痔になりやすい生活習慣とは?

 日本語を勉強中の中国人です。英語カテで経験者の方が多いと思うので、こちらで聞かせていただきます。日本語ブログと中国語版ブログを並行して文章を書き始めました。そこで困っていることがあります。それは、どのブログを先に書くのかということです。

 中国語は母国語で日本語よりずっと自信があります。最初は中国語ブログで中国語文章を書きました。それは自分の意味を十分表現できる文章になりました。しかし、その中国語文章を日本語に訳すと、なんだか出来上がった日本語の文章はとても不自然な表現が多いと思います。こういうことは、イコール話をするときに、まず中国語に変換してそれから日本語に変換するというルートですね。しかし、実際外国語を話すときに、直接外国語で考えて話すのだと思います。いちいち母国語経由はしないと思います。

 ということで、まず日本語で考えて日本語ブログを書いてその次に中国語に訳して中国語ブログに載せたほうがよいのでしょうか。しかし、これも欠点があります。日本語は中国語より下手で、自分のなかで本当に表現したい意味はまだそれなりのレベルの日本語の表現を身に着けておりません。

 私の言っていること、理解していただけないでしょうか。つまり、自分の頭のなかで一番最初にまずある意味ができています。その意味を母国語の中国語で表現するのか、それとも外国語の日本語で表現するのかということです。

 どうすればよいのでしょうか。一番最初にどの言語で考えて文章を書いたほうがよろしいでしょうか。同じ悩みを持っておられる方、いらっしゃいますか。

 また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (13件中1~10件)

くどいかもしれませんが前段:


文章は思考の発現であり他者に伝えるもの、書き手の教養・思想・人格の代弁者です。
言語は民族の自然環境と歴史環境の中で育まれてきたものです。
民族の思考法・感性・体質を栄養にして育まれました。
従って言語が異なる人が、同じ場面に遭遇しても、用語ばかりでなく脳と心での受け止め方が異なります。
ましてや語の選択・文体・言い回しなどの文章作法は独自の文化を持ちます。
これらに典型はあれども、感性による差異と選択基準はその言語文化で育った者に固有のものです。
同じことを書くにも、母語が異なると文脈が異なる場合もあります。
さらには、感激の対象の捉え方(一方は形に意識が向くが、一方は色に感性が働くなど)にも差異があります。
異言語環境で育った者にとって安易に超えられる壁ではありません。
外国語で文章を書く場合は、その言語文化に脳も心も置き換えることが必要です。
そうでないと、意味は通じるが心や味わいは通じません。
従って、文章は母語の文化の基盤の上で書くのが自然態です。

中文の作品は中国人の感性の発現であり、その和訳作品は原作と訳者の共同作品です。
名訳であっても、原作品の持つ母語話者の感性が完全に再現されるわけではありません。
同一人物が訳しても原作の味わいの再現は困難です。  -前段完-
 ----------------------------------
さて、
★ご質問のこと。
 どちらを先に書くかとの問い、
  「どちらの言語で原作を書き、他方に翻訳しても満足できない」とのことですね。
 これは必然です、やはり別々に書くか、一方は翻訳作品として洗練するしかありません。
 同じ対象/主題について別々に書いて、両者の内容に差異が生じても良しとします。
   *中文作品は中文で書く。 *日本語作品は日本語で書く。
         をお薦めします。
 同じ対象/主題について
   中国語脳と心 で書く
   日本語脳と心 で書く  
      ことで興味ある、かつ有効な発見があるでしょう。
★確認:
 ブログの目的が日本語力向上で時間の余裕がないならば、
 日本語で起草し中文は翻訳としましょう。

awayukiさんの文章には度々触れていますが、
些事は措いて定型文は充分修得し、
日本人の感性や文章の態度についても知識を持っていらっしゃいます。
今後の上達が楽しみです。
 ----------------------------------
西端真矢さんという文筆家(他分野でも活躍)が居られます。
参考になる記事を書いているのでご一読ください。
「外国語で文章を書くということ」
  http://www.maya-fwe.com/4/000139_J.html
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この回答へのお礼

