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初めて質問させて頂くんですが…。皆様かなり難しい言葉を使っておられて私には理解不能です。たぶん、私が常に思ってしまう「全ては1つで私しか存在しない」という孤独感を“独我論”という超自己中心的な考えの人みたいに思われてしまうのでしょうね。。。だから誰にも話せないんです。理解しがたい人って沢山いるけど、でもでも人間も自然も何もかも1つの様な気がして。そして孤独を感じるのです。毎日が楽しくない訳ではないのです。逆に毎日楽しくて私にはもったいないなと思うくらいです。でも、ふっと全てを私だけに感じるのです。(変な日本語でスイマセン。想いを伝えるのは難しいっっ)

A 回答 (4件)

お釈迦様は天上天下唯我独尊といいましたが、これはお釈迦様に限ったことではありません。

たとえばあなたから考えた場合でも同じことが言えます。

唯我というのは、今の肉体のあなたのことではありません。あなたの潜在意識の最も深いところにある神の心のことです。この神の心は私の神の心と同じものです。

そして、その神の心の造ったすべてのもの、つまり天界、霊界、人間界すべてあなたの心が造ったものです。肉体のあなたは神の心が造ったものであり、あなたが立ち向かう人々は神の使いということになるのです。

したがって、この世にはあなた以外はいないことになるのです。
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私はどれ程難しい考え方でも中学生なら理解させることが出来ると思っています。

オックスフォード現代英英辞典という辞書があります。この本では全ての単語を基本的な3000語で説明しています。『ホルモン』や『フィードバック』という専門用語ですら3000語しか使いません。3000語というのは大体5,6歳のレベルです。ですので何事も噛み砕けば誰でも分かるはずなのです。オックスフォード現代英英辞典は全ての単語を3000種類の言葉を組み合わせて説明しているのですから……。(中には例外もありますが、ごくわずかです)日本語に出来ないはずはありません。

独我論というのはある意味正しいといえます。あなた自身が存在することはあなたには分かっているはずです。しかしあなた以外の存在を証明できるでしょうか? あなたの目の前にあるパソコンが脳の中の電気信号などで作られた『幻覚』でないことを証明できるでしょうか? もっといえば人生自体が夢であることを確実に否定できるでしょうか? 100年前に世界が存在していたと証明できるでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C% …

↑『世界五分前仮説』というWIKIの面白い記事です。読んでみてください。

と、考えていくと誰でも最後には『何も分からない』と悟ります。昔でも今でもいつの時代でも天才と呼ばれる人達は同じ結論に至りました。『何も分からない』と。昔のソクラテスという人の『無知の知』が有名です。『知らないことを知っている』という意味です。当時、ソクラテスは賢者という人達の無知を暴いたので人々の怒りを買って殺されました。

と、話が逸れました。すみません。ただ、自分の存在だけは確実にあるのでこれを『独我論』といったのではないでしょうか。

『全ては1つ』というのは、この世の色々な物事はあなたが『体験している』物に過ぎません。あなたの脳が『存在する』と思っているに過ぎません。逆に言えば脳が『存在する』という情報を受け取れば人は何かが存在すると感じます。

ですので全ての物は自分の脳の電気信号が生み出した、と考えれば全ては1つです。自分が全てを生み出しています。自分の脳で『存在する』と思って存在しているのですから。

『考える故にわれあり』という言葉も有名です。これは『考えることが出来る』ので自分だけは存在する、という考え方です。自分が存在しなければ考えることは出来ません。自分の脳が無ければ色々な情報を受け取ることも出来ません。情報を受け取れなければ何も見えませんし、聞こえません。すなわち全ての物事が存在すると脳が分かりません。脳、自分が存在するから他のすべての存在が分かるのです。

逆に分かり辛くなった気もしますが、長々と読んでくださって有難うございました。
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独我論も一切が平等一如であるとするのも、


それは両極端な物の見方なのであって、
実際はすべての存在は相互に他に寄りかかり、寄りかかられて、
存在しています。(縁起の法という)

>全ては1つで私しか存在しない
>でもでも人間も自然も何もかも1つの様な気がして。そして孤独を感じるのです。
>毎日が楽しくない訳ではないのです。

まあ、別に困ってるほどでないのでしたら、その自分を受け容れて楽しみましょう。
ニュートンはりんごが落ちてふと、「どうして落ちたのだろう?」と言う疑問から万有引力を見出したと言われています。
アインシュタインはペンキ屋が落ちたのを見て「ペンキ屋が落ちたのでなく、地面がペンキ屋に向かって上がったのでは?」と言うことを考えて(ペンキ屋の心配しろよ(笑)、後の相対性理論に繋がっていったと伝えられています。
ですから、もしかしたら、新しい学問や技術、商売など、なんかのアイデアに結びつくかもしれませんね。
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 おそらく問題にされているのは、「自分の考えが他人に伝わることはあるのだろ


うか」とか、「自分と他人が心から一緒の存在である、と感じることはあるのだろ
うか」というようなことなのではないでしょうか。
 そういった意味では、ふだん、私たちは、人と人が意志を通じている、というこ
とを前提にして、生活しています。ですから、この時には通じていないのではない
か、と不安に思ったり、それがために孤独を感じることは、極めて正常な判断だと
思います。言葉を交わす、ということは、おおむねそのような積み重ねです。
 ところが、kampaさんが言われたとおり、「独我論をもっとわかりやすく」
と言われると、これは、日常のレベルを離れた「哲学」の問題になるため、どうし
ても使う言葉の種類が変わるため、難しくなるのです。これは、私の好きなパソコ
ンでも同じことで、表面に出ている画像や模様はきれいですが、それを動かしてい
るプログラムの言語が意味不明なことと同じです。
 ですから、人と人が意志を通じ合わせている源をプログラム言語で書くと、チン
プンカンプンとなり、C言語もあれば、HTML言語、……人の数だけ無数な言語
が発生してくるのです。
 そして、そのような人は、それでは、結論として、人と人は本当に意志を通じ合
わせているのか、と言えば、日常感覚では「言語」があいまいなため、あいまいな
まま理解している「ファジィー」な状態だ、と言っています。
 つまり、「独我論」という論自体、誰に理解させたらよいだろうか、わからない
のです。私もえらそうなことを言っていますが、わからないというのが、ホンネの
ところです。
 ですから、賢い人は、誰それの「独我論」はこうである、いや、あっちの学派は
こう言っている、といって、「論」の説明に終始します。私もそうしたい、と思い
ますが、それだけの教養は、イマイチ、ありません。
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