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スレッドを開いて頂きありがとうございます!

ポーランドの社会学者ジグムント・バウマンは、その著書『コラテラル・ダメージ』の中でこのような示唆をします。

「アンダークラスの人々は、自分と同じような惨めな状況にいる他者を決して尊敬しない。アンダークラスの人々が集い、協力し、コミュニティを形成することはない。貧困とは、何よりもまず孤立を意味するのである」

バウマンは、孤立するのは貧困者であると指摘します。
そして私が思うに、このような事は「経済的な」貧困者だけに限った事ではないでしょう。
コミュニケーション能力貧困者、容姿貧困者、運動能力貧困者、学歴貧困者、etc...
貧困であると、競争で負けるだけではなく、本来は利害関係や貧富の差が問われないはずの「コミュニティ」への入場さえ制限されてしまうのではないしょうか。とすれば「コミュニティ」とは、本当は存在しないものなのでしょうか?


ど素人の回答でも全然ウェルカムです。
ただし、PSYTEXの回答だけは断固お断り致します。
よろしくお願いします!

A 回答 (13件中1~10件)

今まで生きてた中でお金のない者達は、勉強しない人達で


そういう人達は不満たらたらで努力しないうえに裏で互いの文句を言い合いますよね?
(それがアンダークラスかな??)

自分が合った経営者や成功者はアンダークラスの方達より、人、物、金、情報、をもってます
まず人脈と趣味をたいせつにしてたなあと思い出しました。

コミュニティは自分の考えが一致した人達が集まると思ってるので。。。。。。

もうわけわからんwwwww(×皿×;)wwwww

ギブ!!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自己責任もあるんでしょうね。
「わけわからん」てw

お礼日時:2012/10/12 15:33

心根の貧しい者が孤立するという根拠が乏しいですな。

そういう人間が傷の嘗めあいで
群れを成す事は珍しくも何ともありません。相互利用ですな、まあ、尊敬するかどうかは
当人次第ですから。

社会学って、こんな素人臭い事をドヤ顔で言えるんですな。
その社会学者の引用を限定的に行っているから、コミュニティへのイメージが
歪むのでは?韓国人を見てウンコみたいと感じるのは人それぞれですが、人間が皆、
韓国人というわけではないからね。
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この回答へのお礼

では傷の舐め合いのコミュニティは、長続きするのですか?
「胡散臭い」とは、あなたが胡散臭い人間でないことを示してから言うべきでしょう。

お礼日時:2012/10/12 14:22

>コミュニケーション能力貧困者、容姿貧困者、運動能力貧困者、学歴貧困者、etc...


そのすべての人が、すべてのコミュニティから制限を受けているでしょうか?

本当に制限をかけているのは参加する側の方なのです。

それは
>アンダークラスの人々が集い、協力し、コミュニティを形成することはない。
というように明示されています。

ここで共通する貧困は、心の貧しさだと思います。


他者と比べて劣っていると、その人自身が心貧しい方へ向かえば孤立します。
状況や状態がなんであれ、心豊かに生きる人は何がしかのコミュニティへ自ら参加します。

物理的な苦難を、自らが心で乗り越えて行くと人は魅力的なり、人に慕われ愛される存在になっていきます。
孤独や孤立と無縁となっていくでしょう。

また、すべてがそろっているように見える人でも、常に自分以外の誰かや何かが悪いと嘆き続ければ
コミュニティへの参加は制限されます。

自分をみじめだと思う人は制限され、楽しむ人には門が広く開かれます。
本当の貧困は、心が貧困かどうかということだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
鋭い指摘ですね。
核家族世代でコミュニケーション能力の低い私には耳が痛いですw

