太平洋戦争は、無謀な戦争だったというふうに言われることが多いのですが、この考え方に疑問があり質問しました。
 最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。
そのように思ったきっかけは当時の日本の太平洋地域の海軍力は下記のようにアメリカを若干上回っており、航空兵力は完全に日本が上回っていたからです。

海軍戦力の比較(太平洋配備、1941年時点)
戦艦・戦闘巡洋艦 日11米 9英 2
航空母艦 日8米 3英 0
重巡(20cm砲以上) 日18米 13 英1
軽巡(15cm砲以下) 日23 米11英 7
駆逐艦 日129 米80英 13
潜水艦 日67 米56英 0

上記の海軍戦力だけを比較した場合、米英とは十分戦えるし、ドイツの快進撃もあり、アメリカを東西からはさみうちにし、十分に講和にもっていけると判断しても不思議ではありません。しかも、アメリカはドイツとの戦争もあるので大西洋にも戦力をさかざるおえず、太平洋にはこれ以上の戦力増強は当分ないという考えも成り立ちます。
ですので、戦争するという決断自体は間違っておらず、本当の間違いは、戦争のやり方、終わらせ方に問題があったために敗戦したという考えも成り立つと思いますがどうなのでしょうか?

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A 回答 (26件中1~10件)

>太平洋戦争は本当に「無謀」な戦争だったのか?



回答・・・いいえ。
戦争ですから絶対勝てるとは言いませんが、それなりに勝算はあり無謀とまでは言えないと思います。

>最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。

回答・・・十分勝つとは言えませんが、少なくとも日本の上層部には優位に講和に持ち込もうという目算がありました。

>上記の海軍戦力だけを比較した場合、米英とは十分戦えるし、ドイツの快進撃もあり、アメリカを東西からはさみうちにし、十分に講和にもっていけると判断しても不思議ではありません。しかも、アメリカはドイツとの戦争もあるので大西洋にも戦力をさかざるおえず、太平洋にはこれ以上の戦力増強は当分ないという考えも成り立ちます。

回答・・・米海軍にとり大西洋での対ドイツ戦における必要な艦種と、対日本戦における必要な艦種では、かなり違います。対ドイツは対Uボート戦が重点と言ってよく、対日本は艦隊決戦が重点となると言ってよく、そのため必ずしも単純に戦力を太平洋と大西洋に二分する不利について語る事は危険ですが、米海軍が全力を太平洋に傾注できないのは事実です。

>ですので、戦争するという決断自体は間違っておらず、本当の間違いは、戦争のやり方、終わらせ方に問題があったために敗戦したという考えも成り立つと思いますがどうなのでしょうか?

回答・・・成り立ちます。


■日本の戦略としては1941年11月15日の大本営政府連絡会議で承認された「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」という構想案がありまして、全部書くと長文になるので、これを簡単に言うと・・・
速やかに極東の米英蘭の根拠地を占領し重要資源地帯を押さえ海上交通路を確保し長期自給自足の体制を整え、先ずドイツ、イタリアと協力して英国の屈服をさせ、さらに米海軍主力を撃滅し通商破壊戦を強化し米国世論の厭戦を誘致し戦意を喪失させるというものです。
つまり、最初から日本は米国を降伏させようとは考えていませんでした。戦争を諦めさせ講和させる事を狙っていました。

■そして、この戦略では米英不可分という考えから英国の屈服を図る事が重要視されていました。
開戦前の1941年11月4日の軍事参議会で海軍軍令部総長の永野大将が「英米連合軍の弱点は英国にありと考えられる・・英を餓死せしめて屈服せしむること最も捷径なり」と言い、東條首相も「通商破壊戦により英の死命を制し米の態度を変えしむ」と言っています。
そのため「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」にも「英の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしむる」とあります。
つまり、米英連合軍の弱点は英国であり、その英国をまず先に屈服させて、米国の継戦意志を喪失させようという構想です。
ただ、これは日本単独で行おうというものではなく、ドイツ、イタリアの動きにも期待するものでした。
「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」にはドイツ、イタリアに次の方策をとらせるとあります。
△対英国封鎖強化
△英国本土上陸作戦
△近東、北アフリカ、スエズ進出と対インド施策
また、ドイツを対英国戦に集中させようという思惑から「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」には外交政策として、ドイツ、ソ連の講和を仲介し、ソ連を枢軸側に引き入れるという構想も記されています。
日本としては英国に対しては通商破壊戦によりオーストラリア、インドとの連絡線を断ち、英国から離反させ、英国に打撃を与え、またビルマを攻略して独立させ、その成果を利用してインド独立運動を刺激するというものです。

■対米戦について「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」では、日本、ドイツ、イタリアが協力して米国の世論を厭戦へと誘致し戦意を喪失させるとありまして、日本としては米海軍の主力の撃破と通商破壊戦強化、対米宣伝謀略を強化するとあります。

