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そもそも政治家が清廉潔白である必要があるのでしょうか?

私自身は、政治家の責任は結果責任にこそあると思っているので、政治家が清廉潔白である必要など全くないと思っています。
その政治家が「結果的に社会や国家に対して、どれだけ有用なことを為したか?(為すか?)」こそが最も重要なのであり、政治に付随するカネの問題など、どうでもいいよというのが本音です。
むしろ、多少カネに汚く、根回しや知略に長けた政治家でなければ、政治的行動の結果を残せないのが現実社会だとさえ思っています。
「国民や社会に対してどれだけの利益を還元できるか」で政治家の能力を判断するならば
(昨今、問題になっている政治家たちが有能かどうかは別問題として)
「カネに汚い有能な政治家」 と 「清廉潔白な無能な政治家」 の2者がいた場合、私は前者を支持するのが当然だと思っています。

しかし、どうも昨今の世の風潮を見ると、「カネに汚い政治家は悪であり、政治家は清廉潔白でなければいけない」という考えを持っている方が多いように感じます。
私としては「(カネにきれいだろうが、汚かろうが)結果を出さない政治家は悪であり、政治家は結果を残さなければいけない」という考えです。

なぜこうも、「政治家が清廉潔白であること」が求められているのか、私にはわかりません。
皆様の意見はいかがでしょうか?

A 回答 (9件)

政治家に何を求めるか、ですね。



欧米や中国のように、エリート政治家が国を引っ張って
いく、という体制なら、御指摘の通り、政治家は能力
さえあれば、それでよい。
能力とは結果を出せることである。
百億汚職したって、2百億の国益を出せれば、それで
結構だ、ということにも説得力があります。

ただ、集団主義を採る日本では、一部の政治家が国を
リードするという形態にはなっていないでしょう。
実質は官僚が動かしています。

政治家が国を引っ張った例としては、田中角栄、中曽根康弘、
小泉純一郎などが挙げられます。
彼らは結果を出しました。
しかし出した結果の良否を考えると首を捻りたくなります。
田中角栄は年金の大判振る舞いをして、今日の財政赤字の発端を造りました。
中曽根康弘は国鉄を民営化して、新自由主義の先鞭をつけています。
小泉純一郎は郵政改革です。

政治家は選挙の専門家ですが、政治や経済などの専門家
ではありません。
そういう専門家は官僚です。

こういう体制下で政治家に何を求めるか、といえば
それは官僚を動かせる器量であり、無私と人格の力である
という考え方にも一理あると思われます。

ま、これは理想論としてさておいて、現実論に移ります。


”政治家が清廉潔白である必要があるのでしょうか? ”
     ↑
(1)金をもらえば、当然その金をくれた人の利益になる
 政治をする。
 場合によっては、国益よりもそっちの方を優先する。
(2)そうなると国民が政治、政治家、国を信用しなくなる。
 トップが汚職まみれなんだ。
 俺たち庶民が何したって構わない。
 かくして、社会、国が衰退して行きます。
 そんな国の為に誰が真面目にやるもんか、という
 ことで国民が皆、我利我利亡者になってしまいます。
 金に汚い指導者では、国民のモラルが傷つく。
 特に、資源が無い日本では国民のモラルは大事です。
 途上国に汚職が多いのは偶然ではありません。
 汚職が多いから途上国なんだ、という言い方もできます。

質問者さんの指摘には一理あります。
しかし、正面からそれを認めたのでは、上記のような弊害が
露骨に出てくるようになります。
そういう弊害にブレーキをかけるために、清廉潔白を求める
必要があるのだだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>政治家は選挙の専門家ですが、政治や経済などの専門家
ではありません。
そういう専門家は官僚です。
言い得て妙というか 皮肉っぽい決まり文句ですね。

お礼日時:2012/09/27 20:58

No.3さんの回答の後半にありますように、


トップが汚職まみれだと、末端までワイロを要求するような社会になります。
実際途上国に旅行すると、入国の税関でケチつけられたり、警官にワイロを要求されたり
などトラブルがあります。
日本がそういう社会になって、日常的にお上にカネを巻き上げられる社会に
なったら、わたしはイヤですね。。質問者さんはどうか知りませんが・・・
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 ヨーロッパの政治家は日本にくらべ格段に


