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至急よろしくお願いします。

万葉集、古今和歌集、新古今和歌集について質問です!
テスト直前ですがわかりません!

あと、押さえておいたら点数が取れそうなところも教えてください。
よろしくお願いします。


以下の文の区切れを教えてください。あと何句切れかも。



●君待つと我が恋ひをれば我がやどの簾動かし秋の風吹く

●近江の海夕波千なが鳴けば心もしのに古思ほゆ

●瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば
まして偲はゆ いづくより 来たりしものそまなかひに もとなかかりて
安眠しなさぬ
(反歌)
●銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも

●春の野にすみれ摘みにと来し我そ野をなつかしみ一夜寝にける

●うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば

●信濃道は今の墾道刈りばねに足踏みましなむ沓はけ我が背

●韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして

●ちはやぶる神世も聞かずたった河韓紅に水くくるとは

●山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもへば

●うたたねに恋しき人を見れしより夢てふ物は頼みそめてき

●むすぶ手の滴ににごる山の井のあかでも人にわかれぬる哉

●春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空

●道のべに清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ

●さびしさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮れ

●玉の緒よ絶えなばたえねながらへばしのぶることのよわいもぞする

A 回答 (17件中1~10件)

banzaiAさんのおっしゃるように受験で正解が分かれるのはよくないですね。


しかし、そもそも和歌自体が主観的な詩歌なのですから、それを客観的に解釈すること自体がおかしなことなのだと思います。従って、受験で句切れを問題にすること自体ほんとうはおかしなことだと思います。例えば、小論文形式で和歌の解釈を問うことは妥当だと思いますが、客観的に句切れを特定させる問題はいかがかと思います。それが受験だと割り切ればいいのかもしれませんが。
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受験などに出題されるのは、正解が揺れ動く問題は考えられないと思います。


客観的に考えて、正解を導き出せるものだと思います。
ですから、一般的に主観的な考えで答を導くのはどうかと思いますよ。
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「基本的には、文の終わりが、和歌の途中にあるとき、そこが区切れだ」というご説明に得心致しました。

区切れと句切れ、音は同じですが、意味は微妙に違います。和歌の解釈はとても難しいですね。私の愚問にお付き合い頂きありがとうございました。
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「用言の終止形の後ろ」という言い方に拘っておられるのですか。



私の前の回答者さんの文言を借り受けただけのこと。

基本的には、文の終わりが、和歌の途中にあるとき、そこが区切れだと言い換えたがよろしいようで。

文の終わり方、それは、用言の終止形だったり、係り結びだったり、助動詞の終止形や終助詞などがあるようですが、それを表現された回答だとかいうことで、私の前の回答者さんの文言を借り受けただけのこと。(多分、口語訳すると云々という説明があったかと・・・)

受験生に、「口語訳をしてみると~~」と説明するのはわかると思いますが、
「韻律的に~~」などと説明されてもわからないと思いますよ。
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banzaiAさんは、「句切れの基本は用言の終止形の後ろ」でいいとおっしゃっているのですから、句切れは文法に関わるとお考えなのでしょう。

その関係性を妥当とする根拠を知りたいのです。単なるbanzaiAさんの独断ならそれでもよいのですが、何か普遍的な法則性というものがあるのならばその理由をお伺いしたいだけです。私の場合は前述したように句切れとは意味や音律による主観的な歌意から判断するべきという考えから自らの誤認を訂正致したということです。私が言いたいのは、句切れがなぜ「基本は用言の終止形の後ろ」なのかです。また、そうなっていると言われても実際にそうなっていないものが多いのではないですか。演繹的でも帰納的にでもかまいませんので「句切れの基本は用言の終止形の後ろ」という命題が真であるという証明があるのでしたらそれをお教え願いたいということです。
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根拠も何も・・・


区切れとはそういうものでしょう。

amenooshiwoさんが、訂正なさった根拠はなにですか?
なぜ訂正しなければならなかったのか、最初の考えと後での考えがぶれたからではないですか?

入試などでは、客観的に(根拠があって)判断できる問題が出題されるもので、
解釈次第で正解が複数あるものは出題されないのが普通でしょう。
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この質問をされた方にとっては受験に関する大事な質問の可能性もあります。

j-mayolさんとbanzaiAさんには、「句切れの基本は用言の終止形の後ろ」というご高説の根拠を是非ともお教え頂きたくお願い致します。
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再三失礼致します。

以下も訂正致します。
心あてに 折らばや折らむ /初霜の おきまどはせる 白菊の花      助動詞連体形
ば=接続助詞、や=係助詞 従って、む=助動詞連体形
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たびたび失礼致します。

以下も訂正致します。
我が庵は 都のたつみ しかぞ住む/ 世をうぢ山と 人はいふなり     動詞連体形
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banzaiAさん、ありがとうございます。

ご指摘の通りです。失礼しました。
花の色は 移りにけりな/ いたづらに我が身世にふる ながめせしまに  終助詞
訂正致します。
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