つまり、何れにしろ日本は米国に対し、その戦意を喪失させ講和に持ち込もうという戦略があり、無計画に何の目算も無しに戦争を始めたわけではありません。
ただし、そこにはドイツが英国に対し勝利するという期待があった事、それを計算に入れていた事は外せません。

■なお、戦争終結の機会としては南方作戦の成功、または蒋介石の屈服時、またはドイツによる英国本土陥落、または独ソ戦の終末時なのが想定されていました。また、講和の斡旋をバチカンやスウェーデン、南米諸国に依頼する予定でした。
この中で南方作戦の成功は実際に成功したわけで、実際に東久邇宮大将が東条首相に緒戦の情勢が有利なので和平交渉を始めるべきだとか、天皇陛下も2月に戦争終結の機会を逃さないようにとお申しつけになりましたが、東条首相は和平交渉どころか戦争継続、拡大に動きました。
まあ、この時点で和平交渉をしても米英が乗るとは思いませんが、少なくとも日本にも早期に戦争終結の考えをしている主要人物がいた事は事実です。


○日本が敗戦したのは質問者さんの言うとおり「戦争のやり方」に問題があったからであり、大本営の作戦指導のミスです。
以前このカテで「日本が太平洋戦争で犯した最大の失策」という質問がありました。

「日本が太平洋戦争で犯した最大の失策」・・・私の回答はNo.14です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7671998.html

この中で私は日本が勝利するためのポイントを3点指摘しています。
(1)米国本土での人種対立を激化させ国力を発揮させなくする。
(2)ミッドウェー作戦では空母を集中投入する。
(3)潜水艦による通商破壊作戦を全力で行う。

特に(1)については、リンク先のページを読んでいただれば分かりますが、当時、米国は人種対立の嵐が吹き荒れていたので、それをうまく利用し、できれば内乱にまで持っていければ、いかに大きな工業力を持つ米国といえども、それを発揮できなくなったかもしれませんし、内乱を鎮める事を優先し講和という事になったかもしれません。
それに米国は巨大ですが、それでも戦時中は食肉、バター、暖房用燃料、ガソリン等、色々な物が配給制となっており、市民生活を圧迫していました。内乱により市民生活への物資の配給が滞れば、それこそ政府への圧力となって対外戦争を中止するしかなくなったかもしれません。
敵対国の内部を撹乱するのは兵法の常道でもあるにも関わらず、それを怠ったのは日本軍部の大きなミスとしか言いようがありません。
また(3)は「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」の戦略として、英国を屈服させるためにインド洋で通商破壊戦を徹底的に行うべきだったのにそれが行われませんでした。
そもそもインド洋は連合軍にとって北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連へのレンドリースの約3割がインド洋ルートを使用)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路でもあり、英国への戦略物資の供給ルートでもあります。
史実では1942年の時点で英国はかなり危機的状況にありました。Uボートの活躍により穀物等の輸入量が低下し、消費量が輸入量を上回り、備蓄で何とか凌ぎました。貯蔵していた商船用燃料も3ヶ月分を切りました。
もし、これでインド洋で通商破壊戦が徹底されていたら、英国は持ち堪えられず、前述した各戦線も崩壊していたかもしれません。正しく「英を餓死せしめて屈服せしむる」になったかもしれません。
しかし、通商破壊戦が大々的に行われる事はありませんでした。
これは連合艦隊司令部の判断が問題でした。大本営は通商破壊戦の遂行を連合艦隊に命じますが、連合艦隊はこれに消極的でした。第二次ソロモン海戦で潜水艦が活躍しなかった事について宇垣参謀長が記した言葉は次のようなものです。
「潜水艦は通商破壊戦と諜報機関以外に価値なきものと識者の言も宣なりと感ぜられる。その鼻をあかす為にも一撃をこそ望ましけれ」
潜水艦部隊からは通商破壊戦の要望が何度となく出ていたし、大本営も通商破壊戦を命じていますが、艦隊を実際に動かす連合艦隊司令部は通商破壊戦に無理解でした。

そういうわけで、私は日本が敗北したのは日本軍部のミスによるものと判断しています。


○ところで1941年4月に日本政府が作った組織に「総力戦研究所」があり、ここでは米国との戦争を戦略的(政治、軍事、経済)シミュレーションしました。その結果は敗北です。
ただし、これは当然の事です。何故ならそれまで幾度となく海軍で行われた米国海軍を敵に想定した図上演習において勝てた事がないからです。「総力戦研究所」の軍事作戦もそれまでの枠から出ていないものであり、敗北して当然です。
そして、それまでの軍事作戦の枠を破り勝利するために新たに、実際に実施されたのが、真珠湾攻撃です。
「総力戦研究所」のシミュレーションと、実際の戦争で行われた作戦は水と油ほども違います。結果的には同じく敗戦になりましたが、結果をもって同一視するべきものではありません。

