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初めて質問します。

質問内容はタイトル通り、国際共通語が必要かどうかということです。

人工言語エスペラントをつくったザメンホフさんは自身の「LA IDEO DE LINGVO INTERNACIA(国際共通語の思想)」という本の最初の方で、簡単に言えば、「国際共通語は必要」→「国際共通語は自然言語ではありえない、つまり人工言語だ」→「人工言語の中ではエスペラント以外はありえない」→「よって国際共通語はエスペラント以外ありえない」という議論をしています。
私は、「国際共通語は必要」ということ以外の流れには賛成ですが、一番重要な「国際共通語は必要」という確信が持てないでいます。むしろ、今の時代には必要ではないのではないかという気さえしてきます。

説明不足かもしれませんが、国際共通語が必要か、不必要か理由と共に教えてください。
完全な正解というものはないかも知れませんが、意見を聞かせてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (19件中1~10件)

エスペラント語・・・懐かしい名称ですね。


小学生の時に社会の授業で知って憧れました。

ローマ字や英語を勉強するなら最初からエスペラント語を
勉強すれば世界旅行が楽だと考えたのですが・・・ね。

現実的には厳しいと感じますね。

ネット言語とする様な世界同時教育でもしないと
今は音声変換で数ヶ国語が携帯でも出来ます。
バイリンガルも進んでいますし、筆記よりも口頭での
コミュニケーションの方が親近感は速く湧くと思います。

ナショナリズムから母国語の保護と言った保守的な
壁も厚いと感じます。

矛盾した回答ですが国連で推進したとしても普及よりも
機械による同時通訳機の方が安価で世界中に広がる
スピードは速いと思います。

この回答への補足

回答をしてくださったみなさん、数々の回答ありがとうございました。大変参考になりました。
最初の方に端的に分かり易い意見をいただいたusagiminntoさんにベストアンサーを、と思います。

補足日時:2012/12/23 13:40
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私が国際共通語の必要性に疑問を持っていたところを言葉にしていただいた感じで、納得しました。

優れた翻訳機能のコンピュータが現れた(現われるだろう)こと。
保守的な国があり、世界共通語の浸透が難しいこと。

この2点は確かに国際共通語が不必要、あるいは国際共通語を制定することが難しい理由になります。

お礼日時:2012/12/20 19:04

なるほど分かりました。

ご説明ありがとうございます。

バベルの塔と申しましたのは、引き続き閲覧者が発展的に参加するには経過が散発的だから整理された方が建設的に思うのです。経過を読む気にならないでしょう。それと今現在、質問者の考えがどうなったか。

「発展」という名の「すり替え」がなされようとしていませんか。
「願望」だけど「不可能」を夢物語と言います。
「必要」だが「不採用」は、「必要」だが「不可能」ではありません。「必要だが不採用」自体が偽りの文なのです。人工言語の感覚なら偽りとは言えなくてもそれは小児の言葉づかいです。「不採用であれば必要ではないのです」必要だけど不採用はウソ・方便です。必要ではないから採用されないのです。
つまり「必要ならば」「採用される」と文を二つに分けたら論理遊び(屁理屈)の始まりです。

質問者は、必要(≡採用)の議論を避けて、可能の議論にすり替えています。
世界共通語は不可能ではありません。不必要なのです。
英語に関しては世界共通語の一つにたとえられるのであって、英語は世界共通語ではないのです。英語を話す人らの母語です。必要だから話すのです。英語人口は、必要性を示しています。

世界の言葉がむらなく一様に混ざり合う日が来ればそれが共通語を話している状態です。
日本語は漢字を使います。漢熟語の中に外来の原理が混在します。
今日でも英語対話者同士が対等な英語とは言えませんがそれでもそれを英語対話の成立とするのですよね。


日本語の乱れとは言いますが、それを正す必要性がないからでしょう。

日本人一億人の日本語は乱れていても日本人一億人の共通語です。
新設すべき世界の共通語は誰の共通語になるんですか。エスペラント学習の人口以下でしょう。

循環論法的ですよ。
なぜ世界共通語による対話が望ましいのだ。世界共通語が必要に思うから。どう必要になるのだ。世界共通語による対話が理想的だから必要だ。

エスペラント話者以外に価値のない論理遊びです。

使われていない≡使うまでの「必要性がない」、つまり「必要ではない」の一言で終了です。
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この回答へのお礼

