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寒いですね。
とても寒いですね。
これからもっと寒くなりますね。
現代人は文明の利器によってかなりの防寒がされていると思います。
昔の人はどうしていたのでしょう?
現代人は寒さに弱くなったのでしょうか?
温暖化で暖かくなっているというのに。
とてもではないですが江戸時代以前に生きていたら布団から出られそうにありません。()
よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

こんばんわ。


私は、自称「歴史作家」です。

皆さん色々な素晴らしい意見が回答されているようですので、私は「大江戸事情」についてお話ししましょう。

「家の造りやうは、夏をむねとすべし、冬はいかなる所にも住まる」
は兼好法師の「徒然草」の有名な一節。

暖房として住まい全体を暖めるには囲炉裏が一番でしたが、江戸では火事が多発したため、囲炉裏で薪を燃やすことは禁じられていました。そして、農家から買い入れる薪も大変高価でした。

従って、深川芸者の置屋や舟宿には囲炉裏が設置されていましたが、炭を置く程度で暖房としての効果は全くありませんでした。

深川芸者などは寒さのあまり、お座敷では華美な着物で芸を披露しましたが、客待ちなどの時は、ありったけの着物を身体に巻きつけて寒さ凌ぎをしていました。そんな姿を見たら客も幻滅したことでしょう。

庶民は・・・と言うと、

まずは、せいいっぱいの厚着をして、火鉢に手をかざしたり炬燵に足を入れたりするていど。

火鉢には金属製、木製、陶器製などがあり、形は丸火鉢、角(箱)火鉢、長火鉢、提火鉢などがありました。

町屋でも、ある程度裕福な家では木製の長火鉢で、片側に猫板といわれる部分があり、茶器などを置くことができ、引き出しになっているので、小間物を仕舞うにも便利で重宝がられました。

では、熊さんや八っあんたちの長屋では・・・

江戸時代の初期の頃は、もちろん厚着をして、丼を大きくしたような鉢に灰を敷き炭を入れて、せいぜい手を暖める程度。
江戸も中期以降になると、陶器製の行火(あんか)が登場。どこへでも持ち運べるので大変な人気になりました。

そして、一工夫加えて、行火の上に蒲団をかけて何人もが手足を入れて暖をとることができるようになりました。また、辻番が好んで使用していましたので、別名「つじばん」とも呼ばれました。

さらに発明がされて、行火の上に現代のような櫓(やぐら)を置き、その上から蒲団をかける「櫓炬燵」が登場しました。
これにより、家族全員が等しく暖をとることができるようになりました。
しかし、現代のように「炬燵板」の考えがなかったため、茶器などの道具類が置けないのが難点でした。

狂歌に、
「四角でも炬燵は野暮なものでなし」
と詠まれたほどでした。

寝具:

江戸では、現代の掛蒲団にあたる「夜着」(よぎ)が一般的でした。
「夜着」は、袖と襟のついた大形の着物のような形で綿が入っていました。

上方では、元禄年間頃には敷布団よりも薄くて幅広い、いわゆる現代風の掛蒲団が庶民の間にも定着したと言われています。

また、「寝間着」といった独立した衣服は存在せず、昼間着ていた下着や肌着のまま寝るのが普通で、夜着も持てないような貧乏人は、ありったけの着物を身体に巻きつけて寝ましたので「寝間着」ではなく「寝巻」と書くのが本当。

以上、江戸の風俗でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
興味深いお話、面白かったです。

お礼日時:2012/11/23 01:33

皆さんの回答は、「冬の寒さに昔の人はどう対処したのか」を回答されています。


 
私は、「現代人は寒さに弱くなったのでしょうか」をメインに回答します。
7月8月には気温が25℃でも寒く感じました。今は、22℃でも暖かいと思います。
きっと、4月に最高気温20℃、最低気温10℃になると(11月とほとんど同じなのに)ずいぶん暖かくなったと思うのでしょう。
季節にもよって、暖かい/寒いはずいぶん違います。きっと住んでいる地域の事情によって寒い、暖かいはずいぶん違うのだと思います。
もちろん、冷暖房完備、機密性の高い家に住んでいるのと、ほとんど暖房のない家で、断熱材もなく、ガラス窓もなくて明かり取りは障子で、天井や戸、床などありとあらゆるところからすきま風が入る家に住んでいて、衣服も木綿か麻、合わせや綿入れがあれば最高という状況で育てば、暑さ寒さの感覚はまったく違うでしょう。

