出産前後の痔にはご注意!

こんにちは。私の疑問を、皆さんはどう考えているのか、少しでも多くの方に教えていただきたいです。

最近、例えばタブレット端末だとか、ips細胞だとか、2,3年前までありえなかったようなものが、どんどん進出してきてますよね。確かに、タブレットは便利だし、ips細胞なんかは救えなかった命も救うことができます。一見メリットの多いようにも見える現代の科学技術ですが、そこに”いきすぎ”た感じがありような気がしています。
もし現代の技術が、このまま発達していけば、とんでもないことになるように思うんです。

医学の発達なんかを例にとると、ips細胞が見つかり、人間の寿命がのび、さらには不老不死なんかも実現するかもしれない。けど、それが本当に幸せなことなのでしょうか? 死ねなくなるなんて、ずっと生きていなければならなくなるなんて、ただの苦でしょう。
科学の発達なんかも、いろいろ研究しすぎて、宇宙人と出くわして戦争になってしまったり、人間の本質がわかって、マインドコントロールが可能になったり。これらの話を、確かに若干オーバーかもしれませんが、他人ごとだとは思ってほしくないです。40、50年くらい先の話だとしても、十分ありえると思います。

でも、かといって技術を発達させないわけにはいかない。
その理由には、人間の好奇心というものもあるだろうし、流れにさからえないようなところもあると思います。あと、欲望とか。

だから、これらの中間をとって、ほどほどに、まったり技術発達するのが理想な気もするんですが…
それも難しい、のでしょうか。

皆さんの意見を聴かせてくださいv

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A 回答 (11件中1~10件)

好奇心こそが人間の知的源ですからねぇ。


それを失ったら意味は無いでしょ。
むしろ原始生物に戻るなんて選択もあるでしょ。
多分発展や進歩を辞めれば人類は停滞してしまうと思います。
そんな期間が長く続けばやがては衰退するでしょうね。

死ななくなるって事は自分で死期を選べるってことでもあります。
死ねないのと死なないのは違います。
死ぬ事ができる自由ってのもあるのです。
乱暴な言い方ですが、生きたい人は生き、死にたい人は死ねば良い。
人が死から開放された世界と言うのはそういう物だと思います。
また、死と生の選択だけでなく、生きる事を中断させるという選択さえやがては有りうると思いますよ。
とりあえず人生を止めておこうかって選択肢です。

人が宇宙に出れば人の無力さを更に知ることになって、更なる発展が必要となります。
これは海洋生物があえて危険な地上に出たのと同じ事です。
彼らが命をかけて危険な地上に出たからこそ、我々人類も存在している訳ですから…
人間の末裔達がどのような生物になるかは知りませんが、彼らの可能性を奪う権利は我々には無いのです。
生ぬるい環境で生きる生物は淘汰されます。
人間は生物としては非常に弱い動物ですから、知的な技術を身に付けるしかないのです。
これは猿が木を降りた時から決められたことで人類の「さだめ」なのです。
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こんにちは。



何か、ゴチャゴチャになっていませんか?

 タブレット端末などは、IT技術。
 ips細胞は、医学?医術?

25年位前に、バイオテクノロジーと聞いて、動揺していた方々と同じ状態かと。

 或いは、機械化が進むと、労働者が居なくなる、とか。

  または、PCが出現すると、いずれ、人間はPCに支配される、とか。



 質問者様は、人間不信に陥っていまっているのでしょうか?
マスコミに、振り回されすぎでしょう。

 
 地球温暖化の原因すら分かっていない、どころか、原子力発電所の安全すら確保できない現実。

 非常に、遅れています・・・。(ハァー、溜め息
 
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科学はこの先、急速に発達して行きます。

1ヶ月前の新技術がもう古い、なんて言われることも当たり前になることでしょう。
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 どんな時代でも先を行く物は脅威でしかない。

しかし、その脅威を受けれるメリットも多い。
 犠牲もある。しかし、犠牲を減らすのもまた技術でもある。

 人間だけが出来る知識の探求ですからね。

 私は勧めていくべきだと。ただ、恐怖を感じることはある。それをどのように乗り越えるかは技術とは関係のない人の心の問題だから。 恐怖に打ち勝ってきたからこその、今の世の中だから。
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わたしは科学技術の発達が“いきすぎ”だと思ったことは一度もありません。