3度にわたる回答ありがとうございます。

>引き続き閲覧者が発展的に参加するには経過が散発的だから整理された方が建設的に思うのです。

確かにそうですね。ある程度のところで、必要に応じて新しく質問を新設します。

>「発展」という名の「すり替え」がなされようとしていませんか。
という文から始まる段落についてです。
「不採用ならば不必要だ」という話ですが、これには議論が必要です。なぜなら、不採用という言葉は明らかに「誰か」が不採用にするということを意味しています。しかも、不採用を決定できるほど「偉い人々」です。私が言いたいのは、その「偉い人々が不採用としたならば、国際的に不必要になる」とはならないと思うということなのです。
国際共通語は、確かに国や大きな組織が決定しなくてはいけないのかもしれません。その意味では、つまり「偉い人々」から見れば、「不採用ならば不必要だ」は成り立ちます。しかし、国際共通語は誰かのものではありません。世界の人、ひとりひとりのものです。一人ひとりが必要と感じているならば、国際共通語は必要となるとも思います。(こう書くと、私がまた国際共通語は必要なんだと主張しているように思われるかも知れませんが、あくまでもそう考える事も出来るということを提示し、さらに話を深める可能性を示しているだけです。)

>質問者は、必要(≡採用)の議論を避けて、可能の議論にすり替えています。
全くすりかえていません。「不可能だから不必要だ」という回答がありましたので、「可能性の話と必要性の話は独立して考える事ができる」と申し上げただけです。

英語に関してですが、英語が国際共通語でないことは重々承知していますが、「母語だから話すよって、必要性がある」はおかしいと思います。母語でない人によっても話されることはたくさんあります。私も英語を話します。
そういった意味で、「国際共通語の必要性があるから、英語がその代わりをなすようになった」と考えられると申し上げたのです。もしそうなら、国際共通語は不必要とはなりません。
英語人口というのは、曖昧な表現ですが、英語を「母語」、「母国語」、「第一言語」、「公用語」あるいは「共通語」としている人のことをいうのであれば、私は英語を話しますが、その中に含みません。

>世界の言葉がむらなく一様に混ざり合う日が来ればそれが共通語を話している状態です。
これは回答者さんの共通語の定義ですか?もしそうなら、私の国際共通語の定義とかなり違いますから、今までの回答は参考になりません。

>日本語の乱れとは言いますが、それを正す必要性がないからでしょう。
日本語の乱れと誰が言うのですか?ただ言葉が変わっていっているだけです。日本語は例えば、人工言語とは違って、文法が先にあってできたわけではありませんので、正しいとか、間違っているなどとは議論はできません。「教養がないように聞こえる日本語」なら存在すると思いますが。

>日本人一億人の日本語は乱れていても日本人一億人の共通語です。新設すべき世界の共通語は誰の共通語になるんですか。
これもよく勘違いされる方が多いのですが、国の共通語と国際的な共通語とは議論を同じくすることはできません。どこかの回答の返事でも書いたように、国には統治権があります。その統治権の及ぶ範囲で共通語を定めることと、国際共通語を定めることは全く違うことです。

>エスペラント学習の人口以下でしょう。
エスペラント学習者の人口がお分かりになるのですか?私は分かりません。私は日本エスペラント連盟にも国際エスペラント連盟にも入っていませんので、いわゆる「公認のエスペランティスト」あるいは「公認のエスペラント学習者」としてカウントされません。そのような人はたくさんいます。それなのに、エスペラント学習者の人口を予測できるなんてすごいですね。

>循環論法的ですよ。
やっと回答者さんが言う循環論法がどのようなものか理解できました。そして回答者さんが間違っていることも理解できました。
というのは、まず、「なぜ世界共通語による対話が望ましいのだ。」と考えていないからです。そう考えている時点で、国際共通語による対話が望ましいということではありませんか。そんなことは申し上げていませんし、考えていません。むしろ質問で、それを質問しているのです。

>使われていない≡使うまでの「必要性がない」、つまり「必要ではない」の一言で終了です。
この部分は回答者さんの意見として理解しました。

お礼日時:2012/12/23 13:07

何の話をされてるのですか、からです。



貴方も世界は始めは言語は一つで世界中が意思の統一が出来ててユートピアが続いてた、*キリスト教のエデンの園*と言う神話を御存知じゃ有りませんか?

その頃の言語が日本語だったと言ってるんですが?

現代の科学で児童翻訳機は作れますので、一部では
もう出回っていますよね? 旅行用会話.日常語の数か国限定では有りますがこれを進化させた機器を世界中にばら撒いたら、言語問題に何が不都合有るんですか?

大体英語.ローマ字は欠陥言語じゃ無いのかな?
1 たった20何文字の組み合わせでの単語の羅列対日本語は?

