萱野三平の戒名をご存知でしたら教えてください。
確か赤穂浪士はみんな「刃○○剣信士」という戒名だったかと思いますが、萱野三平はどうでしょうか?

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A 回答 (2件)

こんにちは。



萱野三平の戒名に「刃」ありますね。
「刃道喜剣信士」

下の参考URLのちょうど一番下の欄にも載っています。
ここには、また別の戒名もありますね。


NO.1さんの紹介されたHPにも載っていますが、
「刃」の戒名がつかなかった義士もいるようです。
寺坂吉右衛門です。
(参考URLの方には、なかほどにあります)

吉右衛門のことは、
http://www.k-miyake.com/MiFiles/tera.html
にも載っていますね。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/MID/edo/chushingura.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/03/02 17:48

こんにちは。


こんなHPがありました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ra_mo/rekisi/kaimyou …

一番下にいます。

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~ra_mo/rekisi/kaimyou …
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この回答へのお礼

早速、ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/02 17:49

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Q戒名の相場について

四十九日に併せ、戒名をいただく事になりました。
その時のお布施の相場についてお教えください。
実は、私の幼子ですので、嬰児となります。
どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんばんは。。

 お悔やみ申し上げます。

 仏事関連の仕事をしております。
 他のご回答にもありますが、かなり開きがあり、地域性、お寺さんそれぞれの基準によってばらばらですね・・・

 ただ、嬰児さんということであれば、それほど多額にはならないと思います。
 自分の知る限り(このサイトを見始めてから、ウチの地方は安めであることがわかってしまったのですが・・・)1万~3万円ぐらいかと思いました。

 普通の大人の方よりもかなり低い設定になっていることが多いように見受けます。

 もちろん、お寺さんにご確認いただくのが一番確実なのですが・・・では。

Q赤穂浪士の役職

忠臣蔵シーズン(?)ですね。
前々から疑問で、こちらで検索もしたのですが今いちピンと来なかったので、質問させてください。

大石内蔵助は筆頭家老ですから、たぶん赤穂城内で一番上の役職なのでしょうが、ほかの四十七士は、さっと見た感じで「馬廻」という役職が多いんです。

そのほかにも、今風で言うと重役クラス(?)みたいな役職の方はおられないような気がします。

1.馬廻とはどんな役職なのか、またその他の役職についても、彼らは、どの程度の役職についていたのか。
2.他の家老(重役?)は仇討ちに参加せず、浪人となってしまったのか、それともどこかにお抱えになったのか。
3.仇討ちに参加しなかった赤穂浪士は、不遇な人生(?)を送ったのではないか?

長々と書きましたが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 あたりまえの話ですが藩は会社ではありません。現在のように首脳部が合議制になっているわけでもありませんので、そもそも現代の重役にきちんと対応する職があるわけではありません。
 いちばん近いのは家老職(数名)です。これに次ぐのが中老職。江戸時代前期だと両者を区別せずに家老と称することのほうが多かったと思いますが、彼らが執行部として藩主に責任を負う合議制を敷いていたところが多いようです。赤穂浪士の特徴はここらあたりがすっかり抜けているところにあるわけですが、よく考えてみれば第一に家老というのはもとの人数が少ない。大石一名参加しただけで参加率2割か3割になるはずですから47/300から言えばそれほど不自然でもないでしょう。第二に家老というのは身分のある人が多い。あんまり血なまぐさいことが得意じゃないのではないか、という想像は容易につきます。
 さらに議題が広範囲にわたる場合には、以上のほかに、番頭(戦時にまとまった員数の舞台を率いる責任者。士分の頭と足軽の頭があり、後者が格下。組頭ということもある。奥野将監というのが途中まで参加していましたが脱落しました)、組頭(各部署の責任者。たとえば小姓組の組頭が片岡源五右衛門)、大目付(赤穂浪士では間瀬久太夫)、農政および農村部行政の責任者(通常は郡代。又は郡奉行。吉田又左衛門)、町奉行、勘定方の責任者(通常は勘定奉行)などが会議に出席することもあります。以上のほかに高役となると各地の留守居役(特に江戸)、それから藩主の秘書ともいうべき側用人なのでしょう。
 藩というのは基本的に「戦争のための組織」であり、それがたまたま時代が平和であるために行政組織も兼ねているのにすぎません。当然、戦争のためには人数が多いほうがよく、行政にはそれほど手数がかかりませんから、平和な時代の武士は人が余ります。そういう連中をとりあえず一まとめにしておくのが馬廻です。戦時には文字通り藩主の馬廻をかためる親衛隊で、戦場で功績を立てる機会も多く、武勇に優れた一騎がけの武士が多いのですが、時代が平和になると仕事もなく、一朝有事に備える以外には特にすることがありません。
 有能な人は馬廻組であってもほかの実質的な仕事の責任者に抜擢されることがあり、本籍を馬廻におきつつそのほかの仕事を兼任することもあるのですが、それ以外はお城に三日に一遍のぼって倉庫番をしたり、無用に詰め所に缶詰にされたりと、じつにひまな仕事であるといえます。ただ、ほかの勘定組(会計)や祐筆組(文書処理)、郷方(農政と地方行政)、普請方(土木)などから比べると身分ははるかに上ですから、藩主側近に仕える近習組(小姓組)と並ぶエリートであり、努力しだいではいくらでも役職を経験することができます。家柄の問題もありますが、組頭や大目付、側用人などは彼らが任命されることが多く、江戸も後期になるとさらに中老から家老へと出世する道もひらかれていました。
 要するにあらゆる意味で人材をプールしておくことを目的として、身分はあるけど仕事のない役職が馬廻だとお考えください。
 2・3については真偽入混じってはっきりしたことはよくわかりません。しかし浪人になったというだけで当時の武士にとっては十分に不遇な人生であったと思います。ほかの藩に抱えられた人もいたのでしょうが、時代は各藩の財政がきびしくなってゆく時期ですのであまり多くはなかったのではないかと思います。

