この世は仮の宿であり、真の世界ではないと言ったりもする。
この世の全ては幻であり、実在はしないと言ったりもする。
自分だけが存在しないほうが良いと思っているのであろうか。
それともこの世の全てが存在しないほうが良いと考えるからなのであろうか。
なぜ人は無を求めるのか。
いや無ではなく空であると言ったりもする。
無と空の違いさえ知らないにも関わらずである。
座禅を組んで無の境地に浸ろうとする輩もいる。
ところがその座禅を組んだ後、飯を食うのである。
無を求めるならなぜ飯を食う必要があるのか。
食った飯は無なのか有なのか。
あまりに愚かとしか言う以外あるまい。
No.13
- 回答日時:
先ず空とは何か?
無と空を比べる事は出来ません。
犬と動物を比べる様なものです。
犬や猫やネズミなどをひっくるめて動物です。
無と有をひっくるめて空です。
世界が空だとすると
あなたがいなくても私がいなくても地球がなくても宇宙がなくても
どうでも良い、と言うシニカルな見方も出来るのですが、
私は生きていると言う感覚が有るしそれを大切にしたいと思う。
家族や友達の存在もリアリティがあるしそれを大切にしたい。
そして社会にもリアリティを感じる。
社会は面倒だったりウザい事が多い。
そんな社会で生きるために情報を整理するための座禅(瞑想)だと私は捉えて居ます。
全てを無にした後に大切なモノを選んだ結果、ご飯を食べる事が大切だと思ったらご飯を食べる。
達磨は瞑想し過ぎて手足が腐ったという事を聞いた事があります。
私にはそれの方が愚かだと思います。
座禅は死ぬためにするんじゃなくて生きるためにするんです。
No.12
- 回答日時:
No9です。
No9の文について誤解をまねくといけないので、補足させてください。
「座禅」について、住職さんは、
「ひとつの方法であって、必ずしも座禅でなくてよい」とおっしゃってました。
目的ではなく、ひとつのアプローチ方法ということでしょうね。
座禅は、教養部に所属していた時期に、先生から紹介してもらって通いました。ニーチェ、ショーペンハウエル、マックス・シェーラーを講義で触れている先生でしたが、思想と禅には通じるものがあるとのことで。
どちらも深く追求できないまま、観念的世界から離れましたので、どのように通じているかは、わからずじまいです。
当時、「生きている意味ってあるんだろうか」という内省的な十代にありがちな疑問や「宇宙」や「存在の意味」を考えると、漠然とした不安感のようなものがありました。
バブル前~真っただ中の時期に学生生活を送り、いつもそんなことを感じていたわけではないのですが。
観念的世界から離れたのは、悲喜劇ある人間に身を沈める生き方をしていこうと思ったからです。まっとうな生き方をしている訳でもないので、気恥かしいですが。
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
仮の宿というのは、あなたの主観の事。
主観=世界そのものでは無いって事。主観は自分の視点で見た世界の姿であり、所詮は一面的な見解に過ぎない。これは主観を持つなとか、無い方が良いといっているのではなくて、主観は無数にある見解の内のたったひとつの見解に過ぎないって事。結局、人は自らの視点から物事を眺め、理解する事しか出来ない。その前提でひたすら真実を求めると、いずれ無という現実に辿り着く羽目になる。この探求に納得し、ひと段落するまではメシも食うし、納得したらしたでメシを食わない理由は無い訳で。ちなみに、食ったメシが有か無かは、あなたの主観(心)次第だ。
あらゆる物事には固有の実体が無く、全ては心の現れでしかない。そう、全ては「空」なのだ。
とは言え、座禅を組む奴は愚かというのは同意。大して求道心もない奴が、あんな腹減らしな真似するよか、念仏唱えたり、人の道を歩んだりする方が、よほどマシってね。
>あらゆる物事には固有の実体が無く、全ては心の現れでしかない。そう、全ては「空」なのだ。
siryuanさん、これもまたあなたの主観に過ぎませんよね。
結局すべてが主観なのだから、求道心も主観、念仏唱えることも主観となりますね。
みな腹が減れば飯を食うけど、これもまた主観のなせる技となりますね。
人間は実体ではないのだから、人が死んでも空が空になっただけであり、悲しむ必要もありませんね。
供養する必要など更々御座いませんね。
とまあこんな結論になりますがこれでよろしいですよね。
No.9
- 回答日時:
若い頃に、半年ほど座禅に通ったことがあります。
「作務(庭掃除)」「座禅」「般若心経の読経」
説法を聞くというのはなかったのですが、