なお、昔は「子供は風の子」と言いました。
  
屋外で生活している野鳥などをみると、寒さや暑さなど気にしている様子はうかがえません。子供もあまり寒さを気にしていないようです。(少なくとも昔の大人にはそう見えた)
年をとったりすると、寒さにも弱くなり、火の側に行きたくなるのでしょう。
 
子供は風の子の意味  http://www.proverb.jp/proverb2186.html
子供は元気なので、冬の冷たい風の中でも平気で戸外で遊ぶということで、子供は寒さに強いのだから、寒い日でも戸外に出て体を鍛えるのがよい意味。「童は風の子」ともいう。「子供は風の子、大人は火の子」と続けてもいう。
 
マラソンや駅伝も寒い時期にやります。
 
生活の仕方が変わって、体を動かさず日常活動量が減り、体重に占める筋肉量も減ると、基礎代謝も低下して、恒温動物だったはずなのに、変温動物のようになり、寒さに弱くなるということもあるのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
興味深いお話、面白かったです。

お礼日時:2012/11/23 01:33

こんにちは。



昭和30(1955年)年頃が昔になるのかは、人それぞれの判断になりますが、当時の様子をリアルに体験してる者です。

この頃は、日常的に使う電気製品は照明用電球やラジオぐらいで、他には電熱アイロンぐらいしか普及してなかった時代です。

ですから、一般家庭の暖房器具と言えば「火鉢」や「堀炬燵」が主役でした。

火鉢や堀炬燵の燃料は「木炭」や「練炭」でしたから、冬になると「火の不始末による住宅火災が多かった」と子供ながらに思ってました。

実際に、明治生まれの父親や大正生まれの母親の話しを聞いて育った印象では、当時も同じ暖房器具だったようですから、江戸時代も同じような暖房器具だったと思いますが、練炭が燃料に使われ始めたのは「石炭」が使われるようになってからですから江戸時代には練炭はなかったはずです。

この頃と現代で、大きく様子が違うのは「冬の服装」でしょう。

戦前は、日常生活でも一般庶民は和服姿が普通でしたから、寒い冬は「綿入れ半纏」を家の中でも羽織ってた寒さを凌いでたようですが、昭和30年頃の子供だった私でさえ、家の中でもセーターを着るなど厚着してました。

これが、昭和30年代に入ると「電気炬燵」や「石油ストーブ」が一般家庭に普及して、火鉢や堀炬燵が暖房器具としての役目を終えて姿を消しましたが、相変わらず「冬は厚着」で寒さを凌ぐことが多かったです。

これには、一般家庭の住宅に「断熱材」が使われてなかった「保温性の悪い木造住宅」が大きく影響したと思います。

しかし、昭和40年代に入ると断熱材を使った保温性の良くなった住宅や石炭ストーブなど高カロリー暖房器具の更なる普及で、家の中で厚着をしなくても寒く感じなくなりました。

そして、現代はエアコンや石油ファンヒーターなど高カロリー&高性能暖房器具に「保温性の良い住宅」が当たり前になって来たので、私のように「真冬でも家の中ではランニングシャツと半袖シャツ」だけで過ごせるような快適な時代になりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
興味深いお話、面白かったです。

お礼日時:2012/11/23 01:33

江戸時代はアンカが主流ですね。


上から矢倉らこたつをかけたり色々です。

火鉢は武士や裕福層しか使えません。
長屋ではどんぶりのような火鉢でした。

明治~昭和になると火鉢が普及し、ほりごたつやカイロも普及します。

炭の他に安い豆炭や強力な火力の練炭を販売しました。
厳冬地帯では薪ストーブや石炭ストーブもあったそうです。


平安時代は火桶と言う、周囲が木で、中に金属を張った物で温まっていました。
ミニ火鉢のような物です。

アイヌの家であるチセは、夏場も暖炉を燃やし続けます。
冬になると家や地面から熱が放出され、全く寒く無いのだそうです。

合掌造りの民家に雪が積もると藁から熱が出なくなる。
逆に暖かくなったのだそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
興味深いお話、面白かったです。

お礼日時:2012/11/23 01:33

防寒具ではなくて暖房用具だと



不完全乾燥の薪は燃えにくくて煙いだけで熱効率は良くないです
 拾って来るとタダだし,安く買えたのかも?
良く乾燥した薪はそれより燃えるし熱効率が上がります,しかし炭より短時間で熱効率悪いです
 少し値段が高い?でも,保管場所が確保出来れば本人や使用人を使い集めさせてたかも?
炭は使用した樹木にも寄りますが,長時間燃えるし,熱効率も良いです
 加工品だしランクもある,無名品でも薪より値段は高い?使用人に炭焼きさせてる商人もいたかも?