お礼日時:2012/10/12 15:30

そのジグムント・バウマンという人は、


貧しい生活をする人々のことを
調べて体験して本に書いたのではないとしか思えません。
彼の立場は「持てる人」であり、
持てる人の立場からは、
「そうであるはず、そうあるべきだ」としか思えないはずです。
人間というものは、貧しくなればなるほど、他人への共感が育つのです。
そして助け合いや分かち合いが行なわれます。
エゴというものは姿を消し、助け合って生きるようになります。
私たちが貧困を怖れるのはエゴがあるからです。
そして富めば富むほどエゴと恐怖も増大し、
人々から切り離されていきます。
その結果孤立し、人とのつながりを失い、
人生の意味を見失った人々がドッと押し寄せたのが、貧困層の多いインドでした。
真のコミュニティは貧しさを基盤としたところから生まれます。
豊かさの中で作られた共同体は、貧しくなると消滅します。
正直な気持ち、
このようなことを言う人が社会学者として通用することが信じられません。
それとも、現在の社会学はそういう状況になっているのでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
辛辣なご意見ありがたいです!
zeburaさんの言いたい事もわかりますので、私がバウマンを代弁をしてzeburaさんの主張に反応しようと思います。

貧困者は、コミュニティを形成「せざるを得ない」。貧困者は、孤立して生きていけるほど強くはないから。これはzeburaさんがおっしゃったように、インドのような国に当てはまる事だと思います。
ここで、もし「集団のしがらみから解放されても生きていけるチャンス(金持ちになるチャンス)」があったら?必ず「抜け駆け」する人たちが現れるでしょう。そしてコミュニティに残された人たちも、抜け駆けした者たちを羨むでしょう。
しかし、このような場合ではたしかに、自分の周りにいる「残った」者たちを尊敬しなくなる、という事はまだないかもしれません。一緒に暮らしてきた歴史があります。
では、最初から「残った」側に生まれ、「成功者たち」を見ながら育ったら?成功者を目指すでしょう。そして成功者のコミュニティに、貧困者は場違いです。貧困者とコミュニティを形成しても、はっきり言って「メリット」がありません。

どうでしょうか。

正直、私もバウマンの文に時々胡散臭さを感じます。しかし洞察力に富んだ人なので、本を手にとっています。わたしはバウマン信者ではありませんので、忌憚のない反論をお待ちしております。

お礼日時:2012/10/12 15:28

>「アンダークラスの人々は、自分と同じような惨めな状況にいる他者を決して尊敬しない」



この1文だけでも、「論理破綻」と疑われても仕方が無いのでは。
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アンダークラスの人々は社会的経済的に不安定ですから流動的な生活を強いられます。


当然、そういう不安定な人と安定的な関係を築くというのはコストパフォーマンスが悪いですから発展しづらい。

また、尊敬しないというのは、流動的だから信頼しないのであって
それはそれで賢い選択といえるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

流動的な人間=芯の無い人間という事でしょうか。
それは怠け者に共通する特徴ではあると思います。

お礼日時:2012/10/13 20:39

文中にある「アンダークラス」とは、どの様な人々を指すのかが理解の鍵になると思います。



通常、コミュニティと言って日本人が思い浮かべるのは、中世・近世と続いてきた村社会です。
共同で生産拠点、農地や漁場を持ち互いに生活を助け合うという光景です。

>「アンダークラスの人々は、自分と同じような惨めな状況にいる他者を決して尊敬しない。アンダークラスの人々が集い、協力し、コミュニティを形成することはない。貧困とは、何よりもまず孤立を意味するのである」

意外と村社会は、だれでも受け止めていたわけでは無い様です。
体力・能力が、ある程度高くないと村社会の一員として迎え入れて貰えず「穀潰し」として追放される例もあったようです。

ここで「コミュニティ」と呼ばれる存在は、能力として無能な人間を追放する冷酷な一面をもつ存在として書かれているのでは無いでしょうか。
例えば、業績を上げねばクビになる会社の様な存在では?

ココに書かれている文章からは

アンダークラス → 能力の低い人達
コミュニティ → 業績を上げねばクビになる会社・集団

の様に読み取れます。

通常、コミュニティと言えば能力の有無にかかわらず生活を助けて貰える存在として考えられるのですが・・・
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この回答へのお礼

そうなんですよ。コミュニティ論に関わる学者はしばしば「コミュニティの復興」を唱えますが、本当にどうしようもない人の為のセーフティネットなんて不可能なんですよね。誰でもそういう人からは距離を置きたいでしょうし。
バウマンは『コミュニティ』の中で、現代ではエリートがコミュニティを計画するという労務から撤退したと指摘していて、その指摘が今回私がスレッドを立てるきっかけの一つになりました。全てのコミュニティはアソシエーションの一種なのでしょうか…
社会学の用語ばっかりですみません。でも多分読み取って下さると期待していますw