座禅の時に、住職さんが「無」という言葉をよく繰り返されてました。
「無」とは何なのか。
哲学的に深く考察したことはないですが・・
座禅は、理論からでなく行為を通して近づいていくといった感じですね。
座禅をしていると、いろいろな雑念がわいてきます。
何も考えずに、ひたすら座るというのは、簡単なようで難しいものです。
無心に近づく時、境界が無くなってくるような感覚はありました。
空気や水や物質、花や木々のざわめき、遠くの星やすべてを包む宇宙。
生きているものは悲劇(生老病死の宿命)を内包していると思うのですが、
宇宙は、楽観的でも悲観的でもなく、ありのまま在る。
言葉では上手く表現できないですが、そんなことを感じたように思います。
「無の境地」とは、また違うでしょうけどね。
「般若心経」の一字一字の意味を深く学んでいけば、もっと気づきがあったかもしれませんが・・若いうちに観念的世界からは遠ざかりましたので。
No.8
- 回答日時:
人生に於いて湧き上がる疑問は、自分自身に疑いを抱くからです。
知恵が付いた証拠です。こう云う現象を聖書では『失楽園』と表現しています。こう云った疑問を抱かない場合を、天国と書いています。天国では、人間の疑問や悩みが無い状態という意味と思います。その天国に一番近い存在を『幼子』と書いています。その理由は『人生はなんだろうか?或いは自分は何者か?』という事を思い付かないからです。
目の前の人生が『仮の宿であり、真の世界ではないと言ったりもする。この世の全ては幻であり、、』という風には感じていないからです。
こう云う風に感じている場合では、この疑問自身の中に答えは用意されています。何故なら『如何して疑問に感じているのか?』の中に答えがあるからです。
人間は、自分で問題を作り出して、その問題に苦悩する場合があります。何故人間にはこう云った疑問が湧き上がるのかを、科学的に証明したいと思います。
失楽園の元になる契機は、イチジクの葉で、自分の裸を隠すところからでした、この意味は、知恵が付いて『神に疑いを持つ』という意味合いで書かれていますが、本当の意味は『心の機能が、熟して二つに分かれた事を意味します。』
見ている自分と見られている自分という風にです。大人の脳には『二つの人格が存在する。』事を証明して、ノーベル賞を受けた脳生理学者の記事を、ウイキペデアから紹介します。
『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』
更にこの記事の内容を補強するために、脳卒中になった脳科学者の動画を載せて見ます。よく観察してください。
URL:
この動画で語られている内容は、内在する『己の識られざる神』との出会いです。先の話をもう一度するなら、この疑問自身の中に答えは用意されています。何故なら『如何して疑問に感じているのか?』という話です。
疑問を感じさせている者が『右脳の人格』という言い方も出来ますが、この者自体に疑いを持った事が全ての疑問の元を作っている、という言い方も可能です。
この者との、意識の食い違いを、疑問や悩みとして感じていたからですが、この出会いによって全ての疑問や悩みは『胡散霧消します。』この現象を、見性と禅では書いています。
全ての苦しみや悩みや疑問の元は『自分自身が作っていた事』が分かる瞬間です。意識の根底(脳梁の中)で、不安の基が作られていた事から、この出会いの瞬間に『今まで、緊張の為に体中日からが入っていましたが、一瞬で全ての力が抜け落ちます。すなわち『心身脱落、脱落心身』という現象です。
この体験を、禅では『生死の問題が解決した』と表現しています。
No.6
- 回答日時:
無と空とは違います、空とは、からっぽで「「隔てるものがないという事です」」自己対宇宙(自己対他 生対死 過去対現在対未来)
対が有から心が落ち着きません 色即是空、空即是色、自己=宇宙と言う事です 白隠禅師は無想の相といい。
西田幾多郎は絶対矛盾的自己同一といい 鈴木大拙は即非の論理(AはAで非ず故にAである)言いました
同意語ですね
自己と宇宙が溶け込んでるといいますか、自己が宇宙に包まれてると言う事です「隔てるものがない世界です」
自我という分別妄想の囚われから離れた状態で、諸行無常と一体になった状態です、禅でいう悟りです
他力宗では安心(あんじん)と言います、同じことです。
>無と空とは違います、空とは、からっぽで「「隔てるものがないという事です」」自己対宇宙(自己対他 生対死 過去対現在対未来)
ブータン的に言うと、空とは感受表面であるとなります。
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