囲炉裏や火鉢の中はワラ灰が入ってます
これは延焼を防ぐ為と,木炭の火を細かくして火の調整をする為です
日中は薪をくべて煮炊きに使い,その炭を完全に灰に埋めなければ炭は酸素供給が出来るので
炭は少しずつ燃えているのです
日中は乾燥した薪をくべ,その薪が炭になった上に炭をくべておくと長時間燃えるので
一晩中ある程度の温かさが確保出来たと思います

養蚕農家は住屋が下階,農耕牛馬を持ってる農家は住み家と続きのところがありますね

昔の日本家屋は完全密封ではないので二酸化炭素中毒も起き難いと思います
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
興味深いお話、面白かったです。

お礼日時:2012/11/23 01:33

養蚕が伝わったのが弥生時代中ごろ,大々的に行なわれるようになったのが元禄時代



絹,綿が着用出来たのは限られた人間だけ
平民が着ていたのは麻,葛,藤,楮等の植物繊維
冬季でもこれらの植物から折られた生地を着ていて,重ね着してたようです
例えば「この寒さは麻何枚の寒さだ」と言っていたとか

江戸時代,養蚕技術が向上しましたが
やはり絹は高価な物なので京都の公家が新品を着て,大阪商人が古着を集めて江戸で売買
古着でもまだまだ高級品なのでお金持ちの商人や武家が購入
その古着を買取る商人が染変え等をしてランク下の商人や武家や裕福な町民が購入し
その古着を庶民が購入して継当てして襤褸になるまで使った
庶民はね,まだモコモコの丹前着て外を歩けるので良いんですよ。
貧乏侍は「腹は減っても高楊枝」と同じで「そんなボロ着ねぇよ!!」と薄着で外を歩き
奥歯ガッチガチ言わせてた,なんとまぁ呆れた根性です

ちなみにあの時代の庶民の布団は植物繊維とった後のカスや藁クズを襤褸布に詰めた物だし
畳敷きではなく床はスノコ状態と言っても過言ではない状態の住居もあったようなので
布団から飛び出して動き回る方が温まったようですよ

ついでに,明治の頃にフランスやイタリアで蚕の病気(微粉子病だったかな?)が蔓延
蚕種(卵)や絹の輸出が爆発的に増加して日本経済は発展,女工哀史の世界です

昔の人は忍耐力があったんですね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
忍耐力があったんですね、、そうですねぇ。
病気になりそう。

お礼日時:2012/11/19 14:58

基本農村部では家に居る時は一日囲炉裏に薪をくべてその前に居たのでしょう。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/19 14:56

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Q昔の人は冬の寒さをどうやってしのいだのですか。

灯油ストーブが各部屋に普及するのはいつ頃なんでしょう

上流階級から庶民まで各時代の日本人はどのように寒さをしのいでいたのでしょうか。
素足で粗食、隙間風。
あるじ以下全員集合で囲炉裏ばた?
殿様もヌクヌクとはいかなかったのですかね。
日本人らしいですよね。何でですかね。日本人はケチ文化なんですかね。
私は暖房入れていないのですがこれでは冬に寿命が縮みます。昔をしのばれる状況です。
昔の人はどのくらい寒い思いをしていたのですか。平成の現代人には耐えられませんよね。


ご教授のほど宜しくお願いします。

Aベストアンサー

こんばんわ。
bungetsuです。

お読みいただきありがとうございます。


>>行火も含めて炭にかかる出費は生活を圧迫したり無駄遣いとはされていなかったのでしょうか。

江戸時代は士・農・工・商と言われましたが、江戸市中を見る限り農業は0%、工業(鍛冶職、鋳物職など)は10%、商業は30%、後は、大工や鳶職などが10%、武士は軍事上の秘密から公表はされていませんが50%。

従って、江戸は一大「消費都市」だったのです。

さて、話を戻しましょう。

以外と思われるかも知れませんが、江戸の周辺には「炭焼き」が非常に多かったのです。

武蔵(八王子、川越、秩父など)・・・・東京都および埼玉県
伊豆、駿河、遠江(とおとうみ)・・・静岡県
相模・・・・・・・・・・・・神奈川県
甲斐・・・・・・・・・・・・山梨県
常陸・・・・・・・・・・・・茨城県
上野(こうずけ)・・・・群馬県
下野(しもつけ)・・・・栃木県
上総(かずさ)、安房(あわ)・・・千葉県
下総(しもふさ)・・・・千葉県の一部と茨城県の一部

