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ベジタリアンには様々な種類がありますが、そもそも何故こんなにも種類があるんですか?

また菜食オンリーだけではなく、卵や乳製品は OKで他はダメ・魚肉はOKで他の肉はダメ・鳥 はOKで牛豚は ダメ・肉をなるべく食べないようにしている…

ベジタリアンはイギリス発足で、欧米の肉食・畜産文化の国なら肉食を止めて(控 えて)植物性のモノをとろうという考えになった かは想像出来ます。

ただ元々過剰な肉食文化もなく漁業・農耕文化の日本人が、わざわさ肉類を食べているのにベジタリアンと主張するのかが謎です。

ついでに昔と違い学問が発達しているにも関わらず、肉は身体に悪いが魚肉はOK・牛豚は身体に悪いが鳥はOKなのもよく分かりません。

野菜と魚介類中心の食生活・肉をなるべく食べ ないようにしている…これはただの『食生活の 改善』ですよね、何故いちいちベジタリアンと主張するんですかね?

アレルギーや宗教でうっかり他所でアレルギー 物質を口にしない為主張するならともかく、このような種類の人は何故動物性の食材を食べているのに 、いちいちベジタリアンと主張しているのですか?

A 回答 (4件)

書いてありますよね?



>現在の日本では(中略)「ベジタリアンです」という理由をつけなければ自分の趣味・嗜好を説明できないんです。



じゃあ別の言葉で説明しますね。

彼らは「少数派」です。少数派はえてして「○○派」「○○主義者」などとなのることで、「自分と同意見の仲間と連帯したい」「自分の趣味・嗜好を判りやすく説明したい」という欲求があるものなのです。

雨の日に傘をさすのに「傘さし主義者」と名乗る必要はありません。しかし、傘をささない(少数派の)趣味の人は、自分の嗜好を説明するのに「傘をささない主義」という必要があるかもしれません。そして、そういう趣味の人が相当数いれば「ノーアンブレラーズ(適当)」とか、独立した「彼ら」を示す用語ができるかもしれませんね。


ところで質問者様はお礼率0%みたいですけど、「お礼しない主義者」ですか?(笑)
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先に言っておきますが私はベジタリアンではありません。



>ベジタリアンには様々な種類がありますが、そもそも何故こんなにも種類があるんですか?

肉食主義者にも様々な種類がありますよ。例えば私の知人は豚・鳥・牛はOKだけど、猪・馬・羊などは駄目。私自身は虫系はパス。あと「踊り食い」も無理。

豚は猪の亜種だし、虫も動物性蛋白には変わりない。でもなんとなくこれらは豚・鳥・牛などと違って「気持ち悪い」と感じてしまうのは理屈ではありません。結局は他の命を奪っていることに変わりないのに「踊り食い」を「残酷」と感じてしまうのだって偽善この上ないですね。

ただ、現在の日本では、虫や馬を「なんとなく気持ち悪い」から食べなかったり、「踊り食い」を「残酷だから」食べられないというのは、まぁ一応は許されます。けど、魚はOKで他の動物は「なんとなく気持ち悪い」「残酷」だから食べられない、とか言おうものなら、質問者さんのような人種から「この偽善者ァァァァ~~~~!!!!」「なんで魚はいいんだ! 理由を言え理由を!!」「魚はかわいそうじゃないのか!」「植物の命を奪うのは悪くないのか!」「そもそも『いただきます』とは『命をいただきます』ということで云々…」と、攻撃されまくりです。

だからまあ「ベジタリアンです」という理由をつけなければ自分の趣味・嗜好を説明できないんです。本質的には一部の肉食主義者が羊や犬や猫や虫や踊り食いが食べられないのと大してかわりないと思いますけど。

虫や踊り食いが食べられない軟弱な肉食主義者の私は、魚や卵を食べるけど鳥類や哺乳類が食べられないベジタリアンを責める気にはなりません。むしろ、同じように食事に嗜好をもっているだけなのに、やたらと「何故なんですか!」「この偽善者!」と責められまくる彼らを気の毒だと思います。

この回答への補足

それはただたんに好き嫌いであって、わざわざベジタリアンと主張する意味はないですよね?

