明治以降の天皇は崩御後 年号の名前で呼ばれています(明治天皇 大正天皇 昭和天皇と)
今上天皇も崩御のみぎりは平成天皇となる…かと思いきや 過去に桓武天皇の息子に平城天皇(読み方は へいぜいてんのうが一般的)と言うのが居ます。
もし今上天皇が平成天皇と呼ばれるようになると紛らわしくないですか?
だとしたらどちらかの名称を変更するのでしょうか?

やはり過去の平城天皇を違う名前にするとかでしょうか?


ちなみにこの人って 在原業平の父ちゃんで嵯峨天皇の兄ちゃんですか?

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A 回答 (3件)

> もし今上天皇が平成天皇と呼ばれるようになると紛らわしくないですか?



紛らわしくありません。だって字が違うし,音も違う。
コウケン天皇とコウゲン天皇と言う例もあるし,そのまま平成天皇と呼ばれるようになるでしょう。

> だとしたらどちらかの名称を変更するのでしょうか?
> やはり過去の平城天皇を違う名前にするとかでしょうか?

そんなことをする理由がない。

> ちなみにこの人って 在原業平の父ちゃんで嵯峨天皇の兄ちゃんですか?

違います。嵯峨天皇の兄ですが,在原業平は孫ですね。
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この回答へのお礼

孫でしたか ありがとうございます

お礼日時:2013/02/25 13:15

こんにちは。



明治に「一世一元の制」が制定されてから、明治天皇、大正天皇、昭和天皇・・・とみるかぎり、

当然、平成天皇と呼ばれるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/02/25 13:15

紛らわしくて困る人がいないので別にどうでもいいです。

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この回答へのお礼

困る人がいるんです

お礼日時:2013/02/25 08:03

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宜しくお願い致します。

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大事な点に気付いていません。われわれ日本国民は、幸いにもこの現憲法が施行されて以降戴いた二代の天皇の人間的素晴らしさに助けられています。法律が生前退位について何の規定も設けなかったことは、生前退位などを認めれば、天皇が権力闘争の道具にされる怖れがあるといった指摘があることも理由かもしれませんが、根本は天皇を人間として認めなかったことにあります。ゆえに、日本国国民が認められている基本的人権、権利が与えられませんでした。そしてどう示せばいいのか判断をまる投げにされた象徴としての地位です。幸いだったというのは、それを受け止めた二代に渡る天皇が聡明だったことです。日本国民にとって、あるいは日本の外交上にとって好ましからざる天皇であったとしても、法律上退位させられる仕組みは無かったのですから。
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Q今上天皇崩御後 皇太子は?

不敬な質問かも知れませんがご容赦を。
今上天皇が崩御し皇太子が即位したとき次の皇太子は誰になるのでしょう
弟君の秋篠宮殿下でしょうか?それともその皇子の悠仁親王でしょうか?

皇太弟に皇位継承権は発生するのですか?

Aベストアンサー

>今上天皇が崩御し皇太子が即位したとき次の皇太子は誰になるのでしょう

 皇太子の座は、空席になります。

 なお現在の皇室典範では、皇太子と皇太孫は規定が有りますがそれ以外は、例え皇位継承権一位でも弟や甥の場合は、一般の皇族と同じ扱いがされます。

 ちなみに昭和天皇は即位した時点では、男子の後継者(今上陛下)がいなかった(今上陛下は昭和8年生誕)ので、弟の秩父宮雍仁親王が継承権一位でしたが皇太子等の地位は空席でした。

 秩父宮雍仁親王は、肺結核に成るまでは陸軍軍人として活動され、あのノモンハン事件にも参加していたりします。

Q昭和天皇は、敗戦の際に、なぜ、退位しなかったのでし

70年前に日本は敗戦を迎えました。その際、日本の最高指導者である(実質上、最高指導者であったどうにかについては、今回考慮しませんが、少なくとも名目上は、最高指導者として考えてもよい、と思います)昭和天皇は、退位しなかったですね。

通常の会社が倒産した場合、会長や社長は、(表向きは)引責辞任します。
なぜ、昭和天皇は、敗戦にもかかわらず、退位しなかったのでしょうか?

