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次郎長一家の森の石松について
実在したかどうか疑いがあるようですが、石松を殺したことになってる
都田の吉兵衛は実在したのでしょうか?ネットで調べると東海道に
都田の吉兵衛の供養塔があるようです
供養塔があるってことは実在した
証拠になりますか?供養塔なんてものは役所や行政が管理してるものですよね?実在してない人物の供養塔が
あるなんてことありますか?

ということは森の石松は実在の人物か
どうか疑わしいが都田の吉兵衛は
実在していて次郎長一家に殺された
という解釈iでいいんですかね?
またこういう疑問を自分で調べるには
静岡の地元の図書館とかいけば
調べられますか?

A 回答 (5件)

追記です。


Wikipediaに

>なお、現在語り継がれている石松は、清水次郎長の養子になった天田五郎の聞き書きによって出版された『東海遊侠伝』に因るところが大きく、そこに書かれて有名になった隻眼のイメージは、同じく清水一家の子分で隻眼の豚松と混同していた、または豚松のことを石松だと思って書かれたとも言われており

とありますが、これは嘘です。『東海遊侠伝』の石松に、片眼という属性はありません。後世の脚色です。おそらく、これを書いた人間は原典を読んでいないのでしょう。
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 虚実紛々 ~ 清水一家の二十八人衆 ~
 
 1.すべて嘘である。2.ほとんど嘘である。3.虚実相半ばである。
 4.一部に嘘が混じっているがほぼ正しい。5.すべて正しい。
 つぎの人物は、各々「2」「3.5」「5」に該当するとみられます。
 
 森の石松   侠客 183,‥‥ 遠州 18600718 2, /斬殺(万延 1.0601)福田屋旅館の倅?
 都田の吉兵衛 侠客 182,‥‥ 駿河 18610224 3, /仇討(文久 1.0115)都鳥一家(石松を斬殺)
 清水 次郎長  侠客 18200214 静岡 18930612 73 /出生(文政 3.0101)籍=山本 長五郎
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/18600718
 石松の憤死 ~ 致命傷なき惨殺 ~
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg …
 
 わたしは、約14万人の生没年月日データベースを編んでいます。
 図書館は、原則として確認された事実だけをレファレンスします。
 信頼できる調査・発見は、数十年に一度あるかなきかの僥倖です。
 
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次郎長の伝記として、養子の天田五郎が書いた『東海遊侠伝』には、金比羅代参の途中で殺された石松という子分がいたこと、その仇を次郎長がとったことが書かれています。


架空というか、疑わしいのは、石松が遠州森出身だということ(森の石松という名前では出てきません)。馬鹿でどもりで片眼であったこと(これらは、後の浪曲や小説の脚色で生まれたものです)。
漫画家の黒鉄ヒロシが『清水次郎長』を描いていますが、その中で『東海遊侠伝』以外に資料とした『安東文吉伝』にも、石松は出てきます。ここでは金比羅代参で殺された話が、別の話になっています。

ですので、石松という子分がいたのは、ほぼ確か。それが片眼で馬鹿でドモリというのは、ほぼ確実にフィクション、遠州森の出身というのはなんともいえない。殺されたのが金比羅代参の途中であったかどうかは、資料により違っている、というところではないでしょうか。
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知識がないため、質問に直接答えることはできませんが、静岡県立図書館などにレファレンスしてみてはいかがでしょうか?


都田の吉兵衛の供養塔について書かれている本はないか、あるいは、森の石松について書かれた本はないか、と。

なお、供養塔は役所や行政が管理しているものとは限りません。
また、供養塔は建立した人が実在だと信じていれば、実在が疑われる人物に対しても建立されます。
都田の吉兵衛に関しては、幕末の人物であるとはいえ、後世の創作の影響が強い人物でしょうから、供養塔が作られた時期のよっては、実在したとされる都田の吉兵衛に対するものではないかもしれません(供養塔建立者の都田の吉兵衛のイメージが創作されたものの可能性があるということ)。
いずれにせよ、確かな書籍・史料にあたるのがよいでしょう。
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実在しましたけどね

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この回答へのお礼

ここはツイッターじゃないので
何か根拠なりソースなり示して頂きたい

お礼日時:2012/11/07 22:06

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