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以前自分の中で起きた出来事について質問があります。

家族がテレビでドラマ・バラエティ・ニュース番組などを見ていたのです。自分は家族が見ていたテレビ番組に視線が行ってしまったのです。それで家族が見ていたテレビ番組に視線が行った後に視線をテレビからはなそうとしたりした(違う所を向こうとしたりした)のですが、視線をテレビからはなしたりする行為ができなくなったことが何度かあったのです。要するに《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》感じだったのです。

それでこのことをokwaveで回答をくれた方とメールで伝えたのです。
そしたら相手の方は「《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現を「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」というふうに言い換えて書いてくれたのです。

《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれています。
一方、「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれていません。

相手の方は“それほど「テレビ番組の内容として印象的なもの」があったのでしょうね”とおっしゃったのですが、僕にとってはそうではありませんでした。
テレビ番組の内容には興味を示してませんでしたし、テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかったのです。
要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった」ということなのです。

ここで質問です。
(1)テレビ番組の内容には興味を示してなかった。
(2)テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかった。
(3)要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった」

(1)~(3)が当てはまる場合、《眼球の動きを止められた》から《目が釘付けになった》への言い換えは間違っていると自分は思ったし、家族もそう言ってました。
本当は《眼球の動きを止められた》は、どういう言い換えの表現になるのか、教えて下さい。

最後に僕は抽象的な言葉、観念的な表現、比喩、皮肉などの難しい言葉を理解することが苦手なので抽象的ではない、具体的な表現であるわかりやすい言葉での回答を下さると嬉しいです。

A 回答 (9件)

NO3です、何か文法の勉強の様になってますね~・・・


私は勉強は苦手なので、たぶんこれが最後の回答になります。
補足をしていただいても再回答はできませんのであしからず・・・
他の回答者さんの補足にもありますが、気になるのは「助動詞」などの文法になぜかこだわっていませんか?言葉の使い方は多種多様ですが理由が何かあるのでしょうか・・・
それはさておき、「眼球の動きを止められた」、「目が釘付けになった」を物理的な言い方で言い換えの表現をするのであれば、おそらく簡単に「目が動かなくなった」となるでしょうね。
「原因」も「理由」も無視するのであれば、これ以外には無いと思われます。
ちなみに、「目が釘付けになった」というのは「凝視した」とも言えます、これは自分の意思が介入していますね、「目が釘付けになった」場合、又は「凝視した」場合は「一点」を集中して見つめたといえる言い方だからです。
ただぼんやりと空やテレビを見ていても、必ず視線の中には「視点」があります、自分が意識していなくても同様です、何も映らない真っ黒なテレビ画面でも必ず「視点」はどこかにある。
これが、「テレビの中の人に眼球の動きを止められた」、「目の動きを中心に合わせられた感じ」であると言えるでしょうね。
無意識下においての目の「ピント調節」です、「一点」を見つめれば自然になる反応ですね。
言い方としては「一箇所に視点を合わせた、視点が合った」でしょうか。
助動詞における『~れる』などの言い方は、最初の貴方の質問内容とは無関係なので、今回私はあえて書きません。
その点は申し訳ありませんが、言い方に制限が付いた時点で「別の質問内容」になったので、私には回答する資格と意思がない事をここに示します、すいません。
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この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます。
もうこれ以上回答できないのですね。