なお、ここでは、退位の是非を、問うているのではなく、天皇は、どのような考えで、退位をしなかったのか、を聞いています。
私は、次のことにようなことを考えていますが、考えがまとまりません。

1.彼は、自分には敗戦の責任はない、と思っていた。
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3.退位するより、在位のままで継続することにより、今後、天皇の責任を果たしてゆきたい、と考えていた。
4.日本や外国から、退位の要求(圧力)がないし、日本は、自分の継続を望んいる、と考えていた。
5.超越している天皇には、本来、退位がない、と考えていた。

皆様は、どのようにお考えでしょう

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 終戦前後に天皇退位論が唱えられたのは有名です。その中心は近衛文麿で、このままでは革命が起こるとして「近衛上奏文」を書きました。天皇は退位して、京都の仁和寺に隠棲するという提案です。

 しかし、昭和天皇は戦争責任を自分に押し付ける考えだとして拒否したようです。もっとも、かなり真剣に迷われたらしく、内大臣木戸幸一の日記(昭和20年8月29日)に、「自分一人が退位でもして納める訳には行かないだろうか」と下問したことが記されています。

 また翌21年春、天皇が側近に戦時中の記憶を語っ『「昭和天皇独白録』では、「もし自分が自然の勢いに逆らって主戦論を抑えたら、国内の世論が沸騰してクーダタが起こる可能性があった」と発言しています。直接退位について語ったわけではありませんが、原武史教授は自分が退位したら若い皇太子の摂政として高松宮が実権を握る危険に配慮してと指摘しています。226事件における秩父宮の役割を、天皇は忘れていなかったということです。

 病気療養中の秩父宮に代って、神がかりの貞明皇太后お気に入りの高松宮が登場するのを警戒したのでしょうか。

 したがって、2+3 あたりが真相に近いでしょう。

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Q明治天皇崩御

明治天皇崩御が知識人に与えた影響は何でしょうか。
すいませんが良ければ教えて下さい。

Aベストアンサー

明治天皇の崩御が及ぼした影響は、手近に入る書籍ではドナルド・キーン氏の『明治天皇』(新潮文庫)が詳しいでしょう。
第4巻で、海外の新聞がこぞって明治天皇の哀悼を載せている記事と日本の文化人が寄せた文章が紹介されています。

ぜひ、ご一読を!

Q天皇陛下の生前退位の費用が100億円掛かることが明らかとなった。 天皇陛下が亡くなってもまた行事を行

天皇陛下の生前退位の費用が100億円掛かることが明らかとなった。

天皇陛下が亡くなってもまた行事を行わないといけないので完全な追加出費となる。

まず世界各国の要人が天皇陛下の生前退位に対して挨拶に来られるので全ての要人の天皇家への訪問が90日間掛かるという。

更に天皇家の神道の行事も行われて全て警備費用も含めて生前退位に100億円の経費が掛かる。

天皇陛下の自由意思で生前退位して良いじゃんって言ってたけど追加費用が100億円を国民の税金を当てるというのでどうなんでしょう。

死んだら生前退位やったからもう無しっていうわけにもいかないし、100億円の税金消費は許せますか?許せませんか?

ちなみに天皇陛下の資産は3億円なんで私財で支払ったらアイフルの消費者金融に97億円の借金が出来てしまいますよね。

Aベストアンサー

安いですね。加計には約200億近くかかるから、どうって事ないのと違いますか!?
何分、硬質だけに堅い話ですね。

Q天武系(持統女系)の女帝称徳天皇が崩御すると、藤原百川らは称徳天皇と近

天武系(持統女系)の女帝称徳天皇が崩御すると、藤原百川らは称徳天皇と近かった道教を追放し、天智系の光仁天皇を立てました。

 藤原氏からすると、
皇位に付こうとした道教は、和気清麻呂によって皇位継承を阻まれたわけですし、
藤原氏にもう少し近い候補を立てる方が自然なように思われます。
そもそも、そういう候補者がいなかったということなのでしょうか?

 天武天皇については諸説あるにせよ、
高校で教える日本史の範疇で、教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

粛清の嵐で、候補が少なかったことがあります。
さらに、妻が聖武天皇の娘、井上内親王で、正嫡子もいた。
将来的に、藤原氏としてコントロールしやすい後の桓武天皇にするにしても、いきなりは反対勢力が大きすぎる。
737年 山部王(のちの桓武天皇)出生
744年 井上内親王と結婚
749年 孝謙天皇即位
758年 淳仁天皇即位
761年 他戸親王出生
764年 称徳天皇即位
770年 光仁天皇即位
772年 井上内親王 廃后
773年 後の桓武立太子 1月
774年 藤原乙牟漏 後の平城天皇を産む8月

光仁天皇であれば、天武系と天智系両方から反対はでない。いざとなったら井上内親王(天武系)が皇后から天皇になるという事もできるし、10年たてば他戸が成人して継承できる。つまり天武系に女系でつながる。

藤原氏のスタンスを考えれば「敵を作らない候補で勝つ」「天皇を握ったら、それから排除すべきは排除し、より近いものを立てる」という戦略になります。

Q天皇退位の引き金になるのは何ですか?

