詩や小説を書きたいのですが、文章力を上達させるには、コツがあるのですか?それとも天性の才能なのでしょうか?教えてください。

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A 回答 (19件中11~19件)

みなさんのおっしゃるとおり、既存のものから吸収するのはとても


大事なことです。でも、ただ本を読めばいいってものでもありません。
レコードを何万枚も持っている収集家がいいミュージシャンになれ
るとは限らないのです。解説書に書いてある通りのプログラムを
打ちこんでいるだけではプログラマにはなれません。作る側には
作る側のテクニックというものがあります。それを学ぶべきです。

どんな修辞的テクニックが使われているのか、背景にどんな考え方
があるのか、など細かいところに気がつかずにただ読んだだけでは、
話の筋がパターンとして記憶に残るだけでしょう。そして
「このパターンは前にもあったな」などとそのレベルの訓練にしか
なりません。

文章力、に限って言えば、逆に同じ筋書きでもいいのです。
例えば、適当な童話を選んで(それこそ浦島太郎でもなんでも)、
それをハッピーエンドにしたり、アンハッピーにしたり、SFにしたり、
恋愛ものにしたり、子供向けにしてみたり大人向けにしたり、報告書
にしたりチャットで表現したり、さまざまな文体を練習してみても
いいんじゃないでしょうか。

これこのように、だらだらと書くことは誰でもできます。簡潔に
表現することのほうが難しい。私は特にそのへんがヘタクソです。
何を書くかではなく、どう書くかのほうが大事だし、何を書かないか
の方がもっと難しくて、重要だと思いますよ。
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この回答へのお礼

さっそく、白雪姫の話を自己流で書いてみようと思います。文を書くということは奥が深いですね。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 05:56

小説を書くのに上達する近道は何コかあると思います。

その中で一番取り組みやすいのは、登場人物の数です。一般に登場人物が多くなると話が長くなります。まずは登場人物を少なく(3~5人)設定してから始めると良いと思います。
文章力は色んな作品を読むことと、より多くの書きたいものに関する情報を仕入れることにあると思います。自分が何となく知っている事を書くのと自分が良く知っている事を書くのではだいぶん違いますからね。読む作品ですが古典と言われているような物であれば大丈夫だと思います。海外でいうならドストエフスキーとかあたりのものとか、国内であれば漱石とかが良いかもしれません。
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この回答へのお礼

自分は、情報不足だと思っています。書きたいものに関係する情報を十分に、集めてから書き始めようと思います。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 05:52

たくさんの本を読む。

つまりたくさんの経験を積む。私もそう思います。ただ、その際に自分好みのものだけでなく、読みづらいものや好きではないもの、興味のない分野等のものも読んでこその経験であると思います。

そこから得られるものは少ないかもしれません。しかしそれでこそ文章に厚みがでるというものです。自分勝手にダラダラとものを言う人の話は退屈な事この上ないですなあ。などと言いながら、自分は薄っぺらい文章を書いてしまっているのだが。
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この回答へのお礼

文章に厚みをだすためにも、いろいろな分野のものを読んでみます。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 05:48

分野違いで申し訳無いのですが、私は高校時代にクラスの芝居用にシナリオを書いて以来シナリオ書きを趣味にしています。


20年続けていますが、さすがに高校時代のモノは恥ずかしくて読めません。
多少は上達しているようです。

過去の名作(戯曲)を読み漁ったり、違う分野の読み物(主に抒情詩や小説)を読んだり、時には他人の文章からなるべく離れてみたり。
テクニックについては専門誌や教則本で学んだりしました。
また、他人の目からの批評も受けたいので友達に見せたりWebに載っけたりしてます。
(新人賞に応募なんて大それたことは考えていないので)

なんの世界にでも専門誌や教則本があるものです。
また、批判してくれる友人は一番の先生です。

天才は努力で開花するそうです。
残念ながら私は凡人でしたがryoumimanさんの才能が“努力”によって開花されますように。
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この回答へのお礼

皆さんが、共通して言われることは、違う分野の書物を読む事ですね。あと、努力。今まで、好きなジャンルしか読んでいなかったので、これから読んでみようと思います。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 05:45

