『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

周囲を見ると、少なからぬ女性は加齢に伴い、言動が大きく粗野化してくるように思われます。
それは、長い人生で数々の修羅場をくぐり抜けてきた経験を通し、恥じらいや世間体を気にしなくなった結果なのでしょうか?、
それとも、加齢に伴う、感性の劣化など、何か脳の器質的な変容によるものなのでしょうか。
男性の粗野化もありますが、女性ほどの落差は無いように思われます。
具体的な説明が不足しているかもしれませんが、ぜひご教授ください。

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A 回答 (5件)

本来、女性の本質はいわゆる男らしく、勇気があって豪胆なのです。


そして男性は本来優しく、繊細で、感じやすく、
肉体的にも女性に比べて弱いと言われています。

過去5千年にわたり、地球社会は男性の支配に委ねられてきました。
その過程において、男性は否応なく、勇ましくあるべきと叱咤されてきました。
その男性が女性に求めたものは、
本来男性の資質である優しさであり、女らしさであり、母性であったのです。

女性は男性に従属して生きることを強いられた結果、
男性の求める女性像に、否応なく合わせて生きるしか術がなかったのでした。
女性が、「男性の求める女らしさ」を備えていないことは、
男性支配の社会では生きられないことを意味していました。
なぜなら女性は、男性に認められ、選ばれて「なんぼ」の「物」だったからです。

NO2の方も言っておられますが、
つまり女性は懸命に演技をしてきたのです。
それも男性支配の社会が要求する「女らしさ」に合わせて。
女だってあぐらをかきたいし、股を開いて楽に座りたいのです。
それをする女性を見て、粗野化したと考えるのは自由です。
恥じらいというものは、人間が本来持つ習性ではないことは確かです。

その証拠に、さまざまな文化によって、女性に求められる要素は異なります。
ブータンでは女性の足こそが魅力とされており、
日本では少し前の時代までは、女性のうなじが魅力とされていました。
アフリカの少数民族の女性は普段、乳房を隠しません。
それは男性がそうであることが普通だと考えているからです。
つまり恥じらいとは作られる意識であると言えます。

ですから、恥じらいや、ひと目を気にすることが、
女性が生まれつき持っている資質であるかのように考えるのは間違いです。
女性は本来、男性と違わないのであり、
誰からもそれを要求されず、批判されず、受け入れられるのであれば、
女性はもっと、もっと自由に生きられるはずなのです。


枠に自らはまることで、不自由に生きて来た女性は、
あなたが気づいておられるように、今、もっと自由に生きようとしています。
女性だけでなく男性も、作られてあてがわれた社会的な枠ではなく、
歳を沢山重ねるまで待たなくても、気がついた時点で、
本来の自分自身を生き始めてもよいのではないでしょうか。
長文で失礼しました。
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この回答へのお礼

短絡的にお言葉を借りれば、女性は加齢とともに「本来の自分自身を生き始めて」いる、ということなのでしょうか?
多少の差異はともかく、大胆な男女の本質のコペルニクス的転換には、驚きと興味を覚えました。
私も経年とともに、いかにいろいろな枠に囚われていたかを実感しています。
投稿して良かったと思います。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/13 10:20

加齢が何歳を意味するのか分かりませんが、私の経験だと、年齢が上になるほど、ちゃんとした女性が多い気がしますよ。

二十歳前後の乙女など、言っていることが支離滅裂で、会話がほぼ無理です。三十歳くらいになると、会話はできるが、考えが浅いので飽きてくる。四十歳くらいになると、会話がやっと成立する。五十歳以上だと、母性のようなものがあるのか、いろいろと親身に面倒見てくれる。

たぶん年齢は関係なく、その女性の多面的な要素を、質問者さんが受け止められなかっただけでしょう。確かに歳をとればとるほど、人間は多面的な要素を除かせます。これは男も女も変わりません。老人になってから、暴走する方がいかに多いことか。私は二十歳くらいの女の子のことを悪く書きましたが、人によっては、そのわけ分かんなさがフレッシュだと感じるようです。お酒と同じで、ボージョレが好きな人もいれば、ヴィンテージが好きな人もいるんですね。

あと私の場合、大胆な言動をする女性がいると、「旦那(恋人)が大切にして甘やかしているんだな。それもそれで幸せだな。しかしみっともないとか、粗野の域まで行くと、男が自分の無能さをさらけ出しているのと同じことだ」と思うことにしています。修羅場をくぐった女性ほど、隙がないと思いますよ。
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この回答へのお礼

「男が自分の無能さをさらけ出しているのと同じことだ」
私同様に、耳の痛い人も多いかも・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/13 11:36