 ご丁寧に回答していただきありがとうございます。改めて母国語の重要さに気づきました。脳の体操にもなると思うので、ブログで「中国語思考回路」と「日本語思考回路」に分けて文章を綴ることにいたしました。それは「中国人的な思考回路」と「日本人的な思考回路」という意味でもなく、「中国式な思考回路」と「日本式な思考回路」という意味でもないと思います。私にとって「中国語思考回路」と「日本語思考回路」に違うのは脳のなかの単語の組み合わせだけです。つまり、「中国語思考回路」は中国語単語全員加入の思考回路で、「日本語思考回路」は日本語単語全員参加の思考回路です。全部の思考回路はたった一本だけです。私が思うには、外国語文章を書くときに、その国の人になり切って同調で考える必要がありません。外国文化を尊重しよく理解したうえで、よいと思うものを吸収し、自分がどう考えているのか自分らしさをそのたった一本の思考回路に保つのがきわめて重要だと思います。たとえ中国語で伝えても日本語で伝えてもほかの外国語で伝えても伝えようと思うそのものは同じであるはずです。ということで、煙花さんがおっしゃった「同じ対象/主題について別々に書く」についてですが、私にはとても理解不能です。日本人ならどのように感じる、思うのか、中国人ならどのように感じる、思うのかですか。しかし、結局私の文章にしたのは私はどう感じる、思うのかということになると思います。なぜ二つの文章に書けることができるのでしょうか。ここは本当にとても理解できません。外国語を勉強する目的は多角度から物事を深く認識する、他人の気持ちをよく理解するためにあるのではと考えております。いまのところ、このような感じです。ロジックはまだ混乱で申し訳ありませんが、引き続き模索します。西端真矢さんの文章は非常に参考になり、強い共鳴を受けました。ちょうど外国語の勉強年数も近いです。本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2013/02/06 20:49

推敲は日を置いて何度か繰り返さないと上手くいきませんが、あらためて文鳥の悲しみを読むと、不自然という事もないですね。

貴女の文章は乾いていて(漢流)魅力的です。
読者の内側にある涙を文章の乾きで引き出すのがすばらしい作品だと思います。
中国語思考でも問題ありません。日本語思考された「パソコン君」より中国語思考の文鳥の悲しみの方が前衛的な刺激に飢えている日本人にとっては面白い作品です。パソコン君の方は日本人的だから私にはつまらないのでしょう。しかし日本語思考された2作品には凄味があります。どちらも怖い文章です。読んで気持ちの良いものではありませんでした。貴女の言葉使いが日本人の心理と噛み合うから放たれた言葉の矢先が心臓を突き刺すのです
。なぜか泉鏡花を思いました。日本人の思考の核心は「不気味さ」だという事ですね。質問者も不気味な思考になっていたのでしょう。
文鳥の方は、そういう日本人がひた隠しにする心理を突いてくる気配もなく、漢流作品の乾きを存分に鑑賞できました。
先のお礼でご紹介していただいた村上春樹作品の書名の日本語は作為的に外国人風の変な日本語してあります。そういう不純な創作には感心できません。たぶんHarukiの文は天ぷらだから人気があるのだと思います。天ぷらは南蛮人の調理法を日本人が洗練させた日本料理です。
悲しみと悲しさとで見解の相違が生じたわけがなんとなく分かりました。
質問者さんは中国語思考の乾いた眼で文鳥の物語を描いて、乾いた日本語に翻訳したにもかかわらず、そのタイトルを選ぶ時に、じめじめした日本語思考をした結果です。思考が分裂したのです。その文章が気に入った日本人の一人である私にとっては、悲しみという濡れた感じの内容ではありません。
タイトル選びの思考も統一された方が一体感があって自然体です。


文鳥の悲しみですが、雄の軌跡の部分は難しい事を表現されようとした結果でしょう。中国語が得意とする構文に頼ると日本語では表現不能に陥ります。そこだけ中国語にしてみたら(^-^)中国語は理解不能でも古典の漢文はみんな勉強させられましたしどうせ日本民族はいい加減な感覚主義者です。
幾分、前衛的でもいいなら、例えば、事務室の天井に半円の軌跡を描く時間、ばた足ししていたのだけれど、最終的には、と。役者に過ぎないある鳥の悲しみではなくて、生活保障された籠の鳥に成る事の悲しさが伝わりますね。
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この回答へのお礼