 またまたminojunです。

う~ん、文章を書くときに頭に浮かぶのはボクの場合は風景やその場面です。例えば、ある恋人同士の会話を文章に描写するとします、そしたらそれはまず公園のベンチにしようか、丘の上に停めた車の中にしようか、潮風で何度も髪をかき上げる砂浜にしようか、そして服装は、色は、季節は、天気は、時間は、と言うように様々なシチュエーションを画像としてイメージします。そして書き出して、一定のシーンの描写が終わると何度も読み返して、更に何度も添削を加えます。わたしの場合、恥ずかしながら一発でスラスラと文章を完成させる文才は持ち合わせていないので、一つの件りを書き終えるのに人の何倍もの時間を要します。
 それから、先ほどは言い忘れましたが、一体どのような小説や詩をお書きになりたいのでしょうか? 好きな作家や詩人の作品に多く触れることで一つの方向性は見つかると思いますが、他の方々の仰るようにまず日本語の文章のルールを身の付けるのも必須条件です。ボクは昔、本多勝一氏の「作文の書き方」(確かこんなタイトルだったと思う)という本はかなり勉強になったと思います。日本語の表現の複雑さを学びました。例えば、

「鈴木刑事が血まみれになって逃げた犯人を追いかけた」

という文章があるとします。しかしこの句読点のない文章からは鈴木刑事と犯人のうち、血まみれになっているのがどちらなのかは分かりませんね。そこで、

「鈴木刑事が、血まみれになって逃げた犯人を追いかけた」

となれば、血まみれになっているのは犯人の方となりますが、一方、

「鈴木刑事が血まみれになって、逃げた犯人を追いかけた」

となると、なんと血まみれになっているのは鈴木刑事の方になります。このように、日本語は同じ文章でも、句読点の位置が変わる事によって血まみれの客体と主体が入れ替わる場合もあり得る訳です。ですから、ある程度のルールを身の付けることも、たくさんの作品に触れるのと同じくらい重要といえると思います。

釈迦に説法とは思いますが、ながながとすみません・・・、ご参考まで。
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文章が上手くなるコツで、ときどき文章家が書いていたり、自分もしていることは、あこがれの文章家の表現を真似することです。

なにごとも上達の出発点は模倣にあると思います。それがある程度身に付きますと、要領が分かり、自然と独自のものができてくると思います。

いつかこのOKEWebで、どうしたら作曲が出来るかという質問がありましたが、専門家らしき方が、いろいろのメロディーを覚え、それを編集していって、自分の曲にするといったことを述べておられましたが、なるほどと思いましたよ。
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この回答へのお礼

なにごとも、模倣からはじまるものなのですね。私も、試してみますね。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 04:49

はじめまして、詩や小説を上手く書くのに必要なのは、よりたくさんの詩や小説を読み、感動したり共鳴したりして、そのとき、なぜその文章に自分がそのような影響を受けたのかを考えてみて下さい。

それは、その作家に巧みな文章力があったのかも知れないし、駄文にも拘わらず心に響くテーマだったかも知れないし、はたまた、読者の深い観察力や想像力の賜物だったのかも知れません。つまり、どんなに珠玉の文章も読者側にその表現を感知する読解力がないといけません。仰る通り、優れた文章を書くためには、コツや天性の才能は条件の一つかも知れませんが、決してそれだけではありません。わたしは、人の心を揺り動かす文章はその作者の経験なしにはあり得ないと思ってます。享楽的な散文は別としても、少なくとも味わい深い詩や心に残る小説の一遍々はなかなか技術や才能だけでは簡単には書けないのではないでしょうか?
 少しでも多くの作品に出会い、より良い(貴方に合った)詩や小説を見つけ、それを何度も繰り返して読む事によって、一つの洗練させたセンテンスから伝わる表現の美しさや深さに触れることができます。そのうちに、それらを超える新しい世界が貴方の内面から始まると思います。こんな抽象的なお答えですみませんです。
 なり損ないの小説家より。

この回答への補足

アドバイスありがとうございました。いつも、不思議に思う事があります。文章を書くとき、言葉が浮かんでくるのですか?もしそうなら、画像ですか、それとも文字ですか?私の場合、頭の中にイメージとシナリオは浮かぶのですが、うまく表現できないのです。