○なお、日本が保有していた輸送船ですが、これは文献によって違いもありますが、「戦史叢書 海軍軍戦備2」によると638万トン、船舶運営会によると634万トンです。このうち日本国内で必要とされる物資を運ぶのに必要とされるのは300万トンでした。

○石油についても文献によってばらつきがありますが、海軍の燃料で言えば重油は650万klあり、1942年までで消費した量が483万klでした。
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アメリカの海軍拡張、中でも1940年に両洋艦隊法が成立しています。


開戦前の段階で、1943年に日本海軍は対米5割の戦力になることが分かっていました。
いくつかの戦術的勝利を得ることはあっても、当時の人が最終的に勝てると考えたとは
思えません。

昭和14年8月の五相会議における米内光政海軍大臣の「勝てる見込みはありません。
だいたい日本の海軍は、米英を向こうに回して戦争するように建造されておりません。
独伊の海軍にいたっては問題になりません。」という発言や、山本五十六GF長官の、
三国同盟締結された際の「結局自分は、もうこうなった以上、最善を尽くして奮闘する。
そうして長門艦上で討死するだろう。その間に東京あたり三度ぐらい丸焼けにされて、
非常なみじめな目に会うだろう。」という言葉が偽らざるところではないでしょうか。
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 >アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないか



 では「なぜABCD包囲網」が形成されたのでしょうか。日本側が「やむなく戦争になった」「十分勝ちに行く予定」とはどの様な根拠に基づき合理的な説明がなされるでしょうか。疑問符が付きます。
 第一次大戦以後の近代戦争が制海権の比較ではなく制空権によるものであること。そして軍人だけによる戦闘行為ではなく市民戦争の側面を有していることを考えてみても、質問者様の説明では十分な理解を得ることも困難と存じます。
 兵力や装備だけで戦争を完遂することができないのは明らかで、そのための資源の補給とルートの確保が大前提であることもご存知でしょう。
 資源を持たない国が、工業力も資源もそして経済力も圧倒的に優位な相手と対等に戦うことなど夢物語にも等しい。
 ドイツの進撃といっても、ポーランドまでは電撃的に行ったものの、そこから先がどうだったかは史実としても明らかです。ヒトラーはナポレオンと同じ轍を踏みました。
 >アメリカを東西からはさみうち
ドイツがどの様にしてアメリカを挟み撃ちにすることが可能だったのでしょうか。ドイツが空爆を行い得たのはパリやロンドン、アムステルダムなどの地理的に近郊な地域だけであり、大西洋の先にあるアメリカに空爆を加えることが可能だったかどうかも証明されていません。むしろ挟み撃ちにあったのはドイツです。「エルベ川」を思い出してみてください。
 
 
 
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終わらせ方って自分ひとりでやってんじゃないんだから


相手が辞めないでしょ 実際日本が辞めた言っていても
アメリカが受け入れないからああなったわけで

まあ無謀ではあるが無意味ではないと思います
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 貴兄の彼我の海軍力比べが事実としても



(1) 情報戦において日本の真珠湾攻撃などは
 既に察知されていて米国はわざと攻撃させ
日本攻撃の口実作りにした。これは真偽半々
ですが以前からまことしやかに報道されてい
ます。その件を除いても太平洋戦争の全期間
を通して米側が情報戦にすぐれていたのは、
圧倒的な真実です。

(2) 太平洋船の全期間を通して米側が軍事力
 に郵政であったのも真実です。連合艦隊司
令長官に就任する山本五十六が「初戦は勝っ
てみせるけれど後は無理だ」と言ったと聞い
たのは記憶違いではないと思う。ともかく、
軍事力で劣勢であるからこそ日本の戦争は
奇襲戦が多い。

(3) 古く日露戦争を当時欧米列強の武官が
 注目したように近代戦はいかに物資を、
前線に供給できるか、ひいては両国の経済力
の差が勝敗を決める時代に突入。この戦争で
ついにロシアは日本の勝利を認めないまま、
講和条約が結ばれた。米側が日ロどちらかに
一方的な勝利をさせたくなかったのも事実だ
けど日本がアメリカにこの戦争の講和依頼を
したのも事実。

※ 決断自体がまちがっていたと思います。

A)昔、伊藤博文を射殺した安重根が東洋
 平和論で中韓日が手をとり欧米の侵略から
アジアを守ろうとよびかけたあの内容は、
確かに日本の選択肢になったはず。ところが
日本は「大東亜共栄圏」と前者と似た構想を
示しながら日本がその盟主として支配地域で
稚拙な武力支配を繰り返し未だに反発と恐れ
を抱かれている。