2 漢字.平仮名.カタカナで自由自在に文表を作るのは合理的なのでは?
3 逆に聞きたいが英語で外来語が英語圏内の国に入って来た時に如何してるのかな、ちなみに私はようやくABC が分かる程度ですのでヨロシク、日本語では直ぐ分かりますよね?カタカナで振り分けてますので。

4 後漢字の利点は文盲の人にも絵文字じゃない漢字の案内でも看板等でも一目で分かりますが漢字圏以外の文字でそういうの有ったら教えて?山.川。大とか眼さえ見えれば理解出来ない人は居ないと思いますがマウンテンとかABC をくっ付けた単語で文盲の方は一目で分かると思いますか?

5 文章の書き方も横文字で何か左から右えの一方方向だけの文章だけって英語は寂しい過ぎませんか?
少し日本語文章を研究して欲しいんですが英語圏は?横書きは左右有り+縦書き右から左へ等
何なの英語は相変わらず同じままで進歩してない。
6 小説等の本でも英語圏等の本は大して文章を書いて無いのにABC の組み合わせの単語だけだから文字がやたら長く成るのは欠点では? 例 山一字が英語では何文字に成るんですか、カタカナでも5倍でABC は10倍近く成るンジャナイノかな、こういうのも欠点と思いますが?

  
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この回答へのお礼

再びの回答ありがとうございます。

すみません。やはりいいたことがよくわかりません。

ひとつひとつに指摘を入れることは可能ですが、それだと全てに指摘を入れることになりますので、ご自分でお考えになってください。
1つだけ言いますと、私の質問内容とご自身の回答内容がきちんと対応しているかを考えてください。

お礼日時:2012/12/23 11:59

浅学ですが通りかかりましたので、狭い了見かもしれませんが回答させて下さい。



国際言語が必要か否かの論題についてはいくつかの問題を内包します。

まず、「国際共通語が必要か、不必要か」という論題は、その結論の後に一部の人間が統制する言葉のように捉えられてしまいます。「国際言語が必要であるか否か」→「必要である」→「それではその言語を制定しましょう」→「制定しました」→「それではそれを普及させましょう」と。私自身はこの語感から思うのですが、その言語を世界各国の色々な言語を使用している人達は、果たしてその言語を新しく習得する、あるいは新言語として選択できるのでしょうか。その選択の自由については、各地域に住んでいる各言語を母語に使用している人達が持っています。しかし上記の論題からは一部の人間による統制の意図を含んでいるようで、個々人の自由と権利を尊重する現代においては不適切であるように思われるのです。
(そして、エスペラントを例に出しますと、こうした人工言語はその普及率から見ると新規に話す言葉として選択される事はありませんでした。)

非常に細かい話しなのですが、重要な事なので書きますと「国際共通語が必要か、不必要か」といった一部の人間による統制ではなく「国際共通語は今後、世界各国の人達に必要とされるか否か」といった、言語を話す人達に選択してもらうような定義に置き換えた方が良いように思われますが、いかがでしょうか。

(私もつい最近知った部分もあるのですが)社会とは理論的に統制する事はほぼ不可能であり、核となる思想や神話からそのイデオロギーの流れで社会が決定されます。この為、画一的にこうであるべきという理論は社会に対して適用できないのです。

そして、「国際共通語が必要か、不必要か」あるいは「国際共通語は今後、世界の各国に必要とされるか否か」という題目には、国際共通語が現状存在しない、という前提が必要ですが、他の回答者の方が仰られている通り、英語が国際共通語の土台を築いています。

世界情勢の分析に定評のあるロンドンエコノミストの編集部が「2050年の世界」において、言語の未来予想を次のように書いています。

(同著120ページ、121ページより引用)
人類文化の最高の代弁者、言語を例にとって考えてみよう。数百年のタイムスパンで見ると、二十世紀には特筆すべき事態が数多く起こったが、その一つとして挙げられるのが、英語の華々しい興隆だ。現在の英語ほど世界じゅうに広まった言語はない。どの大陸にも英語を母語にする人々がいて、どの大陸にも、英語を公用語にする国がある。これらの国々の総人口は二十億人(必ずしも英語を話せるとはかぎらず、全体の半分はインドが占める)。科学出版の分野における英語は、明らかに共通語として用いられている。二〇〇一年、科学論文の九十パーセントは英語で書かれ、占有率で二パーセントを超える言語はほかになかった。

このような成功は、言語としての英語の特徴とは関係がない。すべては、産業革命や通信革命を含む数世紀のあいだ、イギリスとアメリカが握りつづけてきた世界的覇権の賜物なのだ。いったん固定化された状況は、終わらせるのがむずかしい。QWERTY配列のキーボードのように、非効率な点があっても(現時点でキーボードを設計するなら、左手の小指のところにAを持ってこようと思わないはずだ)、世界じゅうが英語を知ってしまった以上、現状を転換するのはほとんど不可能なのである。

