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この文章の構文が分かりません。文法にお詳しい方ご指導をお願いします。

But to what extent are Venezuelans and Zimbabweans attracted to the Beijing Consensus,
admire China's doubling of its gross domestic product over a decade, or are induced by the prospect of access to a large and growing market?

私は、以下の様に、3つ(1,2,or 3)の疑問文を1つの文章にしたものと考えました:

1. to what extent are Venezuelans and Zimbabweans attracted to ~

2. (to what extent Venezuelans and Zimbabweans) admire China's doubling~

3. (to what extent) are (Venezuelans and Zimbabweans) induced~

1と3の疑問文に関してはしっくりくるのですが、その間に挟まっている2の文をどのように理解してよいのか(それとも2は1と3と並列の疑問文でないのか)分かりません。

どなかたよろしくお願いします。

A 回答 (19件中1~10件)

質問者様へ:


この英文の出典は何ですか。
私が検索したところによりますと、同じ内容の英文が4種類ありました。
1.http://books.google.co.jp/books?id=jThyCT8d3mYC& …

2.http://books.google.co.jp/books?id=vNK6Tisyl_8C& …

3.http://csis.org/files/publication/twq10octoberny …

4.http://books.google.co.jp/books?id=-NMKCm_4sDsC& …

このなかのどれが原本かは私には分かりませんが、一つ言えることは、あなたのお示しになった当該英文が皮肉なことに一番分かりにくいということです。
そのほかの英文の場合は構文云々の問題は起こらなかったでしょうし、要らぬ論争もしなくてよかったでしょうにと思います。

以上、参考になれば幸いです。

この回答への補足

帰宅後、沢山の回答を目にし、驚きました。

出典は、

Joseph S. Nye Jr., The Future of Power, PublicAffairs, 2011, p. 86.

です。

補足が遅れてしまい失礼しました。

補足日時:2012/12/21 21:09
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実際そうじゃないですか?


do を使うなら do they admire
they がいるんですよ。

they という代名詞を使わず、共通主語なら
admire とするしかない。

そうじゃないですか?

やはり、こういう場合は共通主語はだめ、というしかないんじゃないですか?
それともそう言っているのでしょうか?

do they admire

admire

do admire
は(強調の余地はあるが)ありえない。
そうじゃないですか?
do S 原形で、S なし、というのはあり得ない。
S がなくなれば do は使えない。

ただし、いきなりでなく、前に were S があるから。
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>こう反論するしかないんですよ。


共通主語なんか、こういう be 動詞と一般動詞の混用の場合は。

混用の場合には、共通主語など使えない。
と反論するしかない、
ということです。
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>何故「do」が消えるのかについてはどのように考えているのかな。


日本語わかりませんか?
S がないからです。

do が消えるのは S がないから。
逆に S があるから、do を使える。
なければ使えない、それ以外にありません。

そして、ここも大きなことですが、
いきなり admire で疑問文、とはならない。
前に were S の部分があるからこそなのです。

前に were S とあるからこそ、次の共通主語の一般動詞の疑問文は
do なく admire でいい。

いいですか、前に別の疑問文があるからこそです。
そこで共通主語を使っているから。

とにかく、強調の do は別(もしくは同じかもしれませんが、ここでは議論しません)
としても、疑問文の do は S の存在あってこそです。

普通には S がないと疑問文は作れません。
だから do S 原形となるのです。

今回は前に were S とあって、その続き。
だからこそ、admire だけで疑問文になりえるのです。

疑問詞が主語の場合と同様というのは
なぜ、疑問詞が主語だと do を使わないか。
do who 原形とは who ではできない。
who 現在形・過去形

これも疑問文として認められます。
who 自体が疑問詞だから。

そういうのと同じで、ここも
admire で疑問文とみなされる。

前に were S があるからです。
共通主語があるからです。

こう反論するしかないんですよ。
共通主語なんか、こういう be 動詞と一般動詞の混用の場合は。
こう反論したら、私も考えないといけない。

do S 原形
ここで S が前に出たら do は使えない。
S があるからこその do です。

S だけ前でて do 原形とはならない。
(強調はどうなんでしょう?強調の do なら S はいらないのかもしれない)

とにかく、do they admire でも正しいことは否定しません。
ただ、こういう admire もありだ。
to what extent を一回ですます、という意味でもよりいいとは思いますが。

だめでしょうね。わかりっこないです。
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質問者はわかっていたようですので、あらためて言っておきます。



共通主語を最初の一回ですますということはよくあります。

全部、受動態なら
were S attracted, admired, or induced ~と過去分詞をつなげたら終わりです。

were S attracted ときて、次は一般動詞の疑問文、普通なら do S admire となるところだが、
S は前で共通してすませている。

じゃあ、S をとばして do admire とするか、というと普通はそうならない。
S があるからこそ、do S admire となるのであって、S がなければ do を使いようがない。

