出産前後の痔にはご注意!

中世では戦が繰り返されてましたけど、ひとたび戦が始まると、どのぐらいの武士(兵隊)が死んでしまったのですか?

僕は歴史に全然詳しくないので素朴な疑問を感じてたんですけど、戦のたびごとに殺しあいをして兵隊が次々に死んでいったら、どんどん男子が減っていってしまいませんか?

今の少子高齢化なんかまるで比較にならないくらいのペースで人口が減っていって、国が成り立たなくなってしまわないのですか?

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A 回答 (8件)

するどいご指摘でね、映画やドラマなんかじゃ戦闘の後に戦場では死者が累々と横たわっている描写がよくありますが、私は正直疑問を持っています。



ただ、記録には「○○軍は3万人で凸凹の戦いをして敗北した。死者は2万人になった」なんて残っているのですが、これは少々割り引く必要があります。なぜなら、そういう数字って「大本営発表」だからです。
三国志で有名な赤壁の戦いでは曹操軍は100万人の大軍を動員したといわれていますが、実際に動員した数は諸説あるのですが3万人くらいではなかったかといわれています。それでも当時の常識から考えるとものすごい大軍なんですけどね。一方の孫権軍は実数は多くても3000程度ではなかったといわれているので、「曹操軍が圧倒的多数だった」のは間違いありません。

問題は、致死率なんです。医療レベルが低くて衛生状態がよくなかった昔は負傷してからの致死率が極めて高かったのです。例えば矢が当たってケガをしたとして、そのケガ自体はたいしたものではなくても破傷風になって死んじゃう可能性は結構あったのです。だから、ちょっとしたケガだって危険なんですね。
おっしゃるとおりで、どんどん戦闘していったらどんどん男たちが死んでしまうはずです。だから、実際はいわれているほど死傷者はでなかったのではないかと思います。
特に三国志みたいな銃がない時代の戦いでは、歩兵のほとんどは烏合の衆。「勇猛な武将に率いられているから戦う」のであって、もしその武将が打ち取られてしまえば「こりゃもう逃げたほうがいい」となります。だけど武将は最前線で「俺についてこい!」ってやらないと歩兵たちはついてこないですから、彼らは体を張るのが商売なわけです。今でいうとアスリートだったんですね、武将というのは。

そう、おそらくですが(なにしろ見たことがないので想像するしかありません)案外に昔の戦闘というのはスポーツの試合に近いものではなかったかなと思います。
中世イタリアは傭兵による戦争というのが主流だったのですが、これがなかなか面白いです。
まず、傭兵というのは隊長に率いられているのです。傭兵隊長というのは人足の親分みたいな存在だったわけです。で、ある町に雇われるのですが、このとき人数を「水増し申告」します。本当は5000人しかいないのに8000人とかいうわけです。いちいち数えるのも面倒だからまあそれで受け入れるわけです。
で、戦場に行くと相手も金で雇われた傭兵部隊です。そういう意味では同業同士ですから、朝から夕方までわあわあと槍を合わせるのですが、お互い本気ではやらない。一日中やって死んじゃうのは1人とか2人とかそんな程度です。終わったらエールを交換し、時に隊長同士が握手したというのですから、もうスポーツの試合ですな。んで、雇われた町に帰ってきたら「水増し申告」がモノをいうのです。「8000人の兵士が5000人になったので、3000人分の死亡手当をください」とやるわけです。
こんな馴れ合い(というかもうほとんど談合)をやっていたので、フランスから騎士による軍隊が来てしまうともう戦争にならないほど傭兵なんてすぐ逃げちゃう。だって、死んだら意味ないでしょ。「生きるために傭兵」やってんだから。だからマキャベリとかチェザーレ・ボルジアなんかは「傭兵はダメ。国民軍隊を作らないと」といってたのです。

現代でも、アフガンゲリラ同士の戦闘の動画なんかがたまにユーチューブに出ていますが、あれを見ますとみんな「アッラー・アクバル」とかいいながらてんでばらばらに撃ってるもんですから、日本でやってるサバイバルゲームとあまり雰囲気が変わりません。サバイバルゲームだと命は失わないからみんな死ぬ(弾が当たる)まで戦うけど、もし本当に命を失うならやられる前に逃げてしまいますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。真相は案外そんなものかなとも思いました。