>「眼球の動きを止められた」、「目が釘付けになった」を物理的な言い方で言い換えの表現をするのであれば、おそらく簡単に「目が動かなくなった」

その表現で合っています。

「テレビの中の人に眼球の動きを止められた」、「目の動きを中心に合わせられた感じ」というのが一箇所に視点を合わせた、視点が合ったという表現は合っています。

また『メンタルヘルス』『国語』カテゴリに新たに質問を立てて答えを求めるつもりです。

お礼日時:2012/10/17 18:31

NO3です、お礼コメントありがとうございます。


「“要するに目が釘付けになったということで、勝手に起こったということである”と表現してもいいと思うかどうかが知りたいです。」・・・
要するに、物理的におこった現象に対する言い方、この場合「統合失調症」という病気は関係ない言い方が知りたい訳でしょうか?原因は関係なく・・・
であるならば、ある意味皆さんの言い方全てが正解になりますよ。
貴方の場合、原因が特定できている訳ですが、それを無視するのであれば言い方は多岐に亘ります。
それこそ「神経が動かない」など「医学的」な言い方もある訳ですから、一つには絞れないという事ですね。
「視線をテレビからはなそうとしたりした(違う所を向こうとしたりした)のですが、視線をテレビからはなしたりする行為ができなくなった」という全体的な体の「停止状態」であれば、「金縛り状態」になったとも言えます。
ですが、なぜ「金縛り状態」になったかを説明するには、「統合失調症」という原因を説明しなければなりません、それを説明しないのであれば「心霊現象」としか言えませんから・・・
「統合失調症」という原因を言わないのであれば、「目が釘付けになったということで、勝手に起こったということである」という言い方も正解でしょうね。
そして、「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」も正解になると思いますよ。

この回答への補足

実は家族から今日(10月16日)聞いたのですが、
質問文の
>(1)テレビ番組の内容には興味を示してなかった。
(2)テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかった。
(3)要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった」
―――の(3)の言い方は間違っている(=おかしい)と家族から言われました。

それと1~2分《眼球の動きを止められた》感じがしたのではない場合、「目が釘付けになった」と言うのは大袈裟すぎると家族は言いました。
僕はたぶん「れる」「られる」の受身で言う《眼球の動きを止められた》感じがしたのは1~2分の場合があったかどうか分かりません。(たぶんなかったと思う)
勝手に起こったことは確かだと思うのです。

>「“要するに目が釘付けになったということで、勝手に起こったということである”と表現してもいいと思うかどうかが知りたいです。」・・・
要するに、物理的におこった現象に対する言い方、この場合「統合失調症」という病気は関係ない言い方が知りたい訳でしょうか?原因は関係なく・・・

ariakunさんがおっしゃるとおりで合ってます。

>貴方の場合、原因が特定できている訳ですが、それを無視するのであれば言い方は多岐に亘ります。

そうですか。

ここで質問です。
受身で言う、「眼球の動きを止められた」感じが1~2分ではなく、例えば3秒・5秒・10秒・30秒の場合「目が釘付けになった」と表現するのではなく、どういう表現(言い方)が正しいのかが知りたいです。

それと#6,7の補足でも書いたようなことなのですが、「テレビの中の人に眼球の動きを止められた」というのは、「目の動きを中心に合わせられた感じ」でもあると思うのです。
そこで質問なのですが、『眼球の動きを止められた』『目の動きを中心に合わせられた感じ』という表現を言い換えて欲しいのです。
条件は、
(1)テレビ番組の内容には興味を示してなかった。
(2)テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかった。
(3)要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった。
(4)意味は同一であること。
(5)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれた別表現を回答してほしいこと
(6)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれてない表現を回答してほしいこと
です。
(5)(6)に関しては表現は1つだけでなく、何個か書いて欲しいことです。

それと、『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』は受身・可能・自発・尊敬の助動詞のことです。

再度回答下さい。

補足日時:2012/10/16 08:04
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この回答へのお礼

再度(2回目の)ご回答ありがとうございます。

補足にて返答・質問を書くので、再度回答下さい。

お礼日時:2012/10/16 07:52

>意思で起こしたものか、意思に反して起きたものか、どうしても知りたい



 と言うからには、自分の意思ではないんじゃないのかな。自分ではそのつもりはなかったんでしょ。
 では「誰に」または「何に」そうされたのか、それを補足してください。そしたら言い換えできます。まあ「○○に眼球の動きを止められた」と答えるだけですが。
 それ以外のことは、私はもうスルーします。質問内容が理解できません。また補足でおっしゃることも不可能です。