「享保通鑑」という史料によると、享保11年(1726)に船などを使って江戸へ運び込まれた炭は89万9710俵、薪は1829万9687束とありますが、薪は当然のことながら、主に煮炊き専用でした。

前回も述べた通り、江戸では囲炉裏などで大々的に火を焚くことは禁じられていましたので、必然的に暖をとるためには炭に頼らざるを得ませんでした。となると、値がどんどんと吊り上ってしまいます。

そこで、幕府もたびたび炭の値段については「御触れ」を出し、庶民でも気軽に購入できるよう「価格統一」などを行いました。

しかし、薪に関しては、なぜかこの「価格統一」がされませんでしたので、大量に出回るにもかかわらず、結構な価格となってしまいました。

従って、炭は割合安く購入できたようです。ただし、備長炭のように長持ちはしなかったようですね。

まあ、長屋暮らしなどでは家計費を圧迫はしたとは思いますが、寒さにかえられなかったのではないでしょうか。

ご存じ、赤穂浪士の討ち入りで吉良上野介が隠れていたのが「炭小屋」でしたね。
武家は炭は安かったので、結構溜め込んでいたようです。



>>明治以降戦後についてもご存知であればご教授ください。


明治に入ってからは、近代化が進み、西欧諸国から工業技術を積極的に取り入れたため石炭の採掘に力を入れ始め、年間200万トン余りも生産されていた炭も火力が弱いために、10年も経たないうちに約6万トンの生産量・・・と言うよりも使用量に減ったと言われています。

そして、現在のように一般家庭で電気、ガス、石油が使われ始めたのは、何と、第二次世界大戦の後の1950年後半で、それまでの木炭(炭)、薪、石炭から電気、ガス、石油への転換が急速に進みました。
これを「燃料革命」と呼ぶ学者もいます。

こんばんわ。
bungetsuです。

お読みいただきありがとうございます。


>>行火も含めて炭にかかる出費は生活を圧迫したり無駄遣いとはされていなかったのでしょうか。

江戸時代は士・農・工・商と言われましたが、江戸市中を見る限り農業は0%、工業(鍛冶職、鋳物職など)は10%、商業は30%、後は、大工や鳶職などが10%、武士は軍事上の秘密から公表はされていませんが50%。

従って、江戸は一大「消費都市」だったのです。

さて、話を戻しましょう。

以外と思われるかも知れませんが、江戸の周...続きを読む

Q江戸時代の人はどうやって寒さをしのいだ?

今夜合気道の稽古に行きました。
寒かったです。

すると、稽古の後にある人がこう言いました。
「昔の人はどうやって寒い冬を過ごしたんだろうね」

私「ダウンとかないですよね。藁をかぶって寝てたんでしょうか」
「じゃあ戦のときはどうやって寝たんだろう」
私「うーん。野宿は無理でしょ」
「でも農繁期には戦はしないだろ」
私「いや、秀吉のころには兵農分離していたし、やったのでは?
昼間は広いところで戦っても、夜は農民の家や納屋で寝たのでは?」

「そんなに都合よく寝るところが見つかるかな。テント張ったのでは?」
私「無理です。大将は天幕張ったかもしれないけど、雑兵は無理でしょ」

「寒いけど我慢したのかな」
「我慢できるとは思えません。寒すぎますって」

すると別の人が言いました。
「江戸時代とか、かけ布団はなかったらしいよ」
私「そりゃ死にますよ。服を何枚も重ねたのですかね」

さて、実際の農民や戦場の武士はどうやって寒さをしのいで
寝ていたのでしょう?

Aベストアンサー

江戸時代と農民と戦場の武士とは、時代も条件も違いますので、バラバラの回答になります
江戸時代に冬季に武士が野宿するような戦闘は行われませんでした。(念のため)

日本家屋というのは「住いは夏をもって旨とすべし」と言われていたように密閉度の低い風通しの良い構造になっていました。
部屋の仕切りも襖か障子でした。
逆に言いますと冬は現在に比べれば相当に寒い環境でした。

現在のようにエアコンや石油ストーブなどが普及しなかった昭和30年代以前は江戸時代も昭和時代も余り変わりはありませんでした。
都市部では、火鉢と炬燵(行火)がごく普通の暖房設備でした。
火鉢や炬燵のある部屋に家族全員が集まって寒さをしのぐというのがごく普通の習慣でした。
部屋ごとに部屋全体を暖房するというのは、高度成長期以降の習慣です。