お礼日時:2012/11/23 15:29

蛇足



マーヴィン・ハリスは「人類学者」だったので、基本的な研究フィールドは近代社会ではなかったように記憶しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E% …
最近で、近代社会までフィールドにしているのはトッドさん

家族パターンによる社会の違いなどを指摘しているようです。
その家族パターンの原因には、土地の生産性とかがある・・・と書いてあったように記憶しているが、それは初期の本での勇み足だったかなぁ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。

お礼日時:2012/11/25 07:09

中世って長いのでね



まぁ、日本の地域紛争では、いわゆる武家同士の衝突では、一割も戦死者が出れば、かなりの死亡率
地域の村同士の利害紛争で起こる紛争なら、4割の戦死者もあったらしい

まぁ、死んだと思ったけど、”ただ逃げてただけ”という事例も相応にあるそうだが・・・



南半球のマオリ族の紛争では、死亡率7割があるそうだが、それが最高だと思う

ニューギニア地域のカニバリズム民族であれば、少し前までは、紛争相手を食べることもあったらしい


>今の少子高齢化なんかまるで比較にならないくらいのペースで人口が減っていって、国が成り立たなくなってしまわないのですか?

現実に人類の人口減少の最大要素は、伝染病ね
ペスト・コレラとか
戦争による人口調整なんか妄想の類だからね
野郎よりも、人口部分では女性の方が重要だし・・・

中国は一人っこ政策で若年層の女性が少ない・・以下略

国家が人口要素で成立しない事例は、歴史的にはあまりない。桜蘭のように人間が移動するだけの話もあるように
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。具体的な死亡率が示されていて分かりやすかったです。

お礼日時:2012/11/25 07:08

文化唯物論―マテリアルから世界を読む新たな方法


マーヴィン ハリス
この本に出ている例「女の子いじめ」

ネイティブアメリカンのある部族では、徹底的に女の子を虐待するそうです。で、男の子は甘やかされて、戦士として、バタバタ死んでいく。
農業生産性が限界に来ている社会では、子供を生む女子を減らさない限り人口が増えて仕方がない。これが上記の部族の文化を作ったのだと説明しております。

また、農業生産が主体の時代では、人口比率で5%程度の軍隊しかもてません。男女比を1:1として、男子の比率で考えると 男子の 10% が最大出兵比率。出兵した兵士が全員死んでも、男子は90%残っており、人口の再生産に関しては、長期的には何ら問題ありません。(※ 平均年齢40歳とか50歳の時代というのは、言い方を変えると、死ぬまで男子は生殖可能ということでもありますから)

他の方も指摘しておりますが、兵士だけ選択的に死ぬ戦争よりも、飢饉や疫病など男女や年齢そして職業に関係なく幅広く死者が出るケースのほうが人口の再生産にとっては深刻な問題です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。アメリカ部族のお話は参考になりました。ところで質問の趣旨からは逸れますが、今の日本のように生産性が高くしかも少子化が進行している社会では、女性が優遇される傾向が強いという点で上記部族とちょうど逆の現象がおきているのかなと思いました。

お礼日時:2012/11/24 07:54

外国は知りませんが、信長が兵農分離をするまでは、大名に付随する兵士はそれぞれの家臣の封土の土着農民が兵士になったものであり、そのため兵士の数が少なく、戦争も小規模数百人程度のものでした。


また、兵士を雇うわけではないため、ある程度の被害がでれば、武将達は自らの判断で撤退します。でないと、その先兵士を補充できませんし、次の戦ができなくなるからです。そういう意味では数%も戦死すれば被害甚大なのではないでしょうか?
その後、兵農分離が達成されると、武将は金で兵士を雇うことと成ります。兵士はもともと農民の次男三男でその日の生活もままならない人が多く、飯さえ食えればということで武将にくっついてきます。
そのため敗北すると恩賞がない、飯が食えないということで兵士達は逃亡します。
その結果、戦いの総数は数十万となっても、雇われ兵士のため、敗北すると兵士は逃亡し、中には敗北した武将達から、武具を巻き上げ金に換えます。落ち武者狩りと呼ばれるものです。
また、兵士達も傷ついたら、敵の首をもっていたら、即座に武将の元に行き、首を報告し、そのまま離脱するのではないでしょうか?
敵の首もなければ、上記のような落ち武者狩りを行うといった風ですね
結果敗戦しても、死者はそんなに出るとは思いません。戦場から離脱するだけではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。かなりリアルな解説で参考になりました。