この回答への補足

《眼球の動きを止められた》というのは#6の補足でも言ったように、受身です。
marisukaさんがおっしゃるように自分ではそのつもりはなかったです。
このことから「勝手に起こった」とは「自分の意に反して起こった」という解釈で合っているかどうか確認が知りたいです。

「誰に」「何に」眼球の動きを止められたかについてですが、僕は例えば家族がドラマをビデオにとったものを見ていたとします。
僕が家族が見ていたドラマに視線が行くと、ドラマ(ビデオ)の中にいた人物が「眼球の動きを止めていた」ということが起きていたと思うのです。
バラエティ番組だとバラエティ番組の中にいた人物(要するにテレビに出演している人物)が眼球の動きを止めていた感じだったと思うのです。
でも実際ドラマの中にいた人物およびバラエティ番組の中にいた人物(=テレビに出演している人物)は眼球の動きを止めてないですよね。

>それ以外のことは、私はもうスルーします。質問内容が理解できません。また補足でおっしゃることも不可能です。

#6で書いた『テレビの中の人に眼球の動きを止められた』『テレビの中の人に目の動きを中心に合わせられた感じ』という表現の言い換えが理解できないということで合っているかどうかが知りたいです。
どこがどのように理解できないのかが知りたいです。

『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』は受身・自発・可能・尊敬の意を表す助動詞ですよ。
受身・自発・可能・尊敬の意を表す助動詞がついた表現を何個か書いてほしいこと。
受身・自発・可能・尊敬の意を表す助動詞がついてない表現を何個か書いて欲しいこと。
同一表現であること。
これが条件だと言いました。

補足日時:2012/10/15 04:55
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この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます。

補足にて返信・質問を書いておきますので読んで再度回答下さい。

お礼日時:2012/10/15 04:45

リクエストにより再度回答します。



>「~られた」は受身の他、自発・可能・尊敬の意味でもある
 そのとおりです。ご質問文での使い方は「受身」です。文法的説明をしましょうか?

>テレビの中の人が「眼球の動きを止めてきた」とか「視線をそらす動きを止めてきた」ように感じていた
 ならば、「テレビの中の人に眼球の動きを止められた」でいいでしょう。
 もちろん、テレビの中から何かしてきたわけではないので、「心理的に」ではありますが。

他の方への補足に
>「勝手に起こった」ということが、自分の意思によるものか、自分の意思に反したものの、どちらかになるかが知りたいです。
 とありました。この場合の「勝手に」とは「ひとりでに・自然に」という意味です。
 それはご本人にしかわからないでしょう。表現の仕方がどうこうという問題ではありません。

結論として
 ご自分の意志によってじっと画面を見つめたのなら「止められた」は不適当。
 視線が止まってしまったのは他の何者かに強制されたのなら、その何者かを明示して
 から「止められた」でよい。強制してきた何者かを明示せずに「止められた」と言う
 から話がおかしくなるのです。

この回答への補足

>ご質問文での使い方は「受身」です。文法的説明をしましょうか?

「受身」とは、国語辞典には「(文法で)主体となるものが他から動作を受ける意を示す表し方。文語では、動詞に助動詞「る」「らる」などを、口語では「れる」「られる」をつけて表す」とあります。
よって、《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》は受身だということですよね。

>他の方への補足に
>「勝手に起こった」ということが、自分の意思によるものか、自分の意思に反したものの、どちらかになるかが知りたいです。
 とありました。この場合の「勝手に」とは「ひとりでに・自然に」という意味です。
 それはご本人にしかわからないでしょう。表現の仕方がどうこうという問題ではありません。

marisukaさんは《眼球の動きを止められた》などが「勝手に起こった」ということから、どう解釈するかどうかが知りたいです。
意思で起こしたものか、意思に反して起きたものか、どうしても知りたいですので、回答してくださると幸いです。