 何度もご親切にご意見いただきまして誠にありがとうございました。

お礼日時:2013/02/06 21:04

No.8です。

何もないところから、もう一度違った読み手に近づいてゆく。。。について:

中国語(あるいは英語)を翻訳して、日本語にし、それをより、日本人の心情に合うように書き換えてゆく、あるいは、日本語の文章を中国語(あるいは英語)に翻訳して、中国人あるいは欧米人の論理的思考に訴えるように、書き換えてゆくよりも、中国人の知性に訴えかける文章、日本人の情を刺激する文章を、別々に書く方が、出来上がりが良い、という意味です。

私の場合は、日本語を書く時には、英語の文章を考える時とは、全く違った思考方法を、自然にしてしまいます。そのほうがわかりやすく、納得のゆく文章が出来上がります。

日本人は、”貴方はこういうことを知らないから教えてあげよう”というのを極端に嫌います。最近の若い人は特に”上から目線”などと呼んでいるようです。

ですから、自分の主張を文章にするときに、なるべくストレートに言わないで、関連したエピソードなど書き足して、緩衝材にする。相手の弱みをなるべく避けて、自分の失敗のエピソードなど添えるわけです。そうすると読み手の人が、書き手との共通点を見つけて、共感が得られやすくなります。あとは、日本語では、読後の余韻も大切な要素です。

英語で文章を書くときには、私の場合は、なるべく無駄な言葉を省いて、事実を間違いなく伝え、その事実を分析して、真実にまで、たどり着ければ、一応成功だと思っています。

文章を書くときの、ゴールが違っていますね。日本語では、共感を得ることが、英語では、真実を述べることが、ゴールになります。中国語だったらどうでしょうか。

あくまで私の場合、ということで。ご参考まで。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。私にはとても難しいです。母国語でも外国語でも考えるものは同じであるはずだと思います。違うのは頭のなかの語の組み合わせだけでしょう。なぜその言葉の特徴に合わせて考えることができるのでしょうか。言いたい意味はうまく伝えられません。いろいろ参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/02/05 23:56

お礼ありがとうございます。



直した方が自然になると一部の日本人に言われても鵜呑みにされない方がいいです。

自分は下手とか馬鹿とか自分を否定する表現は問題ありません。
子供や外人や素人などが反論できないのを見越して、いたずらに混乱させる指摘は悪趣味です。日本人なら卑下は相手に負担をかける表現ではないよと常識的に反論します。日本人の常識は質問者の考えと同じです。
変人でも前衛でもいいけど変人の判断を一般論として教える変人は馬鹿で迷惑です。本末転倒の極みです。
下手は上手の対義語で感情的な単語ではありません。文脈を無視して単独に妄想を膨らませれば質問文の主旨から脱線です。
日本人なら冷静に願います。不得手という物言いの失礼さをお節介すべきですよ。「日本語は不得手です」が失礼さを含む文ですよ。
信じた中国人が日本語は不得手ですを多用したら責任取るんですか。日本語は嫌いの婉曲表現になるのは下手と不得手のどっちですか。
質問者は賢いから大丈夫そうですが。

質問文は、英語でも仏語でもない母語の中国語に比べて外国語である日本語は下手であるという再確認を挿入されたのです。
だから私は下手な言語の方を少しでも自然に!作文するには下手な言語で思考するべきなのです。

「文鳥の悲しみ」の日本語は不自然です。中国語の翻訳だからでしょう。
質問者の自己分析のとおりです。
芯のくまさんが校正した文は自然だが面白みがない。原文の面白さを剪定しすぎですね。

悲しみの共感を得たい時に泣き屋を登場させるのが中国人。鎌倉以降昭和以前の日本人は逆。今の日本人は中国人的。

夫の葬儀で号泣する妻にもらい泣きするのが中国人的。夫の葬儀で平然と喪主を勤めきった妻に目頭を熱くするのが日本人的。

「女には、男の苦しさが分からないんだよ!」
「男にね、産みの苦しみは、分かりませんよ」
「出産する時の苦しさとは話が違うだろうが」
「生き苦しさを男だけの苦しみにしないでよ」
「いつもお前のお説教は、面白味がないよな」
「お説教するのに、面白さが必要なんですか」


