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19世紀末にニイチェは、このプラトンのEssentia(本質存在)がExistentia(現実存在)に優位するという「プラトン主義」と「形而上学」をひっくり返し、西欧の2500年の「形而上学」の歴史に終止符を打ちました。

これを受け継いだのがハイデガーで、ハイデガーはデカルト以来の意識中心の、自我を出発点に取る近代哲学を放棄し、人間の事実存在(実存)に出発点にとる「実存哲学」を始めることになりますが、後期になるとサルトルの「実存主義」と区別するために、今度は人間を中心とする「実存哲学」から「転回」し、「存在」を中心とする「存在論」を展開しました。



という哲学の解説を読んで興味が湧きましたが、ところどころ分かりませんでした。

前半の、ニーチェが「プラトン主義」と「形而上学」をひっくり返した、とはどういうことでしょうか?

後半で、ハイデガーは自我を出発点に取る近代哲学を放棄し、人間の事実存在(実存)に出発点を取る「実存哲学」を始めた、とありますが、自我を出発点に取るのと実存に出発点を取るのとではどう違うのでしょうか?

サルトルと区別するために~とありますが、結局やってることがサルトルと似てきちゃった、ということですか?

ハイデガーは結局サルトルを超えるような仕事をしたんでしょうか?それともサルトルとは全然別の種類の分野に進んだ、ということですかね?

A 回答 (1件)

 こんばんは。

まず基本的な「データ」の誤りから修正していきます。
サルトルが『存在と無』を発表したのは1943年であり、ハイデガーが『存在と時間』を発表したのは1927年です。この部分で質問者の質問には基本的な誤解があります。
 齋藤信治や川原栄峰そして木田元、滝浦静雄等の説明によれば、ハイデガーはサルトルの著作を目にして烈火の如く怒ったとのエピソードも伝わっています。それは『存在と時間』のどこをどう読めば、あのような妙な焼き直しの文章になるのかとの理由があったとされています。
 ハイデガーは思索家であると同時に優れた哲学史家でもあり、それはニーチェの言葉を『ニーチェ-美と永劫回帰』『ニーチェ-ヨーロッパのあらゆる価値観の顚倒』に見られる、デカルト以前とデカルト以後の対比を通して見た「『存在』への問い」に表れています。
 サルトルが実存主義であるかとの問いには疑問視される見解もしばしばあり、必ずしも彼が実存主義者であるとはいいかねます。
 ご参考にすべきは、フッサールとハイデガーでありここにサルトルなどがつけいる余地は寸分などもありません。
 なお参考文献として、齋藤信治の『哲学初歩』あたりをお読みになることをお勧めします。
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この回答へのお礼

なるほど、ありがとうございました!

お礼日時:2013/03/03 00:08

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