痔になりやすい生活習慣とは?

私は歴史を信用してません。
300年以上も前に起った事がどうして詳しく説明できるのですか?
ましてや、紀元前の話など、まったく信用できません。
「○○年は何々が起きたと思われる」と言われればある程度納得するのですが、
「○○年は何々が起きた」と学校の授業でも教わりましたし、世間一般でもそうなってます。
この自信はどこからくるのですか?

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A 回答 (20件中1~10件)

 まず、昔になればなるほど正確さとしては良い加減になるのは歴史を学ぶ人なら分かっている。



 しかし、残されたものから推測することでつじつま合わせを行っている。その為に歴史に関しては、後に修正が入ったりすることも多い。近年では聖徳太子の存在そのものも疑われています。
 ただ教科書などのは現段階で正しいと思われる物が載っているのです。だからこそ、歴史は考える楽しみも多い物なのです。
 
 すでに今年の公開が終わった奈良の正倉院展ですが、面白い巻物が展示されていました。当時の記録としての巻物。約束事などが書かれたものなどです。罰として宴席を設けなさいみたいな約束をさせられたものまであります。そういった文字等で残っているものがありますので、そこから当時の様子を推測出来ます。また歴史はつながっているので伝承なども実は大切な物で、伝播の仕方などから今は残っていないけど、遅くに伝わった所には昔のものが残っているなどもあります。テレビ番組で「アホ・バカ」の境界線を探ったら、京都を中心とした同心円状に広がっていることが分かりました。文化も同じようにつたわったと考えられます。
 昔話なども実はある出来事があり、神話や昔話になったとも考えられます。その遺跡なども見つかる事もあります。江戸時代などは瓦版などもあり、調べて行くと面白いですが。
 ただ、文献に関しては後に修正されている事も多く、他の文献と異なる部分があるなどもあります。その為に歴史ミステリーとして取り上げることもしばしばありますからね。
 基本的に学会などで納得させることが出来ればそれが正しいという感じです。

 ただ、曖昧だけども教科書には現段階での定説となっているものを載せていますよ。数年経てばまた変わるかもしれないけど。
 また発掘に関しても以前はねつ造間であり大問題にもなりましたから。

 歴史を信用するしないというより、基本は信用出来ない物も多いが、どれが正しいか正しくないかも難しい学問でもありますね。あなた自身、歴史の楽しさの一歩を踏み出したのです。信用出来ない。では信用出来る物はなにかと考えて見ましょう。それが歴史の楽しみ方の一つです。

 エジプトのピラミッドも奴隷がということから、それは違うと分かってきましたけどね。二日酔いで休みますなんて奴隷には無理ですから。

 今は古事記と日本書紀かな。 異端の書というのもあるからね。そこに書かれていることから本当の歴史はなにかを考えて見ましょう。
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この回答へのお礼

>歴史を信用するしないというより、基本は信用出来ない物も多いが、どれが正しいか正しくないかも難しい学問でもありますね。あなた自身、歴史の楽しさの一歩を踏み出したのです。信用出来ない。では信用出来る物はなにかと考えて見ましょう。それが歴史の楽しみ方の一つです。

こういった歴史の楽しみ方もあったのですね。
ひょっとして、大学の教授ですか?

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 13:56

No.7です。

少し補足します。>その文字で書かれた記録が信用できないのです。

文字で書かれた記録を鵜呑みにしないことは歴史を考える上で大切なことです。ただし、「文字で書かれた記録を一切信用しない」わけにもいきません。重要なのは、複数の史料を比較検討するなどの地道な作業を行って、どの史料のどの部分がどの程度信用できて、どの史料のどの部分は信用できないのかを見分ける判断能力を身につけることだと思います。これは歴史研究者の必須の能力のひとつですし、歴史書の読者にもある程度は必要な素養でもあります。なおご質問には、いわゆる1次史料の真贋や内容の正否の問題とこうした史料に基づいた歴史叙述が妥当がどうかという問題の両方が含まれているように感じます。

なお、歴史を考える上で文字で書かれた記録は重要ですが、これだけに依存するのは不十分です。日本の民俗学の祖と呼ばれた柳田國男は次のように警告しています。「文字史料の存在にしか、我々の歴史は無いときまると、北海道東北の広々とした地域はさておき、首都を取り繞らす活発なる生活帯の中にすらも、なおアメリカ以上の古さを尋ね難い地域が多い。まして何百とある離れ島などは、一歩門を出れば則ち神代になってしまう」(「歴史教育について」 原文は旧かな使い)

