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映画「花よりもなほ」で、長屋で飴屋が食い詰めて一家心中したという話があったのですが、宵越しの金を持たず、その日暮らしの江戸っ子が食い詰めるとはどういう事ですか?

働けなくなったとか、借金が返せなくなったとかですか?

A 回答 (7件)

映画は創作でしょうから、その事情は制作上のものと思います。


 
江戸時代でも飴は、少ない嗜好品の一つでしたから、子供や庶民もとても好んでいます。
飴売りを自分の稼ぎにしていた人もそれなりにいたでしょう。
酒売り、水売り、魚売り、野菜売りなども、天秤棒で担いで売りに廻っています。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6317772.html
蕎麦、寿司、飴などは、ちょっとした台を担いで商売(振売り)に出ていたようです。
http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no25.html
http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no206.html
水あめ売りでも、常設の場所で売るよりも、担いでいって適当に人のいるところで売る方が多いです。
http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no158.html
屋根が付いた移動式の店舗で運ぶ商売も多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%8F%B0
長屋の住人の状態は様々です。ぼてふりといわれる商売をするにも手元資金が要ります。職人でも道具が必要だったりします。また勝手に商売を始めたり、他人の客を取ったりすれば、それこそ制裁を受けます。何もない人は、とにかく賃労働しかありません。無職のものも多く、その日その日を手配師が集める日雇い仕事をしていた人が多いです。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/ …
江戸時代の江戸の庶民が気楽だったと、現代感覚では、思わない方が間違いありません。
江戸時代の江戸の住民の多くは、田舎で食えなくなって食うために江戸に出てきた人です。
武家や町家の使用人になれれば住み込みになります。そうなれない場合は、無宿人になります。
江戸の人口過密の場所では、食料生産はできません。江戸の武士も扶持米で暮らしているのです。その武士に対する扶持米もなかなか支給できないほど大名の経済状態は悪かったのです。武士相手に商売をしているのが町人や職人などです。もともとの武士の懐具合が悪ければ、町人や職人の商売や収入は期待できません。 
飢饉が江戸時代にはたびたび発生しました。そうしたとき、田畑や山林があり、雑草も取れる田舎よりも、江戸の方が悲惨な状態になります。住民が多い江戸で食料が減れば、物価は上がるけれど、武士も苦しいので町方では日雇仕事もなくなる。
江戸に住まうということは、食糧事情に大きく揺さぶられる生活をするってことです。その日暮らしよりも、景気変動、飢饉や冷害、虫害が多いか少ないか、それで物価は上下し、仕事もなくなったりするのです。
ある意味、江戸では計画的で地道な生活設計は難しいです。好景気で仕事も増え、懐具合が避ければ、生活を思い切り楽しみ、ダメになったら飢えるしかなかったと思います。
幕府は、江戸からの人返し、加役方人足寄場での就労訓練などをして、江戸の人口を減らそうとしているのですが、田舎では農業生産を維持し生活レベルをキープする以上の多数の人口を抱えては大変ですから、家督、田畑を嗣ぐ人数よりも多い人は、江戸などに稼ぎに出そうとするので、いつでも、江戸は過剰人口になってしまいます。
 
江戸に限らず、飢饉などでは餓死者が多数になります。基本的には、何とか生き延びるために食事の内容を落としていく、体力が弱いものが先に死ぬという、自然の摂理従ったようです。
生計や食糧確保に見込みがなくなった、借金がかさんで返済できなくなったという事情があったにしても、死ぬことで何とかしようという人はほとんどいなかったでしょう。水ばかり飲む、夜逃げするなどでも生き延びようとしたと思います。うっかり自殺を企図して、生き残ったら、身分を剥奪され、もっと悲惨な目に合うかも知れません。できる限りで、なんとか生き延びようとしていたでしょう。

なお、江戸時代の人口調節の一番大きな要因は、結婚しないこと、結婚年齢を変更すること、子供の数を調整することのようです。 その場合も、赤ん坊の間引きや堕胎などもありますが、その人数は人口調整機能としてはあまり大きなものではなかったようです。 
 
