遅刻の「言い訳」選手権

宗教もギャンブルもお金を使うからのめりこんでしまうんです。宗教も一つのギャンブルみたいなものだ。例えば現在のプロテスタンなどが、神さまがお金を必要だから献金するようにと信者に言っているそうだ。

ギャンブルは結果がすぐ生きている間にでるから、失敗だったり成功だったりがわかるからまた挑戦ていうこともできる。
だが大概の宗教は死後の世界に希望をもたせるものです。その希望を高めようとして多くのお金を払うと、天国にでも行けると思うようになると錯覚する人もいるらしい。お金払っても天国に行けたのかの結果は、死んだだけであり、天国に行ったと思い込むだけしかない。
宗教はお金をはらって信仰をはかられるのでお金を沢山払えば払うほど、その宗教上での地位も上がると錯覚される。
だがさて、実際は多くのお金を払って宗教にのめりこんだとしても、天国に行けると思うのは錯覚なのです。神はお金など必要ありません。お金が必要なのは人間なのです。だから私はそういった神を利用とした詐欺まがいの宗教へお金を払ってはいけないと思います。みなさんもそういった宗教を見直したほうがいいと思いませんか。

A 回答 (10件)

そうでしょうね。


お金が絡めば、その宗教はニセモノです。

宗教自体はいいと思うんです。
心を軽くするという現実的な効果がありますから。
でも、その教えを学ぶためにお金がいるってなると、
ちょっとって感じですよね。

もちろん、運営のためにはお金が必要です。
でも、それは払いたい人が払えばいいのであって。
~円払わねば救われないってのはおかしいです。

ほんらい、宗教は人の心を救うものです。
なのに、「こうしないとダメになる」「~円払わないと災いが」
っていうのは、あきらかに宗教の趣旨から言っておかしいです。
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>実際は多くのお金を払って宗教にのめりこんだとしても、天国に行けると思うのは錯覚なのです。



 それをあなたはどのように証明したのですか?

>神はお金など必要ありません。>

 確かに神様には必要ないかもしれませんが、その気持ちが必要であるとか、神様とリンクするための施設を維持できなくなるので必要だとかそういう理由ではないでしょうか。

>私はそういった神を利用とした詐欺まがいの宗教へお金を払ってはいけないと思います。>

 これは個人の自由です!なのであなたが「お金を払ってはいけない」と言う権利は無い筈です。

しかしながら、金銭目的であり宗教に対してなんの信仰ない詐欺的な教祖に対しては確かに問題ありでしょうし、詐欺行為と言って過言ではないでしょう。そういう意味ではそのような宗教は見直したほうがいいと思います。
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宗教はギャンブルということで、このテーマでは「パスカルの賭け」が有名です。



  人間      神        結果
神を信じる + 神がいる  = 天国 +∞
神を信じる + 神がいない = 無 0
神を信じない + 神がいる = 地獄 -∞
神を信じる + 神がいない = 無 0

人間が神を信じた場合の結果の和 +∞+0=+∞
人間が神を信じない場合の結果の和 -∞+0=-∞

よって、人間は神を信じるべきである。

パスカルの賭け 2.1 決定理論による分析決定
http://ja.wikipedia.org/wiki/パスカルの賭け

これについては古来から色々と批判があります。(詳しくはwikipediaの項を読んでください)

質問者さんが悩んでいるのは、実際のお布施の問題のようですが、あまり金品を要求する宗教団体なら離れたほうが良いでしょう。現実の組織運営は哲学のほうからはあまり考察されませんが、実はその内面世界の反映でもあり、わりと特徴が出ます。仏教では仏法僧のうちの僧が教団運営にあたり、いろいろと細かい規則が定められています。
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「信教の自由」にも、限界がある。

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文を読んで理解できました。


要するに貴方が入っていた宗教団体がそういう団体だったって話ですよね。
残念ながら私の知る限り(といっても戦後に作られた宗教団体は良く知らないのですが)そのような団体はありませんし、貨幣とか金銭というものの意味を正しく理解していらっしゃらないようです。たぶん貴方のいた団体ではそのように教えていたのでしょう。

少なくとも貴方が「プロテスタン」と言っている、たぶんプロテスタントなんでしょうが、このプロテスタントと公式に言えるのはルター派のみです。俗ではカトリック以外のキリスト教系新宗教をプロテスタントと言っていますけど、これらはキリスト教系新宗教です。
そんな新興宗教の考えを以って全体を評価されても中傷でしかありません。

>だから私はそういった神を利用とした詐欺まがいの宗教へお金を払ってはいけないと思います。みなさんもそういった宗教を見直したほうがいいと思いませんか。

そうですね、貴方の居たそういう詐欺的な宗教には居ないほうがいいと思います。
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死の不安から逃れられた時点で、既に利益は得られているのです。


「死への不安」「世界の存在理由」「生きる意味」、そうした不確か
な疑問に対して、深く考えたり学んだりしなくても、日常的感覚の
延長で答えを得られる安心感として、あるいは死者への追慕や自然
現象への対応といった、人力ではどうしようもない事を、それでも
何とかしたいという思いのはけ口(祈り)として、宗教は手軽な心の
バンドエイドとなる。
悪用する者もいるにしても、必要とされているのも事実。
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>>だが大概の宗教は死後の世界に希望をもたせるものです。