補足日時:2012/11/18 23:26
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 とりあえずはウィキペディアなんてことで、



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B8% …

のような説明もありますね。何がベジタリアンなのかは、個々人が社会的に身に着けた価値観、感覚により、個々人が判断しているというしかなさそうです。その中には、他人にも知られた提唱者もいて、『布教』しているようです。

 全世界的に見ると、ある時期に害があるとして避けた食物が、理由付けが失われて伝わり続けていることがあるようです。しかし飢餓に直面すると、そういうことがリセットされもします。蹄の形がどうの、うろこや尾がこうの、それらは流浪する民としては、ある時期やある地域では、食べることが調理上の理由で寄生虫などの害があったり、あるいは狩猟することが危険であったり、食べるためにはコストやリスクがあったのでしょう。

 そういう制限がない状況では、食べられるものを食べないでいるというのは、一種の贅沢なんですね。美味しいものを食べるのと対極的な贅沢です。それが極まって一時的には断食になったりもする。仏道の実践者として肉や魚を食べない(ついでに匂いの強い植物も)、仙人と称して五穀を口にしない、等々、一種のステータスシンボルであったります。

 そうして農業が始まり、狩猟・採集を脱して、牧畜・漁労技術などが発達し、食糧事情が良くなってくると、美味しいものを選択して食べるようになります。

「ナマコを始めて食べた人は勇敢である」旨の言葉があります。夏目漱石の「吾輩は猫である」にも出てきます。あんな気持ち悪い形のものが美味しいと発見したという文脈ですね。

 そうではないわけです。食べられそうなものを全て食べていて、不味いものを食べなくても良くなって、ナマコは美味しいから残ったわけです。毒魚のフグすら常食されています。

 大昔、最初にフグを食べた人が中毒死しても、なお二番目に食べる人がいたわけです(その人こそ勇者かも)。死なずに食べる方法を確立するまでに、何人死んだか分かりません。それでも食べないと生きて行けなかったからでしょうね。

 中国料理では、驚くほどさまざまなものが食材となっています。「四本足で食べないのは椅子くらいだ」と言われるほどです。

 これは、中国が古代から非常に厳しい飢餓を何度も経験したことが関係しているのでしょう。「子を取り換えて食う」という人肉食すら広く起こってしまい、それでも大勢の餓死者がでるほどの飢餓が、何度も起きていたのですから。

 食べられるものは何でも食べる、そのための調理技術屋保存技術(これは平時の長距離食糧運輸とも関わる)が発達し、定着するのも道理です。もちろん、何でも食べる習慣となるでしょう。

 日本では、古代から調べると、マルサスの人口論に関わるような事態が起きています。縄文後期・弥生時代から、おそらく食糧調達方々の変化時期(農耕依存化を窺わせる感じ)に減少があるものの、人口は傾向として一貫して増加し、鎖国の江戸時代では3千万で頭打ちの状態が続き、明治以降はまた増えて行っています。少子化で人口減少は言われるようになったのは、そういう歴史ではごくごく最近のことです。

 これに身長変化を重ねると興味深い事実があります。縄文後期・弥生時代の日本人は平均身長として一時的な頂点に達し、それ以降、江戸時代の終わりまで、日本人の平均身長は下がり続けています。ようやく、明治以降は身長が伸び始めました。第二次大戦期から戦後しばらくは、また一時的に平均身長は下がり、食糧事情が改善すると、また伸びています。

 日本の場合、さらに戦後に伸びた平均寿命も興味深い相関を示します。タンパク質摂取量の伸びと平均寿命の伸びに、強い正の相関があります。面白い相関としては、牛乳の消費量推移とがん発生率が正の相関があります。長寿命になって、がんが発症する高齢まで生きるのが普通になったということですね。フライパン普及率も、平均寿命と正の相関です。ひき肉、卵料理が増えた、つまりタンパク質摂取の増加にフライパンが寄与したわけです。

 少しの干魚と麩の味噌汁と漬物で、麦飯で腹を満たしていたのが、鮮魚、精肉、乳製品、卵のおかずをふんだんに食べられるようになった恩恵は計り知れません。

 一方、アメリカではベジタリアンのほうが長生きという研究が幾つも出ています。そのベジタリアンは、乳製品や卵を摂取するタイプです。完全菜食のビーガンはそうでもありません。アメリカは食肉摂取に付随して脂質過多です。そのために肥満率が成人では7割を超えます。