情死と呼ばれる心中は、そうした生活困難というよりは、ある意味、情熱や思い込みですから、特殊な事情ではあったでしょう。しかし、当時、結婚は個人の男女の情熱というよりも、社会的な関係と思っていたのでしょうから、現代風に思い詰めるというケースは希だったと思います。
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この回答へのお礼

詳しいご回答たいへんありがとうございました。
苦しい経済状況でも当時世界一の100万人都市だったという事は、地方がよほどひどくて江戸に流入したのか、外国がひどかったのか・・・
どちらにせよ、困窮して一家心中ってのは日常茶飯事ではないですね。
江戸時代について、これからも色々本など読んでみます。

お礼日時:2012/12/23 12:45

江戸の庶民って、人間らしく暮らしていてすごく憧れます。



No5やNo6の方が既に指摘していますが

江戸(=東京)の平均寿命が全国平均に到達したのは大正時代。
http://csr-magazine.com/archives/analysts/rep29_ …

後藤新平が水道に塩素滅菌を導入してからです。
それまでは基本的に江戸(=東京)は人間の蟻地獄です。

No4で飴の開発は「れっきとした町人」と書いたのは
http://www.viva-edo.com/jiti.html
店子は個人として確立した町人ではないという認識です。
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この回答へのお礼

江戸の水道ってすごい、と思いつつも、衛生的にどうなのかって疑問がありました。年に1度「井戸さらい」するくらいで大丈夫なのかって。やっぱり汚れてたんですね。

ちょっと違うけど、ギリシャかローマの水道は鉛管を使ったために子供ができにくくなり、少子化してしまったらしいですね。

れっきとした町人と店子、あまり意識してませんでした。武士・豪商・それらの住み込み以外は、みんな長屋暮らしのイメージなんですが・・・もうちょっと勉強します。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/23 12:55

えっー、これっ映画の話ですよね?



実際にはそんな事は無かったと思いますが。
江戸時代はね、意外と福祉が整っているんですよ。
江戸幕府による公的な福祉ではありませんでしたが。

江戸時代は、武家社会と町人社会の二重社会。
江戸幕府は、町人は町人同士で勝手にやれって、江戸の町を各ブロックに分けて、それぞれに町役人とか町年寄とかって町人の代表者を立てて、民間人ですが彼らにそれなりの法的権限と責任を負わせて町内の行政を担当させていたんですよ。
江戸町奉行所なんて、100万人都市だった江戸の行政を担当する機関としてはあまりにも貧弱で役人の数が少な過ぎます。それは、現在の市役所や家庭裁判所レベルの大半の業務をこの町人の代表者達に代行させてたからこそ可能だった訳で。

例えば、長屋で寝たきり老人が出た場合、大家が長屋の住人達に『命令』して、長屋の住人達が交代で介護させてました。食事の世話なんか、長屋のおかみさんたちが交代で世話してたんですよ。
これは、「お願い」では無く『命令』。長屋の大家にはそういう法的権限があったのです。
その代り、長屋の住人が不祥事を起こせば大家も連帯責任を取らされました。
長屋の住人である職人が、酒を飲んで酔っぱらって喧嘩をした挙句、相手を殺してしまうという事件を起こしてしまった時、その長屋の大家も住人の生活指導を怠った、として江戸ところ払いの罪にとわれました。
「長屋の大家は親も同然」って話が良く出てきますが、長屋の住人が問題起こせば大家も責任を問われたのですから、大家が住人達の私生活まで干渉するのは当然だったのですよ。

と言う訳で、食い詰めて一家心中なんて実際は無かったと思います。
その長屋で手におえなかったら、上の町会に相談しますから、江戸の町でも「村社会」が機能してたんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答の内容は、私の思う理想の江戸像です。
だからやっぱり、「食い詰めて一家心中」には違和感ありますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/23 12:48

そもそも江戸時代に一家心中というのが無かったと思われる。


http://www.rin-5.net/001-250/173-nippon_shinjuu. …

明治時代に一家心中がないことから、家意識が江戸時代と同様なので、江戸時代も一家心中がなかったと推測されます。

http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no96.html
飴も出たばかりの、かなりレアな食品であったかと。長屋に住んでいるような人間でなくれっきとした町人がやていたと思われます。