女性に限らず、人生の残り時間が短くなってくると、他者に気を使うのが無駄に思えてくるので、その結果、粗野になるとみえるのではないでっしゃろか。



女性の場合は、婚姻前に特別に気遣いする時期がありますので、落差が大きく、「特に女性が、、、」と感じられるかもしれませんが、ジジイとて同じとちゃいますか?
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この回答へのお礼

フフ・・。
ジジイとて同じかも・・。
でも落差が・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/13 11:39

歳をとると面倒になるという事です。

つまり若い頃は周りに気を使って繕ってるのです。でもそれも長く続きません。特に結婚すれば目的は達成してるのであとは面倒になります。
結婚してなくても世の中の男性が年下になってくると、年下に対して気を使う事は面倒になり傲慢になったりします。
そもそも小学生なんかは男の子と変わらないですよね。急に恥じらい感じて隠すようになりますが、疲れるのは確かなんです。
つまり生まれも育ちもいい女性なんて世の中には少ないという事ですよ。あとは取り繕っているだけなのです。その辺を見極める事だと思います。
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この回答へのお礼

歳をとると面倒になる
そーいうことだったんですかー。
思えば、女性にはいろいろな幻想をもっていましたからねぇ。
世の中の数少ない女性に巡り逢わなかった、ということですか。
見極める時間も無くなってきましたので、来世に期待します。(涙)
文面では女性とお見受けしましたが、間違ったらゴメンナサイ。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/12 17:42

おそらく性ホルモンの一つであるエストロゲンの減少に伴う男性化が主要因でしょう。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9% …
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この回答へのお礼

中枢神経(意識)の男性化ですか。
なんとなく当てはまる様な局面が・・・。
回答、ありがとうございます。

お礼日時:2012/12/12 17:27

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Q粗野な人の存在理由

世の中に、物事を考えずに、きめ細やかでなくて、精神構造が荒くて、洗練されていなくて、一言で言って粗野な人っていますよね。粗野でかつ自分勝手でずるく性質も悪いひとがいます。そういう人の存在理由というのはどういうところにあるのでしょうか?

逆に、その反対の人たちの存在理由は?

Aベストアンサー

こんばんは。

#6のお礼の中で
>仮に、あなたが快楽殺人犯人の傍らにいて、彼に対して感じる感情を、自分自身の投影だなどと考えるナンセンスを、どうして得意げにいうのでしょう?

#6の回答者さんは、「得意げ」には言っているのではなく、一種の宗教的な観点から言ったものだと思います。このような議論は、ずいぶん古くから、続いています。今さらなのですが、例えば、この議論は、日本の死刑制度論争と似ています。キリスト教のような人道主義というのは、日本ではなかなか広がりません。反論は、現実論で必ず応酬してきます。「あなたの家族が被害者にあったら、そういえるだろうか。」という、情念に訴えかけるような言葉が必ず出てきます。

昔、作家の三島由紀夫さんが、ドイツの反ナチスの平和主義運動が、どれほど過酷なものだったのか、日本人は知らないで平和運動しているという話をしていたことがあります。いずれにしても、実態を踏まえないで、理想論や仮定の話をしていくと、話が現実から離れて、ヒートアップしてしまうようです。

「快楽殺人犯人」というような極端な例を持って、ご自身の主張を推し進めようとしたいのは、たぶん、ご質問者さんに、憎むべき対象があって言っているのでしょうし、それを、ここの場で、その前提を抜きにして一般論に広げても、話がすれ違ってしまうものだと思います。しかし、その憎むべき対象の話を持ち出したら、ここの場の主旨とは違ってしまいます。

あえて、もう少し身近な現実的な話に狭めていくと、この社会には、性格異常、または、境界例という人たちが野放しになっています。性的異常者だけではありません。その人たちは、周りの温情というか、我慢によってすくわれているだけで、身近な人をいつも困らせています。

例えば、『ドラえもん』に登場するジャイアンも、ある意味では、困った人間の典型だと思います。大人の目からは、許容範囲かもしれませんが、子供どうしの中では、はなはだ困った人物です。彼が身近な同級生から、持ち物を借りると称して、それを奪ったり、暴力で怪我をさせたりしたものは、許しがたいものがあると思うのです。ジャイアンの親も、家の仕事を暴力で従わせる、子はその腹いせを、また、近所の子供たちに向けるのでは、それでは、本来、その親自身含めて、社会的に許されるものではないだろうと思います。一番いけないのは、誰も、彼をきちんと教育したり指導したりする人間がいないのです。