繰り返しになりますが「作文時に日本語思考と母国語思考"の"どちらを最優先?」です。「と」では文法的に間違い。

春樹もいいけどルースベネディクトの「菊と刀」です。小説家は異常な日本人。妄想的日本人像に浸るしか立つ瀬のない日本人は揚げ足取りする本ですが、日本文化の面白さを自然主義的にまとめた名著です。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。夫の葬儀でのお話はおもしろかったです。以前「菊と刀」の中国語版は途中まで読みました。訳文はわかりにくかったです。もっとよい翻訳版を探して読んでみたいと思います。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/02/05 22:57

 お礼、ありがとうございます。

補足、承りました。#5です。

>自分のことも柔らかく表現する必要があるでしょうか。

 そのようにすることもあります。大変に微妙なことです。

 本当に下手で、最後に言うのならよいのです。

 でも、最初、あるいは、あまり喋ってみせていないときに言うと、聞いている人は励まさなければいけないような気持ちになります。

 つまり、相手の負担になることがあるのです。

 質問者様の日本語は、確かに少しだけ直したほうがいい点もあります。しかし、とても上手です。外国語を話している人として、優秀です。

 そういう人が、いきなり『下手です』と言ったら、聞いている人は否定し、励ますのが普通です。

 そういうことを相手にさせてはいけないのです。

 でも、少しでも迷ったら言った方がいいのですよ。『下手です』というのは、謙遜にもなります。相手に負担になったとしても、相手が気を悪くするようなことはありません。

 不得手、というのは得手の対比語です。不得手は苦手という意味に近く、得手は得意という意味に近いです。

 しかし、苦手という言葉よりは、不得手という言葉のほうが柔らかい感じになります。そのため、嫌いという感じが、あまりしません。頑張っているし、好きだけど、まだ上達していないときには、適する言葉です。

 なお、得手という言葉は、ほとんど使われません。理由は分かりませんが、不得手という言い方だけが残っています。

 以上は、質問者様が日本語について、かなり上達しているから申し上げました。初心者や中級者には当てはまらないことなので、それはご了承ください。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。
 本当に奥深いです。納得できました。今後気をつけます。何度もご親切に教えていただき本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/02/03 23:16

私の場合は英語と日本語です。



全く別の切り口から初めて行くのが良いと思います。

中国語と日本語のはなれ具合が私にはよく判らないのですが、英語は論理的、日本語は情緒的で、例えば、私が普段使っている英語から、日本人の深い心持に響くような日本語に直すのは不可能です。

同じ新聞記事、同じ自然現象について考えを文章にまとめる方法論が全く違っているからですね。日本語では、絶えず相手の気持ちを引き立てるように、思いやりをもちながら、論を進めてゆくのですが。。。。(例えば。。。。貴女もご存知でしょうか、とか、こんな風に考えるのはおかしいかもしれませんが。。。。などの挿入句を入れる工夫です。)

英語では、そういう考慮は全く必要ありません。

よって、英語から日本語、日本語から英語に、翻訳しながら文章を構築してゆくと、(特に相手を納得させようを言う文章の場合)美しいものはできにくくなります。何もないところから、もう一度違った読み手に近づいてゆくのが、私には、やりやすいように思います。

例えば、以下の余談は、英語の文章では絶対書きません。

”余談になりますが、ひと月ほど前、近所の飲茶やさんで、アメリカにコンピューターサイエンスを一年半勉強に来ている、十九歳の中国人の女学生さんと、偶然ご一緒しました。

まだ三ヶ月しか経っていないのに、流暢な英語で、私は感嘆しました。落ち着いておられて、しかも、さわやかな印象でした。遠いアメリカで、たまに飲茶をして、故郷をしのんでいる中国人の学生さんのことをちょっとお知らせしたいように思いました。”

でも、日本語だったら大丈夫。

蛇足ですが、お勉強、頑張ってください。
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この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。中国語は英語に近いかもしれません。絶えず相手の気持ちを引き立てるように、思いやりをもちながら、論を進めてゆくようなことはないのではと思います。でも、作文はまたこれとちょっと違いますね。会話ではないので、相手の気持ちを引き立てるように、思いやりをもちながら、論を進めてゆく必要もないでしょう。
 申し訳ありませんが、ご回答に一箇所理解できないところがあります。「何もないところから、もう一度違った読み手に近づいてゆく」というのはどういう意味でしょうか。挙げてくださった余談の例も理解できませんでした。恐れ入りますが、もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2013/02/03 20:26

