プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

学生♀です。


私はよく、見えない壁があると言われます。
自分でも自負していますし、
なくさなくてはいけないとも思っています。

しかし、オープンな性格になることに
何とも言えない恐怖や不安を覚えてしまいます。


いじめや家庭内暴力を受けたことはありませんし、
交友関係もあるほうだと思います。


しかし、仲良くなったと思うと
大体「壁がある」と言われてしまうのです。

そもそも、壁があるとはどういうことなんでしょうか?


私は性格上、完璧を求めている気がします。。
勉強も出来なければいけない、
スポーツも出来なければいけない、
皆に優しくして、好かれたい。

これは欲張りなんでしょうか?

少しでも、不得意があっては
自己嫌悪してしまう自分がいます。


自慢ではありませんが、
顔立ちもよく褒められます。
そのせいか、表情を崩すのが怖いのです。

考えすぎでしょうか?
少しでも醜態だったり、不得意な部分を見せれば
周りに認めてもらえない気がしてなりません。


オープンな性格になるというのは、
自分を曝け出すということですよね?

もし曝け出してしたとして、、
傷付けられてしまった時怖くないのですか?


私は色んなことを気にしすぎなのでしょうか。

自分のことしか考える余裕もなく、
周りのことなど本当はこれっぽちも考えていない自分が嫌です。


どうしたらいいのでしょうか。

まとまっていなくて読みづらいと思いますが
お時間ある方がいらっしゃれば、ご回答お願いします。

A 回答 (8件)

ご質問者様こんばんは。



ご質問者様がお感じの見えない壁の正体は、深い愛情が生み出す「信頼関係」が関係しているのではないかと思います。ご質問者様ご自身の分析には「完璧主義」という言葉や「他人には興味が無い」という言葉がありますよね。

完璧主義というのは理性やルールを重んじることですが、規律を守り、それに向かって努力することである種の権威(父親等)に認められた成功体験がご質問者様の思い出の中にあるのかもしれません。規律や手順だけに屈服するのであれば、人間の心は冷感症のように冷たくなってしまいます。その冷たさは、他者を侮蔑しながら一方で自分を守るものにもなると思います。

他人には興味が無いのもそんな冷たさの影響かもしれません。他人と自分の良い部分を比べれば、誰でも自分の劣等を意識せずにはいられません。他人に興味を持つということは、自分自身の劣等感を認めることにもなるのです。自分は完璧で相手はどこか劣っていると心の奥底で思うことで自分を保つ側面もあるのかもしれませんが、今に至って心が前に進む障害になって来たのかもしれません。

もちろんこのような考え方は浅はかであるし、とても表面的です。ご質問者様の人間関係に不足しているのは愛情であるし、信頼関係であると思うのです。

相手に対する愛情を持つには「自分自身」を深く愛さなければならないと思います。自分自身を深く愛するということは、自分自身の生命の肯定です。自分の良い部分はもちろん、悪いと思っている部分ですら等しく肯定し、認めることです。人から壁があると言われても良いし、完璧主義でも良いし、他人に興味が無くたって良いのです。ありのまま、そのままの飾らない自分を自ら認めることが自分自身を愛する基礎となます。

そうやって次第に自分を膨らませて行きながら、自分を愛するように他人を愛し、自分を労うように他人を労い、自分に希望を持つように他人に希望を持つこと。そのような願いを持つことが自分自身への愛の証明となるのだと思います。

自分のなかに息づいている知識やユーモア、喜びや悲しみを他人に与えることは、自分自身の生命を他人に与えることでもあります。愛とは自分の生命のことなのです。他人に与えた自分の生命が他人の心の中で芽を出し、それがやがてその人を豊かにし、それを受けて自分自身の生命感を高め、相手の方の生命感をまた高めます。

そういう循環になると人間の心は不思議と何かをもらったり、お返しを求めるよりむしろ、与えることそのものが喜びになるのです。本当に与えるということは、相手をも与える人にするのです。お互いの関係から芽生えたものが、お互いに喜びとなって返ってくるのですから。

愛だけが愛を生みます。信頼だけが信頼を生みます。自分が他人に与えた生命感こそが、自分自身へ跳ね返ってくるのです。

人間が根本に持つ人間的な尊さはどんな人間でも同じであると僕は信じています。その理解に立つと、僕は相手がどんな人であれ排他的な立場をとることが出来ません。その理解に立つと、他人の持つ才能や知識や容姿の違い等とるに足らない問題であると思います。表面的な違いにばかりに目がいくと、本当の事実を歪め、相手の持つ核心にまで踏み込めなくなるのではないでしょうか?