 電気は送電線が無くても送ることができる…、理論的にはかなり昔から分かっていました。でも、この現代でさえ、まだ高圧鉄塔や電柱が自然や街の景観を乱しています。そればかりか、送電線は保守に膨大な経費がかかる厄介な設備ですし、日本全土に貼り廻らせた電線に使われている純度の高い銅を他の工業に生かせば、どれだけ日本の経済に豊かさをもたらすことができるか考えたことがおありでしょうか。

 宿命の病ともいわれるガン、いろいろな発見医療や治療法が少しずつ開発されてきてはいますが、こんな現代ですら、ガンに冒されたら、まだまだ死を覚悟しなくてはならない、それが現実です。古くは肺結核も不治の病とされていましたし、狂犬病もしかり。しかし、やっと今日、これらはさほど危険な病ではなくなりました。いずれはガンも不治の病でなくなる日が来ることでしょう。ですが、そこにはまだまだ科学の進歩が欠かせないのです。

 スマートフォンやタブレット、最新のテクノロジーに驚嘆し、しかもそれをお手軽な対価で自分の手にできる時代、たしかに素晴らしいことです。ですが、ではどうしてユーザーは電池の寿命を気にするのでしょう。最近では電池とモーターとを装備した本格的な電気自動車が市販されています。しかし、こうした新しい動力も、まだまだ低い効率ながら大変重く、しかも高価すぎる電池しか得られない現段階の技術レベルでは、今以上に広い普及は望めないでしょう。

IPS細胞が作り出せたことは画期的な科学技術の成果です。ですが、この細胞を人体の部位に正しく適切に利用するには、まだまだ研究が必要だと言われています。IPS細胞を使った形成医学を用いて、全国どこの大手病院でも、健康保険の適用を受けながら治療を受けることができる、そうした日を迎えるには、まだまだ大変な技術の進歩が求められるはずです。

 このように科学技術の進歩は大切なことです。技術の進歩というものは、その多くがどこかで人の生活に役に立つものです。科学技術は自然環境を破壊するのでなく、これからは自然を取り戻すことにも役立つのです。しかもそれだけではありません、一国の技術の進歩はその国の経済と先行きにも大きく影響を与えます。持てる技術が乏しければ、他国の技術レベルに追いつけず、ひいては国力を損なうことにもつながりかねません。

 結論を急ぎましょう…。このように大切な科学技術、とは言うものの、ご質問者様が懸念されるような“行き過ぎ感”もたしかに存在することです。これは互いに背反する考え方です。ではどうすればよいのか…。

 わたしの考えから言わせていただきますと、大切なのは自制ということ。高い技術を得ながら、その一方で、そうした技術をコントロールしながら上手に社会に溶け込ませること、そうした調整の効く社会を作り出すことが大切だと思うのです。

 とかく日本人は新しいもの好きです、だからこそ科学も他国に先駆けて発達発展を遂げているのだと思います。ですが、新しいもの…がそのまま市場にあふれ、人の心を揺さぶる、それをまた商売として利用するものが現れる、派手な宣伝で人の心をさらに煽り立てる、そうして大きな利益を得る。そのために、さらに新しいものを研究開発しようとする…。

 これでは“行き過ぎ感”が生まれるのも無理はありません。たとえば北欧の諸国、いえヨーロッパ全域といってもいいかもしれません。こうした国の国民、彼らだってタブレットもファミコンやハイブリッドカーも知らないわけではありません。でも、彼らは、自分たちが今の生活になにがどれだけあればいいか…をしっかり考えています。彼らは一日テレビにかじりついているなんて生活は好みません。携帯メールを開いて見ていないと落ち着かないといった人も見かけませんし、ファミコンさえ持っていない子供も少なくありません。

 大切なのはここのところです。科学技術とは別のところで、日本人はもっと落ち着きを大切にしたいものです。誰かがタブレットを買った、わたしも買おう…と飛びつく、その前に、はしてそれが自分に必要な機器なのかを一旦よく考える、そうしたもっと足が地についた生活感覚を日本人はしっかり身につけるべきだと思うのです。そうした生活スタイルを国民みんなが抱くことができるような研究を進め実行する、それもまた大切な社会科学だと思います。
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貴殿の疑問は不思議でもおかしくも無いと思います。