だからそのまま admire とする。

この理屈に反論しないとだめです。

共通主語を前ですます。
ここが出発点です。

とにかく、こういう英語を書いている本があるのを否定するのでなく、
その解説をしているだけ。
これも何度も言っていますが、to what extent を1回ですます、
そういう疑問文のつもり。

どこかおかしいですか?
do S 主語で S がないと、do の出番はない。

それは疑問詞自体が主語の場合にも現れますが、そうでない場合にもあり得る。
あなたが主張していることは私の主張とは別の観点ばかりです。
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議論するつもりはないと申し上げました。


質問者がわかりました、と納得しているものをなぜかき回すのか。。

質問者が本音を言っているとは限りませんが、
いちおう、質問者が納得しているしているものを
ただ、締め切っていないからといってかき回すのはマナー違反です。

だから、「疑問詞が主語と同じ」
というのは普通の頭ではわかりません。

あなたにわかってもらおうとは思いません。
実際、主語ではないなんて明らかです。

何回も言っているように、
do/does/did S 原形
こういう普通の一般動詞の疑問文は S の存在があるからこそ、可能なのであって、
その S がない以上、do/does/did を使いようがない。

疑問詞が主語の場合に、does/did who とできないから
who admires/admired のような形になる。

それと同じ構造といっているのです。
とにかくかき回すだけの回答。
勝手にやってください。
私は質問者に納得してもらったらいいです。

とにかく、質問者が納得しているのをかき回す卑劣な行為。

何で何度も書いているのを見ない?
do/does/did S 原形
で S がなくなったら do/does/did を使いようがない。

疑問詞が主語で do を使わない、というのを単にルールとしか考えない。
普通ならそうです。だから普通の人にはわかりません。
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>疑問詞が主語になれば倒置にならない,それと同じことが起きている。



 意味不明ですね。お尋ねの英文の中の「どの疑問詞」が主語なのかな?まさか「To what extent」が主語とは思えませんが・・・。

>To what extent
>are S ...
>, do S admire
>, or are S ...
>ここで,共通 S を繰り返さないと
>are S
>, admire
>, or are ...
 
 主語(they)を繰り返さないのは構わないと思いますが、何故「do」が消えるのかについてはどのように考えているのかな。上記の「疑問詞が主語になれば倒置にならない」という説明とどのような関係があるのでしょうか。関係のない情報を寄せ集めても正しい結論には役立たないでしょう。ひょっとしてご自分でも理解できていないのでは?

>S が前に出ていることで,do が使えない。
>to what extent を繰り返して尋ねるのでなく,
>あくまでも1つの to what extent でまとまっている。

 だからどうなるの?最初の部分が疑問文の語順であるのに、後半の部分が肯定文の語順になっていることへの説明には全くなっていないし・・・。

>わからない人にはわからないと思います。

 この説明で分かる人はいないでしょう。失礼ですが、ご自分でもよく分かっていないのではないでしょうか。

 すでに紹介した「リンク先」の英文の中に、Native speaker が rewrite したものがあります。これが、分かりにくい英文を分かりやすくしたものです。

 But to what extent are Venezuelans and Zimbabweans attracted to the Beijing consensus, to what extent do they admire China's tripling of its gross domestic product over three decades, and to what extent are they induced by the prospect of access to a large and growing market?

 「admire」の前には「do they」があるべきだし、「are induced」の間には「they」があるべきでしょう。私は、これが Native speaker の考えた「お尋ねの英文の本来の形」だと考えます。

 なぜ後半が肯定文の語順になっているかの説明は、ひとつ前の書き込みで明らかにしています。人間が用いる表現は、国籍や使用する言語にかかわらず、必ずしも文法的であるわけではなく、途中の思考の変化によって前半と後半が一致しないこともあるということです。

 これを文法的な情報を寄せ集めて、それをもとに無理やり解釈しようとするとどうしても矛盾が出てくることになります。その根底には、私たち日本人が Native speaker が用いるすべての英文を妄信してしまいがちだという状況があります。中にはとんでもない「悪文」が混じっていることもありますので要注意です。

 そして、私たちは「悪文」を「悪文」と認めず(または分からず)に、整合性のない文法的知識を用いて正当化しがちであるということにも要注意です。特に自分に自信を持ちすぎている人にはありがちなことです。

 さらに困ったことは、それらの説明のすべてが間違っているわけではないということです。真っ当な説明の中に含まれている「間違い」や「勘違い」にはなかなか気づきにくく、そして反論もしにくいものです。大切なことは、このサイトで見られる内容はすべて「あくまでも参考程度にしかならない」という意識を絶えず持っておくべきであるということです。後はご自分の判断力を信じて考えると良いでしょう。

 ご参考になれば・・・。


 
 
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 簡単な例で考えてみましょう。



1. Where do you usually study, read books, and have meals in your house?

 この英文が自然な印象を与えるのは、それぞれも動詞の前に「Where do you usually」が省略されている(と簡単に聞き手が推測できる)からです。

 もし、それぞれの動詞の形が異なっていたらどうでしょう。

2. How were you interested in science, started researches in nuclear physics, and were awarded such a prize?

 理解可能な英文ではあります。しかし、何か違和感を感じさせる英文です。きちんとした Native speaker なら下記のように表現するでしょう。

3. How were you interested in science, (how) did you start researches in nuclear physics, and (how) were you awarded such a prize?