私が太安万侶の死去を例に挙げたのは、1200年以上昔の古代に作られた文献史料(続日本紀)の記述が、現代に発掘された考古学上の資料(墓誌)で(死去日の1日の差はありますが)裏付けられた貴重(稀有)な事例だからです。墓誌の発見以前には太安万侶に関しては架空の人物ではないかとする「非実在説」さえありました。

これも疑ってかかれば、「それでも太安万侶は架空の人物であり、人骨や墓誌はこれにあわせた後世の人の捏造」という主張もあり得るもしれません。イギリスのピルトダウン人や日本の旧石器時代の遺物などそうした捏造の事例も皆無ではありませんので、文字史料と同じく考古学上の発見も鵜呑みにしない姿勢は必要ですが、この太安万侶の事例に関しては発見の経緯なども含め総合的に見て、墓誌などが後世の偽造であると判断される合理的な証拠はなく、奈良時代のものだと考えられます。

歴史を研究するということは、過去になればなるほど失われたピースが多い巨大なジクソーパズルについて、何が描かれた絵なのかを、限られたピースを組み合わせて何とか復元しようと試みるようなものです。ピースが全部揃っていなければパズルはできないと考えたのでは、そもそも歴史の研究など不可能です。

史料の数は今から過去に遡るほど少なくなりますので、史料が限定されていることは承知の上で、その史料の性質を熟知して「この史料から確実にいえることは何か」を考える必要があります。そうすれば、「○○年(場合によっては月日まで)に□□が起きた」と確実に言えるレベルのことから、「○○年に□□が起きたと想定される」程度には言えること、さらには「○○年ころ(場合によってはもっと広く△△世紀)に□□が起きた可能性もある」位にとどめるべきことの区別もできるかと思います。

なお人の生死や建築物の建立の時期など、起こった年が明確に特定可能な問題と、鎌倉幕府が成立したのは何年かという問題のように、(鎌倉幕府の本質をどう捉えるかという問題と密接にからみますので諸説があります)、本来ある程度の年代の幅があり得る問題の性格の違いも考慮する必要があります。

良心的な歴史に関する著作ではこのあたりはきちんと書き分けています。その点に意を用いず、何でもかんでも同じように「○○年に△△が起きた」と断定的に書いている書物は、歴史書とは呼べないと考えます。
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この回答へのお礼

数回におよぶ回答ありがとうございます。
こんなに回答がくるとは思わなかったので、そろそろ締め切ります。
勉強になりました。ほんとに、あいがとうございました。

お礼日時:2012/11/15 13:43

回答者No.1です。


ちょっと整理しましょ。
質問者様の疑問その1。
~と思われる。と書かれていれば、納得できる。これに対して、全ての回答者様たちは、同意しています。新しい証拠が出てくれば、歴史は書き換えられる事、全員が認めています。
質問者様の疑問その2。
何故、言い切るのか?
これについては、回答されている方、いない方様々です。
ここに集中すべきと感じます。
これは、世間の常識と言うものに繋がる大きな問題を含んでいます。
私個人は、単なる上意下達、長いものには巻かれろ、無自覚、と言う問題として受け取ってます。
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この回答へのお礼

数回におよぶ回答ありがとうございます。
こんなに回答がくるとは思わなかったので、そろそろ締め切ります。
勉強になりました。ほんとに、あいがとうございました。

お礼日時:2012/11/15 13:40

なるほどなるほど・・・。


そう切り返されるとは思いませんでした・・・(^_^;)

>もし、両親がほんとのことを言わなかったら、兄の誕生日
>は戸籍に記載されている日で、親族以外は戸籍に記載さ
>れているのが本当の事と疑わないでしょう。

どうして↑これは「ほんとのこと」だと言いきれるのですか?(^_^;)
まだ嘘かもしれないとは疑いを持ちませんか?
ご両親が
「ほんとはこの日だったんだよ」
と、いう言葉を信じたのはなぜですか?