お礼日時:2012/11/23 20:57

戦死の激しいの激しい例を見るなら、川中島あたりを見ればわかると思います。


霧の中での偶然の遭遇戦ですが、双方なのある武将まで多く戦死してる珍しい例です。

戦国時代は100年以上続きましたが、大大名同士が双方存亡をかけて大戦なんて時代は終盤の30年くらい、それまでの戦国時代の戦の大半は国境線より少し侵入して相手の田や畑を勝手に刈り取って略奪して帰るとか、人狩して奴隷にして売るとか程度のものです。相手の武士や領民を根絶やしにしようといった目的のある戦死の激しい戦は少なかったんですよ。
領地を丸ごと攻略する戦でも、籠城する相手の城を囲んで降伏させて城主が切腹して、あとはその城に居た武士のほとんどは新しい領主の傘下に入るというのが大抵です。死ぬまで戦うといった戦は戦国時代終盤まであまり多くありません。

それでこの時代の人口ですが、もちろん減少したと思われますが、統一政権の事実上の消滅、多くの支配者が乱立する複雑な支配構造となると、どうにも戸籍がきちんと取られるわけではありませんので、はっきりした人口は分かりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。

お礼日時:2012/11/23 15:23

逆ですよ、戦などである程度人口が減っていかないと成り立たない


現在と違って農業生産力が低いので食料が足りていきませんからね
近世でもアイルランドはジャガイモの不作で200万人餓死してます

身分の低い層ほど婚期は早い>油が高いので夜は早く寝る>子沢山
>不作発生>年貢が少ない>資産減少・生産力減退>戦争、ですよ

戦で死ぬのは雇われ兵の農民です、武士や貴族はなかなか死にません
古代中国では大戦が起こると50万~100万の戦死者が出ていた
中世ヨーロッパは国家間じゃなく貴族の領地争いのほうが多かった
数人~100人までくらいしか死ななかった、ってのが多い
日本も似たようなもんです、大名クラスの争いでなければ人死なない
そりゃ例外的な大戦はあったけどもね、数万人死ぬような・・・
けど古代と違ってある程度の分割統治が定着していたのですから
小競り合いがメインだったと考えるのが一般的と思いますよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。かなり納得できる部分もありました。

お礼日時:2012/11/23 15:21

ヨーロッパでは、宗教戦争や、完全な異人種(モンゴル)でなければ


フランス革命でナポレオンが国民戦争を開始するまで、
戦争は、王侯が傭兵団に支援してもらい、行うもので
達人同士のプロレス同様、最前線の突撃要員に当たらなければ、
死ぬ恐れは、少なかった。双方、戦力の移動集結を繰り返し、
交戦前に状況を見て劣勢側が降服申し入れ終戦という
子とも、多かった。戦闘より、兵士の略奪や伝染病の伝搬
の方、被害大きいことも。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。

お礼日時:2012/11/23 15:19

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Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む

Q合戦で戦った兵士は、ほぼ100%死ぬのでは?

戦国時代の合戦についてお聞きします。


戦国時代の合戦で、敵を何人打ち取った猛者がいたとか、メチャクチャ強かった兵士がいたとかいう話を本で読んだりします。(可児才蔵とか)
しかしその度に思うんですが、それだけ強かったのもスゴイなーと思うけど、それよりも、よく生き残れたなーと思います。
強かった兵に限らず、生き残れた兵はスゴイなーと思います。


槍ふすまとかで団体でまとまってオリャー!とかならまだ分かるけど、肉弾戦で、もちくちゃになりながら戦った兵士は絶対死んでしまうんじゃないだろうかと思います。どんなに強い奴でも、数の前には意味がないだろうし。


生き残れた足軽や雑兵等の身分が低い兵士は、どうやって生き残れたんでしょうか?
やはり身分が低くて、もみくちゃになりながら戦うしかなかった兵士は、合戦に行くという事はほとんど死ににいく様なものだったんでしょうか?