(中略)

つまり、主要言語への集中が予想される中で、首位の座には英語がとどまり、第二グループに中国語やスペイン語やポルトガル語がつけるわけだ。

----(引用終わり)

私個人の意見ですが、理論構築→適用というアプローチは間違っていません。但し、言語の上位には、使用する各地域の人間の決定があり、その決定の上位には、思想や神話、あるいは経済・軍事などによる世界覇権に伴う政治的決定などがあります。これらに対する理論の適用から言語に対する理論適用をするのが妥当だと思われます。

さて、それではそれらの要因について、各地域の人が国際共通語の習得を必要とケースは発生しうるでしょうか。
上記エコノミストの文章を前提にすると、国際共通語が英語から外れる事はしばらく無さそうなので、英語を国際共通語として捉えますと、生活に英語が必要となったら習得する、という形で言えば、その範囲は拡大されて行く状態にあると言えます。しかし、完全に英語で世界が染められる事はなく、世界と仕事をやりあう人達がその活動範囲や、あるいは人数そのものが増える為に、英語の使用頻度が増えるのであって、関係の無い人達は憶えないまま一生を終わる事になると私は予想しています。

私も英語にはあまり関わらない生活をしているのですが、youtubeのコメント欄を見てみると、英語を使っている人は、アメリカ・イギリスのみならず、ドイツ、フランス、ノルウェー、ベルギー、ブラジル、サウジ、フィリピン、マレーシアと殆どの人が英語を共通語として使っています。スペイン・ポルトガル語圏の人達はやはりスペイン・ポルトガル語を使う傾向があるようですが、圧倒的に使用頻度が高いのが英語なのです。ごく希にタイ語を使っているタイ人の人(初めはわからなかったが、Google翻訳に通したらタイ語と分かった)がいますが、やはり英語も使います。また、お国柄か、はたまた私が見ている動画に偏りがあるのかもしれませんが、なぜだが中国籍、韓国籍、ロシア籍の人のコメントはあまりいません。ここまで把握しているのはなぜかというと、過去にいくつかの動画に対して、コメントしている人達のプロフィールを一つ一つ統計的に追った事があったからです。

また、私の主観・経験談ですが、日本発、諸外国向けの資料というものはおおよそ英語でした(例えそれがアジアであろうとも)。英語を知っていればどこでも完全に通用する、という訳ではないのですが、現在世界の共通語として使われるのは英語であり、LinguaFrancaさんもそれは嫌というほど見てこられたかと思います。
そして、それが世界に必要であるか否かを論ずれば、その使用頻度は今後も益々増え、国際共通語としての需要は増えていき、その地位は磐石となります。

完全なる国際共通語は存在しない(それを各地域の人達が必要としない為)が、使用範囲、頻度的に英語が首位を占める。それは単に人がそうしようと決めた訳ではなく、地域覇権的、技術的に浸透した結果だった。国際共通語を一部の人間が一義的に決める事はできない。今は国際関係で仕事に必要な面もあり、その英語が共通語として今後も使用される事になるだろう。
それは仕事の国際化、技術的覇権、そしてその技術を使う仕事や生活の範囲に影響されるだろう。技術とその覇権範囲、その技術を使う仕事や生活の範囲に言語が影響を与えるのであれば新技術の発展が例えば日本で起これば、日本語が部分的にもそこへ反映されていく。ロボット(robot)という言葉は、元々チェコの戯曲中のチェコ語による造語(強制労働者[robotnik]の語幹)であったのが、世界的に採用されたのであった。
日本が研究のメッカとなれば、おのずと日本語を覚える人も増えるでしょう。しかし、それを今まさにやっているのがアメリカである。この流れはそうそうに変わらない。英語で技術開発をし、その英語で作られた技術を更に研究する為、英語を勉強した人が集まり、そしてその技術により使用頻度も増える。また、ビジネスも現在はおおよそ英語を中心に回っており、その中心と取引するためにはやはり英語が必要であり、その需要の方向はそうそうに変わらない。よって英語が言語のデファクトスタンダードとなる。

というのが私の意見です。
返信お待ちしております。

---余談---
英会話教材「ロゼッタストーン」でのCMに違和感があります。

舞妓さんが英語を憶えて、外国人旅行者に英語で道案内する、という内容で、「Go straight! 」と元気よく言っています。ただ、気骨あってプライド高い京都での本来のセリフは次のようなものが妥当では無かったかと。

