マーティン・ルーサーキングjrの名言で「人は死んでも、その人の影響は死ぬことはない。」という言葉がありますが、直訳でなく実際の英文が知りたいのですが、ご存知の方いっらっしゃったら教えてください。

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A 回答 (2件)

>“The day we see the truth and cease to speak is the day we begin to die.”



・・・ちょっと、違うでしょうね。


「朝に知れば、夕べに死すとも可なり」
これも、違うでしょうね。


「このただしさが(言論によって?)認められないうちには、死んでも死にきれない」
これくらいでしょうか
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この回答へのお礼

ご回答くださり、ありがとうございます。なるほど難しい翻訳ですね。とても参考にありました。

お礼日時:2012/11/15 00:24

“The day we see the truth and cease to speak is the day we begin

to die.”

この回答への補足

早速、ご回答くださり、ありがとうございます。
ご連絡いただいた英文ですが、直訳すると「私たちが真実を知り、そして沈黙する日は、死ぬ時だ。」になると思うのですが、正しいのでしょうか?ちょっとニュアンスが違うような気がするのですが。

補足日時:2012/11/13 01:48
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Qなぜ人は死ぬのに頑張るのですか? 最近死についてずっと考え辛くなり。 何とか耐えてさぁ頑張ろうとなる

なぜ人は死ぬのに頑張るのですか?
最近死についてずっと考え辛くなり。
何とか耐えてさぁ頑張ろうとなると次はなぜ死ぬのに頑張るの?とブレーキがかかってしまいます。
どうせ最終的には努力してきた人もしてこなかった人も何も考えられなくなるのに頑張るのかと言う質問です。
これは思春期の悩みによくある事なのか、
教えてください。

Aベストアンサー

初めまして

死んだら、すべてが無になるのに、なぜ頑張るのか?・・・という事でしょうか?

だとしたら、それは、死んでもなにも無しには、ならないからだと思います

人は、近代において、科学を発達させ、科学の発達において、何も根拠のない、非科学的な事を排除してきました

しかし、ある意味で、その結果ともいえる現代の状況は、その科学的な見解が、人類に幸せをもたらしたといえるのでしょうか?

ただ言えることは、物理的な環境は、確かにめざましく発達しましたが、精神的なものは、不安だらけで、希望的な未来さえ、夢見る事も出来ないのが、現状ではないでしょうか・・・

だとしたら、その原因は、死んだら、すべて無になる・・・という考え方にあると思います

人類は、死んだらすべて無になる・・・という考えをもとに、利己的な、今さえ良ければいいというような発想で、地球の資源を消費してきました・・・その結果、人間の物理的環境は、めざましく発達しましたが、自然環境は、破壊され尽くし、深刻な自然災害の原因となっています

今の世界環境を、素晴らしい・・・と思える方は、そのままの破壊を続ければいいのですが・・・もし、危機感を感じるのでしたら、まず、死ねばすべて無になる・・・という考え方から、改める必要があると思います

すべて無になる・・・という考え方から、今さえ良ければいいという考えが生まれます・・・死んでも終わりではないと考えれば、これから先の事も、心配しなければなりません・・・そこに、未来を危惧する考え方が出てくると思います

死ねばすべて無になる・・・という考え方は、今までの過程を見直し、そろそろ決別すべき考え方ではないかと思います

初めまして

死んだら、すべてが無になるのに、なぜ頑張るのか?・・・という事でしょうか?

だとしたら、それは、死んでもなにも無しには、ならないからだと思います

人は、近代において、科学を発達させ、科学の発達において、何も根拠のない、非科学的な事を排除してきました

しかし、ある意味で、その結果ともいえる現代の状況は、その科学的な見解が、人類に幸せをもたらしたといえるのでしょうか?