Aベストアンサー

兵の目的は、敵方の全滅ではなく、敵将の首を取ることです。
なので標的は有名武将の命なので一般兵を殺しても一銭の特にもなりません。
敵将前に立ち塞がる邪魔な一般兵は、邪魔をさせないように戦闘不能(逃亡・気絶・負傷など)にすればよいだけです。
なにも殺さなくても怪我人や逃亡者で戦闘参加者が減れば守る人がいなくなり敵将までたどり着きやすいですから。
切られて負傷し動けない無名の兵隊を誰も命は狙わないし、一般兵などトドメを刺されることはないのです。
もちろん、刺された箇所が急所だったり傷の悪化で結果的に死ぬことはありますがね。
圧倒的に死亡率が高いのは一般的な兵士ではなく侍大将以上の武士ですよ。
まぁ家康が討死寸前になったために部下が続々楯となった三方が原の戦いや、殺傷率が高い鉄砲が大量使用された長篠の戦いなど、まれに多くの兵が死んだ戦もありますが、一般的には下級兵の死亡率は低いです(負傷率は高いが)。               
近代の戦争は殺傷率の高い鉄砲や大砲に加え、毒ガスや核兵器など大量殺戮兵器が戦争で使用されてるため、下級兵士でも戦場で生き残る方が難しくなりましたが、昔の戦は、無駄な殺生はしなかったんですよ。
 

兵の目的は、敵方の全滅ではなく、敵将の首を取ることです。
なので標的は有名武将の命なので一般兵を殺しても一銭の特にもなりません。
敵将前に立ち塞がる邪魔な一般兵は、邪魔をさせないように戦闘不能(逃亡・気絶・負傷など)にすればよいだけです。
なにも殺さなくても怪我人や逃亡者で戦闘参加者が減れば守る人がいなくなり敵将までたどり着きやすいですから。
切られて負傷し動けない無名の兵隊を誰も命は狙わないし、一般兵などトドメを刺されることはないのです。
もちろん、刺された箇所が急所だったり...続きを読む

Q戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ

戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ広いようなところで敵味方混ざりながら戦っていたんですか?
戦国時代がかかれた映画とかゲームとか見るとそんな感じでかかれていますが

Aベストアンサー

何とも言えませんが・・・そうですね、自然に考えれば戦闘の際は現在の科学戦法と違い、真っ向勝負が基本だった事が「何々合戦図屏風」なんかを見れば、分かります。敵味方入り乱れて背中に自分の軍である幟を背負い目印にし、ワーワーやっていたんだろうという事は想像に難くありません。大声を上げるのは「自分を鼓舞」するのと「相手を威圧」する効果があるので、「おりゃ~」「きさま~」「死ね~」「お前らの負けじゃ~」とか言いながら戦闘してたんでは無いですかねぇ。それが入り混じれば、ワーワーとしか聴こえないので、12noname34さんが疑問に思っている事は正しいと思いますよ。

Q世界の弓の威力について

歴史上の戦闘でもっとも威力があって射程距離が長かった弓はどこの国の何時代の弓ですか?それと比べて日本の弓の優劣はどのようですか?またそういったことを扱ってる本とかURLをご存知の方がいらしたら教えて下さい。

Aベストアンサー

当方弓道をやっておりますので、知る範囲でお答えします。
威力と射程は矢により変化(一般的に矢重に比例する威力と、矢重に反比例する射程はトレードオフの関係)するので、弓自体の性能についてお話しします。

 一般論になりますが、弓は当然ながら”強い弓”をより引き尺をとって使えば威力・射程とも上がります。
しかし引き絞った時に強いからといって弓にパワーがあるというわけではありません。
 正確には、「引き絞っていく途中の加重の積分値」が弓のエネルギーになります。
(平たく言えば、弓の引き尺に対しての加重をプロットしたグラフの、その曲線の下の部分の面積)
 木製・合板の弓や単純な湾曲の弓ではこの引き尺と加重がほぼ比例します。(和弓もだいたい比例します)
 しかし、強靭な材料を使い、湾曲を複雑にすれば、この曲線を上に膨らますことができるので、前者の弓と引き絞ったときに同じ加重でも(つまり、同じ筋力の射手でも)、より威力のある矢を飛ばせます。
 
この後者の条件に当てはまるのが、騎馬民族系の大きく湾曲した弓で、トルコ弓などとも呼ばれます。
(ちなみにコンパウンドボウという現代の弓は非常に高効率、正確なことで知られていますが、この弓をヒントに作られました。)