-----
セリフ:
「日本語すら憶えずに、何をしにここへ来はったんどすか? 
 外国人やから、こちらが英語を喋るとでも思いはったんどすか? 
 ささ、ぶぶ漬けでも100杯くらい食べて帰りなはれー。」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「国際共通語が必要か否かという議論が、背後に誰かによる統制という意味が含まれている。」
「合理的なやり方では国際共通語を広めることは難しい」
「自然な流れの中では、英語が興隆してきた。そして、英語がこれからも共通語として活躍するだろう。」
という主に3点をいただきました。

まず最初の点ですが、私はそのようなことは意図していませんでした。しかし、そう聞こえるなら、質問は変えた方がいいですね。ただ、例えば、「英語が興隆してきた→英語は国際共通語だ」という流れ(暗黙の了解)も、考えられると思います。そして、その背景にはもしかしたら、「国際共通語が必要だから」という世界の流れがあるかもしれません。その場合、国際共通語は必要だということになると思うのです。
回答者さんの文章を見る限りでは、
>理論構築→適用
と書いてあるように、「国際共通語は人工言語だ」あるいは「国際共通語は会議で決めよう」と私が考えていると思われているようです。そういうことならば違います。

次の点ですが、これは確かにその通りだと思います。
引用も大変参考になりました。

最後の点ですが、これは最初の点と通じることですが、「国際共通語の必要性」→「英語の興隆」ということも考えられると思います。もちろん、回答者さんがおっしゃったように、英語が興隆してきたのは「産業革命の中心にイギリスがあった」ことや「IT革命の中心にアメリカがあった」ことが大きな原因だと思いますが、そうやってできたグローバル化(アメリカ化)の波に乗らなきゃまずいと各国、あるいは人々が考えたことも確かです。そういった点で、「国際共通語が必要」(英語圏以外の人同士がやりとりする機会が増えたことによる)→「丁度英語があるじゃん」(IT化がアメリカを中心に起こったことによる)という流れもあると思うのです。これは本当に自然の流れですが、もしこうなら、「国際共通語は必要だ(った)」ということになると思うのです。英語の興隆と国際共通語の要否の関係性の一つの可能性です。

また、youtubeに関してですが、これは元々アメリカのものだということと、youtubeが見られない地域もあるということを知っておいてください。中国籍の人が少ないのもそのせいでしょう。中国ではほとんどの地域で見られません。

お礼日時:2012/12/23 13:38

丁寧かつ紳士的なお礼とご説明ありがとうございます。



前の回答者さんの結論「新設されてない→不要」は対偶になっていますので論理的に大丈夫です。

日本語文法のご説明は明快なのに、他のお礼文については、質問者と批判者はエスペラントじゃなきゃ通じ合えないのかしらというくらい日本語が障害されてませんか。
人工言語を習得した結果、決まったカードしか受け入れない自動改札機のような出入力人間になるようならば、必要どころか禁止言語です。多様性保全どころか多様性守るはずの人工言語が母語能力を自傷します(ミイラ取りがミイラ)。母語のみならず自然言語能力一般を破壊するようならば恐ろしい補助言語ですよ。エスペラントを習得された質問者さんは母語能力に悪影響がありませんでしたか。


先の回答でも提案しましたが、ここまでの必要性を箇条書きにして提示されるべきです。

先の回答前段で私が指摘したのは循環論法的な必要性作りになっているということです。質問者が国際共通語学んだから始まったのであり忘れたら終わるのです。エスペラント強迫症です。
必要もなく覚えた死語的なプログラム言語の必要性を後付けしています。覚えても使い道のなかった人が覚えていない人にとっての必要性を説くなかれ。まるで聖書ですよ。循環論法的な価値付けです。


本質問がバベルの投になってきています。必要性をまとめて、しかと見せて下さい。
パッパラパンドラの箱を開けてみて残されたものが人工言語では困ります。そんな予感がします。
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この回答へのお礼

再びの回答本当にありがとうございます。

「新設されてない→不要」は確かに対偶になっていますね。
私は前回の回答者さんは、「もし必要とされているのなら、もう作られて、使われています。」ということで、「必要でないから使われてないのだ」という主張をしたのだと思って、あのような返事をしました。

>質問者と批判者はエスペラントじゃなきゃ通じ合えないのかしらというくらい日本語が障害されてませんか。
どのような点からそう判断されたのでしょうか。私は全ての回答に対して、分からない点、不透明な点には分からないと返事をして、慎重な議論が必要な点、理解した点、勉強になった点などにはそれぞれの点に対してそれぞれの返事をしたのです。お読みになっていただければ分かると思います。
それに批判者というのは何に対する批判なのでしょうか?私は、国際共通語は必要だとも必要でないとも主張していません。批判も何も質問に対するお答えをいただいているだけなので、批判者とはとらえていません。
もし、それぞれの返事に関して、私が理不尽なことを言っていた場合は申し訳ありません。