 ある宗教に属し、宗教が命じるままであれば仕方ありません。しかし、好んでベジタリアンになるのは、単純にいいとは言えません。特に日本人は注意すべきでしょう。今でも、高齢になってからのタンパク質不足は、しばしば指摘されています。大豆もいいタンパク質源です。しかし、アミノ酸スコアという食品としてのタンパク質の評価では、大豆は86で、満点の100である精肉や鮮魚に劣ります。それでも大豆と米飯との組み合わせなら、かなり改善はします(米飯と大豆の組み合わせは経験的に良いと知ったのでしょう)。

 上記のウィキペディアにもフードファディズムということが解説されていますが、「過熱しない生の食品以外は有害だ」なんてものすら出て来てしまっています。「白い食べ物は体に悪い、色が濃いほどいい」なんてのも、結構昔からあります。

 栄養に関する研究が非常に進み、正しい栄養学的知識が非常に多くあるのに、一律に「これは駄目、あれは良い」と、民間信仰的なことを言うのは、バカバカしいと言わざるを得ないでしょう。「栄養学は、まだ不完全」と言う人はいるし、それは事実ですけど、それより無根拠で不完全な方法がいい理由には決してなりません。
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肉を食べているのにベジタリアンと主張している人にであったことがないので


その例についてはなんともいえませんが…

ベジタリアン、肉を食べない人に種類があるのは
なぜそうしているか、が人によって理由や思想が違うからでしょう。

日本人がもともと肉はあまり食べなかったのは確かですが
仏教の影響で四足の動物は駄目だけど、鳥はOKとされていた。
また、ウサギは一羽二羽と数え鳥とみなしたり
馬はさくら、猪は牡丹、鹿はもみじ、など隠語をつけて食べていた部分はありますね。
そういった背景から
もともとの日本人の伝統的な食事に戻そうという考えで肉を避けている人は
鳥は食べるのかも。あくまでも「避けている」であって
そういう人はベジタリアンとは言わずに「肉はなるべく食べない」という人なら聞いたことありますが。

自分を貫く人と、社会的な影響を考えて仕方ない部分で受け入れている
たとえば学校給食、職場の付き合いなどでは少々食べる人もいるのでしょう。
摂りすぎがNGと考えてるひとなら特に少しならいいと思うかもしれません。

他にも健康に良くない、という医師の本とか、健康法にはまっているから、という人もいますね。

単に動物を短期間で育て殺して食べるのはかわいそうとか、今の大量生産を支える畜産のあり方に反対で
肉を食べない人は、チーズや乳製品はOKという人もいるでしょう。

俳優のディカプリオが昔言っていたのは牧草やコーンを育てて牛を育て、牛を食べる
その二重の消費、また牛の二酸化炭素やメタンガスなど地球環境問題を考えて
肉を食べないようになった、ということです。
乳製品は食べている、というので、これは肉よりは持続的に生産できるからなのかもしれません。

命を頂くことそのものに抵抗があるグループだと、植物も殺さない。
たとえば果実は頂くが、生えているものを根こそぎとるような植物は食べない。
また、自然に落ちた果物などを好んで食べるような人もいます。
これは無殺生のためのベジタリアンだからそうなるんでしょうね。

ベジタリアンといいつつ少しは食べる人は
自分だけなら食べないけど、周囲との関係で妥協している、とかじゃないでしょうか。
今の日本人の食生活は従来長く続けてきた生活よりははるかに肉
それもかなり肥育されたものを食べていますから。なるべく避けてもおかしくはないかなと思います。
わざわざ主張する人がいるとしたら、一緒に食事をする場で
食べなくても済むような下地を作っているのかもしれません。

医学が発達している、といっても医学の中でもいろんな論、主張があるし
どう調べて仮定してどうデータを取ったかで結論が違うから
人によってどれを信じるか、違うんでしょう。

牛や豚の脂は、より体温の高い動物の体内ではよくても
人体に入ると固まりやすいから駄目だ、なんて書いてる人もいますね。

個人的には日本の従来の食事、という意味では
牛や猪よりも、鳥や魚を取るほうが摂ったり飼ったりしいやすいでしょう。
牛や猪は、ほんの時たま食べられるもの、というものだったでしょう。
だから従来の四里以内のものを食べて暮らす、という感覚からいえば
その食生活を心がけるのはそこまで変だとは思いません。
ただ、それはベジタリアン、とは呼ばないかな?とは思いますが。
仏教由来の畜生を食べない、っていうのでは鳥や魚は禁忌にはいらないから
そういう意味では「肉を食べてないよ」なのかもしれません。
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