No.2ベストアンサー
- 回答日時:
1について・・・
民族的人口の多さと国際情勢の動向。
一つの目安としてですが、まずは現在の各国の人口を・・・
ポーランド・・・3829万人(このうちポーランド人は約3675万人で他は他民族)
ルーマニア・・2143万人(このうちルーマニア人は約1907万人で他は他民族)
チェコ・・・・・・1053万人(このうちチェコ人は約947万人で他は他民族)
ハンガリー・・996万人(このうちハンガリー人は約946万人で他は他民族)
ブルガリア・・744万人(このうちブルガリア人は約624万人で他は他民族)
スロバキア・・547万人(このうちスロバキア人は約464万人で他は他民族)
リトアニア・・・330万人(このうちリトアニア人は約273万人で他は他民族)
このように東欧では民族的にポーランド人の人口が他民族に比べかなり多いものとなってます。人口が多ければ、当然、国力もそれなりに大きくなる事が可能なわけで、安定した強国になる可能性も増します。
ポーランドが他の東欧諸国に比べ、独立国家の時期が長いのも、この人口の多さが要因の一つになっていると考えます。
なお、ポーランドの人口が多いのは建国初期の指導者の手腕が優れていた事と、当時の国際情勢がポーランド人にとって有利に働いたからだと考えられます。
840年にポーランドの最初の王朝たるピアスト朝が起こりますが、現在のところ文献などで実在が確認されているのはミェシュコ1世で、この人がピアスト朝創始者とも言われます。963年頃に即位しました。この王やその息子で次の王のボレスワフ1世は、対外戦争で順調に領土を広げました。
そして開拓する土地は多く、13世紀でも現在の首都ワルシャワのあたりは一村落でしかなく、この後、だんだんと都市になっていきます。そして国土の開拓は進みそれにともない人口も増加を続けました。
また、隣国の戦乱の絶えない神聖ローマ帝国(ドイツ)から、戦いを忌避したドイツ人入植者が大勢やってきます。こうしたドイツ人のかなりの部分はポーランド人に同化していきました。
ポーランドがこうして国土の開発を進め、人口を増加させていた頃、隣国は対外戦争に忙しい状況でした。
西は962年に神聖ローマ帝国が成立しますが、その前身の東フランク王国(ドイツ)はマジャール人(ハンガリー人)の進出を押さえるのに忙しいばかりか、内乱の鎮圧にも忙しい状況でした。
神聖ローマ帝国が成立してからも何度もイタリア遠征をしています。ポーランドと戦う事もありましたが、その回数は少なくハンガリーの征服やイタリアに神聖ローマ帝国の目は向いていました。
ポーランドの東にはキエフ公国がありましたがビザンツ帝国(東ローマ帝国)との間に戦争と講和を繰り返している状況でした。
こうして他国に比べ大きな戦争の少なさがよりポーランドを発展させます。
その後、ポーランドもだんだんと大きな対外戦争や内乱の回数が増しますが、それでも16世紀頃は、まだポーランドの「黄金の世紀」と呼ばれる時代でした。
しかし、その後はポーランドも衰退に向かっていきます。
なお、ポーランドは国の位置的に恵まれている部分もありました。キエフ公国やルーシー諸国、後のロシアなどは東からの遊牧民族等の進出に常にさらされていました。ブルガリアやルーマニア、ハンガリーなどはイスラム教の勢力(オスマン・トルコ帝国など)の脅威に曝された時代もありました。その為、そうした勢力との戦いに力を入れなければなりませんでした。
しかしポーランドは、他の東欧諸国が楯になってくれたおかげで、そうした遊牧民族やイスラム教の勢力に直接対峙した期間は短い年月となっています。
なお国の栄枯盛衰というものはどこの国でもあるものです。
例えばブルガリアなども大きなブルガリア帝国を成立させ10世紀頃に繁栄を迎えています。この帝国は少数の遊牧民族であるブルガール人(ブルガリア人)が圧倒的多数の農耕スラブ人を支配下に置いた国でした。しかし、内紛により衰退しビザンツ帝国に併合されました。しかし、13世紀にはビザンツ帝国から自立して再び帝国を復活させています。
ハンガリー王国も十一世紀頃には一時期、大きくなっています。
ポーランドも歴史の中で大きくなったり小さくなったり占領されたりとしています。
2について・・・
時代とその国によるとしか言えません。
例えば第二次世界大戦後の東欧諸国は共産圏となり、国にもよりますがソ連の衛星国といった状態に数十年も置かれています。
しかし、数百年前の16世紀では、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーはオスマン・トルコ帝国の支配下です。
長い歴史がありますから、時代によって状況は全く違います。
宗教で言うと、ブルガリアなどはオスマン・トルコ帝国の隣国で支配下に置かれた事もあり、現在でもその影響から国民の12%はイスラム教徒です。しかし、ポーランドはそうした事がなかったため%で数値が出るほどのイスラム教徒は国民にいません。
影響は国と時代で大きく違うとしか言えません。
No.1
- 回答日時:
自然地理として防御ラインを設定しづらいので、強大な勢力が生まれると、ドンドンその勢力が広がっちゃう傾向があるようです。
古代ローマ帝国にしても、ライン川=リメス=ドナウ川 ラインとドナウの間にリメスを作って防御ラインにしています。
また中東欧の国々は大昔から現在の国境線があったわけでなく、その時々であっち引いたり、こっち引いたりだったり、チェコ語とスロバキア語は日本の感覚で言うと方言くらいの差がなかったりと、日本で思うほど、明確な切れ目はないようです。
1.なぜポーンランドだけ自国の強い時期が続けられたのでしょうか。
近代以前の歴史では、国民国家でまとまりましょうなんて意識はないので、ポーランドが比較的強国の歴史が長いのは、王朝が続いたということに、煎じ詰めるとなるかなと思います。
近代前の戦争の中世での原因は、王位継承戦争で、王位の継承に紛れがないと、他国も結構攻めてこない。
2.東欧はやはり西洋の影響が強いのでしょうか。それともトルコやロシアの影響など強いのでしょうか。
東欧でひとくくりにするのは無理でしょう。
スロベニアなどは、カソリック優位で、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AD% …
「スロベニア人自体は南スラヴに属することになるが、スロベニアの作家ツァンカルが「(南スラブ人らとは)血の上では兄弟であり、言葉は従兄弟であり、文化は数世紀に渡って全く別の育ちの果実である。しかし、我がカルニオラ(スロベニア)の農民がチロル(オーストリア)の人々と親密であるほどに我々は親密ではない」
というような意識です。
ウクライナが揺れている、西部ウクライナが歴史的に ポーランド=リトアニアのカソリックの影響が大きいのに対して、東部ウクライナがギリシャ正教の影響が大きい(西部はポーランド=リトアニアの支配下だったが、東部はそうならなかった)なんてのがあるそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF% …
この回答へのお礼
お礼日時:2012/10/19 03:02
自然の地理ですね。
確かに防御壁はないのかもしれません。
王朝でまとまって組織になると強いということですね。
ご回答ありがとうございます。
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