勇気を持って踏み込むことです。受け身のままでは他人の核心に触れる機会はめぐって来ません。一つ一つ端正を込めたお付き合いから、人間的な尊さまで踏み込んだ関係を、深い愛情に基づく信頼関係と呼べるものになるのではないかと僕は考えています。そのような関係なら、きっとお互いに壁を感じることも無いのではないかと思います。

ご参考になれたら幸いです(^^)
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

一つ一つの言葉が心に染みました。
仰る通り、何処か無意識に人を見下すことで
弱い自分を保身していたのだと気付かされました。
自分は冷たいなあ、と思うことがあっても
そこから解決に至らない原因には
自分自身を愛せていないというのもあったのですね。

自分自身を認めることはとても難しいことだとは思いますが、
少しずつ前進することで、変われればなと思います。

皆さまの言葉がとても嬉しかったのですが、
今回はこちらのご回答者様をBAにさせて頂きます。

素敵なご回答、ありがとうございました^^

お礼日時:2013/01/28 19:29

人に壁を感じられるのは、


思考先行しながらコミュニケーションを取られているからではないでしょうか?

例えば考えながら人と会話するということは、
言葉を発しているのではなく言葉を単に選んでいるだけとも言えます。

言葉を選ぶのは相手に何らかの気を使っているからであり、
壁があるとは、相手が見えない=本音が見えない、本音を言わないということ、
つまり相手に姿を隠してコミュニケーションを取っているようなものです。


もちろんむやみやたらに自分をさらけ出すのは危険ですが、
せっかく仲良くなろうと姿を見せてくれた相手に対して姿を表さない、つまり必要以上に警戒心をむき出しにしていては不信感を持たれ、相手に不愉快な思いをさせてしまうかもしれませんよね。

まず必ずしも本音を話さないことが人に嫌われない手段ではないということを知ってください。


次に本音を見せられないとのことですが、

本音を見せて相手に嫌われると思うということは、自分の本音が受け入れられていないということ。
つまり自分に自信がないということではないでしょうか。
そして自分が受け入れられない感情を相手も抱いていると思い込んでいること。

自分を過小評価して、向上心を得ることは悪いことではありませんが、
相手が自分と同じことを考えているという思い込みは単なる奢りで、相手を軽く評価していることになります。人間はそんなに簡単ではありません。

そもそも本音を見せて嫌うような相手は最初から合わないでしょうし、余程の性格の持ち主。
そんな人と友達になりたいのなら別ですが、
大概の人はそんなことで人を嫌いになったりしません。

もし本音をさらしたことで嫌われるとすれば、
いままで本音と裏腹な意見を言い相手に騙されていたと気づかれた時です。

本当に相手と仲良くなりたいのであれば、
信用できる相手には少しづつ警戒心をといて相手と対等な条件で向き合う必要があります。

もう少し自分の思った気持ちや感情をストレートに出してみてはいかがでしょうか。

作ったままの自分では相手にもそして自分にも信用されなくなりますよ。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

そうですね。仰る通り、考えてみれば
こう言えば相手から良く思われるだろう
なんて考えてから発言することばかりでした。
造ったままの自分では、誰からも自分からも
信用してもらうことなんて出来ませんよね。

核心をついたご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/28 19:19

 他人を喜ばせるもっともよい方法は、自分が相手との付き合いを楽しむことです。


 それだけで充分なのです。
  「相手も楽しむこと」まで要求するのは、ごう慢というものです。

 『自分が楽しめば、相手も楽しい』
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

自分が相手との付き合いを楽しむこと、
いつの間にか自分の気持ちが体に
着いていけなくなっていた気がします。

自分が楽しめば、相手も楽しい
素敵な言葉をありがとうございました。

お礼日時:2013/01/28 19:20

年齢も性別もまるで違いますが私と同じものを感じましたので



私自信「壁がある」と言われた事は一度もありません。
男女問わず交友関係もあります。

だけど自分で壁を作っていると思ったことはあります。
それと「オープンな性格になると」と云うところや「自己嫌悪」と云うところが凄くにていると思いました。

最近、付き合い始めた彼女から「あなたは自分の気持ちが私より大事」と言われました。
私はいつも彼女のために、彼女のために、と行動していますが
たまに、会えないとか、連絡が無い時など、彼女の事を信頼しきれず、彼女を傷つけるような自分本位な言動を取ってしまいます。

壁とは相手を信用、信頼していない事ではないでしょうか?