ジャイアンにも良いところがある、一方的に悪者にするのはおかしいというような論法で、「擬似的な平和な世界」でまとまりを付けられるとは、私は思っていません。一時期話題になった「騒音おばさん」も、その一人かもしれません。彼女にも二面性があります。報道では、際立った部分が強調されていることは事実です。しかし、ジャイアンと同様に、理由なき・正当性のない罪を冒し続けていたことには違いありません。

精神科医の町田静夫氏は、精神疾患は治療することができても、性格異常は治療することは困難だと言います。現実に、そういう人たちがいることで、いずれは危害が加えられることには間違いないのです。それを、攻撃は最大の防御として、被害者と加害者が入れ替わったら、それでは、本末転倒です。ただし、いくぶんは、同情すべき部分はあると思うのです。

いずれにしても、私たちの多くは、そう簡単に、善悪や要・不要で二分化して、人に対する「存在理由」のある・なしなどを論議したり、判定できるような立場にはいないように思うのです。「存在理由」を問うことになれば、その人の「存在」をなくしてよいということを、正当化する論理に結びついてしまうことになってしまいます。「存在理由」とは別の次元にあるからです。私は、ここで結論を出そうとは思いません。

ただ、私は、裸の王様に対して、「あなたは服を着ていない」と、モノをいえるような勇気を持つことは必要だと思うのです。この国は、そういう発言をした者を、社会的に抹殺してしまう傾向が強いようです。それはムラ(村--ボケに近い長老の日和見主義で、事なかれ主義がまかり通る)社会だからです。「和を以て尊しとする」で、和を壊したものが悪者だとするのです。法律も人を守るためではなく、力のあるものを守るようにできているようです。

もともと、人に「存在理由」を求める必要なんてないのではないでしょうか。そういう人たちと、どう向き合うかということではありませんか。

こんばんは。

#6のお礼の中で
>仮に、あなたが快楽殺人犯人の傍らにいて、彼に対して感じる感情を、自分自身の投影だなどと考えるナンセンスを、どうして得意げにいうのでしょう?

#6の回答者さんは、「得意げ」には言っているのではなく、一種の宗教的な観点から言ったものだと思います。このような議論は、ずいぶん古くから、続いています。今さらなのですが、例えば、この議論は、日本の死刑制度論争と似ています。キリスト教のような人道主義というのは、日本ではなかなか広がりません。反論は、現実論...続きを読む

Q粗野

私は粗野である。
この粗野は変えられない。
粗野であるがままに生きる道とは?

Aベストアンサー

短い質問文なのでわかりませんが、「粗野」の性質によると思います。思いやりの欠如やマナー違反のことを言っているなら、改善した方がいいでしょう。しかし「粗野」が「文化的ではない」という意味なら、それ自体は気にする必要がないものです。というのも、文化的洗練などはアテにならないものです。自分の努力の他に、都会で生まれたか、高学歴か、名門の生まれかなど、環境的な要因も関係します。確かに東京生まれで、東大卒、父親が著名人となれば、その人の言動は意識せずとも洗練されています。代々学者の家系などとなれば、随分と様子が違うものです。
しかし各人の生には重みがあり、洗練され切らない粗野さが、人それぞれの面白さであるといえるでしょう。粗野であろうと文化的であろうと、立ち振る舞いは自分の人生の積み重ねであり、その一つ一つに理由を見出すことはできるはずです。ただし自称文化人らのコミュニティーは偏狭なようですね。エスニシティと呼びますが、私はそうした保守的な態度に懐疑的です。保守的な人ほど、大きなコンプレックスを抱えているものです。

視野を広げれば、洗練という概念など、美術史において、何度も流転しています。ヘーゲルにおける芸術の死、また小林秀雄による儚さの評価など、突出した評論家が現れると、通念そのものが変化してしまうものです。普遍的な洗練など無く、時代や国によって洗練の概念は異なります。他人の作った基準に当てはめて己を悩むだけ、虚しいものです。
洗練について一つ確かなことがあるとすれば、自分に自信をもつ根拠を自分自身で持てること――それだけだと思います。そのためには他人の真似などなさらず、自分らしさを改めて考えることだと思います。いっそ良寛のように開き直った方がいいでしょう。
よい俳句だと思いますよ。

短い質問文なのでわかりませんが、「粗野」の性質によると思います。思いやりの欠如やマナー違反のことを言っているなら、改善した方がいいでしょう。しかし「粗野」が「文化的ではない」という意味なら、それ自体は気にする必要がないものです。というのも、文化的洗練などはアテにならないものです。自分の努力の他に、都会で生まれたか、高学歴か、名門の生まれかなど、環境的な要因も関係します。確かに東京生まれで、東大卒、父親が著名人となれば、その人の言動は意識せずとも洗練されています。代々学者の...続きを読む


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