロイドと言われる人種です。

日本人やチベット人は同じモンゴロイドです。インディアンなどアメリカ大陸の原住民もモンゴロイドです。日本人の顔立ちによく似ています。共通点は赤ちゃんの時のおしりに出来る青あざです。あなたにもありましたよ。
チベットへ行ったとき、チベットの人に日本人と中国人の違いは見ただけで分かると言われました。あの習近平の顔立ちは紛れもない中国人の顔、つまり漢民族の顔です。清王朝の祖先であるモンゴロイドではありません。チンギスハンは絶対にああいう顔立ちではなかったでしょう。習近平のやろうとしていることは漢民族伝統の中華思想への回帰です。つまり世界の中心は漢民族だと言うことです。嫌な国ですね。
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モンゴルが一時的に覚醒したのは歴史上最大のミステリーですね。


ユーラシア大陸の草原部は短期間に広大な土地を制圧する例が多いです。

中でもモンゴル帝国にまともに勝った国はないんですよね。
日本は台風で相手が自滅するという幸運がありましたし、欧州戦線も欧州側が悲惨な負け方をしています。
あのままモンゴル人がキリスト教の領地を蹂躙していたら、歴史はどう変わったんだろうと思います。
定跡通り元も短期間で滅びましたが、その原因が日本と同じデフレというから興味深い。

満州人は中華だけ抑えていれば衣食住には十分満足できたので外に出る習性がなかったのですが、
周辺の異民族が広大な帝国を何度も築いたように膨張主義が無かったとはいえません。

現在は科学も進歩し、また衣食住にも不安定なほど人口が増えました。
そこで本能である膨張主義が現代版として復活して来たんかないですかね。
漢民族を滅ぼすというよりは人口調整を考えていると思いますよ。
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>中国の習近平は漢民族を滅ぼそうとしているの?



ご質問が突飛で直接にはお答えできませんが、習近平は漢族らしいですよ。

http://jpn_cpc.people.com.cn/69715/6289150.html


余談ですが、黄河が大きく曲がりくねっている部分の、中国側から見て内側の部分は、昔、匈奴が住んでいたという話を何かで読んだ記憶があります。それを漢民族が追い出しました。他の地域でもそうです。絶えず戦いが繰り広げられました。中国は昔から、国が安定すると外に向かって侵略していくというパターンを繰り返してきました。その結果特に現在のモンゴルとは犬猿の仲で、モンゴル人は中国人を眼の敵にします。

なお"顔つき"の話ですが、習近平はどちらかというと朝鮮系の顔でしょ。モンゴル人はもっと精悍な顔をしていると思います。
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中国(習近平)の野望は近隣諸国の占領


こんなこと歴史的に漢民族がしたことない。
従って失敗し、漢民族は滅ぶというのがあなたの考えですね。しかし成功する可能性もあるのでは?
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前漢、後漢、宋、明は漢民族だと思うぞ?

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>こんなこと歴史的に漢民族がしたことないよね



中国4000年の歴史はそんな歴史ですよ。
征服された蛮族が、実はその内部の脆弱性を
逆手に取ったのが清朝などですが。

>中国の習近平は漢民族を滅ぼそうとしているの?

ですから、強い漢民族が還ってきたので、
その路線を踏襲しようとしているだけでは。
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歴史的には、中国の外交は朝貢外交が基本で


原則として武力はあまり使わない、使っても
それは朝貢を促すためのものでした。
朝貢して、臣下の礼をとれば、それで終わり
というもので、欧米とは明らかに異なっていました。

しかし、
習近平というよりも、改革開放で力をつけた
中国の外交は、いにしえの朝貢外交とは一線を
画しているように見えます。

それが領土欲に基づくものかは、まだ判りません。
というのも、現代の経済発展を続けている中国では
エネルギー問題が深刻になっているからです。
これを何とかしないと、経済にブレーキがかかって
しまいます。
経済にブレーキがかかれば、政治的には不安定な
国ですから、極端な場合には体制崩壊にまで進む
可能性があります。
それで、中国は焦っているものと思われます。

中国は、フイリピン、ベトナム、尖閣と、揉めていますが
いずれも、資源問題です。
資源を得て、経済発展を続け、いずれは米国を追い越すか、
ここで没落して、途上国に逆戻りするかの瀬戸際です。
中国は、中国で必死なのだろうと思います。
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Q中国の今までの王朝の民族を教えてください 