B)次善の策として植民地を支配する「帝国
 主義」の小国として英米に逆らわず恭順す
る方法もあった。これは当時の政府・天皇の
考えるところだった。

C)1931年の満州事変から45年の敗戦
 まで日本国の政治は軍部優先で文民が介入
できなくなった。その中で陸海2軍の妥協の
産物として太平洋戦争開戦の決意が少数の
軍上層部の間で勝手にされたわけで決断内容
も大ミスなら決断方法も大間違い。
 ろくな戦略も研究せず、相手を威嚇し大声を
出す方の意見が通る、子どもの世界。この
無責任な指導部体制で日本軍は直接の戦闘に
よる死者よりも玉砕や食料無しの行軍で多数の
死者がでた。終わらせ方も比較的早くから、
日本は中立国であるスイスを通じてアメリカと
降伏条件を交渉するも軍の強硬派に気兼ねして
難渋、時期をのがして原爆の被害。
(もちろん、米側も日本が近々降伏することが
わかっていたのに原爆を投下したのは犯罪的。
事情は完成早々の原爆実験の好機であったこと
とソ連進出を食い止めるため)日本は敗北が
確実になった時点で即刻降伏すべきだった。




(3) 
 
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真珠湾攻撃、フィリピン攻撃、マレー上陸、ミッドウェー、随分と無茶な作戦を連続して続けています。


初戦からこれだけ投機的な(一言で言うと博打)作戦を連発してるんだから、無謀な戦争であることは海軍も十分承知していたのでしょう。
それでもアメリカとの戦争が避けられない以上、これがベストだったから戦争をしたのです。

戦争のやり方も当時の日本としてはベストで、はっきり言ってミッドウェーまで実力以上の勝ちっぷりです。
アメリカが一方的に強いのに終わらせ方などありません。
アメリカが終わらせようと思ったタイミングが終わりです。
巨費を投じて開発した以上原爆を使うのもアメリカとしては当然の話、その前に終戦はありえません。
し烈な抵抗を繰り返し、本土殲滅・日本の解体・植民地化をアメリカに諦めさせたことさえはっきり言って最上の結果です。
イラク戦争と同じです。アメリカに睨まれた以上大日本帝国など俎板の鯉、いかにも太平洋戦争が失敗のように語られていますが日本の国力と当時の情勢からしたらうまくいってあれだという現実から目をそむけているだけです。
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>日本の太平洋地域の海軍力は下記のようにアメリカを若干上回っており、航空兵力は完全に日本が上回っていたからです。



その通りです。
それを信じ込んだ海軍が暴走したので、太平洋戦争に突入してしまいました。
当時の海軍は「艦隊決戦主義」で凝り固まっていました。
そして、仮想敵国も中国や他のアジア各国ではなくアメリカ合衆国でした。
つまり、日露戦争でバルチック艦隊をやっつけたように、アメリカ艦隊をやっつければそれで良いと思っていたわけです。
しかし、時代はもはや局地戦で決着のつく時代ではなくなり、航空機という新たな兵器まで開発されました。
その時の兵器の数量だけでなく、後から後から補給出来る体制を築く必要がある総力戦時代に突入していたわけです。
そのことに、海軍首脳達は気づいていなかったわけです。
さらに悪いことに、仮想敵国をアメリカにしたのも、単に予算獲得の為であり、実際の戦争時の戦略・戦術は考えられていなかったようです。
そうした海軍内の矛盾を察した連合艦隊司令長官・山本五十六は時の首相近衛文麿に「1年か1年半は見事に戦って見せる。だがそれ以後のことはわかりかねる」と語ったとされます。
補給体制に疑問が残ると指摘したのでは、と言うのは深読みしすぎかもしれませんが。
まぁ、時代の変化に海軍首脳が付いて来れなかったわけですね。


>ドイツの快進撃もあり、アメリカを東西からはさみうちにし、十分に講和にもっていけると判断しても不思議ではありません。

これは難しでしょうね。
ドイツは典型的な陸上国家です。
つまり、陸軍及び陸上戦に重きを置いていました。
海軍の目的も大西洋制覇ではなく、大英戦のためでした。
なので、アメリカを東西から挟み撃ちという考えは無いです。
むしろ、ソ連を挟み撃ちにしたかったというのが本音でしょう。
しかし、日本側が陸軍と海軍で引っ張り合いをしてる間に状況が変わってしまい、単独で対ソ戦に踏み切らずお得なくなりました。


>ですので、戦争するという決断自体は間違っておらず、本当の間違いは、戦争のやり方、終わらせ方に問題があったために敗戦したという考えも成り立つと思いますがどうなのでしょうか?