そして、それと全く同様に科学の進化・発展を望んでいる人も居ます。両者とも普通で自然な考えだと思います。

例えば、走る事。
走るのが億劫な人も居れば、健康の為ジョギングをする人も居る。100mをどれだけ早く走れるかを極限まで極める人も居れば、42.195kmをどれだけ早く走れるか極める人も居る。
女性のトップアスリートだと、生理が止まってしまう人も居ます。それだけ過酷なトレーニングをしてでも記録を出したいと言う欲求も有れば、「そこまでしなくても自分のペースが一番」と、競技に真剣に取り組んでいるけど、日常とのバランスも考えるアスリートも居ます。

さて、進歩に関する医学と技術に関して。
医学は自分も同じ思いは有ります。でもそんなに不安では無いかな。世界で見ると、まだまだ白人優位社会。そして白人社会と言うのはキリスト教の影響がまだまだ有ります。キリスト教的倫理観と言うか、そういった生命の根幹に関わる様な医学に関しては、一定の制御が有るのではと思います。キリスト教嫌いだけど(笑)。
怖いのは、倫理観が国民に深く浸透しないまま急成長・急発展を遂げている中国の様な国ですね。最先端医療のトップが中国になると非常に怖い(倫理面で)。

科学に関しては、進化する事は良い事だと思います。科学の進化によって効率化が生まれればより自然エネルギーとか再生可能エネルギーにシフト出来たりしますから。
タブレットなんかは、正直そんなに大した発展でも無ければ技術でも無い。貴方の言う「まったりとした発展」のレベルだと思います。

但し、これはあくまでも「一生懸命開発した結果、まったりとした発展」なのであって、最初から「まったりとした発展」にしている訳では無い(携帯電話本体のソフト開発者に直接聞いた話し)。
「2位じゃ駄目なんですか?」の発言と一緒で、一生懸命頑張った結果の2位と最初から「まったり」を狙っているのでは、結果とその後が違う。
例えて言うなら、今の技術進化を100として、貴方の言う「まったり」を50としたら、残りの50は非常に無駄なモノ(資源、時間、能力など)を生み出す。出来るのにそれを調整しなければならない訳ですから。そして100を目指さなければならないのに50を目指すような事をしていたら開発能力が弱まり、いずれ50さえ達成出来なくなります。
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技術が進むのはお金に結びついた時だけです。

IT関係は一般消費者が求めてサポートしたことで次への資金を作り出しています。

戦時中は化学兵器や拷問の技術までが開発されました。お金がそちらに流れるからです。

地球温暖化を提唱してノーベル平和賞まで取れば、一斉に環境に着目して二酸化炭素を減らす研究と新製品を打ち出します。

医学は以前より常に資金繰りに苦労しており、国家のみが支える事は出来ず、研究者は製薬会社などのスポンサーをつけ研究費を捻出します。スポーツ選手がスポンサーをつけるのに似ています。

製薬会社は利益追求が目的ですから、新薬や治療法は利益を生む方向に持って行きます。

例えばがんや肥満。生活を見直して、食品と環境と運動とストレス単位のバランスを取れば自己治癒に導けるとしても、そのような研究は中止されます。病気認定して高額治療、持病認定して一生涯投薬すると利益が見込めます。

貧困対策は、宇宙に進出は、出産率はと言った分野が利益を生み出さない限り進歩は望めません。すでに進んでいる分野は国民と世界が求めた結果です。安く買いたいと思った世界の人の思いがグローバル化を進めました。

上記の買い手のつかない分野は、自分には関係ないから、が主な理由でしょう。災害が起これば災害の被害を防ぐ対策費が計上されますが、地震のない国には対策費そのものもありません。訓練もありません。

技術の進歩は人の心がお金を動かして実現するのです。行きすぎることはありません。その前に無駄だと思った時点でお金(研究費)の行き先が変更されますから。経済は生き物です
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科学技術の進化と共に心の進化も必要ですね。