中国の今までの王朝の民族を教えてください 

Aベストアンサー

■全土統一以来漢民族による朝代は漢と明のみではないでしょうか。
 歴代王朝の民族は、以下ご参考。

■たてまえの通説。
Wikipediaに詳細がありますが、要点は以下の通り。
部分引用しました。
・漢民族以外の民族による「征服王朝」とされているのは、
遼朝  916年 - 1125年 契丹人(キタイ人)
金朝 1115年 - 1234  女真族(ツングース系民族)
元朝 1271年 - 1368年  蒙古族(モンゴル高原を中心としたモンゴル語の民族)
清朝 1644年 - 1912年 満洲族(ツングース系民族)
  注:期間については学説により異論あり。
・五胡十六国時代の諸国や北朝は「浸透王朝」・・・全土を支配していなかった
  注:五胡十六国は304年の漢(前趙)の興起から439年の北魏による華北の
    統一まで。当時中国華北に分立興亡した民族・国家の総称。
    十六国とは北魏末期の史官崔鴻が私撰した『十六国春秋』にもとづき、
    実際の国数は16国を超える。詳細は、
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%83%A1%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%9B%BD
  この間参与した国名と始祖、民族名が頁の下部に一覧があります。
  漢族も含めて匈奴、羯、鮮卑、羌etc.多種あります。

■以上の他に他民族王朝説があるのが、
・秦朝 現青海省~新疆方面の西戎(西方にいた遊牧民族)、羌(きょう)族。
・隋・唐王朝も鮮卑拓跋部出身貴族の楊氏・李氏。
      漢人出身を主張するも紛糾した。
・宋の太祖趙匡胤は漢民族ではなく突厥(トルコ系)。

■更に、
有史以来、周の時期(秦朝以前)までは全国統一されていませんでしたので、
現在とは版図も国の概念も異なりますが、
中原を中心に、おおむね漢族が権威をもって成立した政治と見てよいでしょう。
もっとも、当時の長江沿岸以南は漢族とは言えず、文化の淵源も異なります。

■おまけです、
こうしてみると、5000年?の歴史で、
漢民族が治めたのは細部はともかく周の時代まで、
以降については、漢代、明代のみが漢族国家と私は考えています。
北方民族の蹂躙を受け続け侵入を許してきたのが実態で、
それに抗して成功したのは、漢の劉邦と明の朱元璋、一時成功しかけた
のが李自成、3人とも南方出身です。
そういうわけで「中国の英雄は南から出る」と言う中国人が
現在も結構居るのです。
好悪は措いて、毛沢東もどういうわけか南方の湖南省出身です。
更に、「代」を付すのは漢民族の漢代と明代のみ、
他は全て異民族で「朝」だと主張する中国人もいます。
このような環境で、漢民族の文化を堅持してきたということは驚嘆に
値します。おそらく、春秋時代の諸賢が築いた成果によると考えます。

参考:中国の歴史・・・丁寧にリンクを辿るといろいろ見えてきます。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2

■全土統一以来漢民族による朝代は漢と明のみではないでしょうか。
 歴代王朝の民族は、以下ご参考。

■たてまえの通説。
Wikipediaに詳細がありますが、要点は以下の通り。
部分引用しました。
・漢民族以外の民族による「征服王朝」とされているのは、
遼朝  916年 - 1125年 契丹人(キタイ人)
金朝 1115年 - 1234  女真族(ツングース系民族)
元朝 1271年 - 1368年  蒙古族(モンゴル高原を中心としたモンゴル語の民族)
清朝 1644年 - 1912年 満洲族(ツングース系民族)
  注:期間については...続きを読む

Qなぜ満州族は中国を征服できたか。

昔清朝をたてた満州族は300万人程度しかおらず、当時の明は
3億人くらい人口があったそうですが、歴史の本を読んでもなぜ
1%程度の人口で満州族が征服できたのか、いまだに不思議です。
いくら明の国内が疲弊していたとはいえ。
モンゴルも同じですが、なぜ北方民族はこういうことが可能なのでしょうか。
秀吉が20万近い鉄砲で武装した精兵で朝鮮をせめても、撤兵せざるを
えなかったですよね。
ちかくには日中戦争でも日本軍は苦戦しましたし。