「疑問を持つ」のはいいことです。
「本当なのかな?どうなんだろう?」
と、自分で研究し探求していくのが歴史学者なのだと思いますよ。
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この回答へのお礼

数回におよぶ回答ありがとうございます。
こんなに回答がくるとは思わなかったので、そろそろ締め切ります。
勉強になりました。ほんとに、あいがとうございました。

お礼日時:2012/11/15 13:38

お礼




>明日にも光秀自筆の書状が見つからないとは限りません。

見つかったとして、その書状が、なぜ光秀が書いたと分かるのか?
光秀になりすました、他の奴が書いたと思うのは、私だけでしょうか?



 光秀の直筆書状が残っています。実物写真つき。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …


 また、専門家による光秀書状の解説があります。
http://blog.reichsarchiv.jp/item/1618
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この回答へのお礼

数回におよぶ回答ありがとうございます。
こんなに回答がくるとは思わなかったので、そろそろ締め切ります。
勉強になりました。ほんとに、あいがとうございました。

お礼日時:2012/11/15 13:36

<<厳密に言うと、学校は嘘を教えた事になりますよね。

>>

 いや、科学的歴史観と皇国史観が共存していたというべきでしょうか。小中学校では後者が教えられていましたが、大学では前者が研究されていました。

 大学では国史学研究室は東洋史、西洋史の研究室と並んでいたし、論文も歴史学共通の専門誌に掲載されるので、科学的根拠のない学問を教えるわけにはいきませんでした。たとえば津田左右吉の業績を振り返ると、東洋史の素養に根差していることが気が付きます。

 ということで、小学生には偏向教育を施し、社会のエリートになる若者には科学的な考え方を教えたわけです。

 なお、戦乱で資料が失われることが多かった中国や西欧と異なり、日本は古文書の宝庫です。それも行政文書だけでなく、絵地図、日記、書簡、会計の記録などが山のように出てくるので、クロスチェックの材料に事欠きません。津波の記録もそうですね。文字が知られていなかった古墳時代以前はともかく、奈良時代以降は一級資料で裏付けできない重要な出来事はまれだと思われます。光秀の謀反の理由など、まだ決着のつかない問題は残っていますが。ただし、明日にも光秀自筆の書状が見つからないとは限りません。
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この回答へのお礼

私には難しすぎる回答でしたね。
私がバカなだけかもしれませんが・・・。

>明日にも光秀自筆の書状が見つからないとは限りません。

見つかったとして、その書状が、なぜ光秀が書いたと分かるのか?
光秀になりすました、他の奴が書いたと思うのは、私だけでしょうか?

私って疑り深いんですかね?

お礼日時:2012/11/14 23:36

基本的に質問者様のスタンスは共感できます。

しかし、ちょっと違う様な気もします。

こう考えられませんか?
歴史は天文学や数学ではない、文学に近いものだ。
わたしたちは事実を学んで居るのではない、歴史学者たちの想像した壮大な過去の物語を聴いているのだ、と。

>「○○年は何々が起きた」

この自信はどこからくるのですか?

自信があって彼らはこういう書き方をしているのではないと思います。一種のレトリックなのでしょう。いはは読む者に説得力を持たせるためのテクニックなのです。

それに、ちょっとは信用した方が歴史が面白くなりますよ。いや、そういう歴史の味わい方もあるということですが。
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この回答へのお礼

わかりました。
「わたしたちは事実を学んで居るのではない、歴史学者たちの想像した壮大な過去の物語を聴いているのだ、と。」と、思うようにします。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 22:48

物差しがあるから本当か怪しいかが認識出来ます。




全く信用できないと
捨てていたはずの歴史スケールと言う物差しを用い
それで比較検討して

>ましてや、紀元前の話など、まったく信用できません。
などと結論付けていますが、

>紀元前の話など
神話性が強いと言う認識自体が1級文献との比較(スケール)である。


物差しを捨てたトンデモにアインシュタインは間違っているがあります。

距離は人類が作成した物で変動するので使えません。
ならば、間違っている証明もスケール無しで証明せねばなりません。


>この自信はどこからくるのですか?
トンデモ研究者の貴方方が間違っている事すら証明も出来ない
ミジンコだからみんな同じ授業を受けるんです。
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この回答へのお礼