それと「テレビの中の人に眼球の動きを止められた」というのは、「目の動きを中心に合わせられた感じ」でもあると思うのです。
「目の動きを中心に合わせられた感じ」はテレビの中の人がそうしてきたと感じたので、「テレビの中の人に目の動きを中心に合わせられた感じ」と表現できると思うのです。
そこで質問なのですが、『テレビの中の人に眼球の動きを止められた』『テレビの中の人に目の動きを中心に合わせられた感じ』という表現を言い換えて欲しいのです。
条件は、
(1)テレビ番組の内容には興味を示してなかった。
(2)テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかった。
(3)要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった。
(4)意味は同一であること。
(5)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれた別表現を回答してほしいこと
(6)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれてない表現を回答してほしいこと
です。
(5)(6)に関しては表現は1つだけでなく、何個か書いて欲しいことです。

再度回答下さい。

補足日時:2012/10/14 21:18
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この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます。

補足にて返信・質問をしますので、再度回答下さると幸いです。

お礼日時:2012/10/14 21:04

テレビの内容に興味がなかった、ただ、何かを訴えようとしているものから、病的に目を離すことができなかった、ということなのですね。

あなた特有の症状なのですから、言い換えなどできるわけがありません。むしろ、どう言い換えても、「それはちょっと…」と言いたくなるんじゃ。
ま、止められたとしたら、テレビの内容に止められたのかと思うから、視線を動かすことができなかった、と素直に書くべきかな。続けて、これは抽象的な表現ではなく…と断りを入れるとよかろう。

この回答への補足

>テレビの内容に興味がなかった、ただ、何かを訴えようとしているものから、病的に目を離すことができなかった、ということなのですね。

そうだと思います。
“テレビから視線をはなすことができなくなった”などは心理療法家から某掲示板上で‘自分の意思で行ったのでないのであれば勝手に起こったという表現がよいのかと思います’という返信を得ました。
それに対して家族は同意です、と言いました。
でも「勝手」という言葉の意味を調べると、“自分に都合のよいように振る舞う・こと(さま)。わがまま。”とあり、「都合」という言葉の意味を調べると“何かをするときにほかの物事に影響を及ぼす事情。わけ。”と書かれていました。
このことから「勝手に起こった」ということが、自分の意思によるものか、自分の意思に反したものの、どちらかになるかが知りたいです。

そうだとするのなら、「眼球の動きを止められた」「視線をそらす動きを止められた」のは勝手に起きたという解釈で合ってます。

補足日時:2012/10/14 11:37
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

補足にて返答・質問を書きます。

お礼日時:2012/10/14 11:36

日本語の使い方から言えば「~られた」は受け身といって、「○○に」が必要です。


「誰それに~された」「何々に~された」と言うべきところです。
質問者様の文はいつもそれがありません。だから言い換えもできないのです。

誰に、または何によって「眼球の動きを止められた」のかを言えば、言い換えなど必要ではありません。誰に、または何によってかが不明であれば、どのように言い換えても正しくありません。その場合は、ご病気によるものであって、言い換えの問題ではありません。また、言い換えても問題は解決しません。

この回答への補足

>「~られた」は受け身といって、「○○に」が必要です。

marisukaさん以外の方から聞いた話のほうが妥当だとは思うのですが、
「~られた」は受身の他、自発・可能・尊敬の意味でもあると辞書に書いてあります。
実際の「させられる」は使役の助動詞「させる」と受動の助動詞「られる」が組み合わさった形で、受身とは言えないという話を聞きました。
「れる」「られる」には使役や指示・命令もあれば敬語としての表現もあるとのことでした。

>誰に、または何によってかが不明

症状を感じていたときは、テレビの中の人が「眼球の動きを止めてきた」とか「視線をそらす動きを止めてきた」ように感じていたと思います。

心理療法家さんから某掲示板上で‘自分の意思で行ったのでないのであれば勝手に起こったという表現がよいのかと思います’という返信を得ました。
それに対して家族は同意です、と言いました。
よって「眼球の動きを止められた」などは勝手に起こったと思うのです。
(自分の意思に反して起きたので)