小説に 歴史小説と時代小説の分類があって、時代小説というのは江戸時代とかを設定にした現代モノなので、該当の映画も時代映画とされるものかと思われます。なので江戸時代で・・・とか言うのは野暮というものかと。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。認識を改めました。
江戸の庶民って、人間らしく暮らしていてすごく憧れます。

お礼日時:2012/12/20 09:39

>長屋で飴屋が食い詰めて一家心中したという話があったのですが



まぁ、江戸っ子は美徳として貯金の概念を持っていませんからね。
大店・両替商は別にして、銭を貯めるのは美徳ではありませんでした。
で、収入の道が閉ざされると心中となります。

>宵越しの金を持たず、その日暮らしの江戸っ子が食い詰めるとはどういう事ですか?

「宵越しの金」は、年を越えての銭を意味するのではありません。
「稼いだ銭は、その日に全額使う。翌日には、繰り越さない」という意味です。
基本的に、江戸っ子は「日給制」なんですね。
大工・左官職人が、約1000円の日給。家族手当とか住宅手当・有給休暇はありません。
これで、嫁さん・子供を養う訳です。
3両(約24万円)あれば、1年間は質素に暮らせる時代です。
「10両盗れば、首が飛ぶ」(10両も盗めば、死刑)も、あながち噂でも無いようです。
昨日貰った給金は、昨日全て使ってしまった。
今日は、雨で仕事が無い。給金も、無い。今日は、飯が食えない。一種の食い詰めです。

>働けなくなったとか、借金が返せなくなったとかですか?

「日給制のその日暮らしの江戸っ子が食いつめる」は、今で言う「完全失業」でしようか。
失業保険も生活保護のありません。
麦芽・砂糖・寒天など材料を仕入れようにも、仕入れる銭が無い。
他の職種に転職する事も、出来ない。
銭を借りる知人・親族も、居ない。
質草も無い。
※娘が居れば、女郎宿に預けて銭を得る手段もあります。
余程、切羽詰った結果ですね。
商売をしていれば、翌日の仕入れ代金は残しているのですがね。
何らかの事情があったのでしよう。
平成の時代でも、生活保護受給をヨシとしないで餓死・自殺する日本人は少なくありません。
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この回答へのお礼

詳しいお話ありがとうございました。
庶民はガチでその日暮らしだったんですね。
現代のように貯め込んでしまってお金が回らない世の中より良い気がしますが、一家心中なんてことが結構あったんでしょうか。何か事情があったんですかね。映画では他にも登場人物が幼い頃、家族が食い詰めて親に殺されそうになったという話もありました。

お礼日時:2012/12/19 23:36

こんばんわ。



映画の話ですので、多分に脚色されているものと思います。

しかし、江戸時代では飴屋は屋台を担いで歩き、「吹き飴」と言って、麦わらのストローの先に砂糖を溶かした、半練りの液体をくっつけて、息を吹き込んで膨らませ。さらに、その膨らんだ飴を指先で摘まんで花や動物などを作りました。

そして、1個が1文(約10円)位でしたので、砂糖の仕入れとの兼ね合いを考えると、一日どれくらい売れば儲けが出たのでしょうか。

さらに、雨の日などは人出も少なくなり、子どもたちも家の中で遊んだでしょうから、飴は売れません。

当然、長屋の店賃(たなちん)もあるでしょうから、とてもとても家族を養っていけるとは思えません。

飴屋だけで生計は成り立たないと言うことでしょうね。
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この回答へのお礼

「吹き飴」って、今のバルーンアートみたいなことしてたんですね。
面白いお話ありがとうございました。
江戸時代にますます興味出てきました。

お礼日時:2012/12/19 23:30

映画を見ていないのですが、江戸時代の江戸っ子の生活は年末決済でした


家賃等は多少滞納しても許されることもありました
落語などでは家賃を払ったことが無いという男もありました
ただ、食事等は現金決済もありましたから
一家心中等は、期末の決済が出来ない、明日の食事が無い等の理由ではないでしょうか
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
映画は長屋の暮らしがリアルに描かれていて面白かったですよ。(本当にリアルかどうかはわかりませんが。)

お礼日時:2012/12/19 23:29

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