補足日時:2001/05/20 04:44
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「文章力」って幅が広くて、何を以て文章力とするのかは難しいと思いますが・・・


美しい文章とか、読んで記憶に残る文章というのは、ある程度の天性が必要かと思います。
ただ、わかりやすい文章、読みやすい文章というのはある程度の練習で可能かと・・・ただ、一口でこうすればよいというのはないでしょうけれど。
徳間文庫で、久美沙織 著
「新人賞の獲り方おしえます 」(ISBN:4-19-891204-1)
「もう一度だけ新人賞の獲りかたおしえます」(ISBN:4-19-891337-4)
というのが、あります。
小説の新人賞に送られてくる作家の卵達の原稿にありがちな問題を取り上げて、解説している本ですが、文章の書き方、情景の描写の仕方、人称の違いによる書き方の注意点などをわかりやすく解説してくれています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。早速、書店へ行ってみます。私の素朴で深刻な疑問に、答えてくれて助かりました。

お礼日時:2001/05/20 04:52

文章力を上げるコツ、そんなものがあったら現役の作家さんでも


知りたい人はいーーーーーっぱいいることでしょう。
そんなものないんですよ。コツなんて。
ただひたすらに書くのみです。
もちろん、才能ってのも一つの要素ですけどね。

この回答への補足

アドバイスありがとうございました。変なことを聞くようですが、一日どのくらい書けば上達するのでしょうか?目安は、ありますか?使ってはいけない用語は、あるのですか?

補足日時:2001/05/20 04:52
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Aベストアンサー

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Aベストアンサー

中学生さんが、学校の国語の授業だけでは理解できないのも当然でしょう。
たぶん、ですが、指導要領にそこまで教えるように書いてないんですね。
で、「短い行を幾つも並べたのが詩だ」なんて誤解が生ずるのです。
長くなりますが、覚悟はいいですか?(笑)

詩は韻文で、小説は散文ですね。
では、韻文と散文の違いって何でしょう?
小生も義務教育の頃、「自由詩」「散文詩」ってのが出てきて、何だか分からなくなった覚えがあります。
韻文とは、韻律を具えた文のこと。散文は、韻律を具えていない(のではなく、韻律を気にせずに作った)文のこと。

では、韻律とは何であるか。
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押韻というのは、詩の一行一行の出だしかお終いの発音をそろえること。
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Wer reitet so spat(aの上に¨がつきます)durch Nacht und Wind?
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各行のお終いを見て下さい。ドイツ語が分かんなくても、同じ綴りが繰り返されてるのは分かりますね? 一行目は「ヴィント」(風)、二行目は「キント」(こども)。ヴィントとキントとで、押韻(語呂合わせ)。三行目と四行目も、「アルム」(腕)と「ヴァルム」(温かく)とで、語呂合わせ。
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長々と失礼しました。読むだけでも辛かったでしょう。文意が伝われば幸いです。

中学生さんが、学校の国語の授業だけでは理解できないのも当然でしょう。
たぶん、ですが、指導要領にそこまで教えるように書いてないんですね。
で、「短い行を幾つも並べたのが詩だ」なんて誤解が生ずるのです。
長くなりますが、覚悟はいいですか?(笑)

詩は韻文で、小説は散文ですね。
では、韻文と散文の違いって何でしょう?
小生も義務教育の頃、「自由詩」「散文詩」ってのが出てきて、何だか分からなくなった覚えがあります。
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Q現代の日本で新作の小説を職業作家が書く意味はあるの???「一億三千万人の小説教室」を読んで

僕は高橋源一郎著「一億三千万人のための小説教室」の影響が強いので、それを読んでいる人には話が通じやすいと思います。僕はこの本の中の、「エーミールと探偵たち」と「原始林のペータージーリエ」のくだりで高橋氏が言おうとしていることがよく分かります。
簡単に説明しますと、娯楽小説なんてどうでもいいから、あなたが体験し、本当に知っていることについて書け、ということです。
この本には三重苦を背負ったヘレンケラーのくだりもあり、ヘレンのような人物、マイノリティーが持つ苦しみを知っている人こそ小説を書く資格がある、とあります。(補足しますと、この本の中では小説とエッセイのようなものの区別はなく全部小説という言葉でくくっています。)