>エスペラントを習得された質問者さんは母語能力に悪影響がありませんでしたか。
どうでしょう。分かりません。私はエスペラントだけではなく、中国語、朝鮮語、英語、ラテン語、アイヌ語等勉強してきました。それに加え、日本語教師能力検定のための勉強など、日本語に関しての勉強もしています。
前々から他の返事等で申し上げている通り、エスペラントにこだわっているわけではありませんし、私はエスペランティスト側でも、国際共通語支持派などでもありません。純粋に「国際共通語が必要なのか」を質問し、議論しているだけです。「私がエスペラントに没頭するあまり、日本語能力が欠如している」と回答者さんがおっしゃっているように思われますが、そういうことならば、心外です。

>エスペラント強迫症です。
どうしてエスペラントにそんなにこだわっているのでしょうか?
エスペラント抜きでも国際共通語の議論は十分できますし、エスペラントを学んだから国際共通語の議論をしなくてはと思ったわけでもありません。質問者さんが私に対して一種の決めつけや、先入観をもっていないかと思ってしまいます。

>必要もなく覚えた死語的なプログラム言語の必要性を後付けしています。覚えても使い道のなかった人が覚えていない人にとっての必要性を説くなかれ。
私は、必要性を説いているわけではありません。より議論をよくするために、国際共通語にはこんな考えがあると一般的なことをいっているだけです。

>循環論法的な価値付けです。
どこが循環論法になっているのでしょうか?

>本質問がバベルの投になってきています。
言っていることが理解できません。

>必要性をまとめて、しかと見せて下さい。
その必要性(あるいは不必要性)を質問しているのです。

>パッパラパンドラの箱を開けてみて残されたものが人工言語では困ります。
言っていることがよくわかりません。

抽象的な比喩などを使わないで私にもわかるような日本語で書いていただけると理解できると思います。

お礼日時:2012/12/22 18:52

>今の時代には必要ではないのではないか


僕もそう思いますよ。
もし必要とされているのなら、もう作られて、使われています。
結局、国(言語圏)という枠組みにおいて、各々が最大利益を求めて行動した結果、国際共通語の新設に至っていないという時点で、世界的には不要ということです。

海外旅行なんか行けば、それは自明であって、お互いがどの国の言葉で話すかはTPOによって決められます。
だから露天商は日本人観光客に「千円!千円!!」と日本語で呼び込みをして、細かいニュアンスは双方が英語で話します。
このような言語の切り替えが、お互いの最大の利益をもたらすコミュニケーションだからです。
(言語だけがコミュニケーションではなく、どの言葉を使うのかもコミュニケーションのうち)

質問の趣旨から外れますが…
まぁ仮に国際共通語を新設する必要があるとしても、エスペラントはあり得ないでしょう。
国際機関において各国の言語学者たちが作ると思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>もし必要とされているのなら、もう作られて、使われています。
この話には厳密な議論が必要だと思います。
A:必要とされている
B:作られて、使われている
とすると、回答者さんは、AならばBという考えをとっていますが、「Aでない」ならば「Bでない」とは必ずしもならないのです。
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%8F_(%E8%AB%9 …
つまり、
>もし必要とされているのなら、もう作られて、使われています。
とおっしゃったとしても、「必要とされていないから、使われてない」とはならないのです。
他の回答でも書きましたが、私は、「必要、不必要の議論」から「可能、不可能の議論」へと話を展開させることができると思うのです。つまり、「必要であっても不可能」な状態が成り立つとおもうのです。その場合、一つの可能性として、
>国際共通語の新設に至っていないという時点で、世界的には不要ということです。
とはならず、国際共通語の新設は必要であるが、不可能だとなりえると思います。

2番目の段落はおもしろい例ですね。
>言語だけがコミュニケーションではなく、どの言葉を使うのかもコミュニケーションのうち
はなるほどと納得しました。

>まぁ仮に国際共通語を新設する必要があるとしても、エスペラントはあり得ないでしょう。
国際機関において各国の言語学者たちが作ると思われます。
というところは、非常に興味深いです。想像でしかありませんが、エスペラントを超えるような人工言語の出現は難しいと個人的に思います。しかし、各国の言語学者が国際共通語を作る未来を創造すると本当にわくわくします。