Aベストアンサー

色々理由はありますが、簡単に書くと・・・
1.明が一つにまとまっていなかったから。
2.優れた指導者が明におらず、清には優れた指導者がいたから。
3.清軍が分裂した勢力をうまく取り込んだから。
4.清が明より民衆に優しく、民衆としては自分やその家族が暮らしやすくなったから。

明が一つになって清に対抗できていれば、清が明を倒す事などできませんでした。
しかし、あまりに明の腐敗が酷く重税で民衆を苦しめており、あちらこちらで大規模な反乱が起きました。
しかも、兵士に与える筈の給金、食料までが上官に不正に搾取されるなどして、兵士達が反乱に加わっています。
明の宮廷では清との戦いや反乱軍鎮圧のための軍費を賄うために、民に臨時の重税をかけ、それに反発した民衆が反乱を起こし、それを鎮圧するために新たな軍の徴集と新たな税が取り立てられるという、重税、軍拡、反乱という最悪の悪循環の拡大再生産が繰り広げられました。
つまり、この時、明は軍の全てを清軍にあてる事ができなかったのです。
また、明の第17代皇帝の崇禎帝が有能な人材を処断してしまったという失敗もありました。
名将の袁崇煥を処刑したのは大きな失敗でした。

「袁崇煥」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E5%B4%87%E7%85%A5

そして反乱が拡大していき明の軍が反乱軍に敗北し首都北京も攻められた結果、明の第17代皇帝、崇禎帝は李自成率いる反乱軍の前に自殺します。
つまり、この時、明は内憂外患の状態であり、清軍が首都に攻めてくる前に、既に首都は反乱軍に占領され、皇帝は死亡していたのです。

そして清と対峙していた明の呉三桂将軍は、皇帝の死を知った結果、明を見限り敵対していた清軍に味方しました。もともと清軍は呉三桂を味方に引き入れるために、大きな褒美を申し出ていたようです。実際、後に呉三桂将軍は大きな領地と地位を得ています。
他の明の将軍の中にも呉三桂将軍のように清に味方するものが出ました。
皇帝が死に反乱軍が首都を占領したとあっては、自分とその部下達の身の振り方を考えねばなりません。清での新たな成功と生活を望んだというところでしょう。
なお、清軍は明と戦う時に兵士に「抵抗しない者は殺すな。捕虜から衣服をはぐな。女を奪うな」という命令を出したり、首都北京に入った時も、兵士に民家への立ち入りを禁止して略奪を戒めたり、明の官吏に対してはその身分の保証をしました。
さらに占領した後の政策としては民衆に対して税の大きな軽減を行っています。明の時は臨時の税が何種類もありましたが、それを全て廃止し、税自体の軽減も行いました。
つまり、民衆にとっては明の時代より住みやすく、生活しやすくなりましたし、官吏も身分を保証され安堵しました。
これでは抵抗の意思も鈍ろうというものです。

首都を占領した反乱軍は李自成が皇帝となり順王朝を始めますが、呉三桂将軍らに攻められ倒されます。
明を回復しようという動きは南部にいた明の王族を中心にありましたが、圧制により民衆の支持が得られなかった事もあり、呉三桂将軍や元明軍の将軍とその部隊が主力となって平定していきます。

つまり、腐敗して内部分裂を起こしていた明を清がうまく料理したというところです。
もし、呉三桂将軍らの元明軍が味方しなければ、清の中国制圧はかなり難しくなったでしょう。
もしかしたら失敗したかもしれません。
味方に引き入れる事に成功した清の方策が旨くいったというところです。

ところでモンゴルが中国を制圧した時は、中国は西夏、金、宋の三ヶ国に分裂しており、やはり一つにまとまっていませんでした。
モンゴルはそれを利用して、互いに争わせたりして、各国の力を弱め制圧していきました。
金を滅ぼした時は、宋と共同で攻撃しています。モンゴルは一カ国づつ料理していきました。

いつの時代にも中国の北には常に北方民族がいます。しかし、全ての時代で全ての北方民族が中国を支配化に置いてきたわけではありません。成功する時は必ずと言っていいほど、その時の中国が数カ国に分かれているとか、内部分裂などしており、そこにつけこんでいます。

なお、呉三桂将軍が清に味方した事については、女性が原因であるという話があります。
陳円円という好きな女性がいたけれど、首都北京を占領した反乱軍の将軍に奪われ、それに怒った呉三柱将軍は清に味方する事にしたという話です。
「陳円円」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%86%86%E5%86%86