 そのため形状で言えば単純湾曲弓より、上記のような特徴を持つ湾曲弓のほうが高性能でしょう。実際、トルコ弓の最大飛距離は実用の矢で400m、遠矢用で約600mだそうです。
材質は、木だけのものは、折れるのを防ぐため引き尺が取れず(ロングボウは折らずに引き尺をとるために長いのです)しなりが少ないため不利で、木竹をあわせた合板弓(和弓はこれ)や、さらにはより強靭な角・腱・革を使ったもののほうが高性能でしょう。

結論として、ご質問のものは時代はわかりませんが、騎馬遊牧民族系の弓だと思います。

和弓では、長い距離を飛ばす競技で最高400mという記録がありますが、これは専用の軽い矢を使った記録なので、征矢では最大でも200m位だと思います。
因みに和弓は、番える位置が中心より下寄りになっているため矢は先端をやや上げて飛行し、遠くに飛びやすくなっています。

有効射程となると一口で言うのは難しいですが、
~2,30m だいたい急所を狙える
~40m だいたい人を狙える
~7,80m だいたい騎馬を狙える
くらいだと思います。
威力ですが、フライパンぐらいなら結構簡単に射抜けますし、
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/kyuba.html
かつて明珍の鉄兜を串刺しに射抜いた人もいます。

書籍ですが、確か歴史群像シリーズの『北条時宗』で蒙古弓と和弓の比較をしていたと思います。
あとは検索で見つけましたが
http://www.coatl-head.com/arc.html
の『武器の歴史(Weapons)』(マール社)が詳しそうです。
キャッシュでしか見られませんが
http://72.14.203.104/search?q=cache:gEp-EUHAqMkJ:
www.if-n.ne.jp/member2/netdh/Item/mktext.pl
%3Fcorpus%3D0%26id%3DOTAwNjU
も詳しいです。

当方弓道をやっておりますので、知る範囲でお答えします。
威力と射程は矢により変化(一般的に矢重に比例する威力と、矢重に反比例する射程はトレードオフの関係)するので、弓自体の性能についてお話しします。

 一般論になりますが、弓は当然ながら”強い弓”をより引き尺をとって使えば威力・射程とも上がります。
しかし引き絞った時に強いからといって弓にパワーがあるというわけではありません。
 正確には、「引き絞っていく途中の加重の積分値」が弓のエネルギーになります。
(平たく言えば、弓...続きを読む

Q貴族や騎士・兵士は何人ぐらいが妥当でしょうか?

貴族や騎士・兵士は一国あたり何人ぐらいが妥当でしょうか?

異世界ファンタジーの世界設定をしているのですが、行き詰っています。
一国あたりの貴族の人数、またはそれに伴った領地の数がよくわからないからです。
モデルとなる時代は14~15世紀ごろです。銃やプレートメイルが普及し始めたぐらいで、船は帆船が主流という設定です。
色々調べてはみたのですが、例えば公爵が何人で伯爵が何人などの具体的な数を探しあてられなかったので、知識人の力をお貸しいただけたらと考えた次第です。
下記の条件で、本当におおまかな数(“少なくとも○人は居て、○人以上だと多い”程度)で良いので妥当な数をお考え頂けないでしょうか。
ちなみに騎士はほぼ騎兵で、歩兵は傭兵を雇うのが一般的ということでお願いします。
■A国
絶対王政
国土面積:約2100万平方キロメートル(現在のロシアと中国の間くらいです)
人口:約5000万人
爵位:公爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵、準男爵、士爵
10以上の国を併呑し、統一して誕生した大国。
貴族は文官と武官に別れ、文官は領地を持たず武官は領地を持っている。
士爵は領地を持たず、武勲をうちたてた騎士に贈られる一代限りの爵位。
軍は国の軍(王の常備軍?)のみ。ただ、全員が王都にいるわけではなく、王族を守る近衛兵と、王都を守る兵、国境を守っている兵(全て騎士)に別れる。王都と国境以外の街は、領主が雇った警備兵(庶民)が常駐する。稀に警備兵から騎士に取り立てられる者がいる。戦時中のみ傭兵を雇う。
海洋貿易が盛んで、海軍がある。海軍は貿易航路と海岸沿いを守っている。
同程度の規模の敵国と国境(山と川)を接していて、現在は冷戦中。