戦争において攻めこむ側は、勝ってから始めるというのが鉄則です。
つまり、戦略を綿密に練って、開戦から講和までのシナリオを描いてから始めなければなりません。
日本の大東亜戦争は、決定的にこのシナリオが欠落していました。
航空機にしたって、航空戦力を事前に想定していた形で活用していませんしね。
負けるべくして負けたわけで、そんな戦争を始めた或いは始めざるを得ない状況に追いやられたというのは、当時の日本首脳陣の無能さを示していると思います。
あとは、時代の空気でしょうか。
「本当は勝てないと分かっていけど、自分から言うのは憚れる」という状況になってたみたいですし。


ではでは、参考になれば幸いです。
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航空兵力は完全に日本が上回っていた



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0% …

日本海軍 艦載航空機399機
アメリカ海軍 基地航空機399機

その他に(データはWIKIPEDIA)
エンタープライズ 最大90機(F4F・F6F・F4U戦闘機、SBD爆撃機・SB2C爆撃機、TBD・TBF雷撃機など)
レキシントン 搭載機91機
サラトガ 搭載機91機 サンディエゴで整備中
以上が太平洋に配置
「ホーネット」「ヨークタウン」「ワスプ」「レンジャー」の四隻が大西洋に配置

単純にハワイを戦闘域と考えれば、
日本 399
アメリカ 581

航空兵力で戦えば、数量的にはアメリカ軍のほうが上回っています。

島嶼攻撃を行えば島嶼航空基地の航空機が参戦するのは当たり前で、その数をカウントしないのは如何なものかと。
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フルボッコににされてお気の毒ですが、私もフルボッコの方に加勢いたします。



現東京都知事の猪瀬直樹氏の書いた『昭和16年夏の敗戦』という本を読むことをお勧めします。
開戦前の昭和16年夏に各省庁から課長補佐クラスのエリート若手官僚(陸海軍からは少佐参謀クラス)が密かに一か所に集められて、もし日本が米国と全面戦争したらという想定のシミュレーションを展開したのです。
そしたらなんと、そのシミュレーション通りに現実に出来事が推移し、日本は負けました。
開戦前にアメリカと戦争したら日本は負けるという結果が日本政府のシミュレーションで出ていたのですよ。
(このシミュレーションの脅威的なところは、預言者が書いたかのように、どういう状況になって日本はだんだん負けていくかまで、ほぼ正確に当てていたところ)

しかし、この結果を東条英機は無視しました。理由は「戦争は実際にやってみなければ分からない」だったそうですが。
ただ、東条英機にしても薄々勝ち目が無いのは分かっていながら、「もしかしたら勝てるかも?」という淡い期待で開戦を決断したようですが。
当時の新聞記事を見れば、「東条英機は開戦しろ!!」「開戦できない腰抜け東条は首相を辞めろ!」等、東条英機首相に開戦を迫る記事一色でしたから、彼も開戦以外に道が無いように追い込まれていたのでしょう。

このシミュレーションをする前の参加メンバー達は、質問者さんのように軍事的には同等かそれ以上だから日本は勝てるだろう、と軽く考えていたようです。
ところが、実際に戦争したら、こんな事が起きるだろう、あんな事も起きるだろう、と真剣に本気で考えてシミュレーションを進めて行ったら、日本は負ける、という結論に達してしまいました。
当時の日本は既に輸入大国でした。
燃料や資源等は外国からの輸入に依存していましたが、戦争が始めればそれらが全部ストップします。
いくら軍艦や飛行機の数が多くても、それを動かす燃料が無くなるのです。
日本は独自でそれらを確保せねばならず、陸海の戦力をそれに割り裂かなければなりません。
そして、うまく確保できたとしても、戦争ですから敵が黙って見ている訳が有りません。
必ず攻撃してきます。日本は当然戦うでしょうが、無傷で済む訳が無く、それなりに損害が出るでしょう。
それが何回も続けば、当時の日本の工業力、造船能力では損害の修復は追い付かなくなります。
アメリカの工業力、造船能力は日本の何十倍ですから、同じ損害を受けてもあっちは短期間で回復しますが、日本はなかなか回復できません。
そうやって、徐々に日本側は損害が増大していき、それに比例して燃料や資源、食糧の輸入も低下、最後はお手上げ状態になります。

結局、この通りになりましたよね。
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無謀どうこう言う前に


ハワイの占領は無理です


当時の日本の民需用船舶は350万t
最低限の所要でも300万tは必要と言われるところを短期間ということで
それを210万tまで削り南方作戦に転用しました
作戦終了とともにすぐに元の民需用に戻しましたが

ハワイ上陸となると150万tの民需用船舶の転用が必要で今度は5ヶ月以上の占有期間
稼行率は0.2程度
しかも今度は米側の潜水艦による攻撃も予想される
ハワイのような小島群島では現地徴発など到底無理だから補給は続けなければならない