ブログ初見しましたが「文鳥の悲しみ」の話すごくいいじゃん。

(表題は悲しさの方が私の好み。悲しみは文鳥と共感。悲しさは文鳥の観察。自然は客観的に描写した方が美しいと思います)

貴女は迷惑だろうけど自然に対する感性が私とビンゴです。びっくりしたんで書いています。
私が密かに心を寄せていた二つの草木が二つともでした。万の草木がある中で合致したのですから奇跡的です。高い方はさておき低い方のあの美しさが分かる人でしたか。

このところ写真ばっかりだったのですね。
日本語の文を書かれた方があなたの感性が籠の外へ広がりますし、文鳥に羽ばたいて欲しいというのが私からのお願いです。

私は左翼が嫌いなのですが素直に面白いと感じた小説の作者は最悪な事に大江健三郎。フランス語思考してそれを翻訳したのではないかという奇怪な日本語の小説は、日本人の私も、ノーベル文学賞選考委員も、良いと思わせました。
一方物は試しと本を買ってはみたけれど面白くいから一向に読んでいないのが村上春樹。この国際的人気作家は英語で思考して英語で小説を書いてからそれを日本語に翻訳すると公言していたと思います。ちなみに春木だと、苗字の漢字になります。木の字の方に一般性があるせいでしょう。


質問者の淡雪さんにとって中国語の方は「腐っても鯛」です。中国語を後回しに日本語の思考を優先された方が宜しいと思います。
貴女の質問文に貴女のお答えが書いてあります。
「日本語ブログと中国語版ブログ」

日本語のブログとその中国語版で行きましょう。


今回の自然な日本語についてですが、タイトルです。
日本語思考と母国語思考「の」どちらを優先、です。
課題は「の」の使い方ですね。「の」はお嫌いですか。

「の」が大好きな中国人タレントが日本にいますけど。
「の」が大好きな中国人「の」タレントが日本にいますけど。
(前者と後者の使い分けによって違う文意を伝えられます。後者は日本の芸能界で仕事をしている中国人です)

日本語は「の」を使った方が日本語らしいですよ。日本語思考の核心なのでは?「の」は日本語の翼かもしれない。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。「文鳥の悲しみ」を読んできていただきありがとうございます。実は、その文章は中国語で先に書いて日本語に訳したものです。出来上がったあと、繰り返して読むと、なんだか不自然な日本語の表現がいっぱいあるように感じました。とても不満足です。もし最初に日本語で考えて書くとそういう構文ではなかったかもしれません。「悲しさ」と「悲しみ」についてのご説明にも感謝いたします。最近考えている課題ですが、まだ未解決のままです。ご回答から「さ」は単なるの性質、「み」は共感を促す感じだと捉えました。でも、その違いを知っていても、私はやはり「悲しみ」という言葉を選びます。客観的に観察する目的はこの世に生きている人間に共感を覚えさせるためにあると思います。大学時代に村上春樹の「ノルウェイの森」の日本語版を少し読んだことがあります。でも、当時にたぶんその内容が気に入らなかったので、途中まで読めなくなりました。でも、結末を一応知りたいので、中国語版でさっさと読み終わりました。それ以来、村上春樹には印象が悪かったです。その後、日本でもあまり評判がよくないと知りました。でも、彼は世界中で人気がありますね。この前に、村上春樹の海外でのスピーチの映像を見ました。好印象でした。私は若いときに彼のことを誤解したかもと気づきました。また彼の世界中で人気がある理由がとても知りたくて、いま彼の随筆を読んでいるところです。一冊は「走ることについて語るときに 僕の語ること」で、もう一冊は「やがて哀しき外国語」です。「日本語ブログと中国語版ブログ」という言葉で本当に無意識に潜在意識を出してしまいましたね。「の」は嫌いわけではなく、タイトルは25文字以内という制限なので、できるかぎり字数を節約しました。いろいろ本当にありがとうございました。がんばります。