■B国
絶対王政
国土面積:約100万平方キロメートル(現在のエジプトくらい)
人口:約255万人
爵位:公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、士爵、名誉士爵
軍事的に強い国ではない。隣国の二国(東西の国)と三国軍事同盟を結んでいる。
あまり裕福ではなく、極端に貧乏でもない。海が無い。
士爵は領地を持たず、武勲をうちたてた騎士に贈られる爵位。世襲制。名誉士爵は伯爵以上の位を持つ者が、何かしら国に貢献した者に与えられる一代限りの位。免税と、街に入る際の優先権が与えられる。
軍の形は海軍が無いこと以外はA国と同じ。
同盟のため東西の守りは薄く、南の国境を重点的に固めている。北は砂漠で、国が無い。

以上です。
そもそも上記の条件の時点で無理があるという場合は、そちらもご指摘いただけたらと思います。


それとタイトル外のことなのですが、上記の設定で色々考えた結果、全世界の人口が二億人ちょっと程度になってしまいました。
ちょっと人口が少なすぎるかなと思うのですが、いかがでしょうか……。もしわかるなら、合わせて答えていただけると嬉しいです。

貴族や騎士・兵士は一国あたり何人ぐらいが妥当でしょうか?

異世界ファンタジーの世界設定をしているのですが、行き詰っています。
一国あたりの貴族の人数、またはそれに伴った領地の数がよくわからないからです。
モデルとなる時代は14~15世紀ごろです。銃やプレートメイルが普及し始めたぐらいで、船は帆船が主流という設定です。
色々調べてはみたのですが、例えば公爵が何人で伯爵が何人などの具体的な数を探しあてられなかったので、知識人の力をお貸しいただけたらと考えた次第です。
下記の条件...続きを読む

Aベストアンサー

●回答・・・14~15世紀の頃ではなくて申し訳ないのですが・・・

○1700年頃(17世紀)のイギリスにおける貴族(公爵~男爵)の数は約180家で、準貴族にあたる准男爵が約800家、騎士爵が約600家。
そして、この頃のイギリスの人口は約900万人で軍隊の規模は約7万人でした。
ちなみに現在のイギリスにおける貴族は公爵が31家、侯爵が36家、伯爵が197家、男爵が495家となっています。
なお現在のイギリスの人口は約6000万人です。

○1700年頃の他の国の人口と軍隊の規模は、
フランス・・・人口約1900万人。軍隊は約35万人。
ロシア・・・・人口約1700万人。軍隊は約22万人。
プロイセン・人口約200万人。 軍隊は約3万9千人。
スペイン・・・人口約600万人。 軍隊は約3万人。

○なおヨーロッパの人口は1600年(16世紀)でも約1億人程度だったそうです。
ちなみにその頃のヨーロッパの人口の約四分の一は、ハプスブルク家の領地に住んでいたと推定されています。

○軍隊における兵士の数は、当然、その国のおかれた周辺の状況にもよってくるでしょう。
戦争状態にあったり、敵対国家が隣接していれば大きな軍が必要になりますし、周辺全てが友好国ならば、軍の大きさも抑え目になる場合もあるでしょう。
前述した1700年頃の人口と軍隊規模からは、人口の約0.5%~約2%程度が兵士であった事がわかります。
ただし、これも絶対というわけではなく色々なケースがあります。
特に傭兵を雇う場合、資金があればかなりの軍を維持できます。
16世紀、「北方の獅子」と呼ばれたスウェーデンのグスタフ2世王は、ドイツに進攻し軍事的成功をおさめ、15万人の軍隊を率いています。
しかし、そもそもこの頃のスウェーデンの人口は約100万人程度しかなく、15万人もの兵士のうちスウェーデン人はその約2割の3万人程度でしかなく、他は現地のドイツ人やイギリス人などの傭兵だったそうです。
ただ、傭兵を雇えばお金がかかります。
グスタフ2世王は現地ドイツの味方の貴族や都市から寄付金を募り、味方でないところの都市や、貴族からは、攻めない略奪しないと約束して、安全保障費を払わせ、軍を維持する資金を得ていたそうです。
ただし、傭兵を雇用し資金繰りに苦しみ失敗した例もあり、それがハプスブルク家です。
前述した16世紀におけるハプスブルク家の領地の人口は約2500万人ですが、この頃、ハプスブルク家の軍は、傭兵を主体に30万人を超えました。戦争も多く戦費も嵩みます。その結果、国の財政は殆ど破綻しています。