お礼日時:2012/12/21 19:57

エスペラントの存在も認めますし、 英語が国際語として機能していることも認めますが、


文学や思想は母国語でしか語れないと思います。
英語に堪能な人は思想も語れますが、 エスペラントによる優れた文学や思想書ってあるんでしょうか。 思想や文学を表現できる人工語が作れますかね。

ところで、 世界中の読むに値する図書はほとんど日本語で読めます。
原語で読むのが理想ですけれども。
読むに値する本のほとんどが日本語で読めるということは、意外な落とし穴ですが、 日本語は国際語でもあるということです。

今の外国語教育は、 話せること自己主張もできることが重視されているらしいですが、 本が読めなくては外国語を習得したことにはならないと思っています。 ご質問とは関係ありませんが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>エスペラントの存在も認めますし、 英語が国際語として機能していることも認めますが、文学や思想は母国語でしか語れないと思います。
その通りだと思います。しかし、国際共通語は、ある人の母国語や母語に入り込むようなものではないのです。あくまでも補助言語です。その土地の文学や思想はその土地の言語で書くことが望まれます。

>エスペラントによる優れた文学や思想書ってあるんでしょうか。
優れているかどうかは分かりませんが、文学や思想書はあります。
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9% …
さらに言えば、エスペランティスト(エスペラントを話す人)同士の子供もいます。その子供は母語としてエスペラントを話します。私たちが日本語を話すのと同じようにエスペラントを話すのです。その子が文学に明るければ、優れた文学も誕生するでしょう。

>読むに値する本のほとんどが日本語で読めるということは、意外な落とし穴ですが、 日本語は国際語でもあるということです。
まず、「読むに値する本」とはどのような本でしょうか?
また、この文章の論理がよくわかりません。すみません。

>本が読めなくては外国語を習得したことにはならないと思っています。
これはいただけません。文字の無い言語はどのように考えていらっしゃいますか?世界には文字のない言語はたくさんあります。それらは言語ではないのでしょうか?文字というのは言語にとって副次的な意味しかもちません。

お礼日時:2012/12/21 20:15

> エスペラント語の理念・理想は意識していません。

純粋に国際共通語の必要性の質問です。

意識せずとも、国際共通語が浸透し、完成度が高まれば高まるほど、国家の概念が希薄になりますので、現在の国家を主体とする世界の枠組みは、国際共通語を受け入れないでしょう。

尚、まず理念・理想の部分を理解しないと、国際共通語に関し、議論は始まらないと思います。


> 言ってしまえば、ある程度のレヴェルの低さならば、国際共通語は不可能ではないということになりますよね。

低レベルのコミュニケーションで良ければ、国際共通語である必要性も無いとも書いており、実際的・実質的にも、既に英語などがその役割を担っています。


>> 国際共通語もモチロン「有用性・利便性はある」とは言えますが、それが国際共通語である「必要性や必然性は無い」のです。

>とおっしゃっていますので、結論として、

「有用性・利便性はあるとは言えますが・・」が私の結論なので、結論の結論は不要です。

低レベルのコミュニケーションツールとしてなら、「あれば役に立つけど、それなら別に要らない。(英語などで充分に代用が可能)」です。

「可能/不可能」については、現在の世界が国家を核とする限り、「不可能」です。
国家の為政者にとって国際共通語は、宗教などと同じく「毒」だからです。

国際共通語は、ザメンホフの理念・理想に基づき、国家の概念などを打ち破り、平和を希求する目的であってこそ必要なツールです。
即ち、「同国人が母国語を用いてコミュニケーションするのに近い感覚で、外国人間でコミュニケーションが出来る言語」であれば、必要性があります。

一方、それ以外の、単なる便利コミュニケーションツールの一つと言う程度であれば、「必要性は皆無」です。
実際・現実にも、世界の大半が、そう言う選択を行っています。
この現実・事実を無視してはいけません。

逆に、質問者さんは、「何故、世界各国の殆どは、実際にエスペラント語を学ばないのか?」「何故、エスペラント語は浸透しないのか?」からアプローチされたら良いかと思います。
世界にとって必要性が存在すれば、必ず浸透するハズです。

その答えは、「必要としていないから」か、「国際共通語の必要性は、単なるコミュニケーションツールとしてでは無いから」のいずれかとしかなりません。
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この回答へのお礼

二度に渡る回答ありがとうございます。
大変勉強になります。

>尚、まず理念・理想の部分を理解しないと、国際共通語に関し、議論は始まらないと思います。
>国際共通語は、ザメンホフの理念・理想に基づき、国家の概念などを打ち破り、平和を希求する目的であってこそ必要なツールです。
私が申し上げたかったのは、エスペラントの理念・理想に限ってはいないということです。ザメンホフさん自身、自分の思想とエスペラントは何の関係もないと主張しています。(私はそれはどうかなと思いますが。ただ、エスペラントを宗教としてとらえてほしくなかったんだと思います。)
私の中では、エスペラントと国際共通語は全くのべつものです。