ただ言えることは、物理的な環境は、確かにめざましく発達しましたが、精神的なものは、不安だらけで、...続きを読む

Q【名言】この名言の意味

イノセンスというアニメに このようなセリフがあります。


「人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。
肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。」


アニメオリジナルの名言ではなく何かの引用らしいです。
意味としてはそのまんまだと思うんですけど

では、何故、人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもないのか。
何故、肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きてはいけないのか。
その2点がぼんやりしています。

何故だと思いますでしょうか。

Aベストアンサー

「では、何故、人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもないのか。」
  ↑
敵を知り己を知れば百戦・・と言います。
敵を知ることはそれほど難しくないと思います。
己を知ることの方が難しいでしょう。

鏡で見る自分よりも、写真で撮った自分の方が醜いのは
観察の負荷性があるからだと思います。
自分のことを客観的に判定することは、かなり
難しい。
これがキチンとやれるのはゴルゴ13ぐらいでないですか。


「何故、肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きてはいけないのか」
  ↑
豊かな社会ではアノミーが最も問題になるからでは
ないですか。
喰うや喰わずの社会ではそんな悠長なことなんか
言っていられませんよ。
豊かだからこその贅沢な悩みです。

Q死ぬ前に

死ぬ前にいつもはしないことを突然するなど違う行動をするじゃないですか?どうしてなんでしょう。
死ぬ時に自分がもうすぐ死ぬとかわかるんでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

こんにちは、自信なしのアドバイスです。

>突然するなど違う行動をするじゃないですか?
>どうしてなんでしょう。
これは、死を目の前にして、今生のやりのこし、悔いを残さないための行動と思われます。
例えば、息子、娘、両親への愛着の強い場合は、死の直前まで、愛着する対象にたいしての奉仕を行うように。
ただし、この場合、死にいくもの自己満足といわれれば・・それまでですけどね(__)

>自分がもうすぐ死ぬとかわかるんでしょうか?
これは例えば、病気で療養中で重症のひとは直感でわかるかもしれません(__)・・でもそれはわからないのが、あたりまえ。
・・そのために『来世はあるよ』、『死の準備を??』と宗教の宣伝でいわれているのです。
私の場合、もし可能なら、死を直感し、また医師から『余命○ヶ月』と診断されたら・・逆の行動を取ります。
可能な範囲で、自分の意識を上昇させるためにポアの瞑想、修行に入ります。そして可能な限り自分の持っている"愛着"の対処を切り、来世に備えます。
そして、可能なら死の直前はひとりで過ごします。
・・これは仏教??の影響かもしれません。
ある仏教の本に書いてありました。
『修行者、死後の心配をしないものにとって、人間として死は喜びである』・・と
なぜなら゜、高い世界、喜びの多き世界への転生が、やくそくされたものにとって、人間としての死は喜びであると・・(__)
以上

こんにちは、自信なしのアドバイスです。

>突然するなど違う行動をするじゃないですか?
>どうしてなんでしょう。
これは、死を目の前にして、今生のやりのこし、悔いを残さないための行動と思われます。
例えば、息子、娘、両親への愛着の強い場合は、死の直前まで、愛着する対象にたいしての奉仕を行うように。
ただし、この場合、死にいくもの自己満足といわれれば・・それまでですけどね(__)

>自分がもうすぐ死ぬとかわかるんでしょうか?
これは例えば、病気で療養中で重症のひとは直感でわかるか...続きを読む

Q死ぬ自由

生きたいと思っている人を殺したら法律的にも倫理的にも許されないのは解ります。でもなぜ、生きるのが辛くて死ぬことを選択した人(死にたい人)を、死なせない事は許されるんですか?

法律は人口減少による税額減少など国の都合も反映していると思うので問いません。現憲法では生きる権利は保障されているのに、死ぬ権利が保障されていないことも知っています。また宗教的な説明も必要ありません。日本には宗教選択の自由がありますし、各宗教の教理に興味はありません。
倫理哲学的に納得したいので、誰か教えてください。ちなみに自殺願望などありません。

Aベストアンサー

倫理的に見るか、哲学的に見るか、教育学的に見るか、宗教的に見るか。いろんな見方によって、結論や表現が変わってくるだろう。
しかし、質問者様は、今さら言わなくても、それぞれの結論は理解してらっしゃるように見える。
だから、あえて感情論を言う。