■そういうわけで、知恵を絞り、歴史に学び、工夫すれば、かなりの軍を作品内で動員する事が可能になるかと思います。
良い作品ができますようお祈りいたしております。

●回答・・・14~15世紀の頃ではなくて申し訳ないのですが・・・

○1700年頃(17世紀)のイギリスにおける貴族(公爵~男爵)の数は約180家で、準貴族にあたる准男爵が約800家、騎士爵が約600家。
そして、この頃のイギリスの人口は約900万人で軍隊の規模は約7万人でした。
ちなみに現在のイギリスにおける貴族は公爵が31家、侯爵が36家、伯爵が197家、男爵が495家となっています。
なお現在のイギリスの人口は約6000万人です。

○1700年頃の他の国の人口と軍隊の規模は、
フランス・・・人口約1900万人。軍隊...続きを読む

Q中世ヨーロッパの税について

時間場所は特定しませんので、ざっくりと答えていただけたら嬉しいです。
日本では年貢米のイメージですが、中世期のヨーロッパでは税はどうだったのでしょうか?

納める物や、納期、徴収される対象の人は?

Aベストアンサー

ざっくりということで,ざっくり回答してみます。(笑)

税には幾つかの種類が存在しますので,主な税を纏めてみます。

・人頭税
一番有名な税かもしれません。
これは,そこに住むだけで一人ひとりに課される税です。
全ての人に同じ率の税が課されるため,世界で最も平等な税とも言われています。
しかし,所得などまったく考慮されないため低所得層の負担が大きな税制でもあります(これを税の逆進性と言い,消費税値上げ論議でよく言及されます。)


・土地税
名前の通り,土地に課される税です。
今で言う固定資産税みたいなものでしょうか。
納税は,その土地で出来た作物や一定の時期における労役などがあります。


・荘園制
領主が一定の領地を支配し,その中で人々が暮らす社会制度です。
そこに住む人々は,自由民と農奴にわかれます。(農奴も法的には自由民だが実態は奴隷のようでした)
農地も自由民に貸し与えられた農民保有と,領主自身が経営する直営地とからなっていました。
納税は,現物納税と直営地での労役が課され,領主はその収入の中から国などに収めました。
また,土地は世襲されるため,結果的に農奴の移住は殆ど認められていませんでした。

・十分の一税
住民に対して,教会に収める税金です。
その名の通り,教会が収入の十分の一を教会(貧者・病人の救済,教会運営が名目)に収めさせた税です。
領主への税負担と同時に求められたため,農民からしてみれば二重負担のようなものでした。
この場合も物納が基本でした。

これ以外にも,結婚税・死亡税・粉挽き小屋使用税,輸出入にかかる税金などなど,あらゆる機会にあらゆる税が課されました。
しかし,農業生産能力が上がり庶民が裕福になると,こうした税負担に反発して反乱を起こすようになっていきます。
それが宗教改革・社会革命に繋がり,フランス革命の遠因にもなりました。


>納める物や、納期、徴収される対象の人は?

納めるものは,農作物・工業製品・労働力・貨幣などなど。
納期は,農作物が収穫できる夏~秋頃であったり,春先であったり,何かの行為(結婚,商売など)をするタイミングだったりと色々です。
徴収されるのは殆どの人がそうですが,庶民→領主A→Aを庇護下に置く有力貴族→王侯貴族という流れでしょうか。
もちろん,王侯貴族も直営地や荘園を持っており,それに加えて庇護下におく貴族からも徴収するという感じですね。


と,ざっくりと纏めるとこんな感じです。
ではでは、参考になれば幸いです。

ざっくりということで,ざっくり回答してみます。(笑)

税には幾つかの種類が存在しますので,主な税を纏めてみます。

・人頭税
一番有名な税かもしれません。
これは,そこに住むだけで一人ひとりに課される税です。
全ての人に同じ率の税が課されるため,世界で最も平等な税とも言われています。
しかし,所得などまったく考慮されないため低所得層の負担が大きな税制でもあります(これを税の逆進性と言い,消費税値上げ論議でよく言及されます。)