経済生産活動を著しく低下させてまで作戦をじっこうするのかという疑問があります


また南方占領後の日本の石油備蓄は925万tだった
それが半年もしない内に825万tも消費してしまった
残量は100万t

ハワイ上陸作戦には100万tが必要と予想されていた(史実のミッドウェー作戦で60万t消費している)
南方での生産を見越しても到底無理

無理に実施したら連合艦隊自身の燃料供給ができなくなってしまうだろう

この回答への補足

日本の目的はハワイを占領することではありません。東南アジアの権益を確保することです。
日本の勝利とは連合国に「日本における東南アジア、特にインドシナ地域の権益を認めさせる」ことです。そのためにはハワイ攻略は必要ありません。逆に言えば緒戦で占領した地域の死守とイギリス艦隊の撃滅を行い、アメリカに対しては、艦隊を日本の制海権内に誘い込んで撃滅させるだけでよかったのではないかと思います。日本の敗因は戦線を拡大しすぎたことです。そうなれば補給がおぼつかなくなるのも目に見えています。緒戦の勝利で欲が出たのでしょうね。ミッドウエーも、ソロモン諸島も必要ない戦いだったはずです。

補足日時:2013/03/05 11:24
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Q太平洋戦争での本当の戦力はどういうものだったのでしょうか?

空母を調べていたら日本は戦争中に数多くの空母を完成させていましたが、すぐに撃沈され、戦力としては機能していなかったようですが、実際、戦艦の数や空母の数などを考えると、日本とアメリカの海軍力の差というのはどんなものだったのでしょうか?

Aベストアンサー

太平洋戦争開戦までは、ワシントン海軍軍縮会議によって
日米の主力艦(戦艦)は対米6割に抑えられました。
(実際は日本が陸奥の完成を主張して、対米比は6割弱です)
その後、条約が失効して建艦競争が再開され、
開戦時の戦力は戦艦では日本10隻アメリカ17隻でした。
開戦後の完成を含むと、日本12隻、アメリカ25隻でした。
(戦艦級の船体に重巡級の砲を搭載したアラスカ級2隻は含みません)

よく、日本は大鑑巨砲主義に固執したと言われますが、
建艦実績では、ミッドウェー戦時にほぼ完成していた「武蔵」以後、
大型艦の建造は空母と軽巡洋艦だけです。



空母については、ワシントンやロンドンの軍縮会議で
制限されましたが、隻数より合計排水量が重視されました。
開戦時で比較すると、日本が「鳳翔」「龍驤」「赤城」
「加賀」「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」「瑞鳳」
「春日丸(大鷹)」の10隻で、アメリカは「レンジャー」
「レキシントン」「サラトガ」「ヨークタウン」「ホーネット」
「エンタープライズ」「ワスプ」の7隻でした。

これが、大戦中の建造だと「エセックス」級だけで17隻、
「インディペンデンス」級軽空母9隻、護衛空母に到っては
100隻以上も作られ、月刊正規空母とか、週刊護衛空母と
揶揄されています。
日本は、正規空母と言えるのが他艦種からの変更を含めて
「大鳳」「信濃」「雲龍」「天城」「葛城」の5隻、
商船や他艦種改造の軽空母・護衛空母と言えるもので
「飛鷹」「隼鷹」「千歳」「千代田」「龍鳳」「祥鳳」
「雲鷹」「冲鷹」「海鷹」「神鷹」の10隻しかありませんでした。

戦艦等に航空機が積めるよう改造したのが「伊勢」「日向」「最上」
(これらは飛行甲板はあるけど事実上は水上機母艦)
艦種がタンカーで飛行甲板を持つ「しまね丸」「山汐丸」
現在の自衛隊にある「いずも」級のような強襲揚陸艦の走りで
陸軍が運用していたのが「あきつ丸」「熊野丸」
などもありましたが、日米の空母はこれだけの開きがあり、
工業力の差は圧倒的でした。



殆どの場合、日本はミッドウェー戦後は没落の一途を辿ったことに
なっていますが、1942年10月26日の南太平洋海戦の結果、
アメリカは事実上太平洋での稼働空母が1隻もいませんでした。
(新規空母は未就役、7隻中「レキシントン」「ヨークタウン」
「ワスプ」「ホーネット」の4隻が戦没、「エンタープライズ」
「サラトガ」が修理中、「レンジャー」は大西洋配備)
しかし、日本側は空母はいても搭載機が不足していて
その時の攻勢は困難でした。

空母の戦力は、搭載機に依存します。(中には「赤城」や
「レキシントン」のように重巡級の砲を搭載した艦もいます)
空母があっても、搭載機が無ければ大きな的です。
航空機の運用でも、戦前は日本が圧倒していましたが、
補充が追いつきませんでした。
アメリカは一定期間の兵役に就くと前線から退きます。
エースと言われる方々の数を見ると、人材の枯渇によって
前線で酷使された日独が人数も撃墜数も多いのですが、
アメリカはエースパイロットでも前線に縛りつけない
余裕がありました。