炬燵や行火が使われるようになったのは室町時代以降とされています。
火鉢は奈良時代から使われていました。
火鉢に使われる木炭は縄文時代からありました。
つまり、奈良時代から昭和30年代までの都市部の暖房というのは、主役は火鉢でした。
信長が秀吉の才能を注視するようになった切っ掛けは、城中で使われる炭を大幅に節減したことだったと言われています。
江戸時代の江戸の街の様子を描いた江戸名所図絵という書籍がありますが。
その中に、部屋の障子を全て開け放って、皆で庭に積もった雪を眺めている絵があります。
部屋の真ん中に火鉢が一つ置いてあるだけです。
江戸時代は現在よりも寒冷で、江戸でもよく雪が積もりました。(小氷河期と言われています)
あちらこちらで雪見という行事をやっていました。

台所などの炊事場には七論と呼ばれる煮炊き用の移動式の炉があって夏でも火が入っていました。
湯沸かし器がありませんでしたから、常時お茶用などのお湯を沸かしていました。
この移動式というか携帯形の炉は平安時代から置き炉と呼ばれて使われていました。
日中は必ず火が入っていましたので、暖房の役目も結果的には担っていました。

農漁村地帯では囲炉裏が唯一最大の暖房設備でした。
囲炉裏の周りに集まって寒さをしのいでいました。
現在、村興しなどで古民家を使って囲炉裏端での食事を提供していますので、機会があれば訪ねてみて下さい。

明治以降ストーブが普及した後はストーブが囲炉裏の代わりをしていました。
学校も教室にストーブが一つ置いてあるでけでした。
入学試験の際には不公平になるということで、ストーブは消してありました。
つまり暖房のない教室で試験を受けていました。
もしお祖父さんやお祖母さんがおられれば聞いてみて下さい。

明治になるまではウールという動物質の繊維製品がありませんでしたから、着物は木綿が主体でした。
木綿の入手が難しかった関東以北の地では麻が主体でした。
セーターという衣料品は明治以降に着られるようになった衣料品です。
木綿も麻も現在の衣料品に比べれば保温性が劣ります。

江戸時代には、着物は夏は一重と言って浴衣のような感じの着物でしたが秋になるとあわせといって、夏の着物に裏を付けて二重にしました。
和服というのは、糸を抜いてばらばらにして洗い、また縫い直すというやり方をします。
この為に季節ごとに一枚にしたり重ねたりということを繰り返して着ていました。
冬になると、この重ねた表裏の間に綿を入れた綿入れという状態にして着ていました。
この綿入れの綿の量を増やした掻巻(かいまき)、あるいは褞袍(どてら)というものを作って掛布団代わりにしていました。丹前とも呼ばれました。
掛布団が無かったのではなく、チャントその代わりの役目を果たすものがありました。

質問者さんが、江戸時代どころか、昭和20年代の家へ行けば、おそらく寒さに文字通り震え上がるでしょう。
簡単に言えば昔の人は寒さには強かったということです。

あとは、生活習慣が違いますので、一人で部屋にこもってゲームで過ごすなどということはありませんでした。
常に火のある部屋へ家族が集まって過ごしていました。

それと、人間はある程度寒さには慣れます。
これは外国人観光客の方にも見受けられます。
南欧以外のヨーロッパから来られた方やアメリカから来られた方は日本人よりもはるかに薄着です。
永平寺などで修業をされている僧侶も特に暖房もなく一冬過ごします。
寒稽古で頑張って下さい。寒さには直ぐに順応します。

戦国時代の武士の野宿ですが、当然焚火をして寒さを凌ぎました。
移動の際には、蓑と呼ばれる稲わらを重ねた外套を着用していました。
雪のある時期はお互いに足場も悪く体の動きも鈍りますので、余り積極的には戦はしていませんでした。
この当時の常識を破ったのが佐々成政のさらさら越えです。
命懸けで冬の立山を越えています。
常識外の行動でしたので、現在まで伝えられています。

人間の体というのは血液が循環していますから、手足を温めるだけでも寒さは凌げます。
焚火が効果があるのはこのためです。
湯たんぽもこの原理を応用したものです。
寒いなと思ったら手をお湯に10分ほど浸けてみて下さい、全身が温かくなってきます。
最近温泉地で足湯というのが流行っていますが、これも相当暖かくなります。

江戸時代と農民と戦場の武士とは、時代も条件も違いますので、バラバラの回答になります
江戸時代に冬季に武士が野宿するような戦闘は行われませんでした。(念のため)

日本家屋というのは「住いは夏をもって旨とすべし」と言われていたように密閉度の低い風通しの良い構造になっていました。
部屋の仕切りも襖か障子でした。
逆に言いますと冬は現在に比べれば相当に寒い環境でした。