ちょっと話しづらいので、あくまで仮の話と思って聞いてもらいたい。
数年前、恋人が交通事故で体の自由がなくなりました。
脳に障害が出たため、意思を伝達することもできない。
でも、生きている。
医者は脳がまったく働いてないというけれども、楽しい話をすれば笑うような表情をするし、悔しい話をすれば涙も流す。
意思を伝えられないだけで、どこか分かってるとしか見えなかった。
まあ、身内だからそう見えるといわれてしまえば何もいえない。
医者は臓器移植の話ばかりするし。(こういう状態の人間をどうこうするよりもその臓器を誰かに入れた方が名前が売れるし、医者としての醍醐味にもなるんだと他の医者から聞いた。)
それでも家族と自分は絶対に臓器移植なんかさせないと頑張った。
もちろん、もしかすれば本人は死を望んでるんじゃないかと毎日考えた。
━━頑張らせるのはむごいことじゃないか?
院内感染でなくなるまでの長い月日、毎日考えた。
━━生きていてほしいと思うのがエゴなのか?
━━でも、あの時、一度は完全に止まっていた心臓を動かして生き返ったんだ。どうしてだ?本人が生きたかったからじゃないのか?
━━一瞬の判断だっただろうけれど、死ぬだろうギリギリの場面で生きることを選択したんじゃないのか?
━━だから、頑張ろう、生きよう。
━━でも、もう疲れたろう…長すぎるもんな。
━━でも、治る人もいるんだ。治るんだよ。頑張ろう…
毎日毎日葛藤。
でもね、
意識がないって言われても実際笑うんだ。楽しい時もあるんだ。
だから、最後まで、治ると信じてみんなで頑張ったんだ。

感情論にしかならないけど、
人間は、生きようとする生き物だと信じてる。
何か、身体的環境的に死にたくなるとしてもそれは思考をはさんでの話。
本能は生きる方向にしか向いてない。
死なせないことを許す許さないではなく、
生きるということがもう前提として人間の細胞の中に入ってる。
生死の境にいる人が家族なら救おうと思うだろう。
恋人なら、やはり救いたい。
赤の他人、病院だからまったく知らない赤の他人の、同じような症状の人もみるが、どうしたって救われてほしかった。
多分、病気でもなんでもない人が死のうとしていても。
根っこは同じ。
たとえば死にたい原因が解決できたら?
例えば、借金で死のうとする人にいきなり宝くじが当たったら?
例えば、尊厳死を選ぼうとする人に、ある日治療法が見つかったら?一発で治る薬が発明されたら?苦しみも死の恐怖もなくなると保障されたら?
例えば、いじめにあって死にたい子供が何かのきっかけでクラスの英雄になったら?転校でいいやつばかりの環境があると知ったら?
そんなふうに死にたい原因を解消する方法さえあれば、やはりいきたいと思うだろう?
死以外で救われるなら救われたいんだ。
死に向かおうとする人に関わった人は、たとえ救う方法を持っていなくてもなんとか一緒にその方法を探したいって思うだけなんだよ。
それが他人であっても身内であっても同じだ。
それの善悪は分からない。
世の中には確かに死よりも悪いことがあるから。
でも、やり直してうまくいくこともある。(死んだらあとはもうやり直しはないからね。)
それだけでも、生きてみる価値がある場合もある。

権利なんて言われたら、もしかしたら自分もあの時本人の権利を奪ったのかもしれない。
でも、死が本当に望みだったのか、分からない。
言葉を発することができない状態だったからということじゃない。
今まさに自殺しようとしている人でさえ、本当に死が望みかは本人にだって分からないときがあるんじゃないか?

死ぬ権利は生きる権利とはまるで次元が違う。対ではない。
人の考えはいつまでも同じじゃないからだ。
昔はそう考えていたが、今は違うことってたくさんある。
死だってそうだ。
死にたい時があったとしても、それがいつか変わるかもしれない。
時間ってものは環境も変え、人間そのものをも少しずつ変えていく。
死の権利を認めるのはいい。
けれども、それによって、変わったかもしれない未来の自分の考え、体、行動、全部奪うのと同義にならないか?