 あたりまえの話ですが藩は会社ではありません。現在のように首脳部が合議制になっているわけでもありませんので、そもそも現代の重役にきちんと対応する職があるわけではありません。
 いちばん近いのは家老職(数名)です。これに次ぐのが中老職。江戸時代前期だと両者を区別せずに家老と称することのほうが多かったと思いますが、彼らが執行部として藩主に責任を負う合議制を敷いていたところが多いようです。赤穂浪士の特徴はここらあたりがすっかり抜けているところにあるわけですが、よく考えてみれば第...続きを読む

Qお寺は真言宗醍醐派です。先日母が亡くなりました。お布施の相場がわかりま

お寺は真言宗醍醐派です。先日母が亡くなりました。お布施の相場がわかりませんので教えて下さい。
通夜、葬儀、初七日また四十九日どのくらい包めばよいでしょうか?
戒名は○○院○○大使です。

Aベストアンサー

 ちなみに我が家は真言宗高野山派でしたが・・・

 通夜・葬儀は込みで20~30万。
もちろん何人来られるかにもよりますが、うちは一人でしたがそれまでのお付き合いもあるし今後のこともあるので25万包みました。

 初七日は1万。四十九日までに七日七日のお参りに来ていただく場合も1万でいいんじゃないでしょうか?

 四十九日は3万+お車代、お食事代に1万で5万くらいでしょうね。

Q赤穂浪士の討ち入りの日は?

元禄時代の12月14日に、赤穂浪士47人が吉良上野介の屋敷に討ち入りをしました。
元禄時代は旧暦(陰暦)を使っていたと思うのですが、12月14日とは旧暦の12月14日なのでしょうか?
それとも新暦(陽暦)の12月14日なのでしょうか?

どなたか教えていただけませんでしょうか?

Aベストアンサー

1703年1月30日だな
元禄や慶応など日本の年代で掛かれたものは明治6年1月1日以前は全て旧暦表示
1703年などと西暦で書かれたものは1582年以降は新暦、今の暦と一緒
ちなみに1582年というのは現在使われている太陽暦の一つグレゴリオ暦が始まった年である

Q戒名の追加彫りについて

亡くなられた方の戒名をお墓に彫りたいのですがどこへ頼めばいいんでしょうか?また金額の相場はいくらくらいでしょうか?(愛知県内で)

Aベストアンサー

墓石屋さんにお願いすればいいと思います。
3~5万円くらいではないでしょうか?

参考URL:http://www.zenyuseki.or.jp/

Q赤穂浪士事件

赤穂浪士事件について興味を持っていて、大石率いる赤穂浪士の仇討ちは正当であったか否かという文献を探しています。葉隠の作者、山本常朝をはじめとする、正当ではなかったという意見の専門家が多いようです。それらの資料を読み感嘆しましたが、正当であったという文献を読んでみたくなりました。

仇討ちは正当であったという文献がありましたら教えて下さい。
また、三島由紀夫は忠臣蔵の脚本を書いていましたが、赤穂浪士の仇討ちを賛美していたのでしょうか?三島由紀夫の本で赤穂浪士について述べているものがありましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