私の友人(年上ですがお互いを良き相談相手としています)は何でも話てくれます。
自分の恥ずかしい失敗談や思っていることなど、
でも私は自分にとって恥ずかしい事や嫌な事はあまり話せません。

彼女の事も連絡がつかない時などは本当に不安になり、余計な事ばかり考えてしまい、結局、彼女を怒らせるような言動となってしまいます。
要するに信用しきれていないのです。
もっと人を信じなきゃと思ってはいるのですができません。

どうしても壁を作ってしまいます。
ひとつは自分に自信が無いのが原因と思っています。
恥をかきたくない、良く思われたいと云う気持ちが強すぎているようにも思います。
だから人にやさしくしたり、人一倍お世話したりするのかもしれません。

もっと、身勝手になれればよいのかもしれませんができませんね。
結果的には身勝手な行動を取って、相手を傷つけてしまってますが・・・
悪循環のようにも思います。

友達をもっと信頼し自分をさらけ出す事が出来ればいいんでしょうけどね。
私もこの歳までこの性格と付き合って来ましたが治らないですよ。
努力はしなければいけませんね。

彼女からの「あなたは・・・」の言葉、ごく最近の事で、私も改めて努力しようと心がけています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

彼女さんの言葉、私自身にも思い当たることがありました。
自分の自身の無さから来る優しさは
誰もあまり嬉しく思いませんよね。
身勝手も難しいものですが、少しずつ良い方向へ
進んでいきたいです。
お互い頑張りましょう。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/22 00:10

会社員♂です。


私は友達は少ないのですが、本音で話せる人も何人かいます。

1点、文章の中で気になったことがあります。
それは、”みんなにやさしくして、好かれたい”と思う気持ちです。

私は人というのは、自分の鏡だと思っております。
自分が相手を嫌えば、相手にもその感情が伝わり嫌われるような気がします。

そういう意味では、相手を好きになることができれば、壁は消えるのではないでしょうか。

私が思うに、好かれたいと思う気持ちが相手を好きになることの妨げになっている気がします。
その気持ちは自分にしか向いていない気がします。
”自分はこんなにやさしくしているのに、あなたはどうして壁を作るの”というように・・・

私が本音で話せる人についは、私も相手のことが好きですし、気なんかいっさい使いません。
おならもできます。(これは、やり過ぎなので無視してください。)

まとめると、相手に興味を持つことと気を使わないで接すればよろしいのではないでしょうか。

長々と回答しましたが気持ちと違っていたらすいません。無視してください。
壁が消えることを祈っております。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね…
「みんなにやさしくして、好かれたい」というのは
独りよがりな優しさだったと思いました。
気を使わない、というのは結構ハードルが高く感じますが
少しずつでも進んでいきたいです。
まずは、相手に興味を持つことから始めようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/22 00:08

「見えているん」んだよ、周りには貴方の壁が。


貴方が見えないように壁を創ろうとしているだけで、
周りにはハッキリ「壁越し感」があるんだよね?
貴方はむしろ分かりやすい人。
分かりやすく不器用な人。
じゃあ周りの目線から貴方を見つめてみて、
「壁」があるとはどういう事なのか?
それこそが、
貴方がここに書いている様々な理由なんだよ。
オープンな性格になる事に不安を覚える貴方。
そもそも、
「オープン」な性格という比較級が貴方を苦しくさせている。
別に貴方以外の周りの人だって、
オープンじゃない人は沢山いるんだよ?
オープンハートのように見えて、
実は自分を小出しにしていたり、
自分を守れるスペースも確保しながら。
今の自分として開示出来る「範囲」を大切にしていこうする事。
それって全然悪い事じゃ無いんだよ。
皆「それなり」にやっている。
いつでも、どこでも、誰にでも。
同じ「範囲」を開示しなければいけないのか?
答えはノーでしょ?
まだまだお互いを知らない相手なら、
開示出来る範囲が限定される方が自然なんだよ。
逆に言えば、
コミュニケーションの中で、
段々お互いの事が良く見えるようになってきて、
分かち合える部分が増えてきたなと感じているなら。
相手との距離感、親近感によって、
相手に対して開示出来る範囲が広がるのも自然なんだよ。
貴方の場合は、
常に誰に対しても、
ある一定のさじ加減を持って対応しようとしてしまうんだよ。
例えば、
貴方とは結構仲良くしているし、
色々な事を話したり、過ごしたり。
それなりに「積み重ね」をしてきた自覚があるのに・・・
相手には積み重ねの「分」の開示欲が生まれかけているのに。
貴方は仲良くなっていく「分」の変化にも踏んばるんだよね?
踏んばり感が=壁なんだよ。
貴方にとっては、
変化=オープンになる可能性。
怖い。怖い。
貴方はオープンという言葉を、
自分を曝け出すという解釈であり翻訳をしている。
でも相手は、
貴方が不安になるほど大きな曝け出しを求めているのか?
オープンという言葉に貴方は捉われ過ぎなんだと思う。
仲良くなってきた相手には、
仲良くなってきた「分」の親しさを根拠にして、
肩の力を抜いて自分を伝えてみても良いんじゃないの?と。
そういうシンプルな咀嚼があっても良いんだよね?
でも、
あくまで仲良くなってきた「分」なんだから。
全面開示である必要もないし、
貴方が不安になるような曝け出しも必要無いんだよ。
貴方が気負ってしまう、
不安になってしまう範囲って実は誰も求めていない。
ただ、
貴方は自然に生まれてくる「はず」の距離感の変化や、
親しさの変化に対しても。
変化=自分を曝け出す必要性(with恐怖や不安)と。
そういうワンパターンのセンサーを持っている人。
その分だけ、
周りからしたら何で?と思わせる、
時にはコミュニケーション欲に水を注す、
不毛な踏ん張りを選び続けてしまうんだよ。
貴方はそれで成り立っているのかもしれないけれど、
相手は貴方の壁に突き返されて向きを変えてしまう。
貴方の壁を何とか小さく、低くしてあげたいな。
そこまで丁寧な目線を注いでくれるならまだいいけれど。
壁を感じた時点で、
それを貴方の意志表示と捉えて。
相手の方から去ってしまう事もあるんだと思う。
別に壁を創りたいなら創れば良い。
でも、
貴方は壁の手前までのコミュニケーションしか楽しめない、という事。
楽しむ所までも行かないかもしれない。
そういう自分を「選びたい」ならそれはそれで貴方の問題。
貴方が完璧云々を意識してもしなくても、
それって周りには関係の無い話。
周りからみても、
貴方は明らかに不安定で不完全。
でも、
別にそれをどうとも思って無い。
それってお互い様でしょ?
完璧同士のコミュニケーションを求めている訳じゃ無いから。
大切なのは、
お互いに「心地良く」向き合えているのかどうか?
必要だからコミュニケーションがあるんだよ。
やり取りは義務じゃないんだよ。
一人一人との距離が違っても別に良いんだよ。
貴方はどういう自分を目指したいと思うのか?
心地良く周りの人たちと繋がっていきたいと思うなら、
周りの人たちにとって、
心地の良い私ってどういう私なんだろう?
その目線も大切にしながら、
自分自身をほぐしていく事も出来るでしょ?
もう少し柔らかい貴方がいても良いんだと思う。
深呼吸を忘れずに。
自分をもっと大切にね☆
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