お礼日時:2012/10/13 20:46

その本を読んでいない素人です。

素朴な質問ですが、ここでの「コミュニティ」には何か特別な含意があるのでしょうか。

共同体を「生活の利害を共にする集団」として捉えれば、『貧困者のコミュニティへ入場が制限されるから、コミュニティそのものが存在しない』という主張はよく分からないのですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
ご指摘への応答ですが、社会学的な文脈での「コミュニティ」という用語は、しばしば「利害関係抜きに団結する集団」という意味で用いられます。
ですから入場拒否者を伴うコミュニティは、コミュニティの利害関係を前提にしている点で語義矛盾ではないかというのが私の疑問です。

お礼日時:2012/10/18 18:57

「アンダークラスの人々は、自分と同じような惨めな状況にいる他者を決して尊敬しない。

アンダークラスの人々が集い、協力し、コミュニティを形成することはない。貧困とは、何よりもまず孤立を意味するのである」

○この反証を挙げるとすると、ブータン国ですね。ブータンという国は最貧国に近い国ですが、国民の幸福度は非常に高いですね。幸福度が高いということは他者を尊敬するコミュニテイができているということですね。
それが反証となりますね。反証があれば命題が間違いということになりますが、何が間違っているかですね。
この命題には心の幸福度が含まれていないからですね。唯物論者の命題でしょうね。
ものや地位や名誉やお金だけでコミュニテイができているのであれば、最貧国など存在できないはずですね。
でも、世界には最貧国の方が多いのですね。つまり、貧しさは孤立の条件ではないということですね。

この回答への補足

ふと思ったんですが、ブータンはみんな貧しいからアンダークラスという概念が無いだけなのでは?

補足日時:2012/10/18 21:13
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
その通りだと思いました。
私の立てた仮説は日本のような唯物論国家で成り立つという事でしょうね。
ブータンにもマネーの論理が侵入し始めていると聞きますが、果たしてどうなるやら…

お礼日時:2012/10/18 19:00

ご回答ありがとうございます!



では、わたくしの考えを記します。

アンダークラスの人々がコミュニティへの入場を制限されるという認識には賛成です。その上で、コミュニティという言葉はもっと広い意味で使われており、その意味においてしっかり存在していると考えます。

コミュニティでの一連の相互作用を動機づけているのは、確かに市場取引のように即物的な利益計算ではありません。それは第一に価値規範であり、第二には「今もらえなくてもいつか貰える」「あなたから貰えなくても別のメンバーから貰える」といった、互酬における対称性への期待でしょう。そういう意味で、コミュニティを少なくとも「利害計算抜きで団結する集団」と定義することには賛成です。

しかし、この定義はコミュニティの成員同士の付き合いについて述べたものです。そこへの無制限な参加を認めることとは関係がないと思います。都市社会に住む市民は、階層・エスニシティなどの資格によってふるい分けられ、ふさわしいコミュニティーに参加する。そしてその内部で「利害関係抜きに団結する」という風に捉えるのが自然だと思うのですが。

これは想像ですが、質問者様はコミュニティを暗に地域コミュニティと捉えているかもしれません。そのうえで、最も資源に乏しい人まで全員を包摂する地域コミュニティこそを、真のコミュニティと定義しているのではないでしょうか。しかしその定義はいささか時代に合わない気もします。社会が流動化した現代では、地域以外にも一応「利害だけじゃない」と言える集団がたくさんあります。趣味集団とか、NGO、同郷会・同窓会、ネット上の相談サイトなどなど...そういった広い意味に「コミュニティ」という言葉を譲るのはどうでしょう。また現実にこの語の意味はそこまで広がっていると思います。 

その上で、最下層をも包摂する集団の重要性を説くのは、もちろんとても大事だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
たしかにそう…ですね。
「利害関係抜きに」とは、付き合い方を指した言葉であってコミュニティへの入場審査の際に適用される基準ではないです。僕が勘違いしていましたw

お礼日時:2012/10/19 15:07

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