そういった分野も目に見えにくいだけで
ちゃんと進化しているので大丈夫だと思いますというか
今生きているあなた自身も含めた私達や後世の人達が安全な未来を作って行くのです。
決して他人事だと思わずに皆で安心できる社会を作っていきましょう。
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この回答へのお礼

そうですね、他人ごとにしないのが大切だと思います^^
ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/30 22:14

うーん・・・


難しいねぇ


ある種の技術についてはもっと早く進んで欲しいと思うものもある
例えば原子力に変わる発電技術ですね
宇宙技術関係も早いほうがいい
地球外知的生命との遭遇=宇宙戦争は短絡でしょう、友好が築けるかもしれません
もっとも出会える確率は相当低い
マインドコントロールだって、悪い面ばかりじゃありませんよ
ストレスや劣等感に苛まされている人、虐待癖・自傷衝動などに悩まされる人には救いになる技術です

逆に、インターネットとかパソコン関連の技術については、先行しすぎているようにも感じる
社会的な認知や法律・制度的な整備が追いつけない現状は問題があるように思う
また、いまだにブラウン管テレビを使っている身としては、デジタル化はハイペースすぎたようにも感じます
せめて稼働中のブラウン管テレビの法定耐用年数満了まで待てなかったのか?
まあ、ケーブルテレビがデジアナ変換してくれてるからイイけれど

しかし、中途半端な進展速度ってのが問題になる事もあるんだよなぁ
60年~70年代の「公害問題」
有害物質を吐き散らしながら技術発展してきたものの、それが「有害」であるという事が認識できなかった
または「有害」といっても、「どのような害」が「どの程度」あるのかという検証が出来なかった
これは技術発展がアンバランスであったが故だと思う
フロンなんかの問題はまさに、そういう点にあったわけだし
(当初、フロンは非常に安定で科学的な反応はしないと認識されていて、オゾンを分解する触媒としてオゾン層にダメージを与えるなんて誰も想定してなかった)


確かに、社会とすりあわせながら上手い事進歩してくのがいいのかもしれませんが、ある種の技術は社会環境を激変させる
それが「プラス」に働いた場合の恩恵は計り知れない


科学技術を含めた社会のありようと、人間のありよう
どのようにあるべきか?
どのように進歩してゆくべきか?

それを考え世に問うという事が必要なのだろうと思います
かつては「哲学」ってヤツがその役目を持っていたんですが、いまや「社会的には役に立たない学問」としてしかみなされていなっからなぁ・・・
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この回答へのお礼

マインドコントロールって言うと、マイナスイメージしか持っていませんでした^^;
何事も+-がありますね。
中途半端な進展も難しいんですね…考えがいがありそうです^^;
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/10/30 22:13

戦争も難病もなくなってないし、コスモクリーナーどころかプリウスも、まだまだ空を飛びそうにありません。



今くらいが『ほどほどに、まったり技術発達』と言えるのではないですか?

一説によると洗脳の技術は現代よりも過去の方が進んでいたとか・・・。
(あくまで『一説』ですが。)
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この回答へのお礼

今ですか、それは言えてますね。
一説の方は、私的には火星人あたりの仕業な気がします…まあ、一説が本当だとしたら。
ご回答ありがとうございますv

お礼日時:2012/10/30 22:09

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2、また、パソコンの開発により、人間は大量の仕事を 効率よく短時間で処理する事が可能になった。本来な らば、その余った時間は自分の時間を得られるはずな のに、逆に仕事量が増え、トータルで考えれば、以前 より仕事量は変わらないか、以前より増えたのではな いか?