確かに興味深い設問ですね。

赤穂浪士の仇討ちそのものを正当化する論説を公表するには、復讐の連鎖を阻止する代案を示さない限り不可能なのでしょう。
歴史に「もしも」は禁句でしょうが、正当化の論陣を張るには、「もしも」仇討ちに失敗してたとしても正当化できるのか。
さらには、「仇討ち」が赤穂浪士にとってベストの選択だったのか、という難問もあります。
少なくとも、そこらへんをクリアしておかないと、「国家の裁判権は私人に譲れない」とあっさり一蹴されそうです。

明治末年に、福本日南というひとが「元禄快挙録」(岩波文庫 /上中下)という赤穂浪士礼賛の書を出したそうです。
   ↓
 http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/070/01.html
>福本日南

今では「国粋主義者」というレッテルを貼られてるようですけど、読んでないのでコメントは控えます。
 

Qお坊さんって高い!!これって相場ですか??

先日父の葬儀を東京で出しました。
父は福島の出身でお寺は福島にあります。
住職へ連絡をしたところ、ほかにも葬儀があって東京には
行けない。戒名だけ送ります、と言われfaxで戒名を
受け取り、同じ宗派のお坊さんを葬儀会社から紹介をしてもらい
そのお坊さんにお願いしました。すると通夜、葬儀、初七日(葬儀の際に一緒に)
これら全部で50万と言われました。あまりに高くて驚き
相場は30~40万くらいでは?とお聞きすると(失礼かと
思ったのですがあまりに高いと思ったので聞きました)
すると「院」がついている方だとこのくたいだ、と言われてしまい
50万払いました。今度、納骨があるので福島のお寺さんへ
電話をし、先日頂いた戒名代と納骨代でいくらですかと
聞くと、また50万って言われました。。。
福島のお寺さんとは代々のお付き合いですし、言われるがままに
払うしかなさそうです。しかし高くないですか?普通ですか?
代々、「院」のつく戒名をもらっていて位が高いらしいです(本当でしょうか)
今後、新盆、1周忌なども控えており、お金が心配です。
アドバイスください。お願いします。

先日父の葬儀を東京で出しました。
父は福島の出身でお寺は福島にあります。
住職へ連絡をしたところ、ほかにも葬儀があって東京には
行けない。戒名だけ送ります、と言われfaxで戒名を
受け取り、同じ宗派のお坊さんを葬儀会社から紹介をしてもらい
そのお坊さんにお願いしました。すると通夜、葬儀、初七日(葬儀の際に一緒に)
これら全部で50万と言われました。あまりに高くて驚き
相場は30~40万くらいでは?とお聞きすると(失礼かと
思ったのですがあまりに高いと思ったので聞きました)
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Aベストアンサー

坊主丸儲けとは良く言ったもので、相場なんてありません。
お寺にどれだけ貢献しているかで、戒名の名前と金額は決まってきます。
戒名も院号居士(大姉)は位が高いよりも金持ちの家柄の戒名だから東京の坊主は、足元を見てボッタくったのでしょう。
福島の坊さんも代々良い家柄なので付けたのでしょうが、これは仕方がない事で、返って良心的かもしれません(お寺に貢献していないと先祖が院号付いていてもくれるものではない)
冠婚葬祭は、周りへの見栄(親戚等)が絡んで来るので、値切ったり出来ない風習がこうなってしまったのでしょうね。
49日、100日忌、一周忌等の時は、坊さん抜きで自宅で宗派のお経テープを流して終らせちゃってもばちは当たらないと思いますよ。
その分立派なお墓でも建ててあげるとか。法要の料理に贅沢するとか。有効な使い道はたくさんありますよね。

参考URL:http://www.magokoro-net.co.jp/sougi/houyou.htm

Q赤穂浪士の件

現在、放映されている赤穂浪士関係の映画で、「最後の赤穂浪士」を観ました。とてもよい作品でした。そこで、質問なんですが、今回の「最後の赤穂浪士」や、以前、映画ではなく、本で「武士の尾」を読んだんですが・・・これは、赤穂浪士の討ち入りが失敗した時の次(第2部隊)の部隊を大石内蔵助の密命により、おもて上は、「逐電した武士」という汚名を着せられながら、赤穂浪士の討ち入り後も生きていく・・・というスト-リ-でした。
この二つの、物語は事実なのでしょうか。
細かく言うと、登場人物の名前や、特に、大石内蔵助の隠し子(女性:可音)のことも含めて・・・。
以上、宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

 討入りについては公儀(幕府)はもちろん、吉良屋敷の隣近所に屋敷を持つ武家も事前に知っていました。
 その第一の根拠は、元禄十五年十二月十三日付けで、大石内蔵助が赤穂の僧3人に宛てた書簡のなかに次のように書いてあります(赤穂市の正福寺蔵)。