>実際的・実質的にも、既に英語などがその役割を担っています。
これには厳密な議論が必要だと思います。私はほかの回答でも書きましたが、「国際共通語が必要である」→「英語がその役割を担うようになった」のかもしれないとも考えています。しかし、回答者さんの意見も理解しています。

>「可能/不可能」については、現在の世界が国家を核とする限り、「不可能」です。
話は少しずれるかもしれませんが、私は、「可能、不可能」の議論と「必要、不必要」の議論は全く違う、独立して議論できると考えています。回答者さんが「不可能」であると結論づけるのは理解しました。しかし、「不可能」だから「必要、不必要の議論はいらない」とはならないと思うのです。逆に、「必要、不必要の議論」から、「可能、不可能の議論」へと移ることも可能であると思うのです。つまり、たとえ「不可能」であったとしても、「必要であるが、不可能」であるのと、「不必要で、不可能」というのでは全く意味が変わってくると思うのです。どちらにしても「不可能」なのだからという考えならば、それも一つですが、やはり、「必要」か「不必要」かが知りたいのです。

その上で、
>一方、それ以外の、単なる便利コミュニケーションツールの一つと言う程度であれば、「必要性は皆無」です。
実際・現実にも、世界の大半が、そう言う選択を行っています。
この現実・事実を無視してはいけません。
と回答をいただきました。回答者さんの「必要性は皆無」というのは理解しました。しかし、「世界の大半がそういう選択を行っています。」の部分ですが、これは、不必要だからでしょうか?どちらかというと、「不可能性」である議論に近いとおもいます。というのは、「そういう選択」をしているのは、個人というより、国家単位であり、それこそ回答者さんが「現在の世界が国家を核とする限り、「不可能」です。」とおっしゃったことに通じることだと思うからです。
個人単位だとしても、個人が「必要・不必要」どちら選択したかを把握することは難しいので、ここでは議論できません。

>「何故、世界各国の殆どは、実際にエスペラント語を学ばないのか?」「何故、エスペラント語は浸透しないのか?」からアプローチされたら良いかと思います。
これは熟考したいと思います。

お礼日時:2012/12/21 19:38

何にとって必要かを特定しないと議論にならないでしょう。



必要だという論では、人工言語をわざわざ新たに学ぶ手間と、人工言語の不自由さ
にもかかわらず、完全平等を優先的に追求するべき状況下では必要だ、
ということになるでしょうが、完全平等を優先的に追求するべき状況の
具体例(裏を返せば、完全平等ではない場合に弊害が生じている具体例)をあげる
ことになると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

国際共通語ですので、もちろん世界の人々にとって必要かどうかということです。

回答者さんは国際共通語の中でも、人工言語(あるいは人工言語が国際共通語になった場合)の話をされているようなので、人工言語に限って話をします。
人工言語には自然言語と比べて、メリットもデメリットもあります。
メリットは完全平等(比較的中立性がある)だけではありません。比較的学習が容易であったり、言語によっては論理的であったり、あるいは自由度が高い言語もあります。

ところで、文章全体の論理性がよくわかりません。すみません。

お礼日時:2012/12/21 20:27

ある国の自然言語を国際共通語にするのは反対です。


国際間の交渉において、国際共通語を母国語にしている人が断然有利になるからです。

生物の多様性が絶滅リスクを低減しているのと同様、言語の多様性が文化の退廃を防いでいると思います。
ザメンホフさんは欧州言語だけを基盤としてエスペラント語を設計しましたが、アジアの言語を基盤として人工言語を作っても良いと思います。世界中に複数の人工言語が共通言語として使われ、多くの人が自然言語である母語と人工言語である国際共通語のいくつかを使いこなす社会が理想の社会だとおもいます。

日本人と中国人が会話するのに英語を使うのは問題ありません。
しかし、英国人と日本人が論争するのに英語を使うのは全く良くありません。
英国人と日本人が共に共通の外国語を持って居ればよいのですがね、、、、。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

非常におもしろい意見でたいへん参考になりました。

確かに「国際」共通語にこだわる必要はないかもしれませんね。

>多くの人が自然言語である母語と人工言語である国際共通語のいくつかを使いこなす社会が理想の社会だとおもいます。
この考え方はありませんでした。本当におもしろい考え方で国際共通語より現実的であると思います。

国際共通語への新しい考え方がみえてきました。

お礼日時:2012/12/21 20:33

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