現在のようにエアコンや石油ストーブなどが普及しなかった昭和30年代以前は江戸時代も昭和時代も余り変わりはありませんで...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q昔の日本人の冬の服装

昔の日本人は冬にどんな服装していたのですか?
化繊なんて最近できたものですよね?
一体何を着て体を暖めていたんですか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

「家の作りやうは 夏をむねとすべし 冬はいかなる所にも住まる」
兼好法師の「徒然草」の有名な一節。

現代では、冷暖房機や扇風機などがあり、温度調整ができるようになりましたが、昔は、暑さから逃れるすべはなく、せいぜい団扇や扇子で風を取り込む以外に方法はありませんでした。

さて、本題の
>>昔の日本人の冬の服装

とにかく「厚着」をしました。
薄い木綿の着物から順番に重ね着をしていって、最後は、綿入れの「かいまき」まで着込んで寒さをしのぎました。
足袋は、一般庶民では、やや高価のために、冠婚葬祭用として用いられる程度で、普段は「はだし」でした。

また、火鉢やこたつがありました。
火鉢にも箱型あり、丸火鉢ありで、安いのは陶器製の丸火鉢でした。しかし、火鉢は手先しか温まらず、こたつを使用する者も多かった。だが、現代のようにこたつ板の工夫がなかったので、こたつの上には物が置けない。そこへいくと、箱型火鉢は、湯茶などの道具類が置けたので、人気もあった。

囲炉裏は、江戸市中では「御法度」でした。火を炊くことは、火災の原因にもなり、一度火事が起きると広範囲に燃えたためです。
それでも、河岸の料亭などでは許可をされていましたが、火を燃やすことはせず、せいぜい「炭」を置く程度でした。
炭も近隣の農家から買いましたが、非常に高かった。

絵をアップロードしてみます。
ここでは、囲炉裏がありますが、炭を置いています。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

「家の作りやうは 夏をむねとすべし 冬はいかなる所にも住まる」
兼好法師の「徒然草」の有名な一節。

現代では、冷暖房機や扇風機などがあり、温度調整ができるようになりましたが、昔は、暑さから逃れるすべはなく、せいぜい団扇や扇子で風を取り込む以外に方法はありませんでした。

さて、本題の
>>昔の日本人の冬の服装

とにかく「厚着」をしました。
薄い木綿の着物から順番に重ね着をしていって、最後は、綿入れの「かいまき」まで着込んで寒さをしのぎ...続きを読む

Q昔の防寒対策

私は普段、老人介護職に携わるものなのですが・・・
この時期のお決まりの挨拶「寒いですね~」と言うような話をしていたら、
昔の方が寒かったと言われた方がいました。
(まぁ地球温暖化とか、問題になっていますけど(._.))

そんなとき、ふと思うのですが、昔の方はどうやって防寒対策してたのでしょう?
もちろん職場のお年寄りにも聞きました。
出てきたのは「火鉢」と「ホリゴタツ」と「囲炉裏」ですね。

もし他にも御存知の方、もっと詳しいこと御存知の方があれば、
どんなことでもよろしいので、教えて下さい。
それと昔は風邪をひいた時(熱が出た時)、どうしてたのかというのも知りたいです。
なぜならお年寄りとのコミュニケーションの参考にしたいので。

Aベストアンサー

これは、私の祖母の家の話ですが、冬泊まりに行ったら
いつも練炭アンカを作ってくれました。
火を付けた豆炭を入れられる、石綿(?)が中に敷き詰められた
金属のお弁当箱みたいなものです。(枕サイズ)
それをネルのさわり心地のいい布地でつくった巾着に入れてお布団の足元に入れます。

暖房にも、練炭ストープ、練炭火鉢を使ってました。
一酸化炭素がでますから、最近の密閉性のいい家ではつかえませんね。
でも、安くて臭いもしないし、かなりの熱量がありますし(原料は石炭です)
大好きでした。
黒い練炭が熱い鉄のように赤く焼けているのを見るのは子供心にとても楽しかったです
(私にとっては珍しいし)

ここ数年でやっと(?)灯油ストーブになりました。ちょっと残念です。
昔々は練炭七厘(しちりん)とかあって、それで煮炊きもしたようです。
いまどきのおばあちゃんなら、現役で使ってた世代だと思います。