 「how」は省略可能です。「冗長さ」を避けるためには省略した方がかえって良いという人もいるでしょう。

 しかし、「start」の前の「did you」を省略した方が良いという理由は存在しません。むしろ、このような省略は避けられる方が多いでしょう。「were you (inteested)」から「did you (start)」を復元することが普通ではないからです。 

 同じように「were you awarded」の中の「you」を省略する理由はありません。「you」がなければかえって分かりにくくなります。

 最初の部分の「were you interested」をもとにしてできる省略は「were awarded」ではありません。省略するなら、むしろ「were you」を取り去って単に「awarded」のみとする方が自然です。

 書き出しが、例えば「Do you know how you were inetersted in ...」であれば、後半も同じように考えて「(do you know how you) started ..., and (do you know how you) were awarded ...」とすることはできます。

 前回も説明しましたが、お尋ねの英文を書いた人は「To what extent were Venezuelans and Zimbabweans attracted ...」と書いた後で、突然「Can you guess to what extent Venezuelans and Zimbabweans were atracted ...」という(ほぼ同じ意味を表す)英文が頭の中に浮かび、その結果「(can you guess to what extent they) admire ..., and (can you guess to what extent they) are induced ... 」という表現になってしまったのではないかと想像されます。

 言葉は生き物ですから、話の途中に起こる意識の変化によって、それ以降の表現が変わってしまうことはありがちなことです。問題は、聞き手がそれを「全然大丈夫」と考えるか「全然問題ない」と考えることはできないとするかという問題になります。私は後者だと考えています。

 ご参考になれば・・・。
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まあ,わからない人にはわからないんでしょうね。


疑問詞が主語になれば倒置にならない,
それと同じことが起きている。

To what extent
are S ...
, do S admire
, or are S ...
ここで,共通 S を繰り返さないと
are S
, admire
, or are ...

S が前に出ていることで,do が使えない。
to what extent を繰り返して尋ねるのでなく,
あくまでも1つの to what extent でまとまっている。
わからない人にはわからないと思います。
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>ただし、その結果として読み手にとって分かりにくい英文が生じてしまうということになります。



 日本語でも、話している途中で意識の変化により表現が変わることがあります。

 「全然問題ない。」と言うつもりで「全然大丈夫。」と言ってしまう人がいます。これは「全然」と言いながら、その途中で「問題ない=大丈夫」という概念が頭の中で生じたためだと考えられます。

 「全然大丈夫。」という表現を受け入れない人はまだかなりの割合で存在するでしょう。それは、その表現が、意味的には理解できたとしても、「全く」の後には「否定の語」が続くという暗黙の了解から逸脱しているという点で拒絶反応が生まれるからだと思われます。

 お尋ねの英文も同様です。

 例えば、書き手が最初から「Can you guess to what extent Venezuelans and Zimbabweans are attracted to ...」という書き方をしていれば、原文にあるような「, admire ...」や「, are induced ...」という表現が続いても違和感は感じません。

 それは、それぞれの前に「復元可能」な「Can you guess to what extent they」という語句を補うことができるからです。

 しかし、原文のように「To what extent are Venezuelans and Zimbabweans attracted to ...」という書き出しがなされている場合には、やはり「(to what extent) do they admire ...」という形や「(to what extent) are they induced ...」という形が続くべきでしょう。

 文章においては、前半と後半の整合性が(意味的にだけではなく文法的にも)取れているものが望ましいということは否定できないことです。もちろん、話し言葉においては、私たち日本人もいつも規則性や文法的な正しさを意識しているわけではありませんし、たとえ意識していてもその通りに話せるわけでもありません。

 しかし、書き言葉においてはできるだけ正確な書き方、読み手にとって理解しやすい書き方を心がける方が良いだろうと思います。だからこそ、前回紹介した「ほとんど同じはであるが、より理解しやすい英文」を書く人がいるのでしょう。

 But to what extent are Venezuelans and Zimbabweans attracted to the Beijing consensus, to what extent do they admire China's tripling of its gross domestic product over three decades, and to what extent are they induced by the prospect of access to a large and growing market?

 お尋ねの英文は十分理解可能な英文でありますが、「良い英文」であるとは言い難いと言わねばなりません。「省略」の原則を逸脱しているからです。「日本語でも英語でも通じればいいんだよ。」という人にとってはたぶん「全然大丈夫」な英文なのでしょうが・・・。

 ご参考になれば・・・。
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