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Aベストアンサー

 こんにちは。

 人間の幸せは科学技術の発展とイコールではないのではないか、ということですが、もちろんつながりません。正確には、第1に、物質的豊かさは満たされることは、精神的豊かさを満たすことにはならないということです。
 第2に、科学技術の進歩には、たえずマイナスの要素がつきまといます。具体的側面でも、思想的側面でもそうです。こういうのを専門的には、「逆機能」と呼びます(社会学)。

1、例えば、自動車を開発して人間はA地点からB地点 まで早く移動する事が可能になったはずですが、排気 ガス、交通事故、車社会のために子供たちが外でのび のびと遊ぶ自由を奪ってしまったなど考えられないで しょうか。

 自動車の開発によって、移動が効率的にできるだけでなく、ヒトとモノの輸送がスムーズにおこなえるようになった結果、経済的発展だけでなく、人々の可能性が拡大されている。これは順機能です(つまりメリット)。
 しかし、みなが便利さを追求した結果、車は大衆化し、大量の排気ガスをはき出しました。結果はご存じのように、環境破壊・交通事故など人災を創造するなど、逆機能(デメリット)をもたらしています。


2、また、パソコンの開発により、人間は大量の仕事を 効率よく短時間で処理する事が可能になった。本来な らば、その余った時間は自分の時間を得られるはずな のに、逆に仕事量が増え、トータルで考えれば、以前 より仕事量は変わらないか、以前より増えたのではな いか?

 このことは情報社会化と名付けられた現象です。順機能はあなたのおっしゃる通り。結果的には、経済・政治・文化的領域において、さまざまなメリットがもたらされています。インターネットのネットワークの力は、国家や企業などが有力な情報を独占していた事態から救っただけでなく、さまざまな世界市民が結びつき大きな勢力となっているというのは事実としてあります。
 逆機能については、説明はいらないでしょう。いろいろ思いつくはずですから。


3、イネの品種改良で、害虫や寒さに強いイネを作り出 して、以前より人間の飢えなくなったことは多分幸せ な事だと思いますが、その結果、人口爆発によって地 球上の人類全員分の食糧を供給できないのでは?

 これは農業の産業化と関わっています。品種改良という市場は、いまや大企業のものです。
 農業系企業は、品種改良しては地元の農家へと売り込み、必死に営業しています。基本的には、ファッションのブランド戦略と何ら変わりないと思います(笑)
 品種改良の重点は、たしかに育てやすさ(害虫などに
強い)という点もありますが、もう1つは「おいしさ」にあります。企業では、トマトであれば、トマトの甘さを数倍にすることで、おいしいトマトを作り上げてしまいます。正直なところ、人間の舌の感覚でおいしいものに作り上げているので、普通のトマトはこれにかないません。ですから、歯止めはききません。
 ただ食糧供給危機は、すでに発生しているといえるでしょう。とりわけアフリカではそうです。品種改良の問題は、遺伝子組み換え大豆がそうであったように、元々自然であったものを改変するわけですから、健康上の害を及ぼすような逆機能は生じるでしょう。
 とはいえ、この場合は明らかにわれわれの感覚では、順機能が大きいですね。


4、僕はイヌ、ネコの方が人間より幸せそうに見えるの ですが、だとしたら人間が作り出した科学技術や哲学 や文明は何の為だったのでしょうか。

 極端な動物学者たちは、イヌ・ネコをはじめ、動物園という存在を忌み嫌っています。それは、本来動物たちには動物たちが生きるべき空間の広さというのが、あるはずだからです。大草原をかけめぐるべきトラは、檻のなかに閉じこめられ、彼らの身体に影響を及ぼしていないはずがない…と。
 実は、人間もこれと似たような状況です。人間自身もおのおのが生きるべき空間や時間というものがあったはずです。しかし、人間をはじめ動物には、高い適応能力があります。少々の環境の変化には動じないというものです。
 科学技術の発展は、人間の社会的環境をめまぐるしく変化させました。かつての哲学者・科学者は、進歩という「大きな物語meta-narrtive」に大きな夢を抱き、その可能性を信じていました。しかし、そうしたhumanism(人間中心主義)は、たとえば「環境」という視点に欠如していました。結果はご存じのとおり。
 こういうことを、かのカール・マルクス(社会主義思想の根本的提唱者)は「疎外」と呼びました。疎外とはいくつか意味がありますが、その1つは、「人間自身は、自らの生み出したものに対して対立する」ということです。
 たとえば、核爆弾です。これは、人類と科学技術が生み出した最強の兵器です。いまや人類を崩壊させかねないものを、人間自身が生み出してしまったのです。核に関しては、ご存じのとおり日本においては悲しい歴史があります。人間が人間自身が生み出したものによって、自滅する。なんともバカらしい話です。
 