お礼日時:2013/02/03 19:54

どちらでもいいと思いますよ。


どっちを先に書くにしても,訳すというのでなく,
起きた出来事,書きたいことは同じはずで,それぞれ別で書けばいいと思います。

たとえば,微妙に内容にずれがあってもいい。
とにかく訳すのでなく,別々に書く。

これだけ日本語が使えれば十分です。
細かいところで重箱の隅をつつくレベルの不自然さはありますが,
気になさらなくてもいいと思います。
もっと日本語のレベルを向上させたい,というのであれば他の回答者の方が指摘してくれるでしょう。

やはり中国の方は頭がいいのでしょうか。それとも漢字を使う点で有利なのか,Yahoo Answers の
日本語に関する質問・回答のレベルからすると雲泥の差です。
これだけ外国語が使いこなせるのはうらやましい限りです。
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この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。申し訳ありませんが、あまり時間がないので、いまのところ、やはりまずある言語で考えて書く、それからもうひとつの言語に訳すという方法にしたいと思います。ただ、どちらの言語で考えて書くのかまだ決めていないで、迷っているところです。本当にありがとうございました。がんばります。

お礼日時:2013/02/03 19:17

 同じ意味の文章を書くのに、母国語か外国語かは、どちらとも言えないです。



 事実関係だけを述べたり、論理主体であれば、母国語で考えるほうが有利でしょう。

 しかし、たとえば気持ちを述べた言葉だと、翻訳は難しいものです。対応する表現がないことも、少なくありません。

 また、短く簡潔に、しかし深い意味を持たせた言葉も翻訳が難しいですね。ことわざや格言、警句などは、同じ意味になる翻訳ができないことも多いです。

 たとえば、貴国の古典の兵法書の孫子は、日本語の現代語に訳したものでは、原文の意味が損なわれていることがあります。そのままは読めないし、読めたとしても、中国語、しかも古典ですから、理解できません。

 それでも、漢文書き下し文と呼ばれる、読みにくいけれど原文に近い翻訳文章で読んだ方が、意味が分かることが多いです。孫子は短い文章で、いろいろ応用ができるように、深い意味を持たせてあるからです。

 気持ちや意味が深いことなら、日本語で接したことであれば、日本語で言ってみるようにして、中国語で接したことなら、中国語で言ってみるのがよいのではないかと思います。

 それでも、きちんと言葉にするのは難しいはずです。工夫して、言いたいことが言えているように思えたら、翻訳を工夫するようにすればよいのではないかと思います。

P.S.

 ご質問の文章で誤解しそうな部分はありません。それでも、多少気になる点を書き直してみます。書き直したものがベストというわけではありません。

>それは自分の意味を十分表現できる文章になりました。

「それは自分の言いたいことを、十分表現できる文章になっています。」

 少し説明が難しいのですが、元の文の『なりました』は過去形のため、済んでしまって、もう無いのだという感じがします。『なっています』と現在形にすると、今でもブログが読めるし、ブログの更新もしている感じになります。

>なんだか出来上がった日本語の文章はとても不自然な表現が多いと思います。

「なんだか出来上がった日本語の文章はとても不自然な表現が多いと思えます。」

 たった1文字ですが、元の文では『思います』の主語が『日本語の文章』になっている感じがします。『思えます』に変えると、省略された『私には』があることが感じられるようになります。

>こういうことは、イコール話をするときに、まず中国語に変換してそれから日本語に変換するというルートですね。

「こういうことは、まず中国語で書いて、それから翻訳するというルートですね。」

 原文の『イコール話をするときに』は不要ですし、『イコール』の意味が分かりにくいです。最初は中国語で書くのだとすると、『中国語に変換』は自然な言い方ではなく、『日本語に変換する』も『日本語に翻訳する』か、『日本語で書き直す』(『に』より『で』のほうが自然)にしたほうがいいでしょう。