質問とずれてるように見えると思うけれども、行間を読んでもらえれば質問者様には伝わると思います。

倫理的に見るか、哲学的に見るか、教育学的に見るか、宗教的に見るか。いろんな見方によって、結論や表現が変わってくるだろう。
しかし、質問者様は、今さら言わなくても、それぞれの結論は理解してらっしゃるように見える。
だから、あえて感情論を言う。

ちょっと話しづらいので、あくまで仮の話と思って聞いてもらいたい。
数年前、恋人が交通事故で体の自由がなくなりました。
脳に障害が出たため、意思を伝達することもできない。
でも、生きている。
医者は脳がまったく働いてないというけれども...続きを読む

Qもうすぐ死ぬ

もうすぐ54歳になる男性です。
父は56で亡くなりました。
私は今のところ、健康ですが
「私も56で死ぬのかな」
と考えることが多くなりました。

他のかたより何倍も紆余曲折の
人生でした。振り返ると
よかった年が28年、ひどかった年が
26年でした。結局、神様は
死ぬときには、人生をチャラにくれるの
でしょうか。

50歳までは、死ぬのは怖かったです。
当たり前ですが。
しかし父の死んだ歳に近づくにつれて
何となく覚悟ができてきました。

私には子供がいないのも、大きな
理由かもしれません。

50オーバーの方、死を意識し始めてますか。

Aベストアンサー

「臨終」とは命終わりの時に臨むことで、生命の終わるときをいいます。
「正念」とは正法を心に思うことです。念とは、常に心にとどめて忘れないことをいいます。
 
すなわち、「臨終正念」とは、命終わるときに臨んで、迷いの心を捨てて、安らかな心を得ることをいいます。
 
仏法では、すべての事象は「生死の二法」または「生滅の二法」に括られると説きます。すなわち、この世に表れたあらゆる事象は、永遠にその事象が存在していくのではなく、常に変化し消滅の方向へ向かっているのです。
また、消滅した事象は時間の経過を経てまた世に表れてくるのです。
簡単にいえば、生まれたら死に、死んだら生まれるということです。
 
このように「生死の二法」は普遍の法則です。ゆえに、私たちも生まれた以上死ななければなりません。それを、自分だけは永遠に生きることができるのではないかと錯覚して、生きることばかりを考えて行動をするから、貴重な人生を誤ったり、また、死のなんであるかを知らないために、死の苦しみを味わなければならないのです。
もちろん、今生の人生は一度しかありません。しかし、「生死の二法」から見てみますと、死は次に生まれてくる生のはじまりです。ゆえに、今生の生しか考えないのは誤りです。
 
このような意味から、臨終は人生の最後の締めくくりとして、また、次の生を迎える大切な一瞬といえます。
例え今生が不幸な一生であったとしても、臨終を心安らかに迎えることができれば、次の生はおおいに期待できるのではないでしょうか。
 
日蓮大聖人は、
『人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし』(妙法尼御前御返事1482)
と、仰せられています。
 
私たちの吐く息は、すぐ、吸う息に変わってしまいます。いつまでも吐き続けたり、吸い続けることはできません。吐く息も吸う息も瞬時の存在でしかないように、人の命は無常です。
そして、草の葉についた小さな露は風が吹けば落ちてしまうように、はかないものです。
賢人も愚人も、そして老若男女を問わず、死は必ず訪れてくるのです。故に、臨終のことを真剣に考えて、それから生きることを考えなさいと、説かれるのです。

http://www.jihonji.net/oko196.html

「臨終」とは命終わりの時に臨むことで、生命の終わるときをいいます。
「正念」とは正法を心に思うことです。念とは、常に心にとどめて忘れないことをいいます。
 
すなわち、「臨終正念」とは、命終わるときに臨んで、迷いの心を捨てて、安らかな心を得ることをいいます。
 
仏法では、すべての事象は「生死の二法」または「生滅の二法」に括られると説きます。すなわち、この世に表れたあらゆる事象は、永遠にその事象が存在していくのではなく、常に変化し消滅の方向へ向かっているのです。
また、消滅した...続きを読む


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