言っている意味がよくわかりません。
バカでもわかるように説明して下さい。

お礼日時:2012/11/14 23:17

 疑問を持つことは、きわめて健全な反応だと思います。



 しかし、ある記述に対し疑問派が多数を占めたら、その記述は間違いだと決めつけていいでしょうか。

 実は、歴史についての記述は、たった一つの反証があれば覆ります。多くの専門家が反証を探し、それでも覆らなかったことだけが生き残りました。邪馬台国の所在のように、誰もが納得する反証がまだ見つかっていない場合は、教科書に断定的な記述は書かれていません。

 こうした手続きが繰り返されてきたから、我々は歴史の記述を信頼してきました。もちろん、今でも意図しているかどうかは別として、反証探しの努力が続けられ、その成果として教科書が書き換えられることも十分ありえます。
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この回答へのお礼

反証探しも大切ですよね。
教科書が書き換えられてますが、私が子供も頃は、書き換えられる前の物で、
歴史はこうだった。と決め付けられてました。
厳密に言うと、学校は嘘を教えた事になりますよね。

お礼日時:2012/11/14 17:29

それは目で見たものしか信じないからじゃないの?



昨日の事は自分で体験してるから信じるけど
自分が生まれる前の日の出来事は見てないから信用できない

そういうことでしょ


まぁ 紀元前はともかく
日本ぐらいの歴史の浅い国なら 書物は信用できますけどね
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この回答へのお礼

>日本ぐらいの歴史の浅い国なら 書物は信用できますけどね

その書物が、なぜ信用できるのか
なんですよ。

私って疑り深いんですかね。

お礼日時:2012/11/14 23:23

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こんばんは。
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お肉は薄切りのしゃぶしゃぶ用がいいと思います。
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Q戦争が起きた原因

1・一番始めに戦争が起こった原因は何なのでしょうか

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4・戦争中の日本を誰が指揮していたのか

5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

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Qアフリカが発達しなかったのは何故ですか?

かつてアフリカは暗黒大陸と呼ばれていたそうです。
現在でも経済発達している国家少ないです。
これはどうしてなんでしょうか?

古代エジプトの時代には既にあれだけの文明が発達していたのに、その後西洋諸国に遅れをとってしまったのは何故でしょうか?
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現代になっても部族対立が激しく、農業や工業が発達しないのはどうしてでしょうか?
経済大国がその気になって本格的に援助したら発達するものなのでしょうか?
資源などはあるはずです。
それとも部族問題が解決しない限りムダなのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

暗黒大陸というのはヨーロッパ人が自分たちの価値観からそう呼んだだけで、特に根拠のある言説ではありません。

古代エジプトは位置的には北アフリカですが、文化/文明/人種の点で「アフリカ」とは言えないと思います。文化ではメソポタミアと並ぶ古代東方文化ですし、アフリカ大陸の他の文化よりもこちらとの関係が一貫して深いです。人種もネグロイドではありません。
また、アフリカというのはローマ人がつけた名前で、大体いまのチュニジアあたりのことです。そこから南は特に認識されていません。南方ではまた独自の文化/文明が発展していました。
これについては
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061493663/249-0155644-0220379
が大変よい参考書になると思います。
西ローマ崩壊後も北アフリカについてはイスラムによる征服後もむしろヨーロッパに対する先進文化地域でした。ヨーロッパから文化の流入?とんでもない。たしかにローマやギリシアの影響はうけていますが、むしろ中世ヨーロッパこそイスラム文化の影響をうけていました。
この関係がひっくり返ったのは近代になってからです。近世ヨーロッパがひたすら武力に偏った発展を遂げ、その武力によってまずは「新大陸」を、ついでその富を背景にアフリカ(とりわけ中部/南部)や、アジアを征服し始めるまで、ヨーロッパは世界の後進地域でした。しかし、これらの征服後、その富と資源を以て近代の技術文明が発展するにつれ、経済力などが逆転し、現在に至ります。
先進諸国というものは、これらのアフリカ/アジアに対する既得権(そんなものを勝手に主張するのがヨーロッパ)を守るため各種の征服戦争、反乱鎮圧、さらには裏工作を行い、また行い続けているわけです。現在はこれらのやりくちを新植民地主義と呼んでいますが、たとえば「イラク戦争」もこういった観点を抜きに考えることはできません。