色々理由はありますが、簡単に書くと・・・
1.明が一つにまとまっていなかったから。
2.優れた指導者が明におらず、清には優れた指導者がいたから。
3.清軍が分裂した勢力をうまく取り込んだから。
4.清が明より民衆に優しく、民衆としては自分やその家族が暮らしやすくなったから。

明が一つになって清に対抗できていれば、清が明を倒す事などできませんでした。
しかし、あまりに明の腐敗が酷く重税で民衆を苦しめており、あちらこちらで大規模な反乱が起きました。
しかも、兵士に与える筈の給金、食料までが...続きを読む

Q中国の漢民族について

中国の歴史について最近勉強しているのですが。満州民族の清朝から漢民族の中国になったんですよね。その漢民族はもともと中国大陸のどのあたりの人たちなのですか?三国志の時代の蜀も漢の子孫の劉備ってことは、漢民族なんですよね。ってことは、魏や呉は漢民族ではないってことですか?教えて下さい。

Aベストアンサー

漢民族というのは幅広い概念ですし、これが漢民族であるという決め手になるような定義はないと言った方が正しいです。

それでもあえて書けば、中国大陸の「中原」つまり黄河中流域に居た民族が漢民族の原型でしょう。もっと大雑把にしてしまえば、劉邦によって漢王朝が開かれますがその領域内にいた人たちすべてが漢民族でしょう。そこから言えば、三国志の魏・呉・蜀の三国はいずれも後漢の範囲内で成立していますから、住民はすべて漢民族であると言えます。

話を戻しますが、中国の歴代王朝にはいわゆる漢民族以外で征服王朝を開いたものがいくつかあります。例えば、鮮卑族の北魏、女直(女真)族の金、蒙古族の元、満州族(女真族から改名)の清などかありますが、これらの征服民族は武力はともかく人口的には少数派ですから、初期のものは次第に中国化(漢民族化)します。元や清は独自文化を保ち、漢民族とは異なる民族であり続けましたが、比較的少数民族による征服王朝ですから、統治される側として圧倒的大人口の漢民族がいたわけです。

ですから、「満州族の清から漢民族の中国になった」という表現はかならずしも正しいとは言えず、辛亥革命によって満州族を主体とする清朝政府を打倒し、漢民族が主体の政府を作り上げたと言うべきです。

漢民族というのは幅広い概念ですし、これが漢民族であるという決め手になるような定義はないと言った方が正しいです。

それでもあえて書けば、中国大陸の「中原」つまり黄河中流域に居た民族が漢民族の原型でしょう。もっと大雑把にしてしまえば、劉邦によって漢王朝が開かれますがその領域内にいた人たちすべてが漢民族でしょう。そこから言えば、三国志の魏・呉・蜀の三国はいずれも後漢の範囲内で成立していますから、住民はすべて漢民族であると言えます。

話を戻しますが、中国の歴代王朝にはいわゆる...続きを読む

Qなぜ中国は人口が多いのですか?

数千年前に急激に増えたのでしょうか?
SEXの好きな民族だったのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇させました。そのため、古代、二千年とか辺りからすでに人口問題があり、周期的な大戦争や天災で、死んだり、餓死したりで、人口調整がなされていたとも云えます。つまり、昔から、中国は人口が多かったのです。人口密度も高かったのです。
 
  2)上の周期的な人口減少があるということは、それを回復するための努力や、また自然に回復する理由があったとも云えます。その理由の一つは、中国の社会が、農業文明であって、農業文明では、人口調整は自分たちでは行わないのです。つまり、生まれる数だけの子どもを育成しようという文化慣習があります。この結果、戦争・天災などで、減った人口はすぐに回復するということが繰り返され、また、このような経験を蓄積した文化として、「子どもはできるだけ多数造る」というのが、歴史を越えて、文化の基底習慣にもなってしまいました。
 
  3)もう一つの理由として、中国の社会の構造があります。中国は、大家族制社会で、もう一つ大結社的社会でもあるのですが、中国の歴史上の争い、戦争や政争などは、大家族・大結社の規模や、どれだけ、それらを糾合できるかで決まりました。従って、大家族は、人数が多いほどよいというので、農業文化の基本である、子どもは造れるだけ造るという原理以外にも、社会的競争の結果、大家族集団では、育てることのできない子どもは、力ある、大家族の別の家族が引き取り養うという形で、単に、農民家族が多くの子どもを育てるというだけではなく(これだと、個人家族の限界が出てきます)、大家族共同体が、そのなかで、多数の子どもを再生産するという、大共同体レベルで、多産多育成を可能とする社会機構があったので、そういう機構がない農業社会に較べ、多数の子どもが、成長し得たということで、人口増大がすぐ起こったのです。
 