この世が悲惨で、夢も希望も無いので、死んでから後の美しい世界に希望を持たせるって考え方が仏教の一派にはあります。
また、イスラム教の原理主義者たちは、「殉教者として死ねば、お酒が流れ、美女がかしずく天国に行ける」と信じて、他宗教の人たちはもとより、イスラム教信者さえも巻き込むことを気にせず、自爆テロなどを実行しています。彼らは、「近代戦は、物量戦であり、一般市民であろうとも、敵の生産力の一翼を担っているので敵国の兵士である!」という論理で、一般市民を殺すことも気にしません。
ちなみに、女性のイスラムテロリストが自爆したら、美味しいスイーツの実がなる木があり、イケメンがはべったホストクラブに行くなどと考えているのか知りたいところですね。
キリスト教は、死後の世界については、あいまいとなっています。死者の魂は、最後の審判のときまで気絶したようになって意識無い状態になるように考えているようです。「美しい天国で楽しく暮らす」という考え方は無いようですね。

まあ、宗教が、あの世でのポジジョン向上という配当のためとか、逆に「お布施しないと大変な目にあうよ。それがイヤならお金を出せ!」っていう面があるのは事実でしょう。この世で活動する限り、宗教者といえども、衣食住など、お金は必要ですからね。

まあ、それはいいとして、結局は「人間はどこから来てどこに行くのか」がわかっていないと、最終的価値判断はできないんですよ。

この世での生活とは、舞台セットの中で割り当てられた「自分」という配役をこなすことであり、舞台の外には「あの世」という、その劇を見守る観客が沢山住む世界があるのが真実とすれば、宗教にお金を出すのは、舞台が終わった後、「あの世」という現実世界に戻ったとき、良い評価となる可能性が高くなります。

舞台が終了すると同時に自分の魂も消えてしまい、その芝居の「劇評」も存在しないとなれば、お金を出そうが、出すまいがどっちでも良いことになります。

そして、ごく一部の霊能者を別として、ほとんどの人は「あの世」をリアルに感じることなく生きています。なので、「死後の世界があるか、無いか解らない」という状態です。

いくつかのパターンを考えてみると

1.「あの世がない」に賭けた人で、死後の世界があった場合、その報いを受けます。
2.「あの世がない」に賭けた人で、死後の世界がなかった場合、プラスもマイナスもありません。
3.「あの世がある」に賭けた人で、死後の世界があった場合、その配当を受け取ります。
4.「あの世がある」に賭けた人で、死後の世界がなかった場合、プラスもマイナスもありません。

ということになります。この4パターンで、マイナスにならないのを選ぶとなると、「あの世がある」にかけることになります。


ただ、ちょっと悲しいことに「宗教にお金を出した」としても、あの世の評価で重視されるのは、「心」「動機」みたいですが・・。
とはいえ、質問者さんが「神はお金など必要ありません」というのは正しいけど、神の計画をこの世で実行するには、「お金」が必要なのも事実なんですよ。

「この世」が戦乱に乱れて、殺し合いで地獄のようになるのを見ることを神は望んでいませんが、北朝鮮が核で米国に宣戦布告するような状態になっていますし、北朝鮮のバックには中国がいるのは明らかです。そして、中国は、北朝鮮だけでなく、イラン・シリア、イスラムテロ組織を支援しています。
この先、神が望まれるような世界に導こうと思って、この世の世界の仕組みを変えようと考えるとき、やはり「お金」は必要なんですよね。
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そもそも、宗教に「配当金」という見返りがあるのか?



しかし、ギャンブルには配当金という見返りがあるから欲深い馬鹿奴等はノメリ込むんだよな!

オイラは死後の世界なんて全く信じてないし、神や仏も信じてないが、先祖を供養する気持ちはあるから、菩提寺に対するお布施は先祖への供養と思ってるだけで金品を納めるのを惜しまないだけである!

だが、ギャンブルは「勝てる見込み」がないなら、金を注ぎ込むのが馬鹿らしくて出来ないぜ!

これの、何処が同じようだといえるか分かりやすく説明しろよ!
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お金を使うからのめり込むではありません。


人より得をしたい、他の奴らを出し抜いてやりたい、楽して羨望の目で見られたい!

そういう人間の邪心がギャンブルや宗教にのめり込ませるのです。
清廉潔白に生きていれば目先の欲望を煽るギャンブルや詐欺紛いの宗教にひっかかったりしません。

宗教を見直すより自分を見直すべきです。

死後の世界なんてありえなーい!と言っている人は今生の幸福を謳い文句にしている宗教にひっかかります。
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しゃーない。

誰でもよりどころは必要だ
神という存在を信じることで犯罪も減り
道徳心も鍛えられる面もあるだろう
もちろん金を要求するのは問題だがそれは
多くはカルト的な歴史の浅い宗教法人であって
カトリックの多くは身を滅ぼすほどの献金なんて求めていない
あくまで余裕があればという前提のはず

と、ここまでは私の意見ですが
信じたくないならそれでいいでも他人にその価値観を
押しつけるのは問題でしょう
宗教に入りたくないのに勧誘するのと等しい行為です
ので見直しはご自分だけでどうぞ
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