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仮に現代に、アメリカと日本が戦争状態になったとして、
僕の手元に召集令状が届いたとしたら、
日本が負けるのは明白なので、僕は国外に亡命すると思います。

同様に、昔の日本が戦争状態にあるときに、
国のために戦わず、国外に逃れた日本人はいるでしょうか?
例えば昭和であっても、英語に堪能な日本人は少なからずいたと思います。
そういう人は、わざわざ命を懸けることはせず、海外で暮らしていく事を選択したのじゃないかと
思っています。もし、このような日本人について知っていたら教えてください。
僕は今、日本の書籍が手に入りにくい地域にいるので、WEBサイトで関連の情報があれば
教えてください。

A 回答 (8件)

鹿地亘



第二次世界単戦中に中国に渡り、中国に協力し、日本軍捕虜の洗脳教育を行った。
戦後は文筆活動を国内で行うが、アメリカ軍に拉致されアメリカのスパイになるように強要された。
彼が中国で組織した、日本軍捕虜の洗脳機関、「日本人民開放連盟」には多数の日本人が参加し、戦後の左翼運動、日米安保反対闘争などで活躍し、中国よりの姿勢は、現在のアメリカ軍沖縄基地問題、南京虐殺事件、従軍慰安婦問題などに影響している。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnse …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%9C%B0% …

岡田 嘉子(おかだ よしこ)

戦前のトップ女優 アナウンサー
1931年(昭和6年)に日本共産党指導部の密命を受けてコミンテルンとの連絡回復のためソ連潜入を試みたが失敗した共産主義者の演出家杉本良吉と激しい恋におちる。杉本にも病身の妻がいた。
過去にプロレタリア運動に関わった杉本は執行猶予中で、召集令状を受ければ刑務所に送られるであろう事を恐れ、ソ連への亡命を決意。1937年(昭和12年)暮れの12月27日、二人は上野駅を出発。北海道を経て翌1938年(昭和13年)1月3日、2人は厳冬の地吹雪の中、樺太国境を超えてソ連に越境する。駆落ち事件として連日新聞に報じられ日本中を驚かせた。しかし不法入国した二人にソ連の現実は厳しく、入国後わずか3日目で嘉子は杉本と離されGPU(後の KGB)の取調べを経て、別々の独房に入れられ2人はその後二度と会う事は無かった。日本を潜在的脅威と見ていた当時のソ連当局は、思想信条に関わらず彼らにスパイの疑いを着せたのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0% …

http://byeryoza.com/topic/log2004b/touhikou.htm
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 質問に答えることは非常に難しい。


 なぜなら「国民」が誕生し、権利と義務の規定が作られてからあまり時間が経っていないから。つまり歴史上経験が少ない。
 【国民の誕生ということは国家の形成と同じ意味を示す。つまり今近代国家といわれるものが作られる過程で、その構成員たる国民が定義されていくが、いわく「国民たるもの~せねばならない。」という義務と(国家に忠実であるならば)「国民として~これだけのサービスを提供します。」という権利の関係も同時に定義されていく。フランスはフランス革命のちフランス人となり、日本は明治以後、英国は産業革命、アメリカは独立戦争のち。つまり他国との付き合いの中で自分自身を名乗る際に「私は~人です」といった自己規定の必要から使われるようになった。
 その結果国家の組織は、小さな組織、グループを取り込んでいくことで巨大化し、国家から観た隣国や他国を仮想敵と定め、個人においては国家への忠誠心(逆に仮想敵への抵抗)の証明が重要になっていく。これはかつての大家族が核家族化し、さらに一生家庭を持たない人生のおくり方にも現れている。】
 ただし、いまは国家の求心力が弱まり、個人が自分のイメージ(世界観)を支えに新たな(個人と組織や国と国の)関係へと再編される時期に入っている。つまりキミを含めて地球上のすべての人が、自分の能力をフルに活用して生き延びていく必要が生まれ始めているとうことになる。もう国家はアテにならない。大会社も不可。いまどき国家への忠誠やらいっている連中はもうダメ。
 だから戦争を避けようとするなら、勉強しておき、周囲の情勢に常に神経を張りめぐらしておくこと[諸制度の比較研究、移動ルートの確認、パスポートは常時携帯。]。次にお金を充分に用意して世界中どこへ行っても暮らせるように資産を散在させ、イザという時に備えておこう。

 最後に第二次世界大戦終了時のドイツの例を挙げておこう。大戦終了時、あとに続く占領下での苦境を案じた大金持ちが選んだのは(独立国)スイスへの脱出だった。もちろん政治亡命などはいやがられる。そこでスイスの企業、あるいはペーパー会社を作りそこへ資産を移し。その上で自分自身は大株主として移住してしまった。(今大砲の砲身を作っているラインメタル社など‥)もちろんカネは情報の鉄壁を持ってなるスイスの銀行に入っている。
 現在でも引退した人たちの間で、世界中の暮らしやすい地域を数ヶ月ごとに転々とするやり方を実践している場合がある。金があれば簡単。

 あ、それと今時「戦争状態」で移動できなくなることはありえんからね。そもそも戦火が吹き出す可能性も低くなっている。
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何処に亡命されるのでしょうか?