  4)あまり説明が長くなるのも困りますから、もう少し簡単にしますが、次に、社会の「近代化」という問題があります。農業生産を基盤とする社会は、可能な上限まで人口を増やします。国連が食料を援助すると、その援助分だけ、人口が増えて行ったりします。しかし、先進近代国家は、人口減少へと現実的に向かっています。この理由は、高度文化社会となると、餓死の心配などはなくなり、国家の国民支援も、制度的に保証され、子どもをたくさん造って、家族や自分たちの「保険=保証」にしようという必要がなくなることがあります。また、高度文化においえ、義務教育他高等教育も普通となり、生活費用も高くなり、一人の子ども成人させるのにかかる費用が大きくなって行き、多くの子ども育てるということが、合理的でなくなってきます。不可能になるとも云えます。国民全体が、餓死などない、相応に豊かな生活水準になり、義務教育の普及が90%を越えて来ると、こういうことになり、人口増加は逆転して人口減少になります。これが先進国の実状です。
 
  5)現在の先進国も、1世紀前には、実は、人口増大していました。先進国はどこもかも、産業化の時点から較べて、数倍から十倍ぐらいの人口に増え、その後、増加は停止し、減少へと転じます。このパターンからすると、現在世界の後発国は、産業化をすすめ、教育の普及などを進めていますが、この結果としての人口増大があります。衛生思想や技術の普及で乳児死亡率が低下し、人口増大へと転化した国も多数あります。中国もそうであり、1世紀前に較べ、第二次世界大戦などを経過したにも拘わらず、産業化・先進化の歩みの途上の人口増加を経験していると云えます。
 
  インドやバングラデシュや、アフリカなどの人口増加はどうなるのかは、主に第五の理由が共通しています。その他には、インドには、また固有の事情があります。とまれ、中国は、先進国化してしまえば、人口増加は停止するはずですが、「先進国化」というのは、文明の展開で、最初に突破した少数の国々・地域だけに可能で、後発諸国は、そういう可能性はないのではないかという可能性もあります。つまり、中国が近代化・先進化する見込みはないという可能性が高いです。先進化への開始から、実現までのあいだに、日本・欧米で、数倍から十倍ぐらいの人口増加と言いましたが、その数字からすると、中国が近代化を進めて行く過程で、いまから、農業国であった理由での人口増大とは別の要因の人口増大が加わって、まだまだ、増えて行くと考えられます。
 

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇さ...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Qタイはどうして植民地にならなかった

タイはどうして植民地にならなかったのでしょうか?
また、第二次世界大戦ではタイは戦ったのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

Aベストアンサー

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代化を進めており、自身の力での独立維持という見方も、わずかながらあります。

さて、第2次世界大戦についてですが、あまり知られていませんがタイは枢軸国として参戦していた日本の数少ない味方国です。(以降は以前の回答から持ってきたものですが、そのまま回答になっています)。
イギリスの爆撃や、B-29の空襲も経験しています。関係としては、日本が仏印(今のベトナムを含めたインドシナ半島の東、つまりフランス領です)に進駐したころから、歩調を合わせ始めています。その前は第2次大戦について中立宣言をしていました。その後、日本が参戦するとほぼ同時に、宣戦布告を行っています。
しかし、最後には完全にそれを翻し(というか日本との同盟など、参戦した理由をうまく自国からそらしたのです)、ついには敵国条項(第2次大戦における連合軍の「敵」リストとでも考えてください)にすら名を連ねていません。これはタイの外交手腕の勝利といえます(今でもそうですが、タイという国は非常に外交が上手です。第2次大戦の前後におけるタイの外交は非常に巧妙で、見事といえます)。
なお、現在の日本との関係は友好的ですね。

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代...続きを読む

Q日本はアメリカの犬ですか?

よく日本はアメリカの属国であって独立国ではないという話を聞きますが、反対にアメリカの意向を全く無視できる国は存在するのでしょうか?
北朝鮮やイランといった反米派の国ですら常にアメリカを刺激しないような政策を行っているように思います。また、本当に日本がアメリカの奴隷であるならアフガニスタンやイラクで自衛隊はテロリストを殺さなかったのですか?

