出産前後の痔にはご注意!

いわゆる朱引き外の事件の探索、捕縛などは誰が(どんな組織)が担当したのでしょう。江戸府内は南北合わせても300名ほどしか同心がいなかったとのことですが、田舎で事件が起きた場合にはまずどこが担当するのですか?犯人が捕まった場合は奉行所に送られ裁きを受けるのでしょうか。
具体的には江戸で事件を起こした者が、府外に逃げた場合です。奉行所の同心が探索に向かうのか、あるいはその町か村にある組織に早馬などで情報を流し現地で探させるのかを教えていただきたいです。

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A 回答 (5件)

1802年に関東取締出役ができるまでは幕府領では、郡代・代官が、大名・旗本領では領主が担当することになりますが、実際上は天領については郡代・代官の下にいる手付・手代が、担当し、大名領では一般に郡奉行・郡代・代官などが設置され、そのもとに配属された武士が治安・警察機能を果たしていました。

ただ、同じ村でも支配が複数の場合があり、Aという村が一部天領、一部大名領、一部旗本領などの場合があり、いくつかの村が支配の違いを越えて組合を結成して組合村をつくり、治安維持にあったる事がありました。特に、支配が錯綜することによる犯罪の増加に対応して、天領・大名領・旗本領のの区別なく警察権を行使できる関東取締出役が出来てからは、組合村が再編され、数十か村の村々が大組合・小組合に再編され、情報の伝達もこの組織を使ったとされます。また、関東取締出役の下に、道案内とも目明しとも称される手下を置き、その警察機能の一部を担当させました。現地で事件が起こった場合は、現地の手付・目明し・関東取締出役などが犯人を捕え、重要犯罪の場合、犯人の身柄は事件が起こった村の負担で江戸に送られ、裁判にかけることになっていたそうです。小さな件については一般論になりますが、村に自治があり、村中で解決することもあります。
なお、関東郡代は1792年まで伊奈氏が世襲し(最初は関東代官)、治安維持にもあたっていましたが、伊奈氏の改易後、一時廃止されたこともありますが、ほぼ存在します。ただし、郡代・代官は勘定奉行の支配下にあり、その内訴訟関係については公事方勘定奉行の職掌でした。また、その訴訟については評定所が扱いました。
関東取締出役関係については、佐藤雅美の「八州廻り 桑山十兵衛」シリーズを参考にされるとよいと思います。


関東取締出役
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%85%AB% …
関東郡代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1% …
代官
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E5%AE%98% …
勘定奉行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%98%E5%AE%9A% …

まとまらない内容ですが、参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!時代物初心者にも理解しやすいナビゲートでした。

お礼日時:2013/01/14 23:18

http://wwwhou1.meijo-u.ac.jp/housei2/semi/soturo …

こんな卒論がある。

基本は所領の責任
関東においては(水戸藩除く)小規模な所領が入り交じっていたので、関東取締出役が1805年に設置された。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!資料としてわかりやすい内容でした。

お礼日時:2013/01/14 23:11

天領なら領主の旗本かその代官


藩領なら藩主の命を受けたもの
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この回答へのお礼

ありがとうございました!非常にシンプル且つわかりやすくて助かりました。

お礼日時:2013/01/14 23:09

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

朱引図・・・と言うことは、江戸で良いのですね。

「郡代」(ぐんだい)です。

「郡代」も「代官」も、ほぼ同じような職務でしたが、正式には「郡代」の方が上です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!歴史作家と言うことですがどのような作品を書かれているのか興味が沸きます。

お礼日時:2013/01/14 23:08

代官では?

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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2013/01/14 23:02

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Q江戸時代の治安などについて

江戸時代の治安はどんな感じだったのでしょうか?
以前NHKの「その時歴史が動いた」で長谷川平蔵をメインに取り扱った番組をチラッと見ました。江戸の町では、与力や同心と、犯罪集団との癒着があって強盗等が横行したと言ってました。
江戸の町の人はどんな対策をこうじたのでしょうか?大商人とかは、犯罪集団からどうやって資産を守ったのでしょうか?
当時の住居が持つ防犯能力はどんなものだったのでしょうか?
(今みたいに金属製の扉に鍵がついている訳ではないと思うので)
犯罪集団が刀を持っていたとしたら、刀を持てない身分の人は身を守るのが難しいのではないか?
とか思いました。
それと広辞苑で「無宿人」とか「渡世人」とか「博徒」とかを、調べたのですが、
どんな存在だったのかイメージがいまいち湧いてきません。
この人達はどんな存在だったのでしょう。どんな風に生計を立てて、どんな風に生きていたのでしょうか?
いろいろ書きましたが、少しでも、教えて頂けると嬉しいです。

Aベストアンサー

江戸の市街はブロック毎に木戸という木柵で囲まれ、日没と共に閉鎖され木戸番がいて夜間通行不能という決まりでした。  また町内毎に自身番を置き火の用心を兼ね見回りをしていました。
従って犯罪があればそのブロック内に犯人がいることに、一応なります。

又五人組という隣組のような制度で相互に監視合い密告させる定めもありました。 これは連帯責任制でしたから現在の監視カメラ以上に抑制効果がありました。

犯罪者側もこれを逃れる為、船を利用し木戸を避ける工夫をしますが、これにも船番所があって不審な船を見張っていました。 現在のパトロール警官のように夜間無灯火の船は一々不審尋問しました。

この他に警察制度があり、結構治安はよかったのです。 犯罪に対する処罰も厳罰主義でした。
後年治安が悪化して、制度もマンネリになって来ましたから、火付け盗賊改めという特別の武装警官隊を新設するようになりました。  これは逮捕だけでなく処刑部隊でもあったのです。

一般人の家庭は殆ど貯蓄もなく日銭暮らしですから、狙うのは資産家ということになりますが、大抵財産は土蔵にしまい鍵をかけています。 
また自衛の為、町火消しのメンバーに資金を提供して
夜回りなどを依頼していました。

夜間は大戸という頑丈な板戸で密閉し、塀には忍び返しを付け侵入を防ぎました。  使用人は多く住み込みですから屋内には多くの人員がいました。

無宿人は人別帳という戸籍から抹消されたホームレスのような人で、住所不定、公的保護の受けられない人でした。 普通の職にはつけませんでした。

渡世人というのは一応定職をもった人と博徒のような人と2種類いました。 旅芸人のような遊芸で身をたてる人や祭りなどで臨時の店を開く商人です。
娯楽の少ない時代でしたから社会の潤滑油のようなものでした。

博徒といのも色々あってボランティア団体のような活動をして社会に貢献した清水次郎長のような人もいます。

江戸の市街はブロック毎に木戸という木柵で囲まれ、日没と共に閉鎖され木戸番がいて夜間通行不能という決まりでした。  また町内毎に自身番を置き火の用心を兼ね見回りをしていました。
従って犯罪があればそのブロック内に犯人がいることに、一応なります。

又五人組という隣組のような制度で相互に監視合い密告させる定めもありました。 これは連帯責任制でしたから現在の監視カメラ以上に抑制効果がありました。

犯罪者側もこれを逃れる為、船を利用し木戸を避ける工夫をしますが、これにも船番所が...続きを読む


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