清廉潔白さを求められ証明する義務があるように
伺います。アメリカでさえも日本よりは厳しい。

それはなぜなのでしょうか。

一言で言うと、特定の企業・団体と結びつかない
ようにです。現代の政治家も多くは特定の企業等
から資金を受け取るようですが、それで全体の利
益を考え、活動できるのか疑問です。戦前の軍部
クーデターの起こるころの2大政党の時代、政党が
それぞれ別々の財閥の支援を受けていたころが最
悪の政治であったと理解しています。現代に通じ
るような話ではないでしょうか。

政治が国民と国の利益を守るなら、やはり政治家
は政治で大きな利益を得ては成らないしまして、
特定の団体・企業に結びついては堕落します。
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>なぜこうも、「政治家が清廉潔白であること」が求められているのか、



そうじゃないですよ。違法にお金を得ているか?合法にお金を得ているか(=精錬潔白)ってだけの話ですよ。違法な方法でお金を得ていたら、いくら善行を積んでいたところで褒められませんよね?
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清廉潔白の意味次第じゃないのかな?



例えば、汚職政治家として有名な「田沼意次」は、死後に私有財産が空っぽだった
収賄が日常茶飯事だった江戸時代の文治政治時代では、収賄を道義的に批判するのも微妙だったりする
ましてや、田沼は、収賄した資金は、領地の新田開発につぎ込んでいるわけだ・・・

田沼は現代の価値観で収賄という犯罪であるが、当時は慣習的に咎められるものではなかったし、収賄したものを私財としたわけでもなく公共投資したわけだ
清廉潔白ではないかもしれないが、政治家としてはアリだと思うのだが、どうだろうか?

汚職政治家といえば、井上馨が指摘できるだろう


>結果を出さない政治家は悪であり、政治家は結果を残さなければいけない」という考えです。

質問の見解は理解できるが、清廉潔白ではない政治家は、政治を穢すことによって政治不信・政治的怨嗟の声を生み出す結果を生じさせる
つまり、清廉潔白でないことが、マイナス効果であることを査定すれば、”政治家は結果”として評定していると言えるだろう
ちなみに、清廉潔白であることが道徳的価値でありえることも事実だろう。”政治の結果”に清廉潔白さに伴う間接的政治効果を勘案することも必然であろう


井上馨の評価は行政マンとして高い評価だが、彼より有能な行政マンは渋沢を初めて多く存在しただろう。
長州というアドバンスを悪用して、”三井の番頭さん”よろしく奇形的に財閥を形成・肥大化させた結果、日本初に二大政党制は、立憲政友会は三井財閥が、立憲民政党は三菱財閥という形式で財閥闘争という背景さえあったのが実情であろう
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/09/27 21:00

1000兆円という世界一の借金大国であることを考えると、結局は金に汚く無能な政治家ばかりなのでは。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/09/27 21:00

カネに汚いに批判材料になるけど、清廉潔白は批判材料にならないからです。



日本では減点主義が尊ばれるので、「政治家が清廉潔白であること」が求められるのは当たり前。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/09/27 20:58

政治家とは、私利私欲を抑えて、国家の為、国民の為に他国からの侵略を守り、日本企業、日本人が世界で勝ち残ってゆけるような施策をするべき職業です。



清廉潔白かどうか、はいわば、私利私欲により、日本や日本人を窮状に陥れる人間かどうか、を問うているのです。

政治家は、私利私欲を超越して、清廉潔白に日本と日本人の利益のために頑張ってほしいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/09/27 20:59

清廉潔白と見せかけるだけのイメージ戦略が実行できない無能者には用はない。


結局、自己管理ができていないだけですから。カネに汚いと言っても、他国から
カネを巻き上げられるのであれば、それは素晴らしい事です。しかし、ただの
小金持ちであれば、それは器が小さいだけ。

ただ、そういう記事が今頃出てくるのは、政治業者の自己弁護に過ぎない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/09/27 19:20

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