>しかし、実際外国語を話すときに、直接外国語で考えて話すのだと思います。

「しかし、実際に外国語を話すときには、直接外国語で考えて話すのだと思います。」

 少しだけ助詞を工夫した方が自然な感じになります。

>日本語は中国語より下手で、自分のなかで本当に表現したい意味はまだそれなりのレベルの日本語の表現を身に着けておりません。

「まだ日本語は不得手で、自分のなかで本当に表現したいことが、日本語で十分に言えるレベルではありません。」

 質問者様が中国語ネイティブということは分かっているので、『中国語より』は不要です。『下手』は『不得手』や『不慣れ』と柔らかく言う方がいいでしょう。その他の変更は、ちょっと説明しづらいです。もし、どうしてそう書き直したか、分かりにくければ、補足欄で仰せつけください。

>私の言っていること、理解していただけないでしょうか。

「私の言っていることは、伝わっていますでしょうか。」

 元文ですと、お願いしている感じになります。確かに、お願いの気持ちを込めていると思いますが、分かるかどうかだけを聞く方がいいです。お願いするのは、多少ですが、相手に負担をかけることがあるためです。

>つまり、自分の頭のなかで一番最初にまずある意味ができています。

「つまり、自分のなかで、あるイメージができます。」

 何度も『意味』という単語を使っておられますが、日本語での用法と多少の違いがあるようです。書き直しに使った単語は、日本語としてはもともとは外来語の『イメージ』ですが、言葉になる前の考えを表すのには便利な言葉ですので、使ってみました。

>その意味を母国語の中国語で表現するのか、それとも外国語の日本語で表現するのかということです。

「そのイメージを、母国語の中国語で表現するのか、それとも外国語の日本語で表現するのかということです。」

 ここは、『意味』を『イメージ』に書き換えただけです。

 何かありましたら、補足欄で仰せつけください。

この回答への補足

>質問者様が中国語ネイティブということは分かっているので、『中国語より』は不要です。『下手』は『不得手』や『不慣れ』と柔らかく言う方がいいでしょう。その他の変更は、ちょっと説明しづらいです。もし、どうしてそう書き直したか、分かりにくければ、補足欄で仰せつけください。

日本語は人に傷つけないことに非常に気を使っていますね。これはいつも心がけております。しかし、ここの「下手」という言葉は私自身に対して発したのです。自分のことも柔らかく表現する必要があるでしょうか。自分自身のことを厳しく言ったら、かえって聞く相手に負担をかけてしまうことになるのでしょうか。

補足日時:2013/02/03 18:48
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。おかげさまで、孫子兵法を読みたくなりました。日本語を勉強すればするほど中国との深い絆のようなものが感じられるようになりました。これは英語を勉強する時にわいてこなかった実感です。時々日本人は現代中国人よりも古代中国人似のではと感じております。質問文までもご親切に添削してくださり、心から感謝いたします。「不得手」という表現は初めて知りました。ありがとうございます。しかし、そこの添削にはまだよく納得できません。お手数をおかけしますが、もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2013/02/03 19:07

連続投稿申し訳ございません。


よくよく見ると、文章の一番下に以下のような内容が書いてありました。

>> また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。
>> よろしくお願いいたします。

不自然な表現を教えてほしいということなので、十分すぎるほど意味は伝わるのですが、リクエストがあったので、いちおう直してみました。少々やりすぎな気はしますが。。

■ 最初は中国語ブログで中国語文章を書きました。
→中国語の文章を書きました。

■ それは自分の意味を十分表現できる文章になりました。
→ この場合は、自分が言いたいことを十分表現できる文章を書くことができました。

■ その中国語文章を日本語に訳すと、
→ その中国語の文章を日本語に訳すと、

■ こういうことは、イコール話をするときに、まず中国語に変換してそれから日本語に変換するというルート 
→これは、すなわち話をするときにまず中国語で考えてそれから日本語に変換するというルート

■ 実際外国語を話すとき → 実際に外国語を話すとき

■ これも欠点があります。→ これにも欠点があります。or この方法にも欠点があります。

■ 自分のなかで本当に表現したい意味はまだそれなりのレベルの日本語の表現を身に着けておりません。
→ 私の日本語は、自分が本当に言いたいことを表現できるレベルに達していません。

■ 私の言っていること、理解していただけないでしょうか。
→ 私の言っていること、理解していただけますでしょうか。

これ以外の部分については、特に不自然な点は見当たらないと思います。

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。質問文までもご丁寧に添削してくださり、心から感謝いたします。今後気をつけます。

お礼日時:2013/02/03 15:51

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