そういう意味ではこの前までテレビでやっていた「1リットルの涙」は日本に残された財産だと言ってもいいくらい本当に価値のある闘病日記だと、僕は思っています。

そこまでは高橋氏と同意見なのですが、氏はそこから、自分が体験した本当に知っていることを書きさえすれば、誰でも小説を書く資格があるし、ぜひ書いて欲しいと本を結びます。
が、僕はそういう風に思えません。自分の体験した本当に知っていることを書いたとしても、膨大な量の小説が出きっている現代の日本で、その新作を読んではじめて知ることや人の気持ちなんて、まずもってないんじゃないかと思います。だから新作小説を書く意味も殆どないんじゃないかと思います。

それから、高橋氏の言っていることから考えると、小説よりも、ドキュメントやノンフィクションにこそ意味があるように思います。

それでも作家が新作を書く意味があるのでしょうか。娯楽じゃない小説を書く意味があるのかという意味です。もしくはどんなに文学サイドのつもりで小説を書いても、小説である以上は娯楽の要素がゼロではないのでしょうか?

僕は高橋源一郎著「一億三千万人のための小説教室」の影響が強いので、それを読んでいる人には話が通じやすいと思います。僕はこの本の中の、「エーミールと探偵たち」と「原始林のペータージーリエ」のくだりで高橋氏が言おうとしていることがよく分かります。
簡単に説明しますと、娯楽小説なんてどうでもいいから、あなたが体験し、本当に知っていることについて書け、ということです。
この本には三重苦を背負ったヘレンケラーのくだりもあり、ヘレンのような人物、マイノリティーが持つ苦しみを知っている...続きを読む

Aベストアンサー

 あけましておめでとうございます。

 お正月そうそう、パソコンを開いてみたら、amiさんの質問が気になって、回答してしまいました。
 暇人の回答を暇なときにでも見てやってください。

 高橋源一郎氏の『一億三千万人の…』はパらっとしか見ていないので、それについての感想は書けないのですが…、書き物の必要性について私の考えを書かせていただきます。

 私は、一時期マスコミ業界で取材をしていた側の人間でした。それだけに読み物の重要性をとても感じています。
 
 その中でもっとも大切だと思うのが「ノンフィクション」でした。
 
 膨大な量の資料とたくさんの人の証言に支えられる「ノンフィクション」は、時間がかかる上に人手も必要なため、一般に敬遠されがちです。しかし、現在の社会に巣食う悪に対する訴えというのが最も身近に感じられる作品です。
 また、人を訴えるということはその背景には「自分も訴えられる」可能性ものあるので、そう簡単には出版できません。出版するために付随する責任感が並大抵のものではないのです。

 そう考えると、今現在でいえば、社会に流通している読み物で必要なのは「ノンフィクション」ではないでしょうか。

 小説に関して言えば…空想の中で考えられたのか、経験上の事実があるのかがわからない作品がたくさんありますね。中でも楽しいのみの娯楽作品が大変多いですよね。
 村上春樹氏がそういうを読み物を確立してから、簡単で楽しい「娯楽作品」が増えましたね。
 パソコンの登場がそれを助長しているのではないでしょうか。

 昔の作家が書いた原稿用紙を神保町の古本屋で見た事がありますが、恐ろしいほどの推敲をこなしていて、しかも手書きで…本当に頭が下がります。

 あれだけの手直しをして出版された本なら、中身も濃く、素晴らしいですよね。

 今は、なかなかそういう作品に出会えない世ですね(ノンフィクションは別です)。

 それだけに手書きで自分の経験を書くという作業が重要になってくるのではないでしょうか。
 長文になってすみません。

 

 あけましておめでとうございます。

 お正月そうそう、パソコンを開いてみたら、amiさんの質問が気になって、回答してしまいました。
 暇人の回答を暇なときにでも見てやってください。

 高橋源一郎氏の『一億三千万人の…』はパらっとしか見ていないので、それについての感想は書けないのですが…、書き物の必要性について私の考えを書かせていただきます。

 私は、一時期マスコミ業界で取材をしていた側の人間でした。それだけに読み物の重要性をとても感じています。
 
 その中でもっとも大切...続きを読む


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