ちなみに北朝鮮ではまだバリバリ現役らしいです。韓国ではガス・灯油に代わったらしいですが。
練炭の事は韓国では「ヨンタン」と言うらしいです。かわい~♪

ばあちゃん90にして、まだ頭はっきりすっきりです。
今のうちに扱い方ならっとくかなぁ・・・。

参考URL:http://home3.highway.ne.jp/hasu/anka.htm

これは、私の祖母の家の話ですが、冬泊まりに行ったら
いつも練炭アンカを作ってくれました。
火を付けた豆炭を入れられる、石綿(?)が中に敷き詰められた
金属のお弁当箱みたいなものです。(枕サイズ)
それをネルのさわり心地のいい布地でつくった巾着に入れてお布団の足元に入れます。

暖房にも、練炭ストープ、練炭火鉢を使ってました。
一酸化炭素がでますから、最近の密閉性のいい家ではつかえませんね。
でも、安くて臭いもしないし、かなりの熱量がありますし(原料は石炭です)
大好きでし...続きを読む

Q日本の家が寒いのはなぜ?

現在外気温マイナス20度の北米の町に住んでおります。
素朴な疑問があるのですが、こちらでは外気温が氷点下であろうと建物の中に入れば暖房をつけていなくてもそれほど寒さを感じません。
日本(関西)に住んでいた頃は室内気温と室外気温の差がそれほどなく、室内でも冬は凍えるほど寒かったのはなぜだろう?と疑問です。
日本の一軒家は特に冷えますよね。日本の建物はあまり断熱材が使用されていないのでしょうか?
湿気が多いから断熱材をあまり使用できないとか理由があるのでしょうか?

どなたかご存知の方いらっしゃいましたらコメントをお願いいたします。

Aベストアンサー

寒冷地とそうでない地域では、使う建材の断熱性能が異なります。JIS規格では、日本の地域を5等級に区分けし、使用する製品の断熱性能を推奨しています。たとえばカナダ中部あたりと同様気温と思われる北海道は、I、II(ローマ数字で1、2)地域となります。

で、断熱性能のおかげで、寒い地域ほど、室温が外気に影響されにくく、少ない暖房で効率的に屋内全体を暖めることができるのです。
関西あたりだと、区分けでは東京や九州北部と同じとなりますので、そこまで断熱性が高くなっていません。
最近でこそ、高断熱住宅が流行り、そのかわり24時間強制換気などが法的義務での設置となっています。で、それ以前は、寒冷地以外では屋内ごとではなく、拠点となる部屋のみを暖めると言う概念しかなかったので、そこ以外は気温が低めということになるのです。

なお、体感気温には、確かに湿度も影響します。しかし、それと、使用できる断熱材の種類の制限は、存じません。

Q昔の人はどれくらい臭かったのでしょうか

昔の人はどれくらい臭かったのでしょうか?
臭いに対する感覚が現代の日本人とどれくらい違うのか気になります

Aベストアンサー

宮本武蔵は生涯で産湯以外、一度も風呂に入らなかったので、100m先から匂いで分かったそうです。

風呂に入って清潔にしていたのは、上流階級の人だけで、一般庶民も良く風呂に入るようになったのは、江戸時代からでしょう。

なお、昔の西欧人が風呂に入らなかったのは、不潔が気にならなかったからではなく、風呂に入ると病気になりやすいと信じられていたからです。

Q土日眠りっぱなし、これは病気なんでしょうか?

 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。
 まず、朝、起きることができません。昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。例えば、友達と約束をしていても外出することができません。着替えたり、髪型を整えるのが“大きなハードル”となり、『もう10分ゴロゴロしたら着替えよう。休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。
 つまり、土日はまるまる2日、ほとんど寝ているんです。熱はないし、食欲がない、いくらでも眠れる・・・という感じで、とにかく衰弱してるんです。今日も20時間ほど、トイレもいかずに寝ていました。
 月曜日になると、朝6時に起きて、始業時刻の1時間前には出勤し、12時間以上働いて帰宅します。平日はこの調子で金曜まで元気いっぱいです。でも、この土日になると、とたんに無気力になり何にもできないんです。この症状は、ここ数ヶ月続いており、夜に“見舞い”に来る友達は“1人暮らしゆえの甘え”だと言い呆れています。
 世間には、私のような人はいらっしゃらないでしょうか?ほんとに怖いくらい無気力になってしまうんですが、これって、病気ではないでしょうか?