 「家来左六・幸七暇遣差上候間一筆致啓上候、甚寒御座候得共各様弥御堅固可被成御座珍重奉存候、其元御城主も被仰付珍重ノ御事御座候、前々ノ通無相 違寺社領も被遣事ニ候哉無心元存候
一 私在京之内は何角不得心隙候て書状ヲ以も不得御意御不音罷成候、兼而御聞及も可被成候、十月初京都出足無異義父子共下着仕事ニ候、今日迄一段と両人共無病ニ罷在候、誠に仏神之御加護と難有喜悦仕事御座候、在京之内は従公儀も拙者江附人在之一足もふミ出し候儀不成旨慥成筋より聞出し候なと以後万々一無別義世間ニ罷成候様子ニ候ハヽ吉進事ハ一度武名家をおこし候様ニ仕度事に候ヘハ少は心底に懸り候、此義も存間敷事ニも候得共人生ぼんぶノ拙者ニ候得は御はつかしき事ニ候、乍去一事之邪魔ニ成候様成所存ニて毛頭無御座候、御気遣被下ましく候、良雪様へ去年以来ノ御ものかたり失念不仕日々存出し、此度当然之覚悟ニ罷成忝次第御座候、日来御心易得御意候各様故、別而御残多御暇乞旁如此御座候、死人に口なし死後色々ノ批判とりニ可在之と察まゐらせ候、知貞御坊へも同前申度候、遠林寺・神宮寺もし噂も御座候ハヽ宜布御心得可被下候、恐惶謹言
道中御関所無滞少も心懸り之義無之下着仕候・・浪人共追々下着、拙者も罷下り候さた色々在之、若老中ニも御存知之旨ニ候得共何之御いろいも無之うち破り候上は各別其通ニ被成置候事と被察候、亡君之ため忠死ヲ感し道理か何之滞少も無之、致案(安)堵罷有候・・

十二月十三日        大石内蔵助(花押)
         恵光様
         良雪様
         神護寺様
           参
  尚々此書状家来ニ可進と存候得共若道中滞候てハ如何と存さしひかへ死後大津より其元へ相達し候様ニ頼置申候」


 恵光は花岳寺、良雪は正福寺の住職です。神護寺の僧の名は記載なし。


 関所も問題なく通過できて無事に江戸に着いたことの報告とともに、若老中(書簡にはこう書かれていますが若年寄のこと)も知っているようで 「うち破り候上は各別其通ニ被成置候事と被察候」。討入りも成功するようだ、という意味のことが書かれています。

 この大石内蔵助がなぜ、赤穂の僧宛に書簡を書いたのか。

 討入りのために下向する大石はじめ元赤穂浅野家の家来たちは浪人の身です。なので、主家というものがないので寺が通行手形を発行したことは間違いない。
 書簡の内容からみて、手形を発行した寺でも、下向の目的は知っていたはずです。

 それでは、なぜ若年寄が討入りについて知っていると大石が察したのか。

 本所吉良屋敷の道一本はさんだ南隣は、相生町二丁目。ここに前原伊助の店がありました。

 吉良屋敷の南西角には、吉良および北隣西側の土屋主税(老中、土屋相模守の本家)の家が共同で管理・運営する辻番所がありました。
 また、綺羅屋敷の北隣東側にあった本多孫太郎(当時二万石の越前松平家老)屋敷の北西角にも辻番所がありました。
 辻番所には昼夜番人を置いて周囲を監視し、一刻に一度は周囲をパトロールすることになっていました。

 だから、浪人風情の者が出入りする店もわかっていたはず。

 辻番は若年寄が支配し、御徒目付けが定期的に巡回してチェックしていました。辻番の前をフリーパスで通ることができなければ前原伊助の店にも近寄れないし、討入り本番では大石主税をリーダーとする裏門隊は吉良屋敷の西側にあった裏門にたどり着くこともできません。「若年寄も知っている」 と大石が悟ったのは、そんなことからでしょう。おそらく他の同士も知っていた。「どうもおかしい、大石に問い詰められて、「じつは」 ということになったと考えられます。

 本所吉良屋敷の前住人は、松平登之助。公方さまの御小姓で、彼とは幼なじみで本所の年貢屋敷(自前で農家などから購入)も隣り合わせという非常に親しい十歳年長の従兄、松平右京大夫は、柳沢出羽守と二人三脚で政治を動かしていた次席御側用人でした。

 神田川沿いの佐久間町二丁目北にあった松平登之助の屋敷は元禄十一年九月六日の大火で全焼。その代地として公儀から本所に屋敷(敷地のみ)を拝領したのは、同年十一月でした。大火後の建築ラッシュを考えれば新屋敷館の竣工はどんなに早くとも翌年の夏ごろ。