図星な部分があまりにも多くて驚きました。
そうですね…「オープン」という言葉に
捉われ過ぎていたような気がします。
私自身が不安定で不完全、
そう見られているであろうことも否定出来ないです。

身勝手な気持ちだけに捉われず、
心地よい私でいられるように
柔らかく考えてみるようにしたいと思います。

ありがとうございました!

お礼日時:2013/01/22 00:01

完璧主義なのはいいことです。


だからこそ、周りの人はあなたに畏怖するんでしょうね。
不完璧な自分を見せつけられる気がするから。
要はコンプレックスを感じるのです。

ぼくもサバサバ決断したり、抵抗できない論理を言うことがあって、
近寄りがたいように思われる時期がありました。

どうすればいいか。
あなたから歩み寄ってあげてください。
そして、相手には完璧を求めないこと。
なにかミスをしたり、相手の論理に欠陥があっても、
「だいじょうぶだよ」とか「十分考えているよ。あと一歩、こう考えるといいかも」
みたいにささいなフォローをしてあげることです。

あまり自分の力を前面にださず、支えてあげると、
みんなに頼られますよ。
がんばってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

独りよがりの完璧主義だったのだと気付きました。
もっと周りを見て、私から歩み寄れるように
力を抜いてみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/22 00:04

>周りに認めてもらえない気がしてなりません。



結局は貴方は自分に自信がないのでしょう?
だからええかっこしいな態度をとるんじゃないですか。
友達はそれを見抜いている。
知らぬは本人だけ。

ナイーブな自分にびびっているようだけど心が傷つくなんてことは本当はないんですよ。
だって心なんて実体はないんだから。
傷ついたのは自分が持っている自分のイメージ。
貴方は自分に自信がないからええかっこしい自分のイメージをつくった。
それが傷つくのが怖いんでしょう?
イメージと自分を一体化するからイメージの損傷が自分の損傷と同義になるんですよ。
見た目はかっこいいけど中身は空っぽの自分。
それを自分自身が認めないといつまでも着ぐるみ状態だよ。
着ぐるみのことを壁と呼ぶんじゃないですか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

芯をグサリと刺されたような気がしました。
自分に自信がないから、完璧な自分をイメージして
勝手に傷つくことを恐れてる。
確かにそうだと気付くことができました。
「見た目はかっこいいけど中身は空っぽの自分」
そうですね。
中身が空っぽなことを見て見ぬふりしてきた気がします。
ちゃんと見つめ直したいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/22 00:14

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