Aベストアンサー

程度の問題でしょう。

米国は世界一の大国ですから、米国の意向を
全く無視できる国は存在しないと思います。

ただ、相当言いなりになる国と、あまり言うことを
聞かない国、その間にある国・・・と段階がある。

ということで、日本はかなり言いなりになっている
国だ、という意味だと思われます。

構造改革、郵政民営化
建築基準法の改正、おもいやり予算、日米地位協定、
定期借家制度、住宅表示制度、教育改革・・・
これらは皆、米国の要請に基づくものです。

そして、
米国に遠慮して公定歩合引き上げを引き延ばし
総量規制と同時になってバブル崩壊を引き起こした
のは周知の事実です。

まあ、ポチ、いや犬は言い過ぎでしょうが、部下みたいな
ものであることは確かだと思います。

Q中国人と韓国人はなぜ移民が多いのですか?

いつかのニュースで拝見しました。
中国系移民は世界130か国に展開している。
もっとすごいのは韓国系移民は世界170か国に展開しているということですが、なんでこんなにも移民が多いのかなと思いました。
アメリカも日本も相当いますよね。至る所にチャイナタウン、コリアンタウンあります。
愛国心はどこの国よりも強いと思いますが、なぜ自国生活しないのかと突っ込みたくなります。

Aベストアンサー

1,中国
 中国は易姓革命の国です。
 つまり、今までの国を根こそぎひっくり返し、新しい
 国を建ててきた国です。
 つまり、旧体制の人達は、皆殺しにされてしまう歴史なのです。
 
 日本はあの戦争でひどい目に遭いましたが、中国は
 それ以上の悲惨な目に600回も遭っています。
 人口が1/3に減ったことも一度ではありません。
 残りの2/3は殺され、死に、国外に逃亡しました。
 海外に逃亡したのが華僑です。

 華僑は日本にも逃げてきました。
 江戸時代の日本は中国やオランダ等と貿易していました。
 オランダ語の通訳は全員が日本人でしたが、中国語の
 通訳はほとんどが帰化した中国人華僑でした。

 こういう訳で、中国人は世界中に散らばったのです。

 現代でも、中国人の国外移住は多いです。
 それは、一言でいえば、中国が住みにくいからです。
 若者の失業率は40%を超えるといわれています。
 人はとげとげしく、共産党とのコネが無ければ
 希望が持てません。
 大宅壮一賞作家「野村進」氏の調査によりますと
 在日中国人の80%は親日だそうです。
 彼らは、本国と日本を比較できますので、どうしても
 日本好きにならざるを得ないから、ということです。


2,韓国
 韓国も基本は中国と同じで、住みにくいのです。
 貧富の差が激しく、給与を基準としたジニ係数は
 0,53もあり、危険水域に達しております。
 失業率は3,7%と発表していますが、これは
 年間一日でも働けば失業者でない、としているためで
 日本流に換算すれば21,2%になります。
 福祉はOECDの中で最低です。
 日本を上回る自殺大国ですし、犯罪も多いです。
 強姦などは日本の40倍、殺人7倍、強盗4倍です。

 ちなみに、韓国人ですが、国を捨てたいと思っている
 人が2011年調査で 76% にのぼると発表しています。
 その原因は次の通りです。(複数回答)
 ・福祉が理由 62,5%
 ・格差    49,5
 ・失業    47,8

 

”愛国心はどこの国よりも強いと思いますが”
    ↑
これは錯覚です。
強いのは愛国心教育であって、愛国心では
ありません。
愛国心が無いから、愛国心教育に熱心に
なるのです。
日本人はなんだかんだと言いながらも、日本が
好きなのです。
だから愛国心教育などやらないで済んでいるのです。



 
 

1,中国
 中国は易姓革命の国です。
 つまり、今までの国を根こそぎひっくり返し、新しい
 国を建ててきた国です。
 つまり、旧体制の人達は、皆殺しにされてしまう歴史なのです。
 
 日本はあの戦争でひどい目に遭いましたが、中国は
 それ以上の悲惨な目に600回も遭っています。
 人口が1/3に減ったことも一度ではありません。
 残りの2/3は殺され、死に、国外に逃亡しました。
 海外に逃亡したのが華僑です。

 華僑は日本にも逃げてきました。
 江戸時代の日本は中国やオランダ等と貿易...続きを読む


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