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田中角栄内閣時
1972年に日中共同声明がなされ
国交が回復されました。

どれを調べても私の知りうる限り
中国は賠償請求を行いませんでした。
開発援助として多額の金を提供してはいますが…

当時の背景としては
1972年以前に締結した日華平和条約があると思います。
この条約は日本と台湾との条約です。
台湾より優位に立つために請求しなかった

ほかに理由があるのでしょうか?
あれば教えてください。

A 回答 (7件)

1,台湾の蒋介石が放棄しました。


 それで、中国の周恩来も、メンツの為に放棄せざるを
 得なかった、というのが中国国内で広くささやかれている
 理由です。
 蒋介石は、これを狙って放棄した、という話しがあります。
 つまり、中国に対する嫌がらせです。

2,人民日報などは、軍部に虐げられた日本人民に、そこまで
 請求するのは酷だ。中国は君子の態度で放棄したのだ、と
 歯が浮くような理由をあげています。

3,本当の理由は闇の中ですが、日本は賠償金の代わりに、
 ODAを払ってきました。
 これが中国の狙いだったかもしれません。
 あるいは、中国は君子の国だ、ということで中国寄りの
 政治家、日本人を増やすための戦略だったかも知れません。
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私はこの件について掘り下げて調べているわけではありませんが、昨年NHKテレビ(アーカイブス?)で周恩来と大平外相(当時)の対談の様子を報道した中で、本件について触れていたことが記憶に残っています。

その中での周恩来の談話の主旨は「日本は戦後の処理で大変な思いをしている最中であり、また第一次大戦後の敗戦国に対する過大な補償請求がその後の国際政治に悲惨な影響を残したことを思うと、賠償要求をすべきではない」というようなことが語られていました。一方で大平外相は「日本は明らかに中国に対して侵略を行ったと思う」と語ったとも報道していたと思います。これらは大平さん(あえて”さん”と書きます)の当時の手帳をひもときながらの内容構成でしたから、公式の報道内容ではなかったかも知れませんが、当時両国を代表する人同士が、真面目な気持で語り合った様子が想像され、双方の人間的信頼関係があったように思われます。外交もこのような気持で進められれば前進できるでしょう。人間の持つ可能性に期待したいです。
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トータルでその方が得だとおもったからです。

それ以外の理由はありません。
当時国交回復したかったのは断然中国の方で、日本はどうでも良かったのです。
田中角栄が人気取りでやっただけです。
結局トータルで得したのは中国でした。喉から手が出るほど欲しい日本の技術がただで手に入ったし、巨額のODAも分捕ったし。
製鉄を始め、中国の大躍進に必要な基幹技術や生産設備はすべて日本から提供したのです。
あの時賠償を持ち出して話がこじれていたら、日中国交回復も遅れ、大躍進も始まらず、今のような世界第二の経済大国にはなれなかったでしょう。
そういう点、中国人はしたたかです。何年も先までちゃんと計算してやっています。
最近反日デモで、日系の中国企業が焼き討ちにあっていますが、もう十分分捕ったから、もうそろそろ日本は要らなくなったと、彼らは計算し始めたのです。
お人好しの日本人は、したたかな中国人には敵いませんね。
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 第1次大戦が終わってからわずか20年で第2次大戦が起こった原因に、ドイツの膨大な賠償金負担がありました。

そこで第2次大戦の戦勝国は賠償金を請求せず、在外資産の接収で解決する方法を選びました。

 中国も、賠償金ではなく、東北を含む中国国内の日本の資産(政府保有だけでなく企業や個人の保有する資産を含む)を接収する方式を取りました。

 なお、中国はサンフランシスコ平和条約の締結国ではありませんが、同条約第21条の規定により日本の在外資産を賠償とする権利を有しています。
 
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日本と中華人民共和国は、サンフランシスコ平和条約で講和をしてはいません。


しかし↓の経緯で国交を回復しています。

【日本国との平和条約】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
(「中国」については、代表政権についての米英の意見(当時中華人民共和国を承認していたイギリスが中華人民共和国の参加を主張する一方、中華人民共和国を承認していなかったアメリカは中華民国の参加を主張)が一致せず、日中間の講和については独立後の日本自身の選択に任せることにして招請は見送られた(1952年(昭和27年)4月28日、中華民国との間に日華平和条約を調印。1952年(昭和27年)8月5日発効。のちに国際連合での「国府追放、北京招請」に倣い1972年(昭和47年)9月29日、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明を調印し中華民国とは断交)。)


>中国はなぜ戦争賠償請求を行わなかったのか?

1972年に締結された日中平和友好条約で、国交を回復するにあたって

【中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄する】

ことが宣言されています。

この条約で日本は中華人民共和国を中国の正統な政府と認めたことになるので、日中戦争の戦後処理は台湾ではなく中国共産党と協議する事になります。

賠償請求の放棄については、以下のような事情があります。

終戦時に、日本は満州国に膨大な資産とインフラを残しており、これに対する中国への補償請求の権利は戦争と関係なく残っています。
そして、それらの工業施設とその技術は初期の中国にとっては、自力では得られない貴重なものでした。
金額的に両者を比較すると、

日本が残した資産への補償>>中国の戦争賠償の請求額

となり、

【うっかり請求すると薮蛇になってしまうので、中国側は、請求権の放棄と言う「寛大な配慮」を装って誤魔化しているだけです。】

他には、毛沢東は自分達が中国大陸を支配できたのは、日本が国民党と戦って弱体化してくれたおかげだということを知っているという事もあるかもしれません。(共産党はその間は逃げ回っていました)
実際、中国大陸では日本は国民党を圧倒的していました。


しかし、このことを政府や、サヨクが浸透した日本のマスコミは国民に伝えていません。
その為に、日本国民は根拠の無い贖罪意識を抱き、それが外交や防衛にも影響しています。

また、この条約は田中角栄政権の思惑があって結ばれたもので、以降それらの残党によるODA等の援助の垂れ流しに繋がり、中国利権に群がる、官僚や派閥議員を産んでしまいました。
私は、ここまでの援助が必要であったということについては、疑問を持っています。

その資産も、文化大革命で知識層を粛清してしまい、無知な農民と規律など無いも同然の兵士だけの国となった中国は、使い潰して発展の基礎にはできなかったようです。


日本の台湾との断交ですが、当時の政府は(色々な)事情を説明して、台湾の理解を得た上で行っています。(その後も援助をしていますし)

実は韓国も台湾と断交していますが、かの国は、関係の継続を条件に、台湾に品質の悪い自動車を売りつけた上に、その直後の一方的に断交しています。
更に、台湾人を在韓台湾大使館から追い出して、それを中国に与えています。

その為に(他の理由も山ほどありますが)台湾人は韓国を非常に嫌っています。(動画参照)

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賠償請求をして日本が支払いをしたらそれで精算完了となります。


誰が考えたのか知りませんが、賠償請求しないことで戦後を終わらせることなく、事あるごとにネチネチと文句をいう。
そして、賠償請求の何倍ものODAを際限なく日本から引き出すことに成功してるでしょう。
実にうまくやったものですよね。
南京事件も結論を出さない。同じ事です。
日本はまんまとやられたんですよ。
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日本は中華人民共和国とは戦争をしていません。

日本は中華民国と戦争をしたのです。
国が変わる度、政府が変わる度に前の取り決めが反故にされるようでは永久に戦争は終わりません。
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