 松平登之助は元禄十四年八月に本所屋敷を立ち退き、翌月に吉良が入りました。登之助の屋敷だったときは、表門は南側でした。目の前は、相生町二丁目。が、吉良屋敷の表門は東にに移設されていたのです。

 

 討入りについては公儀(幕府)はもちろん、吉良屋敷の隣近所に屋敷を持つ武家も事前に知っていました。
 その第一の根拠は、元禄十五年十二月十三日付けで、大石内蔵助が赤穂の僧3人に宛てた書簡のなかに次のように書いてあります(赤穂市の正福寺蔵)。

 「家来左六・幸七暇遣差上候間一筆致啓上候、甚寒御座候得共各様弥御堅固可被成御座珍重奉存候、其元御城主も被仰付珍重ノ御事御座候、前々ノ通無相 違寺社領も被遣事ニ候哉無心元存候
一 私在京之内は何角不得心隙候て書状ヲ以も不得御意御不音罷成...続きを読む

Q戒名について

 
教えてください。
 
戒名はいつ誰が考えたのか。

なぜ戒名は生まれたのか。

戒名は誰でも作れるのか。

戒名はどのよーにして作るのか。

2つと同じ戒名は存在しないのか。

自分で事前に戒名を作っておくことはできるのか。

戒名は何かの役に立つのか。

皆は戒名のことどー考えているのか。
 

Aベストアンサー

日本だけを見た回答をします

・戒名はいつ誰が考えたのか
・なぜ戒名は生まれたのか
東大寺の大仏殿が源平の合戦で炎上焼失してしまい
再建のための資金集めが必要になり
東大寺再建の大勧進職を命じられた重源がアイデアを出しました
「誰でも死後極楽浄土へ行ける切符*」として大好評だったらしいです
*簡単に書きました

死者の戒名は室町時代からです

・戒名は誰でも作れるのか
・自分で事前に戒名を作っておくことはできるのか
戒を受けていない人が自分で勝手に付けても
それは戒名としては認められません

・戒名はどのよーにして作るのか
戒名の本来の意味は、俗人から出家し
戒律を授けられたことによって与えられる 仏弟子としての名前です。
だからお坊様の名はみんな戒名です。 そしてこれらのほとんどが2文字になっています

・戒名は何かの役に立つのか
金儲けをはかる僧侶や葬儀屋の役に立っております
もう少し言えば、宗教などを信じている方の心の拠り所でもあります

・戒名のことどー考えているのか
そうですね。私は無宗教なのでどうでもいい話ですが
死者に戒名をつける事によって、おかしな変化を齎していると思います

ただ、それを信じている方も多くはいますので大切にはしていかないといけません
死ぬ前・遺言などに戒名の有無など表記してくれるとありがたいですね

私の親族に遺言でお金も残したのに戒名を付けないで無縁仏にした親族もおります
その時は本当に地獄に落ちればいいのにと思った物です…
死人に口なしとは言いますが、やはりこれから去る者の遺言は大切にしたいと思います


以下簡単に
・戒名=戒めを守りますという約束をし授けられる仏弟子としての称号
・死者の戒名=金儲け
と、このようになっております

日本だけを見た回答をします

・戒名はいつ誰が考えたのか
・なぜ戒名は生まれたのか
東大寺の大仏殿が源平の合戦で炎上焼失してしまい
再建のための資金集めが必要になり
東大寺再建の大勧進職を命じられた重源がアイデアを出しました
「誰でも死後極楽浄土へ行ける切符*」として大好評だったらしいです
*簡単に書きました

死者の戒名は室町時代からです

・戒名は誰でも作れるのか
・自分で事前に戒名を作っておくことはできるのか
戒を受けていない人が自分で勝手に付けても
それは戒名としては認められませ...続きを読む

Q赤穂浪士  安井新右衛門

赤穂浪士の仇討ちの時代、浅野家の江戸家老に安井新右衛門という方がおられたようです。その人はこのとき高齢で仇討ちに参加することができなかったようです。仇討ちに参加せずに,竹田にうつりすんだということですが、竹田のどの辺りにうつりすんだのでしょうか。また安井新右衛門についてご存知のことがあれば教えて頂きたいです。歴史に関してかなりの無知ですので、どんなことでも結構です。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

赤穂藩の江戸詰家老として「安井彦右衛門(やすいひこうえもん)」が、いるようです。

参考URL:http://leidenschaft.infoseek.livedoor.com/ya.html#やすいひこうえもん


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