「視線をそらす動きを止められた」を心理療法家さんが掲示板上で「視線が勝手にそれた」という表現に言い換えてくれたのです。
ただ「視線が勝手にそれた」という表現は「視線をそらす動きを止められた」からまったく反対の表現になると思うのです。

marisukaさん以外の方が
「眼球の動きを止められた」という表現を「目が釘付けになった」と言い換えてくれたことについて。
“要するに目が釘付けになったということで、勝手に起こったということである”と表現してもいいと思うかどうかが知りたいです。
marisukaさんはどう考えますか?
再度回答下さい。

補足日時:2012/10/14 11:51
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

補足にて返信・質問を書きます。

お礼日時:2012/10/14 11:39

あまり難しく考えすぎですね・・・


一番簡単な言い方は「統合失調症」という言葉を付けることですね。
「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」だけでは、確かに「自分の意思」の力が働いている様に思われます、興味などですね。
ですが、一言「統合失調症で」と付け加えればそれは「興味以外の原因がある」事になります、つまり「統合失調症でテレビから視線をはなすことができなくなった」と言った場合、「統合失調症」が原因であると説明している訳です、それ以外の原因ではない訳ですね。
どの様な言い方でも、「原因要素」を付け加えればそれは「断定」できる言い方です。
「怪我をした」だけでは結果だけを表現している、しかし「包丁で怪我をした」と言えば原因を特定して表現している、これと同じでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」だけでは、確かに「自分の意思」の力が働いている様に思われます、興味などですね。

実は心理療法家さんから某掲示板上で‘自分の意思で行ったのでないのであれば勝手に起こったという表現がよいのかと思います’という返信を得ました。
それに対して家族は同意です、と言いました。
僕の中では自分の意思に反した出来事が起きていたと思うのです。

ariakunさん以外の方が
「眼球の動きを止められた」という表現を「目が釘付けになった」と言い換えてくれたことについて。
“要するに目が釘付けになったということで、勝手に起こったということである”と表現してもいいと思うかどうかが知りたいです。
ariakunさんはどう考えますか?
再度回答下さい。

お礼日時:2012/10/14 11:55

言い換えの必要はありません。

慣用句で相当するものはありません。

(1)と(2)が同時に起こる場合は通常あまり発生しないと思います。
要するによほど興味がないと目を離せない状態にはなりません。
なので、釘付けになると表現したのは状況の予想としては妥当です。

この回答への補足

実は心理療法家さんから某掲示板上で‘自分の意思で行ったのでないのであれば勝手に起こったという表現がよいのかと思います’という返信を得ました。
それに対して家族は同意です、と言いました。
僕の中では自分の意思に反した出来事が起きていたと思うのです。

>釘付けになると表現したのは状況の予想としては妥当です。

そうですか。実はk_kotaさん以外の方が
「眼球の動きを止められた」という表現を「目が釘付けになった」と言い換えてくれたことについて。
“要するに目が釘付けになったということで、勝手に起こったということである”と表現してもいいと思うかどうかが知りたいです。
k_kotaさんはどう考えますか?
再度回答下さい。

補足日時:2012/10/14 11:57
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

補足にて返信と質問を書きます。

お礼日時:2012/10/14 11:56

統合失調症は、身体行動が失調しているのですから、


一般的な慣用はあてはまらないし、
一般的に存在しない現象に、適切な慣用句は用意されていません。

誰も見たことのない新種の花に、名前はないし、
自分で編み出した必殺技にも、他人がつけた名前はない。
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この回答へのお礼

dogdayさん、回答ありがとうございます。

そうですか、一般的な慣用は統合失調症の症状にないのですね。
実は自分の中で起きた「眼球の動きを止められた」などは勝手に起こったことだと思うのです。

お礼日時:2012/10/14 11:58

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