日米の海軍力の差では、戦艦や空母の数だけではなく、
航空機の性能、VT信管やレーダーの開発、輪形陣の戦術運用など
多くの点でどんどん差ができていました。
最後の機動部隊による決戦であるマリアナ沖海戦を見ても、
搭載機数で2倍、戦闘機数だけでも米軍が400機以上も
上回るのですから、どんなに頑張っても勝てなかったでしょう。

太平洋戦争開戦までは、ワシントン海軍軍縮会議によって
日米の主力艦(戦艦)は対米6割に抑えられました。
(実際は日本が陸奥の完成を主張して、対米比は6割弱です)
その後、条約が失効して建艦競争が再開され、
開戦時の戦力は戦艦では日本10隻アメリカ17隻でした。
開戦後の完成を含むと、日本12隻、アメリカ25隻でした。
(戦艦級の船体に重巡級の砲を搭載したアラスカ級2隻は含みません)

よく、日本は大鑑巨砲主義に固執したと言われますが、
建艦実績では、ミッドウェー戦時にほぼ完成していた「武蔵...続きを読む

Q旧海軍飛行兵のパラシュートについて(太平洋戦争)

よく特攻隊員はパラシュートをつけずに出撃したと語られることが多いのですが、本当にパラシュートをつけずに出撃、というか操縦ができたのでしょうか。

海軍機の操縦席のイスはお椀状の形をしていて、お椀のくぼみの部分に搭乗員のお尻につけたパラシュートがはまる形になっていたと思います。つまりパラシュートがクッションの代わりになっていた訳です。
パラシュートを着けないとなると、お椀の上に直接座ることとなるので、操縦できないことは無かったでしょうが、戦闘行動はとれないと思うのですが。

機種によってパラシュートの装着方法が違うのでしょうか。

Aベストアンサー

落下傘を着けなかったのではなく、縛帯(落下傘と体を結ぶベルト)を着けずに出撃することが多かった、と下記参考文献に書かれています。

特攻隊員に限らず当時の飛行兵は「被弾したら自爆するのが潔し」とされ、落下傘を軽視する考えが主流でした。練習時は規則があるので装着していましたが、出撃に際しては落下傘をつけないのが「決死の覚悟」を示す証であるかのような風潮があったのです。「皇軍兵士は落下傘降下をしない」ということは当時の新聞や雑誌により国民に報道されていたため、横空の山崎上飛曹が落下傘降下した際に敵兵と間違えられて住民に殺害されるという事件さえ起きています。

旧海軍の落下傘には「腰式(八九式落下傘)」「座褥式(九七式落下傘)」「背負式(零式落下傘)」の3種類があり、このうちお尻に着けるというのは腰式になります。
ちなみに、九二式というのは陸軍の落下傘です。座褥式は腰式と同様に落下傘の上に座るタイプですが、はじめから座席に装着されているもので、背負式は座席の背当ての部分に装着されているものです。腰式はごく初期の機体(中錬など)に使用され、背負式は零戦52丙から採用なので、太平洋戦争での主流は座褥式といえます。
座褥式の場合、座席に落下傘が装着されているわけですので、それをわざわざ取り外して出撃、ということはありません。彼らは「決死の覚悟」を示すために、縛帯を着けづに出撃していったのです。

【参考文献】
「日本海軍航空隊軍装と装備」No.655 モデルアート2004.4月号臨時増刊

落下傘を着けなかったのではなく、縛帯(落下傘と体を結ぶベルト)を着けずに出撃することが多かった、と下記参考文献に書かれています。

特攻隊員に限らず当時の飛行兵は「被弾したら自爆するのが潔し」とされ、落下傘を軽視する考えが主流でした。練習時は規則があるので装着していましたが、出撃に際しては落下傘をつけないのが「決死の覚悟」を示す証であるかのような風潮があったのです。「皇軍兵士は落下傘降下をしない」ということは当時の新聞や雑誌により国民に報道されていたため、横空の山崎上飛曹...続きを読む

Q日本海軍による通商破壊戦(太平洋戦争)

日本海軍による通商破壊戦(太平洋戦争)

Wikipediaによると日本海軍は通商破壊戦を1942年9月まで行っていたとあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E6%94%BB%E6%92%83#.E6.B2.BF.E5.B2.B8.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E9.80.9A.E5.95.86.E7.A0.B4.E5.A3.8A

これについて質問なのですが、
開戦初期に潜水艦により通商破壊戦で戦果をあげているのに、なぜその通商破壊戦を中止したのでしょうか?その理由がWikipediaには書かれていないので、知ってる方、どうか教えて下さい。お願いします。

Aベストアンサー

こんにちは

開戦から'42年秋迄の10ヶ月間、組織的に継続して米国西海岸沿岸で
通商破壊作戦が行われていた、というよりは、アメリカ側の撹乱を
企図した作戦が、数度(確か4回)同地で実施された、というのが
本件の実相のような気がします。