 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。
 まず、朝、起きることができません。昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。例えば、友達と約束をしていても外出することができません。着替えたり、髪型を整えるのが“大きなハードル”となり、『もう10分ゴロゴロしたら着替えよう。休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。
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Aベストアンサー

私は病気でした。
同じように月曜から金曜までは仕事に行くのですが
土日は寝たきりでした。
結局、うつ病による過眠とわかりました。
当時は精神的落ち込みなど感じませんでしたが。
一度、受診なさることをお勧めします。お大事に。

Q昔の人は、散髪や爪切りはどうしていたのでしょうか。

日本と外国で、それぞれ答えて頂ければありがたいです。

文化的な道具がないと、散髪も爪切りも大変だったと思います。

現在の鋏のような器具があったのでしょうか。それとも、石とか竹などの他の道具をつかっていたのでしょうか。

教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>昔の人は、散髪や爪切りはどうしていたのでしょうか。

Wikipedia(NO2の方のサイト)にもあるように、
外国では、
紀元前1000年ごろの古代ギリシアのものとされるはさみが発見されており、古代から使われていたと考えられている。
と、ありますね。

日本では、
6世紀に中国を通して伝わったと考えられており、この時代の古墳からの出土例もある。量産されるようになったのは江戸時代からといわれる。
と、あります。

散髪について、
「はさみ」も昔は「量産」されておらず、大変「貴重品」でした。そこで、江戸時代頃までは、女性は、極端に言うと一生髪を切りませんでした。お市の方の肖像画のように、髪をたらしていました。
しかし、江戸時代頃からは、「はさみ」も量産されるようになり、女性も多少は「はさみ」で髪形を整えました。

また、男性は、月代(さかやき)を剃るのには、武士は「毛抜き」や「短刀」などで整えました。庶民はもっぱら「毛抜き」でした。「毛抜き」はちょっと痛そう・・・でしたが、我慢したのでしょうね。
なお、「かみそり」で月代を整えたのは、一説には織田信長が最初とも言われています。

そうした時代以前は「露頭(ろとう)」と呼ばれる「石器?」も使われたようです。
「路頭に迷う」とは漢字が違いますので、お間違えのないように・・・。

「かみそり」は神聖な物という考え方があり、お坊さんでは、かなり早くから使用していたようです。
ただし、現代の「かみそり」もそうですが、最初の切れ味は良いのですが、だんだんと切れ味の悪くなり、「研ぐ」という技術もありましたが、鍛冶屋などは、そんな小さな物は相手にしなかったため、無理やり「こそげる」ようにして剃髪していました。「痛そう」・・・。

また、仏門に入る時にも髪を切ったり、剃ったりしますが、この儀式はお坊さんが行いましたので、「かみそり」を使用しました。

爪切りについて、
「はさみ」も使用されましたが、江戸時代中期までは「はさみ」は高級品であったため、武士やその家族は主に「短刀」で切りました。
庶民は小型の「ノミ」で切っていました。
今でも中国で露天商に「爪切り」の商売がありますが、やはり、「ノミ」でこそげるやり方をしている、とも聞きました。

ことわざに、
「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」
と言いますが、
あれは「夜の、行灯(あんどん)などの明かりしかない暗い中で小刀で爪を削っていると、思わぬ怪我をして(細菌が入り)、親より先に死んでしまうので、親の死に目には会えない」と言われたようです。

大正時代頃からは「ニッパ」が登場したようです。
http://www.suwada.co.jp/aboutus/tsumekiri-history.html

現代のような「折りたたみ式」は、昭和の発明品です。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>昔の人は、散髪や爪切りはどうしていたのでしょうか。

Wikipedia(NO2の方のサイト)にもあるように、
外国では、
紀元前1000年ごろの古代ギリシアのものとされるはさみが発見されており、古代から使われていたと考えられている。
と、ありますね。

日本では、
6世紀に中国を通して伝わったと考えられており、この時代の古墳からの出土例もある。量産されるようになったのは江戸時代からといわれる。
と、あります。

散髪について、
「はさ...続きを読む

Q夜着に使っていた白い着物の名称

時代劇の大奥のシーンなどで、夜寝る時に着ている白い着物は、着物なのでしょうか、長襦袢なのでしょうか、それとも夜着とした全く別ものなのでしょうか?
以前から気に入っていたのですが、その着物の名称も分からず、調べようも無いまま今まで来てしまいました。
知っている方がいらしたら、是非教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>時代劇の大奥のシーンなどで、夜寝る時に着ている白い着物は、着物なのでしょうか、長襦袢なのでしょうか、それとも夜着とした全く別ものなのでしょうか?

普通に「寝巻き」で良いのですよ。
また、「寝衣(しんい)」とも呼びます。

なお、良く菱形のような白い透けた柄がありますが、
「工事繋ぎ(こうじつなぎ)」や「紗綾形(さやがた)」多く用いられました。

紗綾形:
http://haruusagi.gozaru.jp/NewFiles/photoshop-pattern.html


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