中韓朝露?
そもそも徴兵逃れでの亡命は政治亡命として認められないかもしれませんよ

戦前、幾人か海外亡命した人はおります。主な亡命先はソ連です。
当時、移住できる先は限られています。その先でどんな待遇が待っていたのか…

もし、アメリカに移住したら…
さぁあなたは日本が嫌で苦労して米国に移住しました。日米開戦!
マンザナー強制収容所にあなたは収容される運命です。そして二つの選択を迫られます。
(1)忠誠登録&従軍拒否…日本へ強制送還されます。そして敵前逃亡罪で死刑
(2)忠誠登録&従軍許諾…442部隊に参加し50%の確率で戦死、生き残っても20%の確率で不具者

ブラジル・ペルー・メキシコ・オセアニア移住
強制収容所送りです

ソ連への亡命
NKVDに拘束され、拷問の末に日本のスパイと言わされて銃殺

アルゼンチンに移住できればラッキー


現代で移住できる先としては、米国とフランスがあります。但しかなり大変です。
アメリカに移住したいなら陸軍に入隊し、アフガニスタンで数年ゲリラとテロリストを殺す事です
フランスに移住したいならフランス外人部隊に5年勤務し、アフガンやアフリカでゲリラと戦ってください
何れも30%の仲間に入らなければ自由が手に入ります。日本の為に戦わず済みます。
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まあ極端にいえば自分ひとりの命ならば逃げれば済むかもしれません。


だけど、家族や友達なんかはみんな戦争に巻き込まれることから逃げられないわけです。亡命したらさ、二度と国には帰れないわけですよ。例えばどこか安全な国でニュースを見て、日本が爆撃を受けているとやっていても、ああ親や兄弟は生きているだろうか、友達は無事かなと思っても安否を確認することもできないわけです。

だから、「俺が生き残ればいい。他の奴が死のうがどうなろうか知ったことではない」という強い意志は必要になると思いますよ。もちろん、それを否定はしないですけどね。
私はおっさんなのでもう召集されることはないでしょうが、もし私が召集されるようになったら「俺も召集されるならいよいよオシマイだな」と諦めるというか、覚悟を決めますね。
んで、戦場で若い人に「俺たちが代わりに死ぬから、君たちは生きて、新しい国を作れ」っていうかな。若い人や子供たちを置いて自分だけ生き残ることは望みません。
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島国である日本から海外逃亡することは困難なので兵役を免れるために他の手段をとりました。



前線にでるに不十分な身体的障害者になることをえらんだ訳です。

もちろん非国民として村八分ですが、生きることを優先した人もいます。

不自由になった身体での戦中、戦後の生活は過酷だったことでしょう。。。
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>僕は国外に亡命すると思います。


 どうするかはあなたが決める事ですから他人がとやかく言う事ではありませんが、もう少し考えた方が良いでしょう。
 まずはどうやって国外へ出ますか?
 そういう状況ですとパスポートは申請しても却下されますし、持っていても無効にされていていますから、通常の方法では国外へ出られません。
 仮に密出国できたとして、他国へは不法入国となります。見つかれば良くて強制送還です。
 北朝鮮なら受け入れてくれると思うかもしれませんが、あの国でお金の無い人に利用価値がありませんし、人権の無い国ですから密入国の犯罪者は家畜同様の扱いになる事は覚悟した方が良いでしょう。
 机上の空論です。
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日本が負けるのが明白な戦争なんて絶対に起きませんよ。

仮の前提がおかし過ぎるのです。

そして第二次世界対戦において日本は負けると思って戦いを始めた訳ではありません。
現に日本は当初連戦連勝でした。そのためにアメリカと全面戦争になり、引かなかったのが敗因となったので、負けるのが解って戦いを始めたのではない事は認識してください。

当時の日本は思想の統制と知識の不足により、召集に応えないと親戚縁者全て非国民扱いになりました。自分が逃げても誰かが犠牲になる世の中だったのです。まともな人間なら、召集に応じるしか手立てはなかったと思われます。

しかし、現代で多様な思想の中、教育もしっかり受けてきた日本人が召集に対し、様々な対応があってしかるべきですし、その対応に対する反応も様々でしょう。
わざわざ海外に逃げる必要性も国内が戦闘地域にならない限りにおいて皆無かと思います。

後ほんの少しでいいんで戦争について勉強してください。
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この回答へのお礼

…と思います。
…でしょう。

まず知識があるなら書き込む事。意見など求めていません。
0点回答。悪しからず。

お礼日時:2012/12/17 18:04

>海外で暮らしていく事を選択したのじゃないかと思っています。



召集令状(赤紙)に応じなければ罰則がありましたよ。
海外に逃れた日本人はいません。

現在は招集はありませんが、仮にあなたに召集令状が来ても逃げられませんよ。
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