天皇の退位に関して、法制化が進められています。
今、どのような法律が検討されているのか、教えて下さい。
1.退位の引き金になるのは何ですか?(例えば、天皇がその旨を公式に表明する、ことですか?)
2.退位の決定は、どこがするのですか?(例えば、国会がする、のですか?)

Aベストアンサー

>今、どのような法律が検討されているのか、教えて下さい。
連日テレビで報道されてます、見てないの?

1.退位の引き金になるのは何ですか?
引き金という言葉はふさわしくないです、天皇がお気持ちを表明されて政府・国会が忖度して法案を作成です。
2.退位の決定は、
国会による退位法案(皇室典範改正)の成立後施行です、今日の新聞に載ってます。

Q【宗教】「今上天皇」って今は何の神様になっているんですか? 歴代の天皇陛下は亡くなると何かの神に昇進

【宗教】「今上天皇」って今は何の神様になっているんですか?


歴代の天皇陛下は亡くなると何かの神に昇進されるんですか?

昭和天皇は戦争の神様ですか?

今度の平成天皇が亡くなると地震の神様になるのかな?

明治天皇は何の神様だろう?売国奴の神様?文明開化の神様?鎖国を解放した自由の神様かな?

死んだら神様ネーム貰えるって羨ましいなあ。

Aベストアンサー

明治天皇と皇后である昭憲皇太后は日本一初詣の参拝者の多い明治神宮の祭神。。。要するに神様です。

Q天皇陛下の退位のお気持ちの言葉、なぜ摂政ではダメなのでしょうか?

先日の天皇陛下のお言葉は要約すると次になると思います。
1.天皇は激務で年齢的にきつい
2.仮に摂政をおいても天皇であることには変わりない
3.崩御で天皇が変わるより生前退位の方が皇室及び国家にとって負担がより少ない
私の心配は生前退位された天皇陛下が韓国や中国に利用されるのでは?ということです。それらの国を訪問して謝罪すれば日本政府はとても困ります。なぜ摂政ではダメなのでしょうか?

Aベストアンサー

>私の心配は生前退位された天皇陛下が韓国や中国に利用されるのでは?ということです。

天皇の位を退かれても「皇族」である事にかわりはないので、あの元総理のようにはならないと思いますが。


質問の主旨は↓でしょうか。

>なぜ摂政ではダメなのでしょうか?

回答:摂政ではできない行事がある。(これが結構ハード)

誤解している方がいるようですが、陛下のお仕事は、政治や外交等の国事行為だけではありません。
皇統は、他国の国王や元首と違って、日本創世の神話とも関わっています。
その為に、天皇は国事行為以外の「神事」も行わなければなりません。(これが結構ハード)
そして、神事は天皇という位の者しか行う資格のないものもあり、摂政や皇太子が代行する事はできません。

https://www.youtube.com/watch?v=3losFkjBvgo

Q天皇を慕って涙するような精神は、明治以降ですか?

天皇を慕って涙するような精神は、いつころ生まれたものですか?

松岡洋右は、天皇のことを話し始めたら、したい申し上げるあまり、涙しながら話したりしていたというのを聞きました。
東条英機も、そのような精神の持ち主であったと聞きます。

私は、キリスト教をやっていたこともあるので、イエス・キリストを慕って涙する、という感覚は分かりまして、それと類似したものだと思っています(気分を害される方がおられれば、すみません。あくまで個人としてそう理解しているやつがいると思ってください)。

親であるような存在が、子である自分たちに対して、態度で示す(実際には直接会えないので、間接的に聞いた言動から判断するわけですが)寛容さや深い愛情や責任感に対して、ありがたくて慕わしくて涙するのだと思います。

明治以降の教育において生まれたのかなと思いますが、尊王攘夷運動のころからあった感覚なのか、平田篤胤にあったのか、本居宣長にあったのか、中世からあったのか(古典文学において、個人的には、そんなの見たことないので、多分なかったと思うんですが)、はたまた明治天皇や昭和天皇の人柄に対するものという要素が結構強かったのか、どうなんでしょうか?

天皇を慕って涙するような精神は、いつころ生まれたものですか?