→ 科学技術の進歩で幸せになるのならば、21世紀より20世紀の人間の方が不幸であり、20世紀より19世紀の人間の方が不幸だったのですか?そんな事は無いと思います。

 こうした観点は、さまざまな呼び名がありますが、一般的にはダーウィン思想を起点として「進歩史観」といいます。つまり、「野蛮から文明」へ、「宗教から科学」へ、などなど、世界が悪いものから、より良き方向へと移っていくという考え方です。
 今では、これはほぼ否定されていますが、ほんの少し前まで、過去においてはこれはきわめて有力な発想でした。マルクスは封建制→資本主義→社会主義という時代のパラダイム転換があると本気で考えていました。しかし、マルクスは産業化がもつ多大な影響力を十分に分かっていなかったのです。つまり、科学技術の進歩。
 それは無理もなく、20世紀以降の急激な科学技術の進展など誰も予想していなかったといういうべきでしょう。
 また日本においても、福沢諭吉は日本は野蛮から脱して、西欧の文明化へと早急に到らなければならないと述べています。これは植民地化されることへの懸念でもありました。
 ある意味で、科学技術の世界的進歩は、自衛の強制でもあったかもしれませんね。
 こうした進歩史観は、今ではほぼまったく否定されるか、改変されています。


 時代は、「科学技術の進歩」という大きな夢を抱くときから、「いかに科学技術をもちいるか」という再考のときへと移っています。
 世界は、近代への反省を求められ、修正せざるをえなくなっています。功罪はありますが、だからといって基本的に科学技術を捨てることはできないのが現状です。
 
 ある論者は、科学の進歩は、人間の進歩を意味するのではなく、退化であるとしています。というのは、かつての全生活を担っていた人間のほうが、肉体的にも精神的にも高い能力をもっていたからです。今われわれが用いている科学技術のなかで、どこか人間は進化したように見えるのですが、実際はより高度な人工物が溢れているだけです。

 科学技術を捨てることができないのは、われわれが退化したがゆえであるともいえます。社会は、いまや巨大な科学技術とそれに基づいた市場なくして、生きられないのです。都市が突然機能停止するなら、人間は暴走し収奪しあうでしょう。彼らには、作物を育てる技術も、木の実をとる技術も、火をおこす技術もありません。

 とすれば、やはり科学技術の放棄ではなく、科学技術の利用について、より正しい方向性を考え、導いていくほかないといえます。

 こんにちは。

 人間の幸せは科学技術の発展とイコールではないのではないか、ということですが、もちろんつながりません。正確には、第1に、物質的豊かさは満たされることは、精神的豊かさを満たすことにはならないということです。
 第2に、科学技術の進歩には、たえずマイナスの要素がつきまといます。具体的側面でも、思想的側面でもそうです。こういうのを専門的には、「逆機能」と呼びます(社会学)。

1、例えば、自動車を開発して人間はA地点からB地点 まで早く移動する事が可能になった...続きを読む

Q科学技術の進歩の利点と弊害について

書かれた本を探しています。

具体的には、科学技術(テクノロジー)が進歩して、人間は幸福になってきたと言えるかどうか、をポイントに知りたいです。

本だけではなく参考になりそうなHPなどありましたらそちらでも構いませんので、教えていただければ助かります。

Aベストアンサー

科学技術はとは端的に言えば物と同じです。価値はそれを使用した結果によって生じます。
例えば包丁を考えて下さい。料理を作る手助けとなればプラスの価値はあるが、それで殺人
など犯罪に使用したら、大きなマイナスの価値となります。物自体には価値はありません。
無価値というと必要ないと考えるでしょうが、そうではなく中立だということです。
プラスでもマイナスでもなく零なのです。書籍を探さなくても、少し考えれば分かると
思いますよ。

幸福かどうかを判断するのは価値に基づくので、価値を考える哲学関連を探してみるのも
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喜一郎、善の研究の著書である西田幾多郎、創価学会の初代会長でもあり価値論を書いた
牧口常三郎、人生論ノートの著書でもある三木清など、検索するだけでこれだけ該当する
ものがありました。それぞれ、独特な価値判断の座標軸を持っています。


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