アフリカ諸国の側に問題がないわけではありませんが、こういう問題を解決させない努力をしている国がある、という琴も忘れてはならないと思います。

暗黒大陸というのはヨーロッパ人が自分たちの価値観からそう呼んだだけで、特に根拠のある言説ではありません。

古代エジプトは位置的には北アフリカですが、文化/文明/人種の点で「アフリカ」とは言えないと思います。文化ではメソポタミアと並ぶ古代東方文化ですし、アフリカ大陸の他の文化よりもこちらとの関係が一貫して深いです。人種もネグロイドではありません。
また、アフリカというのはローマ人がつけた名前で、大体いまのチュニジアあたりのことです。そこから南は特に認識されていません。南方...続きを読む

Qなぜ西暦に統一されたのですか?

現在は世界的に西暦で統一されてると思うんですが、なぜ西暦が選ばれたのですか?また、東洋の暦はいつ頃廃れてしまったのですか?

Aベストアンサー

世界が西暦に統一されたかは分りませんが、
日本の暦は、太陰太陽暦から太陽暦に変わったのは、

「日本の暦は明治5年12月3日を、
新暦の明治6年1月1日とする。」
という事が明治政府の太政官の布告からあったということです。

理由は国家財政上の問題とか言われているようです。
その頃、明治4年から月給制をしていたそうです。

太陰太陽暦の閏年は1ヶ月増えて13ヶ月になります。
太陽暦に変わる前月の12月は2日間しかないという事ですね。
太陽暦の閏年は1日ですね。

http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KOHO/faq/reki/kyuureki.htm
このWebページに少し触れられています。

Q四次元というのはどんな世界ですか?

そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?
三次元の世界とは縦横高さのある空間の世界だと思います。
これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?
我々の世界にも時間があるので、四次元といってもいいのでしょうか?
それとも四次元とは時間とは無関係の世界なのでしょうか?
あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタインでした。
 彼は、リーマンという数学者が作った、
曲がった空間の幾何学(現在リーマン
幾何学と呼ばれています)を使い、4次元の
空間が歪むという状態と、重力や光の運動を
あわせて説明したんです。これが相対性理論。

>これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?

 物理学的にはそうです。

 相対性理論の話に関連付けて説明するとこんな感じです。
例えば、下敷きの板のような平面的なもの(数学的には
これを2次元空間と言ったりします)を曲げると
いう動作を考えてみて下さい。下敷きに絵が書いて
あったとして、曲げながらそれを真上から見て
いると、絵は歪んで見えます。平面的に見て
いても下敷きという2次元空間が歪んでいる
ことが感じ取れます。
 2次元的(縦と横しかない)な存在である下敷きが
歪むには、それ以外の方向(この場合だと高さ方向
ですが)が必要です。

 19世紀に、電気や磁気の研究をしていた学者たちが、
今は小学校でもやる砂鉄の実験(紙の上に砂鉄をばら撒いて
下から磁石をあてると、砂鉄が模様を描くというやつです)
を電磁石でやっていたときに、これは空間の歪みが
原因ではないかと直感したんです。
 電磁石の強さを変えると、砂鉄の模様が変化します。
これを砂鉄が動いたと考えず、砂鉄が存在して
いる空間の歪みが変化したのでは?と考えたんです。

 3次元の空間がもう1つ別な方向に曲がる。
その方向とは時間という方向だということを
証明したのが、相対性理論だったんです。


>あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

 4つ目の方向である時間は、存在していても
その方向に、人間が自由には移動する方法は
現在ありません。時間方向を自由に動ける機械と
いうのは、タイムマシーンのことなんですが。

 日常生活を考えてみたとき、縦、横といった
方向は割りと自由に動けます。1時間ちょっと
歩けば4kmくらい楽に移動できますが、
道路の真中で、ここから高さ方向に
4km移動しろと言われたら、人力だけでは
まず無理でしょう。
 飛行機やロケットといった道具が必要と
なります。
 時間方向というのは、このように存在していても
現在のところ自由に移動できない方向なんです。