と申しますのも、初回('41年12月)こそ、一時に合計9隻の潜水艦を
作戦に投入したものの、以後は2,3隻という少数しか投入しなかった
ことを見ると(とてもあの長大な米国西海岸沿岸の通商路を破壊する
には)あまりにも少な過ぎる戦力、ですから、本格的な通商破壊戦を
企図していたとは、考えにくいですね。

ただ、ほんの数回とは言え、艦船に対する攻撃以外にも、地上目標を
砲撃したり、搭載されている偵察機(水偵)に爆撃を敢行したりと、
今思うと"かなり無茶な"ことしたお陰で、特に米国の一般市民に恐怖
を与えたのは紛れもない事実ですから、かけたコスト(投入した戦力)
の小ささ(?)からすれば、それなりのリターン(戦果)は得られた
と言えるのかもしれません。

さて、何故この後パッタリと米西海岸での作戦行動を止めてしまった
か?なのですが
とどのつまりは"その作戦に回せる潜水艦が(余裕が)無くなった"と
いうことだと思います。

開戦時の帝国海軍の全潜水艦戦力は約60隻強で、そのうち外洋での
作戦行動が可能な大型艦(いわゆる 伊号潜水艦)が50隻弱でした。
全て稼働中ということは有り得ないので、即応状態のものが約3割
(他は、整備・補給・訓練など)と仮定しますと、稼動可能なフネは
15から(せいぜいいっても)20弱ではないか?と思われます。

ちょうど42年の夏以後から"ガダルカナル"に代表される"太平洋の島
をめぐる日米の争い"が激化してきましたので、海軍は超多忙であり、
当然潜水艦の稼働率もかなり高くなっていたものと想像されます。

そのような状況下で、往復するだけでも日数のかかる米西海岸での
作戦は優先順位が低くなってしまったのでしょう。

こんにちは

開戦から'42年秋迄の10ヶ月間、組織的に継続して米国西海岸沿岸で
通商破壊作戦が行われていた、というよりは、アメリカ側の撹乱を
企図した作戦が、数度(確か4回)同地で実施された、というのが
本件の実相のような気がします。

と申しますのも、初回('41年12月)こそ、一時に合計9隻の潜水艦を
作戦に投入したものの、以後は2,3隻という少数しか投入しなかった
ことを見ると(とてもあの長大な米国西海岸沿岸の通商路を破壊する
には)あまりにも少な過ぎる戦力、ですから、本格的な通商破壊戦を...続きを読む

Qこの人は誰、名前がわかりません。太平洋戦争時代の海軍で、、、

この人物の名前がわかりません。おしえてください
太平洋戦争の時代、海軍の指揮官?のような人で、通りかかり撃沈された英軍の船から投げ出され漂流してた英軍人たち(大勢)を引き揚げて助けた人です。 たしかこの方の最期は指揮官の部屋で拳銃で自決していたような気がします。 わかるかたや、聞き覚えある方おしえてください。

Aベストアンサー

http://www.bushido-seishin.com/outline/story.html

帝国海軍中佐工藤俊作(駆逐艦雷艦長)

zzzzzzzzzzzzzzz

Q太平洋戦争時の日本海軍の戦闘機操縦で敵機の位置を連絡するときの言い方(

太平洋戦争時の日本海軍の戦闘機操縦で敵機の位置を連絡するときの言い方(連絡方法)を教えてください。
(1)0時が前方。6時が真後のようにも聞いておりますが、このように連絡したのでしょうか?

(2)その場合6時の言い方は? 「○六○○(マルロクマルマル)の方向」と言ったのでしょうか? 緊急時の言い方としては冗長なような気もしますが……。

(3)また当時は音声通信の品質が悪く雑音が多いためモールスを使うことが多かったと聞きますが、モールスで方角を連絡するときは? ウシロ? 0600? 6ジノホウガク? どのような電文だったのでしょうか?

じつは私の父は海軍の戦闘機乗りだったのですが、私が子供のころ聞い話の断片的な記憶をもとに書きものに纏めようとしたところ詳細の表現(記述)に困っております。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

最初の回答は特攻機の場合陸軍機はあらかじめ決められた水晶片で
発信はきめられていた
突入艦種によりスイッチいれるだけ
戦艦つーつーつーつー・・・・ときれた時が突入か自爆墜落いずれか

お宅の聞きたい事は偵察機の役目

戦闘機など会敵したら、逃げるか 攻撃しかない
基地等連絡等 しない帰ってから報告だ

零戦など役立たずアンテナ等切り倒した豪傑までいる

松山の343空では無線電話が良好で機種 紫電改

編隊空戦と見張り所レーダーなどで基地と無線交信して会敵していた


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