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親...続きを読む

Aベストアンサー

 これはまたおもしろい質問ですね。これまでの天皇制研究でも、「涙する」という観点で調べた人はいなかったのではないでしょうか。

 言うまでもなく、葬儀の場で泣くのは古代大王の時代から当然視されていたでしょうし、天皇を個人的に知っている人たちが感極まって泣くようなこともままあったでしょう。しかし、これらは天皇でなくても成り立つのですから、質問者様のお尋ねになっているケースに該当しません。また、安徳その他の悲劇の天皇に対する「涙」も同情心などから発するものですから、やはり該当しないでしょう。
 楠木正成などの中世の忠君については後世の脚色も強く、いささか評価にためらいます。ただ、個人としてはこのとおりであったにしても、それが一般化していたわけでもないので該当しないと見なしてよいと思います。
 天武などのカリスマ的な天皇であれば、当時の人にとってこういう対象となっていたのでしょうか。宮中などではあったかもしれませんが、まちがいなく一般的な国民はほとんど意識しなかったでしょうね。

 質問者様のお尋ねになっている「涙する」の対象なる資格についていろいろ考えてみたのですが、「聖別された人」あるいは「人の顔を持った神」であり、ある種の神格化が必要なのだと考えます。人に対する親愛の情と、神に対する尊崇の念。どちらが欠けてもここで言う「涙する」状態になりません。高僧や教祖に対する信者の視線など同種のものだとわたしも思います。
 してみると、このような視線そのものは日本社会になじみのないものではなかった、ただそれが天皇を対象とすることがなかった、あるいはそうする人が少なかったのだと考えます。
 天皇とはもともと祭祀の主体であることから、天皇に対するこのような視線そのものが奇異だとは思いません。しかし、これが一般化していなかったということは、それだけ天皇を中心とした信仰が一般化していなかった現実を反映しているのでしょう。ならば「涙する」が一般化し定着するためには、天皇の認知度が問題になります。

 すると、他の方も上げておられますが、やはり幕末というのは時期的にかなり有望です。国学に由来するかと推測しますが、本居宣長の本でこの手の記述に出会った記憶がありません。ならば水戸学あたりに起源を求めるべきでしょうか。ちなみに、典型的な事例としてすぐ念頭に浮かぶのは高山彦九郎ですね。「涙する」は勤王と一体化した視線なのでしょう。
 整理しますと、「涙する」ためには天皇に対して「神である」「王である」「人である」という三点が求められるのであり、勤王思想の血肉化したものが「涙する」状態と理解できます。ならばこれが確立されたのは幕末です。

 ただし、まだ国民一般に広がっているわけではありません。明治初年の平均的日本人がどこまでこのような視線を身につけていたのか、はなはだ疑問です。知識としてはそれなりに広まっていたでしょうが、庶民のあいだに強く根を下ろしていたなら、幕末維新にあたって庶民はもっと政治的変革のプレイヤーとして参画していたと思うので、さほどではなかったと判断してます。
 というわけで、「涙する」が一部の人から国民に広がっていったのは明治を通して、ということになります。明治の日本は近代国家を築くにあたってのイデオロギーとして勤王思想を用いました。教育の効果もありましょうが、それ以上に近代国家としての日本が成長発展したという現実が説得力をもった側面もあるのではないでしょうか。
 つまり、理屈のうえでは「日本は天皇陛下の知ろしめす国」だから「日本はいい国、強い国」なのですが、国民の実感としては逆だったのではないかと想像します。しかし、いったんこの思考が常識化してしまえば、両者は一体化して分けられなくなるし、分ける必要を感じないでしょう。

 書きながら考えていたら相当錯綜としてしまいましたが、ここまで来てやっと理解しました。質問者様の疑問は「近代日本を成立させ、統合するイデオロギーとしての『天皇制』が成立したのはいつか、国民に受容されたのはいつか」と言いかえることができ、当然それは「なぜその時だったのか」という疑問を生みます。ということは「近代日本とは何か」という問題を考えなければ答えられないことになります。
 すみません、こんなに深い問題だと思っていなかったので完全に準備不足です。お詫びしつつ、考える契機をいただけたという点で感謝しております。

 最後の人柄の問題を答えていませんでした。わたしは天皇に「涙する」ためには神、王、人という三要素が欠かせないと思うので、当然これも問われます。ただし、現実の人柄がどうなのかではなく、どう受け止められているかというイメージが問われます。別に貶めるつもりではなく、大多数の国民にとって天皇と直に接する機会などありませんから、実像はこの際どうでもいいです。

 これはまたおもしろい質問ですね。これまでの天皇制研究でも、「涙する」という観点で調べた人はいなかったのではないでしょうか。

 言うまでもなく、葬儀の場で泣くのは古代大王の時代から当然視されていたでしょうし、天皇を個人的に知っている人たちが感極まって泣くようなこともままあったでしょう。しかし、これらは天皇でなくても成り立つのですから、質問者様のお尋ねになっているケースに該当しません。また、安徳その他の悲劇の天皇に対する「涙」も同情心などから発するものですから、やはり該当し...続きを読む


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