・土地税
名前の通り,土地に課される税です。
今で言う...続きを読む

Q第二次世界大戦の日本兵の死亡率

あの戦争で何人の日本兵が戦地に赴き、そのうち何パーセントぐらいが帰還したのでしょうか。ご存知の方、宜しくご教授ください。
(出典も教えて頂ければ幸いです〉

Aベストアンサー

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3万1358人のおよそ三分の一であった。戦死・行方不明は合わせて2万1138人、そのうち戦闘で死亡した兵士は5000人ほどと推定され、残りの1万5000人以上が飢えと病に倒れたのであった。
 
 精神論だけで勝とうとする日本軍の指導者について以下のように記載してあります。
 >またアルビン・クックス教授は、このノモンハン事件(死傷率70%)の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つの大きな点は、事件の指導者(辻正信、服部卓四郎)が責任も取らずに再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。

インパール作戦でも半数は補給作戦もなく、飢えと病で死んでいます。NHK取材班「責任なき戦場 インパール」(角川文庫)

 
 

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3...続きを読む

Q『金貨』『銀貨』ってどのくらいの価値?

よくゲームや漫画などで「金貨」や「銀貨」が出てきますが、どのくらいの価値があるものだかわかりません。
もちろん世界観、現実世界でも時代や地域によって価値は違うのでしょうが、「金貨一枚あればこのくらいのことができる」というのを教えてもらえないでしょうか?

剣一本でこのくらい、とか。
平均的な市民の○○日分の賃金に相当する、とか。

想像力の乏しい自分には、金色のコイン→500円玉という安直なイメージしか生まれません(笑)
「ホレ、報酬の金貨10枚だ」なんてセリフがあったとしても「たった5000円?」みたいにしか思えないのです。

Aベストアンサー

ファンタジー系は中世の西洋を参考にしていると思いますので…。
16世紀あたりのイギリス通貨だと、
銅貨4枚=銀貨1枚
銀貨12枚=金貨1枚
くらいだったと思います。
銀貨や金貨は実際には○○銀貨や○○金貨とあり、それによってレートも変わったりするので絶対これが正しいとは言えませんが・・・。

労働者の賃金は銀貨15~18枚(1日)くらい、パンの価格は銀貨8枚(3日分)くらいだったと思います。
日給が金貨1枚ちょっとということで1万円くらいだと考えると、金貨10枚で10万円。大金ですね。
こんな感じのイメージでいいのではないでしょうか。

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Q戦場で衛生兵を撃っては行けないルール

戦争映画を観て、よく戦場のシーンで「衛生兵!」って
叫んで、衛生兵がケガした兵士の所に走って行きますけど
戦場では、敵国の兵隊の衛生兵は撃ってはいけないという
国際ルールでもあるのですか?

Aベストアンサー

1864年の第1回赤十字条約「戦地における軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する条約」で、戦地病院は局外中立であるとともに、この病院が「任用する人員」、即ち病院の監督員、事務員、負傷者運搬者、説教者はその本務に従事し、かつ傷病者を救助する必要のある間に限って、局外中立であることが認められています。つまり衛生兵(負傷者運搬者)はその本来の任務を遂行している間は、敵対行動の目標とされていないことが規定されています。
次に1929年の赤十字条約は、その3章で衛生兵の保護について詳細に規定し、「傷者及び病者の収容、輸送及び治療並びに衛生上の部隊及び造営物の事務に専ら従事する人員並びに軍隊所属の説教者」は、戦争中であればどのような場合でも保護されなければならず、また捕虜としても取り扱われません。(敵に捕まっても、拘束されないという意味。)
このような赤十字条約を批准している国家は、戦争中といえども衛生兵をはじめとして、傷病者を救護する任にある者を攻撃してはならないのです。現代の戦争は実はある一定のルールに従って行われている、と言ってもいいでしょう。(もっとも批准していない国との戦争や、戦場が入り乱れている場合などでは、衛生兵が射撃されることもあります。ですから「衛生兵!!」と叫ぶのでしょう。)もっと詳しく知りたければ、国際法の中の「戦争法」を読んでください。

1864年の第1回赤十字条約「戦地における軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する条約」で、戦地病院は局外中立であるとともに、この病院が「任用する人員」、即ち病院の監督員、事務員、負傷者運搬者、説教者はその本務に従事し、かつ傷病者を救助する必要のある間に限って、局外中立であることが認められています。つまり衛生兵(負傷者運搬者)はその本来の任務を遂行している間は、敵対行動の目標とされていないことが規定されています。
次に1929年の赤十字条約は、その3章で衛生兵の保護について詳細に規...続きを読む


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