 例えば、人間がエレベーターの床のような
平面的な世界に生きているとしましょう。

 この場合、高さ方向を時間と考えて下さい。

 エレベーターは勝手に下降しているんです。
この状態が、人間の運動と関係なく、時間が
経過していく仕組みです。

 人間もほんの少し、ジャンプして高さ
方向の移動に変化をつけることができます。

 同様に時間もほんの少しなら変化をつける
ことができます。

 エレベーターの中で、ジャンプすると
ほんの少し下降を遅らせることができる
ように、時間もほんの少し遅らせることは
できるんです。




 

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタイン...続きを読む

Q実在していたかが疑問視されている歴史上の人物

実在していたかが疑問視されている歴史上の人物(要するに、歴史書などには載っているが伝承に過ぎなかったり著述家の創作だという説が出ているもの)を教えてください。個人的に知ってるのは聖徳太子と佐々木小次郎ですが、おそらくもっといるのではないかと思い質問しました。

日本史か世界史かは問いませんが、歴史の知識は並程度なのでせめて山川出版社の高校生向け用語集に出てくる位の知名度の人か、前述の佐々木小次郎のように有名な歴史的エピソードの登場人物くらいの知名度の人にして下さい。

あとヤマトタケルとかは流石に伝説的要素の方が強いですし、天皇もはじめの何人かは架空の存在とも聞いたことがあるので、近世の人についての回答が特にうれしいです。

さらに注文をつけて申し訳ないのですが、東洲斎写楽のように正体が知られていない人については、「実は葛飾北斎の別名だった」みたく既に有名な人の別名義だった的なもの以外は、正体不明でもやはり存在しなかった訳では無いのですから含まないで下さい。

注文だらけで申し訳ないですが、宜しければ回答宜しくお願いします。

Aベストアンサー

真田幸村については、彼の実名が真田信繁であるのは、そのとおりです。もちろん、信繁は実在の人物です。
山本勘助については、実在がかなり有力で、「架空の人物」説は昭和の遺物になっています。ただ、甲陽軍鑑にあるような活躍をしていたかはかなり怪しいです。そもそも、かの書物は近頃見直されているとはいえ、鵜呑みにしては絶対にいけない書物にかわりないですし。ほかにすこし上げておくと・・

金売吉次
義経を奥州藤原氏に送る手助けをした人とされますが、実在かどうかは不明です。

武蔵坊弁慶
有名な坊主ですが、一昔前まで実在すら怪しかった人。吾妻鏡にもでてきてはいますから、存在自体はあったようですが、活躍の多くは、義経記などによるので、実像は不明です。

どうも日本ばかりなので、外国にも目を向けましょう。

ウィリアム・テル
実は実在が証明されていません。スイスでは大英雄で半数以上が実在を疑っていない人ですが。なお、彼の逸話は有名で、日本でもパロディ的な使い方をしていますが、彼の使った弓はクロスボウであり、射撃の方式としてはいわゆる弓よりも、銃に近いです。
実在については完全に不明なわけですが、その後のスイス独立の動きから考えると、近いことを起こした人がいたのではないかとも思えます。

ロビン・フッド
文学作品により広まったとされる伝説上の義賊。よくリチャード1世(獅子心王)と絡めて話がでてきますが、実在したかは不明です。おそらく、それに近い盗賊はいたのでしょうが・・・なお、13世紀に裁判記録にでてきた、ロバート・フッドという逃亡農民がモデルという説もあります(説としてはまったく有力ではないですが)。

どちらも弓の名手なのはなにか面白いものがありますが。

マルコ・ポーロ
著作もある、その内容もかなり裏づけができる。またそれがルスティケロ・ダ・ピサがマルコの
口述を著したものであるということになっている。しかし中国側には一切の記述がないという人。主に珍説として架空説が唱えられていますが、やはり存在していた可能性が高いと思われますね。

真田幸村については、彼の実名が真田信繁であるのは、そのとおりです。もちろん、信繁は実在の人物です。
山本勘助については、実在がかなり有力で、「架空の人物」説は昭和の遺物になっています。ただ、甲陽軍鑑にあるような活躍をしていたかはかなり怪しいです。そもそも、かの書物は近頃見直されているとはいえ、鵜呑みにしては絶対にいけない書物にかわりないですし。ほかにすこし上げておくと・・

金売吉次
義経を奥州藤原氏に送る手助けをした人とされますが、実在かどうかは不明です。

武蔵坊弁慶
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